2010年05月03日

最近のドラマの感想1

最近はプログラミングがいまいち気乗りがしなくて、自分の時間はドラマばかりを見ていました。ちょっと感想を書きたくなったので、書いておきます。

「ゲゲゲの女房」は面白いです。「ちりとてちん」以降も、「瞳」、「だんだん」、「つばさ」、「ウェルかめ」は欠かさず見てはいたんですが、ずっと物足りなく思っていました。そういうところで、この物語です。ノスタルジーは面白い朝ドラの重要な要素かもしれませんね。例外はいくつもあるんですけどね。できれば、このドラマの関連で「のんのんばあとオレ」も是非とも再放送して欲しいです。
それにしても「ゲゲゲの女房」で残念なのは、テーマ曲です。「いきものがかり」の元気のよさは嫌いじゃないんですが、朝っぱらからの出だしのあの大声がつらいです。そして、朝ドラの後の落ち着いたニュースが、どれだけドラマの余韻を心地よく受け止めてくれていたのか、その存在の重要さを思い知らされます。

「龍馬伝」はやっぱりいいです。始まったときも面白かったけれど、第2部になってからもますます面白いです。今までの作品とは違いすぎるコントのような勝海舟との絡みも、この生き生きとした楽しさがいいです。丁寧に描かれている人斬り以蔵の心の動きも、以蔵は心情を言葉でそんなに吐露しているわけでもないのに、なかなかの演技で悲しいまでに伝わってきます。必要以上に平和主義者に描かれている龍馬の対極の存在としての、好戦的な武市半平太の対比のさせ方とかも、なんだか度が過ぎるほど貶めているんですが、それはそれで面白いし、そして何よりもトルコ行進曲風のテーマ曲とともに現れる岩崎弥太郎は、いまだに汚らしくて見苦しい姿をしているのに、姿を見ただけでなんだかほっとしてしまいます。その他の登場人物も大河らしく豪華な俳優陣で見ごたえがあります。

「八日目の蝉」。これはすごくいいです。見る前は犯罪者を主人公にするドラマを作るなんてと、NHKも最近冒険しすぎだなと思っていたんですが、見てしまうともう駄目ですね。檀れいさんの演じている希和子と娘の薫は、確実にいずれ仲を裂かれてしまう展開がくるのは分かっているのに、見ているうちに、そんな時が永遠に来ないように祈ってしまう。この女はこの子を絶対に不幸にしているのに、ここまでくるともう理屈じゃないんですよ、見ているうちに共犯者にさせられているというか、この二人を本当の親子にしてあげたいとさえ思ってしまう。けれどやがて希和子は罪を償わなければならない。その結末があるからこそ、このドラマは成立しているんだと思う。もちろん、紛れもなく希和子を檀れいさんが演じているからこそ、この人を助けてやりたいと思ってしまうんですけどね。エンディングテーマもいいです。この曲は夏川りみで聞いたことがあるんですが、それとは違い、このドラマにあった悲しい旋律で、この曲がいっそう切ない希和子の気持ちを代弁してくれます。歌っていたのは去年「みんなのうた」で「あさな ゆうな」を歌っていた城 南海さんだったんですね。この人の歌声は好きです。気づかなかったくせに。
脚本は浅野妙子。純情きらりというタイトルで、冬吾との危うい三角関係を描きこんでしまう脚本家ですからね。こういう女性のぎりぎりの感情は得意分野なんでしょう。明日、いよいよ最終回、NHKには珍しく放送時間拡大。

まだいろいろ見てるんですが、日付が変わりそうなので、とりあえず、今日はここまで。


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2010年05月05日

「八日目の蝉」最終回

最終回を見終わった後、じわじわと余韻がきた。より内面的な回だったからじゃないかと思う。最初に見たときは泣かなかったのに、録画したのを見直したら、悲しくてたまらなくなった。こういうときは、混乱した自分の気持ちを整理するために、こんな風に長文を書きたくなる。

最終回は、檀れい演じる希和子視点ではなく、北乃きい演じる二十歳になった恵理菜(薫)の視点で描かれていく。そこが大きくドラマの雰囲気を変えている。先週までの逃避行の緊張感が無くなったせいもあって、別のドラマを見ているような感じさえしてしまう。

いままでも断片的だったが、成人した薫の場面は出てきていた。そして彼女は決して幸せではない生き方をしていることも分かっていた。不倫の子を宿し、現在の彼女は表情の乏しい女性となり、希和子を慕う感情も失っていた。この最終回は、薫が自分の生い立ちを受け入れ、これからの人生を歩んでいくための物語になっている。

希和子と引き裂かれ、実の両親の元で暮らすようになった薫は、幸せな少女時代を過ごすことはできなかった。実母にとってみれば、自分の娘なのに赤ん坊の頃から5年間半の長い逃避行の間に薫に染み付いた憎くて憎くてしょうがない女の影を見続けなくてはいけない日々なのだから、どんなに娘を愛していようとわだかまりが無いほうがおかしいだろう。薫にとってみれば、自分の自然な言動なのに、それに憎しみを向けてくる母に対し自分が愛されているという実感を心から抱くことはできなかっただろう。あの女さえいなければ、何事も無く幸せな母と子になれたのにという実母の痛切な想いは、やがて薫自身にも希和子を憎ませ、希和子に大切に愛されていた子供時代を心の奥底の見えないところに隠させてしまったのだろう。

薫は成人し、やがて皮肉にも希和子と同じように不倫の子を妊娠してしまう。そのことを母に告白し、さらに希和子と同じように堕胎するつもりだと伝える。その話を聞いているうちに母は激昂し、彼女を何度もひっぱたき、彼女の体を掴んで揺さぶりながら、なんで私を苦しめるのと嘆く。薫はそのとき、母の激しい言動に対しても、泣くことも無く、ただ無表情に受け止めることしかできない。これが現在の母と子の関係の象徴的な描写になっている。

薫が巻き込まれた誘拐事件の本を書きたいと現れたホームの頃の幼馴染マロン(千草)に連れられて、薫は小豆島へ向かう。薫はここに住んでいた頃の希和子の足跡をたどりながら、懐かしいその風景に接することで、断片的にだが、閉じ込めていた幼い頃の記憶をよみがえらせていく。二十四の瞳の分校で母と楽しくやった学校ごっこや、お遍路の道での蝉の抜け殻とともにあった記憶も思い出していく。写真館には、紛れも無く親子であったことを物語っている幸せそうに二人で写っている写真も置いてあった。

そして、偶然に海から帰ってきた、歳をとった文治と港で再会する。希和子が逃避行の間、たった一度だけ心を許した男性。岸谷五朗演じる文治は、希和子と薫の二人が互いを思いやる本当の親子であったことを証言してくれた。そして、薫がどうしても思い出せない逮捕のとき希和子が叫んでいた言葉を、薫に教えてくれた。その言葉をきいて、薫はその場から走り去り、二人から離れたところにしゃがみこむ。そして、お母さん、お母さんと言いながら泣き出してしまう。引き離されてからずっとこの十数年間閉じ込められていた薫の感情が、このときやっと溢れ出したのだろう。文治の存在は、この物語で肩身の狭い男性にとっても救いになる。

薫と幼馴染のマロンは、フェリーに乗って小豆島を後にする。あきらかに薫の表情が来るときと変わっている。失ってしまっていた全てのものを取り戻すことができたそういう表情だ。言葉も幼いときに実母に禁じられていたはずの方言に戻っている。そして、幼い頃からの美しい風景の話をしながら、このきれいな世界を見せてやりたいと、子供を産むことを決意する。そのとき、薫の名を呼びながら防波堤を走る人影に気づく。もちろんそれは文治だ。がんばりやと叫ぶ文治に、薫はしっかりと手を振り返す。自分の子供時代を知ってくれていた文治の想いにしっかりと応えることは、彼女が育ったこの場所と彼女を育ててくれた人たちへの感謝の気持ちも表しているのだと思う。子供を産む決意をしたとたんのこの文治からの応援は、彼女の成長を見守っていた私たちからの、その決断を応援したいと思っている気持ちの代弁でもあるように思う。

薫は船の上から母に電話をかける。子供を産むことを決意したことを伝えるために。母は泣きながら仕方がないとあきらめたように許してくれる。生まれてからずっとできていなかった実母との本当の和解になったと思う。母も恵理菜(薫)の出産を受け入れることで、いままでの苦しかった人生に救いを得ることができたのではないかと思う。このときの、全ての元凶である津田寛治の情けなくも娘を思いやる父親としての姿も地味にいい。


そして、いよいよ今回の大きな見せ場となるべき希和子との再会。このシーンでは薫の視点から希和子の視点に戻っている。希和子は、小豆島を海の向こうに臨む岡山の船着場で働いていた。7年間の服役の後、各地を転々とし、一度は小豆島に渡ろうとしたが、勇気が出ず渡ることができなかった。そして、この船着場で売店の店員になっていた。

フェリーを降りた薫とマロンの二人は、何も知らずにここで休憩をすることになる。妊娠している薫を気遣って、売店にはマロンが向かったので、希和子と薫が直接顔を合わせることにはならなかった。ただ希和子は席に座っている薫の姿を見つけ、幼い頃の薫に似ていることに気づく。でも、それは薫を探してしまういつもの癖が出ただけだと自分で打ち消してしまう。彼女たちが去り、置いていった空き缶の後片付けをしようとテーブルに近づくと、そこには空き缶だけでなく、蝉の抜け殻が置いてあった。そのとき、希和子はやはりあの女性が薫であることを確信し、あとを追いかけてしまう。

走っていくと希和子は二人の後姿を道路の向こうに見つける。そして立ち止まり思わず大きな声で薫の名を叫んでしまう。すると向こうにいる薫も希和子の方を振り返る。タイミングよく薫は振り返ったものの、すぐ近くを車が行き交っているし、一緒に歩いていた千草が振り向かなかったので、よく声が届いていなかったのかもしれない。薫の方から希和子を見ると、夕日のせいで、希和子の姿が光に包まれよく見えない。希和子も薫にもう一度声をかけるということはせずに、こちらを見つめている薫の顔をただ見つめるだけだった。お互いしばらく見つめあう形になったが、薫は向き直り、何事も無かったように歩いていった。この薫の仕草は、結局気のせいだと思ったのか、それとも分かっていて決別したのか、はっきりとはさせない演出だと思う。

薫は気付いたのか、いないのか、いろんな解釈ができるだろう。どちらにしても、希和子にとっては、夕日がまぶしくて自分の顔が薫によく分からなかったとは思いもよらないので、自分と決別し、薫が自分の道を歩いていくことを決めたように見えただろう。以前は力ずくで引き離されてしまった二人だったが、今回、薫は自分の足で希和子のそばから離れていく。彼女はそれを受け入れた。薫は大人となり自分を必要とはしなくなったのだと実感できたのではないだろうか。そう思えたのならばそれは希和子にとっても良かったんだと思う。

15年前の別れのまま、心のどこかで吹っ切れることなく今の薫に会いたいと思い続けることは、希和子にとっても苦しいことだったろう。希和子は成長した娘の歩んでいく姿を、優しく見守ってこの物語は終わる。本当の母ではない彼女にできることはここまでだろう。ドラマの中のいくつもの大切なシーンとともに、城南海が歌う「童神(わらびがみ)〜私の宝物〜」が流れてくる。この曲は、この物語を優しく包み込んでくれるほんとうに素晴らしい曲に思う。


最後に蝉について思ったこと。テーブルに置いてあった蝉の抜け殻はこの場面においては、彼女が大人となったことのメタファーでもあると思う。この物語では、蝉やその抜け殻は、胎児であったり、幼い頃の薫であったり、希和子の人生だったり、いろんなことを表しているのだろう。でもテーブルの上の抜け殻は人の親となることを決意した旅立ちの印だと思う。
希和子にとっては、愛人であった頃の自分は土の中にいた蝉で、薫の母となった短かかった日々は限られた7日間の蝉として生きた本当の人生であり、そして今の人生はその長く生きすぎた8日目の蝉なんだと思っているのだろう。15年前裁判で薫の両親に対しての謝罪を促されたとき、彼女は子育てをさせてもらったことの感謝を述べてしまう。正妻にとっては感情を逆なでする言葉以外のなにものでもないが、それでも彼女の本心はその感謝の気持ち以外にないだろう。

希和子が最後に独白するシーンの中に、海辺にある巨大な両の手を天に差し伸ばしたようなオブジェの間で、希和子が夕日の光に包まれた小豆島に手をさし伸ばし、その光を胸に大事に抱え込む象徴的な美しいシーンがあるのだが、彼女は短かったけれど薫とともに過ごした幸せだった日々を胸にこれからを生きていくのだろう。これから先、誰からも愛されない人生を生きることが希和子が犯してしまった罪の代償だとしても、彼女はこの大切な思い出とともに生きていくのだろう。

追記
このあと原作を読みました。
小説「八日目の蝉」を読んだ 2010/05/16



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2010年05月07日

城南海

「八日目の蝉」を見ていて、城南海(きずき みなみ)の曲は、ほんといいなあと思いました。
応援したくなります。もっと多くの人に彼女の曲を聴いて欲しいです。

彼女のオフィシャルブログ
城南海(きずきみなみ)オフィシャルブログ

そして、そのブログでの「八日目の蝉」の打上の様子
八日目の蝉打上!-城南海(きずきみなみ)オフィシャルブログ


それから、最近の映像で、アメリカのフジサンケイのチャンネルで使われている番組のテーマ曲についての動画
こんな喋りをするのかとちょっと驚いた。歌声も好きだけど、ふわふわしたこの話し方もいい。
城南海さん「夢の地図」の誕生に迫る! FCI 動画 ミミよりMovie - Fujisankei -

その1年前の放送:
「ぐいん」のコツとか。屋上での島唄、誰カノタメニ
城南海(きずき・みなみ)さん生出演! FCI 動画 ミミよりMovie - Fujisankei -


そしてYoutubeのリンクも貼っておきます。
もちろん、応援するというのは、リンク先で曲を聴くことだけでなく、しっかり曲も買うってことですから、ちゃんと自分でも買ってます。
そういうわけで、ぜひ応援しましょう。

主題歌
YouTube - 童神(わらびがみ)〜私の宝物〜 城南海(きずきみなみ)

前のシリーズの「おみやさん」の主題歌。やはりサスペンスのエンディングは女性の歌声の方がいいですね。特に、「おみやさん」は、解決されなかった悲劇が長い年月をかけて新たな悲劇を生んでしまうという救いの無い物語ですから、事件が解けても救われない気持ちは、女性の歌声で癒されたいです。今までも、いろいろいい曲ありましたが、この曲はとても良かったです。
YouTube - 城 南海「ピアノ(piano)」

去年の8-9月の「みんなのうた」。今月もときどき再放送されています。「みんなのうた」は待ち構えて聴くというよりは偶然聴くものですけど、この曲が流れていた時期は何度も聴けて印象に残っています。


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2010年05月12日

最近のドラマについてもっと書こうと思ったけれど、

一週間前「最近のドラマの感想1」を書いた後、翌日には「最近のドラマの感想2」のタイトルで続きを書こうと思っていたのですが、もう「八日目の蝉」の最終回を見たら、他のドラマの事なんか吹き飛んでしまいました。

予定では、「Mother」の第一話の衝撃や第三話の田中裕子の嗚咽に打ちのめされたことや、やっぱり「ちりとてちん」は面白いからDVDを買うか借りるかして是非1話から追いついて見るべきだとか、そんなことを書こうとしていました。最終シーズンの「名探偵モンク」のことや、ドラマに分類していいのか分からないけど「タイムスクープハンター」の面白さとかも。

でも、先日の「八日目の蝉」についての投稿で、いろいろ考えながら書いていたら、もう他のドラマについて書く気が失せてしまいました。ちゃんと見続けてはいるんですが、書けそうにありません。


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2010年05月16日

小説「八日目の蝉」を読んだ

ドラマを見て原作を読むということはあまりやらないのだけど、今回は特別に読みたくなった。あるかなと滅多に行かないブックオフに寄ってみたら、しっかり一冊置いてあって、買って帰って、読んでみた。感想はというと、とても良かった。ほんと読んでよかった。ドラマの余韻も、いい意味で断ち切ることができた。小説を読んだ感想は、このドラマをとても適切に文章で表現しきっている。原作だから当然の話だけど、ドラマを先に見てしまうと、正直そういう感想を持ってしまった。NHKのドラマの方がもう頭の中にあるから、原作の展開は別のものとして見えてくる。

文章だけの小説と違って、映像と役者の演技で描かれるドラマでは、希和子の逃避行が物語の大部分になるだろう。そうなると必然的にこのドラマの主人公は希和子になってしまう。でも本当に小説でもドラマでも描かなければならないのは、恵理菜(薫)が失ったものを取り戻していく物語だろう。ドラマはそこを苦心し、そのために小説のいろんなものを削ぎ落とし、組み立てなおしている。その結果、北乃きいの力も手伝って、十分成功していると思う。もし原作を先に知っていたら、テレビで描かれていない部分も背景として知ってしまってテレビの物語を理解しただろうから、きっと今回ドラマを見た印象とはまた別の見え方がしただろう。そう思うと、NHKのドラマを先に知ってよかったのかなと思う。純粋にテレビドラマの物語を堪能できたのだと思う。

まだ小説を読んでいない人の楽しみを奪ってはいけないので、小説の内容はあまり詳しくは書かないけれど、いろんな点が違っていた。

ドラマでの、八日目の蝉は他の蝉が見られなかった景色が見られるという希和子の台詞は、希和子が心の中の薫に語りかける台詞として出てくるが、小説では少し違った内容で違う人物の言葉として出てくる。ドラマでは希和子 の台詞となるため、先日書いたときも八日目の解釈は希和子の人生に対してだけ考えていた。でも小説を読むとまた別なように考えることができる。

小説の構成は、まず三人称で書かれた短い第0章。そして希和子の一人称で書かれた第1章、これがこの小説の六割ぐらいある。第1章の終わりに大人になった恵理菜(薫)の独白のような文章があって、そこから第2章の恵理菜の視点の物語に切り替わる。そして第2章の最後にまた三人称の短い文章となり、物語が閉じられる。第1章は日付ごとに書かれていて、日にちが書かれ、そのあと希和子視点の文章が書かれる。それが逮捕の直前まで続く。その文章は、日記でも回顧録でもなく、彼女自身の視点によるそのときそのときの彼女が感じ話し聞いていることそのもの。それが逃避行に生々しさを与えてくれる。希和子と寄り添ってというより、希和子自身になって彼女の目で薫を見守り、逃げ続ける。一方、前半より少し短いが第2章は恵理菜視点になる。第1章の窮屈な視界から少し開放される。恵理菜の一人称は続くのだけれど、今の彼女の内面だったり、幼いときの記憶だったり、千草が集めた過去の事件の資料だったり、そして今の彼女に起きている現実だったり、いろいろ変わる。そういう彼女の心の周りにある様々なものに一緒に意識を向けて、一見冷静ではあるけれど確実にもがき苦しんでいる恵理菜の心をひしひしと感じながら話が進んでいく。

テレビドラマは見終わって、とても悲しくなった。それは希和子を中心に見てしまっているからだろう。彼女の心は満たされているかもしれないけれど、彼女の孤独な現実を思うと耐え切れなくなった。一方、小説の読後は、感動はしているのだけどあまり苦しくならなかった。ドラマでもちゃんと描かれていたけれど、過去を乗り越え未来に向かって生きていく恵理菜の姿が、小説ではまさにその中心にあるからだろう。小説の主人公は恵理菜だった。読み終えた後そう思った。

・関連記事
「八日目の蝉」最終回



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2010年05月19日

酒乱万丈

去年、友人のことを扱った次の投稿を書きました。
takayanの雑記帳: 今日も生きてます 〜マッキーの酒乱万丈〜

以下のビデオは、このとき紹介した番組の映像です。去年このブログに貼り付けたつもりになっていましたが、やってなかったので、貼り付けておきます。480pで見ると少しはきれいに見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=kAI_iqGUxW4&hd=1





そして、これが彼のブログです。
マッキー大将の面影blog

彼が左足で書いているブログを読んでいくと、いろんなことに気付かれると思います。依存症がどんなに恐ろしい病気なのかも良く分かると思います。
彼は毎日投稿し続けています。以前、マッキーはアルコール依存症だけでなく、ブログ依存症だねと二人で笑って話をしたこともあります。

追記(2010/05/23):
マッキーさんは、おとといブログを閉鎖しました。
僕のこの記事が切っ掛けになったのかはわかりません。
ただ、理由を聞いたら、書くのに疲れたと答えてくれました。
彼の書いた文章を読みたくなったら、上のビデオで紹介されている本を読んでくださいね。


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2010年05月29日

iPad からの投稿テスト

seesaa専用アプリからの投稿テスト
まだこのアプリはiPadに対応していないけど、他のiPhoneアプリと同じで、低い解像度だけどちゃんと動いている。


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2010年05月30日

iPadが来た

iPadはちゃんと発売日の28日に届きました。純正ケースも一緒です。

約半年前に iPod touch (64GB)を買ったのに、ちょっと早い気がしますが、欲しくなったので買うことにしました。

注文したのは、iPad Wi-Fi 16GBです。
容量は迷ったのですが、 iPod touchを使ってみて、それほどの容量を自分は使わないことが分かったし、大容量の iPod touch もあることだし、それと使い分ければ、今回はこれでいいと思いました。
容量が足りないと思うほど使い込むようになったら、どうせ数年後は128GB以上の高機能な今より高速な機種がでるんでしょうから、その頃また買うつもりです。
その頃は、Appleではなく別なメーカーでもっと制限のないものができているかもしれませんけどね。

既に iPod touch のために Pocket WiFi を使っていて、外出先でもネットにつなげられるので、3Gでなくても別に問題ないです。

Skype も iPod touch で使っていたアプリが使えます。
iPod touch のときはマイクが内蔵されていなかったので、マイクつきの純正イヤホンを使ってやっていたのですが、iPad Wifiにはマイクが内蔵されているので、iPadを無造作に机の上に置いたまま Skypeで話すことができます。
マイクの位置を気にしなくてもいいくらい感度がいいです。マイクといえば、Googleアプリでの音声検索もなかなか使い勝手がいいです。

VoiceOver 機能も iPod touch と同じように使えます。合成音声の声も同じです。何でも自在に操作できるとはいえませんが、やはり標準でこの機能が使えるだけでも評価できます。
あとは僕が VoiceOver 対応のシンプルなアプリを作っていけばいいわけですね。

iBooks の VoiceOver も動作確認しました。ときどき、本文に移動しなくなりますけど、これは他のアプリと似たようなものです。ボタンやページなどは日本語で読み上げてくれますが、ちゃんと本文は書かれている言語で読み上げます。つまり英語の本は英語、ドイツ語はドイツ語です。ただiBooks にはまだ日本語の本が無いので日本語の本をどう読んでくれるかはわかりません。話題の京極夏彦の電子書籍は iBooks 向けではないので、この本を使って試すことはできません。

Bluetooth キーボードも使えました。純正ではなく、ELECOMのBluetoothキーボード(TK-FBP014)ですが、問題なく接続できました。ただ、英字の入力のとき英語配列になってしまったので、@や_などの記号の場所が分からなくて困りました。ちなみに「@」は SHIFT + 2、「_」(アンダーライン) は SHIFT+- でした。
参考:キー配列#101キーボード - Wikipedia

iPod touch からサイズが変わっただけなんですが、この変化はほんとにいいです。少なくとも、文書を読むことが多い僕の利用の仕方では iPod touch よりも iPad のサイズの方が便利です。小さなメモ帳や文庫本も便利ですし、そんな感じでポケットに入れて手ぶらで移動できる iPhone/iPod touch のコンパクトさも捨てがたいですが、片手に持ってその親指だけで大抵の操作ができる使いやすさもいいのですが、この二日間使ってみた感想は、iPadの大きさの方が実用的です。


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posted by takayan at 01:32 | Comment(14) | TrackBack(0) | iPad・iPod | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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