2009年02月12日

春の女神「プリマヴェーラ」

『プリマヴェーラ』のことを調べていて、ずっと疑問に思っていたのが、花柄の服を着た女神を春の女神「プリマヴェーラ」とする説だった。

このブログでの考察でも『ヴィーナスの誕生』からの類推と、『祭暦』の記述から、彼女が季節女神ホーラたちの一人だと分かったが、それでも季節女神ホーラは三人組で、それも季節を担当するようにはなっていなかったはずだから、春の女神は季節女神ではあり得ないはずだ。そして、何故「プリマヴェーラ」というイタリア語で呼ぶのも分からなかった。ローマ神話の女神ならば、本来のラテン語の名前があってそれで呼ばれるはずだろうに。

ヴァールブルクの本を読むと、季節女神としての春の女神だとはっきり書いてあった。それでまたいろいろ調べてみた。英語Wikipedia の ホーラの記事をよく読み直してみると、ホーラを四神とする流儀もあるのがわかった。

Wikipediaの記事には出典は分からないが四人の女神を描いた挿絵もある。春の女神はちゃんと籠を持っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Horen_Meyers.jpg


本文中の四人のホーラの出典は、古代ギリシアの詩人ノンノス『ディオニュソス譚』で、ギリシア語で書かれたその詩の中では、それぞれ古典ギリシア語の季節の名前で呼ばれているらしい。記事で紹介されているギリシア語のローマ字表示、Eiar(春)、Theros(夏)、Phthinoporon( 秋)、Cheimon(冬)で検索すると次のページを見つけた。

HORAE : Greek goddesses of the seasons & natural order ; mythology ; pictures : HORAI

このページには、この記述が Dionysiaca 第38巻の268行にあるとしている。ページの下方に英訳の引用が示されている:
Nonnus, Dionysiaca 38. 268 ff :
"When I [Helios the sun] reach the Ram, the centre of the universe, the navel-star of Olympos, I [Helios] in my exaltation let the Spring (Eiar) increase; and crossing the herald of the West-Wind (Zephyros), the turning-line which balances night equal with day, I guide the dewy course of that Season (Hora Eiar) when the swallow comes. Passing into the lower house, opposite the Ram, I cast the light equal day on the two hooves; and again I make day balanced equally with dark on my homeward course when I bring in the leafshaking course of the autumn Season (Hora Phthinoporon), and drive with lesser light to the lower turning-point in the leafshedding month. Then I bring Winter (Kheimon) for mankind with its rains, over the back of fish-tailed Aigokereos (Capricorn), that earth may bring forth her gifts full of life for the farmers, when she receives the bridal showers and the creative dew. I deck out also corn-tending Summer (Theros) the messenger of harvest, flogging the wheatbearing earth with hotter beams."
確かに、上記のローマ字ギリシア語の単語を順不同だけど見つけることができる。英語だとただ季節の名前を書いているようにも見えるが、ちゃんと擬人化されている。

ギリシア語の文書をスキャンしたPDFファイルが次のアドレスにあるが、
Nonnos - Dionysiacorum Libri XLVIII (CSHB) [0390-0429] Full Text at Documenta Catholica Omnia
それを開いて該当箇所(p.315-316)を見ると、たしかに、ειαρ、θέροσ、φθινόπωρον、χειμών の変化形を見つけていくことができる。単語の出現を見る限り、上の英訳とちゃんと対応している。

そういうわけで、季節女神ホーラを、四人の四季の女神とする流儀があることがわかる。これは古代ギリシア本来の分け方ではないので、基本は三人でいいのだと思う。土着の神々と融合していった結果なのだろうけれど、よく分からない。


ボッティチェッリが、三人のうちの一人として描いたのか、四人のうちの春を担当する一人としたのかは、分からない。でも『祭暦』の記述を見ても複数のホーラ全員が春の出で立ちをしているようにみえるので、単に一人に省略しただけのように思える。しかしヴァールブルクは四人のうちの春担当の一人と考えたように思われる。彼が根拠にした引用を見ることができないのでよくわからないが、季節女神の春と考える人たちは、ホーラたちを四人だという前提で提案しているのだろう。

ヴァールブルクの影響を受けた人か、ヴァールブルクに影響を与えた人か分からないが、この考えをイタリア語で書いた人がいたのだろう。これはイタリア語の論文を調べないといけないので、僕には簡単にはできないが、とにかく、この人の説を他の言語に翻訳するときに迷ったのだろう。ホーラたちの一員の春の女神だと考えた人は、春(Primavera)と書くだけで季節女神だとわかるので、わざわざホーラたちの一人とは書いてなかったのだろう。しかし一般的には季節女神は三人で季節を担当するようにはなっていないので、春の女神の所属が分からなくなって、いつのまにか季節女神ホーラたちの一人とする説と分離して、ただの春の女神となったのだろう。でも対応するローマ神話の名前を提示できないので、そのまま春の女神「プリマヴェーラ」としか呼ぶことができないのではないだろうか。

花柄の服の女神を、ホーラたちの一人とする説と、春の女神とする説は基本的に同じことを言っているのだと思う。ただ、ボッティチェッリがホーラを四人と考えていたという根拠がなければ、ホーラたちの中の春担当の単独の女神の存在は言うことができないし、「アフロディーテ讃歌」や『祭暦』で記述されているように、ホーラたちは集団でも春の属性を持つ神々であるのだから、春と特定せずに、ホーラたちの一人と呼んだ方が適切であるように思う。


追記 2011/03/30
これを書いて2年になりますが、もっとわかりやすいところに四神のホーラたちの記述がありました。オウィディウスの『変身物語』です。ヴァールブルクの本にもちゃんと書いてあったのですが、見落としていました。
「『変身物語』の影響」の後半に書きました。




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2009年02月14日

『プリマヴェーラ』のメルクリウス

『プリマヴェーラ』で、よく分からないのが左端のメルクリウスの存在と、彼の頭上の霞のようなもの。二匹の龍の飾りのついた杖で彼は頭上の霞に穴を開けのぞき込んでいる。じっとしているようなので、雲を払っているというよりは、のぞき込むことが目的のように思える。以前メルクリウスが出てくるのは、彼が五月の神であるからという指摘をしたけれど、ヴァールブルクの論説を読んで、いろいろ面白いことに気がついた。

ヴァールブルクは三美神の描写を説明するために、セネカの『恩恵論 De Beneficiis 』を踏まえたアルベルティの『絵画論』の文章を引用したが、さらにセネカの『恩恵論』には、三美神の記述の直後にメルクリウスの名前が一カ所だけ出てくる
(引用元:『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』p.51)
それゆえ、メルクリウスが(三美神の)側に立っているのは、理性や言論が恩恵を勧めるからではなく、画家がそのように見たからである。
この一文は、ヴァールブルクが指摘するように、まさしくボッティチェッリをその気にさせたのではないだろうか。セネカが千五百年ほど前に書いた、何かの作品を描写した言葉に従って、ボッティチェッリがメルクリウスをこの位置に登場させたと考えるととても面白い。「ホメーロス諸神讃歌」のヘルメス讃歌を読んでずっと該当する描写はないかと探したりもしたけれど、今はセネカのこの一文こそ、すべてを説明できる答えではないかと思える。

ただ問題は、ボッティチェッリが『恩恵論』そのものの記述を知ることができたかという一番重要なことだ。アルベルティの『絵画論』は読んだかもしれないけれど、アルベルティの三美神の描写がセネカを踏まえていることを知って、ボッティチェッリ自らも内容を知ることができたのだろうか。

それにしても、メルクリウスと三美神がこれほど接近して記述されている古典はこれ以外にあるのだろうか。『絵画論』にはメルクリウスの記述はないのだから、ボッティチェッリがメルクリウスを描いたことこそが、ボッティチェッリがセネカの『恩恵論』を知っていたことの証明だと言いたいけれど、これだけでは断言はできないだろう。

ただ、ボッティチェッリがこれを読んでいたと仮定すると、いろいろ面白いことが見えてくる。先の三美神やメルクリウスの記述は『恩恵について』第一巻第三章にあるのだけど、その最後はこのようにまとめられている。
(引用元は、岩波書店のセネカ哲学全集第二巻)
名前の告知役は、記憶の欠陥を大胆な嘘で埋め合わせ、正しい名前を告げられないときは、いつも適当にでっち上げる。それと同様に、詩人たちもまた、真実を語ることが主題にかなうとは考えないで、必要に迫られてか、美しさに惑わされてか、詩行にうまくあてはまる名前をめいめいに女神に強いて与える。そうして詩人たちが新たな名前を名簿に記入しても罪にはならない。なぜなら、次の詩人が自製の名前を女神たちに押しつけるからだ。それが実状であることを分かってもらうために、タリーアを見てほしい。彼女は今とくに問題にしている女神だが、ヘーシオドスではカリスであり、ホメーロスではムーサなのである。
名前の告知役というのは、注釈を見ると、挨拶に来た訪問客の名を主人に告げたり、官職の選挙に立候補した主人に付き添い、出会った市民の名前を教える係、とある。またタリーアというのは、ヘーシオドスにおける三美神の一人のこと。

とても意味深な文章だ。後世の人が『プリマヴェーラ』という作品の登場人物を考えることを、まるで予見しているような文章に思える。再度指摘すると、セネカのこの言葉は、僕たちにとっては2000年前、ボッティチェッリにとっては1500年前に書かれている。セネカの言葉に従って、メルクリウスをここに立たせようと思ったボッティチェッリは、さらに自分の描いた絵にも、周りの人が名前を間違えるような罠を仕掛けて、セネカの文章を実現しようと企んだのかもしれない。そう思うと、さらに面白くなってくる。


セネカの言葉は、古代の作品に対する言及なので、古代の作品にメルクリウスの三美神が一緒に出ているものが残っているかもしれない。そう思って、探してみると、『パリスの審判』という作品があった。ただ、これにはヘルメス(メルクリウス)と三人の美女が出てくるが、これはいわゆる三美神(グラティアたち、もしくはカリスたち)ではなく、女神ヘラ、アフロディーテ、アテナとなる。『パリスの審判』はギリシャ神話の有名な話で、パリスの前で三人の女神で一番美しいのは誰かを競う話。よく芸術作品の題材にもなっている。『パリスの審判』は先のヴァールブルクの本の解題で、他の説として紹介されていたものだ。先日のまとめ記事には書かなかったが、『黄金の驢馬』における「パリスの審判」の劇のことをゴンブリッチが指摘している。ただ、ゴンブリッチの説はウェヌスはウェヌスであり、彼女の周りをグラティエたちとホーラたちが花を撒きながら登場する様子を描写しているとするもの。

セネカは、この物語を描いた作品における三人の女神を三美神と勘違いしたのかもしれない。もしくは作品の中には既に三人の女神を三美神と混同していたものがあったのかもしれない。ボッティチェッリは、セネカのメルクリウスの記述とは別に、こちらから直接三人の女神とメルクリウスを持ってきたのかもしれない。またボッティチェッリ自身が、三美神と三人の女神を混同していたのかもしれない。いろんなことが考えられる。

この話は知っていたつもりだったが、作品の中にヘルメス(メルクリウス)が出ていることに初めて気がついた。様々な作品で、ちゃんと翼の帽子、翼の靴、二匹の蛇の杖という目印をもった人物が出てくる。そしてそこには矢をつがえたエロス(クピド)までいる。さらに、このときパリスの得た褒美が、雲でできたヘレネという話までついている。「パリスの審判」のエピソードそのまま『プリマヴェーラ』に描いたのではないだろう。それだとパリスが不在になってしまうからだ。ただ古代ギリシアから続くこの三人の女神というモチーフはどこかで、このグラティアたちの三美神と関係を持っているのかもしれない。それで、ボッティチェッリはあえて、『パリスの審判』のモチーフからいろいろ借りてきたのかもしれない。このエピソードを知っていると、メルクリウスの行為は、その雲がヘレネではないか、つついて確認しているように見えてくる。

ここでセネカによる女神の名前の文章を思い出すと、ボッティチェッリがわざと混乱するような記号を描き込んだようにも思えてくる。どんどん深みにはまっていくぞ。


『パリスの審判』についての資料:
Judgement of Paris - Wikipedia, the free encyclopedia
英語Wikipedia の パリスの審判の記事。ルーベンス(1653)、ルーカス・カルナック(1528)の作品が見られる。

Stories in Art
上記Wikipedia記事で紹介されている、エピソードで絵画検索ができるサイト。「Search by Story」のメニューで「The Judgment of Paris」を選ぶと、このテーマの絵画のリストが表示される。

JUDGEMENT OF PARIS : Greek mythology
上記Wikipedia記事で紹介されている、「パリスの審判」についてのTheoi Project のページ。この話の解説と、これが書かれている古典の箇所が示されている。紀元前のアッティカ赤像式の陶器や、二世紀のローマの床モザイクの画像もある。


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2009年02月16日

天上のヴィーナス、世俗のヴィーナス

基本的なことの整理。ボッティチェッリの有名な二つの作品は、一方を「天上のヴィーナス」、もう一方を「地上のヴィーナス、または世俗のヴィーナス」が描かれているとされる。

このようにヴィーナスを二つに別ける考えは、プラトンに由来する。ボッティチェッリもメディチ家が開いていたプラトン・アカデミーに出入りして、新プラトン主義の影響を受けていると言われ、この二つの作品はその思想を体現したものだとされる。

この考えは、プラトンのどの著作から来ているのかを調べると、『饗宴 Συμπόσιον 』の中の言葉だとわかる。ペルセウスプロジェクトからその箇所の冒頭(古典ギリシア語原文は、引用元ページの Greek リンクをクリックすれば見られる)を引用すると、
(引用元:Plato, Parmenides, Philebus, Symposium, Phaedrus
We are all aware that there is no Aphrodite or Love-passion without a Love. True, if that goddess were one, then Love would be one: but since there are two of her, there must needs be two Loves also. Does anyone doubt that she is double? Surely there is the elder, of no mother born, but daughter of Heaven, whence we name her Heavenly; while the younger was the child of Zeus and Dione, and her we call Popular.
まさに天上のヴィーナス、世俗のヴィーナスとは何かが説明されるときにいつも語られる言葉そのものだ。ウラノス(天)の娘の方を天上のヴィーナス、ゼウスとディオネの娘の方を世俗のヴィーナスという。プラトン・アカデミーの中心人物マルシリオ・フィチーノは、プラトンの著作を翻訳した人だが、後世に大きな影響を与えた『饗宴』の注釈書も著している(未読)。ヴィーナスを描いたボッティチェッリが、この思想に触れていたのは、十分考えられることだ。”状況的”には問題ないだろう。最初から発注者に対になるように求められたものではないにしても、作者により一連の思想のもとに作られたという可能性まで否定する必要はないだろう。


それはそうと、一晩経って、パリスの審判の三人の女神と三美神の混同はないなと思った。雲のヘレネを出すぐらいなら、雲に化けた好色ユピテルのほうがよっぽどいいだろう。ただの思いつきならいくらでも説は作れる。メルクリウス(ヘルメス)が出てくる古典の一節とか、明確な根拠を示さないと意味がない。そしてそれは誰もが探し尽くして、それでも見つからないのだろう。


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2009年02月17日

『画家列伝』での『ウェヌスの誕生』と『プリマヴェーラ』

画家であり建築家のヴァザーリは、1550年にルネサンス期の芸術家の評伝『画家・彫刻家・建築家列伝』を出版した。この中にボッティチェッリの記述もあり、そこで『ウェヌスの誕生』と『プリマヴェーラ』と思われる二つの絵が紹介されている。

この二つの作品を紹介しているのは次の箇所:
(引用元:http://bepi1949.altervista.org/vasari/vasari83.htm
Per la citta in diverse case fece tondi di sua mano e femmine ignude assai, delle quali oggi ancora a Castello, luogo del Duca Cosimo di Fiorenza, sono due quadri figurati, l'uno Venere che nasce, e quelle aure e venti che la fanno venire in terra con gli amori, e cosi un'altra Venere che le Grazie la fioriscono, dinotando la Primavera; le quali da lui con grazia si veggono espresse
参考までに、英訳は次の場所。
VASARI'S LIFE OF SANDRO BOTTICELLI
(VENUSでページ内検索するとすぐに場所が分かる)

以下この文章について調べたこと、考えたこと。

ヴァザーリがこの二つの絵にウェヌスが描かれていると書いているのは、当時の人々がそう思っていたからだろうし、ヴァザーリがそれを追認したということだろう。絵が描かれて70年近く経って、何を描いた絵なのかの情報が失われることがあり得るだろうか。ただ、上記のヴァザーリの文章を読むと、後述するが明確さに欠けるところがある。この本は、数多くの画家や建築家の資料をまとめたものなので、ボッティチェッリもその他の大勢の人々の一人なのだから、細かなところまで行き届かなかったということだろうか、もしくは、70年後ではこの情報が精一杯で、絵を解説する言葉がこれ以上明確に伝わっていなかったのだろうか。

『画家列伝』の該当部分を訳してみるとこのようになる。

「彼はその町(フィレンツェ)の様々な屋敷に出向き、円形画や裸婦を数多く描いた。その中の二つの人物画は今もまだフィレンツェの外にあるコジモ公の館に残っている。一つは誕生するウェヌスで、そよ風と風がアモルたちとともに女神を陸地に運んでいる。もう一つもウェヌスで、これは春を表しており、グラティエたちによって花々で飾られている。どちらの絵も優雅に描かれている。」

この文章の翻訳は他にもあるので興味がある人はどうぞ確認を。邦訳本である白水社刊『ルネサンス画人伝』には言葉をいろいろ補った分かりやすい翻訳がある。思索社刊『ルネサンスの春』や、先日紹介した『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》−イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』にも引用として別に訳出された文章が載っている。ただ理由は分からないが、既にある日本語訳はどれも、luogoをvilla(別荘)として訳している(と推測できる)。異本があるのだろうか。

この文章には勘違いがあるという指摘がある。パノフスキーの『ルネサンスの春』(1960)で、ウェヌスがアモルと共に描かれているのは、『ウェヌスの誕生』ではなく『プリマヴェーラ』について説明する言葉で、また『プリマヴェーラ』でグラティアたちによって花で飾られているのではなく、『ウェヌスの誕生』でゼピュロスたちに花で飾られているとされるべきものだと指摘されている。また、英語Wikipediaでは(日本語記事はその翻訳)、出典が明らかではないが、この『ウェヌスの誕生』の説明は、失われた別な作品についてではないかという研究があるようだ。

イタリア語の文章を訳してみて、すぐに気づくのが、現在私たちが呼んでいるような明確なタイトルで呼ばれていないことだ。白水社の日本語翻訳では、分かりやすく現在のタイトルに置き換えてしまっているので分からなかったが、現在の『ウェヌスの誕生』は”誕生するウェヌス”が描かれた絵、現在の『プリマヴェーラ』は”春を表している”絵というように説明がしてあるだけだった。当時は絵の呼び名とはこういうものだったのだろうか。発注者を示す目録があるそうだが、それには何と書いてあったのだろうか。

『ウェヌスの誕生』についての説明では、二人のアモルが一緒だと書いてあるが、もちろんこれはクピドのことだけれど、これがゼピュロスともう一人、寄り添った翼の生えた女性のことを指しているのだろうか。今ではクピドというと、たいてい一人で子供の姿で描かれるものと思われるが、複数の兄弟とともに描かれることもあれば、大人の姿で描かれてることもある。その点では、なんとか辻褄は合う。風の描写があるが、風だけでいいのに、そよ風も一緒だということを書いているのは、ポリツィアーノの詩などの知識がないと書けないのではないだろうか。絵では詩を反映し、西風が岸に運び、そよ風が髪をなびかせているのだけど、絵の描写を見ただけで、翼のある女性の口から出ている優しいそよ風の存在を知り、それをそよ風と呼ぶことができるだろうか。『ホメーロス讃歌』ではそよ風のことは書かれていなかったから、やはり、ヴァザーリがポリツィアーノかそれに類する作品を知っているか、彼に絵の内容を教えた人がそよ風の存在を理解していたと考えないと、この説明は書けないだろう。そもそも絵を見ると、風もそよ風も擬人化されていると考えた方が理解しやすい。でも、それだと二人のアモルと存在がだぶってしまう。今、絵を見れば、二人の翼の生えた神がいるし、その神々がそよ風と風を口から吹いている、文を構成しているものはそれほど違ってはいないのだけど、文となってしまうと、まるで別なものを説明しているようにみえる。

『プリマヴェーラ』についての説明。この文章が、この絵が『プリマヴェーラ』と呼ばれるようになったとされるものだ。dinotando は dinotare の ジェルンディオ形。辞書で dinotare を引くと、denotare を引けと出てくる。denotare の意味は、現す、示す、物語る。ジェルンディオ形なのでおそらくここで英語の分詞構文のように従属節を作って、この絵の描写を一言で説明している。それにしても、グラティアたちがウェヌスを花で飾っているという記述も、絵の内容とずれている。実際、グラティアたちは描かれているし、この絵は様々な花で飾られているのだが、文としては、絵とずれた変な意味になってしまう。


Wikipedia で書かれているように『ヴィーナスの誕生』の説明は失われた別な作品を描写しているというのもあり得る話だが、これは記憶を元にして書いたから、もしくは自分は現物を見てなくて、伝聞だけで書いたからとか、そう考えた方がいいように思う。絵を構成しているものはなんとか辻褄が合うので、記録の組み立て方を間違えたと考えるほうが、失われた作品を想定するより現実的だと思う。両者とも違っているのだから両者とも失われた別なものという可能性も考えなくてはいけなくなる。現代ではコピーを常に手元に見ながら確認できるので、間違いをすぐに指摘できるが、昔はそうはいかないだろう。この本をどのくらいの時間をかけて、どのような取材をして書いたのか、他の画家の記事ではこのような不正確な記載はあるだろうか。そういうところまで調べないと、何も言えないだろう。でも、そこまでは調べない。


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2009年02月18日

三美神とメルクリウス

三美神とメルクリウスを結びつける記述を探していたが、先述の『ルネサンスの春』の原注に書いてあった。

ストア派哲学者コルヌトゥス(Lucius Annaeus Cornutus)が残した『Theologiae Graecae compendium』(直訳するとギリシア神学大要)というギリシアの神々ついての神学の書に、記述があった。以前出てきたセネカやクリュシッポスもストア派の哲学者で、コルヌトゥスはセネカとは同時代の人。
引用元:思索社刊「ルネサンスの春」旧版 p.295
ヘルメスが三美神の指導者に任じられているのは、人がその価値ある人へ、そして実に価値ある人にだけ、勝手にではなくそれにふさわしい親切をつくさなければならないことを示すためである。
確認のために、原文を探してみた。
引用元:Internet Archive: Details: Cornuti Theologiae graecae compendium
Ηγεμόνα δε παραδιδόασιν αυτων τον Ερμην, εμφαίνοντες ότι ευλογίστως χαρίζεσθαι δει χαι μη ειχη, αλλα τοις αξίοις: ο γαρ αχαριστηθεις οχνηρότερος γίνεται προς το ευεργετειν.
このブログはユニコードで表記できないので、気息記号や鋭以外のアクセント記号などは表記していない。また、古典ギリシア語の文法は分からないので、単語の意味だけを辞書で調べて確認した。

ευεργετειν は動詞か名詞かもはっきり分からないが、上記の和訳では「親切をつくす」の部分に対応する。辞書には、これと同じ語幹を持つ言葉に、動詞 ευεργετέω がある。これは「benefit」と書いてある。つまり、「恩恵 Benefits」について語ったセネカと同じ文脈で読むことができるのではないだろうか。同じストア派に属するわけで当然といえば当然なのだけれど、僕は古典ギリシア語も分からないし、ストア派の哲学用語にも詳しくないので、これ以上は追求しない。もっと詳しく読み解こうとするならば、そういう用語も気を遣わないといけないのだろう。

この文書にどれだけの権威があったかどうかまでは分からないが、とにかく、後世まで名前の残る哲学者の、神話の神々の哲学的解釈を記した本に書かれてあれば、十分だ。メルクリウスと三美神が結びついているとする思想を確認できた。この価値観で描かれていたかなんてどうでもいい。この思想があることだけ分かればいい。


翻訳のことで、ちょっと気がついたこと。三美神の服装について『ルネサンスの春』の原注にも書かれていたが、これはセネカの三美神の服の描写との類似点がセネカそのものが若干影響したことを示すのではないかという内容だった。気になって確認してみると、日本語訳の中央公論美術出版刊『絵画論』では、「帯のついた非常に清潔な上衣」と訳されているが、一方ありな書房刊『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』では同じはずの文章が「帯を解いた、染みひとつない衣装」と訳されている。重要なところなのに意味が違っている。原文を確認しようと、ラテン語原文(De Pictura)を調べると、「soluta et perlucida veste」となっている。これは「ゆったりとして透明な服」と訳せるだろう。ついでに英訳(On Painting Book Three - Notebook)をみてみると、こちらは「their clothes girdled and very clean」と、意味が逆になっている。どちらが正しいのだろうか。やっぱりラテン語でいいだろうか。アルベルティの記述が「帯を締めている」のならば、絵は確実にセネカの影響だと言えるのだけど。


いろいろ調べたが、メルクリウスの霞への行為の意味は分からなかった。だからとりあえず見えたまま理解する。たなびいて見えるので、霞は自ら動いているようだ。この霞は入り込んできているのか、それとも出て行こうとしていこうのか。この絵には風の神ゼピュロスがいるので、風は右から左に吹いていることになるのではないだろうか。ゼピュロスは口を閉じているので、実際は風が吹いているわけではないが、風の神が反対側にいるというだけで、雲が従う風は右から左に吹いていると考えていいのではないだろうか。実際、霞の描写を見ていくと、メルクリウスの杖の左側の霞が透けて背景がちょっと見えている。それは霞が左に流れていることを示しているのではないだろうか。それを描写することで、どちらともとれてしまう霞の進んでいる向きを表しそうとしたのではないだろうか。メルクリウスは、春となりここから逃げ出している霞を不思議に思い見つめているだけかもしれない。彼はこの庭園の番人だという説もあるが、自分の後ろの方で、上空からの侵入者に女性が襲われているのに、それに無関心であるというのは、どうなんだろう。

あとは、この霞のことさえ分かればいいと思っていたけれど、どうしても見つけることができなかった。もう霞のことは考えないことにしよう。
この絵のことを考え始めて、もう一ヶ月になってしまった。正直、自分自身もういい加減、飽きてきている。後書いていない、ポリツィアーノの詩について書いて、全体のまとめを書いたら終わりにしよう。


追記 2011/03/30
霞の意味や、メルクリウスがここで何をしているのかについては、「プリマヴェーラ」の解釈に書きました。
また、結局この絵における三美神とメルクリウスの関係については、出典はないものと結論づけました。そして絵の中でのメルクリウスの役割についての解釈は、「三美神」の特定 で書きました。


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2009年02月19日

『馬上槍試合』の影響

ボッティチェッリの二つの作品は、アンジェロ・ポリツィアーノの詩『馬上槍試合』の影響がよく指摘される。
ポリツィアーノは、ボッティチェッリと同時代に人文主義者で、プラトン・アカデミーの一員。メディチ家の家庭教師をしたりしている。

通常『la giostra』(馬上槍試合)などと呼ばれるが、正式な名前は、『Stanze di messer Angelo Politiano cominciate per la giostra del magnifico Giuliano di Pietro de' Medici』(ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合のためのスタンツェ)。

この詩は、1475年に行われた、ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合トーナメントでの優勝を祝って書かれたものである。この行事で美の女神役を演じたのが、ジュリアーノの愛人だったとされるシモネッタ・ヴェスプッチで、この詩の中で二人の恋を描いているとされる。この詩は二部からなる。一部は125編ととても長いが、二部は1478年にジュリアーノが暗殺されたため、24編の短いものになってしまった。ボッティチェッリの絵にはこの実在の人物に似せたものがある。それは確かだと思うのだけど。

馬上槍試合のイタリア語、および英語対訳は次のページで見ることができる。
Angelo Poliziano - Stanze per la giostra

ポリツィアーノは、20歳の時にギリシア語で書かれた『イリアス』をラテン語に訳すといった卓越した語学力を持っている人なので、この詩はその能力を活かして古典からの様々な着想を得て作っている。詳しくは、先日紹介した『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を参照。

『プリマヴェーラ』の関連すると思われる部分を抜き出してみる。関連する部分はもっと多くあると思うが、主なものだけ。訳には挑戦したが、うまくいかなかった。内容が知りたい人は、上記対訳の英語で確認を。(あとから訳を書き足す予定)

目隠しをしたクピドが矢を射る場面:
XL(40)
Tosto Cupido entro a' begli occhi ascoso,
al nervo adatta del suo stral la cocca,
poi tira quel col braccio poderoso,
tal che raggiunge e l'una e l'altra cocca;
la man sinistra con l'oro focoso
la destra poppa colla corda tocca:
ne pria per l'aer ronzando esce 'l quadrello,
che Iulio drento al cor sentito ha quello.
この絵の舞台がヴィーナスの王国と呼ばれる根拠になっている部分:
LXVIII(68)
Ma fatta Amor la sua bella vendetta,
mossesi lieto pel negro aere a volo,
e ginne al regno di sua madre in fretta,
ov'e de' picciol suoi fratei lo stuolo:
al regno ov'ogni Grazia si diletta,
ove Bilta di fiori al crin fa brolo,
ove tutto lascivo, drieto a Flora,
Zefiro vola e la verde erba infiora.
春の女神プリマヴェーラが描写されている部分:
LXXII(72)
Ne mai le chiome del giardino eterno
tenera brina o fresca neve imbianca;
ivi non osa entrar ghiaccioto verno,
non vento o l'erbe o li arbuscelli stanca;
ivi non volgon gli anni il lor quaderno,
ma lieta Primavera mai non manca,
ch'e suoi crin biondi e crespi all'aura spiega,
e mille fiori in ghirlandetta lega.
以前、プリマヴェーラが何故イタリア語なのか分からないと書いたが、この詩の描写を根拠にしているからなのか。やっと分かった。この詩を根拠に、ボッティチェッリがホーラたちの一人を描いているのならば、彼女のことを、ホーラたちの一人と呼んでも、春の女神と呼んでも別にかまわなくなる。

この詩に影響を受けたことは十分考えられる。いや確実に影響を受けている。この詩には、メルクリウス以外、ゼピュロス、フローラ、プリマヴェーラ、アモル(クピド)、ヴィーナス、グラティアが登場する。特に、68節では、ヴィーナスの領地の説明として、まず、そこへ向かうアモル(クピド)の姿を描いて、その領地をグラティア、美の女神、フローラ、ゼピュロスがいるところとしている。この部分を見て誰もが、ここをヴィーナスの領地だと考えてしまう。

『プリマヴェーラ』の、この詩からの影響は明らかだろう。そして以前紹介した『祭暦』のこの絵に対する影響は、フローラの口からこぼれる花びらの具象化で明らかだし、その他の場面も描かれている。つまり、問題はどちらをベースにしているかだ。中央がヴィーナスであることを譲らないならば、ベースはこの詩『馬上槍試合』が描くヴィーナスの王国しかあり得ないが、そうでなければ、どちらもあり得る。


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2009年03月01日

うお座について

前回、ヴィーナスが卵から生まれたとする説があることを書いて、似たような別の話があるというのも書いたけれど、その関係を調べてみた。

結論から言うと、現在分かっている情報からは、ヴィーナスが卵から生まれるという考えが先にあったかどうかは分からない。他の物語との関連性は言えるのだけど、どうしても卵の部分は単独で成立しているように思える。知らないアタルガティスの伝説があるかもしれないが、それを見つけることはできなかった。

話を進める前に、用語の整理。まず僕はこのブログでは最初のうちはヴィーナスという言葉でこの女神に関することやそれにまつわる絵のことも書いていたけれど、途中から気がついてローマ神話を扱うときはウェヌス、ギリシア神話を扱うときはアフロディテ、そして一般的な概念を扱うときはヴィーナスと呼ぶように変えてきた。自分でも完全には守っていないけれど。ボッティチェッリの作品は基本的にローマ神話の神々の話なので、ウェヌスと呼ぶようにしている。

前回、いくつか似た文章があるとリンクだけを貼り付けていたが、改めて整理すると、ヒュギーヌスが書いたとされる『神話集』のウェヌスの記述。同じくヒュギーヌスが書いたとされる『天文詩』の「うお座」の項目。オウィディウスの『祭暦』の2月16日の終わりの方の一節。そしてクテシアスが残した『ペルシア誌』の女王セミラミスの誕生についての部分。これらを訳しながら、比べてみる。


ではまず、ヒュギーヌス(Gaius Iulius Hyginus)が書いたとされる二つの文章。ただしこれは偽作の可能性が指摘されている。詳しくはWikipediaを参照。

それぞれを和訳する。以前も書いたが、こういう訳は詳しい注釈とともに読むべきものであるから、ただ概要をつかむためのものに過ぎない。意訳はしないようにしている。関係文は複文に。できるだけ逐語訳を心がけた。主語は意味が通じなくなるときだけ補った。
前回も掲載した『神話集』のウェヌスの記述
引用元:http://www.thelatinlibrary.com/hyginus.html
VENUS
In Euphratem flumen de caelo ovum mira magnitudine cecidisse dicitur, quod pisces ad ripam evolverunt, super quod columbae consederunt et excalfactum exclusisse Venerem, quae postea dea Syria est appellata; ea iustitia et probitate cum ceteros exsuperasset, ab Iove optione data pisces in astrorum numerum relati sunt, et ob id Syri pisces et columbas ex deorum numero habentes non edunt
訳すと、

天からユーフラテス川に驚くべき大きさの卵が落ちてきたと言われている。魚たちはその卵を岸に運び上げた。鳩たちはその卵を抱いた。温めることがウェヌスを卵から孵(かえ)した。彼女はのちにシリアの女神と呼ばれた。女神は他の誰よりも正義と高潔さに優れていた。ユピテルの与えた選択により魚たちは星々の中に運ばれた。シリアの人たちは魚と鳩を神々と考えているので食べることはない。

1482年に出版された『天文詩』の「うお座」の記述
引用元:http://www.thelatinlibrary.com/hyginus.html
XXX. PISCES. Diognetus Erythraeus ait quodam tempore Venerem cum Cupidine filio in Syriam ad flumen Euphraten venisse. Eodem loco repente Typhona, de quo supra diximus, apparuisse; Venerem autem cum filio in flumen se proiecisse et ibi figuram piscium forma mutasse; quo facto, periculo esse liberatos. Itaque postea Syros, qui in his locis sunt proximi, destitisse pisces edere, quod vereantur eos capere, ne simili causa aut deorum praesidia impugnare videantur, aut eos ipsos captare. Eratosthenes autem ex eo pisce natos hos dicit, de quo posterius dicemus.
訳すと、


うお座。ディオゲネトゥス・エリスラエウス(Diognetus Erythraeus)は、ウェヌスが息子クピドとともにシリアのユーフラテス川に来たときのことを語っている。同じ場所に前述のティフォンが現れたが、ウェヌスと息子は川へ飛び込み、そこで魚の形に姿を変えた。結果として、危機から逃れた。そのため、この近くに住んでいるシリア人たちは後に、魚を食べることを禁じた。それが神々の保護に反抗するようにみられたり、神々そのものを捕まえたりすることと同じことをしないように、捕まえることを恐れたからだ。しかしエラトステネスはこれを彼が[みなみのうお座の項目で]後述する魚の子供たちだと言っている。


調べてみたが、ディオゲネトゥス・エリスラエウス(Diognetus Erythraeus)が何者か分からなかった。エラトステネス(Eratosthenes)は紀元前3世紀の人で、数学のアルゴリズムを考えたとされる人と同一人物。彼の書いたとされる『カタステリスモイ』が伝わっている。

『天文詩』の英語訳からの訳出されたものはこちらで公開されている。
http://www.kotenmon.com/hyginus/fishes.htm
また、エラトステネスの記述の日本語訳は次で公開されている。
http://www.kotenmon.com/era/fishes.htm

次は、オウィディウスの『祭暦』2月15日の記述。祭暦では星空の動きの描写はいろんなところで見られる。
引用先:http://www.thelatinlibrary.com/ovid/ovid.fasti2.shtml
iam levis obliqua subsedit Aquarius urna:
proximus aetherios excipe, Piscis, equos.
te memorant fratremque tuum (nam iuncta micatis
signa) duos tergo sustinuisse deos.
terribilem quondam fugiens Typhona Dione,
tum, cum pro caelo Iuppiter arma tulit,
venit ad Euphraten comitata Cupidine parvo,
inque Palaestinae margine sedit aquae.
populus et cannae riparum summa tenebant,
spemque dabant salices hos quoque posse tegi.
dum latet, insonuit vento nemus: illa timore
pallet, et hostiles credit adesse manus,
utque sinu tenuit natum, 'succurrite, nymphae,
et dis auxilium ferte duobus' ait.
nec mora, prosiluit. pisces subiere gemelli:
pro quo nunc, cernis, sidera nomen habent.
inde nefas ducunt genus hoc imponere mensis
nec violant timidi piscibus ora Syri.
訳してみると、

今やアクエリアスの水瓶は斜めにゆっくりと沈んでしまった:
ピスキスよ、次はお前たちが天の馬たちを迎えよ。
お前とお前の兄弟が(一緒にきらめく印になって)
二人の神々を後ろで支えていたと言われている。
かつて女神は恐ろしいティフォンから逃げてきた、
ユピテルが天において武器をとったとき。
彼女はユーフラテスに小さなクピドと一緒に来て、
女神はパレスチナの川辺に身を屈めていた。
ポプラと葦が土手の上を占めていて、
隠してくれる柳は希望を与えていた。
彼女が潜んでいると、森が風で大きな音を立て、彼女は恐怖に青ざめる。
敵の手が近づいてきたようだ。
彼女は胸に息子を抱えて、
”ニンフたちよ、助けよ!
二人の神を助けよ!”と彼女は叫ぶ。
すぐさま彼女は飛び込んだ。
双子のピスキスは彼らをかくまった:
今では、選ばれて、星々がその名前をとどめている。
そのため、この種族を食事に置くことを罪だと考えているので、
シリア人たちは恐れ、魚を口にすることを禁じている。
(2009.3.11 修正)

そして、クテシアス『ペルシア誌』の文章。クテシアスは紀元前5世紀のペルシアの大王の侍医をしたギリシア人。以下の文章は、そのクテシアスの文章などをそのまま使って作られたとされるディオドロスによる『神代地誌』の英訳の該当部分。ギリシア語は見つけられなかった。クテシアスの書いていることは信憑性が低いと既に古代から言われているが、神話に信憑性もなにもないので紀元前5世紀頃からこの文章の内容がギリシアに伝わっていたという事実だけで十分だと思う。この物語は、アッシリアの伝説の女王セミラミスの誕生に関して述べたもの。

引用元:http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/2A*.html
Now there is in Syria a city known as Ascalon, and not far from it a large and deep lake, full of fish. On its shore is a precinct of a famous goddess whom the Syrians call Derceto; and this goddess has the head of a woman but all the rest of her body is that of a fish, the reason being something like this.

The story as given by the most learned of the inhabitants of the region is as follows:
Aphrodite, being offended with this goddess, inspired in her a violent passion for a certain handsome youth among her votaries; and Derceto gave herself to the Syrian and bore a daughter, but then, filled with shame of her sinful deed, she killed the youth and exposed the child in a rocky desert region, while as for herself, from shame and grief she threw herself into the lake and was changed as to the form of her body into a fish; and it is for this reason that the Syrians to this day abstain from this animal and honour their fish as gods.

But about the region where the babe was exposed a great multitude of doves had their nests, and by them the child was nurtured in an astounding and miraculous manner; for some of the doves kept the body of the babe warm on all sides by covering it with their wings, while others, when they observed that the cowherds and other keepers were absent from the nearby steadings, brought milk therefrom in their beaks and fed the babe by putting it drop by drop between its lips.

And when the child was a year old and in need of more solid nourishment, the doves, pecking off bits from the cheeses, supplied it with sufficient nourishment. Now when the keepers returned and saw that the cheeses had been nibbled about the edges, they were astonished at the strange happening; they accordingly kept a look-out, and on discovering the cause found the infant, which was of surpassing beauty.

At once, then, bringing it to their steadings they turned it over to the keeper of the royal herds, whose name was Simmas; and Simmas, being childless, gave every care to the rearing of the girl, as his own daughter, and called her Semiramis, a name slightly altered from the word which, in the language of the Syrians, means "doves," birds which since that time all the inhabitants of Syria have continued to honour as goddesses.
この内容を訳すとこんな感じになる:


シリアには現在アシュカロンとして知られる都市があり、それほど遠くないところに大きくて深い湖があって、そこは魚で満ちている。その岸にはシリア人にデクテートと呼ばれている女神で有名な地区がある:この女神は女性の頭であるが、彼女の体の残りは魚である。その理由はこのようになる。

この地域に住んでいる人々の中で博学な人々によって得られた物語は次の通り:

この女神に腹を立てたアフロディテは、彼女に彼女の信者の中の美しい若者に対する激しい感情を抱かせた;デルケトはこのシリア人に自らの体を与え、娘を生んだが、その後自らの罪深い行いに対しての恥ずかしさから、彼女は若者を殺し、子供を岩ばかりの荒野に置き去りにした。彼女自身は恥と苦しみから湖に身を投げ彼女の体の形は魚に変わってしまった;このためシリア人は今でもこの動物を食べることを慎み、神として魚たちに敬意を払っている。

赤ん坊が捨てられた場所の近くには数多くの鳩が巣を作っていてその子供は鳩たちによって驚くべき方法で育てられた;何匹かの鳩で赤ん坊の周囲を翼で覆って温めたり、近くの牧場で牛飼いや番人がいないのを見計らうと、そこから嘴に含んでミルクを運んできて、彼女の唇の間にしずくを落として与えた。

子供が一歳になって、もっと固い食べ物が必要になると、鳩たちはチーズをつついて、十分な食べ物を与えた。番人は戻って来たときにチーズの端っこが囓られているのを見つけて、奇妙な出来事にびっくりした;そのため、彼らは監視を続け、とうとう原因を発見し、並々ならぬ美しさをもつ子供を見つけた。

そして、子供を牧場に運んでくると、シムマスという名の、王の家畜の番人に彼女を渡した。シムマスには子供がいなかったので、彼女を自分の娘として、その少女の養育のすべての面倒をみた。彼は彼女をセミラミスと呼んだ。その名前はシリア人の言葉で鳩を意味する単語を少し変えたものだ。それ以来シリアに住む人たちはその鳥を女神として敬意を払っている。


この訳はクテーシアス断片集(2/7) を参考にした。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/historiai/Ktesias2.html

翻訳作業は以上。どれもギリシア側に残っている文章だけなので、アッシリア側の資料はないか探してみた。でも見つけることができなかった。


さて、時系列で考えると、紀元前5世紀のクテシアスの『ペルシア誌』があって、それを紀元前1世紀に写したディオドロス『歴史叢書』があって、紀元前後のオウィディウス『祭暦』があって、そしてやはり同じ紀元前後のヒュギーヌスの書いたとされる『神話集』と『天文詩』となる。仮にヒュギーヌス本人が書いたのならば『祭暦』よりも先に書かれた可能性も出てくるが、印象としては『祭暦』からの影響の方が強いように思える。詳しい研究書を読んだわけではないのでよく分からない。

ここに『神話集』の邦訳ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』についての記事が書いてあるが、充実した脚注があるらしいので、是非とも読んでみたい。
http://yuhinomado.jugem.jp/?eid=418


クテシアスのものと、オウィディウスのものを比べると、いくつかの類似点が見つかる。これは専門的な分析をすべきものだろうが、その分析法も知らないので、思いつきで比較してみる。『ペルシア誌』『祭暦』『神話集』『天文詩』における記述をそのタイトルだけで指し示す。「(の記述)」が省略されているとする。

この順序で次の要素を確認すると:
鳩の存在    |○×○×
鳩への畏敬   |○×○×
クピドの存在  |×○×○
座り込む姿   |×○○×
温める姿    |○×○×
ユーフラテス川 |○○○○
魚の存在    |○○○○
魚への畏敬   |○○○○
うお座の存在  |×○○○
魚への変身   |○×○×
魚の協力    |×○○×
水への落下   |○○○○
主神の存在   |×○○×
ティフォンの存在|×○×○
逃避の描写   |×○×○
誕生の描写   |○×○×

このことから想像できるのは、クテシアスの『ペルシア誌』(の記述)があって、それを元に魚座とアフロディテとアモルの物語に変化させたものを伝えたディオゲネトゥス・エリスラエウスなる人物がいて、それにより『祭暦』や『天文詩』が成立したと考えることができる。内容から『天文詩』の魚座の記述は『祭暦』だけを元にしたとも考えられる。その逆はあり得ない。

『ペルシア誌』と他の三つの物語を考えるに、クテシアスが書いたものは、アフロディテ、デルケト(アタルガティス)、セミラミス、三人の女性が出てくる物語だが、これが紀元前後までに、一人の人物にまとめられヴィーナス(アフロディテ)の物語に置き換わってしまったと考えるのが妥当だろう。

ディオゲネトゥス・エリスラエウスが書いたとされる物語は、『天文詩』の内容に近いわけであるから、『祭暦』とも似たものとなる。しかしそうであるが故に『神話集』を説明できない。『神話集』は短い文章で何かを簡略化した物語であるのだろうが、上記の表より『祭暦』などから導かれたと考えるには、あまりにも『ペルシア誌』との関連性が大きい。かといって、『ペルシア誌』単独を簡略化したのかというと、魚座についての言及があるため、何か他の物語の関与を考えなくてはいけない。でも、この魚座の部分は動物たちの神聖さを正当化する大切な部分であるから、他の物語からとってつけたものではないだろう。デクテート(アタルガティス)とセミラミスがこの物語から切り離されたときには、同時にうお座による権威付けが必要になるだろう。


卵から生まれるウェヌスのイメージはとても面白いものだったけれど、これについてさかのぼって考えることはできなかった。ここに挙げた資料から判断すれば、『ペルシア誌』の中の記述が変化してできあがったと考えるべきだろう。魚と鳩という卵生の動物と、女王の誕生の記述などから、女神自身も卵で生まれることを想像することはたやすいだろう。

ただ、今回取り上げた文献の上ではそうとしか言えないが、アフロディーテが、アタルガティスなどのアッシリアの女神が変化したものであるという考えは確かにあり得ると思う。今回、ついでにルキアノスが書いたとされる『シリアの女神について』という文章を読んだが、女神を祀った神殿での男根切断の儀式など、ギリシア神話を連想してしまうようなこともあって、探せばいろいろ出てくるのだと思う。でも、こんな短時間でネットで探せる資料だけで分析できるものでもないだろうから、この研究はここまでにする。



ところで、残念なことに、ディスカバリーチャンネルの「アシュケロンの謎」(Skeletons of Roman Ashkelon)という番組を見逃してしまった。放送が終わってしまってから気がついた。
引用元:http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=414085&eid2=000000
【HV制作】イスラエルの古代都市アシュケロンで、ローマ大衆浴場の下水溝から新生児100人の骸骨が発見された。 2千年前の謎の殺人事件を追う。  考古学者達は、売春行為と幼児殺人という仮説を立てる。司法科学者は、DNA鑑定などの現代の犯罪捜査技術を用い、話は意外な方向へ展開する。それはローマ人の生活に劇的な光を当てた。奴隷制、売春、幼児殺し等、ローマ文化の暗い闇を紹介する。
これはルキアノスの『シリアの女神について』で描いている文化があったことを単に実証しただけのもののように思えるが、実際番組はどうだったんだろう。見てもいないが、神聖売春があったり、子供を生贄にしていたそんな時代もあったんだとたんたんと受け入れればいいのに、暗い闇だとか現在の道徳で語ろうとするのはナンセンスだと思う。


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2009年03月11日

うお座 修正

『祭暦』の日本語訳を確認したら、先日書いた自分の訳にいろいろ間違いを見つけた。

引用元:国文社刊『祭暦』高橋宏幸訳 p78
すでに、瓶を傾けた軽やかな酌人は沈みました。魚よ、おまえが次に天の馬車を迎えなさい。おまえたち兄弟、並んで輝く星座となったおまえたちは背中にお二方の神を背負ったと語られています。
その昔、ユピテルが武器をとったときのこと、恐るべきテュポンから逃れようと、ディオネ女神が小さなクピドを連れてエウプラテス川へとたどり着き、パレスティナの水の縁に座りました。川岸の堤の上はポプラと葦がおおっており、柳の木々を見ると、自分たちも身を隠せる、という希望が湧きました。
ところが、隠れていると、風で森が音を立てました。女神は青ざめます。敵の手が迫っているに違いないと思うのでした。息子を胸に抱くと、「ニンフたちよ、助けに来ておくれ。私たち二柱の神に援軍をよこしておくれ!」と言いました。
言うやたちまち、女神は川に飛び込みました。と、二尾の魚が助けに来ました。このことにふさわしい褒美として、魚たちはいま星座となっているのです。このために、気の小さいシリアの人たちはこの種のものを食卓にのせることを罪悪と考え、魚で口を汚すことをしません。
天の馬車というのは太陽のこと。このディオネはウェヌスを意味する。
もう立派な訳があるので、自分の訳を示す必要はないのだけど、以前書いたものはこうなる。

今やアクエリアスの水瓶は斜めにゆっくりと沈んでしまった:
ピスキスよ、次はお前たちが天の馬たちを迎えよ。
お前とお前の兄弟が(一緒にきらめく印になって)
二人の神々を後ろで支えていたと言われている。
かつて女神は恐ろしいティフォンから逃げてきた、
ユピテルが天において武器をとったとき。
彼女はユーフラテスに小さなクピドと一緒に来て、
女神はパレスチナの川辺に身を屈めていた。
ポプラと葦が土手の上を占めていて、
隠してくれる柳は希望を与えていた。
彼女が潜んでいると、森が風で大きな音を立て、彼女は恐怖に青ざめる。
敵の手が近づいてきたようだ。
彼女は胸に息子を抱えて、
”ニンフたちよ、助けよ!
二人の神を助けよ!”と彼女は叫ぶ。
すぐさま彼女は飛び込んだ。
双子のピスキスは彼らをかくまった:
今では、選ばれて、星々がその名前をとどめている。
そのため、この種族を食事に置くことを罪だと考えているので、
シリア人たちは恐れ、魚を口にすることを禁じている。


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2011年01月29日

「プリマヴェーラ」のこと

ボッティチェリの「プリマヴェーラ」のことをいろいろ調べて書いていたのはもう2年も前になります。門外漢なのでアビ・ヴァールブルクのことも知らないままに書き始めてしまいました。好奇心をとてもくすぐる題材のようで、英語はもちろん、ラテン語、古典ギリシア語、イタリア語といった言語の壁も物ともせず、何の苦も感じずに調べに調べて書いていました。今読み返してみても自分でも信じられないくらいの探求心です。

この絵に描かれている神々が誰かを知りたいだけで、いつ描かれたのか、誰に似せて描かれたのか、何のために描かれたのかというのはそれほど興味がありません。全然ないと言うと嘘になりますが、ここにこうして描かれている神々がそれらの情報によって解釈が変わってくるわけがないと考えています。この前提に立ってこの絵を解釈しました。

二年経ち、自分の考えに対しての固執も適度に消えかかってきているので、冷静に自分の考えを検証してみようと思います。



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2011年02月02日

「プリマヴェーラ」の解釈

以前書いたこととそれほど変わっていないのですが、僕の考える説は以下の通りです。


この絵はオウィディウスの「祭暦」の5月初旬の描写を柱にして、「ホメーロスの諸神讃歌」中の「ヘルメース讃歌」などの描写で補いながら描かれたものだと解釈します。神々の正体はアビ・ヴァールブルクの説とほとんど同じですが、中心の女神がウェヌス(ヴィーナス)ではなくマイアであるという一点が違います。右から、ゼピュロスZephyros、フローラFlora(クロリスChloris)、ホーラHora、マイアMaia、クピドCupido、三美神Charites、メルクリウスMercuriusとなります。


いままで中央がウェヌスであるという先入観から逃れられなかったために、新プラトン主義や、ルクレティウスなど様々な思想を駆使しながら、いくつもの奥深い解釈が試みられてきました。しかし、中央がマイアであることを受け入れると、とてもすっきりとした5月の春の描写が現れてきます。奥深い理論が消えてしまっても、この絵の価値が失われる訳ではありません。この絵のもう一つのテーマである愛をより深い形で見いだしていけるからです。


中央の女神がウェヌスと間違えられたのは、彼女の周りが息子であるクピドや従者であるホーラそして三美神で囲まれていたからです。しかし彼女自身には神々を描くときのお約束であるウェヌスの徴が何もありません。裸でもありません。リンゴも持っていません。これは周りに代わりになるものがあるから省略されただけだと考えられなくもありません。今までも周りの神々の配置からそれでいいと考えられてきました。しかしウェヌスの命令でいろんなところに出没するクピドのことは誰でも知っています。従者も、「祭暦」のフローラの庭でのようにウェヌス無しに現れることもあります。周りにウェヌスの従者が描かれているからといって、中央の女神がウェヌスであるとは断定できません。


「ヘルメース讃歌」を読んだ後、中央の女神の姿を詳しく見てみると、いろんなことに気がつきます。57行目に「καλλιπέδιλον 美しい鞋をはいた」とあります。中央の女神は美しいサンダルを履いています。履物を履いているのはメルクリウスと彼女だけです。6行目には「ἄντρον ἔσω ναίουσα παλίσκιον 濃く蔭をなす洞窟の奥深くに住まっていた」とあります。中央の女神の後ろにある木の幹によるアーチとその中にある木々の影は、いままでは中央の女神が特別な存在であることを示す宗教画にあるアーチのような役割だと思われていましたが、これは「ヘルメース賛歌」の言葉を踏まえると、彼女が洞窟に住んでいたことを連想させるための徴であるように見えてきます。4行目に「νύμφη ἐυπλόκαμος rich-tressed nymphe 豊かな巻毛のニンフ」とあります。残念ながら中央の女神はかぶりものをしていて、はっきりとその美しい髪の様子は見えないのですが、その隙間からのぞく髪は巻毛のように見えます。三美神の髪も巻毛になっていますが、サンダルを履いていませんので間違えようもありません。重要なのはメルクリウスが豊かな巻毛に描かれていることです。「ヘルメース賛歌」にヘルメース(メルクリウス)が巻毛であるという記述はありませんが、髪を隠している女神の息子が巻毛であることは隠しても隠しきれない二人が親子である事実を表しています。厳密にはローマ神話のマイアと、ギリシア神話のヘルメースの母のマイアとは全く別な存在のですが、「祭暦」では同一視されています。「祭暦」を元に描かれたこの絵でもそうなっています。中央の女神は妊婦のようにおなかが大きく描かれています。解説書などにはこの頃はおなかを大きく描くことは胸を強調して描いて女性らしさを表現するようなものだと説明されます。実際、この絵の中でも他のボッティチェリの作品でも女性はおなかが大きく描かれてはいますが、この中央の女神のおなかは目立ちすぎます。これは母神であることを表現していると考えると納得できます。


「ヘルメース讃歌」では当然主人公のヘルメース(メルクリウス)の特徴も描かれています。15行目には「νυκτὸς ὀπωπητῆρα, πυληδόκον 夜の見張り、戸口の番人」とあります。これがこの絵の左端に彼がいる理由です。戸口の番人という解釈はこれまでも何度もなされてきました。ここで重要なのは前者「νυκτὸς ὀπωπητῆρα」という表現です。これは英語では「watcher by night」と解釈されます。ここで「νυκτὸς」が夜ではなく暗闇と訳せたら、どうでしょう。イタリア語ならば「buio」という意味です。そう解釈すると、頭上の暗い霞をのぞき込むようなメルクリウスの仕草も理解できます。この仕草がよく分からないので、いろいろな哲学的な解釈が試みられてきました。このときのメルクリウスの指の形からラファエロの「アテネの学堂」にあるプラトンの天を差す指や、ボッティチェリ自身の「アペレスの誹謗」を引き合いに出したりして。でも、この仕草にそれほど深い意味を考えなくてもいいでしょう。オウィディウスが「祭暦」で描いたフローラ(クロリス)が口から花を出す場面のように、古典の中にある神々を特徴づける言葉を素直に具象化したにすぎないのです。ホーラの草のベルトも、目隠しをしたクピド/アモル(愛)もそうでしょう。分かってしまえばとても単純なことです。


参考リンク:
祭暦 ラテン語 プロジェクト・グーテンベルグ
「ヘルメース賛歌」 古典ギリシア語 ペルセウス・プロジェクト
La Primavera - google art project



追記(2011/04/13)
・この絵の構造についての簡単なまとめを「《プリマヴェーラ》の解答」に書きました。
・三美神の描写の元になっている文章についての記事を「《プリマヴェーラ》における三美神の典拠について」に書きました。



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