2009年01月23日

「プリマヴェーラ」について

ボッティチェリの「プリマヴェーラ」に興味をもったので、ちょっと調べてみた。
去年書いたハートマークについての考察記事に、目隠しをしたキューピッドのことを書いたのだけど、そのとき、有名な例としてボッティチェリの「プリマヴェーラ」の中央上のキューピッドを挙げていた。そのときはこの絵の詳しい理解はなかったのだけど、先日、石山さんからコメントをいただいて、改めて考えてみるととても興味深い絵であることを再確認してしまった。そしていろいろ調べてみた。

とりあえず、日本語Wikipedia「プリマヴェーラ」英語Wikipedia「Primavera (painting)」を読んでみて、ちょっと疑問もあったので、そこで知った参考文献も読んでみた。いろいろ考えてみたことをちょっと書いてみる。

「プリマヴェーラ」の画像:
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a4/Sandro_Botticelli_038.jpg/800px-Sandro_Botticelli_038.jpg


まず、誰が描かれているかの説明。本来は画面の右側から説明すべきなのだろうけど、左から。

この絵の左端には、赤い布を右肩から左の腰にまとっている若者がいる。頭上に掲げた右手で、二匹の蛇の絡まった杖を持っている。左手は腰に当てて傾けた体を支えている。特徴的なとがったヘルメットをかぶっている。足元を見ると、踵に翼がはえた革製の靴を履いている。この杖と、この靴で、彼がマーキュリーだということが分かる。はっきりとした記号が描かれているので分かりやすい。彼は杖を使って、この庭園に入り込んでこようとしている雲を追い払おうとしている。隣の美しい女性達には目もくれず、彼はその杖の先を見つめている。

マーキュリーの右側では、三人の女性が手をつないで踊っている。彼女たちは三美神。僕たちに背中を向けている女性の視線の先には、マーキュリーがいる。また三人のなかで右側にいる女性もやはりマーキュリーを見つめているように見える。左側にいる女性はマーキュリーに背中を向ける位置にあるので、マーキュリーを直接見ることができないのだけど、マーキュリーの一番近くにいることを意識しているかのように見える。彼女の服にはマーキュリーの刀の鞘にあたっている。絵が重なっているというのは十分意図的なものだと思う。彼女たちはスケスケの服で身を包んで、美しい肉体を垣間見せてくれる。

その彼女たちに画面中央の上の方から狙いを付けているのが、目隠しをした有翼のキューピッド。この絵のキューピッドは幼児の体をしている。定規を当てて彼が狙っているのが三人の誰かを調べてみると、どうやら真ん中の女性である。この瞬間を描くのだから、きっとこの女性で決まりだろう。キューピッドは目隠しをして、さらに彼女たちはぐるぐると踊り続けているのだから、彼女に決まることは本当に偶然なのだろう。偶然であるということは、天に定められた運命でもあるのだろう。

さて、キューピッドの下には、一人の女性がいる。画面の中央でまるでこの絵の主役のように。彼女の後ろの茂みの様子も、緑の色はしているけれど、後光が差しているかのように描かれている。この女性はその他の登場人物よりも、数歩下がった位置に描かれ、皆を優しく見守っているように見える。彼女は愛と美の女神ヴィーナスだと言われている。頭上にいる息子のキューピッドがそれを示しているのだろう。彼女は透けていない白い服をきて、その上から、暗い裏地の赤い布を、右肩から左の腰にかけている。右手は三美神の方にかざして、マーキュリーと三美神の居る画面の左側に意識を向けている。左手は左の腰に当て、赤い布を支えている。このポーズはマーキュリーの姿ととても似ている。赤い布を身につけているという点でも、二人だけの共通点だ。足元を見てみると、彼女は紐状のサンダルを履いている。履き物を履いていると言う点でも、やはり二人だけ共通している。それも左足のつま先をまっすぐに向け、右の足を右に向けているという点でも。空を飛んでいるものは別として、他の登場人物にはすべて足に躍動的な動きがあるが、この二人は似たポーズで立ち止まっている。これらの類似性は十分に意味のあることのように思う。もしかすると彼女はマーキュリーの母、豊穣の神マイアではないだろうか。

中央の女性の隣には、花柄の服を来た女性がいる。すぐに彼女は花の女神フローラだと分かる。彼女の服は草花の絵がちりばめられ、頭には花の飾り、そして花の首飾りもしている。彼女は左手で服を腰の辺りでたぐりあげ、そこにたくさんの花々を抱えている。そして右手でその花々をつかんでいる。今にもその手で花々を地面に撒こうとしている。フローラの後ろを見ると、花々が群れて咲いている。この庭園の足下には至る所に、花々が咲いているのだけれど、フローラの後ろだけ特別である。今現在フローラは歩いている姿で描かれているが、どうやら花を撒きながらずっと歩いてきているようだ。

フローラの画面右隣には、一人の女性がいる。フローラに寄りかかるように描かれているが、フローラの服には触れられている描写はない。触れてはいないのに、ここまで重ねて描かれるというのはとても意味ありげだ。彼女の口を見ると、何か草をくわえているように見える。よく見てみると、彼女の右頬の方へ次々に花が落ちている。彼女は口から花々を吐いている。その落ちていく花は、フローラの服の模様となり、そして彼女が服をたくし上げ抱えている花々の山となっている。フローラの花の源が、この女性の口からこぼれる花だというのは、これ以上にないこの女性の説明だろう。つまり彼女は、ローマの花の神フローラの元になったギリシャ神話のニンフ・クロリスだ。

そして最後、クロリスの画面右にいて、彼女を抱えているのは西風の神ゼピュロス。すぐにも強い息を吹き出しそうな、ふくれっ面をしているので、すぐに分かる。風の神は四兄弟なのだけど、これは春の場面だから、神話の世界で春の前触れであるゼピュロスとなる。実はゼピュロスはフローラの夫である。そしてギリシャ神話のニンフだったクロリスを誘拐してローマ神話に連れてきたというエピソードを持っている。このゼピュロスは青白い身体をしている。翼を持ち空に浮かんで、クロリスを抱えている。クロリスを連れ去ろうとしているのか、降ろそうとしているのか判断に困るが、庭園に降ろすことで、彼女がニンフから花の女神になることを示していると見るべきだろう。今のゼピュロスの表情が、暴力的なものか反省しているものか、どちらに感じられるかということだろう。


次回はオウィディウスの『祭暦』について


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posted by takayan at 04:46 | Comment(3) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 旅行好きのためのブログ at 2009年01月23日 15:24
祭暦というのはラテン語で書かれていると思いますが、ルネサンス頃にやっとラテン語からの翻訳も始まって、知られてきたと言うことなのでしようか。
ギリシャ語からの翻訳が始まったことが主要な点と思っていたのですが。ラテン語、ギリシャ語、イタリア語、アラビア語、ボッティチェリはどの辺まで分かったのでしょうか。
Posted by 石山みずか at 2009年03月05日 10:36
石山みずかさん、お久しぶりです。
さて、ヴァザーリが1550年に書いた「画家列伝」というのがボッティチェリについて知る一つの資料になっているのですが、これによるとボッティチェリは友人と対立したとき、ダンテの『神曲』(イタリア語)が読めないと裁判官の前で批判されたことがあると書いてあります。批判なので大げさなことを言われているのかもしれませんが。
まあ、彼本人が語学堪能ではなくても、絵を描くための代金はそれなりにあったでしょうから、本を読んでくれる人を雇えばすむことでしょう。
同じ時代にはポリツィアーノというギリシア語とラテン語に堪能な人が、その知識を元にイタリア語で『馬上槍試合』のような詩を書いているわけですから、仮にボッティチェリ本人が字を読めなくても、イタリア語を耳で聞いて、ギリシア神話やローマ神話の美しい場景を思い描くことができたでしょう。プラトン・アカデミーの人文主義者たちが、どんな古典を読み、どんなイタリア語の作品を書いたか、僕も詳しく知りたいところです。
Posted by takayan at 2009年03月05日 18:10
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