2015年02月05日

《春》 描写に関係する文章

この絵を見て分かることから、この絵と関係のありそうな古典を探してみます。

 

画面に向かって左側の一番端には、一人の上を見上げた男性が描かれています。布か皮の茶色の、踵のあたりから翼の生えた二重の折り返しのある靴を履いています。形はサンダルではなくしっかりと足の甲や足首を包んでいますが、つま先の方はサンダルのように親指と人差し指の間にひもが通っていて、足の指がすべて出て、地面に指が着いているようです。左足が正面の鑑賞者の方を向き、左足の先は斜めに開いています。

左手は腰に当て、右手は頭上へと伸ばしています。その右手で二匹の竜のようなものが巻き付いている杖をまっすぐ上へと差し伸ばし、霞のようなものを触れています。頭には金属製の二重のつばのある兜をかぶっています。つばや装飾は金色をしていますが、丸い部分は紺色のように見えます。

その兜の下には、くるくると巻いた茶色がかった豊かな髪があふれ出しています。顔は右横を向き、目は杖の先を見上げています。口は、口笛を吹いているのかしゃべっているのか分かりませんが、薄く開いています。服装ですが、大きな赤い一枚の布の中程を右肩にかけています。帯をしているわけではなく、左腰にある左手で押さえて止めているように見えます。

左手の下に何か留め具があるのかもしれませんが、左手を腰から外したら、そのまま左半身がはだけてしまいそうです。体にかけている布の淵には、ぎっしりと小豆色の丸い装飾が埋め込まれています。この布の全面には、クラゲの足のような四五本の曲がった金色の線の小さな塊がいくつも描かれています。

この布の上から彼は剣をぶら下げています。刀は鞘に入って、左の太もも上を通って斜め外へと描かれています。黒い鞘には、右肩から伸びる黒い輪が留められています。刀の束は黒みがかって植物的な装飾がされています。鞘の先は柄と似た材質でできていているようで、湾曲し鋭くなりながら伸びています。鞘をぶら下げている紐は黒く、等間隔に丸い立体的な装飾が取り付けられています。

 

この像はおそらくメルクリウス(マーキュリー)でしょう。翼の生えた靴を履いていること、これは竜ですが二匹の蛇が巻き付いた杖を持っていること、そして本来は帽子ですがかぶり物をしていることで、彼がメルクリウスだと判断していいでしょう。ただメルクリウスが刀を持っているという記述は知りませんし、蛇であるはずのものが竜である意味も、帽子ではなく兜である理由も、本来の描写と違います。それでも彼はメルクリウスと言えるでしょう。

そこで、メルクリウスが記述された有名な古典を探すと、古典ギリシャ語で書かれた『ホメロス風讃歌』の『ヘルメス讃歌』が見つかります。これには長いものと、要約した短いものがあります。この両方に興味深い表現があります。ヘルメスの母マイアの特徴として「巻き毛の」、「洞窟に隠れ住む」という修飾がされています。

また長い方には「美しい靴をはいた」という記述があります。これは真ん中にいる一般的にはウェヌス(ヴィーナス)とされている女神の特徴に重なります。彼女はベールをかけているので、あまりよく見えませんが巻き毛のようです。ただ他の女性も巻き毛のように見えるのでこれだけでは断定できません。

しかし女神の後ろにある木々でできた丸いアーチは、確かに「洞窟」を連想させます。そして、彼女の履いている金色の細かな細工がされたサンダルは、はっきりと「美しい靴」といえるでしょう。この絵の中には他に靴を履いている女神はいないので、間違いようがありません。これはただの思い過ごしかもしれませんが、この符合は興味深いものです。

このギリシャ語の文章は詳しく解釈する価値があるでしょう。「美しい靴」の記述は長い方にしかないので、そちらを解釈すべきなのでしょうが、全部で580行もあり、そう簡単にはできません。そうやって以前解釈したのが12行の短い方です。これをも一度解釈し直してみましょう。そのあと長い方の重要そうなところを調べていくことにしましょう。

Ἑρμῆν ἀείδω Κυλλήνιον, Ἀργειφόντην,
Κυλλήνης μεδέοντα καὶ Ἀρκαδίης πολυμήλου,
ἄγγελον ἀθανάτων ἐριούνιον, ὃν τέκε Μαῖα,
Ατλαντος θυγάτηρ, Διὸς ἐν φιλότητι μιγεῖσα,
αἰδοίη: μακάρων δὲ θεῶν ἀλέεινεν ὅμιλον,
ἄντρῳ ναιετάουσα παλισκίῳ: ἔνθα Κρονίων
νύμφῃ ἐυπλοκάμῳ μισγέσκετο νυκτὸς ἀμολγῷ,
εὖτε κατὰ γλυκὺς ὕπνος ἔχοι λευκώλενον Ἥρην:
λάνθανε δ᾽ ἀθανάτους τε θεοὺς θνητούς τ᾽ ἀνθρώπους.
καὶ σὺ μὲν οὕτω χαῖρε, Διὸς καὶ Μαιάδος υἱέ:
σεῦ δ᾽ ἐγὼ ἀρξάμενος μεταβήσομαι ἄλλον ἐς ὕμνον.
χαῖρ᾽. Ἑρμῆ χαριδῶτα, διάκτορε, δῶτορ ἐάων.

 

この次に調べるのは右側です。右端にいるのは、薄く青い肌をした翼の生えた男性です。彼は絵の右端から飛んできて、周囲に生えている木々の間から抜けてきたようです。彼の髪と翼、体をまとう布も肌よりも少し濃い青をしています。彼は左下にいる女性を抱えています。右手で彼女の右肩を、左手で彼女の左脇を捕まえて、軽く持ち上げているように見えます。辛うじて彼女の右足の先は地面に着いているようです。

彼女が着ているのは薄い衣で、透けて中の肌まで見えています。その衣は意外に長く、地面について広がっています。この衣は透明な無地ですが、股から下の部分には黒い草の模様が見えます。これは衣の向こう側が透けて見えているようにも見えますが、所々衣に描かれた模様のようでもあります。下の裾にだけ金色の縁取りがついています。

翼の男と彼に手をそえられている女は見つめ合っています。女の体は前を向いているので左の方に振り返りながら彼を見上げています。彼は頬を膨らまし、彼女の方へと息を吐いています。息の流れが白い筋として描かれています。一方、女の方は男の顔を見上げながら、口から花の咲いた草を次から次へとこぼしています。この草花は男の作った風に飛ばされるようにして、左に流されながら落ちていきます。

草花を口からこぼしている女の左隣には、花柄の服を着た女が描かれています。彼女はもっと後ろの方から歩いてきたかのように、左足を前に右足を後ろに描かれています。顔は進む方向をまっすぐ向いています。彼女の全身は花で満たされています。服だけでなく、髪にはいくつもの花を差し、首には花の首飾りを掛け、胸の下にはいくつもの花の咲いたバラの蔓が巻き付いています。おなかが大きいので妊娠しているのかもしれません。隣の女とは違い、服は透けておらず下の肌は見えません。その白い服には、いくつかの種類の植物が丁寧に一株一株描かれています。腕の部分は、金色の鱗状の模様のある布を結びつけたものが見えています。

おなかの下のあたりで、左手で服をたくし上げ、そこにたくさんの花を載せて抱えています。右手はその花の塊の中に入れていて、花をつかんでそれを撒こうとしているようにも、花がそこから落ちないようにしているようにも見えます。よくみるとこの花の塊の横には草履のような焦げ茶色のものも一緒に抱えています。これがいったい何なのかはよく分かりません。

左肘のあたりから右下の方に、白い帯状のものが流れて花の塊につながっています。この帯状のものは何かよく分かりませんが、葉のような大きな白い装飾が縁にいくつも並んでいます。これは左肘にある装飾と同じ形をしています。左肘から出ているものはすぐに体の後ろに回り込んでいるので、右肘からのもののように長いかどうかは分かりません。

この花柄の女の体の上を、透明な衣を着た女の両手が重ねて描かれています。右手はまっすぐ左下に伸ばされ、花柄の女の左ももの方に届きそうです。左手の肘は直角に曲げられ、右手の上を通って、花柄の女の左肘から二の腕のところに描かれています。両手はともに開いて驚いているような仕草になっています。この花柄の服の上に重ねられた手をよく見ると、服の柄のはずの植物の一部分が手の上にもかかっている奇妙な描写があります。

 

画面の右側には、このように三人像が重なるように描かれています。この重なりにはそれぞれの人物が絵の中の物語でも密接に関わり合っていることを予想させます。頬を膨らまし息を吹いている有翼の男と口から花草を出している女の組み合わせは、オウィディウスの『祭暦』5巻に出てくる花の女神フローラ(クロリス)と西風の神ゼフィロスです。194行は口から春のバラの息を出している女神フローラの記述があります。

dum loquitur, vernas efflat ab ore rosas

この後に書かれているのですが、彼女を誘拐して妻にしたのが、西風ゼフィロスです。風の神は翼とともに描かれるので、絵の中の有翼の青い男がゼフィロスだと分かります。体が青いことがとても奇妙ですが、それがなぜなのか今の段階では分かりません。

この行の後に、フローラ自身が自分は以前ギリシャ語でクロリスと呼ばれていたことを語ります。

Chloris eram quae Flora vocor: corrupta Latino
nominis est nostri littera Graeca sono.

この記述をもってEdgar Windは『Pagan Mysteries in The Renaissance』の中で、透明な服の女神をクロリスが花柄の服の女神フローラに変身したと解釈しました。また高階氏は『ルネッサンスの光と闇』の中で、その変身の解釈を踏襲し、さらにクロリスの指の上に花柄の一部が描かれていることを、この女性も服の向こう側にいるべき存在であることを示すとして、変身を強調する描写と指摘しました。

口から花を出す女神よりも、花柄の服を着た女神をフローラと解釈したい気持ちは分かります。しかし花を口から出しているだけでも、上記にそう記述されているので、彼女自身が既にフローラであることは示されています。また《ヴィーナスの誕生》に描かれている花柄の服の女神はフローラではなくホーラとしか解釈できません。つまり花柄の服を着ているからといって必ずしもフローラではないことを示す一例になります。同じ作者の作品においてこのような例があれば、その可能性も考慮する必要があるでしょう。

この記述を先に進んでいると217行目から次の内容があります。これはフローラの台詞ですから、上の句とちゃんとつながりがあります。

conveniunt pictis incinctae vestibus Horae,
inque leves calathos munera nostra legunt;
protinus accedunt Charites, nectuntque coronas
sertaque caelestes implicitura comas.

ここにあるHoraeは季節女神ホーラたち、Charitesは優雅の女神カリスたち(三美神)のことです。三美神はこの絵の中に確かに描かれています。そして《ヴィーナスの誕生》で花柄の服を着ているのがホーラの可能性があったのですから、この記述によって《春》の花柄の服の女神もホーラであると示せるかもしれません。

このように『祭暦』のフローラが出てくる5月2日の記述がこの絵に関係しているようです。言葉遊びを使って詳しく確かめてみましょう。ただ5月2日の記述は、全部で220行もあります。これを解釈するのは大変です。以前調べたのが、下記の213行から228行までの16行だけでした。これの再検証と、もっと範囲を広げていくのが今回の目的です

saepe ego digestos volui numerare colores,
nec potui: numero copia maior erat.
roscida cum primum foliis excussa pruina est
et variae radiis intepuere comae,
conveniunt pictis incinctae vestibus Horae,
inque leves calathos munera nostra legunt;
protinus accedunt Charites, nectuntque coronas
sertaque caelestes implicitura comas.
prima per immensas sparsi nova semina gentes:
unius tellus ante coloris erat;
prima Therapnaeo feci de sanguine florem,
et manet in folio scripta querella suo.
tu quoque nomen habes cultos, Narcisse, per hortos,
infelix, quod non alter et alter eras.
quid Crocon aut Attin referam Cinyraque creatum,
de quorum per me volnere surgit honor?

 

『祭暦』の記述の中に三美神が出てきたので、きっと三美神の描写は上記の中にあるでしょう。しかしもっと詳しい三美神についての文章を見つけました。それが先日述べたフィチーノの『愛について』の一文です。

Circulus itaque unus et idem a deo in mundum, a mundo in deum, tribus nominibus nuncupatur.
Prout in deo incipit et allicit, pulchritudo;
prout in mundum transiens ipsum rapit, amor;
prout in auctorem remeans ipsi suum opus coniungit, voluptas.
Amor igitur in voluptatem a pulchritudine desinit.

この文章は前述のEdgar Wind の『Pagan Mysteries in The Renaissance』の中で引用されていたものです。ピコ・デラ・ミランドラのメダルに刻まれた三美神の周りにある銘文「PULCHRITUDO AMOR VOLUPTAS」の典拠として示されました。メダルの三美神に対して三つの単語ですから、それぞれがその女神の名前を左から順に表していると考えられます。

しかしWind はそのあとで《春》においては、右から順に、PULCHRITUDO CASTITAS VOLUPTASと断定してしまいました。つまりAMOR(愛) がCASTITAS(貞節) に置き換わっています。これは別の当時作られたジョヴァンナ・トルナブオーニの三美神メダルの銘文「CASTITAS PULCHRITUDO AMOR」と折衷させたものです。Wind のネオ・プラトニズム的解釈では、質素な身なりであることや、右辺のクロリスからフローラへの変身に対応させるために、三美神の真ん中の女神はウブな貞節である必要がありました。

しかし《春》を眺めていると、このピコ・デラ・ミランドラの配列で問題ないように思います。その理由は、三美神の周りにいる神々の存在です。右端の女神は美しい画面中央の女神のそばで彼女に手をかざされ祝福されているのでPULCHRITUDO(美)を表し、真ん中の女神は上空のクピドから首筋を狙われているのでAMOR(愛)を表し、そして左端の女神は男性の体のそばに寄り添っているのでVOLUPTAS(快楽)を表すと解釈できます。

そう考えて、このフィチーノの言葉を見直してみると、この記述がこの絵の中の三美神の描写そのものに見えてきました。この文章の前後も含めて、フィチーノの文章を再び解釈してみます。

 

以上のように、三つの文章がこの絵に関係があると思われます。これらの文章は以前も解釈したのですが、範囲が広げられないか試しながら、解釈を整理してみます。



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posted by takayan at 12:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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