2014年09月14日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(7)

今回は28行目からです。 2年前に解釈した部分の再考です。かなり修正します。正直、以前の自分の未熟さが恥ずかしいです。当時の解釈が強引だったのは、今から思うとこれらの言葉が示すべき描写を見つけられなかったからです。

Quo magis aeternum da dictis diva leporem:
Effice ut interea fera munera militiai
Per maria: ac terras omneis sopita quiescant.
Nam tu sola potes tranquilla pace iuvare
Mortalis : quoniam belli fera munera Mavors
Armipotens regit: in gremium qui saepe tuum se
Reiicit aeterno devictus volnere amoris:
Atque ita suspiciens tereti cervice reposta.
Pascit amore avidos inhians in te dea visus:
Eque tuo pendet resupini spiritus ore.


quo magis aeternum da dictis diva leporem:

quoは疑問代名詞quisの奪格単数か疑問形容詞quiの男性/中性奪格単数、関係代名詞quiの男性/中性奪格単数、もしくは副詞「どこへ、何のために」、副詞/接続詞「その結果、それゆえに」。magisは男性名詞magus「賢者」、もしくは形容詞magus「魔法の」の与格/奪格複数、副詞「もっと」。aeternumは形容詞aeternus「永遠の」の主格/呼格/対格中性単数か対格男性単数。daは動詞do「与える、許す」の命令法二人称単数。dictisは動詞dico「ささげる」の完了分詞の与格/奪格複数、もしくは中性名詞dictum「言われたこと、表現」の与格/奪格中性複数。divaは女性名詞diva「女神」の主格/呼格/奪格単数。中性名詞divum「露天」の主格/呼格/対格複数、もしくは形容詞divus「神のような」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。leporemの男性名詞lepos「魅力、機知」の対格男性単数、もしくは男性名詞lepus「野うさぎ」の対格男性単数。

quoはここでは副詞「それゆえに」と考えます。この文の動詞はdaで、これはdo「与える」の命令法二人称単数です。この動詞の目的語として、与格がdictisで、対格がaeternum leporemです。それぞれの意味は、dictisはこの場合この『物の本質について』という詩そのものを表し、aeternum leporemは「永遠の魅力を」になります。magisは副詞として「もっと」とします。divaは女性名詞の呼格単数で「女神よ!」とします。まとめると、「それゆえに、女神よ!詩にもっと永遠の魅力を与えたまえ!」となります。

これを絵に合わせて解釈します。以前はこれを「それゆえ、女神よ!この物語に決して見破られない言葉遊びを許したまえ!」としました。これはとても面白い、この絵にあった訳だったのですが、この訳は撤回します。理由はこの絵の中に「野うさぎ」と呼べるものを見つけてしまったからです。

leporem

ウェヌスの左肩の上を拡大したものです。これもやはりはっきりとはしませんが、それでも耳の長い生き物が描かれているのがわかります。ここまで細かく描かれていれば、絵の具の濃淡が偶然動物に見えるということはないでしょう。なおピエロ・ディ・コジモの≪ヴィーナスとマルス≫にもヴィーナスに触れるように兎が描かれています。この兎は有名ですが、ヴィーナスと兎との関係はボッティチェリの方が先だったことが分かります。

aeternumは「永遠に残る」とし、aeternum leporemを「永遠に残る野うさぎを」とします。絵の中に描けばずっとそれが残るわけです。divaは場所を表す奪格単数として「女神のそばに」とします。ウェヌスに接して描かれているので、この言葉のとおりです。dictisは動詞dicoの完了分詞ですが、dicoのイタリア語での意味にesprimere「表現する」があります。過去分詞なので、dictisは「表現されたもの、描かれたもの」つまりこの絵と解釈できます。daは願望よりも許可を与える意味の方が意味が通るので、「許したまえ」とします。残りは従来の意味をそのまま使います。まとめると、次のようになります。

それゆえに絵に永遠に残る野うさぎを女神のそばに許したまえ!

therefore allow the immortal hare to this drawing near diva!


effice ut interea fera munera militiai per maria ac terras omneis sopita quiescant.

efficeは動詞efficio「産出する、もたらす、引き起こす、証明する」の命令法二人称単数現在。utは接続詞「〜するために」で接続法の副詞節を導く。intereaは副詞「その間に、しかしながら」。feraは女性名詞fera「野獣」の主格/呼格/奪格単数か、形容詞ferus「野生の、残忍な」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。muneraは動詞munero「与える、贈る」の命令法二人称単数か、中性名詞munus「義務、務め、捧げ物、重荷」の主格/呼格/対格複数。militiaiは女性名詞militia「軍務、戦闘、軍隊」の属格/与格単数。perは前置詞「通って、の間に、によって」。mariaは中性名詞mare「海」の主格/呼格/対格複数、もしくは形容詞mas「男の」の主格/呼格/対格中性複数。acは接続詞「そして」。terrasは女性名詞terra「地面、大地」の対格複数。omneisは形容詞omnis「それぞれ、すべての」の主格/対格複数。sopitaは動詞sopia「眠らせる、麻痺させる」の完了分詞の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。quiescantは動詞quiesco「休養する、横になる」の接続法三人称単数現在。

fera muneraは中性主格複数として「野蛮な務め」とします。それに属格のmilitiaが修飾していて、「戦の野蛮な務め」とし、これがこの節の主語とします。per maria ac terras omneisが一つの長い前置詞句として、perの目的語は maria ac terras omneisで、形容詞omneisはmariaにもterrasにもかかっているとして、意味は「すべての海と大地において」とします。quiescantはeffice utに呼応している接続法で、「休止するように仕向けたまえ!」となります。完了分詞sopitaは主動詞より先に起きる出来事を表していて、合わせて「静められて、休止する」とします。まとめると、「その間に、すべての海と大地において野蛮な戦の務めが、静められて、休止するように仕向けたまえ!」となります。これは女神ウェヌスへの願いです。

次に絵に合わせた解釈です。ここに出てくる単語の具象的な意味を調べていくと、muneraに困ります。そこで他の部分からこれを推測します。まず、この絵には海が描かれていないので、以前のようにmariaを形容詞masの対格中性複数とし、その名詞化の「男たち」と解釈してみます。そうするとmuneraは「槍」を表す何かであれば、うまくいきそうなことが分かります。それを踏まえてmunerusのイタリア語の意味を調べていくと、名詞prodotto「製品」というのが見つかります。そしてこの語と同じ綴りの形容詞prodotto「伸びた、延ばされた、拡張した、長い」があることに気付きます。これを名詞化して「長い物」と考えれば、fera munera militiaiは「戦の野蛮な長い物」と解釈できます。本来muneraには「長い物」という意味はありませんが、言葉遊びをすればこのような解釈が可能になります。ただしmuneraは複数形なので、これは槍だけでなく、おそらくマルスが左手で支えている突き棒も表しています。これも武器になりそうなので、militiaiという形容詞が使えます。

per mariaは「男たちを貫いて」と解釈します。たしかに槍は三人の子どものサテュロスたちの体を貫いて見えます。さらにマルスの頭の後ろに槍の先端の存在を想像できるので、mariaにマルスを含めて考えることができます。したがって、fera munera militia per mariaは「男たちを貫いている戦いの長い物」となります。

volnereamoris

ただ槍はこの解釈でいいのですが、突き棒についてもper mariaが意味を持たなくてはなりません。それには、ちょっと工夫が必要です。まず、マルスがこの突き棒を押さえている部分を拡大して見ると、指先が透けて向こう側に見えているように見えます。つまりマルスの指の前に突き棒があります。指の先で押さえているのではなく、指の側面で倒れないように支えていることを表していると考えられます。したがってマルスの指、つまりマルスと突き棒の位置関係は前置詞perで記述できます。しかしこれだけでは単数です。少なくともあと一つ棒が越えるものが必要になります。この突き棒はハルモニアの前に描かれています。ハルモニアが男の子ならばこの描写を表していると考えてもいいのですが、そうするとこの子を女の子だとしてきた今までの解釈に矛盾してしまいます。そこでハルモニアの格好に着目します。彼女はマルスの鎧をまとっていて、まるで男性のような格好をしています。《パラスとケンタウロス》ではケンタウロスの手が胸を隠す女性のような仕草をしているとして、彼を女性と見なした解釈をしましたが、ここでもマルスの鎧をまとっていることを理由に、彼女を一時的に男の子と見なして解釈することにします。これでなんとか、fera munera militia per mariaを「男たちを越えている戦いの長い物」という意味で、この突き棒の描写を表していると解釈できます。

permarem

feramuneramilitia2

今度は残りのac terras omneis sopita quiescant の解釈です。この絵には確かに大地が描かれているので、そのまま使えそうですが、これがうまくいきません。そこで以前そうしたようにterraの意味をsuolo「地表」とし、その語のトスカーナ方言での意味「層状の物」を使います。なぜなら、槍の先にも、突き棒にも層状の物がはっきりと描かれているからです。槍の先には法螺貝があり、その模様が層状に描かれています。突き棒の下にはマルスの腰にかけてある白い布がちょうど突き棒の通る部分で層状に描かれています。なおハルモニアの右手が触れている黒い部分は、おそらく黒土の地表を表しています。これだけだと単数になってしまうので、やはり層状の布も合わせて考えなくてはいけないでしょう。

terrasomneissopita

問題は分詞sopitaです。これを奪格女性単数とすると「層状の物」の場所を示せるかもしれません。以前の解釈では動詞sopioが「陰茎」sopioと同じ綴りであることを利用して解釈しましたが、今回はこの解釈を変更します。動詞sopioには「眠らせる、静める」の意味があります。マルスの布の近くのハルモニアはマルスの作る矩形の中で、静かになるように閉じ込められています。したがって、彼女を指してsopitaを「静められている女性のところで」と解釈できます。一方、法螺貝の近くにいるのはマルスです。以前示したようにこの絵では法螺貝はマルスを眠らせるために鳴らされています。したがって、マルスを指してsopitaを「眠らせられた者のところで」もしくは「静められた者のところで」と解釈できます。しかし、sopitaは女性形です。単語の性はいままでの言葉遊びではかなり厳密に守られてきました。したがって、この解釈は無理のようです。そもそもこれを奪格として扱うためには単数でなくてはならないので、この考えではうまくいきません。

今度は動詞の方から考えてみます。quiescantは動詞quiescoの接続法です。quiescoは自動詞で「休養する、眠る、静まる」の意味があります。これのイタリア語での意味にriposareがあります。riposareの自動詞としての意味は「休養する」で、他動詞としての意味は「休ませる」です。この語はラテン語のpauso「止まる」に継続の接頭辞reが付いたもので、原義的には「止まったままである」という意味になります。何が言いたいかというと、quiescoは本来自動詞ですが、意味をriposareとすると、言葉遊びで他動詞の「止まったままにする」と解釈できます。sopitaを主格中性複数とし、muneraを対格中性複数とすれば、munera sopita quiescuntは「静められた者たちが複数の長い物を止めたままにする。」となります。絵を見ると、突き棒に対してはマルスとハルモニアが支えています。槍に対しては真ん中のサテュロスの両腕の上からマルスが膝で支え止めているように描かれています。つまり、静められた者二人が長い物をその位置に留めています。

feramuneramilitia2

quiescant1

しかし、突き棒はマルスとハルモニアだけに支えられていますが、槍はマルスだけでなくサテュロスたちにも支えられています。彼らもsopitaと形容できなくては、この解釈は成り立ちません。その解釈を追加します。まずクピドですが、彼は本来の姿でも、またこの絵の姿でも、目が見えないようにされています。sopioの英語の意味には「to render insensible(無感覚にする)」があります。つまり視覚を奪われているクピドはsopita「(目を)無感覚にされた者」と呼ぶことができます。次は真ん中のサテュロスです。彼は以前の解釈で不安から逃れるために母親ウェヌスの顔を見ているとしましたが、ウェヌスの方もしっかりと彼を見つめ返しています。したがって、彼はウェヌスによってなだめられています。つまり真ん中のサテュロスもsopita「なだめられた者」と解釈できます。右端のサテュロスは槍をもってはいませんから彼を含める必要はありません。これで槍を支えている三人全員がsopitaと呼べる存在だと解釈できました。いままで訳していなかった形容詞omneis「すべて」はsopitaを修飾していると考えます。

sopita

最後にefficeです。これはut以降のいままで解釈してきた副詞節を伴います。いろんな意味が考えられますが、ここではdimostrare「明らかにする、表す、証明する」を使います。命令法ですが、命令する相手はこの絵の中の人物ではどうしてもうまくいかないので、この絵を見ている者とします。まとめるとこうなります。

その間に男たちと層状のものを貫いたり越えたりしている複数の戦いの野蛮な長い物を、すべての静められた者たちが止めているらしいことを明らかにしてください!

meanwhile demonstrate that the persons who are calmed may stop the wild long things of warfare which are through the men and the laminar things!

この命令への応答はこの説明そのものとなります。


nam tu sola potes tranquilla pace iuvare mortalis:

namは接続詞「なぜなら、もちろん、一方、たとえば」。tuは人称代名詞tu「あなた」の主格/対格単数。solaは中性名詞solum「底、床」の主格/呼格/対格複数、もしくは形容詞solus「一つの」の主格/対格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。potesは動詞possum「できる」の二人称単数現在、もしくは動詞poto「酔う」の接続法二人称単数現在。tranquillaは中性名詞tranquillum「穏やかな天候」の主格/呼格/対格複数、形容詞tranquillus「静かな、穏やかな」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数、もしくは動詞tranquillo「静かにする、穏やかにする」の命令法二人称単数現在。paceは女性名詞pax「平和」の奪格単数。iuvareは動詞juvo「助ける、支える、喜ばせる」の不定法現在、受動態二人称単数現在、命令法二人称単数現在。mortalisは形容詞mortalis「死すべき、はかない」の主格/対格/呼格複数、属格単数、対格複数、また名詞としても使われて「死すべき者、人間」。

solaは主格女性単数で、tuを修飾して主語とします。このtu「あなた」はウェヌスを指し、「あなたただ一人が」となります。potesは二人称単数現在で、不定法現在のiuvareを目的語にとり、合わせて「喜ばせることができる。」となります。tranquilla paceは奪格女性単数で、「穏やかな平和によって」となり、喜ばせる手段を示しています。martalisは対格複数で、「死すべき存在」つまり「人類、人々」を表し、喜ばせる対象を示します。まとめると、「なぜならあなたただ一人が人々を穏やかな平和によって喜ばせるのだから。」となります。

絵を解釈する場合は、二つの文に分けて考えます。nam tu sola potesと、tranquilla pace iuvare mortalisです。tuはマルスを指していると考えます。solaは奪格として、名詞化して、「一人の女性のところで」とします。これは右下の女の子を表しているとします。potesは動詞possumではなく、動詞potoの活用形とします。接続法になるので、これで可能性を表しているとします。この部分だけで、「なぜならあなた(マルス)は一人の女性のところで酔っぱらっているかもしれない。」となります。

paceiuvare

次は後半です。まずpaceは名詞paxで意味は「平和」です。英語で意味を調べると、peaceとharmonyがあります。このharmonyはギリシャ語のἉρμονίαに由来しています。いままで右下にいるサテュロスを女の子とし、ウェヌスとマルスの子どもハルモニアとしてきました。これは以前アナクレオンテアの詩などにより推測したものです。ここに現れたpaceという言葉はこれまでの解釈と矛盾なく一致させることができます。したがってtranquilla paceは奪格女性単数で「穏やかなハルモニア」となります。この文の主語はmortalisでここでは死人のように寝ているマルスを表しているとします。この文の動詞はiuvareで、本来は不定法現在なのですが、これは受動態二人称単数現在の形とも解釈できます。意味は「支えられている」とします。ハルモニアが直接支えてはいませんが、見ようによっては、彼女の頭に直接左腕をかけ寄りかかっているように描かれています。この部分は「死んだような人は穏やかなハルモニアによって支えられている。」となります。

まとめるとこうなります。

なぜならあなた(マルス)は一人の女性(ハルモニア)のところで酔っているかもしれない。死んだような人は穏やかなハルモニアによって支えられている。

Because you (mars) may be drunk near lonely girl (harmonia). The man (mars) as dead is supported by calm Harmonia.


quoniam belli fera munera Mavors armipotens regit:

quoniamは接続詞「なぜなら」。belliは中性名詞bellum「戦争、戦い」の属格、形容詞bellus「かわいい、魅力的な」の男性/中性属格単数、男性主格/呼格複数、もしくは女性名詞bellis「ヒナギク」の与格/奪格単数。feraは女性名詞fera「野獣」の主格/呼格/奪格単数、形容詞ferus「野生の、残酷な」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。muneroは動詞munero「与える、贈る」の命令法二人称単数、もしくは中性名詞munus「義務」の主格/呼格/対格複数。Movorsは男性名詞Mavors「マルス」の主格/呼格単数。armipotensは形容詞armipotens「勇壮な、武力に優れた」の主格/呼格単数および中性呼格単数。regitは動詞rego「支配する、案内する、固定している」の三人称単数現在。

接続詞quoniamは「〜だから」とします。この文の動詞は三人称単数のregitで、主語はMavors armipotensです。これが形容詞armipotensの主格単数男性がMavorsを修飾している形です。意味は「勇壮なマルスが」です。動詞の目的語は中性名詞munus「義務」の対格複数であるmuneraで、これを形容詞ferus「野蛮な」の中性対格複数feraと、中性名詞bellum「戦い」の属格単数が修飾しています。まとめると、「戦の野蛮な義務を勇壮なマルスが支配しているのだから」となります。

絵の解釈です。belli feraは合成語bellifera「好戦的な、勇ましい」としても解釈できます。そしてさきほどやったようにmunerusをイタリア語の意味prodotto「製品」とし、さらに同じ綴りの形容詞prodotto「伸びた、延ばされた、拡張した、長い」を名詞化したものと解釈します。「勇ましい長いもの」を対格として扱うには複数形でなくてはならないので、サテュロスが抱えている槍と、マルスが左手で支えている突き棒が、この語が表しているものだと分かります。そして最後に動詞regoの意味です。regoのイタリア語の意味にfissare「固定させる」があります。突き棒は左手の中指で固定しています。そしてもう一方の槍も絵の上では真ん中のサテュロスの槍を抱えている両方の腕を、マルスの腕で支えているように描かれています。実際は位置がずれているので支えていないはずですが、絵ではそう解釈できるような構図になっています。ここらあたりは、上の行とほとんど同じ解釈です。

regit1

regit2

まとめると次のようになります。

勇壮なマルスは好戦的な長いものを固定させている。

Strong Mars fastens martial long things.


in gremium qui saepe tuum se reiicit aeterno devictus volnere amoris:

inは前置詞「〜に(奪格)、〜へ(対格)」。gremiumは中性名詞gremium「膝(lap)、胸、しげみ、くぼみ」の主格/呼格/対格単数。quiは疑問代名詞quisの男性主格複数、疑問形容詞quiの男性主格単数/複数、関係代名詞quiの男性主格単数/複数、副詞「どのように」、もしくは動詞queo「できる」の命令法二人称単数。saepeは副詞「しばしば」、もしくは女性名詞saepes「垣、塀」の奪格単数。tuumは形容詞tuusの主格/呼格/対格中性単数、対格男性単数。seは再帰代名詞seの奪格/対格。reiicitは動詞rejicio「投げ出す、背後に投げる、身を投げ出す」の三人称単数現在。aeternoは動詞aeterno「永遠にする、不滅にする」の一人称単数現在、もしくは形容詞aeternus「永遠の、不滅の」の男性/中性の与格/奪格単数。devictusは動詞devinco「征服する、完勝する、打ち負かす」の完了分詞男性主格単数。volnereは動詞volnus「傷、槍、心の傷」の奪格中性単数。amorisは男性名詞amor「愛、愛する人、クピド」の属格単数。

tuumはgremiumと結びつき、前置詞の目的語になります。これは対格なので in tuum gremiumは「あなたの膝の上へ」となります。このあなたとはウェヌスです。この文の動詞はreiicitで、再帰代名詞seを伴い、意味は「自らの身を投げ出す」とし、その投げ出す方向がウェヌスの膝の上ということです。そしてsaepeは副詞で、その投げ出す頻度が「しばしば」というわけです。もちろん主語はマルスになるのですが、この文では男性主格単数の関係代名詞quiがその役割を果たしています。形容詞aeternoは奪格中性単数で名詞volnereを修飾します。属格のamorisもvolnereを修飾していて、合わせると「永遠の恋の痛手」となります。この奪格は完了分詞devictusにその原因として付きます。そして分詞devictusは主格男性単数で主語を修飾します。これは主動詞より前に起きたことになります。まとめると、「そして彼(マルス)は、永遠の恋の痛手によって打ち負かされて、しばしばあなたの膝の上へと身を投げ出す。」となります。

絵の解釈です。以前volnere amorisをウェヌスの傷としてしまいましたが、これが以前の解釈を訳が分からないものにしていました。その解釈は間違いでした。中性名詞volnusの意味には傷の原因となる「槍、矢」もあります。これを使うと、volnere amorisは「アモル(クピド)の槍」と訳せます。こちらがこの絵にとって正しい解釈となるでしょう。この絵で何故槍が描かれているのか、そしてその槍の柄の部分を抱えているサテュロスがクピドだという根拠の一つがこの文になります。クピドが本当にマルスを狙い、マルスがクピドにやられて倒れているわけではないのでしょうが、この絵の構図はそのようにも見て取れるように描かれています。他の誰でもないクピドが槍で刺していることが重要です。そしてこのvolnereをaeternoが修飾しています。通常は「永遠の」と訳しますが、ここでは「長持ちしている、年季の入った」とします。なぜなら、この槍の表面には、いくつもの傷が有り、年季の入った描写が施されているからです。「永遠」や「不滅」だとこの表面のニュアンスは表現できません。

volnereamoris

aeterno

残りの部分を考えます。saepeは副詞ではなく、女性名詞saepesの奪格単数と解釈します。そしてマルスの後ろにある生垣を表しているとします。この奪格は場所を表していると考えます。あとはtuum gremiumです。これは本来の意味の「ウェヌスの膝」と解釈します。この場合のgremiumの意味は英語でいうところのlapでkneeではありません。そしてウェヌスのその部分を見てみると、マルスの右足がその後ろに投げ出されています。確かにマルスの右足はウェヌスの太ももの方へと向かっているので、この言葉の通りです。つまりin tuum gremium se reiicitは「あなたの膝の方へ自分自身(右足)を投げ出す」となります。しかしよく見てみると、マルスの体の他の部分もそれぞれgremiumに投げ出されています。彼の頭は蜂の巣の穴に向かっています。左手は鎧の内部の暗闇の近くにあります。左足は薔薇色の敷布を巻き込んで、その内部にあります。そして右手は自分自身の太ももの上にあります。このそろい方も意図的なものでしょう。tuumはgremiumを修飾しているのではなく、saepesを修飾しているとします。詩的用法では属格男性/中性属格となることがあります。この用法を使ってsaepes tuumで「あなた方家族の生け垣のところで」します。確かにマルスの手、足、頭のそれぞれで生け垣の草木に触れています。

tuumで形容できるのは右足だけです。tuum gremiumが単数なので右足だけで十分です。

reiicit

まとめると、こうなります。

そしてあなた方家族の生垣のところにいる彼(マルス)は、クピドの年季の入った槍によって打ち負かされて、あなた(ウェヌス)の膝/内部の方へ自分自身を投げ出している。

and he (Mars) at the hedge of your family throws himself back to the lap / interior defeated by cupid’s lasting lance.


atque ita suspiciens tereti cervice reposta.

atqueは接続詞「そして、そのうえ」。itaは副詞「そのように」。suspiciensは動詞suspicio「見上げる、仰ぎ見る、重んじる、疑う、怪しむ、凝視する」の現在分詞の主格/呼格単数、対格中性単数。teretiは形容詞teres「磨かれた、丸みを帯びた、なめらかな、円の」の与格/奪格単数。cerviceは女性名詞cervix「首、頭」の与格奪格。repostaの形容詞repostus「遠く離れた、人目につかない」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数、もしくは動詞repono「元の所に置く、横たえる、下に置く」の完了分詞の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。

形容詞teretiは奪格女性単数で、cerviceを修飾しています。repostaは動詞reponoの完了分詞でこれも奪格女性単数とします。tereti cervice repostaの意味を「なめらかな首を横たえて」と訳します。suspiciensは動詞suspicioの現在分詞でウェヌスの顔を「見上げている」様子を表しています。まとめると、「そしてこのように、なめらかな首を横たえて、見上げている。」となります。マルスが自分の頭をウェヌスの膝に投げ出した後、首をそこに横たえて、そこからウェヌスの顔を見上げている様子を記述しています。

絵の表現を考えてみます。この描写はそのまま絵になりそうなのですが、彼らは膝枕をしていないので、別の意味を考えなくてはなりません。ここらあたりの記述が絵の描写に似ているとして、『物の本質について』と≪ヴィーナスとマルス≫の影響が指摘されているのですが、残念ながらそうではないようです。

そこで、tersi、cervice、repostaの意味をもう一度確認して、tersiは「丸みを帯びた」、cerviceは「首」、repostaは形容詞repostusと考えて「人目につかない」と考えると、先ほど見つけた「野うさぎ」のいた場所を絵が思い当ります。ここは人目に付きません。そして丸みを帯びた金色の背景があります。そしてウェヌスの首のところにあります。三つの条件がちゃんとそろっています。それぞれが場所を示す奪格として、teretiを「丸みを帯びたところに」とし、cerviceを「首のところに」とし、repostaを「人目に付かないところに」と解釈します。suspiciensの意味ですが、この兎は見上げているようには見えないので、他の意味を探します。イタリア語での意味を探すとcontemplare「凝視する」というのがあります。描かれている兎の表情はあまりよくわからないのですが、この意味はなんとかあてはまりそうです。これを名詞化して、感嘆の対格と考えてみます。

leporem

まとめると次のようになります。

そしてこのように丸みを帯びた、首の、人目に付かないところで凝視している生き物よ!

and thus the contemplating creature at the neck in remote place on the round!


pascit amore avidos inhians in te dea visus:

pascitは動詞pasco「放牧する、養う、育てる、楽しませる」の三人称単数。amoreは男性名詞amor「愛、愛する人、クピド」の与格/奪格男性単数。avidosは形容詞avidus「熱望している、貪欲な、飢えた」の対格男性複数。inhiansの動詞inhio「大口を開ける、渇望する」の現在分詞の主格/呼格単数、対格中性単数。inは前置詞「〜に(奪格)、〜へ(対格)」。teは代名詞tuの奪格/対格単数。deaは女性名詞「女神」の主格/呼格/奪格単数。visusは動詞video「見る」の完了分詞の主格男性単数、もしくは男性名詞visus「見ること、光景、外観」の主格/呼格/属格単数か主格/呼格/対格複数、もしくは動詞viso「注意深く見る、見に行く、訪問する」の完了分詞の主格男性単数。

この文はpascit amore avidos visusの中に、副詞節inhians in teと呼格のdeaが埋め込まれた形になっています。主節の動詞はpascitで、これは三人称単数です。主語は省略されていますが、文脈からマルスです。複数体格のvisusは本来「見ること」を意味しますが、動詞pasco「養う」と合わせて考えると、「目の保養をする」と解釈できます。avidosは複数体格でvisusを修飾し、「貪欲な目の保養をする」となります。この目を養う食糧にあたるものが奪格単数のamoreです。inhians in teは現在分詞からなる副詞節で、このinは対格支配です。inhioは「大口を開ける」ですが、この場合目を口の代わりにして養分を得ているのですから、「大きく(目を)見開く」でもいいかもしれません。まとめると、「女神よ!あなたに大きく見開いて、彼は愛によって貪欲に目の保養をしている。」となります。

次は絵に合わせて考えます。マルスはウェヌスの方を見ていないし、そもそも目をつぶっているので、このままの解釈は使えません。他の意味を考えてみます。手がかりはamoreです。これはアモル(クピド)を表していると考えられそうです。奪格なので場所を表すとすると、amoreは「クピドのそばで」となるでしょう。つまりヘルメットをかぶった子どもの周りの描写をこの文が記述していると考えてみます。

そこでクピドの周りを丹念に見てみると、彼の背中の、ウェヌスの肩の髪の中に、人影が描かれているのに気付きます(正確には上記の兎より先に見つけたのですが)。

inhiansinte

inを奪格支配とすると、in teは「あなたの中に」となります。teをウェヌスを指していると考えれば、髪の中に描かれている状況を記述していることになります。このinは英語のonの意味でもかまいません。その場合は「あなたの肩の上に」となります。inhiansの意味ですが、肩にいる人物の顔をよく見ると、口よりも左目が大きく黒く描かれているので、「大きく目を見開いている」と解釈できます。またこのinhiansを名詞化して主格単数と考えると、inhians in teの意味は「あなたの中で大きく目を見開いている者が」となり、これを文の主語にできます。次にavidos visusの意味を考えてみます。どうやらこの人影はクピドの方を見ています。複数形なのでおそらく三人のサテュロスたちを表しているのでしょう。avidusの適切な解釈が思い当たらないので、いくつもの辞書のavidusの意味を書き出して、サテュロスたちの姿と交互に眺めてみると、あることに気付きました。三人のサテュロスたちのお腹が凹んでいます。真ん中の子は槍で分かりにくいですが、左右の端の二人はおへその上あたりでくの字に凹んでいます。これが空腹を表しているとすると、形容詞avidusの「飢えた」という意味が使えます。これに合うvisusの意味は「外観」でしょう。したがってavidos visusは「飢えた外観のものたちを」と解釈できます。最初サテュロスたちを想定していましたが、改めて眺めてみればマルスのお腹も凹んでいます。そうなると彼もavidos visusに含まれるでしょう。

avidosvisus1

avidosvisus2

avidosvisus3

avidosvisus4

さて、この髪の中の人物はクピドたちに対して一体何をしているのでしょうか?pascoのイタリア語での意味を調べるとpascolareがあります。pascolareの意味は「(家畜の)世話をする、見張る」です。見張りだからこそ、目を大きく見開いているのでしょう。この人物は左手を口のあたりに持ってきています。口をふさいでいるようにも見えますが、よく見ると口の形も描かれているので、口に手を添えて何か叫んでいるようにも見えます。あくびをして手でその口を隠そうとしているのかもしれません。

まとめると次のようになります。

女神よ!クピドのそばであなたの中で大きく目を見開いている者が飢えた外観のものたちを見張っている。

Near Cupid the person with wide open eye in you (Venus), Diva!, guards the persons of hungry appearance (Satyrs and Mars).


eque tuo pendet resupini spiritus ore.

equeは前置詞exに接尾語queが付加されたもので、exは奪格支配で意味は「〜から、〜より、〜のために」。tuoの形容詞tuus「あなたの」の与格/奪格男性/中性単数。pendetは動詞pendo「はかりにかける、支払う、罰を受ける、評価する」の三人称単数未来、もしくは動詞pendeo「ぶらさがっている、つるされる、すがりつく、依存している」の三人称単数現在。resupiniは形容詞resupinus「仰向けに、横たわった、寄りかかった、怠惰な」の属格男性/中性単数か主格/呼格男性複数。spiritusは男性名詞spiritus「息、空気、魂、命」の主格/呼格/属格単数か主格/呼格/対格複数。oreは中性名詞os「口、話、表情、顔、発音」の与格/奪格単数。

equeは前置詞e(ex)と接尾辞queです。tuoは奪格単数で文末にある中性名詞のore「口」を修飾しています。これが奪格支配のexの目的語になっています。この文の動詞はpendetで三人称単数で、主語は主格男性単数spiritus「息」です。このspiritusを属格単数の形容詞resupiniが修飾しています。resupiniは名詞化されて、「仰向けになった者」となりウェヌスに膝枕をしてもらって彼女の顔を見上げているマルスを表しています。動詞pendeoの意味は「ぶら下がる」ですが、exとともに使われる場合は、「依存している」とも解釈できます。つまり「ウェヌスの口に従っている」となります。まとめると、「そして仰向けになった者の息はあなたの口に依存している。」となります。ただ先ほどマルスは目の保養をしていたわけですから、「口」よりも「顔」の方がいいように思います。またマルスはウェヌスに見とれていたわけですから、spiritusは「息」よりも「精神、心」がよさそうです。これをまとめると、「そして仰向けになった者の心はあなたの表情に依存している。」とも訳せます。どちらがいいかはこの後の文脈次第でしょう。

絵を踏まえてみます。以前はウェヌスが首からぶら下げている水晶のハイライトが人の顔のように見えるので、これを表現する解釈にしていました。これはかなり自信を持っていたのですが、今回はもっとふさわしい描写を見つけたので、以前の解釈は撤回します。まずspiritusは「魂、霊魂、精霊」と訳せます。精霊と言えば、今回見つけたウェヌスの左肩にいる人物を連想します。ここはこの人物について語っている文章として解釈できるかもしれません。spiritusがこれを示しているとすると形容詞resupiniの意味は、口のそばの左手の描写を欠伸だと考えると、「怠惰な」が合いそうです。動詞pendetの意味は、右手が髪をつかんでいるように見えるので、「ぶら下がっている」でいいでしょう。この髪はウェヌスの顔から垂れているので、ex tuo oreは「あなたの顔から」とします。

resupinispiritus

pendet

まとめると、こうなります。

そして怠惰な精霊はあなたの顔からぶら下がっている。

and the lazy spirit hangs down from your face.


今までかなり細かくこの絵を見てきましたが、ウェヌスの左肩の描写には全く気が付きませんでした。『物の本質について』の文章に導かれなければ、見つけられたかったでしょう。たとえ見つけたとしても意味不明な描写としか考えられなかったでしょう。



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posted by takayan at 14:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(8)

今回は38行目からです。 これで『物の本質について』の冒頭のウェヌスを讃えている部分が終わります。

Hunc tu diva tuo recubantem corpore sancto
Circumfusa super suaveis ex ore loquelas
Funde petens placidam Romanis incluta pacem.
Nam neque nos agere hoc patriai tempore iniquo
Possumus aequo animo: nec Memmi clara propago
Talibus in rebus communi deesse saluti.

現在流布されている『物の本質について』のラテン語原文は、この後に数行挿入されてから、二人称の相手がウェヌスから切り替わった次の段落に続いていきます。しかしgoogle booksで調べてみると、ルネサンス期に近いものは、いわゆる『ウェヌスの讃歌』の部分がこれで終わっています。19世紀以降でないとその挿入は現れません。挿入されたものの方がルクレティウスが書いたものに近いのかもしれませんが、ここではボッティチェリの時代に読まれていたものに近いほうがいいわけですから、とりあえず、ここで終わりとします。


hunc tu diva tuo recubantem corpore sancto circumfusa super suaveis ex ore loquelas funde petens placidam Romanis incluta pacem.

まず単語の情報をまとめておきます。huncは代名詞、対格男性単数、意味は「これ」。tuは代名詞、主格/呼格男性/女性単数、意味は「あなた」。divaは女性名詞diva「女神」の主格/呼格/奪格単数、もしくは中性名詞divum「天空」の主格/呼格/与格複数、もしくは形容詞divus「神の、神聖な」の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数。tuoは形容詞tuus「あなたの」の奪格/与格男性/中性単数。recbantemは動詞recubo「横になる、寄りかかる」の現在分詞の対格男性/女性単数。corporeは中性名詞corpus「身体、肉、胴体」の奪格中性単数。sanctoは動詞sacio「承認する、制定する」の完了分詞の与格/奪格男性/中性単数、もしくは名詞sanctus「聖人」の与格/奪格男性単数、形容詞sanctus「神聖な」の与格/奪格男性/中性単数。circumfusaは動詞circumfundo「まわりに注ぐ、取り囲む」の完了分詞の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数。superは動詞supo「投げる、まき散らす」の接続法受動態現在一人称単数、もしくは副詞super「上に、上から、上で、さらに」、もしくは前置詞super「(奪格)の上で、の上に、の時に、について」「(対格)の上に、の上へ、を越えて、の向こうに」。suaveisは形容詞suavis「甘い、柔らかい、耳に快い」の主格/対格男性/女性複数。exは奪格支配の前置詞、意味は「から、より、に由来する、のために」。oreは動詞oro「懇願する、祈る、論じる」の命令法二人称現在、もしくは中性名詞os「口、話、表現、顔、発音」の奪格単数、もしくは中性名詞aurem「黄金」の呼格単数。loquelasは女性名詞loquela「言葉、話」の対格複数。fundeは中性名詞fundus「底、基礎」の呼格単数、もしくは動詞fundo「注ぐ、こぼす、ぬらす、(言葉を)発する」の命令法二人称単数現在。petensは動詞peto「向かう、攻撃する、追う」の現在分詞の主格/呼格単数、対格中性単数。placidamは形容詞placidus「静かな、穏やかな」の対格女性単数。romanisは男性名詞Romanus「ローマ人」の与格/奪格複数、もしくは形容詞Romanus「ローマの、ローマ人の」の与格/奪格複数。inclutaは形容詞inclutus「よく知られた、有名な」の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数。pacemは動詞paco「平和にする、平定する、開墾する、静める」の接続法一人称単数現在、もしくは女性名詞pax「平和、調和」の対格単数。

分詞句を複雑に含んだ長い文章です。分かりやすく主文だけを抜き出すと、tu diva suaveis loquelas ex ore funde です。そしてこの文に含まれている分詞句は、現在分詞対格男性単数のrecubantemを使ったhunc tuo recubantem corpore sanctoと、さらにこれを目的語に持つ完了分詞主格女性単数circumfusaを使ったcircumfusa super、そして現在分詞主格女性単数petensのpetens placidam Romanis incluta pacemです。

主文から解釈します。動詞は命令法二人称単数のfundeです。主語はtuで確かに二人称単数です。これは文脈から女神ウェヌスを表しています。divaは呼格で、主語の強意になっています。目的語はsuaveis loquelasで「甘い言葉を」です。oreは奪格で、ex oreは「口から」になります。fundo「こぼす」の意味は、これらの「言葉」と「口」から「(言葉を)発する」と考えられます。女神への命令なので祈り、懇願の表現になります。したがって主文だけまとめると、「女神よ!甘き言葉を発したまえ」です。

次にhunc tuo recubantem corpore sanctoを考えます。huncとrecubantem、tuoとcorporeと sanctoがそれぞれ結びつきます。そしてhunc recubantemは対格男性単数で、名詞化されて「このもたれている者」となります。これはウェヌスの膝の上に横になり下からウェヌスの顔を見上げているマルスを表しています。tuo corpose sanctoは与格中性単数で 「あなたの聖なる体に」となります。もちろんこれはウェヌスの体です。この与格は動詞としてのrecubantemの間接目的語になっていて、この分詞句全体で「あなたの聖なる体にもたれている者を」となります。これらはさらに完了分詞circumfusaの目的語になっています。

次はhunc tuo recubantem corpore sancto circumfusa superの意味を考えます。circumfusaが主格女性単数と解釈できるので、主文の主語であるウェヌスのことを表す語句であることが分かります。hunc tuo recubantem corpore sanctoは対格男性単数の目的語となり、意味は先ほどの通り「あなたの聖なる体にもたれている者を」です。superは前置詞の可能性もありますが、直後のsuaveisは既に示した通り主文の一部として考えた方がうまくいくので、ここでは副詞として解釈します。circumfundo「取り囲む」の意味が少し難しいです。これは受動態が中動態として解釈される動詞です。つまりここで使われているcircumfusaは完了分詞の形をしていますが、受動ではなく能動に訳されます。自分の体で囲んでいるわけですから、分かりやすく言い換えれば、「抱きしめている」と訳せます。それに副詞superがついて、「上から抱きしめている」となります。まとめると「あなたの聖なる体にもたれている者を上から抱きしめて」です。

次はpetens placidam Romanis incluta pacemです。petensも主格女性単数と解釈できるので、これもウェヌスについて記述された語句だと考えます。inclutaは呼格女性単数として、この語句が修飾しているものを強調しているとします。意味は「よく知られた女性よ!」です。placidamはpacemと結びついて、対格女性単数となり、意味は「穏やかな平和を」とします。Romanisは与格で、「ローマ人のために」とします。現在分詞petensは主動詞と同時と考えて、「請い求めながら」とします。まとめて「よく知られた女性よ!ローマ人のために穏やかな平和を請い求めながら」とします。

全体を合わせると、「女神よ!あなたの聖なる体にもたれている者を上から抱きしめながら、よく知られた女性よ!ローマ人のために穏やかな平和を請い求めながら、甘き言葉を発したまえ!」となります。マルスはウェヌスに膝枕をしてもらいながら、その愛の女神の美しい顔に見とれています。そして著者ルクレティウスは、ウェヌスに対して、あなたの膝の上に横になっている戦いの神マルスを上から抱きしめて、甘ったるい声でローマを平和にしてちょうだいっておねだりしてくれませんか、と願ったわけです。

 

絵に合わせた解釈を考えます。当然、この絵の中には本来の記述は描かれていません。他の解釈を考えます。この文で最初に分かるのはpacemです。以前paxに「調和」の意味があるので、右下の女の子ハルモニアを表していると解釈しました。ギリシャ神話のイレーネに相当する平和を司る女神パクスがいますが、ここでは調和の意味を優先させてハルモニアを指し示す言葉とします。そしてpacemがハルモニアを表すとなるとplacidam romanis pacemという語句はromanisが奪格と解釈できるので、「複数のローマ物のところにいる穏やかなハルモニア」と解釈できます。placidam pacemは対格単数になるので、何かの目的語になるのでしょうが、この段階ではまだ分かりません。ただこの解釈が正しければ、ハルモニアの周囲にローマと呼べるものがあるということになります。

そして見つけたローマと呼べるものが、ローマ秤(romano)とローマン・ヒヤシンス(giacinto romano)です。ハルモニアのすぐ前にある丸く凹んだ金属は、こちらにそこの部分を向けて置いてあるローマ秤のおもりだと思われます。正直この秤のおもりという解釈には自信がありません。他にローマと呼べるものがあるのかもしれませんが、とりあえず現時点ではこう解釈します。農業をやっているハルモニアならば、収穫物を測る秤ぐらい持っていてもおかしくありません。一方のローマン・ヒヤシンスとしているのは、ハルモニアの左手の前にある葉の茂った植物です。あまりヒヤシンスらしくありませんが、同じくボッティチェッリが描いた《春》の足下に生えているヒヤシンスが参考になります。

hyacinthharmonia

hyacinthprimavera

《春》の地面には少なくても三株のヒヤシンスが生えています。この中で一番分かりやすいのが上の図のものです。確かに《ヴィーナスとマルス》の右下にある植物と似ています。ちなみに《春》のこの植物の葉には「OI」という文字が刻まれているように見えます。これはオウィディウス『祭暦』5巻224行および『変身物語』10巻215行に記述されているヒアキントスが刻んだ嘆きの言葉を元にした描写だと考えられます。この文字は《春》のこの植物がヒヤシンスであることを示しています。

budszoom

ハルモニアが左手で抱えている果物のようなものはよく見ていると、意外にでこぼこしていて、筋が何本も通っています。これはヒヤシンスの蕾の塊かもしれません。実物よりも丸々としていて、葉の大きさと比べて大きすぎるように思えます。しかしヒヤシンスは甘い香りがするので、以前この塊を甘いものと解釈したことと矛盾は起きません。ハルモニアはこの蕾の塊を手で押さえつけているとします。出所の分からない植物の実よりも、そこに生えている甘い花の蕾のほうが合理的な解釈になるでしょう。下の写真は以前育てたヒヤシンスの蕾の写真です。

hyacinthbud

今度は主動詞fundeを考えてみます。これは二人称単数命令です。主な意味は「注ぐ、ぬらす、(言葉を)口に出す」で、すぐ近くにex oreがあることから、しゃべっているか、口から何かを出していると解釈できます。絵の中で口を開いているのは、マルス、真ん中のサテュロス、そしてハルモニアです。この後の語句でハルモニアのことを記述しているので、おそらくこれもそうでしょう。ハルモニアは口を開き、舌を見せ、何かしゃべっているような様子です。

ただこの主文の中で本来の目的語になっているsuaveis loquelasは、そのまま「言葉」の意味では描写として使えません。他の表現を考えてみます。loquelaのイタリア語の意味にlinguaggio「言葉」があり、これはラテン語のlingua「舌、言葉」に由来する言葉です。イタリア語にも同じ綴りのlingua「舌、言葉」があります。このlinguaの「舌」の意味を使うと、これで絵として描けるようになるでしょう。ハルモニアは舌を見せています。この単語でこの様子を表せそうに思えます。しかし、そう簡単にはいきません。このloquelasは対格複数としてしか解釈できないので、舌は複数必要です。真ん中のサテュロスも口を開けて舌を見せているので、この舌を含めた表現なのかもしれません。しかしこれだと動詞fundoが単数であることと矛盾が生じてしまいます。ではこれは舌ではなく、舌のような物を表していて、ハルモニアのそばに複数の物が描かれているのかもしれません。探してみると、彼女のすぐ近くに複数の舌の形をしたものが描かれていました。ハルモニアの下にある植物です。名前は分かりませんが、四方に四枚の舌状の葉が広がっています。これが二株描かれています。この植物があればハルモニアの舌を使って文章を考える必要もありません。この植物にふさわしい形容詞suaveisの意味は「柔らかい」でしょう。この植物が特定され、甘いものだとはっきりすれば、「甘い」という意味もあり得ます。それでは動詞fundoの意味です。ハルモニアの顔をよく見てみると、左頬によだれが流れているような描写があります。そして舌状の植物の右側のものには、四枚の葉の間に白い何かがあります。これはハルモニアのよだれを表しているように見えます。まとめると、tu diva suaveis ex ore loquelas fundeは「女神よ!あなたは柔らかな舌状のものたちを口から濡らしたまえ!」と解釈できます。実際この絵にそう解釈できるように描かれていますが、そういう意味になるように落書きをして手を加えたというストーリーなのでしょう。ハルモニアの口の周りをよく見るとよだれが描かれているのも分かります。これも後から書き足した落書きのように見えます。

os

 

tongues

次は、hunc recubantem tuo corpore sancto circumfusa superの意味を考えます。circumfusa superという記述がそのまま使えそうです。ハルモニアは左手で蕾の塊(もしくは果物)を上から自分の方へ抱え込んでいます。suaveisはさっきの解釈で既に使ったので、superは前置詞ではなく副詞として使います。

hyacinthharmonia

ところが、circumfusaという言葉を踏まえて、この絵をよく見るとさらに重要なことに気付きます。他のサテュロスも上から抱え込んでいます。左端のクピドと真ん中のサテュロスは槍を上から抱え込んでいます。右端のサテュロスも法螺貝をやはり上から抱え込んでいます。circumfusaは複数と解釈することもできるので、この語句で子どもたち全員の仕草を表していると考えても文法的に問題ありません。ただそうすると主動詞が示す単数主語との関係が切れてしまうので、文全体の構造を変える必要が出てきます。

circumfusa1

circumfusa2

circumfusa3

このアイデアに合わせて今度はtuo corpose sanctoの意味を考えます。本来これは与格ですが、場所を表す奪格と考えて、抱きかかえている仕草をしている子どもたちのいる場所を示していると考えます。そうすると、神聖な体はウェヌスではなくマルスと考えた方がいいでしょう。なぜならハルモニアが含まれているからです。したがって、tuo corpose sanctoは「神聖なあなた(マルス)の体のそばに」となります。残りはhunc recubantemです。本来は横になって膝枕をしてもらっているマルスを表現していますが、今回は子どもたちがそれぞれ抱え込んでいるものになります。つまり、左端のクピドと真ん中のサテュロスにとっては槍です。右端のサテュロスにとっては法螺貝です。そしてハルモニアにとっては蕾の塊(もしくは果物)です。これらの物に共通する性質は、recubantemまさに横になっていることです。circumfusa superを中性主格複数の名詞として主語とします。動詞はsum「いる」が省略されているとします。まとめると「あなた(マルス)の神聖な体のところでそこにある横になっている物を上から抱きしめている者たちがいる。」となります。

ところが、ここまで解釈してみると、さらに hunc tuo recubantem corpore sancto circumfusa super という語句で表現できるものがあることに気付きます。それはマルスの左腕の描写です。

circumfusa4

何度も指摘しているようにマルスの左腕は、突き棒と、絵の角とで矩形を作って、寝そべっているハルモニアを囲んでいます。動詞circumfundoの意味の一つ、accerchiare「取り囲む」を使えば、この描写を説明できます。確かにハルモニアは横になっていて、マルスの腕は上からハルモニアの体を囲んでいます。tuo corpore sanctoは随伴の奪格と考えて、自分の腕とともにハルモニアを囲んでいる様を表していると考えるわけです。腕とともにハルモニアを囲んでいるのは、突き棒ですが、これだけでは閉じません。絵の下の端まで届いていません。文法的に囲んでいる物が複数である必要があるので、この連結は必然となります。したがって「あなた(マルス)の聖なる体とともにこの横になっている者(ハルモニア)を囲んでいる物(突き棒と白い布)がある。」という解釈になります。

こうなると、次々に分かってきます。動詞circumfundoにはcingere「巻き付ける、まとう、身につける」という意味もあります。この絵の中で服を着ているのは横になっている者たちです。腰に布を掛けているマルスも例外ではありません。circumfusaは彼らが身につけている物を表すと考えます。服ですから体の上にあります。そしてウェヌス、ハルモニア、マルスはそれぞれ単数対格のhunc recubantemで表されるとします。複数の身につける物がありますが、それぞれは一人しか覆っていないからだと考えます。tuo corpore sanctoは場所を表す奪格として、マルスの体を表します。ウェヌスの服はマルスの足に接しています。ハルモニアの服も袖のところでマルスの指と接しています。そしてマルスの腰の布は当然マルスに触れています。この場合もsum「ある」が省略されているとします。したがって彼らの身につけている物を表す記述は「あなた(マルス)の聖なる体のそばにこの横たわっている者(ウェヌス/ハルモニア/マルス)を覆っている複数の物がある。」と解釈できます。横になっている者たちが体に何かをまとっている理由がこの記述にあるというわけです。

circumfusa5

circumfusa4

circumfusa6

途中に節ではなく、文があることにしたので、tu diva suaveis ex ore loquelas fundeは、tu divaとsuaveis ex ore loquelas fundeは分断されます。後半は主語の代名詞は省略していると考えれば、そのまま使えます。問題は前半のtu divaです。tuoは呼格と考えます。直後にマルスの体を示すtuo corposeがあるので、tuoはマルスを示していると考えます。次にdivaは、あとからハルモニアへの命令文が出てくるので、ハルモニアとし、さらにこれを奪格と考えます。したがって、tu divaは「女神(ハルモニア)のそばにいるあなた(マルス)よ!」とします。

解釈が残っているのは、最後の分詞句にあるpetensとinclutaです。本来の解釈では、petensは「追い求めながら」という副詞節の一部になっていますが、残りの目的語などを別の意味に使っているので、これも別の使い方をしなくてはいけません。一方のinclutaですが、「有名な」という意味では絵になりません。他の意味を考えます。inclutusのイタリア語での意味は形容詞illustreです。この語の古語表現は現代のchiaro「明るい、輝く」、luminoso「明るい、光を発する」という意味と同じになります。この絵が描かれたルネサンス期ではこの表現は古語ではなかったでしょう。この語はラテン語の動詞illustro「明るくする」に由来しています。そこでpetensとinclutaを組み合わせます。inclutaを中性対格複数と考えれば、petensの目的語にすることができます。そうすると「複数の輝く物を追い求めながら」となります。これはハルモニアの視線のことを表していると考えます。ハルモニアのおでこの角は二つとも輝いています。これがinclutaです。そしてこれを見上げる視線によって、彼女がそれを追い求めていることを表しています。先日解釈したときは角を単数形にするために、片方の角を線で消している描写があると指摘しましたが、それがよく見ないと分からなかったのは、他の場面ではここのように複数として解釈可能でなくてはならなかったからだと考えます。

最後に、この文の最初で、placidam pacem Romanisをひとまとまりに解釈していましたが、petens inclutaの解釈が分かると、Romanisをこれに含めた方がいいでしょう。そして残ったplacidam pacemは対格なので、感嘆の対格と解釈して、「穏やかなハルモニアよ!」とします。

この文全体をまとめるとこうなります。

女神(ハルモニア)のところにいるあなた(マルス)よ!あなた(マルス)の神聖な体のそばに横になった物(槍/法螺貝/蕾の塊)を上からか抱え込んでいる者たち(子どもたち)がいる/あなた(マルス)の聖なる体とともにこの横になっている者(ハルモニア)を囲んでいる物(突き棒と白い布)がある/あなた(マルス)の聖なる体のそばにこの横たわっている者(ウェヌス/ハルモニア/マルス)を覆っている複数の物がある。穏やかなハルモニアよ!あなたは、複数の輝く物を追い求めながら、柔らかな舌状の者たちを口から濡らしたまえ!

You(Mars) near goddess(Harmonia)! The persons(children) who is holding the lying object(spear/conch/buds) from above are near your(Mars) sacred body/The objects(stick&loincloth) which is surrounding the lying person(Harmonia) from above are with your(Mars) sacred body/The objects(cloths) which is covering the lying person(Venus/Harmonia/Mars) from above are near your(Mars) sacred body. Desiring the bright objects(horns of Harmonia), calm Harmonia!, Moisten  the soft tongue-like objects(four-leaf plants) from mouth!


nam neque nos agere hoc patriai tempore iniquo possumus aequo animo

namは接続詞で意味は「というのも、なぜなら、もちろん、確かに、一方、たとえば」。neque(nec)は、副詞「ではない」、接続詞「そして〜ではない」、もしくは接尾辞queの付いたne。neは動詞neo「紡ぐ、織る」は命令法二人称単数、もしくは副詞「しない、でない」、もしくは接続詞「〜しないように、〜するといけないから」、間投詞「本当に、実に、確かに」。nosは代名詞nos「わたしたち」の主格/呼格/対格男性/女性複数。agereは動詞ago「進める・・・」の不定法現在、命令法受動態二人称単数、受動態未来二人称単数、もしくは動詞agero「取り除く」の命令法二人称単数。hocは代名詞hic「これ」の主格/奪格/対格中性単数、奪格男性単数。patriai女性名詞patria「祖国」の属格/与格単数。temporeは中性名詞tempus「時間、時期」の奪格単数、もしくは中性名詞tempus「こめかみ、側頭部」の奪格単数。inquoは形容詞iniquus「平らではない、不満な」の与格/奪格男性/中性単数。possumusは動詞possum「できる」の一人称複数現在。aequoは形容詞aequus「平らな、水平な」の与格/奪格男性/中性単数、もしくは中性名詞aequum「平地、平等、正当」の与格/奪格単数、もしくは動詞aequo「平らにする、まっすぐにする、等しくする」の一人称単数現在。animoは男性名詞animus「精神、心」の与格奪格単数、もしくは動詞animo「生命を与える」の一人称単数現在。

動詞はpossumusで一人称複数現在で主語は一人称複数のnosです。hocとiniquoは奪格中性単数としてtemporeを修飾します。またpatriaiは属格単数としてtemporeを修飾します。aequoは奪格男性単数としてanimoを修飾します。hoc iniquo tempore patriaiは時期を表す奪格として「祖国の不安定なこの時期」となります。この本が書かれた時期は、岩波文庫の注釈には第一期三頭政治直前と書いてあります。ローマの歴史に明るくはありませんが、政情不安だったのでしょう。aequo animoも奪格ですが、これは手段を表し「平穏な心で」とします。問題は動詞agoの意味です。この語にはたくさんの意味が含まれますが、ここでは「行動する」としておきます。文の内容から考えて最初にあるnamは「なぜならば」とします。前の文をまとめると、「なぜならば、私たちは祖国の不安定なこの時期に平穏な心で行動できない。」となります。主語は私たちと複数ですが、ルクレティウス本人に限れば、平穏な心で行動することとは、この詩を書くことを指しているのでしょう。

絵に合わせた解釈を考えます。これはとても抽象的な記述なので、絵として描くのはとても大変だったでしょう。まず目に付くのがtemporeです。これは以前も出てきましたが、「こめかみ、頭」と同じ綴りです。これがiniquo「平らではない」というのですから、この絵の中で頭が平らではない人物を探してみます。すると、マルスの額だけがでこぼこしている描写であることに気付きます。これでこの記述全体がこの付近を表したものである可能性が出てきました。こうなるとpatriaiが表すものも限定されてきます。本来は「祖国」ですが、「起源となる場所」と考えるとマルスの頭のすぐ右に描かれている「蜂の巣」を表すと考えられます。この中から彼らは生れてくるわけですから。

次にaequo animoの意味です。aequoには「水平な」という意味があります。額のそばで水平と言えば、マルスの額と蜂の巣の間にある絵に付いた傷のような奇妙な直線が目にとまります。この存在には以前から気付いていましたが、保存中に絵が傷んでついたものだと思っていました。しかしこの記述があれば、この線も故意に描いたものになるでしょう。animusの意味を調べていくと、イタリア語で「inclinazione」という意味があります。この語には「傾斜」という意味があります。したがってaequo animoで「水平な傾斜」になります。またhoc tempore iniquoを奪格、patriaiを与格とすると、この直線の起点と終点を表していると考えることができます。あとは、これらの語をうまくまとめる動詞の意味を考えれば良さそうです。そこで蜂の巣の中を見ると、線の先端が一匹の蜂の体で終わっています。このことからagoは他動詞として、いままで奪格としてきたhocを単独の対格とし、この一匹の蜂を表すと考えます。そしてこの線がこの蜂のたどった軌道だとすると、動詞agoの意味として「導く」が使えそうです。

aequoanimo

この文は本来否定文ですが、線が実際引かれているので否定文ではないようです。そのためnequeを副詞ne「一方」に接尾辞queが付いたものと考えます。主語のnosは、今まで通りこの絵に手を加えているミンメウス主義者の人物です。この言葉からすると落書きをしているのは一人ではないようです。この文は現在形ですが、蜂はたどり着いた後なので、蜂がたどり着いて可能性が確認された後の絵という解釈にします。まとめるとこうなります。

そして一方で本当に私たちはそれ(蜂)を平らではない額から起源となる場所に水平な傾斜のものによって導くことができる。

and on the other hand truly we can lead it(bee) from the bumpy forehead to the origin by using the horizontal degree.


nec Memmi clara propago talibus in rebus communi deesse saluti.

nec(neque)は、副詞「ではない」、接続詞「そして〜ではない」。Memmiは男性名詞Memmiusの呼格/属格単数。claraは形容詞clarus「はっきりした、明るい、傑出した、悪名高い」の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数、もしくは動詞claro「明るくする、明瞭にする、著名にする」の命令法二人称単数現在。propagoは女性名詞propago「取り木、挿し枝、子孫、世代」の主格/呼格単数、もしくは動詞propago「増殖させる、存続する」の一人称単数現在。talibusは形容詞talis「このような」の与格/奪格複数。inは前置詞「(対格)へ、の中へ」か「(奪格)の中に、において」。rebusは女性名詞res「物、物事・・・」の与格奪格複数。communiは中性名詞commune「共有財産、共同体、国家」の与格/奪格単数、もしくは形容詞communis「共有の、共通の、愛想のよい」の与格/奪格/処格単数、もしくは動詞communio「砦で固める、強固にする」の命令法二人称単数。deesseは動詞desum「不在である、欠けている、助力しない」の不定法現在。salutiは女性名詞salus「健康、無事、安全、挨拶、健康と安寧の神Salus」の処格/与格単数。

この文は前の文と対になっています。主動詞がなく、代わりに不定詞がありますが、これは前の文と同じようにpossumがあってそれが省略されていると考えます。Memmiは以前も出てきたルクレティウスの援助者のメンミウスのことです。Memmiは属格男性単数でpropagoを修飾しています。そして形容詞claraは主格女性単数で、名詞propagoを修飾しています。形容詞talibusは奪格女性複数で女性名詞rebusを修飾しています。前置詞inは奪格支配で、このtalibus rebusを目的語にしています。形容詞communiは与格女性単数として、女性名詞salutiを修飾しています。そしてそれぞれ次の意味のまとまりとなります。memmi clara propagoは主格で、「メンミウス家の有能な後継者が」となります。in talibus rebusは奪格支配です。resの意味がいろいろ考えられますが、「状況」という意味もあるので、「このような状況において」とします。政情不安な状況を指しているのでしょう。communi salutiは与格で、目的を表すとして「国家の安全のために」とします。deesseは「助力しない」として、それをnecで否定します。まとめると「メンミウス家の有能な後継者でもこのような状況においては国家の安全のために助力しないことはできない。」となります。国家の安全のために助力するということは、今まで二度もこの詩の中で兵役について触れてきたわけですから、戦場に赴くということになると思います。このメンミウス家の後継者というのが、ルクレティウスの支援者本人のことか、それともその子どものことかは分かりません。前の文と合わせて、これがウェヌスからマルスにこの国を平和にしてくださいと頼んでもらっている理由になります。

絵に合わせた解釈です。salusは安全、健康、挨拶を意味しますが、語頭を大文字で書くと健康の神の名前にもなります。彼女はギリシャ神話のアスクレピオスの娘ヒュギエイアに対応します。Wikipediaでこの説明を読むととても興味深い記述があります(Wikipedia ヒュギエイアから引用)

アスクレーピオス信仰が広がるにつれてヒュギエイアに対する信仰も強くなり、女性神格であったことも影響して後には女性の健康を守る神、特にいわゆる婦人病に関しては大きな権能を持つとされ、当時の女性の間に彼女の絵姿や小さな彫像を髪飾りにすることなどが流行した。

ここにヒュギエイアの髪飾りのことが書かれています。つまりSalusの髪飾りです。まさにこれは以前指摘したウェヌスの左肩の上の髪の中にいる人影です。彼女は幸福の女神Salusだったわけです。この部分は彼女を使って解釈していきます。communioには「愛想のいい」という意味があるので、communioとSalutiは本来の解釈と同じように結びつけられます。そしてこれを処格とすると「愛想のよいサルースのところに」となります。したがって、この文はウェヌスの周りを表していると考えられます。

salus

この文の主語は本来の解釈と同じように、memmi clara propagoとします。ウェヌスの髪のそばにあるこの言葉から連想される物をいろいろ考えてみると、claraと呼べるものが見つかります。それはウェヌスの胸に飾られているおそらく水晶で作られた宝石です。一つの大きな玉の周りを小さな八つの玉が平面上に取り囲んでいます。この九つの玉には、白いハイライトが描かれ輝いている描写になっています。形容詞claraの一つの意味に「輝く」とあり、この描写と重なります。そしてこのハイライトをよく見ると人が写っているように見えます。これがmemmi propago「メンミウスの後継者」になるのではないでしょうか。つまり、これは密やかな犯行声明として意図的に、メンミウス主義者である落書きの首謀者とその協力者を自ら描き込んでいるということなのかもしれません。もしくは、ここにあるのは本来壁画ではないかと以前指摘しましたが、壁画であればこれは本物の宝石が埋め込まれたものと考えることもできます。それに落書きをしているメンミウス主義者である「私」がこの宝石の表面に映り込んでしまっているというわけです。例えば夜に明かりを持ってこの絵の場所に忍び込んで落書きをしているという設定が考えられます。この主語は単数ですが、ハイライトは複数あります。この矛盾の解決のためには、一人の人物が同時にそれぞれの表面に映り込んでいるか、または周りの玉に映り込んでいるのはメンミウス主義者ではなかったとか、考えればいいでしょう。とにかく、主語は「メンミウスの輝いている後継者が」となります。大きい宝石の中には胸のあたりに光を抱いた人物が描かれているように見えます。

memmiclarapropago

talibus in rebusも本来の解釈と同じ組み合わせです。resにはいくつもの意味がありますが、ここでは「作品」や「品物」という意味で考えて、このウェヌスの宝石を表しているとします。inという前置詞を表すために、宝石の中に人物が描かれていると考えるわけです。talis「このような」という言葉は日本語と同じように、文脈によって素晴らしいものを表すときにも、ひどいものを表すときにも使われますが、ここでは宝石を表すので、「これほど素晴らしい」と訳します。これをまとめると「これほど素晴らしい品物の中に」となります。

残るは動詞desseです。これは「不在である」と訳して、それをnecで否定して、結局存在することを表します。この文にも省略されているpossumがあるものとします。したがって、「不在であることができない。」となります。犯行声明であるならば、それこそ自己主張せずにはいられないということでしょう。もしくは鏡面になっているものの前で落書きをすれば、映り込みは必至だということでしょう。この文全体をまとめると、こうなります。

輝いているメンミウスの後継者が愛想のよいサルースのところのこれほど素晴らしい品物の中に存在しないことはできない。

bright successor of Memmius cannot be absent in the excellent thing near sociable Salus.


さて、これでルクレティウスの『物の本質について』の冒頭43行とボッティチェリの《ヴィーナスとマルス》の描写とを対応させることができました。まだいくつか根拠のほしい描写がありますが、それが今回の解釈の間違いによるものか、他の典拠となる文章があるためなのかはまだ分かりません。いくつかまだ誤訳も残っているでしょう。以前はマルスの腰布の端にあるキク科の植物の存在も示していましたが、今回はその解釈を使いませんでした。しかしやはりこの植物を表す記述は必要だと思います。

簡単にまとめます。この文章を絵として表現するためには、ちょっと複雑な設定が必要です。もともとこの絵はアナクレオンティアの古典ギリシャ語で書かれた蜂とクピドの詩を元に描かれています。それもわざと言葉遊びをした解釈になっています。本来その詩にはクピドと蜂とウェヌスしか出てこないのですが、この詩を絵として描くためにマルスと、マルスとウェヌスとの間の三人の子どもたちも加えられています。この詩には指を怪我したクピドが出てくるのですが、それがずれた解釈によってウェヌスの指の傷に変換されています。他にも、クピドはバラの中で休んでいるのですが、それはバラ色の敷布の上で寝ているマルスになっていたりしています。《ヴィーナスとマルス》の絵の世界には、このような解釈をずらして描かれた絵がまず存在しています。その絵に対してメンミウスの後継者が落書きをしながら、元の絵についての彼の解釈や、絵に対してとった自分の行動、書き換えたあとの絵の描写などを語っています。その語っている内容が、このルクレティウスの『物の本質のついて』の冒頭にあるウェヌスを讃えている部分を言葉遊びをしてできる解釈です。このミンメウスの後継者の話の内容はすべて絵として表現可能なものなので、それによって表されているものは修正された絵の内容となります。そして同時にその絵は当然私たちが見ている《ヴィーナスとマルス》というわけです。《ヴィーナスとマルス》という絵が表わしている意味はルクレティウスの詩とはまるっきり違いますが、その内容をラテン語で表せば、ルクレティウスの詩そのものとなります。

上記の古典ギリシャ語の詩とラテン語の詩は以下の詩のことです。この二つの詩がこの絵の典拠と言えます。

Ἔρως ποτ΄ ἐν ῥόδοισι
κοιμωμένην μέλισσαν
οὐκ εἶδεν, ἀλλ ΄ ἐτρώθη
τὸν δάκτυλον. Πατάξας
τὰς χεῖρας, ὠλόλυξε·
δραμὼν δὲ καὶ πετασθεὶς
πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρην,
ὄλωλα, μῆτερ, εἶπεν,
ὄλωλα,κἀποθνήσκω.
Ὄφις μ΄ ἔτυψε μικρὸς,
πτερωτὸς, ὃν καλοῦσι
μέλισσαν οἱ γεωργοί.
Ἡ δ΄ εἶπεν · εἰ τὸ κέντρον
πονεῖ τὸ τῆς μελίσσης,
πόσον δοκεῖς πονοῦσιν,
Ἔρως, ὅσους σὺ βάλλεις;

 

AEneadum genitrix hominum divumque voluptas
Alma Venus: caeli subter labentia signa
Quae mare navigerum: quae terras frugiferenteis
Concelebras: per te quoniam genus omne animantum
Concipitur. visitque exortum lumina solis.
Te dea te fugiunt venti: te nubila caeli:
Adventumque tuum: tibi suaves daedala tellus
Submittit flores: tibi rident aequora ponti:
Placatumque nitet diffuso lumine caelum.
Nam simul ac species patefactast verna diei
Et reserata viget genitabilis aura favoni
Aeriae primum volucres te diva: tuumque
Significant initum perculsae corda tua vi.
Inde ferae pecudes persultant pabula laeta:
Et rapidos tranant amneis: ita capta lepore
Te sequitur cupide: quo quanque inducere pergis.
Denique per maria: ac monteis: fluviosque rapaces :
Frondiferasque domos avium: camposque vireteis
Omnibus incutiens blandum per pectora amorem    
Efficis: ut cupide generatim secla propagent.
Quae quoniam rerum naturam sola gubernas:
Nec sine te quicquam dias in luminis oras
Exoritur: neque fit laetum: neque amabile quicquam:
Te sociam studeo scribendis versibus esse:
Quos ego de rerum natura pangere conor
Memmiadae nostro: quem tu dea tempore in omni
Omnibus ornatum voluisti excellere rebus.
Quo magis aeternum da dictis diva leporem:
Effice ut interea fera munera militiai
Per maria: ac terras omneis sopita quiescant.
Nam tu sola potes tranquilla pace iuvare
Mortales : quoniam belli fera munera Mavors
Armipotens regit: in gremium qui saepe tuum se
Reiicit aeterno devictus volnere amoris:
Atque ita suspirans tereti cervice reposta.
Pascit amore avidos inhians in te dea visus:
Eque tuo pendet resupini spiritus ore.
Hunc tu diva tuo recubantem corpore sancto
Circunfusa super suaveis ex ore loquelas
Funde petens placidam Romanis incluta pacem.
Nam neque nos agere hoc patriai tempore iniquo
Possumus aequo animo: nec Memmi clara propago
Talibus in rebus communi deesse saluti.



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posted by takayan at 03:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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