2006年10月06日

秋桜(コスモス)

061006_1722~02.jpg

近くの空き地に咲いてた秋桜。夕方五時過ぎ、風に揺れてた一瞬の姿。
秋桜と書いても、何のためらいもなくコスモスと読んでいる。文字はいつも見てるのに、アキザクラと声に出してしまうと、別な植物の名前を口にしたような、とてつもない違和感。でもできればカタカナよりも漢字で書きたい。不思議な名前だ。


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コスモスの由来
コスモスについて調べてみた。


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2006年10月12日

コスモスの由来

先日秋桜の写真を撮った後、葉月さんのコメントもあって、コスモスの由来を探してみた。だけど日本語のページは出典がよく分からない情報ばかりなので、ネットで深く調べてみた。そしてやっと最終的に、『Icones et descriptiones plantarum 』という書物に行き着いた。
コスモスはメキシコで採取され海を渡り、スペインのマドリッド王立植物園で栽培され、そしてこの文書が作られた1791年に命名されたということが、この文書から分かる。

この文書はバレンシア大学でPDF化されていて、オンラインで閲覧することができる。おそらくOCRを使ってテキスト化もしてあるが、ときどき文字の誤認識が見つかる。
Cavanilles_Icones_1_Media.pdf ... 全六巻の最初の一巻目


(2012.06.11 リンク切れになっていたので、リンクを打ち消し、google books からの引用を追加。画像をクリックすると、google booksで他の部分も読めます。)

『Icones et descriptiones plantarum 』(Madrid, 1791-1801)はコスモスだけを研究した書物ではない。メキシコやフィリピンなどの新スペイン(ヌエバ・エスパニョーラ)から運ばれた多くの植物についての解説と植物画が掲載されている書物である。番号を数えると712の植物と、600の植物画が記載されている。かなりの大著である。ここではコスモスは大量の植物の中のただの二つの植物に過ぎない。

この書物を書いたのは、マドリッド王立植物園の アントニオ・ホセ・カバニエスAntonio Jose Cavanilles(1745-1804)である。書物のタイトルにある『IOSEPHI』はJoseのラテン語つづり。
Antonio José de Cavanilles - Wikipedia(es)
Antonio Jose Cavanilles (1745-1804) - Madri+d (スペイン語) 注意 エンコードをヨーロッパの言語にすること。

以後、スペイン語のページのだいたいの内容を知りたいときは次のページ翻訳をどうぞ。「Spanish to English」で。
Babel Fish Translation - AltaVista

この『マドリッド王立植物園』は現在も続いており、公式サイトもある。
Real Jardin Botanico de Madrid - 公式(スペイン語)
※ このサイト内の『Jardinero Virtual』で、コスモスについての情報があるか調べたが見つけられなかった。10月の植物にあるダリアについては詳しく書いてあるのに。

(参考)スペイン語Wikipediaによるマドリッド王立植物園の解説。左メニューの「Otros idiomas」で短いが英語版も読める。
Real Jardin Botanico de Madrid

『Icones et descriptiones plantarum 』での植物の命名は、植物学者リンネの命名法を踏襲してある。つまりラテン語を使った二名法である。

コスモスについては次のように命名されている。
● コスモス     cosmos bipinnatus
● キバナコスモス  cosmos sulphureus

この『Icones et descriptiones plantarum 』でコスモスが記述されている場所はというと、第一巻のPDF文書で、p.12([10])に『cosmos bipinnatus』(=コスモス)、同様にp.58([56])に『cosmos sulphureus』(=キバナコスモス)の記述がある。はっきりと両者とも生息地はメキシコだとラテン語で書いてある(Habitat in Mexico.)。ただしメキシコという地名の範囲は18世紀末と現在とは違っている可能性がある。またここから植物画の番号が分かり、p.88にtab.14『cosmos bipinnatus』(=コスモス)、p.153にtab.79『cosmos sulphureus』(=キバナコスモス)の絵がある。残念ながら、この画像は濃淡が無い白か黒かの二階調画像である。下記のリンクにあるとても小さいが階調のある画像で見ると、本来はもっと美しい植物画だとわかる。

花葉23号(2004) - 花葉会
※ これは『花葉会』が発行する雑誌『花葉』のPDF版である。この文書のp.26(雑誌『花葉』のページ上ではp.24)。ここに園芸研究家 岩佐吉純氏が連載していた植物関係の古書を解説した『園芸古書の解説U』があり、画像付きで『Icones et descriptiones plantarum』が取り上げられている。


(2012.06.11 google books よりcosmos bipinnatusの画像を引用)


名前の由来を考えてみる。上記のcosmosはラテン語だが、これはギリシャ語κοσμος由来の言葉である。このcosmosという単語には多くの派生した意味があるため、そのうちのどの意味を込めてつけられたのかは、この資料からは特定できない。『秩序』、『調和』、『美』、『世界』、『宇宙』など。

種小名の bipinnatus は『二回羽状の』、sulphureusは『硫黄のような』を意味する。後者のキバナコスモスのsulphureusはすぐに花の色からだと分かるが、bipinnatusはわかりにくい。cosmos bipinnatusのラテン語による解説を読むと、花についてではなく、細い葉の形が二度分岐している形状からの言葉(植物学の用語)だと分かる。キバナコスモスの解説でも『二回羽状』という用語の記述がある。

ふと思ったが、コスモスという言葉は、花の美しさではなく、この細い葉の整然とした姿に着眼して『cosmos=秩序』なのかもしれない。ただ花の解説の部分には、大きく美しい(magni, speciosi)という表現もちゃんと使っているので(つまり著者も美しいと感じていたわけだから)、そこから一般的な解釈である『cosmos=美』を導けなくもない。でもこの葉や枝の付き方説も意外にいいかもしれない。cosmosの原義に近いというのもいい。

(参考)葉の形に関する資料 次のページの8章に『二回羽状』の図が載っている。
植物の形態に関する解説 - 青葉山植物ガイドブック


『Icones et descriptiones plantarum 』には、メキシコから植物の種を送った人物の名前も書いてある。詳しい辞書がなかったのでラテン語の意味を詳しく訳しきれなかったが、単語だけ見ると、二ページ目に下の方に、『新スペイン nova Hispania』、『植物 plantarum』、『種 semina』、『マドリッド王立植物園 Hortus Regius Matritensis』という単語が出てくる。新スペイン側の人物として、Vincentius Cervantes(Vicente Cervantes)、Iosephus Longinos(Jose Longinos Martinez)、Iosepho Antonio Alzate(Jose Antonio Alzate)の三人の名前も書かれている。
※ 2006年10月16日0:30追記「コスモスの由来2」にこの部分の訳を書きました。

このメキシコ側の人物の一人『ビンセンテ・セルバンテス』を調べるには以下のリンク。
このページの中にちゃんと残りの二人の名前も出てくる。上記のラテン語人名の横の括弧の中の名前はここを参考にして書いた。
Vicente Cervantes - Wikipedia(es)

この記事の中に書かれている『Real Expedicion Botanica a la Nueva Espana』という探検はマドリッド王立植物園サイトの次のページにも出てくる。読んでいくと、当時の雰囲気がなんとなく伝わってくる。
Expedicion al Virreinato de Nueva Espana - 王立植物園(スペイン語)


今回は、メキシコからスペインに渡った部分について調べたことをまとめてみた。日本に渡ってきてからについてのまとめは、また後日。
※ 2006年10月16日0:30追記「コスモスの由来2」に書きました。



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2006年10月14日

コスモスの由来2

前回の投稿のときは泣きそうになった。
コスモスの由来』はかなりの自信作だった。このコスモスの花の咲く時期に、その来歴を『Icones et descriptiones plantarum』までさかのぼって、そしてラテン語の単語まで訳して調べるなんて誰もしないだろうから。
しかし投稿しても、更新pingが飛ばなかった。簡単に言うとYahoo!のブログ検索で引っかからないということ。せっかく書き上げたこの記事が日本中の莫大なブログの投稿の中で、求める人の目に触れずに埋もれてしまうことが悲しくなった。だから悔しくなって、投稿を削除してテスト投稿も含めて再投稿を4、5回繰り返した。でもどれも飛ばなかった。以前から更新pingが飛ばないことは何度もあったので、そのときseesaaの事務局に問い合わせてみたが、「ちゃんと飛んでいるので受ける側が制限しているせいではないか」という答えだった。さて、今回はちゃんと飛ぶのだろうか?


前回の続き。コスモスは日本にはまだ行かない。前回訳しきれなかった部分。
昨日は仕事が終わってから、図書館で意味のはっきりしなかったラテン語の文章を訳していた。でもそこでは終わらず。家に帰ってからもやった。たった数行の文章だが、いつのまにか日付が変わってしまった。

原文:
In nova Hispania Vincentius Cervantes et Iosephus Longinos una cum Iosepho Antonio Alzate plantarum indagini continenter vacant, rariorumque semina mittunt ad nos; ut adeo ipsorum diligentiae debeantur plantae praestantiores, quibus Hortus Regius Matritensis ornatur.

和訳:
新スペインにおいて、Vincentius CervantesとIosephus Longinos、そしてIosepho Antonio Alzateは、絶えず植物の採取に時間を費やし、とても貴重なその種を我々に送っている。マドリッド王立植物園を飾っている、とても素晴らしい植物たちは、まさに彼らの勤勉さのたまものである。


ラテン語は独学なので間違っている可能性もある。そのときは、指摘ください。苦労したのが、vacantの意訳と、ut+接続法の用法。


ついでにギリシャ語の単語κóσμοςも調べてきた。
辞書は、『ギリシャ語辞典』 古川晴風編著 大学書林刊

1.秩序、整然としていること、きちんとしていること、折り目正しさ;穏当、適切
2.製作
3.政治、政体
4.飾り、装身具;美しさ;名誉、栄光
5.宇宙;天空、恒星天、天球、星
6.クレタの最高行政官
7.<聖>世界;世間(の人々);この世

近所で咲いているコスモスの姿を見ても花がきれいだとしか思わないのだけれど、『Icones et descriptiones plantarum』の植物画を見ながら、cosmos bipinnatusという言葉を思うと、やっぱりこの第一義を使った前回の解釈にこだわってしまう。


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2006年10月15日

コスモスの由来3

メキシコで採取されたコスモスの種が、スペインのマドリッド王立植物園に渡り栽培され、命名されたところまでは書いた。コスモスの由来コスモスの由来2

今度は日本におけるコスモスのことを調べてみたが、前回のような明確な情報は集められなかった。


■ 日本にやってきた時期
ネット上で調べると、コスモスが日本に入ってきたの時期は、江戸時代後期、明治時代中期らしいと書いてある。内容もはっきりしないが、その「らしい」という情報そのものも出典が分からないものが多かった。

その中で次のページを見つけた。
編集ノート - 医学用語を歩く
この中で、「コスモスは、幕末に渡来し、イタリアの彫刻家で、工部美術学校の教師ビンチェンツォー・ラグーザが明治12年(1879)に種子を持ち込んだのが最初だともいわれています。」という記述があった。他にもラグーザが氏が関わっていることを書いたページはあったが、このページには出典があった。典拠として書かれてあったのは、『週刊四季花めぐり(2)秋桜(コスモス)』小学館刊 2002年9月26日発行。

「ラグーザが最初だと言われている」という表現なので、最初かどうかは分からないがラグーザがコスモスに持ち込んだという資料が何処かにあるのだろう。そういうわけで、ラグーザについて調べてみた。しかしコスモスに関連する情報はネット上には出てこなかった。

ヴィンチェンツォ・ラグーザ Vincenzo Ragusa(1841-1927)。
彼は、日本最初の美術教育機関である『工部美術学校』に招かれた三人のイタリア人教師の一人である。担当は彫刻科。工部美術学校は1876年開校したが1883年で閉じる。彼は開校時の1876年から1882年まで日本にいた。彼は玉という日本人女性と一緒にイタリアに帰り、のちに結婚する。
工部美術学校 - Wikipedia
連載:温故知新2〜ラグーザ作『山尾庸三像』の石膏原型に触れた時 2〜 - 九州国立博物館
※ ラグーザが勤めていたのは『東京美術学校』としているページもあるが、これは工部美術学校が廃された後、これに代わるものとして1889年作られたものである。


■ ネット上で確かめられるなかで「コスモス」が使われた最初の作品
群馬県立女子大学の北川氏のホームページにある談話室「まほろば」の過去ログの中にわかりやすいやりとりがった。
まほろばバックナンバー(12)

このページで漱石全集でのコスモスの用例を調べていたので、検証の意味も込めて、青空文庫の全文検索を使って、似たようなことをやってみた。
google.co.jpでの「コスモス 明治 site:www.aozora.gr.jp」の検索結果
※ ただし、この検索だと、本文ページ内に「明治」という言葉が入っていない明治の作品は検索できない。

すると、明確な初出時期の分かる作品としては、与謝野晶子の『ひらきぶみ』が見つかった。本文最後から二番目の文。この初出は『明星』の1904(明治37)年11月号。
....庭のコスモス咲き出で候はば、私帰るまであまりお摘みなされずにお残し下されたく、軒の朝顔かれがれの見ぐるしきも、何卒帰る日まで苅りとらせずにお置きねがひあげ候。....
『ひらきぶみ』 - 青空文庫

これが出された1904年には既に一部の日本人の庭にコスモスが咲いていたと考えていいだろう。「君死にたまふこと勿れ」の批判への返答という形で出された作品だけに、この文章も多くの人に知られたことだろう。作品に使うことから与謝野晶子の周囲ではそれなりに「コスモス」が一般的な言葉だと認知されていたことも想像できる。

本文中に『明治』という単語が入っていない場合は確かめていないので、「コスモス」だけで検索してみたが、確認できるものの中に、これ以上古いものはなかった。

上記の掲示板に書かれていた『門』についても青空文庫で調べると、これは1910(明治43)年3月1日〜6月12日まで朝日新聞に連載されていたことがわかる。
図書カード:門 - 青空文庫


■ 1909年(明治42年)に文部省が全国の小学校にコスモスの種を配布したらしい。
いろいろなページで書かれていたが、その中で信用度の高い情報源はここ。
調べてみよう コスモス(秋桜) - 増進堂・受験研究社
小学生の頃お世話になった増進堂・受験研究社のサイトに、調べ学習のテーマをいくつかリストアップしてあって、その中にこの『コスモス』がある。「日本には幕末に渡来したが,広く広がっていったのは明治42年に文部省が全国の小学校に配布したからです。」という記述がある。ネット上にはこれを裏付ける情報は見つけ出せなかったが、文部省なので関連の公式記録がどこかに残っているはずだろう。ここが発行してある参考書の中にもっと詳しく記述してあるものがあるかもしれない。この明治の配布のとき「コスモス」という名前で呼んでいたのかも気になる。



■ 秋桜(あきざくら)という言葉
今度は「秋桜」という単語が使われているか、青空文庫で似たような検索をしてみた。これを「あきざくら」と読むのか、「コスモス」と読むのかは、検索後に確認すればいい。
google.co.jpでの「秋桜 site:www.aozora.gr.jp」の検索結果

結果は、青空文庫にある作品の本文では「秋桜」という表記そのものが存在しなかった。旧字体の「秋櫻」でも駄目。つまり著名な著作権切れの文学作品には、「秋桜」という文字自体が使われていない。「秋桜(あきざくら)」という言葉自体が一般的ではなかったのだろうか。

いろいろ調べていると、俳人に水原 秋桜子(1892-1981)という人がいることが分かった。根拠は見つからなかったがこの名前はコスモスにちなんでいるだろうと考えられる。いつからこの俳号を名のっているかは知らないが、遅くとも1934年(昭和9年)に俳誌『馬酔木』を主宰したときには既に水原秋桜子であるようだから、その時期には「秋桜(あきざくら)」もしくは「秋桜(しゅうおう)」という表現はあったと言うことができる。

有名な当時の小説にはなかったが、短歌や俳句では使われていたかもしれない。古い「季寄せ」や「歳時記」を引っ張り出して記載されているかを調べるといいだろう。いつ頃詩歌で使われ出したかを知ることができるだろう。

コスモスの別の和名に『大春車菊オオハルシャギク』というのもあるが、この由来は分からなかった。


■ 秋桜(コスモス)の当て字
秋桜(あきざくら)をコスモスと当て字読みしだした時期については、はっきりしたことは分からなかった。山口百恵が歌ったさだまさし作詞作曲の『秋桜(コスモス)』(1977年10月1日)が日本中にこの読み方を浸透させただろうことは簡単に想像できるが、おそらくそうなのだろうが、ここではそういう判断基準では書けない。
また広めただけでなく、この当て字の用法の始まり自体がこの歌であるかもしれないが、これを確かめるには、やはり詩歌を狙って調べればでてくるのではないかと思われる。もちろん直接、さだまさしに独自の当て字かどうか聞くのもいい。それでも一番かどうかは分からないが。


■ まとめ
・1879年(明治12)に工部美術学校のラグーザ氏が日本に種を持ち込んだらしい。
・1904年(明治37)『明星』11月号に発表された与謝野晶子の『ひらきぶみ』にコスモスという言葉が書かれている。
・1909年(明治42)に文部省が全国の小学校にコスモスの種を配布したらしい。
・1910年(明治43)3月1日〜6月12日まで朝日新聞に連載された夏目漱石の『門』にコスモスという言葉が出てくる。
・1977年(昭和52)10月1日に山口百恵の『秋桜(コスモス)』が発売された。

ラグーザ氏以前にも持ち込んだ人がいるかもしれない。与謝野晶子以前に作品に使った人もいるかもしれない。
近くの図書館でも調べてみたけれど、ネットにある以上の情報は見つけられなかった。


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