2006年09月01日

クローズアップ現代「さよなら冥王星」

クローズアップ現代
さよなら冥王星
〜新しい太陽系の姿〜
2006.8.31 19:30
NO.2288
番組ホームページ内の記録


昨日クローズアップ現代が、冥王星の話題だったので見た。
IAUの定義を作成した委員の一人である国立天文台助教授の渡部潤一氏も出ていて、わかりやすくまとめてあった。

以下、おおざっぱなメモと(思ったこと)

1930年に発見された冥王星。発見当初地球とほぼ同じ大きさとされたことが惑星と見なされた理由の一つ。1978年に衛星カロンが発見された。それまで考えられてきた冥王星の大きさは、この衛星を含めて観測されていたのだ。実際の冥王星の大きさは地球の月よりも小さいことが分かってきた。

(惑星と見なされた冥王星の大きさの修正の説明も、先週いろいろあった一連の報道の中では詳しくやっていなかったから、わかりやすかった。)

そのあと、2003UB313の発見についての話があった。
これは惑星とは何かの議論を加速させる発見。見つけたのはカリフォルニア工科大学マイケル・ブラウン教授のグループ。どうやって見つけたのかというと、最新の望遠鏡ではなくあえて60年前に作られたパロマ天文台の1.2mの望遠鏡を使って調べた。倍率の高い大きな望遠鏡だと暗い星は見えるけど狭い範囲しか見えない。1.2mの望遠鏡だと空の広い範囲を一度に観測できる利点がある。冥王星がそうであったように軌道が傾いていると仮定して、空全体をくまなく探した。そして星を見つけた。証拠写真。90分間隔の三枚の同じ場所を写した写真。これを次々に切り替えると、わずかに動いている様子が分かる。

(単純だけどこういう一目瞭然な星の発見を見せるのはわかりやすいなと思った。この教授自身の説明もわかりやすかった。)

この星を口径10mの大きな望遠鏡で観測してみると、衛星ももっていた。冥王星との共通点がいくつも発見された。メタンの氷の表面や、傾いた楕円軌道。大きさも上回っているし、冥王星が惑星ならば、これも惑星になれるはず。そういうことで今回の惑星の定義を決める議題が出てきたのだということの説明。

大きな問題。冥王星の周辺に次々に直径数百キロを越えるの似たような天体が見つかってきた。このあたりを太陽を取り巻くようにこのような天体が回っている。冥王星を惑星としておくと、このままでは惑星が無数に増えてしまう。

渡部氏が加わっての、新しい太陽系の惑星の定義の話。惑星という名前すらやめようとか極端な意見もあったとのこと。

・太陽の周りを回っている。
・質量が十分大きく球形をしている。
・軌道上で圧倒的に大きい。

渡部氏もこの言葉がとても簡単にしていると断ってから説明している。冥王星は三番目が当てはまらない。そういうわけで冥王星は矮惑星。冥王星は、海王星より遠い天体(トランス・ネプチュニアン天体)の代表選手となった。

(前回このブログで惑星の定義の三番目の定義の出所が分からないと書いていたが、IAUの定義作成委員だった渡部氏がこの言葉で説明しているのならば、これでいいや。一般視聴者に「掃き散らす」とか言ってもわけ分からなくするだけだから。それからNHKのニュースでは矮小惑星という言葉を使っていたけれど、今回は矮惑星と言っている。)

次は、太陽系生成の新しいシナリオについて。
「星のゆりかご」オリオン大星雲をどんどんズームして、原始太陽系の画像が出てくる。46億年前の私たちの太陽系も最初このようなガスやちりからできていた。CGによる太陽系生成の映像が続く。太陽の周りのガスやちりが微惑星となり、円盤状で微惑星が合体しながら水星から海王星までの惑星はできていった。しかしこれだけだと、それより外側の冥王星などの星の軌道が傾いていることを説明できない。

なぜ傾いてしまったのか?という疑問を持って、東京工業大学地球惑星科学科井田茂教授の説明の映像が始まる。井田教授はコンピュータシミュレーションを使ってこの謎に迫っている。

冥王星の8570倍の質量を持つ巨大な惑星「海王星」が外側へ向かって移動したことにより、強い重力でこのあたりの星々の軌道をかき乱したのではないか。

コンピュータによって海王星の移動により点状の星々がどう軌道を変化させたのかをシミュレーションしている映像が映しだされる。時間がたつにつれて、ある距離に固まって配置されるようになる。一千万年かけて、10億キロ外側に移動している。奇妙な軌道は冥王星の大移動が原因だった。

(でも見ていてどういう力が働いて垂直方向に上がっていくのかの理屈が分からなかった。)

番組のまとめとして。渡部氏の発言の断片。
トランスネプチュニアン天体(海王星より遠い天体)は、合体して大きな惑星になる途中でとまってしまった惑星のタマゴたち。タマゴが冷凍保存されているようなもの。化石のようなもの。惑星の素材がそのままあるのでは。アメリカ探査機2015年が接近して調べようとしている。電子的な技術も上がり、今これからが新しい天体発見の黄金時代。

(番組自体「さよなら冥王星」というタイトルだったが、これは決して私たちとって否定的な出来事ではない。太陽系にとっての新しい発見が相次いでいることの証拠だということ。)

以上。

番組の内容と(感想)はこんなだった。そのあとここに書くためにより詳しく調べようと、いろいろネット上の情報を調べてみたら、面白いものを見つけた。


井田茂教授本人がこの放送に関しての裏側を掲示板へ投稿していた。SF作家・野尻抱介氏のホームページ(野尻抱介 リファレンス・マニュアル)に設置してある掲示板だ。井田氏は以前よりこの掲示板に常連として投稿されているのだが、”わかりやすい番組”づくりを目指す番組側との攻防という面白いことが書いてあった。

http://njb.virtualave.net/nmain0213.html#nmain20060901043015

番組では、シミュレーション画像で冥王星などの天体の鉛直方向の傾きがまるで海王星の軌道が外側に移動することで起きたかのように見れたのだが、冥王星に関しては実はこれでは説明できないらしい。「平均運動共鳴のなかに入り込む昇交点経度の永年共鳴」によるらしい。

番組で軌道の傾きのように見えたのは実は違っていた。軌道離心率と軌道半径の図だったようだ。疑問を持って調べないと信じ込むところだった。一般視聴者には、それほど深くは興味もないだろうからあれでいいのかもしれないけど、この番組はこれからの天文学者の少年たちに微妙な知識を与えたかな。


井田氏の書き込みで紹介されているページが次のもの。

冥王星の起源と太陽系外縁部の構造(日本惑星科学会)

上のページには海王星の移動と冥王星の軌道の共鳴についての詳しい説明がある。ただし軌道面の傾きについての解説が載っているかとというと、そうではなくて、別な文献を参照してくださいとある。で、そこで指定されている文献が次の三つ。ちなみに"secular resonance"というのが永年共鳴。

Evidence for Early Stellar Encounters in the Orbital Distribution of Edgeworth-Kuiper Belt Objects(英語)

Sweeping Secular Resonances in the Kuiper Belt Caused by Depletion of the Solar Nebula(英語)


The Effects of a Stellar Encounter on a Planetesimal Disk(英語 PDF)


修正:2008/06/27
リンク先が変わっていたので修正


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2006年09月02日

新・人間交差点

新・人間交差点を見ている。3回連続で今夜で早くも最終回。原作は漫画の「人間交差点」と小説「翼ある船は」。僕はどちらも読んだことがなかったので、どんなふうに組み合わせたのかがよく分からない。公式ページの「このドラマについて」を読むとだいたい分かるが。


寺島由次役の仲代達矢がいい。のんびりと田植えをしたり、遠い昔に別れた息子のことで身もだえしたり、事件に際しては新聞記者としての魂は今も健在という表情をみせたり、この由次という人はとても複雑な役なのだけどちゃんとそれを一人の人間の中におさめている。このドラマは「男たちの大和」での戦艦大和の生き残りの役以上に、仲代達矢の近年の代表作になったのではないかと思う。

佐藤江梨子は、実のところ期待していなかったんだけど、これもいい。若くて無鉄砲で常識を知らなくて、そういうのがとてもよく出ててた。決してけなしてるわけじゃない。いまの若い女優で、代わりが思いつかない。うまいと感じさせてしまったら役柄としての未熟さ感じられないし、きれいで人気があっても演技ができない棒読み女優では駄目だし、なかなかいい配役だったと思う。体当たりで演じてるって感じがいい。上手くもなく、ドラマを台無しにしてしまうほど下手でもなく。決してバカにしてるわけではない。そう言えば小池栄子も義経ではよかった。

ドラマは、由次という元新聞記者であり、ある過去を背負った男の物語である。根底にあるのは、「翼ある船は」から来ている物語なのだろう。ときどき「翼ある船は...」と詩を唱える。サトエリ演じる姉の孫マリエが持ち込んでくる事件につきあってなんかいられないくらいなのだけど、この若い新聞記者の成長を願い、しっかりと導こうとしている。

マリエが持ち込む事件は、「人間交差点」から来ている物語だろう。いわゆる人情話。泣かせる話。でも分かっていても泣けてしまう。人の想いというのが心を揺さぶり伝わってくる。
マリエが事件を取材し行き詰まる。由次の昔書いた記事を読む。由次とともに由次の記事の関係者のその後を取材する。さらに新たな事実を知る。そして現在の事件の本質をついた記事を書く。二話はこんな展開。おそらく第三話は違うだろう。

第一話は「引退記者のファイル」。血のつながらない母親と子どもの話。拾った子猫を飼うように無責任に若い女性が迷子の少女と一緒に暮らしていた。このことで怒りを感じるマリエに、自分が発表できなかった連載記事「人間交差点」のある記事を見せる。

第二話は「赤ひげの歳月」。若い大学の医師が地方の病院にとばされたことを恨んで、贈収賄があったとその院長を訴える。実はその医者は由次が昔取材した情熱ある青年医師だった。
この話では、昔の白い巨塔で里見先生を演じた山本學が嫌な医学部の教授役で出てくる。絶対この配役狙ってるんですよね。

三回だけというのは何かもったいない感じもするが。この二話は、老人と若者の世代を超えた交流、老人の過去の話は今の若者にとっての現実味のないただの物語ではなく現在にしっかりとつながっているんだという最終回を向かえるための意味のある、別の物語からの挿入なのだと思う。このドラマはNHKのドラマとしても、久しぶりの名作になったと思う。さて今夜最終回どうなるのか。

関連記事
新・人間交差点「翼ある船は」


関連リンク
NHKドラマ公式ページ


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2006年09月03日

純情きらり 第22週

第22週 「さよならを越えて」

昨日のうちに投稿するつもりだったのに、書いているうちに長くなって簡単にまとめられなくなってしまった。考え込まされてしまった。主人公の人生に関わる重大な話だったからだ。それを有森家の生まれ育った町が破壊される岡崎への空襲と重ねたのも意図的なものだと思った。6月末あたりの、達彦に召集令状が届いた頃に匹敵する大きな物語の山場だった。この日のために、冬吾という描くこと以外何もできない純粋な芸術家を物語の中で育ててきたわけなのだから。



このドラマの原案は津島佑子の小説「火の山―山猿記」。勘のいい人は津島という名前で分かるだろうが、この人は小説家太宰治の次女である。娘ではあるが彼女が物心つく前に、太宰治は愛人と心中で死んでしまった。津軽出身の冬吾は太宰治がモデル以外の何者でもない。昔冬吾も心中事件を起こしている。最近の展開は芸術家冬吾の、大切な家族を捨てかねないこういう側面を思い出しながら、ヒヤヒヤしながら楽しむことができた。このドラマにはいくつもの視点があるが、原案者の投影された冬吾の娘カズちゃんも大切な隠れた視点だろう。

この週もいろいろあった。毎日書かないと書ききれない。でも今は週末にしか余裕がない。今週の話の中心は、桜子、冬吾、笛子姉さんの三人の物語。静かに展開する見応えのある話。時は岡崎空襲のある1945年7月あたり。

冬吾は絶望の中で絵が描けなくなっていた。息子トオルの障害も悲観的にしか考えることができなくなっていた。そんな冬吾への、トオルを笑わせるために絵が描けないかという桜子の言葉をきっかけにして、冬吾は絵を描く。復帰第一作は「北風と太陽」の迫力のある太陽。

活動を始めたが何を描くか迷う冬吾に、笛子があなたが一番描きたいものから描き始めたらいいと促す。そのあと冬吾はピアノを弾いている桜子の姿を描き出す。一人その作品を見て冬吾の中にもある自分への気持ちに桜子も気付く。そしてはやく代用教員の仕事に就いて、この家族から離れようと家を出なければと決意する。

杏子(ももこ)が鈴村と戦災孤児の幸と岡崎にやってきた。東京で三人一緒に暮らすことをみんなに伝えるために。最初の旦那でひどい目にあった杏子は、今度は幸せな家庭が作れそうだ。鈴村もサチも戦争で拭えないほどの悲しみをもっている。けれど杏子がいてくれればきっとみんな幸せになれるだろう。宮崎あおいと井川遥はほんとの仲のいい姉妹のようだ。

冬吾に自分の苦しい想いを伝えた後、桜子も「Tに捧ぐ」と冬吾への想いを音楽にする。全てを表すことができない想いが芸術と形を変えていく。芸術にとってとても大きな力となるこの姿を描き出すためにも、二人の危うい展開は必須であるとさえ思う。

マロニエ荘から一緒に岡崎に着いてきた冬吾の親友のヤスジに召集令状が届いたとの知らせ。ヤスジは出征するために東京に帰る。冬吾はヤスジの居た部屋で食事もとらずに絵を描き続ける。食事をもってきた桜子に、自分にもいつかその日が来るかもしれないと、村山槐多の詩を朗読し今の心境を語る。またがれきの下敷きになったときこのまま死んで桜子と二人で魂だけになって空をいつまでも飛べたらよかったとも言う。冬吾自身気付いてしゃべっているか知らないが、これは心中のメタファーのように思う。桜子は涙を流して、死んではいけないという。

笛子は桜子が作っている「Tに捧ぐ」という楽譜を見つける。タイトルを読み、とても心配な顔をする。桜子も視聴者もこれでバレてしまうのではないかとドキドキさせられる。しかし笛子はこの曲を達彦さんへの想いだと言う。ここは上手い演出だった。ああ達彦もTだということに気づけなかった。でもこの場面、笛子はちゃんとそれが冬吾へのものだと気付いていたのだろう。それを達彦だと決めつけることで、桜子に対しても自分自身に対しても必死に気付かないふりをしたのだろう。

最初から笛子はすべて見抜いていただろう。笛子が一番描きたいものから描き始めたらいいと言ったのも、何を描くのか分かっていた。それでも冬吾の芸術にとって桜子の存在がかけがえもないものだと分かっていたから、何も言わずに見守りつづけた。現に桜子の力で冬吾は再び絵を描けるようになった。冬吾のためならば、耐え難い出来事が起こっても笛子はその現実を受け入れただろう。冬吾の芸術を支えたいという想いと、冬吾を取られたくないという本心との葛藤の中で、静かに苦しむ笛子。セリフでは直接何も言わない。でも演技とセリフの端々でその複雑な心境をみせる。特に今週は画面を見ずに主音声だけを聞いていたらとてもわかりにくい場面が多かっただろう。

7月20日、岡崎空襲の日。足の怪我が治らない冬吾は防空壕にたどり着けなかった。危険を承知で桜子は探しに出る。自分を置いて帰るように追い返す冬吾と、死んでほしくないからと連れて行こうとする桜子。桜子は必死に姉のために死ぬなと自分の気持ちを隠しながら説得を続ける。そこにすぐ近くで火花が炸裂し、とっさに互いに抱きしめ合う。桜子は自分の気持ちに抗しきれず、よりしっかりと抱きしめてしまう。我に返ってトオルを思いだし二人で防空壕へ向かう。

夜中無事に家に戻ってきた後、桜子はピアノの前に座る。そこに冬吾が現れる。桜子は「Tに捧ぐ」を演奏する。冬吾はタイトルの意味がすぐにわかった。冬吾は桜子の肩に手をかける。二人は互いに見つめ合うが涙を浮かべながら一線を越えることを踏みとどまる。人を好きになる気持ちは仕方がない。まして芸術を志し、いかに心を表現するかに精力を注ぎ込んできた二人だ。自分の心に嘘はつけない。でも仕方がなくても、重要なのはその自分の気持ちに対してどう行動するかということ。人の道にはずれ破滅するか、人の心に残る崇高な芸術を生み出すか、大きく天と地に別れる。この心の葛藤を乗り越えそれを音楽へと昇華させた桜子は、その音楽の才能を高め、女性としても成長を遂げるのだった。というのが、物語の中のこの週の位置づけだと思う。

冬吾は実家のある津軽に行くことを決める。放蕩していた冬吾には決して戻れる場所ではない。それでもそうしないといけなくなった。桜子への想いが一緒の家にはいられなくしてしまったからだ。津軽に向かう汽車の中、笛子は悲しそうに窓の外を眺める。それに気付いてどうしたのか冬吾が聞くと、ふるさとを離れるからだと言う。だが、そんなことはない。最近まで東京でみんなで暮らしていたわけだから。葛藤から解放された安堵もあるだろうが、この旅そのものが冬吾の桜子への深い愛情を示すものだということ。自分がこの町で冬吾に対して何もしてやれなかったこと。そういうことがこみ上げていたのだろう。察した冬吾はおばあちゃんに席をゆずるために妻笛子に膝の上にのれと言い出す。恥ずかしがる笛子。両親の奇妙なやりとりを楽しそうに見つめるカズちゃん。この家族の幸せな未来を約束してくれるようなカズちゃんのいい笑顔。この冬吾は家族を捨ても死にもしなかった。

次回予告。ナレーションは笛子。予想通りの意外な展開。もう少しわかりにくくしてもよかったのに。そして新キャラ登場?木村多江だ。


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2006年09月04日

新・人間交差点「翼ある船は」

土曜ドラマ「新・人間交差点」
2006.9.2 最終話「翼ある船は」
・リンク:NHK土曜ドラマ公式ページ


由次がずっと口にしていた詩は、

竹内勝太郎(1894.10.20-1935.06.25)

 翼ある船は霧ふかき
 水平線のかなたより現れて来る
 匂やかな嬰児の心は
 仄かなる四月の水の上に
 新月の如く生命の船を解き放つ

(仮名表記)
 つばさあるふねはきりふかき
 すいへいせんのかなたよりあらわれてくる
 におやかなみどりごのこころは
 ほのかなるしがつのみずのうえに
 しんげつのごとくいのちのふねをときはなつ

(ハル役の赤木春江が朗読する場面での字幕より、仮名は各朗読シーンより引用)

謎だったこの詩は、シベリアに抑留されていた兄からのたった一枚の葉書に書いてあった詩だった。第一話、第二話と由次が何度も詩を繰り返していたのは、六十年前に覚えたこの詩の言葉思い出すためだった。でも何度思い出そうとしても最後の二行が由次はどうしても思い出せない。

第二話の最後で、金沢にいる息子から、自分はもうすぐ死ぬので伝えたいことがあるから来てくれと言う手紙を読む。息子が少年の頃一度だけ会ったたのだけど、そのときは子どもとは思えぬとても恐ろしい顔で由次は睨み付けられた。いまだにその少年の姿に由次はうなされている。


最終回。マリエ、最初からじいさんバカにしすぎ。いままであんなに助けてもらっていたのに。なんだこの礼儀知らずの女はとドラマだと分かっていても腹が立った。途中、いろんなことに巻き込まれて、なかなか息子に会えないけど、時間足りるのだろうかと心配になってしまった。そしていよいよの息子との対面シーン。よかった。おそるおそる息子に近づく由次は、また睨み付けられるんじゃないかと怯えてたんだろうな。会えて本当によかった。最終回だけどまだ続けることもできますよっていう感じの終わり方もよかった。


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2006年09月05日

村山槐多「いのり」

「純情きらり」で冬吾が引用した槐多の詩に関心を持って、純情きらり(130)でも抜き書きしたが、「槐多の歌へる」を手に入れたので、分かったことを少し書いておく。

ドラマの内での引用では実は詩の前半部分だけである。これだけでも十分槐多の心情を表していると思うが、折角なので全文を引用してみる。底本は「中央公論新社 日本の詩歌17」

-----

いのり
    わが神はわれひとりの神なり

 神よ、神よ
 この夜を平安にすごさしめたまへ
 われをしてこのまま
 この腕のままこの心のまま
 この夜を越させてください
 あす一日このままに置いて下さい
 描きかけの画をあすもづづけることの出来ますやうに。

 神よ
 いましばらく私を生かしておいて下さい
 私は一日の生の為めに女に生涯ふれるなと言われればその言葉にもしたがひませう
 生きて居ると云うその事だけでも
 いかなるクレオパトラにもまさります
 生きて居れば空が見られ木がみられ
 画が描ける
 あすもあの写生をつづけられる。

       ――― 十二月八日

-----

槐多は1919年2月20日に22歳で夭折した。つまりこの詩が書かれた1918年12月8日というのは死の2ヶ月ほど前になる。この年の四月に結核性肺炎で血を吐いて倒れ、その後療養するも喀血を繰り返した。この頃は自分の命と向き合いながら最後の創作活動をしていた時期である。

「槐多の歌へる」は彼の死後に集められた遺稿集である。槐多は生前画家として評価された人であるが、没後1年にこの詩集が出版されることで、詩人としても世間から評価を受けることになる。
この「いのり」のあとには二つの詩がある。最後の一つは日付的にはより以前のものらしいと脚注にある。読み比べてみれば分かるが、最晩年に最後の輝きを放つ詩はこの「いのり」だ。

8月31日の投稿のとき、ネットで情報を探してみたがドラマの言葉から聞き取ったものと違ったので、そこからは引用しなかった。またネット上には「いのり」と同じ文言を第三の遺書としたものもあった。ここにある「槐多の歌へる」の脚注で、遺書のことにも触れてあるが、それには第二の遺書のことまでしか書かれていない。また第二の遺書の日付は2月7日となっている。


僕にはまだこの詩の心境が自分のものとして分からない。


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2006年09月06日

よいこのびいる

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マッキーさんと「よいこのびいる」なるものを飲んだ!
マッキーさんはアルコール依存症なので本物のビールは飲まないことになっているので、でもこれなら飲めるねってことで、話の種とブログのネタに、一本買ってきたわけなのだ。
もちろんこれはビールではない。ノンアルコール飲料でもない。子どもが親父のまねして、プハ〜をするためだけの飲み物。そのために、色も泡立ちも本物に似せて作ってある。嗅ぐと酵母みたいな変な匂いもかすかにしたような気がした。

飲んでみた。砂糖水だった。何も期待はしてなかったんだけど、ちょっとがっかりしている自分がいた。


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純情きらり(135) 達彦生還

今日は紀子様ご出産で放送が延期になるんじゃないかとちょっと心配したけど、どの時間帯にも影響が出なかった。
こんなめでたい日に、達彦さん生還でなんかできすぎです。

今日のあらすじは「達彦生還」の一言です。
きっと「お母さん」が引き合わせてくれたんですよ。

※追記2006年9月9日14:10:09
週末の連続放送をみたら、この回もあらすじを書きたくなった。

<あらすじ>

夜。喫茶マルセイユ。外には一人軍服を着た男が近づいている。中では秋山さんサックスと桜子のピアノの楽しいジャズのセッション。演奏終わると同時に外の人影はきびすを返し、闇の中に消えていく。喫茶店の中では、どうだいと秋山さんがきくと、最初桜子の腕を疑っていたバンド仲間二人も、しぶしぶ桜子のうまさを認める。名古屋での演奏に参加することが決まる。

家に帰ると、山長の職人で戦争に行っていたキヨシが訪ねてきていた。とても羽振りがよさそう。昔からの仲間を子分に従えている。闇市でもうけている様子。山長のことはどうでもよくなっている。そしてまたまた桜子にプロポーズをしてくる。桜子はもちろんそれを断る。でもキヨシは憎めないやつ。

有森家。三姉妹が話をしている。結婚はいいものよと、二人の姉は桜子の幸せを心配する。とある旅館。男たちが相部屋で泊まっている様子。その中に先ほどの軍人が外を眺めている。顔はよく見えない。陸軍さんと呼ばれている。

翌日。かねの一周忌の日。喪服を着た桜子は、かねが最後に送ってくれた花嫁衣装と、それにつけた思いのこもった手紙を読み返し、かねを偲ぶ。その手紙にも新しい幸せを見つけてくれという言葉。

東京に帰る笛子は最後に桜子に言葉をかける。あなたはまだ若い。どんな人生も自分で選べる。いつだってあなたの味方だ、と。

笛子は駅に向かう。ももこが途中まで見送りについていく。不吉な夢を見のことを伝える。他にも、笛子のお下げ髪の子どもの夢、山長に蟻が入る夢も見たという。ここでお別れと言って、桜子には幸せになってほしいと笛子が話を切り出す。桜子には達彦のこと以外にもつらいことがあったと言う。ももこは「それって...」と笛子が言いたいことに気付く。ここでも笛子は表情だけで、直接には何も言わない。
(先週は冬吾への気持ちしか考えて見ていなかったけど、桜子の幸せのことも考えて一層笛子は苦しんでいたんだな。)

山長では、かねの一周忌の法要がいとなまれる。読経が終わると、山長の懐かしいみんなが桜子を慕って若女将、若女将と取り囲んでくる。夕方法事が終わると、桜子は喪服のまま達彦のピアノを弾き始める。
(お義母さんへの追悼と、それだけでなく死んだ日も分からない天国の達彦を思っての演奏なのだろう。)

たねが法事の客を見送りに表に出る。風が吹き土埃に顔をそむけると、そこには背中を向けて立っている軍人さんがいる。男は声をかけても返事もせず立ち去ってしまう。男は山長の敷地をゆっくりとかみしめるように歩いている。桜子の音楽を聴いているようにも見える。その男が顔を上げると、それが達彦だと分かる。

桜子は山長から外に出る。歩いていると後ろに何かの気配を感じ立ち止まる。桜子の歩いてきたうしろのほう、その道を横切る形で達彦が出てくる。達彦も何かを感じて立ち止まる。桜子が振り向くと、土埃の向こうには軍服の誰かが立っている。達彦も顔を上げ、互いに姿を確認しあう。毎回聞いているあのオープニングテーマが珍しくBGMとなり、場面が盛り上がる。桜子はそれが誰だか分かった。達彦さんと涙ぐむ。桜子は駆け出し、近づくにつれ足早になる。そしてついに達彦に抱きつく。涙が止まらない。達彦の方もしっかりと喪服の桜子を抱きしめる。

※追記終わり



スタジオパークも達彦役の福士誠治生出演。ロン毛のカツラかぶったり、青いハンカチ出してハンカチ王子のまねをしたり、サービス満載でした。本人の「福士 誠治のブログ」に、ロン毛写真掲載です。見られなかった人はどうぞ。
特別公開の明日の一場面では、帰還してもすんなり話は進まないようだけれど、とにかく帰ってきてよかったということです。

このブログの確実な読者にichigoさんという方がいて、純情きらりの記事には感想をメールで送ってくれます。ichigoさんは視覚障害者です。テレビも受信できるラジオで聞いてられるのですが、そのラジオでは副音声が聞けないので、完全には話が分からないそうです。
特に今日は、達彦さんにはセリフがなかったので、全然様子が分からなかったそうです。言われてみるとそうでした。達彦さん、まだしゃべってませんでした。
僕が純情きらりの話題で書いている内容は、かなり主観的な分析で、関心を持たなかった話はばっさり省いたあらすじを書いてますが、それでも、分からなかった場面が理解できたと言ってくれます。

そういう読者がいてくれるから書いているというのもあるわけです。それ以上に自分が理解できたものや分からないことを文章にしたいという欲求が強いのですが。最終回まで、いろいろ書いていきます。大詰めにはいると毎日書いてしまうでしょう。


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2006年09月08日

純情きらり(136)

<あらすじ>

昨日のラストの感動的な再会の後。

達彦は帰ってきた。桜子は達彦を見つけると思わず走り出し、その胸に飛び込んだ。達彦も一瞬幸せそうな表情を見せるが、次第に表情をこわばらせ、桜子の肩をつかみ自分から引き離した。桜子は達彦の表情と行動にとまどいを見せる。そこへ山長の責任者、仙吉さんと野木山の二人があらわれ。坊っちゃんの帰還を喜ぶ。今日が母の一周忌だと知らせると、達彦は動揺する。達彦の異変を感じながら、桜子は仕方なく家に帰る。
(達彦はいままでもそんなに感情を表す人ではなかったけれど、それ以上に人が変わったように表情を失ってしまっている。達彦は何か大切なものを戦場で失ってきたようだ。

その夜、達彦と仙吉と野木山は叔母夫婦と話をし、達彦がこの店を継ぐことになった。
(やっとこれであの嫌みな夫婦が山長からいなくなる。六角さん次の「相棒」での活躍楽しみにしてます。

桜子は、もも子夫婦に達彦の帰還を報告するが、とても沈んだ顔をする。近くにいるのに達彦を遠くに感じるともらす。
(せっかくとても会いたかった人に奇跡のような再会をしたというのに、信じられないくらい悲しそうな桜子。なんて意地の悪い脚本家だろう。

達彦が狭い物置に書類を置きに来る場面。するとどこからともなく戦場の音が聞こえてきて、達彦は急に怯え出す。戦場の映像。戦場の穴ぐらの中でみんなと身を潜めている達彦。真っ赤な血に染まった両の手。達彦は部屋から転がるように出てくる。
(達彦はどうかしてしまった。あの血のついた手からすると、戦場で人を殺してしまった罪の意識に嘖まれておかしくなったのか、でもその展開にしてしまうとNHK的にも収拾がつかないだろうから、そうはしないだろう。ただ戦場でとても恐ろしい体験をした。それが達彦の心を閉ざしてしまったのだろう。

翌日桜子が会いに来たが、居留守にしてくれと野木山につげる。桜子は仕方なく家に帰る。家ではじいちゃんも待っていた。
(桜子を避ける理由は何なのだろう。それからじいちゃんのしぶとさは青汁のせいだな、絶対違うけど。

達彦が部屋に独り。机に置いた手帳から一枚の写真を取り出す。兵隊と女性が写っている。達彦と桜子かお母さんが映っている写真かと思えば、違う。誰か知らない兵隊と、一人の女性。
(その兵隊の妻か、達彦にとっての桜子のような言い交わした大切な人か。彼の姉さんかもしれない。これが予告に出てきた多江さんか!この兵隊は、達彦と同じ部隊にいた仲間だろう。そして達彦の身代わりになってか、達彦の責任で死んでしまったのかもしれない。この女性が今週の残りと来週、重要な役割になってくるのだろう。

その翌日、頭首のお披露目をする日。みんなが集まっているのに、達彦がいない。どこを探してもいない。桜子も外に探しに出る。桜子は暗くたたずんでいる達彦の後ろ姿を見つける。みんな待っているよと声をかける。桜子はやさしく、今までのお義母さんと一緒に達彦を待っていた想いを話しかける。すると、達彦は桜子にあり得ない言葉を口にする。「今の俺に何も期待しないでほしい。俺との間にあったことは忘れてほしい。」桜子呆然とし涙を流す。
(最近終わり方が良すぎる。また期待して見てしまう。

つづく!


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純情きらり(137)

<あらすじ>

達彦は自分を忘れてくれと言った。

夕暮れ時桜子は家に戻ってくる。玄関前で立ち止まっていると、後から帰ってきたももこが心配してやさしく声をかけてくる。こらえきれなくなり、桜子は杏子にすがって泣き出してしまう。夜、桜子に対してももこと鈴村が話をしている。鈴村はそれは戦争の後遺症ではないかと助言する。

翌日、山長の裏に腰掛けて、達彦は例の写真をこっそりと眺めている。仙三さんは達彦の桜子への態度にたまりかねて声をかける。店のことは自分たちがなんとかやれるが、若女将のことはちゃんとしてあげてくださいという。しかしそれに対して、今の自分は昔の自分ではないと突っぱねる。

外出先の達彦。とある家の縁側で針仕事をしている女性がいる。達彦はその家をのぞき込む。写真に映っていた女性だ。達彦の視線に気付き、女性は外を見るが、達彦は後ずさりして逃げ出してしまう。いつのまにか達彦は夜の歓楽街を歩いている。米兵とそれにぶら下がっている日本人の女たちの一団に出会い、からまれる。

喫茶マルセイユ。マスターがジャズのレコードをかける。桜子はその音楽を聴きながら昔のことを思い出す。結婚式のまねごとで二人が連弾するシーン。将来を誓い合った日のキスのシーン。「ピアノを忘れるな。音楽を忘れるな。」と達彦が列車から叫ぶ別れのシーン。マスターは達彦君も音楽を好きな気持ちを忘れていないはず、音楽を聴けば心を取り戻すのではないかとアドバイスをしてくれる。

翌日山長に向かった桜子は、ベンチに座り込んでいる達彦にやさしく話しかける。桜子は思い出の曲を弾くから聞いてくれとひとりピアノのある部屋に向かう。達彦はそのまま外で、桜子の演奏を聞いている。目が潤んでいるようにも見える。桜子はとても幸せそうに弾いている。すると何かを感じた達彦はピアノのある部屋に乗り込んでくる。部屋に入るなり、ピアノを閉じる。耳障りなジャズをやめてくれという。そしていままでの鬱積した思いをぶちまける。どうしてジャズが弾ける。笑っていられる。

達彦の問い詰めに対して、生きている人間は絶望なんてしてられない。笑うのは、笑って幸せになりたいから。自分はあなたと一緒にもう一度幸せになりたいと訴える。すると、達彦は自分には幸せになる資格がない人間だ。戦場で死ぬべきだったと答え、桜子を部屋から追い出す。

家に戻り部屋で明かりもつけずに、桜子は達彦の出征前にみんなでとった写真を眺めている。心配そうにももこが声をかけると、達彦さんが帰ってきてさえくれれば、何もかも元に戻ると思っていたのにと、どうすることもできない悲しみを訴える。


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2006年09月09日

最近読んでいる本

最近はドラマのことばかり書いてしまっているのだけど、他にもいろんなことを書きたいと思ってる。

今読んでいる本は、いくつかある。いろんなドラマを断片的に見ているように本もそんな感じになる。同じ本を集中して読むほど集中力が保てなくて、移り気な性格なせいもある。ここに書くことで、早く読み上げろよと自分を叱咤している意味合いもある。

・ゲド戦記2 こわれた腕輪
完全に映画見に行かないと決めたら、急いで読もうという気が失せてしまった。プロローグだけ読んで、そのままになってる。他の関心が多くて、優先順位が下がっている。

・エンデの警鐘
地域通貨についての本。

・火の山−山猿記
純情きらりの原案本。思いが高じて、ついつい買ってしまって、後悔している。百ページも読まないうちに、はたとこれ以上読んではいけないと思い知った。とても引き込まれながら読んでしまうのだが、ドラマが楽しめなくなる。ドラマが終わってから続きを読みます。

・生命記号論 宇宙の意味と表象 ジェスパー・ホフマイヤー
最近借りてきた本。だから読み上げのタイムリミットが設定されている本。記号論にはとても関心をもっているので、いつかはここにも書きたいと思っている。これは意識というとても壮大な対象を、記号論で分析していくもの。読んでないからはっきりとは知らない。シービオクの「動物の記号論」を読んでから、この本にも興味を持っていた。

・タイタンの妖女
もう読み上げたのでこのリストに書く必要はないのだけど。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品は変なので、以前から好きだったのだけど、これは読んでなくて、太田光推薦という帯を見てついつい買ってしまった。人生を変えるほどの衝撃は無かったけど、近いうちにここに感想を書こう。

他にも書けないくらい。


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posted by takayan at 07:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本・漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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