2011年02月02日

Google Art Project

Google で 世界の美術館を閲覧できるサービス「Art Project」が始まりました。美術館の中をストリートビューの要領で見て回ったり、そこにある作品を自由な倍率で眺めることができます。

早速、「プリマヴェーラ」と「ウェヌスの誕生」を見にウフィツィ美術館に行ってみました。これは素晴らしいです。

ウフィツィ美術館 Uffizi Gallery
「春」 La Primavera
「ヴィーナスの誕生」 the Birth of Venus

使い方のビデオ。英語が分からなくても、操作法はなんとなくわかるでしょう。

Art Project–Visitor Guide

関連ニュース:
フォトレポート:世界の美術品を見てまわる--グーグル「Art Project」で美術館巡り - CNET Japan



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2011年02月04日

『ルネッサンスの光と闇』における《春》の解説

高階秀爾氏の書かれた「ルネッサンスの光と闇〜芸術と精神の風土〜」(1971年,1987年)にはとても詳しいボッティチェリの《春》(プリマヴェーラ)の考察があります。これは日本における「プリマヴェーラ」のスタンダードな解釈だと考えていいでしょう。《春》関連は全415ページ中1割ぐらいあります。昔の本で古本でしか入手しずらい本ですが、とても読み応えのあるルネッサンス美術の一般向けの解説書です。この頃の芸術に興味のある方は入手されて是非読んでみてください。


ここで結論づけられている登場人物は、右から、ゼフェロス、クロリス、フローラ、ヴィーナス、キューピッド、三美神、マーキュリー。つまり、クロリス・フローラ変身説です。三美神、目隠しをしたキューピッド、右側の三人の物語に分け、様々な芸術作品や、研究者の諸説を引用しながら見事に解き明かしていきます。


特に右側の三人については、エドガー・ウィントの「ルネッサンスにおける異教伝説の謎」(Pagan Mysteries in the Renaissance)の解釈を元にの考察が進みます。右から三番目の花で飾られた女神がプリマヴェーラ(ホーラの一人)ではなく、フローラであることを示します。根拠を要約すると、「二番目の女性が口から落とした花が三番目の女性の柄へと変わっていくように描かれている。」、「三番目の女性の上に二番目の女性が描かれているのだけれど、そこで下が透けてみる部分がある。それは筆の誤りではなく意図的なものであって、それは同一人であることの暗示である。」、「右から二番目の女性を花の女神としてしまうには、あまりにも花に飾られていない。」などがあげられています。三番目の女性がプリマヴェーラでなければ、では誰がプリマヴェーラなのかといえば、この絵にはプリマヴェーラという女神はおらず、プリマヴェーラという言葉はこの絵全体を指し示しているからだとしています。


豊かな知識の上に構築されているこの本の考えはとても素晴らしいのですが、納得がいかないこともあります。二番目の女性がフローラであることの証明は彼女の口から花が出ているだけで十分ではないかと思います。花を口からこぼした瞬間にニンフから花の女神への変身は完了しています。これだけで春の始まりを告げる西風が吹き大地から花が現れ出す様子をきちんと表現できていると思います。彼女よりも隣のホーラの方が花に満ち満ちていて花の女神らしく見えますが、それは季節の女神の機能として十分に説明可能です。そもそも「祭暦」の引用を「『女神よ、あなたは花の女王だ』と言った・・・・」で止めずに、その先も引用すれば、着飾ったホーラも、三美神の姿も描かれているのに(「『祭暦』と『プリマヴェーラ』」を参照)。これは参考にされたEdgar Windの説にも言えることです。


なお、この文庫本のp.214で「物の本質について」を典拠とするJTシモンズの説をヴァールブルクが支持しているとありますが、以前僕がヴァールブルクの本を読んだときの印象では「物の本質について」の影響は指摘しつつも、次のp.215で指摘しているようにエドガー・ウィント氏が典拠としている「祭暦」の影響を、同じようにヴァールブルクも指摘しているので、ヴァールブルクの研究を「物の本質について」の影響だけでくくっているように読めてしまうのでちょっと違和感があります。(「『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を読んだ」を参照してください。)。



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2011年02月11日

『Pagan Mysteries in the Renaissance』における《春》の解説について

日本語翻訳版がほしかったのですが、高くて買えなかったので、英語版ペーパーバックを元に書いていきます。

先日扱った『ルネッサンスの光と闇』の中では『ルネッサンスにおける異教伝説の謎』という名前で呼ばれていた”Pagan Mysteries in the Renaissance”ですが、日本では1986年『ルネサンスの異教秘儀』という名前で和訳されました。

著者のエドガー・ウィント(Edgar Wind)氏は1900年ベルリン生まれのヴァールブルク学派の研究者です。この本は1958年に出版され、現在出回っているペーパーバックのものは改訂増補版です。ボッティチェリを直接扱っているのは第7章のBOTTICELLI’S PRIMAVERAと第8章のTHE BIRTH OF VENUSですが、それ以外にも三美神や、目隠しをしたキューピッド、聖なる愛と世俗の愛など多少この絵と関連あるテーマも扱っています。

今回は《春》を解説している第7章だけを訳して読みました。各章は、★でさらに節に分かれており、第7章のそれぞれの節の内容を簡潔に紹介すると次のようになります。

・この絵の来歴とフィチーノとポリツィアーノの影響、そして残る謎。
・クロリスからフローラへの変身。そして「春」の意味。
・ウェヌスとクピド、三美神について。ウェヌスらしくない奥ゆかしい態度の理由。
・難問であるメルクリウスの役割。
・メルクリウスとゼピュロスの愛の対比。

最初の節でフィチーノとポリツィアーノの影響があることを述べた後、以降この絵にまつわる難問をこのフィチーノの新プラトン主義を使って読み解いていきます。ウィントがこの絵の中にクロリスとフローラの変身が描かれているとしたのは、以降この絵の細部や全体に対して新プラトン主義的解釈を行う準備にすぎません。この解釈に都合がいいようにウィントがこの変身の描写を採用したとも言えます。

この変身の描写という前提によって、絵全体が新プラトン主義的な構造になっているという結論が導けるわけですが、だからといってこの前提が真理だと断定できるわけもありません。解釈ができてしまうのですから、本当にボッティチェリがそう描いていたのかもしれませんが、でもこれだけの情報ではその可能性の指摘ができるだけで、論理的な断定はできません。

ウィントはペーパーバックp116で『祭暦』からの引用"Chloris eram quae Flora vocor."(現在フローラと呼ばれている私は以前クロリスでした。)を使って、変身の描写がオウィディウス的だと言っています。しかしこのフローラの台詞の直前には"dum loquitur, vernas effat ab ore rosas"彼女(フローラ)が話している間、彼女の口からは春のバラが出ていました。"という文章があり、どうせ『祭暦』の引用を根拠にするならば、直前のこの文章も当然考慮に入れるべきではないでしょうか。

花の息をしながら語っているという描写は、あからさまにクロリスではなくフローラの属性なので、右から2番目の像はもう既にフローラとして描かれているのではないでしょうか。この文章を知っていながら、あえてそれを指摘しないウィントの態度に、目的とする結論に向けてのご都合主義的な引用の取捨選択の傾向を疑わざるを得ません。万が一、クロリスからフローラへの変身が描かれていないとなると、この絵全体の新プラトン主義的構造が崩れてしまい、ウィントの理論は瓦解してしまいます。



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2011年02月20日

Googleブックスを使って《プリマヴェーラ》のことを調べてみた(1)

ボッティチェリの作品《プリマヴェーラ》について、Googleの書籍検索を使って昔の出版物の中でどのように扱われていたのかを調べてみました。

起点とするのは、やはりヴァールブルクがいいでしょう。ヴァールブルクはこの絵のことを春という意味のドイツ語《Frühling》で呼んでいますが、1893年の論文の中で、先人たちの研究ではどれも《Allegoria della Primavera》という名前で呼ばれていたと語っています。このことからこの論文が書かれる以前この絵に対してイタリア語の《Allegoria della Primavera》という呼び名が広く使われていたことがわかります。まず、その名前がどのように使われていたのかを調べてみましょう。

この言葉を書籍検索すると、この言葉が使われた(デジタル化されたものの中で)最古のものとして1862年フィレンツェで出版されたガイド本が出てきました。フィレンツェの各美術館の目録が掲載されています。

Guida di Firenze e suoi contorni
この本の153ページに「Gallerie dell' Accademia delle belle Arti」の「Galleria di Quadri antichi」の24番としてボッティチェリの作品《Allegoria della Primavera》が明記されています。ちなみにこの本の中で《ウェヌスの誕生》はウフィツィ美術館にあると書いてあります。

イタリア語のウィキペディアには「Nel 1815 si trovava già nel Guardaroba mediceo e nel 1853 venne trasferita alla Galleria dell'Accademia per lo studio dei giovani artisti che frequentavano la scuola; con il riordino delle collezioni fiorentine venne trasferita agli Uffizi nel 1919.」というこの絵の過去の所在地の情報が書いてあります。1862年出版の本の情報と整合性が取れています。

《Allegoria della Primavera》で調べられる情報は1862年が限界でした。意外にそれほど遡れませんでした。念のため、今度は《Allegoria della Primavera》の英訳《allegory of spring》で調べてみましょう。

検索してみると、1850年のものが一番古そうなのですが、このヴァザーリの英訳本には"the Allegory of Spring [Primavera] "という当時では場違いなPrimaveraの表記があったり、どうやら年代データに誤りがあるようなので無視します。

気を取り直して探してみると、最古のものとして、ボッティチェリの作品"Allegory of Spring"が記載されている1858年の本が出てきました。この本は英国人が1857年にヨーロッパ大陸の美術館巡りをしたときの旅日記のようです。各地のカタログを手に入れてその情報も英訳して引き写しています。というよりその各美術館の所蔵目録のほうがメインのような本です。フィレンツェの場面では、先のフィレンツェのガイド本とほとんど同じ情報が英訳されて載っています。先のフィレンツェのガイド本は1862年の発行なので、時期的にこのガイドの第3版か、または似たような内容の別の目録をもとにしたと推測できます。

この本では"Allegory of Spring"は the Academia dele belle arte の Gallery of Ancient Pictures にあると書いてあります。、ちなみに、"birth of venus"は、THE UFFIZZI GALLEBYに所蔵されているとあります。先のガイド本の内容と同じです。時期的にも問題ないようです。

さらに念のため、フランス語の《Allégorie du Printemps》で検索すると、次の本が見つかりました。

Description de l'Imperiale et Royale Académie des beaux-arts de Florence
これはフランス語で書かれた Accademia di belle arti の目録です。1852年版と1854年版の二つを合わせたものになっています。この2つのうち《Allégorie du Printemps》 が記載されているのは1854年版だけでした。《春》が1853年にこの場所に移されたとする情報と辻褄が合います。置いてある場所は、GALERIE DES ANCIENS TABLEAUXの26番です。これは1862年の資料の24番と違っています。

もっと前のフランス語で書かれた目録を探してみると次のものが見つかりました。

Galérie impériale et royale de Florence
これは1812年にフィレンツェで出版された目録です。この本の198ページに以下のような《春》の記述があります。《Allégorie du Printemps》 という表記ではありませんでした。

Alexandre Botticelli. Un grand tableau; Venus, les trois Graces qui dansent, le Printemps ec.

この記述だけを見ると、ウェヌスと三美神といっしょに春という名の神も描かれているように読めます。この頃から既にヴァザーリの説明文から導かれたこととして、春の女神がこの絵に存在するという解釈があったと考えてもいいのかもしれません。

電子情報だけからの推測ですが、1853年にアカデミア美術館に移され、そのときにフランス語で《Allégorie du Printemps》、イタリア語で《Allegoria della Primavera》と名前が登録され、その名前の載った目録が出版され出回ったことが、この作品が各言語で《春の寓意》という名前とともに広く知られるようになった契機の一つと言えるでしょう。



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2011年02月21日

Googleブックスを使って《プリマヴェーラ》のことを調べてみた(2)

前回、《春の寓意》、つまり《Allegoria della Primavera》やその訳語の名前が、1853年に、この絵がアカデミー美術館に移されたあたりから出版物の中に現れるようになったのがわかりました。電子化された本という限定付きですが。

今回は、それ以前には何と呼ばれていたのかを調べてみます。

1850年以前でもこの作品のことを示した記述はいくつか見つけられます。調べてみると、英語で書かれた画家の人名辞典のようなものいくつか出てきますが、そこでは固有名詞ではなく説明的な呼び方で紹介されています。必ず《ウェヌスの誕生》と対で語られています。

1849 Michael Bryan
"His principal works at Florence were a Venus Anadyomene, and Venus attired by the Graces;”

1810 John Lempriere
”His Venus rising from the sea, and his Venus adorned by the Graces were much admired.”

1805 Matthew Pilkington, Johann Heinrich Fussli
”a Venus rising from the sea, and also a Venus adorned by the Graces;”

どれもヴァザーリの書いた画家列伝の記述が元になっているのが分かります。あまりに簡潔すぎて、本物を見ていなくても書けるものです。この変遷は当時の人々が使っていた呼び名を反映しているのかもしれませんが。

検索された中には本物を知っていそうな記述がされた本も出てきます。

Reale Galleria di Firenze
これは、フィレンツェで1817年に出版されたフィレンツェの美術館や芸術家のことを詳しく説明してある本です。たくさんのイラストも含まれています。イタリア語の本です。その154ページには、次のようなボッティチェリの作品に対する記述があります。

Ha la Galleria di Firenze più di un saggio dell'abilità di Sandro nelle rappresentazioni poetiche; come la Venere Anadiomène , e la Venere con le Grazie, due quadri di figure quanto il vero,

作品の説明は簡潔で、上記の辞書のものとあまり変わりありませんが、Galleria di Firenze (ウフィッツ美術館) に本物があると書いてあります。ウフィッツ美術館が編纂している本ですから、書いている人は展示されている名前を知っている可能性がありますし、かなりの可能性で実際見ているでしょう。それなのに、そういう固有名を使わないのですから、この頃はわざわざ本に書くような決まった名前がなかったのでしょう。憶測でしかありませんが。

また、次のような記述の本もあります。

Galerie impériale et royale de Florence
これは1844年に出版されたウフィッツ美術館が編纂した本です。次の引用は、この中にあるボッティチェリについての解説です。

Alexandre Botticelli, qui a imité le vieux Lippi', né à Florence en 1437 mort en 1515. Le tableau, dont les figures sont de grandeur naturelle, représente la Naissance de Vénus. La Déesse sort d'une coquille au milieu de la mer. A' gauche sont figurés deux Vents qui volent sur les ondes et poussent la Déesse vers le rivage ; à droite est une jeune personne sous le symbole du Printems.

この文章は、一見するとヴァザーリの書いた二つの作品を説明する文章のフランス語による要約かと思います。特に最後の文だけ見るとそう思えてしまいます、しかし、実際は、《ウェヌスの誕生》だけを説明する文章です。ヴァザーリの二つの作品を説明する文章を踏まえながら、ヴァザーリの文章よりも的確に一つの作品を説明する表現になっています。右にいるホーラが春を表しているのは内容的には間違っていないでしょう。これを書いた人は本物を見てからこれを書いているのが分かります。貴重な記録です。

1850年以前には、《ウェヌスの誕生》に関しては、それなりに注目されており、形式化された名前に分類されたり、このような貴重な例外もあったりしましたが、《プリマヴェーラ》に関してはヴァザーリの作品に関する説明文を元にした、あまり代わり映えのしない説明的な表現ばかりでした。

追記:
最後の引用はどこかで見た内容だなと思ったら、ヴァールブルクの書いた《ウェヌスの誕生》の論文の最初の方に出てくる、ウフィツィ美術館のイタリア語のカタログからの引用部分と同じでした。このカタログは1881年のものです。

La nascita di Venere. La Dea sta uscendo da una conchiglia nel mezzo del mare. A sinistra sono figurati due Venti che volando sulle onde spingono la Dea presso la riva; destra e una giovane che rappresenta la Primavera.

見比べてみると、完全に同じ内容です。



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2011年02月26日

Googleブックスを使って《プリマヴェーラ》のことを調べてみた(3)

そういうわけで、《Allegoria della Primavera》やその翻訳が書籍の中で使われ出した時期が19世紀後半からだということが分かりました。19世紀前半は《プリマヴェーラ》についてはどの本もヴァザーリの文章からの引用だけが唯一の情報源でしたが、一方の《ウェヌスの誕生》の研究は一歩先んじており実際に絵を見て書かれた文章もありました。

今回は19世紀後半の表記について書いていこうと思います。

そのまえに、前回の補足になりますが、19世紀前半に《ウェヌスの誕生》とポリツィアーノの詩との関連を指摘している文章を見つけました。《プリマヴェーラ》の話題から外れますがちょっと書いておきます。

Storia della pittura italiana esposta coi monumenti, 第 3 巻
これは1841年に出版されたイタリアの絵画史について書かれた本です。この本の152ページに注釈として関連する情報が書かれています。アペレスに対抗してボッティチェリがこの絵を描いたことや、この絵がホメロス風讃歌第六章のアフロディテ(II)が元になっていること、そしてポリツィアーノが素晴らしい模倣を書いたとし、『ジョストラ』の100節と101節が引用されています。つまり、もうこの頃にはこちらの絵を理解するのに十分な情報がそろっていたわけです。

さて、《プリマヴェーラ》に戻ります。今回は《Allegory of Spring》のその後を考察してみます。

19世紀後半になると、数多くの本が検索に引っかかるようになります。特に英語の本が多くなっていきます。英語以外の重要な情報が電子化されていないのかもしれませんが、とにかくこの絵について語られる中心の言語が英語に移っていきます。フランス語やイタリア語でこの絵のことが語られるのはカタログの中のタイトル名がほとんどです。他のものがあったとしても、ヴァザーリの解説をシンプルにして短く辻褄が合うようにしたような解説になります。

ボッティチェリを世間に広めた立役者として有名なのが、イギリスのラスキンですが、彼の本もこの検索で出てきます。
Ariadne florentina: six lectures on wood and metal engraving given ..., 第 1〜6 巻

この本の中には《Allegory of Spring》という表記はみつかりませんが、ボッティチェリの名前が何度も出てきて、ヴァザーリの書いたボッティチェリの伝記の一部が英訳され引用されています。

この翻訳の引用元はどれかと調べてみると、1851年に出版された Mrs. Jonathan Foster による英訳だと分かりました。
Lives of the most eminent painters, sculptors, and architects

この英訳には、注釈のところに1849年の情報として現在の二つの作品の展示場所が書いてあり、どちらもウフィツィ美術館ということになっています。やはりこの注釈でもこの絵を名前で呼んでいません。このあと《プリマヴェーラ》がウフィツィ美術館からアカデミア美術館に移されて、遅くとも1854年にはカタログで《Allégorie du Printemps》と呼ばれるようになるのですが、その5年前の話です。

この英訳中の二つのヴィーナスが出てくる部分を引用します。

Of these there are still two examples at Castello, a villa of
the Duke Cosimo,-one representing the birth of Venus,
who is borne to earth by the Loves and Zephyrs; the second
also presenting the figure of Venus crowned with flowers
by the Graces: she is here intended to denote the Spring,
and the allegory is expressed by the painter with extraordinary
grace.

この部分の英訳は何種類か見たことがあるのですが、この訳は初めて見ました。言葉を細かく補ってわかりやすくしてあります。原文には allegory に相当する語がないのに書き足してあります。この絵がしっかり寓意画に分類されていたことを示す言葉だと思われます。これが情報源となり、直接見たことがない読者にそのことを広める言葉にもなったでしょう。

《春の寓意》という名前が付けられると、フランス語やイタリア語のカタログではその美術館での名前通りの表記がされます。しかし英語の場合は多少事情が違ってきます。そのまま《Allegory of Spring》という名前で書かれるものもありますが、他の名前でも書かれたものが見つかります。1867年に出版された旅行ガイド Handbook for travellers in central Italy [by O. Blewitt] のp181には次のように書かれています。

26. Sandro Botticelli, Spring, an allegorical subject.

1874年、1875年の版でも、作品の番号は違いますが、この表記です。翻訳の意味としては同じなんでしょうが、「Spring」と呼んでもいいような書き方をしてます。この旅行案内が勝手にこんな訳をしたのか、既にこの呼び名があったのかわかりませんが、こういう呼び方が既にこの時点であったという実例です。そしてこの言葉もこれを読んだ人々に広まったでしょう。前のMrs. Jonathan Foster によるヴァザーリの翻訳を見ると、「Allegory of Spring」と訳すよりも「Spring, an allegorical subject」と訳すほうがあっているように思えます。

この絵に対して《Spring》という表記をしている例を探してみると、John Addington Symonds が1877年に出版した本が見つかりました。
Renaissance in Italy, THE FINE ARTS

この本のp251に、ルクレティウスの『物の本質について』との関係を述べた文章があり、この絵を《Spring》と呼んでいます。斜体は原文のまま。

His painting of the Spring, suggested by a passage from Lucretius, is exquisitely poetic;

ボッティチェリについて語っている文章の中ですから、それと分かりさえすれば、美術館のガイドのように正確な名前で呼ぶ必要はないのでしょう。しっかりこのシンプルな名前で呼んでいます。なお、シモンズは『物の本質について』だけの関連をいっているわけではありません。彼の1881年の本 Renaissance in Italy: Italian literature, 第 4 巻 のp408には、ポリツィアーノの『ジョストラ』との関連について次のような注釈を自分自身で入れています。斜体は原文のまま。

the birth of Venus from the waves (i. 99-107) is a blending of Botticelli's Venus in the Uffizzi with his Primavera in the Belle Arti;

ここでは英語の「Spring」ではなくイタリア語の「Primavera」で呼んでいます。そういう呼び方も浸透していたのかもしれません。そうでなくても、シモンズの解説はこの絵のことを知りたい人たちにも読まれたでしょうから、こういう呼び名がそのまま使われていったでしょう。

1886年に出版されたラファエル前派のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作品集
The collected works of Dante Gabriel Rossetti, 第 1 巻 には、『FOR SPRING BY SANDRO BOTTICELLI.(In the Accademia of Florence.)』という名前のソネットが収められています。詩の内容からもこの絵の描写をうたったものであることが分かります。

このように、英語においては"allegory of”という言葉のない表現が、この絵をよく知る人たちの間で使われていました。

 

delle quali oggi ancora a Castello, luogo del Duca Cosimo <fuor> di Fiorenza, sono due quadri figurati, l'uno Venere che nasce, e quelle aure e venti che la fanno venire in terra con gli amori, e cosi un'altra Venere che le Grazie la fioriscono, dinotando la Primavera; le quali da lui con grazia si veggono espresse.

ヴァザーリの「dinotando la primavera」という表現で気がついたことを書いておきます。19世紀前半のこの原文の引用を見てみると、P を小文字で書いたものばかりが出てきます。気になったので、検索して確認してみると、1882年以前には一つもPが大文字のものがないことが分かります。「dinotando la Primavera」という表記が使われ始めるのは、1883年出版の解説書の中での引用が最初になります。

le Grazie などはいつの時代でも常に大文字で書かれていますが、これは神々を表す固有名詞だからです。そして、la Primavera という表記も、これが女神の名前だという認識があったから生まれたものではないかと思われます。既に英訳や、フランス語の解説では「dinotando la primavera」は女性についての説明と受け止められているのが分かりますから、その反映なのでしょう。それでも原典の表記を厳密に引用しようとする考えのほうが主流であることには変わりなく、二つの表記が混在していきます。

問題なのは、現在電子化されているヴァザーリのイタリア語の原典が、どのサイトでも「dinotando la Primavera」になってしまっていることです。これを見た人は間違いなく、昔から大文字だったと思いこむでしょう。誰かの引用で小文字になっているものを見つけても、そちらのほうが間違っていると思ってしまいます。この表記だと、春の女神「プリマヴェーラ」の存在は逆にヴァザーリの言葉から予感させられるものになってしまいます。性愛の神、優雅の神と、大文字で始まる他の単語が神を表すのに、「la Primavera」だけが女神を表していないと考えるのはかえって難しいでしょう。

本当に原典でも小文字だったのかというのははっきりとは分かりません。書籍検索で見つかる最古のヴァザーリのイタリア語の列伝は1759年に出版されたものです。そのため1550年の原典においても神々は大文字、春は小文字というふうにしっかり使い分けられたかどうかはわかりません。分からないのであるなら、百年以上ずっと一つの例外もなく小文字で出版し続けられたものを疑わしいとするよりも、明確な理由もなく大文字化されている方が疑わしいと考えるべきでしょう。少なくとも、この頭文字が大文字であることから、これが春の女神の存在を示しているとする考えは排除すべきです。

 

最後にまとめとして。いろいろ面白いものが見えてきました。なお、あくまでも電子化された資料から言えることですので、新たな情報で突き崩される可能性があります。

意外にも、イタリア語よりも先にフランス語の《Allégorie du Printemps》で呼ばれていました。時期はアカデミア美術館に移動されそこで管理されるようになる頃です。ただその頃のイタリア語版のカタログが見つからないだけなのかもしれません。これは当時この美術館が何語で管理を行っていたかが分かれば、どちらが本当に先かは確定できるでしょう。なおイタリア語の《Allegoria della Primavera》という名前が出てくるのは、偶然なのかイタリアが統一されてからになります。これらのことから、この名称は作品が作られたときではなく、アカデミア美術館に所蔵されたあとだと考えた方がいいでしょう。もちろん、アカデミア美術館に所蔵されるときに呼び名に困って本来の呼び名の研究がなされたと考えられなくもないですが、それは研究の痕跡を見つけて初めて言えることです。

とりあえず、統一的な呼び名が決まりました。そしてそれをそれぞれの国の言葉に訳して呼ぶようになりました。電子化された文書を眺めると特に英語でこの作品が語られることが多くなります。それらの書籍の中では、シンプルに《Spring》と呼ばれる実例が出てきて、それらの本を通じてさらにその呼び名が英語圏で広まっていったと考えられます。その後のことは分かりませんが、イタリアの作品なので次第にこの作品を示す言葉としてイタリア語の「la Pimavera」に置き換えられ、現在に至るのでしょう。

 

検索をしているうちに、過去にどんな解釈がされていたのかも知ることができました。また、これからは主要な説を整理してみたいと思います。



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2011年02月28日

《プリマヴェーラ》:ゼピュロス、オウロラ説

《プリマヴェーラ》の右の二人を、右からゼピュロス、オウロラとする解釈について。

1873年に出版された「Walks in Florence, 第 2 巻 」という旅行ガイドがあります。著者はSusan Horner, Joanna B. Horner です。 美術館の作品についてカタログの展示番号を示しながら主要な作品を説明しています。これに《プリマヴェーラ》の解説も載っています。このときの作品の名前は「An Allegory of Spring」です。

p.354にある《プリマヴェーラ》の解説の一部:

In the midst of a grove, Spring is seen attired in a white garment, sprinkled over with bunches of flowers. She holds a bow in one hand, and raises her dress with the other to receive the flowers poured into it from the lips of a nymph, who flies from a genius of the wood. These two last figures resemble the Zephyrus and Aurora in the picture of Venus rising from the Sea. In the midst of the grove, Venus stands clothed in a white dress, over which is thrown a red mantle, lined with blue and gold. Botticelli has been more successful in producing his idea of beauty in the goddess than in Spring. She stands gracefully, with her head slightly bent; Cupid hovers above, and aims his arrow at the Graces, who dance in a circle, their hands entwined, whilst gazing at a youth wearing the cap of Mercury and gathering the roses above his head. The Graces are draped in white, and their movements appear slow and languid. The colour of this picture has been much damaged.

訳すとこうなります:

「木立の中央で、春は花束がちりばめられた豪華な白い衣装を着ているようです。彼女は片手で弓を持ち、ニンフの唇から流れ込んでくる花々を受け取るために、もう一方の手でドレスを持ち上げています。そのニンフは森の精から飛んで逃げています。この2つの像は「海からあがるウェヌス」(ウェヌスの誕生)のゼピュロスとオウロラに似ています。木立の中央で、ウェヌスは白いドレスを着て立ちます。そのドレスの上には、青と金の線の入った赤いマントルがかかっています。ボッティチェリは春に対してよりもこの女神に対してさらに美しさの思想を産み出すことに成功しています。彼女は優雅に立ち、わずかに頭を傾けています。クピドは上空に浮かび、三美神に矢の狙いを付けています。三美神たちは、メルクリウスの帽子をかぶっている頭上のバラを集めている若者を見つめながら、互いに手は絡め円になって踊っています。三美神は優雅なひだのある白い服を着ており、その動きはゆっくりと、物憂げに見えます。この絵の色はとても損傷を受けています。」

花柄の服の女性像は「春」、中央奥の女性はウェヌスです。ニンフと森の精は、ウェヌスの誕生からの類推でゼピュロスとアウロラということになっています。《ウェヌスの誕生》でもそう解釈されているのでしょう。空に浮かんでいるのはクピド、手を繋いで踊っているのが三美神、左端にいる若者はメルクリウスの帽子をかぶった若者という表現で断言を避けたような言い方になっています。その若者の目的はバラの花を集めていることになっています。

「holds a bow in one hand」というところが何か変ですね。別な解釈ができるのか辞書を引きまくりましたが、よくわかりませんでした。1877年版を見ると、そこはが「She holds one hand in her lap」となっています。これも絵にそぐわないちょっと変な描写ですね。1884年の版を見るとさらにいろいろ修正されています。

Walks in Florence and its environs

in the midst of a grove, Spring is seen attired in a white garment, sprinkled over with bunches of flowers. She gathers up her dress to receive the flowers poured into it from the lips of a nymph, who flies from a genius of the wood. In the midst of the grove, Venus is standing clothed in white, with a red mantle lined with blue and gold. Botticelli has been more successful in producing his idea of beauty in the Goddess than in the figure of Spring. Her attitude is graceful, her head slightly bent; Cupid hovers above, and aims his arrow at the Graces, who dance in a circle, their hands entwined, whilst Mercury with his caduceus shakes down roses. The Graces are draped in white, and their movements appear slow and languid. The colour of this picture has been much injured.

「木立の中央で、春は花束がちりばめられた豪華な白い衣装を着ているようです。彼女は、ニンフの唇から流れ込んでくる花々を受け取るために、ドレスをたぐり上げています。そのニンフは森の精から飛んで逃げています。木立の中央で、ウェヌスは白いドレスを着て立っています。そのドレスの上には、青と金の線の入った赤いマントルがかかっています。ボッティチェリは春の像に対してよりもこの女神に対してさらに美しさの思想を産み出すことに成功しています。彼女の態度は優雅で、わずかに頭を傾けています。クピドは上空に浮かび、三美神に矢の狙いを付けています。メルクリウスがカドゥケウスで頭上のバラを揺すって落としているとき、三美神たちは互いに手は絡め円になって踊っています。三美神は優雅なひだのある白い服を着ており、その動きはゆっくりと、物憂げに見えます。この絵の色はとても傷つけられています。」

特に変わったのは、森の精とニンフの二人が、ウェヌスの誕生からの類推でゼピュロスとオウロラだとする文がなくなりました。またメルクリウスの帽子をかぶった若者と紹介されていたのが、メルクリウスと特定された表現に変わりました。「the figure of Spring」という表現も変わりましたが、これは季節表現との混同を避けるためでしょう。

春は擬人化されたものとして解釈されていますが、はっきり女神とは呼ばれていません。これはラスキンの著作で引用されたヴァザーリの英訳からの流れで理解できるでしょう。同様にウェヌス、三美神は、ヴァザーリの指摘のまま特定されています。残りの像の特定が問題となります。クピドはその仕草から問題なく認識されています。二つの版を見比べると、残りの左の若者と右の二人に悩んでいる様子がうかがえます。この本では『ジョストラ』や『祭暦』などとの関係は指摘されていません。ニンフと森の精が誰であるのかは1884年の版では明確にされていませんし、推測されている1873年の版でも《ウェヌスの誕生》からの類推による指摘です。

この絵の二人を Zephyrus と Aurora とする説はこの本以前の出版物では見ることができませんでした。他に見られるのは、1886年に出版された本にある Dante Gabriel Rossetti の書いた FOR SPRING BY SANDRO BOTTICELLI という詩の中です。この詩にはいつ頃作られたのか書いてありませんが、彼は1828年生まれで1882年になくなっているので年代的にはどちらも先になりえます。

ここでちょっと、《ウェヌスの誕生》の解釈をしてみます。この本の1884年版には《ウェヌスの誕生》の解説もあります。
Walks in Florence and its environs

The goddess has newly risen from the sea, and stands on a shell; a nymph, typical of spring, prepares to throw a red mantle over her, whilst Zephyrus and Aurora waft her towards the shore.

訳すと:

「女神は初めて海から上がってきて、貝の上に立っています。春を表すニンフは、赤いマントルを彼女に掛けようと待ちかまえています。それと同時にゼピュロスとオウロラは岸に彼女を運んでいます。」

「typical of spring」は以前引用した1844年のフランス語の《ウェヌスの誕生》の解説文を踏まえてそうな修飾です。イタリア語からフランス語への誤訳がこの英語の文まで巡り巡ってきたとすると面白いですね。赤いマントルを着せようとしているのは絵の直接の描写ですが、人物の特定はあのフランス語の文章を使ったのかもしれません。そして空を飛ぶ翼を持った男女の像は、ゼピュロスとオウロラとなっています。

Aurora は ギリシア神話では Eos に対応します。

Eosの画像、参考ページ:
http://www.theoi.com/Gallery/T19.1.html
http://www.theoi.com/Gallery/T19.2.html
http://www.theoi.com/Gallery/T19.3.html

彼女は有翼の女神です。有翼であるという外観から、《ウェヌスの誕生》に出てくるにはぴったりですので、この解釈が生まれたのかもしれません。ギリシア神話の Eos は Zephyrus の母親ですが、ローマ神話の Aurora に関しては親子関係の設定は無いようです。

他の理由がないか書籍検索を続けてみると、ミルトンの詩『L'Allegro』があることがわかりました。ミルトンは1608生まれで1684年に亡くなったイギリスのとても有名な詩人です。叙事詩『失楽園』が代表作になっています。

L'Allegro
11行目から先をちょっと引用すると:

But com thou Goddes fair and free,
In Heav'n ycleap'd Euphrosyne,
And by men, heart-easing Mirth,
Whom lovely Venus at a birth
With two sister Graces more
To Ivy-crowned Bacchus bore;
Or whether (as som Sager sing)
The frolick Wind that breathes the Spring,
Zephir with Aurora playing,
As he met her once a Maying,
There on Beds of Violets blew,
And fresh-blown Roses washt in dew,

当たりみたいですね。それらしい単語が並んでいます。でも英詩の訳は難しいので、正確な内容は分かりません。「Venus at a birth」なんて、もろに《ヴィーナスの誕生》を連想します。バラまで出てきます。余計なバッカスもいますが。

《ウェヌスの誕生》を見たときはイギリス人はこの詩を連想せずにはいられなかったのかもしれません。そして空を飛んでいる二人が、Zephir と Aurora に見えたのでしょう。

つまり、《ウェヌスの誕生》についてのヴァザーリの解説を、ミルトンの L'Allegro の中で描かれる Zephir と Aurora の姿で補ったのが、この本の中で描かれる《ウェヌスの誕生》の解釈だと思われます。そしてこの二人から類推して、《プリマヴェーラ》の右側の二人も同じ二人だとしたものが、この本での《プリマヴェーラ》の解釈でしょう。

このミルトンの詩の和訳を読みたいのですが、簡単には手に入らないようです。将来読めたら、考えを修正しなくてはいけないかもしれません。

 

最後に念のために付け加えます。最初に思いついたのはこちらの方です。

もしかすると、この Aurora は Aura の間違いかもしれません。《ウェヌスの誕生》の現在の解釈の一つに、ゼピュロスと一緒に飛んでいる有翼の女性像は、Aura(そよ風)のニンフとするものがあります。これはポリツィアーノの『ジョストラ』第100節6行目にある季節女神ホーラたちの髪をなびかせるそよ風をボッティチェリが具象化したとする解釈です。彼女に翼があるという歴史的な記述は見つかりませんが、口から目に見える息を出し、風を起こしている描写には合致します。

1841年のPisaで出版されたイタリア語の本では、既に《ウェヌスの誕生》の絵とポリツィアーノの『ジョストラ』との関係が指摘されています。残念ながら、その本の中ではホーラとゼピュロスしか特定されていないのですが、1873年までに、このPisaの本の解釈を発展させて、有翼の女性がAuraとする説が出ていたとすれば、綴りがよく似ていて、さらに古代ギリシア時代から有翼として描写されているAuroraと間違えてしまったと考えることもできます。もちろんこの説を言うには、この間にAura説を記述した本を見つけなければならないでしょう。しかしこれは見つかりません。ミルトンの詩というはっきりとした理由があるので、言葉の間違いという理由ではないでしょう。



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2011年03月05日

「ウェヌスの治国」について

《プリマヴェーラ》は「ウェヌスの治国」と呼ばれることがありますが、今回はこの由来についてです。この絵で描かれる場所が「ウェヌスの治国」だと言い出したのは、いったい誰か、そしていつからなのか。調べてみるとすぐに2つの事実が見つかるのですが、それと同時に限界にもぶつかりました。

アビ・ヴァールブルクは1893年出版の有名な論文『Sandro Botticellis 'Geburt der Venus' und 'Fruehling'. Eine Untersuchung ueber die Vorstellungen von der Antike in der italienischen Fruehrenaissance』の中で「das Reich der Venus」を《プリマヴェーラ》の核心部分として指摘しています。もう一方は、1893年頃に出版されたとされるHermann Ulmann の『Sandro Botticelli』という本です。この本の中でこの名前を使っています。書籍検索のスニペット表示の小さな窓の中に、目次に並ぶボッティチェリの作品の名前の一つとして《das Reich der Venus》が書かれています。ヴァールブルクは場面を特定しただけなので、これはこの名前が作品名として使われたネット上で確認できる最初の例になります。

この Hermann Ulmann の本をスニペットで覗くとはしがきの記述とみられるものの署名に1893年8月とあります。また間接的な情報の中には次のようなものもあります。ボストンで出版されていた月刊の美術誌「MASTERS IN ARTS」の1900年5月号が、ボッティチェリ号なのですが、その中に1900年当時の関連書籍、関連雑誌のリストが載っています。このリストでは、例のヴァールブルクの《ウェヌスの誕生》と《春》の論文は1893年出版、Hermann Ulmann の『Sandro Botticelli』は1894年となっています。つまり執筆が終わった翌年に出版されたという解釈ができます。出版されて10年以内の情報で確度は多少高いかもしれませんが、これだけではやっぱり確証はとれません。

またヴァールブルクのこの論文の原注には、ボッティチェリのパラスアテネについてのウルマンの本の名前が載っています。一方ウルマンの『Sandro Botticelli』のスニペット表示から見える注釈にもヴァールブルクの何かの本への参照があり、少なくとも書籍を通じてお互い影響し合っていたのが分かります。お互いに参照し合っているのに、ヴァールブルクのほうにウルマンの『Sandro Botticelli』についての記述がないのはヴァールブルクが先かほとんど同時にこの結論に辿り着いたと推測できますが、片方の中身を見ることができないのではっきりしません。

これでは話が進まないので、以下はこの推測を採用して、アビ・ヴァールブルクの論文が先か、もしくは独立して、この名称に至ったとします。

さて、日本語では、「ウェヌスの治国」や「ウェヌスの王国」、「ヴィーナスの領地」とか訳されますが、この言葉はヴァールブルクの使ったドイツ語だと「das Reich der Venus」、イタリア語では「il regno di Venere」となります。この言葉は1893年に出版されたヴァールブルクの論文において、《プリマヴェーラ》が何を描いているのかを示す結論近くで使われます。正確には、この部分とは関係ない《ウェヌスの誕生》の分析の途中にも一度だけ使われますが、《プリマヴェーラ》の核心を表す言葉になっています。

この「ウェヌスの治国」という言葉はポリツィアーノの詩『Stanze de messer Angelo Politiano cominciate per la giostra del magnifico Giuliano di Pietro de Medici』(ジョストラ)のウェヌスやその従者たちの描写がされている部分を指して使われています。その部分の最初の節である第68節だけを引用すると:

Vagheggia Cipri un dilettoso monte,
che del gran Nilo e sette corni vede
e 'l primo rosseggiar dell'orizonte,
ove poggiar non lice al mortal piede.
Nel giogo un verde colle alza la fronte,
sotto esso aprico un lieto pratel siede,
u' scherzando tra' fior lascive aurette
fan dolcemente tremolar l'erbette.

ポリツィアーノの詩の中には「il regno di Venere」そのものはありません。他の節でも同様です。ただウェヌスの息子であるアモルが一仕事終えて戻ってきた場所をこの第68節で「al regno di sua madre(彼の母の領地)」とあるので、簡単な推論で、その土地が「il regno di Venere」であることが分かります。この描写は第68節から第70節まで続きます。

書籍検索すると19世紀前半にはイタリアの詩の解説書にはポリツィアーノのこの詩のこの部分に対して「il regno di Venere」という言葉が使われています。正確にいうと冠詞が前置詞と結合していたりするので、このまま検索しても出てきません。それはどうであれ、この用語自体は既に1820年代からイタリアで使われていましたが、ヴァールブルグがこの言葉を使ったのは、ドイツ人のAdolf Gasparyの著作『Geschichte der italienischen Literatur(イタリア文学史)』(1888)の影響があると思われます。この本の名前はヴァールブルクの論文中の《ウェヌスの誕生》を解釈する部分で出てくるので、参考にしているのははっきりと分かっています。

ポリツィアーノの詩にあるウェヌスが上陸する描写がボッティチェリの絵として再現されているとガスパリが指摘している箇所は次の通りです。せっかく見つけたので引用しておきます。引用元

Das erste der Bilder ist die Geburt der Goettin, die Anadyomene, welche soeben den Wogen entstiegen, auf der Muschel stehend, im vollen Glanze ihrer srischen Schoenheit, von den Zephirwinden zum Ufer getrieben wird. Danach solgen die Liebschaften Jupiters, Apollo's, die des Bacchus und anderer Götter und Heroen. Wie es scheint, war der Dichter bestrebt, mit der Malerei zu wetteisern, welche er in seinem Zeitalter wiedererbluehen sah; die Venus Anadyomene auf der Muschel sah man in den Gemaelden der Renaissance wiedererscheinen, wie z. B. in einem solchen Sandro Botticelli's.

ヴァールブルクは、この記述があることを引用まではしませんが論文の《ウェヌスの誕生》の章で指摘しています。

この文章が書かれている同じページのほんの少し前の部分に「das Reich der Venus」という言葉が2カ所出てきます。最初のところだけ引用すると次の通りです。

Indessen kehrt Amore, da ihm sein Plan geglueckt ist, in das Reich seiner Mutter nach Cypern zurueck, um ihr Runde von dem Siege zu geben, und hier nun folgt die beruehmte lange Digression, das Reich der Venus, welches gleichfalls Claudian(De Nuptiis Honorii et Mariae, 49-96) nachgeahmt ist.

4行目に「das Reich der Venus」という言葉があることだけ分かればいいのですが、これはポリツィアーノの詩の第68節以降の概要と、その部分に影響を与えた作品の指摘です。

ここをちょっと掘り下げてみます。影響を与えている作品というのは4世紀のローマの詩人 Claudianus クラウディアヌスの『Epithalamium de Nuptiis Honorii Augusti』で、該当する箇所はその49行目から96行目です。言語はラテン語です。49行目からちょっと引用すると:

risit Amor placidaeque volat trans aequora matri
nuntius et totas iactantior explicat alas.
Mons latus Ionium Cypri praeruptus obumbrat,
invius humano gressu, Phariumque cubile
Proteos et septem despectat cornua Nili.

面倒なので全部は訳しませんが、Amor はアモル、matri は母へ、volat は飛ぶ、という言葉です。リンク先で読める英訳を見ると、たしかに元ネタの一つとなる内容になっていて、ポリツィアーノの描写がクラウディアヌスの簡略版に見えてしまいます。ヴァールブルクは注釈で、ガスパリがクラウディアヌスからのポリツィアーノへの影響を指摘していることにも触れています。なお、クラウディアヌスとポリツィアーノの関係性は、イタリア人の詩人Giosue Carducc ジョズエ・カルドゥッチ の『Le stanze, Le Orfeo e Le rime』(1864)において既に指摘されています。この本でも「nel regno di Venere」という言葉が出てきます。

結果的にここまで掘り下げなくてもよかったのですが、直接クラウディアヌスの描写をボッティチェリが参考にしていないか確認する必要があると思いました。目的から外れてしまいそうですが、先日のジョン・ミルトンもそうですが、神々の物語の描写の系譜は面白そうなテーマです。ちょっと調べると日本語で書かれた、このような論文も見つけました。『祝婚歌の伝統と革新 : スタティウスとクラウディアヌス』

さて、ポリツィアーノに戻りますが、ガスパリは、この場所をイタリアの解説者と同じように「ウェヌスの治国」と呼んだだけで、この描写とボッティチェリとの関連は述べていません。そこではなく、そのあとに描写される「ウェヌスの誕生」の場面をボッティチェリが再現していると指摘しているだけです。ガスパリの本が出て5年後ヴァールブルクはその指摘をさらに推し進めて、豊富な引用を使った論証の末、「ウェヌスの治国」の部分もボッティチェリが再現していると指摘しました。このようにして「ウェヌスの治国」と言う言葉がボッティチェリに結びつけられました。

将来、Ulmann の『Sandro Botticelli』の内容が分かったら、上記の内容を書き換えるかもしれません。



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2011年03月07日

『変身物語』の影響

以前、オウィディウスの『祭暦』からの影響を書きましたが、今度は《プリマヴェーラ》におけるオウィディウス『変身物語』の影響を確認しておきます。

この影響についてはヴァールブルクがとても詳しくポリツィアーノの作品との関係を説明しています。一行一行オウィディウスの句とポリツィアーノの句を並記しています。ここで改めて引用することはしませんが、ヴァールブルグの主張をまとめると次のようになります。

《プリマヴェーラ》の右側の二人、ゼピュロスとフローラ(ヴァールブルクの説)の描写は、『変身物語』のダプネの追跡の箇所の影響が見られるとヴァールブルクは指摘します。またこの『変身物語』のダプネの場面は『変身物語』第2巻の最後で描写されるエウロペが連れ去られる箇所と合わさって、ポリツィアーノの『ジョストラ』第105節で描写されるエウロペの誘拐に模倣されていることも細かく引用し指摘します。さらに『ジョストラ』第109節はまさに逃げ続けるダプネに対しアポロンがかける言葉が詩となっています。このようなオウィディウス→ポリツィアーノ→ボッティチェリの関連を示し、ボッティチェリにとってポリツィアーノが学識の助言者であったと主張しています。

 

自分で『変身物語』を実際読んでみると、この絵のアモルの描写に関して影響を与えていると思われるところがありました。

原文はペルセウス・プロジェクトの P. Ovidius Naso, Metamorphoses で確認しました。1892年のものです。

ダプネの話が書かれているところの冒頭には次のような描写があります。(岩波文庫 中村喜也訳、以下同様)

このアポロンの最初の恋人は、河神ペネイオスの娘ダプネだった。そして、この恋を呼び覚ましたのは、あの盲目の「偶然」ではなく、クピードの残忍な怒りだった。

ラテン語の原文は第1巻452行目から:

Primus amor Phoebi Daphne Peneia, quem non fors ignara dedit, sed saeva Cupidinis ira.

盲目の偶然とクピドという言葉が一つの文の中に見えたので、訳しかたを工夫したら絵の中の構図にならないかと思いましたが、このままではそうはならないようです。

次の部分はいいかもしれません。クピドの矢の描写です。

一つは、恋心を逃げ去らせ、もうひとつは、それをかきたてる。この、かきたてるほうの矢は、金で作られていて、鋭い鏃がきらめいている。恋を去らせるほうは、なまくらで、軸の内側に鉛がはいっている。この、あとのほうの矢で、愛神クピードは、ペネイオスの娘を射た。いっぽう、もうひとつの矢でアポロンを射ると、それは、神の骨を貫いて、髄にまで達した。

この原文は第1巻470行目から:

Quod facit, auratum est et cuspide fulget acuta; quod fugat, obtusum est et habet sub harundine plumbum. Hoc deus in nympha Peneide fixit, at illo laesit Apollineas traiecta per ossa medullas.

クピドの二種類の矢の説明があります。黄金で、鋭くきらめく鏃(やじり)というのは、絵の中の描写に近いでしょう。また、アポロンに当たった場所の描写は、《プリマヴェーラ》の中でクピドが真ん中の女性像の首の骨を狙っている理由になると思います。

話はそれてしまいますが、この部分の英語訳を見てみていて面白いことに気づきました。1567年の Golding の訳を見ると:

That causeth love, is all of golde with point full sharpe and bright, That chaseth love is blunt, whose stele with leaden head is dight. The God this fired in the Nymph Peneis for the nones: The tother perst Apollos heart and overraft his bones.

英詩にするために過剰な訳っぽいです。どこが面白いかというと、最後の行の、矢が命中した場所です。古い英語過ぎて意味が分からない単語もありますが、その意味は日本語訳や元のラテン語から推測していいでしょう。問題は heart です。ラテン語の medullas には kernel 核心とか中心部という意味もありますから、heart という訳も間違いではありません。でも heart と訳してしまったら、それは心臓にしかみえなくなってしまいます。ということは、この英訳が、「ハートに矢を射る」という現代の我々が知っているキューピッド像に繋がっているのかもしれません。この誤訳がです。

ハートに矢を射る姿の由来は別にあるかもしれませんし、仮にこれが本当の由来だとしても、とてもわかりやすいところにあるので、きっとこの指摘は既に誰かがやっていることでしょう。これを調べるのも面白いでしょう。

 

最後に、あと一つ『変身物語』で指摘しておかなければならない箇所があります。これはヴァールブルクも引用していますが、春の女神に関連するところです。

以前、ホーラたちは三人組が標準だけれど、四人組でそれぞれ季節を表す流儀もあると書いて古い文書を引用して示したことがありましたが(春の女神「プリマヴェーラ」)、『変身物語』にも四人組のホーラの記述がありました。これはヴァールブルクが例の論文に「春」の特徴の部分だけ引用していたのですが、見落としていました。以前引用したノンノスは4世紀から5世紀に活躍した人なので、オウィディウスのほうが古いです。

第2巻冒頭近く:

左右には、「日」と「月」と「年」と「世紀」、それに、等しい間隔を置いて並んだ「時」たちが控えている。さみどりの「春」は、花の冠をいただいて立ち、衣を脱ぎ捨てた「夏」は麦の穂の輪飾りを付けている。「秋」は踏み砕いた葡萄の色に染まり、寒冷の「冬」は、白髪を逆立てている。

原文は、第2巻25行目から:

A dextra laevaque Dies et Mensis et Annus Saeculaque et positae spatiis aequalibus Horae Verque novum stabat cinctum florente corona, stabat nuda Aestas et spicea serta gerebat, stabat et Autumnus, calcatis sordidus uvis, et glacialis Hiems, canos hirsuta capillos.

話はまたそれてしまいますが、これで思い出すのが、以前トランプのことを調べているときに出てきたハンガリーカードです。上記の描写そのものではありませんが、女性たちが花、麦の穂、葡萄、白髪と、この描写を連想する図柄とともに描かれています。彼女たちも伝統的な四季のホーラの表現につながる女性たちでした。



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posted by takayan at 03:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

ハートに矢

ボッティチェリの話からちょっと離れます。オウィディウスの『変身物語』の誤訳が、キューピッドのハートの矢の由来じゃないかと前回思ったわけですが、その続きです。

『変身物語』1巻472-3行にある、クピドが放った恋心を抱かせる金の矢がアポロンに命中した描写(画像は1579年の本のもの。Google Books):

illo laesit Apollineas traiecta per ossa medullas.

これが、Auther Golding による1567年の英訳詞で(画像)、

The tother perst Apollos heart and overraft his bones.

となっていました。medullas は髄と訳すのが本来だと思いますが、日本語の髄と同じで、物事のもっとも中心という意味でも使われます。それで heart と訳されてしまったのでしょう。でも複数形なので心臓を示す heart だと本当はちょっとおかしいです。

この訳が巡り巡って、人に恋をさせるクピドの矢がハートに射られる構図として広まったのではないか、というのが前回思ったことです。

 

このことを確認しようと、いろいろ調べてみたのですが、このハートに矢が射られる由来について、意外にみんな疑問に思わないのか、見つけられませんでした。

それでも、次の記事にたどり着きました。フランツ・リストです。
「巡礼の年第2年イタリア」から 「ペトラルカのソネット 第47番」
ピアニストの久元祐子さんの演奏曲の紹介ページです。

そして、ペトラルカ(1304-1374)。イタリアの学者であり、抒情詩人。時代はダンテに少し遅れた頃で、詩人ボッカッチョの友人。ラウラという名の女性への想いを綴った叙情詩集で有名な人。

下の詩の画像は、1532年の本のもの(Google Books)です。現在伝わっているものと綴りが違っている単語もありますが、この本だけではどちらに正統性があるか分かりません。

 

その7行目からの

E l’arco e le saette, ond’io fui punto;
E le piaghe, che’n fin al cor mi vanno.

の部分が、ハートに矢が刺さっている表現です。cor は cuore に通じるラテン語の単語で、cor mi は「私の心に」です。

厳密な検証をしたわけではないですが、これは前述のオウィディウスのダプネの物語に出てくるクピドの矢を踏まえている表現のように思います。実際にそうだとしても、標的の相違は、ペトラルカには誤解というより意図的な印象を受けます。そして、髄から心への変更は適切だったと思います。心の耐え難い苦しみも表せますし、人知を越えたクピドの力による抑えがたい想いも表せます。改めてよい表現だと感じます。

上記の英訳はもしかするとペトラルカの影響があったせいかもしれません。つまりその頃までに矢が心に刺さる表現が珍しくなくなっていて、先入観ができていたのかもしれません。しかしこの表現がどのように人々の間に広がっていったのかまでは調べていません。

表現そのものは14世紀までさかのぼれました。ペトラルカよりも古くて、影響力のある古典の作品が他にもあるかもしれませんが、この話題はここまでにします。

追記
これで終わりと思ったのですが、『変身物語』を読み進んでいくと、その先の第5巻にクピドが冥王の胸を射るところがありました。384行あたり。プロセルピナの略奪のところ。原文でも、まさに cor を射ています。そして、そのあと一目惚れをした描写もあります。ちゃんと読み終わってから書けばよかったと後悔しています。



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posted by takayan at 20:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする