2014年10月20日

『アナクレオンテア』と《ヴィーナスとマルス》

前回まではルクレティウスの『物の本質について』とボッティチェリの《ヴィーナスとマルス》との関係を調べてみました。『物の本質について』の冒頭にあるウェヌスを讃えている文章を意図的に違う意味になるように翻訳すると、絵に落書きする人の独白になることが分かりました。そしてこの記述がまさに《ヴィーナスとマルス》の描写そのものだと示せました。今回はアナクレオンテアの一つの詩と《ヴィーナスとマルス》との関係を示します。絵に落書きをするからには、落書きの対象となる絵が前もって存在しなくてはなりません。今回示すのは落書き以前のその絵の典拠となるものです。

アナクレオンテアのこの詩については以前もここに書いたのですが、そのときはとてもいい加減な翻訳をしていました。一つの詩の言葉遊びが絵の描写の典拠となりうるという、他のボッティチェリの神話画の解釈にとっても重要な手掛かりとなるものですが、当時の私の古典ギリシャ語文法の知識に限界があって正確には訳出できませんでした。断片的な解釈では、この絵との対応を指摘できていましたが、細かな詰めの部分では完全に証明できていませんでした。今回はできるだけ厳密に単語の意味を調べ、絵との対応を深めていこうと思います。

その前に言葉の説明です。アナクレオンテアとは紀元前六世紀に活躍した古代ギリシャの詩人アナクレオンの作風に似た詩のことです。16世紀に詩集が出版されると西洋の芸術に大きな影響を与えました。この詩の一つに、クピドが蜂に刺されて母ウェヌスに泣きつくと、ウェヌスが彼に人の痛みについて諭すという内容の作品があります。ちなみにこの詩に近い内容のものとしてテオクリトスの『牧歌』第19歌『蜂蜜泥棒』(偽作)があり、この詩をもとにルーカス・クラナッハはヴィーナスとクピドの絵を描いています。さて、アナクレオンテアのこの詩と《ヴィーナスとマルス》の絵の共通点は、「ウェヌス」と「蜂」だけです。記述されるべきマルスがいません。そして従来の解釈では描かれていないはずのクピドがいます。しかしこのアナクレオンテアの詩を真面目に誤訳していくと、この絵を見ながら書いた詩であるかのような内容に変えることができます。

Ἔρως ποτ΄ ἐν ῥόδοισι
κοιμωμένην μέλισσαν
οὐκ εἶδεν, ἀλλ΄ ἐτρώθη
τὸν δάκτυλον. Πατάξας
τὰς χεῖρας, ὠλόλυξε·
δραμὼν δὲ καὶ πετασθεὶς
πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρην,
ὄλωλα, μῆτερ, εἶπεν,
ὄλωλα, κἀποθνήσκω.
Ὄφις μ΄ ἔτυψε μικρὸς,
πτερωτὸς, ὃν καλοῦσι
μέλισσαν οἱ γεωργοί.
Ἡ δ΄ εἶπεν· εἰ τὸ κέντρον
πονεῖ τὸ τῆς μελίσσης,
πόσον δοκεῖς πονοῦσιν,
Ἔρως, ὅσους σὺ βάλλεις;

これがその詩のギリシャ語原文です。記号付のギリシャ文字を使っているので、スマホなどでは正しく表示されない可能性があります。以下の文章内でのギリシャ文字も同様です。原文を確認したい場合は次のリンク先にある画像化したものを見てください。[画像化したテキスト]

それでは、まずこの詩の本来の意味を解釈してみます。なお古典ギリシャ語の詩を解釈するため、神々の固有名詞はギリシャ神話のものを使います。対応が必要なローマ神話での名前は括弧内に記しています。


Ἔρως ποτ΄ ἐν ῥόδοισι κοιμωμένην μέλισσαν οὐκ εἶδεν, ἀλλ΄ ἐτρώθη τὸν δάκτυλον.

ここで使われている単語は次の通り。Ἔρωςは男性名詞Ἔρως「愛、エロス(クピド)」の単数主格。ποτ΄はποτε「あるとき、かつて」の母音省略。ἐνは与格支配の前置詞ἐν「の中で」。ῥόδοισιは中性名詞ῥόδον「バラ」の複数与格。κοιμωμένηνは動詞κοιμάω「眠らせる」の中動態現在分詞の単数女性対格。μέλισσανは女性名詞μέλισσα「蜂」の単数対格。οὐκはοὐ「英語のnot」。εἶδενは動詞εἶδον「見る」の三人称単数アオリスト。ἀλλ΄は接続詞ἀλλά「そして、しかし」の母音省略。ἐτρώθηは動詞τιτρώσκω「傷つける」の受動態三人称単数アオリスト。τὸνは冠詞ὁの単数男性対格。δάκτυλονは男性名詞δάκτυλος「指」の単数対格。

この文の主節はἜρως ποτ΄ μέλισσαν οὐκ εἶδενで「あるときエロスは蜂を見ていなかった。」となります。ἐν ῥόδοισι κοιμωμένηνは分詞句でκοιμωμένηνは中動態なので「眠っている」となり、合わせて「バラの中で眠っている」となります。この分詞は女性単数対格なので、蜂μέλισσαと性数格が一致して、これを修飾しているのが分かります。そのあとに接続詞ἀλλάに導かれて従属節「ἐτρώθη τὸν δάκτυλον」が続きます。動詞が受動態なので「彼は指を傷つけられた。」という意味になります。全体をまとめると、「あるとき、エロスはバラの中で眠っていた蜂に気付かず、指を刺されてしまった。」となります。


Πατάξας τὰς χεῖρας, ὠλόλυξε· δραμὼν δὲ καὶ πετασθεὶς πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρην, ὄλωλα, μῆτερ, εἶπεν, ὄλωλα, κἀποθνήσκω.

πατάξαςは動詞πατάσσω「叩く」のアオリスト分詞の男性主格単数。τὰςは冠詞ὁの単数女性属格もしくは複数女性対格。χεῖραςは女性名詞χείρ「手」の複数体格。ὠλόλυξεは動詞ὀλολύζω「大声で泣く」の三人称単数第2アオリスト。δραμὼνは動詞τρέχω「走る」のアオリスト分詞の単数男性主格。δὲは接続詞「そして、しかし」。καὶは接続詞「そして」。πετασθεὶςは動詞πέτομαι「飛ぶ」の受動態第2アオリスト分詞の単数男性主格。πρὸςは対格支配の前置詞「の方へ」。τὴνは冠詞ὁの単数女性対格。καλὴνは形容詞καλός「美しい」の単数女性対格。Κυθήρηνは名詞Κυθηριάς「キュテレイア、アフロディーテ(ウェヌス)の別名」の単数女性対格。ὄλωλαは動詞ὄλλυμι「失う、死ぬ」の一人称単数完了。μῆτερは女性名詞μήτηρ「母」の単数呼格。εἶπενは動詞εἶπον「言う」の三人称単数アオリスト。κἀποθνήσκωは動詞ἀπόθνήσκω「死ぬ」の直説法か接続法の一人称単数現在。

ὠλόλυξεが主動詞で、その省略されている主語は文脈からエロスとなり、意味は「彼(エロス)は大声で泣いた。」です。πατάξας τὰς χεῖραςの分詞は男性主格単数なので、このエロスを修飾していると考えます。まとめると「両手を叩きながら彼は泣き喚いた。」となります。

δὲは前の文との接続詞。そのあとのκαὶが二つの分詞をつなぐ等位接続詞。δραμὼνは分詞の単数男性主格、πετασθεὶςも分詞の単数男性主格で、両者ともエロスの動作を表しています。πρὸςはこれらの動作の方向を示す前置詞で、その目的語が単数女性対格のτὴν καλὴν Κυθήρην「美しいキュテレイア(アフロディーテ)」です。ここでπετασθεὶςは受動態の活用語尾をしていますが、能動態のないデポネント動詞なので、受動態でも「飛んで」と訳します。ここまでをまとめると、「そして、彼(エロス)は走ったり、飛んだりして美しいキュテレイア(アフロディーテ)の方に向かった。」となります。

εἶπενは三人称単数アオリストで、この前後にある言葉がエロスの台詞であることを示しています。ὄλωλαは一人称単数完了の動詞で、エロスが自分を主語にして話している言葉です。同様にκἀποθνήσκωも一人称単数の動詞で、これもエロス自身の言葉です。ただしこれは完了形ではなく、現在形です。ὄλωλαは蜂に刺されたさっき起きた出来事を表していて、κἀποθνήσκωは死ぬほど痛くてたまらないという現在を表しています。ὄλλυμιもἀπόθνήσκωも「死ぬ」という意味がありますが、前者は刺されたときの様子なので、「怪我をした」と訳してみます。途中にあるμῆτερは呼格で「お母さん!」、これもやはりエロスの台詞です。まとめると、「『僕怪我しちゃったよ、お母さん、怪我しちゃったよ、僕死んじゃうよ』と彼(エロス)は言った。」と訳せます。


Ὄφις μ΄ ἔτυψε μικρὸς, πτερωτὸς, ὃν καλοῦσι μέλισσαν οἱ γεωργοί.

ὄφιςは男性名詞ὄφις「蛇」の単数主格か複数対格。μ΄はμεの母音省略で、人称代名詞の一人称単数対格。ἔτυψεは動詞τύπτω「叩く、刺す」の三人称単数アオリスト。μικρὸςは形容詞μικρός「小さい」の単数男性主格。πτερωτὸςは形容詞πτερωτός「羽のある」の単数(男性/女性)主格。ὃνは代名詞ὅς「」の単数(男性/中性)対格。καλοῦσιは動詞καλέω「呼ぶ」の三人称複数現在。μέλισσανは女性名詞μέλισσα「蜂」の単数対格か複数属格。οἱは冠詞ὁの複数男性主格。γεωργοίは男性名詞γεωργόςの複数主格。

主節はὄφις με ἔτυψεで、ἔτυψεは蛇による攻撃なので「噛まれる」として、子どもの台詞っぽくして「蛇が僕を噛んだんだ。」となります。ここも前の文からの続きで、エロスの台詞と考えています。μικρὸςとπτερωτὸςはともに単数男性主格で主語のὄφιςを修飾しています。ここまでで「小さくて、羽の生えた蛇が僕を噛んだんだ。」とします。実際はエロスは刺されたわけですが、蜂のことを知らないので、蛇をたとえに出したのでしょう。蛇を知っているエロスは、おそらく蛇の毒のことも知っていて、そのために彼は自分が死んでしまうと考えたのかもしれません。単数男性対格のὃνは人称代名詞ですが、ここでは関係代名詞の役割をしています。先行詞はὄφιςです。関係節の主語は複数男性主格のοἱ γεωργοίで、意味は「農家の人たち」です。動詞はκαλέωで、この動詞は二つの対格をとるとき「AをBと呼ぶ」という意味で訳せます。この文ではὃνとμέλισσανがその二つの対格です。関係節をまとめると、「農家の人たちが蜂と呼んでいる〜」となります。全体で、「農家の人たちが蜂と呼んでいる、小さくて羽の生えた蛇が僕を噛んだんだ。」となります。


Ἡ δ΄ εἶπεν· εἰ τὸ κέντρον πονεῖ τὸ τῆς μελίσσης, πόσον δοκεῖς πονοῦσιν, Ἔρως, ὅσους σὺ βάλλεις;

ἡは代名詞ὅςの単数女性主格。δ΄は接続詞δέの母音省略。εἶπενは動詞εἶπον「言う」の三人称単数アオリスト。εἰは接続詞εἰ「英語のifに相当」。τὸは冠詞ὁの単数中性(主格/呼格/対格)。κέντρονは中性名詞κέντρον「刺激、針、突き棒」の単数(主格/呼格/対格)。πονεῖは動詞πονέω「(自動詞)苦労する、(他動詞)苦しめる」の能動態三人称単数現在か受動態/中動態二人称単数現在。τῆςは冠詞ὁの単数女性属格。μελίσσηςは女性名詞μέλισσα「蜂」の単数属格。πόσονは疑問の相関代名詞πόσος「どれだけ?」の単数男性対格か単数中性(主格/呼格/対格)もしくは副詞。δοκεῖςは動詞δοκέω「考える、思う」の二人称単数現在。πονοῦσινは動詞πονέω「(自動詞)苦労する、(他動詞)苦しめる」の三人称複数現在。Ἔρωςは男性名詞Ἔρως「エロス(クピド)、愛」の単数主格。ὅσουςは関係の相関代名詞ὅσος「〜と同じくらいであるところの」の複数男性対格。 σὺは人称代名詞σύの二人称単数主格。βάλλειςは動詞βάλλω「投げる、攻撃する」の二人称単数現在。

δέは接続詞。ἡは三人称単数の代名詞で、文脈からエロスに話しかけられているアフロディーテのことだと分かります。ἡ δ΄ εἶπενは「そして彼女(アフロディーテ)は話した。」となります。その内容がこの後すべてです。すぐ後のεἰで条件節τὸ κέντρον πονεῖ τὸ τῆς μελίσσηςを導きます。ここで分からないことが一つあります。πονεῖの前のτὸ κέντρονと後ろのτὸが同じものを表しているとしか考えようがないことです。この文法的な理由がよくわかりません。とりあえず詩としての構成の関係上、τὸ κέντρονをπονεῖの前に置かざるを得ないのだけれど、前に出してしまうと、それを修飾する属格との距離が離れてしまうので、属格の修飾を受けるために代名詞をそこに残した。そう考えてみました。間違っていたらすみません。つまり条件節をπονεῖ τὸ κέντρον τῆς μελίσσηςと考えて解釈します。πονεῖは受動態二人称と考え「あなたは苦しめられる」とします。従って、τὸ κέντρον τῆς μελίσσηςは「蜂の針」と訳せるので、「あなた(エロス)が蜂の針に苦しめられているのならば、」となります。

次に主節です。主節はπόσον δοκεῖς πονοῦσινです。動詞はδοκεῖς「考える、思う」です。その後にも動詞πονοῦσινが並んでいますが、δοκέωは独立節を目的語にすることができるので、考える内容を表す節の動詞だと分かります。先頭の疑問詞πόσονは英語のhow much?、how many?などに相当する単語ですが、この場合δοκεῖς ではなくπονοῦσινに付属する間接疑問詞と考えます。πονοῦσινは前に別の形で出てきた動詞ですが、ここでは自動詞の能動態で「苦労する、苦しむ」と解釈します。主語は三人称複数となりますが、これはここまでに出てきた言葉にはありません。ここでは単に「人々、みんな、他の人」とします。動詞を自動詞と考えるので、πόσονは副詞となります。「みんながどんなに苦しいか、あなたは考える?」となります。

次のἜρωςは呼びかけです。そのあとはὅσουςが導く関係節σὺ βάλλειςです。男性複数与格のὅσουςは英語のas much asやas many asなどに相当する言葉です。先行詞にあたるのはπονοῦσινの複数主語となるでしょう。そして、σὺ βάλλειςのσὺ(英語の単数主格のyouに相当)は、ここもまだアフロディーテの発言なので、エロスを表しています。そして主語がエロスならば、彼は常に弓矢を携行しているので、動詞βάλλειςは「矢を射る、矢を刺す」となります。もちろん同じように人を尖った物で刺す蜂との対比です。複数対格のὅσουςはこの動詞の目的語になるので、エロスの矢の餌食になるたくさんの人々のことを表しています。「同じようにたくさんの人たちにあなたは刺している。」となります。

まとめるとこうなるでしょう。

すると彼女は言った。「あなたが蜂の針に苦しめられているのならば、他の人もどんなに苦しいか、考えてごらん?エロス!同じようにたくさんの人にあなたも矢を刺しているのよ。」


少し推敲して全体をまとめるとこうなります。

あるとき、エロスは、バラの中で眠ていた蜂に気が付かずに、指を刺されてしまった。両手を叩きながら、彼は泣き喚いて、美しきキュテレイアへ駆けて飛んで、「僕ケガしちゃったよ、お母さん!」彼は言った。「ケガしちゃったよ、僕死んじゃうよ。」「農家の人たちがハチと言ってる、小さくて羽の生えた蛇が僕を噛んだんだよ」。すると彼女は言った。「あなたが蜂の針に苦しんだのならば、他の人もどんなに苦しいか考えてごらんなさい。エロス!同じようにたくさんの人にあなたも矢を刺しているのよ。」

このままだと《ヴィーナスとマルス》とは似ても似つきません。キュテレイア(ウェヌス)と蜂という単語があるだけの詩にすぎません。


今度は、絵に合わせた翻訳を行います。

Ἔρως ποτ΄ ἐν ῥόδοισι κοιμωμένην μέλισσαν οὐκ εἶδεν, ἀλλ΄ ἐτρώθη τὸν δάκτυλον.

ποτ΄はπότεの省略形ですが、名詞πότηςの省略と考えることもできます。πότηςは男性名詞で「酔っ払い、酒豪」という意味の単語です。語尾が省略されているので、いろんな格・数とみなすことができます。この絵で酔っ払いに見えるのは横になっているアレス(マルス)です。次にἐν ῥόδοισιです。本来「バラの中」と訳されますが、ῥόδοισιを「バラ色の物」と考えてみます。またἐνは英語のinだけでなくon、at、byでもいいので、ἐν ῥόδοισιは「バラ色の物の上で」と解釈できます。κοιμωμένηνは中動態現在分詞の「眠っている」ではなく、受動態現在分詞で「なだめられている」とします。したがって、πότε ἐν ῥόδοισι κοιμωμένην μέλισσανは、ピンク色の敷布の上にいる酔っ払ったアレスが暴れないようになだめている蜂を表すことになります。この絵のようにぐったりとする前のことでしょう。蜂をなだめるというのがちょっと奇妙な表現ですが、蜂が暴れ出したら大変です。

rose

主節のἜρως μέλισσαν οὐκ εἶδενは本来「エロスは蜂を見ていなかった」となりますが、エロス(クピド)が大きな兜をかぶったサテュロスだとすれば、その兜が邪魔で周りが見えないのは絵のとおりです。まさに兜がいつもの布きれの代わりの立派な目隠しとなっています。エロスが矢でなく、槍で攻撃していることが奇妙ですが、矢は古典ギリシャ語でβέλοςであり、これは飛び道具全般も表します。イタリア語だとarma da lancioとなります。この絵の槍は投げない馬上槍試合で使うランスですが、これはイタリア語ではlancia da giostraであり、lanciaの一種であれば、投げる槍と同様にβέλοςの範疇となります。このように兜も槍もいつものエロスの装備の単なる言葉遊びになっているのが分かります。彼は確かにエロス(クピド)となります。

μέλισσανを修飾していた先ほど解釈した分詞句と合わせると、「酔っ払い(アレス)がバラ色の敷布の上でなだめている蜂をエロスは見ていなかった。」となります。これはアレスが起きているときの記述なので、この絵よりも前の出来事となり、この絵の中で見つけることはできません。やがて彼は眠くなり、この絵で描かれているように、そのバラ色の物の上で寝ているわけです。

blinderos

ἐτρώθη τὸν δάκτυλονが、そのまま「指を傷つけられた」だとすると、エロスの指に傷がないといけません。しかしどの指にも見つかりません。そこで三人称単数の主語が、この絵の中の別の誰かと仮定して、一本一本丹念に探していくと、ウェヌスのこれ見よがしに放り出している左足の親指に傷があります。意味ありげにアレスの右の人差し指が、この傷を指さしています。なおこのアレスの指差しの描写は、この詩ではなく、『物の本質について』の記述の中で明らかになります。

fingerwound

この文をまとめると、次のようになります。

酔っ払い(アレス)がバラ色の敷布の上でなだめている蜂をエロスは見ていなかった。そして彼女(アフロディーテ)は指を傷つけられた。


Πατάξας τὰς χεῖρας, ὠλόλυξε· δραμὼν δὲ καὶ πετασθεὶς πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρην, ὄλωλα, μῆτερ, εἶπεν, ὄλωλα, κἀποθνήσκω.

πατάξαςはπατάσσω「叩く、傷つける」の三人称単数アオリストとみなすことができるので、ここを分詞句ではなく節として考えます。τὰςを単数女性属格、χεῖραςを女性名詞χειράς「ひび」の主格と考えれば、この節の意味は「あなたは彼女のひびを傷つけた。」となります。これだとひびが既にあったように思えてしまうので、「あなたは彼女のひびをつけた。」とします。この「ひび」とは先ほど確認したアフロディーテの傷のことになります。ただこの主語は、この中に描かれた者でしょうが、まだ誰だかわかりません。ただアフロディーテを彼女と呼んでいるので、これはアフロディーテ以外の人物視点の言葉でしょう。そうなると傷を付けた者への批判の言葉となるでしょう。

次にὠλόλυξεです。これは「鋭い声を出す」という意味ですが、声代わりに音とすれば、これは右端のサテュロスが持っているほら貝の音を表していると考えることができます。イタリア語のvoceは声も楽器の音色も表すことができるので、この言い換えは可能です。つまり、ὠλόλυξεで「彼は鋭い音を発した。」となり、右端のサテュロスについての記述となります。

loudcrying

δὲは「そして」。δραμὼν καὶ πετασθεὶς πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρηνは真ん中のサテュロスの描写と考えます。彼は足を大きく開いて、走っている姿をしています。またしっぽの様子から彼が飛び跳ねている様子もわかります。そして顔がアフロディーテ(ウェヌス)の方を向いていいます。アフロディーテはそれだけで美しく描かれていますが、念を押すために宝石を身につけています。καλόςのイタリア語の意味の中にglorioso「輝かしい」があります。ここをまとめると「輝かしいアフロディーテの方を向いて走って、跳ねていた」となります。

runandjump

toAphrodite

次はὄλωλαの意味です。彼はどこも怪我はしていません。しかし、見ようによっては右腕を槍が貫通しています。この描写に対して、僕は壊れたと訴えているわけです。そしてアフロディーテをお母さんと呼んでいて、なおかつこの子は男の子のようですから、アフロディーテとアレスの間の男の子ども、フォボスかダイモスになるでしょう。εἶπενはそのまま「彼は言った」と訳します。確かに彼は口を開いています。もう一つ、ὄλωλαがあります。これはただ繰り返しとします。そしてκἀποθνήσκωです。これは自動詞のままで「僕死んじゃうよ!」とします。彼の顔の表情から母親の気を引こうとしているだけのように思われます。

まとめるとこうなります。

あなたは彼女(アフロディーテ)のひびを付けた。彼(右端のサテュロス)は鋭い音を発した。そして輝くアフロディーテの方を向いて走って跳ねながら、「僕壊れちゃったよ!お母さん」と彼(真ん中のサテュロス)が言った。「僕壊れちゃったよ。」「僕死んじゃうよ。」


Ὄφις μ΄ ἔτυψε μικρὸς, πτερωτὸς, ὃν καλοῦσι μέλισσαν οἱ γεωργοί.

ὄφιςは蛇のことですが、この絵の中には描かれていないようです。ただこの絵の中に描かれているサテュロスたちがアフロディーテの子どもを表しているのならば、右下の子どもはハルモニアになるでしょう。服を着ている点が女性であることを示しているのかもしれません。彼女がハルモニアならば、彼女は蛇に関係ある存在です。なぜなら、彼女は将来カドモスと結婚しますが、晩年彼とともに蛇の姿に変えられてしまいます。とはいっても彼女はまだ人の姿をしています。蛇といえばイタリア語ではserpente、ラテン語でもserpenteです。この語はラテン語の動詞serpo「這う」に由来する言葉です。したがってὄφιςjは語源にさかのぼって「這うもの」と考えれば、これは右下のサテュロスの腹這いになっている姿を表していることになります。この子は他の子よりも小さいのでμικρὸςはそのまま「小さい」と訳します。πτερωτὸςは「翼のある」という意味ですが、これはサテュロスたちの耳の形のことだとします。με ἔτυψεはそのまま「私を叩いた」とします。主節の部分をまとめると、「小さくて、翼のようなものがある、這っている者が私を叩いた」となります。つまり、アフロディーテの足指の傷を作ったのは右下の小さなサテュロス、そしておそらく彼女はアレス(マルス)とアフロディーテ(ウェヌス)の娘ハルモニアです。

serpo

後半のὃν καλοῦσι μέλισσαν οἱ γεωργοίは関係節で、本来の解釈と同じで先行詞はὄφιςです。οἱ γεωργοίは農家の人たちを表しますが、この絵には複数の農家の人たちは描かれていません。ハルモニアの前には植物があるので、彼女は農家かもしれませんが、彼女だけだと単数です。そこで辞書を探してみます。γεωργόςに近い綴りの言葉にΓεώργιοςがあります。この語はγεωργόςを語源とするもので、綴りとしては「i」があるかないかの違いです。このΓεώργιοςはキリスト教の英雄、聖ゲオルギオス(セント・ジョージ)のことで、国名のGeorgiaジョージアや人名のGeogeジョージの由来となるものです。聖ゲオルギオスは槍を使って竜を退治したことで有名な聖人です。そしてこの絵にも立派な槍が描かれています。つまり槍を抱えて悪者退治をしている彼らは「聖ゲオルギオスたち」というわけです。ゲオルギオスの綴りに「i」が足りませんが、それはアレスが支えている立てた棒で補えということでしょう。そういう綴りの不整合も、子どもたちの可愛らしい未熟さとそれを見守る親の姿として表現されています。

georgios

本来のこの文ではκαλοῦσιは呼び名を表す動詞として使いますが、この意味を絵で表現することは難しそうです。そこで、今回はこの動詞の意味をイタリア語のconvocore「呼び寄せている」とします。蜂の方向を向いて法螺貝を吹いている右端のサテュロスの行為を表す言葉とします。しかしそうするとμέλισσαν「蜂」という単語の解釈に困ります。このままでは文法的にうまく訳せません。そこでまた別の意味を考えます。μέλισσαは動詞μελίζω「ばらばらにする」もしくは「歌う」のアオリスト分詞の中性(主格/呼格/対格)でもあります。つまり、この語を分詞と考え、関係詞を修飾する形容詞とします。μέλισσα「蜂」は本来μέλι「蜂蜜」が由来とされますが、頭・胸・腹とはっきりと分かれた姿はこの分詞を使って形容することができます。そしてこれは右下のハルモニアを表す言葉にもなります。彼女は鎧の二つの穴から別々に体を出しています。つまり「体が別々のそれ」は蜂もハルモニアも表していると考えることができます。ただし聖ゲオルギオスたちからは、ハルモニアはそのような姿になっていることは見えていないので、これは「私」つまりアフロディーテの視点でのハルモニアの描写になるでしょう。

さて、最初の文にもμέλισσανという言葉がありました。そこでは蜂をなだめると解釈していましたが、μέλισσανがハルモニアを表しているとすると、蜂と解釈するよりももっとこの絵にあったものになります。小さな子どもなので、「なだめる」でもいいですが、「あやす」とします。この修正は最後のまとめで行います。ただアレスがあやしているときも、ハルモニアが絵のように体が別々に出ていたとは考えにくいので、この絵が描かれている時点での彼女の様子で、過去の彼女のことを呼んでいるとします。

この文章の解釈に戻ります。お母さんであるアフロディーテが傷つけられたことを知った彼らは、その犯人を退治しようとしているのでしょう。このときμέλισσανという言葉をそのまま「蜂」と理解してしまったようです。槍が蜂の巣の方を向いているので、エロスがちゃんと見えていないので断言はできませんけれど、その可能性が高いでしょう。しかし、そもそもアフロディーテは、ハルモニアが犯人だとエロスたちに気付かれないようにしたのかもしれません。そのため、小さくて、羽が生えて、体がばらばらな蛇が噛んだと言ったのかもしれません。神様が自分の子どもに対して嘘がつけないでしょうから、わざと難しい謎々の形で話したのでしょう。もちろん、この絵の謎解きをする人への問題でもあります。ところでμέλισσανという言葉がエロスたちに伝わっていなくてはなりませんが、アフロディーテは口を開いていません。厳密に考えると、同じ内容を子どもたちに少し前にしゃべっておく必要があるでしょう。

まとめると、こうなります。

小さくて翼のようなものが付いてる這う者(ハルモニア)が私(アフロディーテ)を叩いた。そして体が分かれているその者を聖ゲオルギスたち(男の子たち)が呼び寄せている。


Ἡ δ΄ εἶπεν· εἰ τὸ κέντρον πονεῖ τὸ τῆς μελίσσης, πόσον δοκεῖς πονοῦσιν, Ἔρως, ὅσους σὺ βάλλεις;

δέは接続詞です。ἡは三人称単数の代名詞で、この絵の中でしゃべっているように見えるのは真ん中のサテュロスか、右下のハルモニアです。今回はハルモニアとしましょう。ἡ δ΄ εἶπενは「そして彼女(ハルモニア)はしゃべった。」となります。

すぐ後のεἰで条件節τὸ κέντρον πονεῖ τὸ τῆς μελίσσηςを導きます。今回もこれを、πονεῖ τὸ κέντρον τῆς μελίσσηςと考えて解釈します。τὸ κέντρον τῆς μελίσσηςは本来「蜂の針」ですが、ハルモニアを体がばらばらな者と形容したので、τῆς μελίσσηςはハルモニアも表していると考えます。しかし、そうするとτὸ κέντρονの意味が「針」のままだとおかしくなります。そこで別な意味を考えてみるわけですが、κέντρονのイタリア語の意味を調べると、pungolo、stimoloという言葉が出てきます。英語ではgoadです。こらは刺激という意味を持ちますが、同時に家畜を追うときなどに使う「突き棒」を表します。これはハルモニアのすぐそばでアレスが左手で立てている金属の棒を表す言葉になるでしょう。この棒にハルモニアの手が触れた描写になっているので、それにより彼女に属する物という表現も可能になります。つまり、τὸ κέντρον τὸ τῆς μελίσσηςは「体がばらばらな者の突き棒」と解釈できます。この解釈は元々の蜂の針を表すこともできます。というより、これはハルモニアの台詞なので、自分への追及をかわそうと蜂へ転嫁した言いようだと考えた方がいいでしょう。そうするとこの節は、「蜂の針(体がばらばらな者の突き棒)が苦しめたのならば、」となります。

serpo

次にπόσον δοκεῖς πονοῦσινです。これは本来の解釈とほとんど同じでいいでしょう。πονοῦσινは自動詞とします。「みんながどれくらい困っているか、あなた考えてるの?」です。この場合、前も見ずに大きな槍を振り回しているエロスへの批判となります。構図的に槍はエロスの前の二人のサテュロスに刺さっているようにも見えます。アレスも槍に倒されたかのようになっています。ハルモニアは罪を犯しましたが、大騒ぎをしているエロスにも確かに非があります。こちらの節がこのような意味になると、前の節は条件よりも譲歩がいいかもしれません。ここまでをまとめると、「蜂の針(体がばらばらな者の突き棒)が苦しめたとしても、みんながどれくらい困っているか、あなた考えてるの?」となります。

georgios

次のἜρωςは呼びかけです。二人称の動詞の主語が誰であるかを示しています。そして次の文です。ὅσους σὺ βάλλειςは本来ὅσουςを関係詞として、英語のas many asのように訳していました。しかしこの語は感嘆文のhow many!やhow large!の意味でも使えます。ὅσουςは男性複数対格です。他動詞βάλλω「投げる」は、対格によって、攻撃する対象を表現する場合にも武器を表現する場合にも使えますが、その対格が男性複数ですから、この絵の場合は複数ある攻撃の対象と考えられます。つまり、絵で槍が二人のサテュロスとアレスを貫いているかのように描かれているので、これをこの言葉が表しているとするわけです。ちょうど全員男性です。「エロス!あなたはなんてたくさんの男の人を突き刺しているの!」という非難めいた台詞になっています。エロスは大きな槍まで持ち出して大騒ぎしていて、槍が人物に重なって描かれていますが、実際に刺さっているわけではありません。

まとめると、こうなります。

そして彼女(ハルモニア)はしゃべった。「蜂の針(体がばらばらな者の突き棒)が苦しめたとしても、みんながどれだけ困っているか、あなた考えてるの?エロス!あなたはなんてたくさんの男の人を突き刺しているの!」


絵に合わせてまじめに誤訳したものをまとめると次のようになります。

酔っ払い(アレス)がバラ色の敷布の上であやしているこの体が分かれている子(ハルモニア)をエロスは見ていなかった。そして彼女(アフロディーテ)は指を傷つけられた。お前は彼女(アフロディーテ)のひびを付けた。彼(右端のサテュロス)は鋭い音を発した。そして輝くアフロディーテの方を向いて走って跳ねながら、「僕壊れちゃったよ!お母さん」と彼(真ん中のサテュロス)が言った。「僕壊れちゃったよ」。「僕死んじゃうよ」。小さくて翼のようなものが付いてる這う者(ハルモニア)が私(アフロディーテ)を叩いた。そして体が分かれているその子を聖ゲオルギスたち(男の子たち)が呼び寄せている。 そして彼女(ハルモニア)はしゃべった。「蜂の針(体が分かれている子の突き棒)が苦しめたとしても、みんながどれだけ困っているか、あなた考えてるの?エロス!あなたはなんてたくさんの男の人を突き刺しているの!」


この詩を以前訳したものといくつか違ってしまいましたが、この記述が落書きされる前に描かれていたという設定の絵となります。ある日の日中の、夫婦と四人の小さな子どもたちの、ちょっとした事件の一コマという絵です。ぼーっと見ていただけでは絶対に気付かない内容です。『物の本質について』の文章はこの絵に対して落書きをする様子を記述したものとなります。アフロディーテに傷を負わせたのは、ハルモニアですが、彼女は既にアレスに捕らえられ、もうこれ以上悪さをしないように彼の鎧の中に閉じ込められています。彼女が罪を犯し捕らえられていることは、金属の棒とアレスの腕で作った牢屋がそれを表しています。

この詩の解釈だけでは、フォボス、ダイモス、ハルモニアという名前は推測できるだけで断定することはできません。しかし、サテュロスたちはそのような姿をしていますが、彼らはアレス(マルス)とアフロディーテ(ウェヌス)との間の子どもたちと考えてよいでしょう。大人のサテュロスは、暴力的な愛欲を象徴する存在なので、アレスとアフロディーテの子どもを表すものとしては、この姿は視覚的にとても的確なものと言えるでしょう。彼らが二人の子どもであるならば、それぞれフォボスかダイモス、そしてハルモニアとなります。またエロスはアレスの子ではありませんが、武器を持っているので暴力的な属性を満たしているとして彼もサテュロスのように描いていると考えられます。なおエロスのお腹が丸見えなのにおへそが描かれていない描写は、アフロディーテから生れたわけではないがアフロディーテの子どもとして扱われている、その特殊性を端的に示しています。

以前から「愛は力に勝つ」という、マルシリオ・フィチーノの『愛について』の金星(アフロディーテ)と火星(アレス)の説明から導かれるその思想が、この絵に描かれているということが言われていましたが、その解釈は当たらずといえども遠からずで、アレスを倒しているのは、アフロディーテではなく、本職のクピドです。もちろん、本当にクピドが槍で倒したわけではありませんが、そう見えるように描いていることに意味があると思われます。

書いている途中で度々新たな発見があったため、各投稿の間に不整合なところがいくつかありますが、以上のように今回と前回までの解釈により、《ヴィーナスとマルス》は『アナクレオンテア』の蜂とエロスの詩と『物の本質について』のウェヌスを讃える冒頭の部分の記述を重ねて描かれていることが説明できます。



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posted by takayan at 03:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(8)

今回は38行目からです。 これで『物の本質について』の冒頭のウェヌスを讃えている部分が終わります。

Hunc tu diva tuo recubantem corpore sancto
Circumfusa super suaveis ex ore loquelas
Funde petens placidam Romanis incluta pacem.
Nam neque nos agere hoc patriai tempore iniquo
Possumus aequo animo: nec Memmi clara propago
Talibus in rebus communi deesse saluti.

現在流布されている『物の本質について』のラテン語原文は、この後に数行挿入されてから、二人称の相手がウェヌスから切り替わった次の段落に続いていきます。しかしgoogle booksで調べてみると、ルネサンス期に近いものは、いわゆる『ウェヌスの讃歌』の部分がこれで終わっています。19世紀以降でないとその挿入は現れません。挿入されたものの方がルクレティウスが書いたものに近いのかもしれませんが、ここではボッティチェリの時代に読まれていたものに近いほうがいいわけですから、とりあえず、ここで終わりとします。


hunc tu diva tuo recubantem corpore sancto circumfusa super suaveis ex ore loquelas funde petens placidam Romanis incluta pacem.

まず単語の情報をまとめておきます。huncは代名詞、対格男性単数、意味は「これ」。tuは代名詞、主格/呼格男性/女性単数、意味は「あなた」。divaは女性名詞diva「女神」の主格/呼格/奪格単数、もしくは中性名詞divum「天空」の主格/呼格/与格複数、もしくは形容詞divus「神の、神聖な」の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数。tuoは形容詞tuus「あなたの」の奪格/与格男性/中性単数。recbantemは動詞recubo「横になる、寄りかかる」の現在分詞の対格男性/女性単数。corporeは中性名詞corpus「身体、肉、胴体」の奪格中性単数。sanctoは動詞sacio「承認する、制定する」の完了分詞の与格/奪格男性/中性単数、もしくは名詞sanctus「聖人」の与格/奪格男性単数、形容詞sanctus「神聖な」の与格/奪格男性/中性単数。circumfusaは動詞circumfundo「まわりに注ぐ、取り囲む」の完了分詞の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数。superは動詞supo「投げる、まき散らす」の接続法受動態現在一人称単数、もしくは副詞super「上に、上から、上で、さらに」、もしくは前置詞super「(奪格)の上で、の上に、の時に、について」「(対格)の上に、の上へ、を越えて、の向こうに」。suaveisは形容詞suavis「甘い、柔らかい、耳に快い」の主格/対格男性/女性複数。exは奪格支配の前置詞、意味は「から、より、に由来する、のために」。oreは動詞oro「懇願する、祈る、論じる」の命令法二人称現在、もしくは中性名詞os「口、話、表現、顔、発音」の奪格単数、もしくは中性名詞aurem「黄金」の呼格単数。loquelasは女性名詞loquela「言葉、話」の対格複数。fundeは中性名詞fundus「底、基礎」の呼格単数、もしくは動詞fundo「注ぐ、こぼす、ぬらす、(言葉を)発する」の命令法二人称単数現在。petensは動詞peto「向かう、攻撃する、追う」の現在分詞の主格/呼格単数、対格中性単数。placidamは形容詞placidus「静かな、穏やかな」の対格女性単数。romanisは男性名詞Romanus「ローマ人」の与格/奪格複数、もしくは形容詞Romanus「ローマの、ローマ人の」の与格/奪格複数。inclutaは形容詞inclutus「よく知られた、有名な」の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数。pacemは動詞paco「平和にする、平定する、開墾する、静める」の接続法一人称単数現在、もしくは女性名詞pax「平和、調和」の対格単数。

分詞句を複雑に含んだ長い文章です。分かりやすく主文だけを抜き出すと、tu diva suaveis loquelas ex ore funde です。そしてこの文に含まれている分詞句は、現在分詞対格男性単数のrecubantemを使ったhunc tuo recubantem corpore sanctoと、さらにこれを目的語に持つ完了分詞主格女性単数circumfusaを使ったcircumfusa super、そして現在分詞主格女性単数petensのpetens placidam Romanis incluta pacemです。

主文から解釈します。動詞は命令法二人称単数のfundeです。主語はtuで確かに二人称単数です。これは文脈から女神ウェヌスを表しています。divaは呼格で、主語の強意になっています。目的語はsuaveis loquelasで「甘い言葉を」です。oreは奪格で、ex oreは「口から」になります。fundo「こぼす」の意味は、これらの「言葉」と「口」から「(言葉を)発する」と考えられます。女神への命令なので祈り、懇願の表現になります。したがって主文だけまとめると、「女神よ!甘き言葉を発したまえ」です。

次にhunc tuo recubantem corpore sanctoを考えます。huncとrecubantem、tuoとcorporeと sanctoがそれぞれ結びつきます。そしてhunc recubantemは対格男性単数で、名詞化されて「このもたれている者」となります。これはウェヌスの膝の上に横になり下からウェヌスの顔を見上げているマルスを表しています。tuo corpose sanctoは与格中性単数で 「あなたの聖なる体に」となります。もちろんこれはウェヌスの体です。この与格は動詞としてのrecubantemの間接目的語になっていて、この分詞句全体で「あなたの聖なる体にもたれている者を」となります。これらはさらに完了分詞circumfusaの目的語になっています。

次はhunc tuo recubantem corpore sancto circumfusa superの意味を考えます。circumfusaが主格女性単数と解釈できるので、主文の主語であるウェヌスのことを表す語句であることが分かります。hunc tuo recubantem corpore sanctoは対格男性単数の目的語となり、意味は先ほどの通り「あなたの聖なる体にもたれている者を」です。superは前置詞の可能性もありますが、直後のsuaveisは既に示した通り主文の一部として考えた方がうまくいくので、ここでは副詞として解釈します。circumfundo「取り囲む」の意味が少し難しいです。これは受動態が中動態として解釈される動詞です。つまりここで使われているcircumfusaは完了分詞の形をしていますが、受動ではなく能動に訳されます。自分の体で囲んでいるわけですから、分かりやすく言い換えれば、「抱きしめている」と訳せます。それに副詞superがついて、「上から抱きしめている」となります。まとめると「あなたの聖なる体にもたれている者を上から抱きしめて」です。

次はpetens placidam Romanis incluta pacemです。petensも主格女性単数と解釈できるので、これもウェヌスについて記述された語句だと考えます。inclutaは呼格女性単数として、この語句が修飾しているものを強調しているとします。意味は「よく知られた女性よ!」です。placidamはpacemと結びついて、対格女性単数となり、意味は「穏やかな平和を」とします。Romanisは与格で、「ローマ人のために」とします。現在分詞petensは主動詞と同時と考えて、「請い求めながら」とします。まとめて「よく知られた女性よ!ローマ人のために穏やかな平和を請い求めながら」とします。

全体を合わせると、「女神よ!あなたの聖なる体にもたれている者を上から抱きしめながら、よく知られた女性よ!ローマ人のために穏やかな平和を請い求めながら、甘き言葉を発したまえ!」となります。マルスはウェヌスに膝枕をしてもらいながら、その愛の女神の美しい顔に見とれています。そして著者ルクレティウスは、ウェヌスに対して、あなたの膝の上に横になっている戦いの神マルスを上から抱きしめて、甘ったるい声でローマを平和にしてちょうだいっておねだりしてくれませんか、と願ったわけです。

 

絵に合わせた解釈を考えます。当然、この絵の中には本来の記述は描かれていません。他の解釈を考えます。この文で最初に分かるのはpacemです。以前paxに「調和」の意味があるので、右下の女の子ハルモニアを表していると解釈しました。ギリシャ神話のイレーネに相当する平和を司る女神パクスがいますが、ここでは調和の意味を優先させてハルモニアを指し示す言葉とします。そしてpacemがハルモニアを表すとなるとplacidam romanis pacemという語句はromanisが奪格と解釈できるので、「複数のローマ物のところにいる穏やかなハルモニア」と解釈できます。placidam pacemは対格単数になるので、何かの目的語になるのでしょうが、この段階ではまだ分かりません。ただこの解釈が正しければ、ハルモニアの周囲にローマと呼べるものがあるということになります。

そして見つけたローマと呼べるものが、ローマ秤(romano)とローマン・ヒヤシンス(giacinto romano)です。ハルモニアのすぐ前にある丸く凹んだ金属は、こちらにそこの部分を向けて置いてあるローマ秤のおもりだと思われます。正直この秤のおもりという解釈には自信がありません。他にローマと呼べるものがあるのかもしれませんが、とりあえず現時点ではこう解釈します。農業をやっているハルモニアならば、収穫物を測る秤ぐらい持っていてもおかしくありません。一方のローマン・ヒヤシンスとしているのは、ハルモニアの左手の前にある葉の茂った植物です。あまりヒヤシンスらしくありませんが、同じくボッティチェッリが描いた《春》の足下に生えているヒヤシンスが参考になります。

hyacinthharmonia

hyacinthprimavera

《春》の地面には少なくても三株のヒヤシンスが生えています。この中で一番分かりやすいのが上の図のものです。確かに《ヴィーナスとマルス》の右下にある植物と似ています。ちなみに《春》のこの植物の葉には「OI」という文字が刻まれているように見えます。これはオウィディウス『祭暦』5巻224行および『変身物語』10巻215行に記述されているヒアキントスが刻んだ嘆きの言葉を元にした描写だと考えられます。この文字は《春》のこの植物がヒヤシンスであることを示しています。

budszoom

ハルモニアが左手で抱えている果物のようなものはよく見ていると、意外にでこぼこしていて、筋が何本も通っています。これはヒヤシンスの蕾の塊かもしれません。実物よりも丸々としていて、葉の大きさと比べて大きすぎるように思えます。しかしヒヤシンスは甘い香りがするので、以前この塊を甘いものと解釈したことと矛盾は起きません。ハルモニアはこの蕾の塊を手で押さえつけているとします。出所の分からない植物の実よりも、そこに生えている甘い花の蕾のほうが合理的な解釈になるでしょう。下の写真は以前育てたヒヤシンスの蕾の写真です。

hyacinthbud

今度は主動詞fundeを考えてみます。これは二人称単数命令です。主な意味は「注ぐ、ぬらす、(言葉を)口に出す」で、すぐ近くにex oreがあることから、しゃべっているか、口から何かを出していると解釈できます。絵の中で口を開いているのは、マルス、真ん中のサテュロス、そしてハルモニアです。この後の語句でハルモニアのことを記述しているので、おそらくこれもそうでしょう。ハルモニアは口を開き、舌を見せ、何かしゃべっているような様子です。

ただこの主文の中で本来の目的語になっているsuaveis loquelasは、そのまま「言葉」の意味では描写として使えません。他の表現を考えてみます。loquelaのイタリア語の意味にlinguaggio「言葉」があり、これはラテン語のlingua「舌、言葉」に由来する言葉です。イタリア語にも同じ綴りのlingua「舌、言葉」があります。このlinguaの「舌」の意味を使うと、これで絵として描けるようになるでしょう。ハルモニアは舌を見せています。この単語でこの様子を表せそうに思えます。しかし、そう簡単にはいきません。このloquelasは対格複数としてしか解釈できないので、舌は複数必要です。真ん中のサテュロスも口を開けて舌を見せているので、この舌を含めた表現なのかもしれません。しかしこれだと動詞fundoが単数であることと矛盾が生じてしまいます。ではこれは舌ではなく、舌のような物を表していて、ハルモニアのそばに複数の物が描かれているのかもしれません。探してみると、彼女のすぐ近くに複数の舌の形をしたものが描かれていました。ハルモニアの下にある植物です。名前は分かりませんが、四方に四枚の舌状の葉が広がっています。これが二株描かれています。この植物があればハルモニアの舌を使って文章を考える必要もありません。この植物にふさわしい形容詞suaveisの意味は「柔らかい」でしょう。この植物が特定され、甘いものだとはっきりすれば、「甘い」という意味もあり得ます。それでは動詞fundoの意味です。ハルモニアの顔をよく見てみると、左頬によだれが流れているような描写があります。そして舌状の植物の右側のものには、四枚の葉の間に白い何かがあります。これはハルモニアのよだれを表しているように見えます。まとめると、tu diva suaveis ex ore loquelas fundeは「女神よ!あなたは柔らかな舌状のものたちを口から濡らしたまえ!」と解釈できます。実際この絵にそう解釈できるように描かれていますが、そういう意味になるように落書きをして手を加えたというストーリーなのでしょう。ハルモニアの口の周りをよく見るとよだれが描かれているのも分かります。これも後から書き足した落書きのように見えます。

os

 

tongues

次は、hunc recubantem tuo corpore sancto circumfusa superの意味を考えます。circumfusa superという記述がそのまま使えそうです。ハルモニアは左手で蕾の塊(もしくは果物)を上から自分の方へ抱え込んでいます。suaveisはさっきの解釈で既に使ったので、superは前置詞ではなく副詞として使います。

hyacinthharmonia

ところが、circumfusaという言葉を踏まえて、この絵をよく見るとさらに重要なことに気付きます。他のサテュロスも上から抱え込んでいます。左端のクピドと真ん中のサテュロスは槍を上から抱え込んでいます。右端のサテュロスも法螺貝をやはり上から抱え込んでいます。circumfusaは複数と解釈することもできるので、この語句で子どもたち全員の仕草を表していると考えても文法的に問題ありません。ただそうすると主動詞が示す単数主語との関係が切れてしまうので、文全体の構造を変える必要が出てきます。

circumfusa1

circumfusa2

circumfusa3

このアイデアに合わせて今度はtuo corpose sanctoの意味を考えます。本来これは与格ですが、場所を表す奪格と考えて、抱きかかえている仕草をしている子どもたちのいる場所を示していると考えます。そうすると、神聖な体はウェヌスではなくマルスと考えた方がいいでしょう。なぜならハルモニアが含まれているからです。したがって、tuo corpose sanctoは「神聖なあなた(マルス)の体のそばに」となります。残りはhunc recubantemです。本来は横になって膝枕をしてもらっているマルスを表現していますが、今回は子どもたちがそれぞれ抱え込んでいるものになります。つまり、左端のクピドと真ん中のサテュロスにとっては槍です。右端のサテュロスにとっては法螺貝です。そしてハルモニアにとっては蕾の塊(もしくは果物)です。これらの物に共通する性質は、recubantemまさに横になっていることです。circumfusa superを中性主格複数の名詞として主語とします。動詞はsum「いる」が省略されているとします。まとめると「あなた(マルス)の神聖な体のところでそこにある横になっている物を上から抱きしめている者たちがいる。」となります。

ところが、ここまで解釈してみると、さらに hunc tuo recubantem corpore sancto circumfusa super という語句で表現できるものがあることに気付きます。それはマルスの左腕の描写です。

circumfusa4

何度も指摘しているようにマルスの左腕は、突き棒と、絵の角とで矩形を作って、寝そべっているハルモニアを囲んでいます。動詞circumfundoの意味の一つ、accerchiare「取り囲む」を使えば、この描写を説明できます。確かにハルモニアは横になっていて、マルスの腕は上からハルモニアの体を囲んでいます。tuo corpore sanctoは随伴の奪格と考えて、自分の腕とともにハルモニアを囲んでいる様を表していると考えるわけです。腕とともにハルモニアを囲んでいるのは、突き棒ですが、これだけでは閉じません。絵の下の端まで届いていません。文法的に囲んでいる物が複数である必要があるので、この連結は必然となります。したがって「あなた(マルス)の聖なる体とともにこの横になっている者(ハルモニア)を囲んでいる物(突き棒と白い布)がある。」という解釈になります。

こうなると、次々に分かってきます。動詞circumfundoにはcingere「巻き付ける、まとう、身につける」という意味もあります。この絵の中で服を着ているのは横になっている者たちです。腰に布を掛けているマルスも例外ではありません。circumfusaは彼らが身につけている物を表すと考えます。服ですから体の上にあります。そしてウェヌス、ハルモニア、マルスはそれぞれ単数対格のhunc recubantemで表されるとします。複数の身につける物がありますが、それぞれは一人しか覆っていないからだと考えます。tuo corpore sanctoは場所を表す奪格として、マルスの体を表します。ウェヌスの服はマルスの足に接しています。ハルモニアの服も袖のところでマルスの指と接しています。そしてマルスの腰の布は当然マルスに触れています。この場合もsum「ある」が省略されているとします。したがって彼らの身につけている物を表す記述は「あなた(マルス)の聖なる体のそばにこの横たわっている者(ウェヌス/ハルモニア/マルス)を覆っている複数の物がある。」と解釈できます。横になっている者たちが体に何かをまとっている理由がこの記述にあるというわけです。

circumfusa5

circumfusa4

circumfusa6

途中に節ではなく、文があることにしたので、tu diva suaveis ex ore loquelas fundeは、tu divaとsuaveis ex ore loquelas fundeは分断されます。後半は主語の代名詞は省略していると考えれば、そのまま使えます。問題は前半のtu divaです。tuoは呼格と考えます。直後にマルスの体を示すtuo corposeがあるので、tuoはマルスを示していると考えます。次にdivaは、あとからハルモニアへの命令文が出てくるので、ハルモニアとし、さらにこれを奪格と考えます。したがって、tu divaは「女神(ハルモニア)のそばにいるあなた(マルス)よ!」とします。

解釈が残っているのは、最後の分詞句にあるpetensとinclutaです。本来の解釈では、petensは「追い求めながら」という副詞節の一部になっていますが、残りの目的語などを別の意味に使っているので、これも別の使い方をしなくてはいけません。一方のinclutaですが、「有名な」という意味では絵になりません。他の意味を考えます。inclutusのイタリア語での意味は形容詞illustreです。この語の古語表現は現代のchiaro「明るい、輝く」、luminoso「明るい、光を発する」という意味と同じになります。この絵が描かれたルネサンス期ではこの表現は古語ではなかったでしょう。この語はラテン語の動詞illustro「明るくする」に由来しています。そこでpetensとinclutaを組み合わせます。inclutaを中性対格複数と考えれば、petensの目的語にすることができます。そうすると「複数の輝く物を追い求めながら」となります。これはハルモニアの視線のことを表していると考えます。ハルモニアのおでこの角は二つとも輝いています。これがinclutaです。そしてこれを見上げる視線によって、彼女がそれを追い求めていることを表しています。先日解釈したときは角を単数形にするために、片方の角を線で消している描写があると指摘しましたが、それがよく見ないと分からなかったのは、他の場面ではここのように複数として解釈可能でなくてはならなかったからだと考えます。

最後に、この文の最初で、placidam pacem Romanisをひとまとまりに解釈していましたが、petens inclutaの解釈が分かると、Romanisをこれに含めた方がいいでしょう。そして残ったplacidam pacemは対格なので、感嘆の対格と解釈して、「穏やかなハルモニアよ!」とします。

この文全体をまとめるとこうなります。

女神(ハルモニア)のところにいるあなた(マルス)よ!あなた(マルス)の神聖な体のそばに横になった物(槍/法螺貝/蕾の塊)を上からか抱え込んでいる者たち(子どもたち)がいる/あなた(マルス)の聖なる体とともにこの横になっている者(ハルモニア)を囲んでいる物(突き棒と白い布)がある/あなた(マルス)の聖なる体のそばにこの横たわっている者(ウェヌス/ハルモニア/マルス)を覆っている複数の物がある。穏やかなハルモニアよ!あなたは、複数の輝く物を追い求めながら、柔らかな舌状の者たちを口から濡らしたまえ!

You(Mars) near goddess(Harmonia)! The persons(children) who is holding the lying object(spear/conch/buds) from above are near your(Mars) sacred body/The objects(stick&loincloth) which is surrounding the lying person(Harmonia) from above are with your(Mars) sacred body/The objects(cloths) which is covering the lying person(Venus/Harmonia/Mars) from above are near your(Mars) sacred body. Desiring the bright objects(horns of Harmonia), calm Harmonia!, Moisten  the soft tongue-like objects(four-leaf plants) from mouth!


nam neque nos agere hoc patriai tempore iniquo possumus aequo animo

namは接続詞で意味は「というのも、なぜなら、もちろん、確かに、一方、たとえば」。neque(nec)は、副詞「ではない」、接続詞「そして〜ではない」、もしくは接尾辞queの付いたne。neは動詞neo「紡ぐ、織る」は命令法二人称単数、もしくは副詞「しない、でない」、もしくは接続詞「〜しないように、〜するといけないから」、間投詞「本当に、実に、確かに」。nosは代名詞nos「わたしたち」の主格/呼格/対格男性/女性複数。agereは動詞ago「進める・・・」の不定法現在、命令法受動態二人称単数、受動態未来二人称単数、もしくは動詞agero「取り除く」の命令法二人称単数。hocは代名詞hic「これ」の主格/奪格/対格中性単数、奪格男性単数。patriai女性名詞patria「祖国」の属格/与格単数。temporeは中性名詞tempus「時間、時期」の奪格単数、もしくは中性名詞tempus「こめかみ、側頭部」の奪格単数。inquoは形容詞iniquus「平らではない、不満な」の与格/奪格男性/中性単数。possumusは動詞possum「できる」の一人称複数現在。aequoは形容詞aequus「平らな、水平な」の与格/奪格男性/中性単数、もしくは中性名詞aequum「平地、平等、正当」の与格/奪格単数、もしくは動詞aequo「平らにする、まっすぐにする、等しくする」の一人称単数現在。animoは男性名詞animus「精神、心」の与格奪格単数、もしくは動詞animo「生命を与える」の一人称単数現在。

動詞はpossumusで一人称複数現在で主語は一人称複数のnosです。hocとiniquoは奪格中性単数としてtemporeを修飾します。またpatriaiは属格単数としてtemporeを修飾します。aequoは奪格男性単数としてanimoを修飾します。hoc iniquo tempore patriaiは時期を表す奪格として「祖国の不安定なこの時期」となります。この本が書かれた時期は、岩波文庫の注釈には第一期三頭政治直前と書いてあります。ローマの歴史に明るくはありませんが、政情不安だったのでしょう。aequo animoも奪格ですが、これは手段を表し「平穏な心で」とします。問題は動詞agoの意味です。この語にはたくさんの意味が含まれますが、ここでは「行動する」としておきます。文の内容から考えて最初にあるnamは「なぜならば」とします。前の文をまとめると、「なぜならば、私たちは祖国の不安定なこの時期に平穏な心で行動できない。」となります。主語は私たちと複数ですが、ルクレティウス本人に限れば、平穏な心で行動することとは、この詩を書くことを指しているのでしょう。

絵に合わせた解釈を考えます。これはとても抽象的な記述なので、絵として描くのはとても大変だったでしょう。まず目に付くのがtemporeです。これは以前も出てきましたが、「こめかみ、頭」と同じ綴りです。これがiniquo「平らではない」というのですから、この絵の中で頭が平らではない人物を探してみます。すると、マルスの額だけがでこぼこしている描写であることに気付きます。これでこの記述全体がこの付近を表したものである可能性が出てきました。こうなるとpatriaiが表すものも限定されてきます。本来は「祖国」ですが、「起源となる場所」と考えるとマルスの頭のすぐ右に描かれている「蜂の巣」を表すと考えられます。この中から彼らは生れてくるわけですから。

次にaequo animoの意味です。aequoには「水平な」という意味があります。額のそばで水平と言えば、マルスの額と蜂の巣の間にある絵に付いた傷のような奇妙な直線が目にとまります。この存在には以前から気付いていましたが、保存中に絵が傷んでついたものだと思っていました。しかしこの記述があれば、この線も故意に描いたものになるでしょう。animusの意味を調べていくと、イタリア語で「inclinazione」という意味があります。この語には「傾斜」という意味があります。したがってaequo animoで「水平な傾斜」になります。またhoc tempore iniquoを奪格、patriaiを与格とすると、この直線の起点と終点を表していると考えることができます。あとは、これらの語をうまくまとめる動詞の意味を考えれば良さそうです。そこで蜂の巣の中を見ると、線の先端が一匹の蜂の体で終わっています。このことからagoは他動詞として、いままで奪格としてきたhocを単独の対格とし、この一匹の蜂を表すと考えます。そしてこの線がこの蜂のたどった軌道だとすると、動詞agoの意味として「導く」が使えそうです。

aequoanimo

この文は本来否定文ですが、線が実際引かれているので否定文ではないようです。そのためnequeを副詞ne「一方」に接尾辞queが付いたものと考えます。主語のnosは、今まで通りこの絵に手を加えているミンメウス主義者の人物です。この言葉からすると落書きをしているのは一人ではないようです。この文は現在形ですが、蜂はたどり着いた後なので、蜂がたどり着いて可能性が確認された後の絵という解釈にします。まとめるとこうなります。

そして一方で本当に私たちはそれ(蜂)を平らではない額から起源となる場所に水平な傾斜のものによって導くことができる。

and on the other hand truly we can lead it(bee) from the bumpy forehead to the origin by using the horizontal degree.


nec Memmi clara propago talibus in rebus communi deesse saluti.

nec(neque)は、副詞「ではない」、接続詞「そして〜ではない」。Memmiは男性名詞Memmiusの呼格/属格単数。claraは形容詞clarus「はっきりした、明るい、傑出した、悪名高い」の主格/呼格/奪格女性単数、主格/呼格/対格中性複数、もしくは動詞claro「明るくする、明瞭にする、著名にする」の命令法二人称単数現在。propagoは女性名詞propago「取り木、挿し枝、子孫、世代」の主格/呼格単数、もしくは動詞propago「増殖させる、存続する」の一人称単数現在。talibusは形容詞talis「このような」の与格/奪格複数。inは前置詞「(対格)へ、の中へ」か「(奪格)の中に、において」。rebusは女性名詞res「物、物事・・・」の与格奪格複数。communiは中性名詞commune「共有財産、共同体、国家」の与格/奪格単数、もしくは形容詞communis「共有の、共通の、愛想のよい」の与格/奪格/処格単数、もしくは動詞communio「砦で固める、強固にする」の命令法二人称単数。deesseは動詞desum「不在である、欠けている、助力しない」の不定法現在。salutiは女性名詞salus「健康、無事、安全、挨拶、健康と安寧の神Salus」の処格/与格単数。

この文は前の文と対になっています。主動詞がなく、代わりに不定詞がありますが、これは前の文と同じようにpossumがあってそれが省略されていると考えます。Memmiは以前も出てきたルクレティウスの援助者のメンミウスのことです。Memmiは属格男性単数でpropagoを修飾しています。そして形容詞claraは主格女性単数で、名詞propagoを修飾しています。形容詞talibusは奪格女性複数で女性名詞rebusを修飾しています。前置詞inは奪格支配で、このtalibus rebusを目的語にしています。形容詞communiは与格女性単数として、女性名詞salutiを修飾しています。そしてそれぞれ次の意味のまとまりとなります。memmi clara propagoは主格で、「メンミウス家の有能な後継者が」となります。in talibus rebusは奪格支配です。resの意味がいろいろ考えられますが、「状況」という意味もあるので、「このような状況において」とします。政情不安な状況を指しているのでしょう。communi salutiは与格で、目的を表すとして「国家の安全のために」とします。deesseは「助力しない」として、それをnecで否定します。まとめると「メンミウス家の有能な後継者でもこのような状況においては国家の安全のために助力しないことはできない。」となります。国家の安全のために助力するということは、今まで二度もこの詩の中で兵役について触れてきたわけですから、戦場に赴くということになると思います。このメンミウス家の後継者というのが、ルクレティウスの支援者本人のことか、それともその子どものことかは分かりません。前の文と合わせて、これがウェヌスからマルスにこの国を平和にしてくださいと頼んでもらっている理由になります。

絵に合わせた解釈です。salusは安全、健康、挨拶を意味しますが、語頭を大文字で書くと健康の神の名前にもなります。彼女はギリシャ神話のアスクレピオスの娘ヒュギエイアに対応します。Wikipediaでこの説明を読むととても興味深い記述があります(Wikipedia ヒュギエイアから引用)

アスクレーピオス信仰が広がるにつれてヒュギエイアに対する信仰も強くなり、女性神格であったことも影響して後には女性の健康を守る神、特にいわゆる婦人病に関しては大きな権能を持つとされ、当時の女性の間に彼女の絵姿や小さな彫像を髪飾りにすることなどが流行した。

ここにヒュギエイアの髪飾りのことが書かれています。つまりSalusの髪飾りです。まさにこれは以前指摘したウェヌスの左肩の上の髪の中にいる人影です。彼女は幸福の女神Salusだったわけです。この部分は彼女を使って解釈していきます。communioには「愛想のいい」という意味があるので、communioとSalutiは本来の解釈と同じように結びつけられます。そしてこれを処格とすると「愛想のよいサルースのところに」となります。したがって、この文はウェヌスの周りを表していると考えられます。

salus

この文の主語は本来の解釈と同じように、memmi clara propagoとします。ウェヌスの髪のそばにあるこの言葉から連想される物をいろいろ考えてみると、claraと呼べるものが見つかります。それはウェヌスの胸に飾られているおそらく水晶で作られた宝石です。一つの大きな玉の周りを小さな八つの玉が平面上に取り囲んでいます。この九つの玉には、白いハイライトが描かれ輝いている描写になっています。形容詞claraの一つの意味に「輝く」とあり、この描写と重なります。そしてこのハイライトをよく見ると人が写っているように見えます。これがmemmi propago「メンミウスの後継者」になるのではないでしょうか。つまり、これは密やかな犯行声明として意図的に、メンミウス主義者である落書きの首謀者とその協力者を自ら描き込んでいるということなのかもしれません。もしくは、ここにあるのは本来壁画ではないかと以前指摘しましたが、壁画であればこれは本物の宝石が埋め込まれたものと考えることもできます。それに落書きをしているメンミウス主義者である「私」がこの宝石の表面に映り込んでしまっているというわけです。例えば夜に明かりを持ってこの絵の場所に忍び込んで落書きをしているという設定が考えられます。この主語は単数ですが、ハイライトは複数あります。この矛盾の解決のためには、一人の人物が同時にそれぞれの表面に映り込んでいるか、または周りの玉に映り込んでいるのはメンミウス主義者ではなかったとか、考えればいいでしょう。とにかく、主語は「メンミウスの輝いている後継者が」となります。大きい宝石の中には胸のあたりに光を抱いた人物が描かれているように見えます。

memmiclarapropago

talibus in rebusも本来の解釈と同じ組み合わせです。resにはいくつもの意味がありますが、ここでは「作品」や「品物」という意味で考えて、このウェヌスの宝石を表しているとします。inという前置詞を表すために、宝石の中に人物が描かれていると考えるわけです。talis「このような」という言葉は日本語と同じように、文脈によって素晴らしいものを表すときにも、ひどいものを表すときにも使われますが、ここでは宝石を表すので、「これほど素晴らしい」と訳します。これをまとめると「これほど素晴らしい品物の中に」となります。

残るは動詞desseです。これは「不在である」と訳して、それをnecで否定して、結局存在することを表します。この文にも省略されているpossumがあるものとします。したがって、「不在であることができない。」となります。犯行声明であるならば、それこそ自己主張せずにはいられないということでしょう。もしくは鏡面になっているものの前で落書きをすれば、映り込みは必至だということでしょう。この文全体をまとめると、こうなります。

輝いているメンミウスの後継者が愛想のよいサルースのところのこれほど素晴らしい品物の中に存在しないことはできない。

bright successor of Memmius cannot be absent in the excellent thing near sociable Salus.


さて、これでルクレティウスの『物の本質について』の冒頭43行とボッティチェリの《ヴィーナスとマルス》の描写とを対応させることができました。まだいくつか根拠のほしい描写がありますが、それが今回の解釈の間違いによるものか、他の典拠となる文章があるためなのかはまだ分かりません。いくつかまだ誤訳も残っているでしょう。以前はマルスの腰布の端にあるキク科の植物の存在も示していましたが、今回はその解釈を使いませんでした。しかしやはりこの植物を表す記述は必要だと思います。

簡単にまとめます。この文章を絵として表現するためには、ちょっと複雑な設定が必要です。もともとこの絵はアナクレオンティアの古典ギリシャ語で書かれた蜂とクピドの詩を元に描かれています。それもわざと言葉遊びをした解釈になっています。本来その詩にはクピドと蜂とウェヌスしか出てこないのですが、この詩を絵として描くためにマルスと、マルスとウェヌスとの間の三人の子どもたちも加えられています。この詩には指を怪我したクピドが出てくるのですが、それがずれた解釈によってウェヌスの指の傷に変換されています。他にも、クピドはバラの中で休んでいるのですが、それはバラ色の敷布の上で寝ているマルスになっていたりしています。《ヴィーナスとマルス》の絵の世界には、このような解釈をずらして描かれた絵がまず存在しています。その絵に対してメンミウスの後継者が落書きをしながら、元の絵についての彼の解釈や、絵に対してとった自分の行動、書き換えたあとの絵の描写などを語っています。その語っている内容が、このルクレティウスの『物の本質のついて』の冒頭にあるウェヌスを讃えている部分を言葉遊びをしてできる解釈です。このミンメウスの後継者の話の内容はすべて絵として表現可能なものなので、それによって表されているものは修正された絵の内容となります。そして同時にその絵は当然私たちが見ている《ヴィーナスとマルス》というわけです。《ヴィーナスとマルス》という絵が表わしている意味はルクレティウスの詩とはまるっきり違いますが、その内容をラテン語で表せば、ルクレティウスの詩そのものとなります。

上記の古典ギリシャ語の詩とラテン語の詩は以下の詩のことです。この二つの詩がこの絵の典拠と言えます。

Ἔρως ποτ΄ ἐν ῥόδοισι
κοιμωμένην μέλισσαν
οὐκ εἶδεν, ἀλλ ΄ ἐτρώθη
τὸν δάκτυλον. Πατάξας
τὰς χεῖρας, ὠλόλυξε·
δραμὼν δὲ καὶ πετασθεὶς
πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρην,
ὄλωλα, μῆτερ, εἶπεν,
ὄλωλα,κἀποθνήσκω.
Ὄφις μ΄ ἔτυψε μικρὸς,
πτερωτὸς, ὃν καλοῦσι
μέλισσαν οἱ γεωργοί.
Ἡ δ΄ εἶπεν · εἰ τὸ κέντρον
πονεῖ τὸ τῆς μελίσσης,
πόσον δοκεῖς πονοῦσιν,
Ἔρως, ὅσους σὺ βάλλεις;

 

AEneadum genitrix hominum divumque voluptas
Alma Venus: caeli subter labentia signa
Quae mare navigerum: quae terras frugiferenteis
Concelebras: per te quoniam genus omne animantum
Concipitur. visitque exortum lumina solis.
Te dea te fugiunt venti: te nubila caeli:
Adventumque tuum: tibi suaves daedala tellus
Submittit flores: tibi rident aequora ponti:
Placatumque nitet diffuso lumine caelum.
Nam simul ac species patefactast verna diei
Et reserata viget genitabilis aura favoni
Aeriae primum volucres te diva: tuumque
Significant initum perculsae corda tua vi.
Inde ferae pecudes persultant pabula laeta:
Et rapidos tranant amneis: ita capta lepore
Te sequitur cupide: quo quanque inducere pergis.
Denique per maria: ac monteis: fluviosque rapaces :
Frondiferasque domos avium: camposque vireteis
Omnibus incutiens blandum per pectora amorem    
Efficis: ut cupide generatim secla propagent.
Quae quoniam rerum naturam sola gubernas:
Nec sine te quicquam dias in luminis oras
Exoritur: neque fit laetum: neque amabile quicquam:
Te sociam studeo scribendis versibus esse:
Quos ego de rerum natura pangere conor
Memmiadae nostro: quem tu dea tempore in omni
Omnibus ornatum voluisti excellere rebus.
Quo magis aeternum da dictis diva leporem:
Effice ut interea fera munera militiai
Per maria: ac terras omneis sopita quiescant.
Nam tu sola potes tranquilla pace iuvare
Mortales : quoniam belli fera munera Mavors
Armipotens regit: in gremium qui saepe tuum se
Reiicit aeterno devictus volnere amoris:
Atque ita suspirans tereti cervice reposta.
Pascit amore avidos inhians in te dea visus:
Eque tuo pendet resupini spiritus ore.
Hunc tu diva tuo recubantem corpore sancto
Circunfusa super suaveis ex ore loquelas
Funde petens placidam Romanis incluta pacem.
Nam neque nos agere hoc patriai tempore iniquo
Possumus aequo animo: nec Memmi clara propago
Talibus in rebus communi deesse saluti.



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posted by takayan at 03:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(7)

今回は28行目からです。 2年前に解釈した部分の再考です。かなり修正します。正直、以前の自分の未熟さが恥ずかしいです。当時の解釈が強引だったのは、今から思うとこれらの言葉が示すべき描写を見つけられなかったからです。

Quo magis aeternum da dictis diva leporem:
Effice ut interea fera munera militiai
Per maria: ac terras omneis sopita quiescant.
Nam tu sola potes tranquilla pace iuvare
Mortalis : quoniam belli fera munera Mavors
Armipotens regit: in gremium qui saepe tuum se
Reiicit aeterno devictus volnere amoris:
Atque ita suspiciens tereti cervice reposta.
Pascit amore avidos inhians in te dea visus:
Eque tuo pendet resupini spiritus ore.


quo magis aeternum da dictis diva leporem:

quoは疑問代名詞quisの奪格単数か疑問形容詞quiの男性/中性奪格単数、関係代名詞quiの男性/中性奪格単数、もしくは副詞「どこへ、何のために」、副詞/接続詞「その結果、それゆえに」。magisは男性名詞magus「賢者」、もしくは形容詞magus「魔法の」の与格/奪格複数、副詞「もっと」。aeternumは形容詞aeternus「永遠の」の主格/呼格/対格中性単数か対格男性単数。daは動詞do「与える、許す」の命令法二人称単数。dictisは動詞dico「ささげる」の完了分詞の与格/奪格複数、もしくは中性名詞dictum「言われたこと、表現」の与格/奪格中性複数。divaは女性名詞diva「女神」の主格/呼格/奪格単数。中性名詞divum「露天」の主格/呼格/対格複数、もしくは形容詞divus「神のような」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。leporemの男性名詞lepos「魅力、機知」の対格男性単数、もしくは男性名詞lepus「野うさぎ」の対格男性単数。

quoはここでは副詞「それゆえに」と考えます。この文の動詞はdaで、これはdo「与える」の命令法二人称単数です。この動詞の目的語として、与格がdictisで、対格がaeternum leporemです。それぞれの意味は、dictisはこの場合この『物の本質について』という詩そのものを表し、aeternum leporemは「永遠の魅力を」になります。magisは副詞として「もっと」とします。divaは女性名詞の呼格単数で「女神よ!」とします。まとめると、「それゆえに、女神よ!詩にもっと永遠の魅力を与えたまえ!」となります。

これを絵に合わせて解釈します。以前はこれを「それゆえ、女神よ!この物語に決して見破られない言葉遊びを許したまえ!」としました。これはとても面白い、この絵にあった訳だったのですが、この訳は撤回します。理由はこの絵の中に「野うさぎ」と呼べるものを見つけてしまったからです。

leporem

ウェヌスの左肩の上を拡大したものです。これもやはりはっきりとはしませんが、それでも耳の長い生き物が描かれているのがわかります。ここまで細かく描かれていれば、絵の具の濃淡が偶然動物に見えるということはないでしょう。なおピエロ・ディ・コジモの≪ヴィーナスとマルス≫にもヴィーナスに触れるように兎が描かれています。この兎は有名ですが、ヴィーナスと兎との関係はボッティチェリの方が先だったことが分かります。

aeternumは「永遠に残る」とし、aeternum leporemを「永遠に残る野うさぎを」とします。絵の中に描けばずっとそれが残るわけです。divaは場所を表す奪格単数として「女神のそばに」とします。ウェヌスに接して描かれているので、この言葉のとおりです。dictisは動詞dicoの完了分詞ですが、dicoのイタリア語での意味にesprimere「表現する」があります。過去分詞なので、dictisは「表現されたもの、描かれたもの」つまりこの絵と解釈できます。daは願望よりも許可を与える意味の方が意味が通るので、「許したまえ」とします。残りは従来の意味をそのまま使います。まとめると、次のようになります。

それゆえに絵に永遠に残る野うさぎを女神のそばに許したまえ!

therefore allow the immortal hare to this drawing near diva!


effice ut interea fera munera militiai per maria ac terras omneis sopita quiescant.

efficeは動詞efficio「産出する、もたらす、引き起こす、証明する」の命令法二人称単数現在。utは接続詞「〜するために」で接続法の副詞節を導く。intereaは副詞「その間に、しかしながら」。feraは女性名詞fera「野獣」の主格/呼格/奪格単数か、形容詞ferus「野生の、残忍な」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。muneraは動詞munero「与える、贈る」の命令法二人称単数か、中性名詞munus「義務、務め、捧げ物、重荷」の主格/呼格/対格複数。militiaiは女性名詞militia「軍務、戦闘、軍隊」の属格/与格単数。perは前置詞「通って、の間に、によって」。mariaは中性名詞mare「海」の主格/呼格/対格複数、もしくは形容詞mas「男の」の主格/呼格/対格中性複数。acは接続詞「そして」。terrasは女性名詞terra「地面、大地」の対格複数。omneisは形容詞omnis「それぞれ、すべての」の主格/対格複数。sopitaは動詞sopia「眠らせる、麻痺させる」の完了分詞の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。quiescantは動詞quiesco「休養する、横になる」の接続法三人称単数現在。

fera muneraは中性主格複数として「野蛮な務め」とします。それに属格のmilitiaが修飾していて、「戦の野蛮な務め」とし、これがこの節の主語とします。per maria ac terras omneisが一つの長い前置詞句として、perの目的語は maria ac terras omneisで、形容詞omneisはmariaにもterrasにもかかっているとして、意味は「すべての海と大地において」とします。quiescantはeffice utに呼応している接続法で、「休止するように仕向けたまえ!」となります。完了分詞sopitaは主動詞より先に起きる出来事を表していて、合わせて「静められて、休止する」とします。まとめると、「その間に、すべての海と大地において野蛮な戦の務めが、静められて、休止するように仕向けたまえ!」となります。これは女神ウェヌスへの願いです。

次に絵に合わせた解釈です。ここに出てくる単語の具象的な意味を調べていくと、muneraに困ります。そこで他の部分からこれを推測します。まず、この絵には海が描かれていないので、以前のようにmariaを形容詞masの対格中性複数とし、その名詞化の「男たち」と解釈してみます。そうするとmuneraは「槍」を表す何かであれば、うまくいきそうなことが分かります。それを踏まえてmunerusのイタリア語の意味を調べていくと、名詞prodotto「製品」というのが見つかります。そしてこの語と同じ綴りの形容詞prodotto「伸びた、延ばされた、拡張した、長い」があることに気付きます。これを名詞化して「長い物」と考えれば、fera munera militiaiは「戦の野蛮な長い物」と解釈できます。本来muneraには「長い物」という意味はありませんが、言葉遊びをすればこのような解釈が可能になります。ただしmuneraは複数形なので、これは槍だけでなく、おそらくマルスが左手で支えている突き棒も表しています。これも武器になりそうなので、militiaiという形容詞が使えます。

per mariaは「男たちを貫いて」と解釈します。たしかに槍は三人の子どものサテュロスたちの体を貫いて見えます。さらにマルスの頭の後ろに槍の先端の存在を想像できるので、mariaにマルスを含めて考えることができます。したがって、fera munera militia per mariaは「男たちを貫いている戦いの長い物」となります。

volnereamoris

ただ槍はこの解釈でいいのですが、突き棒についてもper mariaが意味を持たなくてはなりません。それには、ちょっと工夫が必要です。まず、マルスがこの突き棒を押さえている部分を拡大して見ると、指先が透けて向こう側に見えているように見えます。つまりマルスの指の前に突き棒があります。指の先で押さえているのではなく、指の側面で倒れないように支えていることを表していると考えられます。したがってマルスの指、つまりマルスと突き棒の位置関係は前置詞perで記述できます。しかしこれだけでは単数です。少なくともあと一つ棒が越えるものが必要になります。この突き棒はハルモニアの前に描かれています。ハルモニアが男の子ならばこの描写を表していると考えてもいいのですが、そうするとこの子を女の子だとしてきた今までの解釈に矛盾してしまいます。そこでハルモニアの格好に着目します。彼女はマルスの鎧をまとっていて、まるで男性のような格好をしています。《パラスとケンタウロス》ではケンタウロスの手が胸を隠す女性のような仕草をしているとして、彼を女性と見なした解釈をしましたが、ここでもマルスの鎧をまとっていることを理由に、彼女を一時的に男の子と見なして解釈することにします。これでなんとか、fera munera militia per mariaを「男たちを越えている戦いの長い物」という意味で、この突き棒の描写を表していると解釈できます。

permarem

feramuneramilitia2

今度は残りのac terras omneis sopita quiescant の解釈です。この絵には確かに大地が描かれているので、そのまま使えそうですが、これがうまくいきません。そこで以前そうしたようにterraの意味をsuolo「地表」とし、その語のトスカーナ方言での意味「層状の物」を使います。なぜなら、槍の先にも、突き棒にも層状の物がはっきりと描かれているからです。槍の先には法螺貝があり、その模様が層状に描かれています。突き棒の下にはマルスの腰にかけてある白い布がちょうど突き棒の通る部分で層状に描かれています。なおハルモニアの右手が触れている黒い部分は、おそらく黒土の地表を表しています。これだけだと単数になってしまうので、やはり層状の布も合わせて考えなくてはいけないでしょう。

terrasomneissopita

問題は分詞sopitaです。これを奪格女性単数とすると「層状の物」の場所を示せるかもしれません。以前の解釈では動詞sopioが「陰茎」sopioと同じ綴りであることを利用して解釈しましたが、今回はこの解釈を変更します。動詞sopioには「眠らせる、静める」の意味があります。マルスの布の近くのハルモニアはマルスの作る矩形の中で、静かになるように閉じ込められています。したがって、彼女を指してsopitaを「静められている女性のところで」と解釈できます。一方、法螺貝の近くにいるのはマルスです。以前示したようにこの絵では法螺貝はマルスを眠らせるために鳴らされています。したがって、マルスを指してsopitaを「眠らせられた者のところで」もしくは「静められた者のところで」と解釈できます。しかし、sopitaは女性形です。単語の性はいままでの言葉遊びではかなり厳密に守られてきました。したがって、この解釈は無理のようです。そもそもこれを奪格として扱うためには単数でなくてはならないので、この考えではうまくいきません。

今度は動詞の方から考えてみます。quiescantは動詞quiescoの接続法です。quiescoは自動詞で「休養する、眠る、静まる」の意味があります。これのイタリア語での意味にriposareがあります。riposareの自動詞としての意味は「休養する」で、他動詞としての意味は「休ませる」です。この語はラテン語のpauso「止まる」に継続の接頭辞reが付いたもので、原義的には「止まったままである」という意味になります。何が言いたいかというと、quiescoは本来自動詞ですが、意味をriposareとすると、言葉遊びで他動詞の「止まったままにする」と解釈できます。sopitaを主格中性複数とし、muneraを対格中性複数とすれば、munera sopita quiescuntは「静められた者たちが複数の長い物を止めたままにする。」となります。絵を見ると、突き棒に対してはマルスとハルモニアが支えています。槍に対しては真ん中のサテュロスの両腕の上からマルスが膝で支え止めているように描かれています。つまり、静められた者二人が長い物をその位置に留めています。

feramuneramilitia2

quiescant1

しかし、突き棒はマルスとハルモニアだけに支えられていますが、槍はマルスだけでなくサテュロスたちにも支えられています。彼らもsopitaと形容できなくては、この解釈は成り立ちません。その解釈を追加します。まずクピドですが、彼は本来の姿でも、またこの絵の姿でも、目が見えないようにされています。sopioの英語の意味には「to render insensible(無感覚にする)」があります。つまり視覚を奪われているクピドはsopita「(目を)無感覚にされた者」と呼ぶことができます。次は真ん中のサテュロスです。彼は以前の解釈で不安から逃れるために母親ウェヌスの顔を見ているとしましたが、ウェヌスの方もしっかりと彼を見つめ返しています。したがって、彼はウェヌスによってなだめられています。つまり真ん中のサテュロスもsopita「なだめられた者」と解釈できます。右端のサテュロスは槍をもってはいませんから彼を含める必要はありません。これで槍を支えている三人全員がsopitaと呼べる存在だと解釈できました。いままで訳していなかった形容詞omneis「すべて」はsopitaを修飾していると考えます。

sopita

最後にefficeです。これはut以降のいままで解釈してきた副詞節を伴います。いろんな意味が考えられますが、ここではdimostrare「明らかにする、表す、証明する」を使います。命令法ですが、命令する相手はこの絵の中の人物ではどうしてもうまくいかないので、この絵を見ている者とします。まとめるとこうなります。

その間に男たちと層状のものを貫いたり越えたりしている複数の戦いの野蛮な長い物を、すべての静められた者たちが止めているらしいことを明らかにしてください!

meanwhile demonstrate that the persons who are calmed may stop the wild long things of warfare which are through the men and the laminar things!

この命令への応答はこの説明そのものとなります。


nam tu sola potes tranquilla pace iuvare mortalis:

namは接続詞「なぜなら、もちろん、一方、たとえば」。tuは人称代名詞tu「あなた」の主格/対格単数。solaは中性名詞solum「底、床」の主格/呼格/対格複数、もしくは形容詞solus「一つの」の主格/対格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。potesは動詞possum「できる」の二人称単数現在、もしくは動詞poto「酔う」の接続法二人称単数現在。tranquillaは中性名詞tranquillum「穏やかな天候」の主格/呼格/対格複数、形容詞tranquillus「静かな、穏やかな」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数、もしくは動詞tranquillo「静かにする、穏やかにする」の命令法二人称単数現在。paceは女性名詞pax「平和」の奪格単数。iuvareは動詞juvo「助ける、支える、喜ばせる」の不定法現在、受動態二人称単数現在、命令法二人称単数現在。mortalisは形容詞mortalis「死すべき、はかない」の主格/対格/呼格複数、属格単数、対格複数、また名詞としても使われて「死すべき者、人間」。

solaは主格女性単数で、tuを修飾して主語とします。このtu「あなた」はウェヌスを指し、「あなたただ一人が」となります。potesは二人称単数現在で、不定法現在のiuvareを目的語にとり、合わせて「喜ばせることができる。」となります。tranquilla paceは奪格女性単数で、「穏やかな平和によって」となり、喜ばせる手段を示しています。martalisは対格複数で、「死すべき存在」つまり「人類、人々」を表し、喜ばせる対象を示します。まとめると、「なぜならあなたただ一人が人々を穏やかな平和によって喜ばせるのだから。」となります。

絵を解釈する場合は、二つの文に分けて考えます。nam tu sola potesと、tranquilla pace iuvare mortalisです。tuはマルスを指していると考えます。solaは奪格として、名詞化して、「一人の女性のところで」とします。これは右下の女の子を表しているとします。potesは動詞possumではなく、動詞potoの活用形とします。接続法になるので、これで可能性を表しているとします。この部分だけで、「なぜならあなた(マルス)は一人の女性のところで酔っぱらっているかもしれない。」となります。

paceiuvare

次は後半です。まずpaceは名詞paxで意味は「平和」です。英語で意味を調べると、peaceとharmonyがあります。このharmonyはギリシャ語のἉρμονίαに由来しています。いままで右下にいるサテュロスを女の子とし、ウェヌスとマルスの子どもハルモニアとしてきました。これは以前アナクレオンテアの詩などにより推測したものです。ここに現れたpaceという言葉はこれまでの解釈と矛盾なく一致させることができます。したがってtranquilla paceは奪格女性単数で「穏やかなハルモニア」となります。この文の主語はmortalisでここでは死人のように寝ているマルスを表しているとします。この文の動詞はiuvareで、本来は不定法現在なのですが、これは受動態二人称単数現在の形とも解釈できます。意味は「支えられている」とします。ハルモニアが直接支えてはいませんが、見ようによっては、彼女の頭に直接左腕をかけ寄りかかっているように描かれています。この部分は「死んだような人は穏やかなハルモニアによって支えられている。」となります。

まとめるとこうなります。

なぜならあなた(マルス)は一人の女性(ハルモニア)のところで酔っているかもしれない。死んだような人は穏やかなハルモニアによって支えられている。

Because you (mars) may be drunk near lonely girl (harmonia). The man (mars) as dead is supported by calm Harmonia.


quoniam belli fera munera Mavors armipotens regit:

quoniamは接続詞「なぜなら」。belliは中性名詞bellum「戦争、戦い」の属格、形容詞bellus「かわいい、魅力的な」の男性/中性属格単数、男性主格/呼格複数、もしくは女性名詞bellis「ヒナギク」の与格/奪格単数。feraは女性名詞fera「野獣」の主格/呼格/奪格単数、形容詞ferus「野生の、残酷な」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。muneroは動詞munero「与える、贈る」の命令法二人称単数、もしくは中性名詞munus「義務」の主格/呼格/対格複数。Movorsは男性名詞Mavors「マルス」の主格/呼格単数。armipotensは形容詞armipotens「勇壮な、武力に優れた」の主格/呼格単数および中性呼格単数。regitは動詞rego「支配する、案内する、固定している」の三人称単数現在。

接続詞quoniamは「〜だから」とします。この文の動詞は三人称単数のregitで、主語はMavors armipotensです。これが形容詞armipotensの主格単数男性がMavorsを修飾している形です。意味は「勇壮なマルスが」です。動詞の目的語は中性名詞munus「義務」の対格複数であるmuneraで、これを形容詞ferus「野蛮な」の中性対格複数feraと、中性名詞bellum「戦い」の属格単数が修飾しています。まとめると、「戦の野蛮な義務を勇壮なマルスが支配しているのだから」となります。

絵の解釈です。belli feraは合成語bellifera「好戦的な、勇ましい」としても解釈できます。そしてさきほどやったようにmunerusをイタリア語の意味prodotto「製品」とし、さらに同じ綴りの形容詞prodotto「伸びた、延ばされた、拡張した、長い」を名詞化したものと解釈します。「勇ましい長いもの」を対格として扱うには複数形でなくてはならないので、サテュロスが抱えている槍と、マルスが左手で支えている突き棒が、この語が表しているものだと分かります。そして最後に動詞regoの意味です。regoのイタリア語の意味にfissare「固定させる」があります。突き棒は左手の中指で固定しています。そしてもう一方の槍も絵の上では真ん中のサテュロスの槍を抱えている両方の腕を、マルスの腕で支えているように描かれています。実際は位置がずれているので支えていないはずですが、絵ではそう解釈できるような構図になっています。ここらあたりは、上の行とほとんど同じ解釈です。

regit1

regit2

まとめると次のようになります。

勇壮なマルスは好戦的な長いものを固定させている。

Strong Mars fastens martial long things.


in gremium qui saepe tuum se reiicit aeterno devictus volnere amoris:

inは前置詞「〜に(奪格)、〜へ(対格)」。gremiumは中性名詞gremium「膝(lap)、胸、しげみ、くぼみ」の主格/呼格/対格単数。quiは疑問代名詞quisの男性主格複数、疑問形容詞quiの男性主格単数/複数、関係代名詞quiの男性主格単数/複数、副詞「どのように」、もしくは動詞queo「できる」の命令法二人称単数。saepeは副詞「しばしば」、もしくは女性名詞saepes「垣、塀」の奪格単数。tuumは形容詞tuusの主格/呼格/対格中性単数、対格男性単数。seは再帰代名詞seの奪格/対格。reiicitは動詞rejicio「投げ出す、背後に投げる、身を投げ出す」の三人称単数現在。aeternoは動詞aeterno「永遠にする、不滅にする」の一人称単数現在、もしくは形容詞aeternus「永遠の、不滅の」の男性/中性の与格/奪格単数。devictusは動詞devinco「征服する、完勝する、打ち負かす」の完了分詞男性主格単数。volnereは動詞volnus「傷、槍、心の傷」の奪格中性単数。amorisは男性名詞amor「愛、愛する人、クピド」の属格単数。

tuumはgremiumと結びつき、前置詞の目的語になります。これは対格なので in tuum gremiumは「あなたの膝の上へ」となります。このあなたとはウェヌスです。この文の動詞はreiicitで、再帰代名詞seを伴い、意味は「自らの身を投げ出す」とし、その投げ出す方向がウェヌスの膝の上ということです。そしてsaepeは副詞で、その投げ出す頻度が「しばしば」というわけです。もちろん主語はマルスになるのですが、この文では男性主格単数の関係代名詞quiがその役割を果たしています。形容詞aeternoは奪格中性単数で名詞volnereを修飾します。属格のamorisもvolnereを修飾していて、合わせると「永遠の恋の痛手」となります。この奪格は完了分詞devictusにその原因として付きます。そして分詞devictusは主格男性単数で主語を修飾します。これは主動詞より前に起きたことになります。まとめると、「そして彼(マルス)は、永遠の恋の痛手によって打ち負かされて、しばしばあなたの膝の上へと身を投げ出す。」となります。

絵の解釈です。以前volnere amorisをウェヌスの傷としてしまいましたが、これが以前の解釈を訳が分からないものにしていました。その解釈は間違いでした。中性名詞volnusの意味には傷の原因となる「槍、矢」もあります。これを使うと、volnere amorisは「アモル(クピド)の槍」と訳せます。こちらがこの絵にとって正しい解釈となるでしょう。この絵で何故槍が描かれているのか、そしてその槍の柄の部分を抱えているサテュロスがクピドだという根拠の一つがこの文になります。クピドが本当にマルスを狙い、マルスがクピドにやられて倒れているわけではないのでしょうが、この絵の構図はそのようにも見て取れるように描かれています。他の誰でもないクピドが槍で刺していることが重要です。そしてこのvolnereをaeternoが修飾しています。通常は「永遠の」と訳しますが、ここでは「長持ちしている、年季の入った」とします。なぜなら、この槍の表面には、いくつもの傷が有り、年季の入った描写が施されているからです。「永遠」や「不滅」だとこの表面のニュアンスは表現できません。

volnereamoris

aeterno

残りの部分を考えます。saepeは副詞ではなく、女性名詞saepesの奪格単数と解釈します。そしてマルスの後ろにある生垣を表しているとします。この奪格は場所を表していると考えます。あとはtuum gremiumです。これは本来の意味の「ウェヌスの膝」と解釈します。この場合のgremiumの意味は英語でいうところのlapでkneeではありません。そしてウェヌスのその部分を見てみると、マルスの右足がその後ろに投げ出されています。確かにマルスの右足はウェヌスの太ももの方へと向かっているので、この言葉の通りです。つまりin tuum gremium se reiicitは「あなたの膝の方へ自分自身(右足)を投げ出す」となります。しかしよく見てみると、マルスの体の他の部分もそれぞれgremiumに投げ出されています。彼の頭は蜂の巣の穴に向かっています。左手は鎧の内部の暗闇の近くにあります。左足は薔薇色の敷布を巻き込んで、その内部にあります。そして右手は自分自身の太ももの上にあります。このそろい方も意図的なものでしょう。tuumはgremiumを修飾しているのではなく、saepesを修飾しているとします。詩的用法では属格男性/中性属格となることがあります。この用法を使ってsaepes tuumで「あなた方家族の生け垣のところで」します。確かにマルスの手、足、頭のそれぞれで生け垣の草木に触れています。

tuumで形容できるのは右足だけです。tuum gremiumが単数なので右足だけで十分です。

reiicit

まとめると、こうなります。

そしてあなた方家族の生垣のところにいる彼(マルス)は、クピドの年季の入った槍によって打ち負かされて、あなた(ウェヌス)の膝/内部の方へ自分自身を投げ出している。

and he (Mars) at the hedge of your family throws himself back to the lap / interior defeated by cupid’s lasting lance.


atque ita suspiciens tereti cervice reposta.

atqueは接続詞「そして、そのうえ」。itaは副詞「そのように」。suspiciensは動詞suspicio「見上げる、仰ぎ見る、重んじる、疑う、怪しむ、凝視する」の現在分詞の主格/呼格単数、対格中性単数。teretiは形容詞teres「磨かれた、丸みを帯びた、なめらかな、円の」の与格/奪格単数。cerviceは女性名詞cervix「首、頭」の与格奪格。repostaの形容詞repostus「遠く離れた、人目につかない」の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数、もしくは動詞repono「元の所に置く、横たえる、下に置く」の完了分詞の主格/呼格/奪格女性単数か主格/呼格/対格中性複数。

形容詞teretiは奪格女性単数で、cerviceを修飾しています。repostaは動詞reponoの完了分詞でこれも奪格女性単数とします。tereti cervice repostaの意味を「なめらかな首を横たえて」と訳します。suspiciensは動詞suspicioの現在分詞でウェヌスの顔を「見上げている」様子を表しています。まとめると、「そしてこのように、なめらかな首を横たえて、見上げている。」となります。マルスが自分の頭をウェヌスの膝に投げ出した後、首をそこに横たえて、そこからウェヌスの顔を見上げている様子を記述しています。

絵の表現を考えてみます。この描写はそのまま絵になりそうなのですが、彼らは膝枕をしていないので、別の意味を考えなくてはなりません。ここらあたりの記述が絵の描写に似ているとして、『物の本質について』と≪ヴィーナスとマルス≫の影響が指摘されているのですが、残念ながらそうではないようです。

そこで、tersi、cervice、repostaの意味をもう一度確認して、tersiは「丸みを帯びた」、cerviceは「首」、repostaは形容詞repostusと考えて「人目につかない」と考えると、先ほど見つけた「野うさぎ」のいた場所を絵が思い当ります。ここは人目に付きません。そして丸みを帯びた金色の背景があります。そしてウェヌスの首のところにあります。三つの条件がちゃんとそろっています。それぞれが場所を示す奪格として、teretiを「丸みを帯びたところに」とし、cerviceを「首のところに」とし、repostaを「人目に付かないところに」と解釈します。suspiciensの意味ですが、この兎は見上げているようには見えないので、他の意味を探します。イタリア語での意味を探すとcontemplare「凝視する」というのがあります。描かれている兎の表情はあまりよくわからないのですが、この意味はなんとかあてはまりそうです。これを名詞化して、感嘆の対格と考えてみます。

leporem

まとめると次のようになります。

そしてこのように丸みを帯びた、首の、人目に付かないところで凝視している生き物よ!

and thus the contemplating creature at the neck in remote place on the round!


pascit amore avidos inhians in te dea visus:

pascitは動詞pasco「放牧する、養う、育てる、楽しませる」の三人称単数。amoreは男性名詞amor「愛、愛する人、クピド」の与格/奪格男性単数。avidosは形容詞avidus「熱望している、貪欲な、飢えた」の対格男性複数。inhiansの動詞inhio「大口を開ける、渇望する」の現在分詞の主格/呼格単数、対格中性単数。inは前置詞「〜に(奪格)、〜へ(対格)」。teは代名詞tuの奪格/対格単数。deaは女性名詞「女神」の主格/呼格/奪格単数。visusは動詞video「見る」の完了分詞の主格男性単数、もしくは男性名詞visus「見ること、光景、外観」の主格/呼格/属格単数か主格/呼格/対格複数、もしくは動詞viso「注意深く見る、見に行く、訪問する」の完了分詞の主格男性単数。

この文はpascit amore avidos visusの中に、副詞節inhians in teと呼格のdeaが埋め込まれた形になっています。主節の動詞はpascitで、これは三人称単数です。主語は省略されていますが、文脈からマルスです。複数体格のvisusは本来「見ること」を意味しますが、動詞pasco「養う」と合わせて考えると、「目の保養をする」と解釈できます。avidosは複数体格でvisusを修飾し、「貪欲な目の保養をする」となります。この目を養う食糧にあたるものが奪格単数のamoreです。inhians in teは現在分詞からなる副詞節で、このinは対格支配です。inhioは「大口を開ける」ですが、この場合目を口の代わりにして養分を得ているのですから、「大きく(目を)見開く」でもいいかもしれません。まとめると、「女神よ!あなたに大きく見開いて、彼は愛によって貪欲に目の保養をしている。」となります。

次は絵に合わせて考えます。マルスはウェヌスの方を見ていないし、そもそも目をつぶっているので、このままの解釈は使えません。他の意味を考えてみます。手がかりはamoreです。これはアモル(クピド)を表していると考えられそうです。奪格なので場所を表すとすると、amoreは「クピドのそばで」となるでしょう。つまりヘルメットをかぶった子どもの周りの描写をこの文が記述していると考えてみます。

そこでクピドの周りを丹念に見てみると、彼の背中の、ウェヌスの肩の髪の中に、人影が描かれているのに気付きます(正確には上記の兎より先に見つけたのですが)。

inhiansinte

inを奪格支配とすると、in teは「あなたの中に」となります。teをウェヌスを指していると考えれば、髪の中に描かれている状況を記述していることになります。このinは英語のonの意味でもかまいません。その場合は「あなたの肩の上に」となります。inhiansの意味ですが、肩にいる人物の顔をよく見ると、口よりも左目が大きく黒く描かれているので、「大きく目を見開いている」と解釈できます。またこのinhiansを名詞化して主格単数と考えると、inhians in teの意味は「あなたの中で大きく目を見開いている者が」となり、これを文の主語にできます。次にavidos visusの意味を考えてみます。どうやらこの人影はクピドの方を見ています。複数形なのでおそらく三人のサテュロスたちを表しているのでしょう。avidusの適切な解釈が思い当たらないので、いくつもの辞書のavidusの意味を書き出して、サテュロスたちの姿と交互に眺めてみると、あることに気付きました。三人のサテュロスたちのお腹が凹んでいます。真ん中の子は槍で分かりにくいですが、左右の端の二人はおへその上あたりでくの字に凹んでいます。これが空腹を表しているとすると、形容詞avidusの「飢えた」という意味が使えます。これに合うvisusの意味は「外観」でしょう。したがってavidos visusは「飢えた外観のものたちを」と解釈できます。最初サテュロスたちを想定していましたが、改めて眺めてみればマルスのお腹も凹んでいます。そうなると彼もavidos visusに含まれるでしょう。

avidosvisus1

avidosvisus2

avidosvisus3

avidosvisus4

さて、この髪の中の人物はクピドたちに対して一体何をしているのでしょうか?pascoのイタリア語での意味を調べるとpascolareがあります。pascolareの意味は「(家畜の)世話をする、見張る」です。見張りだからこそ、目を大きく見開いているのでしょう。この人物は左手を口のあたりに持ってきています。口をふさいでいるようにも見えますが、よく見ると口の形も描かれているので、口に手を添えて何か叫んでいるようにも見えます。あくびをして手でその口を隠そうとしているのかもしれません。

まとめると次のようになります。

女神よ!クピドのそばであなたの中で大きく目を見開いている者が飢えた外観のものたちを見張っている。

Near Cupid the person with wide open eye in you (Venus), Diva!, guards the persons of hungry appearance (Satyrs and Mars).


eque tuo pendet resupini spiritus ore.

equeは前置詞exに接尾語queが付加されたもので、exは奪格支配で意味は「〜から、〜より、〜のために」。tuoの形容詞tuus「あなたの」の与格/奪格男性/中性単数。pendetは動詞pendo「はかりにかける、支払う、罰を受ける、評価する」の三人称単数未来、もしくは動詞pendeo「ぶらさがっている、つるされる、すがりつく、依存している」の三人称単数現在。resupiniは形容詞resupinus「仰向けに、横たわった、寄りかかった、怠惰な」の属格男性/中性単数か主格/呼格男性複数。spiritusは男性名詞spiritus「息、空気、魂、命」の主格/呼格/属格単数か主格/呼格/対格複数。oreは中性名詞os「口、話、表情、顔、発音」の与格/奪格単数。

equeは前置詞e(ex)と接尾辞queです。tuoは奪格単数で文末にある中性名詞のore「口」を修飾しています。これが奪格支配のexの目的語になっています。この文の動詞はpendetで三人称単数で、主語は主格男性単数spiritus「息」です。このspiritusを属格単数の形容詞resupiniが修飾しています。resupiniは名詞化されて、「仰向けになった者」となりウェヌスに膝枕をしてもらって彼女の顔を見上げているマルスを表しています。動詞pendeoの意味は「ぶら下がる」ですが、exとともに使われる場合は、「依存している」とも解釈できます。つまり「ウェヌスの口に従っている」となります。まとめると、「そして仰向けになった者の息はあなたの口に依存している。」となります。ただ先ほどマルスは目の保養をしていたわけですから、「口」よりも「顔」の方がいいように思います。またマルスはウェヌスに見とれていたわけですから、spiritusは「息」よりも「精神、心」がよさそうです。これをまとめると、「そして仰向けになった者の心はあなたの表情に依存している。」とも訳せます。どちらがいいかはこの後の文脈次第でしょう。

絵を踏まえてみます。以前はウェヌスが首からぶら下げている水晶のハイライトが人の顔のように見えるので、これを表現する解釈にしていました。これはかなり自信を持っていたのですが、今回はもっとふさわしい描写を見つけたので、以前の解釈は撤回します。まずspiritusは「魂、霊魂、精霊」と訳せます。精霊と言えば、今回見つけたウェヌスの左肩にいる人物を連想します。ここはこの人物について語っている文章として解釈できるかもしれません。spiritusがこれを示しているとすると形容詞resupiniの意味は、口のそばの左手の描写を欠伸だと考えると、「怠惰な」が合いそうです。動詞pendetの意味は、右手が髪をつかんでいるように見えるので、「ぶら下がっている」でいいでしょう。この髪はウェヌスの顔から垂れているので、ex tuo oreは「あなたの顔から」とします。

resupinispiritus

pendet

まとめると、こうなります。

そして怠惰な精霊はあなたの顔からぶら下がっている。

and the lazy spirit hangs down from your face.


今までかなり細かくこの絵を見てきましたが、ウェヌスの左肩の描写には全く気が付きませんでした。『物の本質について』の文章に導かれなければ、見つけられたかったでしょう。たとえ見つけたとしても意味不明な描写としか考えられなかったでしょう。



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posted by takayan at 14:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月29日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(6)

今回は第21行目から第27行目までです。これで以前(2012年2月)解釈した部分の直前まで進みます。

Quae quoniam rerum naturam sola gubernas:
Nec sine te quicquam dias in luminis oras
Exoritur: neque fit laetum: neque amabile quicquam:
Te sociam studeo scribendis versibus esse:
Quos ego de rerum natura pangere conor
Memmiadae nostro: quem tu dea tempore in omni
Omnibus ornatum voluisti excellere rebus.

以前の解釈で何故この部分を含めなかったのかというと、固有名詞が使われていたりと、絵の描写に変換することがとても難しくてできなかったからです。本来の訳すら構文が難しくて以前はできませんでした。今回もそうとう手こずりましたが、なんとか、この絵らしい解釈ができたと思います。


quae quoniam rerum naturam sola gubernas

quaeは疑問代名詞quisの女性複数主格か中性複数主格/対格、疑問形容詞quiの女性単数主格か女性複数主格か中性複数主格/対格、関係代名詞quiの女性単数主格か女性複数主格か中性複数主格/対格。quoniamは接続詞「するやいなや、だから」。renumは女性名詞res「物、事象」の複数属格。naturamは女性名詞natura「出生、自然、本質」の単数対格。solaは中性名詞solum「底、地面、床」の複数主格/呼格/対格、もしくは形容詞solus「ひとりの、仲間のいない」の女性単数主格/呼格/奪格か中性複数主格呼格対格。gubernasは動詞guberno「導く、支える、支配する、水先案内する」の二人称単数現在。

冒頭の関係代名詞quaeは、接続詞と代名詞として解釈します。女性単数主格なので、「そして彼女が」となります。もちろん彼女とはウェヌスのことです。動詞が二人称単数なので、ここで三人称の代名詞を使うのはちょっと奇妙ですが、そのウェヌスに二人称で呼びかけているので、これでいいでしょう。quoniamは接続詞で、この節が理由を表していることを示しています。rerumは次のnaturamを修飾する名詞属格と考えて、合わせて「物の本質」とします。もちろんこのrerum naturamこそが、この文書のタイトルである『DE RERUM NATURA』に使われています。この節の動詞はgubernasです。これは二人称単数現在で、主語は前の行までの内容からウェヌスを指す省略された二人称tuとなります。そしてそのまえのsolaはその主語を修飾する形容詞となり、「たったひとりのあなたが」となります。まとめると「そしてウェヌスよ、あなたおひとりが物の本質を支配しているのだから、」となります。

それでは絵に合わせた解釈を考えます。本来の解釈と同じ構文になっているとします。そうすると、女性形のsolaのために、主語は女性である必要があります。この絵で女性となると、ウェヌスか右下にいるハルモニアのどちらかにです。solaの意味からすると、ウェヌスよりもハルモニアの方が合っていそうです。ウェヌスのそばには寄り添うようにクピドがいます。しかしハルモニアは画面の右下の角とマルスの左腕と突き棒でできた矩形の中に閉じ込められて描かれています。ハルモニアのこの様子がsolaと言えるでしょう。

sola

次は動詞の意味を考えます。gobernoのイタリア語の意味はgobernare「治める、統治する」です。さらにこの単語には「世話をする、飼育する、耕作する」という意味もあります。この意味で思い出すことがあります。以前アナクレオンの詩の解釈を行ったとき、ハルモニアが農業をやっていることが分かりました。動詞gubernasの意味はこの解釈に合致します。ここまでで「あなたはひとりで世話をしています。」となります。

あとは残ったrerum naturamで植物を表せればいいわけです。naturaの意味はイタリア語でもnatura、このnaturaには天然物という意味があります。resの意味にaveri「財産」(名詞avereの複数形)があります。これを使うとrerum naturamは「naturare averi(財産の天然物)」となります。これがハルモニアが左手で抱え込み所有権を主張しているかのようにみえる緑色の植物の実を表せます。

問題はquaeです。これは今まで解釈した部分でどこかハルモニアを解釈した部分もしくは解釈しなければならなかった部分が必要でしょうが、とりあえずは単に「そしてそのあなたが」と訳しておきます。まとめると次のようになります。

そしてその隔離されたあなた(ハルモニア)が財産の天然物を管理しているのだから、

and therefore you (Harmonia) isolated govern the natural object of the property,


nec sine te quicquam dias in luminis oras exoritur: neque fit laetum: neque amabile quicquam:

necは副詞/接続詞neque「ではない」。sineは奪格支配の前置詞「〜なしに」。teは代名詞tu「あなた」の単数対格/奪格。quicquamは代名詞quisquam「any、anuone」の単数主格/対格、これは冒頭の否定詞necと一緒になって「誰も/何も〜ない」となります。diasは女性名詞dia「女神」の複数対格、もしくは形容詞dius「神々の、神聖な」の女性複数対格。inは奪格/対格支配の前置詞。luminisiは中性名詞lumen「光」の単数属格。orasは女性名詞ora「縁、海岸、領域」の複数対格、もしくは女性名詞ora「大綱」の複数対格、もしくは動詞oro「懇願する」の二人称単数現在。exoriturは動詞exorior「出現する」の三人称単数現在。nequeは副詞「ではない」。fitは動詞fio「なる、生じる」の三人称単数現在。laetumは形容詞laetus「太った、繁茂した、愉快な」、もしくは男性名詞laetum「喜び」の単数対格。amabileは形容詞amabilis「愛す価値のある、可愛らしい、甘い」。quicquamは代名詞quicquam「何か」の中性単数主格/対格。

この文の動詞はexoriturで、主語は否定詞necを伴ったquicquamです。これだけで「何者も現れない。」という意味になります。sine teで「あなた(ウェヌス)無しに」です。名詞の属格luminisもorasを修飾していて、対格支配の前置詞inの目的語になっています。このluminis orasは意味が分かりにくいですが、orae luminis「光明の世界、生あるものの世界」として辞書に載っていて、私たちのいるこの世界を意味しています。形容詞diasは前置詞よりも前にありますがoraを修飾しています。まとめると、「何ものもあなた無しには神々しい光の領域に現れることはない。」となります。たったひとりで世界を支配しているので、ウェヌスがいなくなれば、すべてが存在しないというわけです。次の語句は、neque fit laetum quicquamとneque fit amabile quicquamという二つの文を省略したものだと考えます。主語はそれぞれlaetum quicquamとamabile quicquamで、動詞fitは受動態で「作られる。生じる。」になり、それがnequeで否定されています。まとめると、「喜びも一切無いし、愛すべきものも一切無い。」です。

これも絵に合わせた解釈をします。ここでもteはウェヌスではなく前の行と同じで右下のハルモニアを表すとします。sine teは「あなた(ハルモニア)無しでは」となります。次に、in luminis dias orasの意味ですが、これは以前やったようにlumenの意味に「目」があることを利用します。すると、「目の神々しい縁に」となります。彼女は神同士の子なので、神です。したがって目の縁も、自動的に神々しいものになります。この句の残りは本来の解釈のままにします。これは否定の文ですが、非現実な否定なので、結局現実に存在していることを表しています。つまりハルモニアの目の縁には何かがあるわけです。実際ハルモニアの目には確かに何かがあります。金色の目やにのようなものです。他の人物の目の周りを見てもこんなものは描かれていません。

luminisdiasoras

あとはlaetumとamabileの意味を少し変えるだけで済みます。laetumのイタリア語の意味にはrigoglioso「繁茂した、生い茂った」があります。そしてamabilisはイタリア語でamabileですが、これにはワインの味などで使う「甘い」という意味があります。laetum quicquamは葉の茂ったものとなり、ハルモニアの左肘にかかっている葉の茂った植物を表します。そしてamabile quicquamは先ほども出てきた左手で抱え込んでいる何かの果実です。これはメロンやスイカのような甘い実なのでしょう。

laetumamabile

まとめると次のようになります。

あなた(ハルモニア)がいなければ、目の神々しい縁に何も存在しない。葉の茂ったものも作られない。甘いものも作られない。

without you (harumonia) anything does not exist in divine edge of eye. anything leafy is not made. anything sweet is not made.


te sociam studeo scribendis versibus esse:

teは代名詞tu「あなた」の単数対格/奪格。sociamは女性名詞socia「仲間、妻」の単数対格か、形容詞socius「仲間の」の女性単数対格。studeoは動詞studeo「強く願う、専念する、支持する」の一人称単数現在。scribendisは動詞scribo「書く」の動形容詞複数与格/奪格。versibusは男性名詞versus「一行、詩、溝」の複数与格/奪格。esseは動詞sum「be、exist」の不定法現在、もしくは動詞edo「食べる」の不定法現在。

この文の動詞はstudeoなので、主語は一人称でルクレティウス自身になります。この動詞が不定詞句te sociam esseを目的語にとっています。この不定詞句の構造は、ウェヌスを表すteが不定詞の意味上の主語で、対格で表されていて、さらに補語のsociamが主語と同格になるため、これも対格になっています。この不定詞句の意味は「あなたが仲間であること」です。そして動形容詞scribendisで修飾された奪格名詞versibusが目的「書かれるべき詩のために」を表しています。まとめると、「書かれるべき詩のために、あなた(ウェヌス)が仲間であることを私は強く願う。」となります。

絵に合わせた解釈してみます。構文はとりあえず本来のものと同じに考えます。まずこの文は一人称で書かれています。ここでversibusという言葉を調べてみます。するとイタリア語訳にsolcoがあります。solcoの意味には「畝、額の皺、轍、溝、割れ目」があります。この絵の中でこの単語が描かれている場所を探すと、ウェヌスの服にあるたくさんの襞が目に付きます。teは今の解釈の流れではハルモニアとなるでしょう。scriboは今回のversusの意味から、「書く」ではなく「描く」と訳すことにします。

次にscribendis versibusが奪格なのか、与格なのか、奪格ならば文の中でどのような役割かを考えてみます。そこでじっくりウェヌスの服の襞の部分をよく見てみると面白い描写があることが分かります。ここには人の姿が描かれています。いくつかの場所に分かれて、それぞれ複数の人物が描かれているように見えます。人々が騒いでいるようにも見えますし、男女が戯れているようにも見えます。もっと高い解像度の画像が手に入ればはっきりするでしょう。そうすれば、他にも描写が見つかるでしょう。

まだはっきりはしませんが、この描写からscribendis versibusを二つに分けて考えるアイデアが浮かびます。つまり、versibusを場所を表す奪格とし、scribendisを手段を表す奪格と解釈します。つまり「襞のところに描かれるべきものよって」とします。そしてte sociam esseの解釈ですが、sociamは「女性の仲間」や「妻」と訳せますが、この描写から「妻」と訳し、「あなた(ハルモニア)が妻であること」とします。ところで、この動形容詞は未来のことを語っているわけで、そこに既に人影が描かれているというのはちょっとつじつまがあいません。これを解決するにはもう少し先に進まないといけないようです。

この文の解釈の問題は一人称の主語です。これはいったい誰でしょう。登場人物の中の誰かでしょうか。登場人物で一番の候補はウェヌスです。しかし登場人物以外にも可能性があります。絵を描いているボッティチェリや、詞の内容を考えている人物です。もっと他の人物の可能性もあります。ここまでの情報では判断が付かないので、それが分かるまでは「私は」とします。

versibus

わかりにくいので、さらに拡大してみます。

versibus2

じっくり見ていくと、襞の間にいくつも人の姿に見えるものが見つかります。マルスの指が大切なものを指さしていたように、ウェヌスの指先を注意深く見ると、何かが見えてきます。左手の指先にも奇妙な描写があります。人差し指と中指の間に人影のようなものが見えます。

versibus4

右手の指先には、顔らしきものがいくつかかたまって見えます。その右には口を開けた二匹の蛇が向き合っている模様に見えます。ハルモニアとその夫カドモス王は晩年蛇に変身してしまうことを暗示する描写なのかもしれません。ということはここに描かれている描写は、ハルモニアのカドモス王との結婚の物語がその場面場面で描かれているのかもしれません。さらに右の方には二つの顔が寄り添うような人影もあります。

versibus3

さらに右の方を探してみると、人のように見える模様が見つかります。母子像のようにも見えますが、男女を描いたものにも見えます。どちらにしてもこれはとても意図的な模様でしょう。偶然の色の濃淡が人の顔に見えているだけには思えません。もっと解像度の高い画像が必要です。

versibus6

他にも、ウェヌスの内ももには次のような模様があります。

versibus5

scribendis versibusというラテン語がなければ、こんなにウェヌスの服の襞の中をじっくり見ようなんて思ってもみませんでしたが、この言葉が示すとおりに、この襞にはいくつもの何かが確かに描かれています。もっと細かく見られれば、その内容ももっと詳しく分かるでしょう。

解釈をまとめると、こうなります。

私は襞のところに描かれるべきものによってあなた(ハルモニア)が妻となることに専念します。

I desire you (Harmonia) to be a wife by what should be expressed on the folds.


quos ego de rerum natura pangere conor memmiadae nostro

quosは疑問代名詞quis/関係代名詞qui/疑問形容詞quiの男性複数対格。egoは人称代名詞の一人称単数。deは奪格支配の前置詞「from、about」。rerumは女性名詞res「物、事象」の複数属格。naturaは女性名詞natura「出生、自然、本質」の単数主格/呼格/奪格。pangereは動詞pango「打ち込む、(詩を)作る、表現する」の不定法現在、命令法受動態二人称単数、受動態未来二人称単数。conorは動詞conor「試みる」の一人称単数。memmiadaeは男性名詞memmiadae「メンミウス家の者、メンミウスの子孫」の単数属格/与格か複数主格/呼格。nostroは男性名詞noster「私たちの人々」の単数与格/奪格か形容詞noster「私たちの」の男性/中性単数与格/奪格。

この文の動詞はconorで主語は一人称単数のegoです。動詞の目的語は不定詞のpangereです。de rerum naturaは先ほども出てきましたが、今回は前置詞deもあって、タイトルそのものの形をしています。memmiadaeは「メンミウス家の者」の意味です。ここで表されているメンミウス家の者というのはルクレティウスと同時代の詩人で彼の支援者のことです。オウィディウスの『悲しみの歌』によると恥ずべき、つまり官能的な内容の詩を書いたとされています。この単語は与格単数と解釈しこの詩を捧げる対象を表しているとします。最後に、対格のquosは動詞pangereの目的語を表す関係代名詞で、その先行詞は前の行のversibusと考えられます。まとめると、「そしてその詩を、私たちのメンミウス家の者に捧げて、私は物の本質について書こうと試みる。」となります。

絵の解釈です。de rerum naturaの意味を考えます。ウェヌスの服の上でハルモニアの物語が描かれているとするならば、この言葉がそれを表していることになります。resのイタリア語の意味の中にatto「行い」があります。naturaの意味にはaspetto「様子」があります。つまり、「行いの様子について」と解釈すれば、ハルモニアの身の上に起こった出来事を表せます。関係代名詞quosの先行詞は、この解釈では名詞化されたscribendisとすると、pangere「表現する」の目的語としてちょうどよいものになります。残るmemmiadae nostroは本来の解釈とほとんど同じでいいでしょう。官能的な詩を書いていた彼の信奉者として、この一人称の人物は、ウェヌスの服に書き込むものをメンミウスに捧げているわけです。そう考えるとこの言葉はそのまま使えます。

しかしここでおかしな事に気付きます。この襞に書き込もうとしている人物は、既にあるこの絵を見ながら、正確に言うと襞に何も書き込まれていない段階のこの絵を見ながら、この決意を表明していなくてはならなくなります。この一人称の決意の文章は現在形で書かれていて、そしてこれまでの絵の描写の文章も現在形で書かれていることから、この記述は絵の物語を語っているのではなく、絵を見て、そこから見て取れる様子を語っていることが分かります。この人物は絵を見ながら、絵の中のウェヌスやマルス、ハルモニアに対し、それぞれあなたと語りかけながら、この絵の描写を言葉にしています。その解釈自体は、この絵の本来の解釈とは違っているのかもしれませんが、この絵はそう見て取れるような形でこの一人称の人物の眼前にあります。そして彼はウェヌスの服の襞に、ハルモニアの物語を描き込もうとしているのです。その結果としてできあがった絵が、今私たちが見ているこの絵だという設定になります。

襞の上に何も描かれていないこの絵を描いた人物と、後から襞の上に描き込もうとしている人物が同一人物かどうかは分かりません。おそらく違うでしょう。分かっているのは、ただそのような経緯全体をこの一枚の絵にしたのはBotticelli(ボッティチェリ)だということです。襞に何も書き込まれていない元々の絵はAnacreontea(アナクレオンテア)のクピドと蜂の物語を題材に、言葉遊びで描いた壁画という設定でしょう。この絵の所々に見られる塗料の剥げたような描写はこれが壁画であることを示しているように思えます。この架空の作品を見にきたメンミウスの信奉者が、その壁画に描かれた神々に語りかけながら、メンミウスに捧げるために落書きをすることを決意します。メンミウスに捧げるのですから、多少官能的な描写も含まれるのだと思います。この架空の出来事を、その落書きされた結果の絵そのものだけで描ききったのがこの作品だと解釈できます。予想だにしなかった多重構造がこの絵の中に描かれています。

この行の解釈をまとめると次のようになります。

行いの様子についてその描かれるべきものを、私たちのメンミウス家の者に捧げて、私は表現しようと試みる。

(things should be expressed) which I try to compose about the aspect of the actions, dedicated to our Memmius.


quem tu dea tempore in omni omnibus ornatum voluisti excellere rebus.

quemは疑問形容詞quiの男性単数対格、関係代名詞quiの男性単数対格、疑問形容詞quisの男性/女性単数対格のどれか。tuは人称代名詞tu「あなた」の単数主格/呼格。deaは女性名詞dea「女神」の主格/呼格/奪格。temporeはtempus「時、季節」の中性単数奪格。inは対格/奪格支配の前置詞。omniはominisの単数奪格。omnibusは形容詞omnis「すべての」の複数与格/奪格。ornatumは動詞orno「装備する」の完了分詞中性主格/呼格/対格単数か男性対格単数かスピーヌム(目的分詞)の中性対格単数、もしくは形容詞ornatus「よく装備された、見事に飾られた、華麗な」の中性単数主格/呼格/対格、男性単数対格。voluistiは動詞volo「望む」の二人称単数完了、もしくは動詞volvo「転がす、這いつくばる」の二人称単数完了。excellereは動詞excello「突出する、卓越する」の不定法現在、もしくは受動態二人称単数、受動態二人称単数未来、命令法受動態二人称単数現在。rebusは女性名詞res「物、事象」の複数与格/奪格。

temporeは前置詞inの前にありますが、これはinの後ろの形容詞omniと一緒になって奪格支配の前置詞inに支配されます。この前置詞句の意味は「すべての時において」となります。この文の動詞はvoluistiで、主語は女神ウェヌスを指したtuです。そして離れていますがomnibusはrebusを修飾しています。これは動詞excellereを踏まえて比較対象を示す複数奪格と解釈し、意味は「すべての物よりも」となります。この不定法excellereの意味上の主語が男性単数対格の関係代名詞quemと考えられます。そしてそれを修飾するものとしてornatumがあるとします。つまりこれは動詞ornoの完了分詞男性単数対格か、形容詞ornatusの男性単数対格になるはずです。ここでは形容詞として「華麗な」とします。最後に、文の内容から考えると男性単数対格のquaeの先行詞は男性単数与格のmemmiadae、つまりメンミウスということになります。まとめると、「そしてその華麗なメンミウスが、あなたは、女神よ!いつ如何なるときも他の何よりも卓越することを望んでいた。」となります。

絵の解釈です。今回やっている部分はハルモニアに関する描写になっているのですが、ハルモニアの姿を見ていて、以前から気になる描写があります。それは彼女の左の角を消そうとしている線の存在です。

ornatum

これは後世の人が誤って付けてしまった傷ではないかと考えましたが、《パラスとケンタウロス》の表面の汚しなど技巧的な加工を思い出すと、これも意図的なものだと思われます。角というのはそそり立つものです。つまり、動詞excelloで表現可能な描写です。この角を使ってこの文を解釈できないか考えてみました。

この文は比較を使って一番の何かを表しています。左側が否定されているわけですから、その一番とはハルモニアの右側の角ではないかと考えられます。実際、この角はとても立派な角です。槍の所にいる二人のサテュロスたちの角と比べてもこの角は一番の角と言えそうです。

satyuri_versi

この文が角の話だということなると、tempore in omni という語句の意味もちょっと違ってきます。tempus「時」には同綴異義語tempus「こめかみ、顔、頭」があります。角の生えている場所はこめかみではないので、「頭」という意味で使っていることになります。つまり、この部分の意味は「すべての頭の」となるでしょう。ここにいる登場人物すべての頭でというわけです。奪格のomnibus rebusは本来の意味と同じで、比較の奪格で「すべてのものよりも」とします。ここまででomnibus rebus in omni temporeは「すべての頭にあるすべてのものよりも」となります。

ここまではとても順調でした。しかし関係代名詞quemの解釈が難解です。これが「角」を表せなくては、どうしようもありません。そこで次のように考えました。まずこの関係代名詞の先行詞を探しました。先行詞がはっきりとあるならばそれは男性単数でなくてはなりません。残念ながら都合のいい単語は見つかりませんでした。そこで次は先行詞は省略されていると考えました。しかし何か関係代名詞が表す意味が無くてはなりません。そこで条件を緩くし、男性名詞を探してみました。そこで見つけたのが男性複数奪格のversibusです。本来の意味は「詞」で言葉遊びでは「襞」と訳したものです。quamは男性単数対格なので、これに置き換えるとすると、versumという語形になります。今度はこの形になる他の単語がないか調べてみました。すると動詞verto「回す、向きを変える」の完了分詞男性単数対格と解釈できます。完了分詞なので、「向きを変えられている」という意味になります。さらに名詞化すると、「向きを変えられているもの」、つまり「巻いているもの」となります。このようにすれば、quemでハルモニアの右の角を表せます。

versumが「巻いているもの」を表せるとなると、比較の対象は「すべての頭にあるすべての巻いてあるもの」と解釈できます。つまり、角だけでなく、髪の毛も含まれています。マルスの髪の毛が見事に渦を巻いている描写も、このことを踏まえているわけです。ウェヌスの額の左右に巻き毛が触れているのも同様です。髪の毛も角も描かれていないクピドに対しても、この言葉は影響を及ぼしています。彼のヘルメットにサテュロスの巻き上がったしっぽが触れている描写も、このversumの意味が関係していると考えられます。

mars_versum

venus_versa

cupido_versum

versum ornatum は不定法excellereの意味上の主語になります。つまり「華麗な巻いたものが秀でている」となります。そうなると、ハルモニアの視線にも意味があることに気付きます。彼女は自慢の右の角を見ていたのです。

versum

左の角に打ち消し線を描き込んだのは落書きをした人だということも分かります。それはこの文が過去形で書かれているからです。彼女の目が右の角への望み表しているとこの人物は思ったのでしょう。しかし絵である彼女は自分の意思でその望みを実現することはできません。神の身であるのだから自らの角の長さも自在に変えられるでしょうに、絵の中で固定された彼女は、ただ右の角を見つめるだけです。そこで、この人物は左目の上にある角を打ち消すことで、右目の上の角を唯一のものとし、彼女の望みを実現したわけです。線を引いた人物は、線が引かれる前に彼女の望みを受け取ったのですから、この文は過去形となります。

残りの単語は本来の意味で解釈します。全体をまとめると、こうなります。

そして女神!あなたは、すべての頭にあるすべてのものよりも一つの華麗な巻いたものが秀でることを望んでいた。

and you, goddess! wanted the ornate curling to eminent than everything in all heads.


なんとか解釈できました。以前できなくて当然です。《アペレスの誹謗》の背景や《パラスとケンタウロス》の解釈を経なければ、この発想はできませんでした。これでやっと、以前解釈した部分につながります。合わせると37行になります。次回は二年前に解釈した部分を、今の書式でやり直してみます。



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posted by takayan at 02:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

『物の本質について』と《ヴィーナスとマルス》(5)

今回は第17行から第20行までです。

Denique per maria: ac monteis: fluviosque rapaces:
Frondiferasque domos avium: camposque virenteis
Omnibus incutiens blandum per pectora amorem
Efficis: ut cupide generatim secla propagent.


denique per maria: ac monteis: fluviosque rapaces:
frondiferasque domos avium: camposque virenteis

ここは2行まとめて解釈します。まず各単語について。deniqueは副詞「ついに、その後は、結局、さらに」。perは対格支配の前置詞「を通って、を越えて、を横切って」。mariaは中性名詞mare「海」の複数主格/呼格/対格、もしくは形容詞marius「男性の」の女性単数主格/呼格/奪格か中性複数主格/呼格/対格。acは接続詞atque「そして」。monteisは男性名詞mons「山」の複数主格/呼格/対格。rapacesは形容詞rapax「略奪的な、貪欲な、抗しがたい、狂暴な」の男性/女性複数主格/呼格/対格。frondiferasは形容詞frondifer「葉の茂った」の女性複数対格。domosは女性名詞domus「家」の複数対格。aviumは中性名詞avium「鳥」の単数主格/呼格/対格か複数属格。camposは男性名詞campus「平原、地面」の複数対格。virenteisは動詞vireo「緑色をしている、青々としている」の現在分詞単数属格。

ここは前の文を受けてウェヌスが導く場所を一つ一つあげています。deniqueは「さらに」と訳します。per mariaは海を越えて現れることを示しています。acは同様にの意味の接続詞で、そのあとにperの対象となるものを並べています。つまりperが省略されているとして、「山々を越えて」とあります。次は-queで併記されているfluvios rapacesです。意味は「略奪していく川」となります。次の行も同様に、frondiferas domos aviがperの対象になります。中心にあるのは名詞のdomosで、それに形容詞のfrondiderと名詞の属格aviusがて修飾しています。この意味は「葉の茂った鳥の家を越えて」となり、森のことを言っているとされています。次はcampos virenteisで、分詞virenteisがcamposを修飾しています。意味は「緑色をした草原を越えて」となります。全部をまとめると、「さらに、いくつもの海を越え、山を越え、略奪していく川を越え、葉のしげった鳥の住処を越え、緑なす草原を越えて」となります。

permaria

では次は絵に合わせます。perは英語のthroughの意味で「〜を貫いて」とします。この絵に描かれている山や川や草原は槍を抱えているサテュロスたちの向こう側に描かれています。それらが槍のようにサテュロスたちの体を貫いて描かれていると表現できるからです。さらにマルスの右膝もちゃんと山と川と草原の手前に描かれています。そこでmariaを形容詞marius「男性の」の変化形だと考えて、それを名詞化して「男性たち(の体)」とすると、denique per mariaは、「さらに男たちを貫いて」となります。その後に男たちの後ろに描かれているものの羅列になります。解釈の方針をこのようにします。

文法的につじつまが合うように考えて、denique per maria ac monteisを一つの句と考えます。そしてacを、少し後ろ過ぎますが、前の行との接続詞とします。monteis を感嘆の対格とし、monteis per mariaを一つの意味のまとまりとします。そうすると、この部分の意味は「男たちを貫く山々よ!」となります。

同様に考えて、次のfluvios rapaces per mariaを解釈します。先日解釈して分かったことですが、草原として描かれている下半分は川です。しかしこの川を形容する言葉としてrapaxは合っていません。他の意味を辞書で調べてもどうも合いません。そこでfluviosが他の意味に解釈できないかを考えます。するとイタリア語でcorrenteという訳が気に掛かります。通常は「流れ」という意味がありますが、これには別に「水平梁」という意味もあります。rapaxの意味をtravolgente「抗しがたい」とすると、これは「抗しがたい梁」となります。この言葉ですぐに思いつくのが、サテュロスたちの持っている槍です。サテュロスたちに水平に持たれている様子が梁のようであり、クピドの武器である点で抗しがたい存在でもあります。この槍はそれぞれのサテュロスたちの体の一部分の下を通っています。マルスの膝は残念ながら槍には届いていません。かわりに槍の先端がマルスの頭の後ろに届いている可能性があります。したがって、「男たちを貫く抗しがたい梁よ!」となります。

次は、frondiferas domos aviumです。frondiferas domosはそのまま「葉の茂った住処」という意味で使えます。この絵には二組の家族が描かれています。マルスたちがくつろいでいるこの茂みに囲まれたこの場所と、木の中に作られている蜂の巣が、この言葉で表現されている住処と考えます。残るaviumですが、この絵には鳥が描かれていないので、ちょっとひねる必要があります。aviumは形容詞avius「辺鄙な」の男性/中性複数属格か男性単数対格、中性単数主格/呼格/対格とも解釈できます。ただし属格として使わないと、他の単語とは組み合わせられないので、複数になります。まず一つ目は形容詞aviusを名詞化した「辺鄙な土地」でいいでしょう。遠景の山の麓に町並みらしいものが描かれているので、ここは辺鄙な場所だと言えます。次に名詞avisの意味はイタリア語でuccello「鳥」ですが、この絵には鳥はいません。イタリア語かラテン語で蜂を鳥と呼ぶ用法があれば、いいのですが手元の辞書にはありませんでした。代わりにuccelloには「陰茎」という意味があります。陰茎の描写は先ほど左側の茂みの中で見つけたので、これが使えます。茂みの枝は、それぞれの男の体を貫くような描写になっているので、これもper mariaになっています。したがって「男たちの体を貫く辺鄙で陰茎のある葉の茂った複数の住処よ!」となります。

そしてcampos virenteisです。これは全部そのまま使って良さそうです。緑色は層状に描かれているので、それは先日川の描写と解釈したところですが、それを複数と見なすことができます。これも四人の男たちそれぞれの後ろに描かれています。意味は「男たちを貫く緑色の草原よ!」です。全部まとめると次のようになります。

そしてさらに男たちを貫く山々よ!抗しがたい梁よ!辺鄙で陰茎のある葉の茂った複数の住処よ!緑色の草原よ!

and finally mountains through the men! and irresistible beams! and leafy houses of penis and of remote!  and green plains!


omnibus incutiens blandum per pectora amorem efficis: ut cupide generatim secla propagent.

これは複文なので二行まとめて解釈します。omnibusは男性/女性名詞omnes「すべての人々」の複数与格/奪格。incutiensは動詞incutio「打つ、吹き込む」の現在分詞単数主格/呼格か中性対格。blandumの形容詞blandus「こびへつらう、魅力的な」の中性単数主格/呼格/対格か男性単数対格もしくは副詞「魅力的に」。前置詞perは英語through、during、byなどに相当。pectoraは中性名詞pectus「胸、心臓、心」の複数主格/呼格/対格。amoremは男性名詞amor「愛」の単数対格。efficisは動詞efficio「生み出す、引き起こす」の二人称単数現在。utは接続詞、ここでは接続法propagentを伴い目的を表す副詞節を導いています。cupideは形容詞cupidus「望んでいる」の男性/中性単数呼格、もしくは副詞cupide「熱心に、不公平に」。generatimは副詞「種類によって、一般に」。seclaは中性名詞seculum「世代、種族」の複数主格/呼格/対格。propagentは動詞propago「増殖する、成長させる、延長する」の接続法三人称複数現在。

まず主文の方から。omnibusは与格で間接目的語とします。意味は「すべてのものに」となります。形容詞blandumは男性単数対格で、名詞amoremを修飾しています。合わせた意味は「魅力的な愛を」です。per pectoraは現在分詞incutiensを修飾する語句で、合わせると「心を通して吹き込んでいる」となります。ここまでで、「すべてのものに魅力的な愛を心を通して吹き込んでいる」となります。これが動詞efficio「引き起こす」の目的語になります。utから後が目的を表す副詞節になっています。cupide、generatimは副詞、名詞seclaは中性複数対格となり、意味は「彼らが熱心に種族によって世代を増やすために」です。副詞節の主語はウェヌスによって愛を与えられているすべての者たちです。まとめると、「あなた(ウェヌス)はすべてのものたちに魅力的な愛を心を通して吹き込むことを引き起こす。彼らが熱心に種族毎に世代を増やすために。」になります。

今度は絵に合わせて考えます。まず、amor「愛」はクピドの別名でもあるので、その意味で解釈できないか、これをとっかかりに解釈を始めます。動詞efficisは二人称なので、主語は今まで通りマルスとします。動詞inctioのイタリア語の意味の中には槍lanceaに由来するlanciareがあります。これから現在分詞incutiensを「槍で攻撃する者」と解釈します。こうすると、incutiens amorem efficisは「あなた(マルス)はアモル(クピド)を槍で攻撃する者にしている。」とできます。以前から槍を持って兜を被っている子どもをクピドとしていましたが、ここに文章としてその事実が明らかにされました。残りの単語は次のようになります。omnibusはここでは奪格として、ここにいるすべての人物像を表し、「みんなのところで」という意味とします。形容詞blandum「魅力的な」はincutiensを修飾して、美しい装飾の兜を身につけている様子を表しているとします。per pectoraはincutiensを修飾していて、「胸を貫いて」とします。主文をまとめると、「あなた(マルス)はみんなのところでアモル(クピド)を複数の胸を貫いて槍で攻撃する魅力的な者としています。」となります。

incutiens

次は後半の副詞節の解釈です。seclaの意味には「種族、家族」があります。これは並んでいるサテュロスという種族のものたちのことを表しているとし、格は主格とします。そして動詞propagoの意味は「延長する」とします。そうすると、secla propagentは「同族の者たちが延長している」と解釈できます。そうするとこれは右端のサテュロスが槍の先端付近に法螺貝をくっつけているようにみえる描写を表していると解釈できます。右側のサテュロスだけだと主語は複数になりませんが、左側のサテュロスがまず槍を持たなくては始まりませんし、中央のサテュロスが前の見えない左端のサテュロスの補佐をして、両手で右端の口元の方向に向けていなくては成り立ちません。さらにマルスも自分の頭を使って、槍を延長していると見ることもできます。seclaを同族ではなく、家族と考えればこの解釈も成り立ちます。副詞cupideの意味にはcon parzialita「不公平に、不完全に」があります。これが法螺貝、マルスの頭による奇妙な延長を表しているとします。また蜂の巣に届いていない点でも不完全な描写です。次に副詞generatimの意味です。これをper specie「複数の種類によって」と解釈すると、槍と法螺貝と頭という違う種類を組み合わせていることを表せます。副詞節をまとめると、「家族の者たちが不完全に複数の種類によって延長するために」となります。

propagent

最後にマルスがクピドを槍で攻撃する者とした根拠を考えてみます。そういう命令をマルスが意識が朦朧とする前にクピドに行った可能性もありますが、それよりもはっきりしているのはクピドがマルスの武具である兜と槍をを身につけていることです。つまり武具を使うことを許しているマルスのせいで、クピドは槍を持ち攻撃する者になったわけで、その意味でマルスがクピドを槍で攻撃するものにしていると言うことができるでしょう。まとめると次のようになります。

家族のものたちが不完全に複数の種類によって延長するために、あなた(マルス)はみんなのところでアモル(クピド)を複数の胸を貫いて槍で攻撃する魅力的な者にしています。

you (Mars) make Amor (Cupid) the charming spearman through the hearts at the everybody so that the family men extend it partially by kinds.


マルスが何故膝を立てているのかの理由も見つかりました。これはマルスの体の後ろに山と草原を描き、彼の体を貫かせ、他の男性の描写と合わせて、per mariaという語句の表現をこの絵の中に描き込むためです。また槍の先端に重ねるように法螺貝を配置していることにも意味がありました。これは動詞propagentの表現となります。しかし、今回解釈した部分で一番大きいのは、槍で攻撃している者がクピドだと解釈できる語句incutiens amorem efficisが見つかったことです。



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