2009年01月03日

2009年

今年がいい年でありますように。

今年はどんな年になるだろうか。年が明けてもパレスチナの問題は平和的には解決できそうにないみたいだ。日本の現実を眺めてみても希望を抱くには悪い材料ばかり。

今年がどんな年かWikipediaで調べてみると、このブログに書いてきたことに関連する、いろいろな興味深い記念日があった。
  • 世界天文年(ガリレオ・ガリレイの天体観測から400年)
  • 1月04日 - ルイ・ブライユ(6点点字開発者)生誕200周年
  • 2月12日 - ダーウィン生誕200年
  • 7月20日 - アポロ月面着陸40年
関連ページ

争いの種は尽きないけれど、改めて人類の英知の歴史を振り返って未来に希望を抱いていきたい。


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posted by takayan at 00:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月04日

恐竜SFドラマ「プライミーバル」面白かった。

この三日間、NHKで放送された「プライミーバル」6話全部見たけれど、予想していた以上に面白かった。
時空の亀裂をめぐる物語。その亀裂を通って、様々な時代の怪獣がやってくる。その現象に立ち向かう人々の姿を描いた物語。

基本は人が怪物に食われたりシリアスな展開なんだけど、恐竜オタの学生コナーがドラマ的にちょっとしたお笑い担当だったり、飼育員のお姉さんアビーが軽いお色気担当だったり、恋愛要素もあり、緩急があって飽きさせない話だった。例えば4話のドードーの話は、コミカルなドードーやコナーのオタ仲間が出てきたのでコメディー回かと思いきや、悲劇的な結末でコナーの人間味を描き出したり。主役の動物学者のニックが捜し求めていた妻に再会できたときの妻の態度とか。このシリーズ、見る前は多少ベタな展開をイメージしていたけれど、いろいろひねりがあって面白い。それにしても最終回、最後の10分間の展開が最終回では有り得ない展開で驚いた。今日で終わってしまうのは納得がいかないくらいの終わり方。是非とも、イギリスで既に放映されている第二シリーズも放送してほしい。もちろん第三シリーズも。


それはそうと、「恐竜SFドラマ」とタイトルにくっついているが、実際、恐竜が出ていない。初回と最終回で暴れ回った「ゴルゴノプス」は一見恐竜のように見えるけど、単弓類に属していて、哺乳類型爬虫類とも呼ばれるもので、恐竜ではない。詳しくは、日本版公式サイトの「古生物ファイル」の各生物の情報をみるといい(ネタバレ注意)。

英語だとタイトルだけでだいたい意味が分かるのだろうけど、訳さずに「プライミーバル」というカタカナのタイトルにしたものだから、それを説明する言葉が必要なのだろう。でも、古生物と言うより恐竜と言った方がインパクトはあるし、怪物や怪獣やモンスターじゃ別な路線のドラマに見えてしまう。恐竜以外の多様な古生物の進化の歴史については、世間での認知度はほとんどないから、いろいろ考えてこういう呼び名になったんじゃないかな。でも予備知識がないとみんな出てきた生き物が恐竜だと思ってしまうだろうけど。
(追記 いろんな記事読んでいたら、海外ドラマのスタッフブログにタイトルのいきさつ書いてありました。推測通り。恐竜SFドラマ『プライミーバル』に“恐竜”は出てこない!?


このドラマに興味を持ってしまって、もう少し科学的なことを知りたいなと思ったら、このドラマの制作会社が以前に作ったSFドキュメンタリーの「Walking With シリーズ」や「プレヒストリックパーク」のDVDを見るといい。ペルム紀とか石炭紀とか、いろんな言葉を覚えてから、このドラマをまた見直すともっと楽しめると思う。

とりあえず、第一シリーズでモデルになった生物の日本語版と英語版Wikipediaへのリンク。
そして、英語だけど、日本未放映の話も含めて、このドラマに出てくる生物のリスト
List of creatures in Primeval - en:Wikipedia



このドラマとは直接関係ないけれど、生命の進化の歴史に興味を持った人には、地球上の生命の繁栄や進化を扱った読み物として、「祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上」あたりも参考になると思う。系譜的に様々な種の繁栄の歴史が見えてきて面白い。地球の生命の歴史を理解するにはとてもいい本だと思う。


このドラマに乗り遅れた人は、有料だけど放映日から一週間だけ、NHKのオンデマンドで見られます。
まだ予定はないみたいだけど、きっとこれは日本語版DVD出ますね。


追記 2009.7.22
8月にこの第一章の集中再放送と第二章の放送があります。
関連記事「『プライミーバル』集中再放送&第2章放送決定!

それから日本語版DVDは出ました。ただしNHK放送版とはタイトルと声優が変わっています。


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posted by takayan at 20:22 | Comment(13) | TrackBack(0) | プライミーバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月06日

「プライミーバル」の続編を早く

もう「プライミーバル」の続きが気になってしょうがない。
頑張ってイギリス版か北米版のDVDを買おうか本気で考えている。

NHKの海外ドラマ・スタッフブログが唯一の正確な情報源だけど、これにプライミーバル関連の投稿があった。まず一つ。

恐竜SFドラマ『プライミーバル』 ご覧頂きありがとうございました!

そうですよね。ちゃんと意見を直接言わないと。
続編の感想と要望出してきました。

民放の商売相手はスポンサー様で視聴者はただの数字にすぎないけれど、NHKが向いてくれているのは受信料払っている視聴者ですよね!是非とも、要望聞き届けてください!
イギリスではそうだったからといって1年後なんて絶対嫌だ。作品はもう出来ているんですから、はやく日本語化して、できるだけ早く続編の放送、NHKさんお願いします。でもどうせ、シーズン2が放送されても、その最終回で続きを見せてくれえと、もだえ苦しむんだろうな。


そして、スタッフブログには、再放送、DVDについての記事があった。
恐竜SFドラマ『プライミーバル』の再放送、DVDについて

この記事によると、再放送も続編の放送もまだ分からないらしいが、DVDは4月に他の会社からの発売の計画があるらしい。英語版のDVD購入に二の足を踏ませる情報だ。このDVDは「シリーズ1」だけなのか、それとも「シリーズ1&シリーズ2」なのか、とても気になる。シリーズ1だけだと、火に油を注ぐような感じになるんだろうな。


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posted by takayan at 21:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | プライミーバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

ミステリチャンネルでテレビ版「デューン 砂の惑星」

今月はミステリチャンネルでテレビ版の「DUNE」があるというので、見てみた。

ミステリチャンネルの案内ページ
《ミステリシアター》 SF特集 「 デューン 砂の惑星 シリーズ 」

デューン 砂の惑星 シリーズ / DUNE

全世界で1200万冊の大ベストセラー、フランク・ハーバート原作のSF小説を完全映像化!

TVプログラムの最高峰 2000年エミー賞を2部門受賞した、壮大で緻密な作品!!


砂漠の星、アラキスは銀河系で格別に重要視される星である。アラキスは、人間の肉体の強化と維持に最強の威力を持つ“香料(スパイス)”と呼ばれる物質が採掘できる唯一の惑星であり、多くの利権を生み出しているからだ。しかし“香料”の発掘は危険な仕事でもあった。“香料”は砂漠に住む巨大生物“サンドウォーム”に守られており、採掘を試みる者を容赦なく攻撃してくるのだった。銀河系を支配する帝王・シャダム4世は、この惑星アラキスの統治を公爵レト(ウィリアム・ハート)に任せた。しかし、時のアラキスの統治者である男爵ハーコネンは、アラキスを手放すことを許さなかった。ハーコネンがアラキスの統治権を奪回するため、レト暗殺を企てる。ハーコネンによって父・レトを殺されたポール(アレック・ニューマン)は、母・ジェシカ(サスキア・リーブス)と共にアラキスの首都アルキーンから砂漠へと逃亡。そこでは砂漠の民・フルマンとの運命的な出会いが待っていた…。


まずは「上巻・大いなる砂漠の星」(次の上巻の放送は1/7 24:00、その次から中巻)。このブログに時々DUNEのことは書いていて、このドラマのことも知っていたけど、まだ見ていなかった。正月早々見れて良かった。内容は知っているんだけど、続きがはやく見たい。上中下が終わったら、「DUNE2」も放送するのだろうか。

デューンの映像作品としてはリンチの映画を思い出してしまうけれど、比較はよそう。ドラマは時間が長い分丁寧に物語が進んでいく。原作を知っている身としては、映像でデューンの世界を描き出してくれるだけでも、ありがたい。上巻は、ポールとジェシカが砂漠へ逃れるところで終わる。

それにしても、上の番組解説は内容的にちょっとあれだけど、本編はもちろん、解説の文章だけでも日本語版の翻訳者矢野徹さんの訳語との違いが目立つ。でもそれは原作好きの僕でも仕方がないと思う。矢野さんの独特な文章も愛着があるけど、是非ともオリジナル・シリーズの新訳を出してほしい。


内容とは関係ないけど、ちょっと変なところを気づいた。始まって10分ぐらい、アトレイデの人々が新しい領地、この物語の舞台となる惑星アラキスへと旅立つとき、航海士を乗せた船の背景に惑星カラダン(たぶん)の姿が映し出される。日本人ならすぐに分かるが、この地形は日本列島の衛星写真を加工したものだ。端の方は別な地形と合成されているみたいだが、中心には四国や大阪が映っている。中央構造線が美しいので選ばれたのだろうか。

caladan


googleMapでの付近の衛星画像:

大きな地図で見る




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2009年01月11日

今日も生きてます 〜マッキーの酒乱万丈〜

知り合いのマッキーさんが、本を出したので紹介します。
自分のアルコール依存症について書き続けてきたブログをまとめたものです。

マッキーさんは、生まれるときへその緒が絡まり脳性小児麻痺になってしまいました。成人すると、酒を飲めば体の硬直が楽になることを覚えてしまい、いつのまにかお酒におぼれ、依存症になってしまったそうです。

現在マッキーさんはもうずっと酒をやめていますが、それでもアルコール依存症です。そのことを教えてもらったときは、酒を飲んでいないのにどうしてだろうと不思議に思いました。アルコール依存症といえば、一日中コップをもって、アルコールのにおいをぷんぷんさせて、焼酎飲んでるイメージがあります。マッキーはそういう感じはぜんぜんありません。

でも、マッキーさんが言うには、一度でも依存症になったら、禁酒がずっと続いていても、ずっと依存症なのだそうです。何かがきっかけとなり飲酒を再開してしまってそのまま死に至るまで飲んでしまう危険性と、一生付き合っていくのだそうです。

「今日も生きてます」。アルコール依存症という現実を踏まえると、これはとても重い言葉です。そして、とても明るく力強い言葉です。


酒乱万丈

この本が出版されるというので、熊本のテレビ局RKKがマッキーさんのところに取材に来たそうです。そして、1月8日のニュース番組の中で、日常の様子やアルコール依存症になったときについてのインタビューが放送されました。見た人もいるかもしれません。

たくさんの人に読んでもらいたい本です。
「今日も生きてます 〜マッキーの酒乱万丈〜」
本についての問い合わせは、就労支援センターくまもと 096-245-5586 だそうです。


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posted by takayan at 03:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本・漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月12日

デューン 砂の惑星 中巻:呪われし砂漠の民

ミステリチャンネルで見た「デューン 砂の惑星」中巻のこと。
このシリーズはよくできていると思う。一度見ただけでは分からないところもあるけれど、丁寧に描写を見ていけば、原作を知らなくても、理解できるようにできている。かえって哲学的な原作を読むより、内容がつかみやすいかもしれない。原作の小難しさが好きなくせに、変な薦め方ではあるけれど。


中巻は、砂漠へ逃れたポールとジェシカが、砂漠の民フレーメン(ドラマではフレメン)に受け入れられて、二人がフレーメンの指導者となっていく話。ストイックで奇異な習俗を持つフレーメンと共に物語が進んでいく。それを補う形で、本筋とは違うところでイルーラン姫が密かに大活躍する。イルーランを通してこの世界の権力争いの裏側を分かりやすく示してくれたり、フレーメンと対極にある享楽的なハルコンネン家の描写を盛り上げたりしてくれる。

原作にイルーラン姫のこんな場面はあったかなと思ったが、Wikipediaによると、これはこのドラマ独自の展開らしい。イルーランは後の小説ではいろいろ暗躍し、かなり重要な役割を果たすことになるのだけど、原作小説ではほとんど出番がない。それを自然に描くために、監督が話を拡げたらしい。デューンシリーズの小説では、各章の頭にエピグラムとしてデューン世界の様々な文献からの引用が置かれている。イルーランの書いた文献が何度も使われている。そのため、小説を読んだ者にとっては、物語自体ではそれほど印象はなくても、存在感のある登場人物になっている。しかし、ドラマだとそうはいかない。ナレーションでエピグラムを読み上げるだけでなく、やっぱり物語の中でエピソードを積み重ねて描いてみせないと印象に残らない。いくら何でも皇帝の娘がそこまではしないだろうと思うような場面もあるけれど、イルーランだったら、若いときからこれくらいの行動力や情報収集能力は、あってもいいかもしれない。

日曜洋画劇場あたりは、映画の宣伝とは関係ないB級映画をときどき放送しているけど、B級映画を放送するぐらいならその枠でこのドラマシリーズを放送すればよかったのにと思う。上巻と中巻を見終わってそう思った。2000年のドラマなので今更ないだろうが、やってれば日本でもそれなりに評価されたんじゃないかと思った。ただ中巻は官能的な場面がいろいろ出てくる。このドラマがアトレイデ家の一族の物語なのでしっかり子作りの描写もあって、それ以外のサービスシーンもいろいろあって、今の日本の地上波では頻繁にカットされまくっただろうけど。


それはそうと、この中巻のタイトル「呪われし砂漠の民」は違うんじゃないかと思った。この砂漠の民とは、砂の惑星アラキスに住むフレーメン達のことなのだけど、原作読んでも実際このドラマを見ても彼らが呪われているなんて思わなかった。砂漠という過酷な環境を生きる彼らは畏敬の対象でこそあって、呪われたという言葉で形容するのは不適切に思う。なんでこんな言葉にしたのだろう。仲間の死体から水を絞りとったり、原始的な形に変質した信仰を持っているからなのだろうか。彼らの生き方が虐げられているように見えるからだろうか。この中巻のタイトルは、日本独自なのか、英語もそうなっているのだろうか。


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2009年01月17日

「デューン 砂の惑星  下巻:神獣・砂漠の守り神」

今回は、ミステリチャンネルで見たデューン下巻のこと。

中巻からいつのまにか数年が経っているが、ポールの妹エイリア(アリア)の大きさで、ポールと母ジェシカが砂漠の民と行動を共にした年月が分かるというもの。

砂丘もスタジオでの撮影で、背景が絵だったりするのを見るとちょっと残念。でもそこまで欲を言ってはいけないな。そこだけロケで灼熱の砂漠であっても違和感があるだろうし、これは映画ではなくテレビドラマなんだから。一貫した映像はとても美しい作品にできあがっている。舞台劇みたいな演出もいい。

ポールの予知する覇道はマイナス面が強調されている。戦う理由は明確に描かれながらも、勝利していくことが必ずしも善であるとは描かれない。スター・ウォーズのような脳天気なお祭り騒ぎでは終わらず、ラストは粛々と進む。上半身裸になってのナイフを使ったポールとフェイドの決闘の後、ムアドディブとイルーラン、シャッダムの三者三様の行動が一つの画面で象徴的に示されて、原作のようにレイディ・ジェシカの言葉で物語が終わる。

ちゃんと書いておかないといけないけれど、デューンでは、薬物による人の能力の拡大とか優生学とか、現実社会では取扱注意の話が物語の柱として出てきてしまう。ちゃんと空想と現実の区別がついてないと楽しめなくなるだろう。


さて、次は「デューン/砂の惑星II 」だ(原題:Frank Herbert's Children of Dune)。原作小説の「砂漠の救世主」、「砂丘の子供たち」を映像化した作品。今のところミステリチャンネルでは続きをしないようなので、自分で買うか借りるかしないといけない。

ネットでトレーラーなど見てみるととてもいい感じで期待できる。生まれながらに高い能力を持った、神秘的な双子の雰囲気がよく出ている。登場時のポールと同じで原作でイメージしていたよりも年齢設定が上のように感じるが、これもいい。フレーメン語の歌もいい。

Children of Dune - Inama Nushif



レト二世の顔はどこかで見たと思って調べてみたら、ナルニア国第一章で、馬の足をしている半神半獣のタムナスさんの人だった。


続編も三巻に別れている:






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2009年01月22日

「酒乱万丈」の反響

先日、このブログで紹介したマッキーさんの本、問い合わせが多いらしい。
僕の記事にも拍手を一ついただいた。

先週末に、CSのTBSニュースバードでRKKが作った映像が流れたらしく、全国からの反響が届いているそうだ。
残念なことに僕はこのCSの放送は見逃してしまった。当ブログへの検索語に「酒乱万丈」が現れたときには、もう遅かった。

マッキーさん本人のブログでは現在新聞記者が取材していると書いてあるので、近いうちに新聞でも紹介されるだろう。


マッキーさんの出版を手伝ったNPOの記事:
今日も生きています-就労支援センターくまもと

マッキーさんのブログの記事:
マッキー大将のコーヒーブレイク: 今日も熊日の取材

当ブログ関連記事:
今日も生きてます 〜マッキーの酒乱万丈〜


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2009年01月23日

「プリマヴェーラ」について

ボッティチェリの「プリマヴェーラ」に興味をもったので、ちょっと調べてみた。
去年書いたハートマークについての考察記事に、目隠しをしたキューピッドのことを書いたのだけど、そのとき、有名な例としてボッティチェリの「プリマヴェーラ」の中央上のキューピッドを挙げていた。そのときはこの絵の詳しい理解はなかったのだけど、先日、石山さんからコメントをいただいて、改めて考えてみるととても興味深い絵であることを再確認してしまった。そしていろいろ調べてみた。

とりあえず、日本語Wikipedia「プリマヴェーラ」英語Wikipedia「Primavera (painting)」を読んでみて、ちょっと疑問もあったので、そこで知った参考文献も読んでみた。いろいろ考えてみたことをちょっと書いてみる。

「プリマヴェーラ」の画像:
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a4/Sandro_Botticelli_038.jpg/800px-Sandro_Botticelli_038.jpg


まず、誰が描かれているかの説明。本来は画面の右側から説明すべきなのだろうけど、左から。

この絵の左端には、赤い布を右肩から左の腰にまとっている若者がいる。頭上に掲げた右手で、二匹の蛇の絡まった杖を持っている。左手は腰に当てて傾けた体を支えている。特徴的なとがったヘルメットをかぶっている。足元を見ると、踵に翼がはえた革製の靴を履いている。この杖と、この靴で、彼がマーキュリーだということが分かる。はっきりとした記号が描かれているので分かりやすい。彼は杖を使って、この庭園に入り込んでこようとしている雲を追い払おうとしている。隣の美しい女性達には目もくれず、彼はその杖の先を見つめている。

マーキュリーの右側では、三人の女性が手をつないで踊っている。彼女たちは三美神。僕たちに背中を向けている女性の視線の先には、マーキュリーがいる。また三人のなかで右側にいる女性もやはりマーキュリーを見つめているように見える。左側にいる女性はマーキュリーに背中を向ける位置にあるので、マーキュリーを直接見ることができないのだけど、マーキュリーの一番近くにいることを意識しているかのように見える。彼女の服にはマーキュリーの刀の鞘にあたっている。絵が重なっているというのは十分意図的なものだと思う。彼女たちはスケスケの服で身を包んで、美しい肉体を垣間見せてくれる。

その彼女たちに画面中央の上の方から狙いを付けているのが、目隠しをした有翼のキューピッド。この絵のキューピッドは幼児の体をしている。定規を当てて彼が狙っているのが三人の誰かを調べてみると、どうやら真ん中の女性である。この瞬間を描くのだから、きっとこの女性で決まりだろう。キューピッドは目隠しをして、さらに彼女たちはぐるぐると踊り続けているのだから、彼女に決まることは本当に偶然なのだろう。偶然であるということは、天に定められた運命でもあるのだろう。

さて、キューピッドの下には、一人の女性がいる。画面の中央でまるでこの絵の主役のように。彼女の後ろの茂みの様子も、緑の色はしているけれど、後光が差しているかのように描かれている。この女性はその他の登場人物よりも、数歩下がった位置に描かれ、皆を優しく見守っているように見える。彼女は愛と美の女神ヴィーナスだと言われている。頭上にいる息子のキューピッドがそれを示しているのだろう。彼女は透けていない白い服をきて、その上から、暗い裏地の赤い布を、右肩から左の腰にかけている。右手は三美神の方にかざして、マーキュリーと三美神の居る画面の左側に意識を向けている。左手は左の腰に当て、赤い布を支えている。このポーズはマーキュリーの姿ととても似ている。赤い布を身につけているという点でも、二人だけの共通点だ。足元を見てみると、彼女は紐状のサンダルを履いている。履き物を履いていると言う点でも、やはり二人だけ共通している。それも左足のつま先をまっすぐに向け、右の足を右に向けているという点でも。空を飛んでいるものは別として、他の登場人物にはすべて足に躍動的な動きがあるが、この二人は似たポーズで立ち止まっている。これらの類似性は十分に意味のあることのように思う。もしかすると彼女はマーキュリーの母、豊穣の神マイアではないだろうか。

中央の女性の隣には、花柄の服を来た女性がいる。すぐに彼女は花の女神フローラだと分かる。彼女の服は草花の絵がちりばめられ、頭には花の飾り、そして花の首飾りもしている。彼女は左手で服を腰の辺りでたぐりあげ、そこにたくさんの花々を抱えている。そして右手でその花々をつかんでいる。今にもその手で花々を地面に撒こうとしている。フローラの後ろを見ると、花々が群れて咲いている。この庭園の足下には至る所に、花々が咲いているのだけれど、フローラの後ろだけ特別である。今現在フローラは歩いている姿で描かれているが、どうやら花を撒きながらずっと歩いてきているようだ。

フローラの画面右隣には、一人の女性がいる。フローラに寄りかかるように描かれているが、フローラの服には触れられている描写はない。触れてはいないのに、ここまで重ねて描かれるというのはとても意味ありげだ。彼女の口を見ると、何か草をくわえているように見える。よく見てみると、彼女の右頬の方へ次々に花が落ちている。彼女は口から花々を吐いている。その落ちていく花は、フローラの服の模様となり、そして彼女が服をたくし上げ抱えている花々の山となっている。フローラの花の源が、この女性の口からこぼれる花だというのは、これ以上にないこの女性の説明だろう。つまり彼女は、ローマの花の神フローラの元になったギリシャ神話のニンフ・クロリスだ。

そして最後、クロリスの画面右にいて、彼女を抱えているのは西風の神ゼピュロス。すぐにも強い息を吹き出しそうな、ふくれっ面をしているので、すぐに分かる。風の神は四兄弟なのだけど、これは春の場面だから、神話の世界で春の前触れであるゼピュロスとなる。実はゼピュロスはフローラの夫である。そしてギリシャ神話のニンフだったクロリスを誘拐してローマ神話に連れてきたというエピソードを持っている。このゼピュロスは青白い身体をしている。翼を持ち空に浮かんで、クロリスを抱えている。クロリスを連れ去ろうとしているのか、降ろそうとしているのか判断に困るが、庭園に降ろすことで、彼女がニンフから花の女神になることを示していると見るべきだろう。今のゼピュロスの表情が、暴力的なものか反省しているものか、どちらに感じられるかということだろう。


次回はオウィディウスの『祭暦』について


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2009年01月24日

『ヴィーナスの誕生』を見てみると

昨晩は、頭の中に詰め込んだ知識を使って、勢いに任せ、絵を見て気づいたことを寝る間を惜しんで書いたのだけど、また新たな疑問を感じてしまった。ボッティチェッリの作品には、『プリマヴェーラ』よりも有名な『ヴィーナスの誕生』があるけれど、それを改めて眺めてみたら、昨晩の解釈でいいのだろうかと思えてきた。

『ヴィーナスの誕生』画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7d/Botticelli_Venus.jpg

『ヴィーナスの誕生』は『プリマヴェーラ』の少し後の作品ということだが、この絵にはすぐにわかる共通点がある。画面左には『プリマヴェーラ』にも出てくるゼピュロスがいて、口から風を起こし、生まれたてのヴィーナスを岸へと運んでいる。彼の隣には有翼の女性がいる。しっかりとゼピュロスに抱きついて、彼よりも弱いけれどヴィーナスに息を吹きかけている。彼女が誰だかはっきりしない。いろいろ調べてみるとクロリスとするもの、フローラとするもの、そよ風の神アウラとするもの、いろいろある。ゼピュロスと彼女の周りには薔薇の花が舞っている。これは、ヴィーナスと共に生まれたとされる、天から舞ってきている薔薇だとする説もある。でも『プリマヴェーラ』を踏まえると、クロリスの薔薇の息の描写にも思えてくる。彼女に翼なんかあったかなと思わないでもないけれど。

画面の右側には、ヴィーナスを岸で待っている一人の女性がいる。裸のまま岸に向かっているヴィーナスに、彼女は花柄の赤い布を掛けようと待ちかまえている。岸で待つ彼女の服装は、『プリマヴェーラ』のフローラによく似ている。花の描かれた服、花の首飾り、昨日は書かなかったけれど、花のついた茎で作られている胸の下に巻いたベルトまで同じだ。この絵の女性は誰だか調べると、これには異説はなく季節の女神ホーラとなっている。根拠としては、アフロディーテ讃歌において、西風が運び、ホーラが出迎えると歌われているからだ。ホーラは三姉妹なのだけれど、この絵で花柄の服を着て、ヴィーナスに花柄の布を掛けようとしている彼女は、おそらく春、芽、花の女神、若者の守護者サローなのだろう。彼女が誰であるかを示す記号はこの花柄なのだけど、昨日は『プリマヴェーラ』でもまさしくその理由で花の女神フローラだと判断していた。ゼピュロスと一緒に息を吐いているの女性がフローラ(クロリス)であるならば、岸で待つ彼女がフローラであるはずもない。アフロディーテ讃歌の通り、季節の女神ホーラになるだろう。そうであるならば、似たような服装をしている『プリマヴェーラ』でフローラとされる女性は、『ヴィーナスの誕生』と同じく『プリマヴェーラ』においてもホーラだった可能性が出てくる。そうなると、クロリスからフローラへの変身という『プリマヴェーラ』の重要なテーマとなる解釈が間違っている可能性もあるということになる。

ボッティチェッリの二つの絵を比較した場合、このような疑問を感じるのは当然のように思う。僕は素人だから単純にそう思ってしまうのだろう。まあ、ブログだから、こういう疑問を正直に書きながら、いろいろ調べて、ものを書いていくのも許されるのではないだろうか。


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posted by takayan at 02:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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