2013年12月09日

gnome orcaでespeakに日本語をしゃべらせる方法2

前回の続きです。数字を日本語で読むようにしてみました。

ファイルのダウンロード先はこの記事の最後に書いてあります。利用法は前回書いたとおりです。現時点でUbuntu13.10で使われているGnome orcaのバージョンは3.10.1なので、今回のパッチはこのバージョン向けのものです。他のバージョンで動くかどうか分かりません。Ubuntu以外で動くことはFedora 19で確認しましたが、speechdispatcherfactory.pyやen_dictの場所はシステム毎に確認する必要があります。またPython3用のMeCabモジュールもインストールしておく必要があります。

日本語の中の数字の読みの規則を明文化していくと、ほんとに複雑なことを頭の中で処理しながら日本人が生きていることを思い知らされます。漢数字に算用数字、漢数字でも位取り表記で使ったり、さらに万進数の位の漢字に算用数字をくっつけた折衷表記をしたり、その算用数字は整数だけでなく小数を使ったりもします。

それだけでなく読み方も大変です。本や匹など助数詞が後ろに付くと、数字は促音化したりしなかったり、助数詞の方は濁音になったり、半濁音になったり、ならなかったり、規則的な傾向はあるのだけれど、覚えなくてはならない例外がいくつもあります。四はヨンなのか、ヨなのか、シなのか、助数詞によって使い分けています。七もそうです。九もそうです。

そういう日本語の複雑な数字の読みをGnome Orca のespeakで発音できるようにプログラムを作ってみました。日本語のスクリーンリーダーや、日本語の音声合成ソフトでは当たり前の機能ですが、いざ作ってみるといろいろ面倒でした。

作っている間ずっと考えていたのは、こういうのは一人のプログラマが個人的に読み方を決めてはいけないなということです。日本語を普段使っている人なら違和感のある表現もいろいろくみ取って理解してもらえますが、それに期待して手抜きしたものが、日本語学習者にそれが本来の形だと思い込まれても困ります。また音声ガイドという性質上、一般的な日本人の日本語よりも、アナウンサーの日本語を手本にすべきだと考えました。

面白かったので、実験的にいろいろなことをしています。具体的には次の読みをできるようにしてみました。
・数字と助数詞によって起きる発音の変化は『NHKことばのハンドブック』の第5章の表を手本とする。
・算用数字の直後の英字の列は単位でないかを確認し、そうならばカタカナ表記に置き換えて読む。
・コロンで区切った2桁:2桁:2桁の数値は時刻とする。
・スラッシュで区切った4桁/2桁/2桁の数値は日付とする。ハイフンで区切られた同様の日付は直後に時刻があるときだけ日付とする。これに関連して、括弧で囲まれた曜日を表す1文字の漢字を常に曜日として読み上げる。
・ハイフンや2つ以上のピリオドでつながれた算用数字は一字ずつ読む。
・電話番号、郵便番号だとはっきり分かるものはハイフンを「ノ」と読む。
・コンマによる桁区切りは3桁だけでなく4桁区切りにも対応する。
・位を表す漢字と位取りの数字の組み合わせの読みは、万の位以上や小数の算用数字にも対応する。算用数字と組み合わせる位の漢字は万進数に限らず、百万や千などの位に対応する。このとき本来の値で読み替える。
・整数の左側、小数部分の右側にある桁埋めの「0」は読み上げない。
・16進数と2進数の接頭語として0xと0bを認識し、ついでに読み終わった後に十進数での値も読み上げる。
・URLに現れるパーセントエンコードは16進数数字として読み上げず、デコードして文字として読み上げる。

eSpeakの方ですが、jaの作り方は分かりましたが、他にもファイルをインストールしないといけなくなるので、今回もen_dictの置き換えだけにします。前回は、音声表記をローマ字に変えた方が細かな発音指定ができるんじゃないかなと考えていまいしたが、結局カタカナの方が都合がいいことに気がつきました。漢字仮名交じり文からカタカナにするだけでも情報をたくさんそぎ落としてしまっているのに、これをアルファベットにしたら、文中の英単語と日本語との区別ができなくなってしまいます。意外にこの区別は便利です。そういうわけで、今回もカタカナで作っています。ほんの少し、「ンム」を[m]、「ング」を[ng]を表すように変えてみました。なお日本語の中の無声音化は、eSpeak側で記述するルールで対応できるかもしれませんが、まだ理解できていないので今回はやっていません。


アーカイブに入れてあるkatakanize.pyは動作の確認ができるように、標準入力の1行をespeakで解釈できる形式で出力するようにしています。次のコマンドでキーボードからの入力を読み上げてくれます。なお以前はちょっと書き換えれば、python2で動くようにしていましたが、python3のみで動きます。

python3 katakanize.py|espeak

また、test.txtにutf-8の文字コードで日本語を1行書いておくと、次のコマンドでwavファイルを作ります。

cat test.txt|python3 katakanize.py|espeak -wtest.wav

ダウンロード:orca-3.10.1-espeak-jp_003.zip

更新履歴
コンマの区切りが思ったようになっていなかったので修正しました。2013/12/13
テスト用のコードを入れたままにしていたので修正しました。2013/12/16



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2013年11月10日

gnome orcaでespeakに日本語をしゃべらせる方法

現在書いているものが終わるまで他のことを書かないでおこうと思ってましたが、面白いアイデアが浮かんだのでここでプログラミングの話題を書くことにします。

集中力が切れたので、気分転換にUbuntu13.10を入れていろいろ試していました。久しぶりに起動したスクリーンリーダーgnome orcaのeSpeakの音声が、仮名文字や漢字のところで、ジャパニーズレターとかチャイニーズレターと言うようになっていました。以前は日本語文字列のところで意味不明な記号の羅列を延々と読み上げていたので、親切な修正と言えます。うるさいことには変わりないですが。

ちなみに、gnome orcaをオン/オフする標準のキーボードショートカットは、altキー+superキー(win)+sキーです。マウスでの操作だと、画面右上の[システム]ボタンを押して、出てきたメニューの中から[システム設定]を選び、開いた「システム設定」ウィンドウの中の[ユニバーサルアクセス]ボタンを押して、[視覚]タブにあるスクリーンリーダーのトグルボタンで切り替えます。

検索してみると、NVDA日本語版のてくてくラボのespeakのページにespeakのその指摘がありました。半年以上前の記事です。そこにはen_extraファイルを使って言語enで日本語を読ませる短いですが興味深い実験が書いてありました。

これはorcaに使えます。orcaの標準音声はespeakのenなので、これで日本の文字を発音できるようになれば素晴らしいです。さっそく勢いで作ってみました。

英語の発音記号を使ってカナ文字の発音をen_extraに定義していきます。このファイルを追加して、発音辞書であるen_dictにその内容を反映させると、eSpeakでカナ文字を発音してくれるようになります。Windowsでこの作業を行うには、eSpeakのホームページからespeak-1.47.11-win.zip や espeakedit-1.47.11-win.zipをとってきてインストールしておく必要があります。

発音辞書の設定は、espeakがインストールされた場所のdictsourceフォルダにあるrules、list、extraファイルで行います。その実行ファイルはcommand_lineフォルダにあるespeak.exeです。英語enの場合は次のコマンドになります。

espeak --compile=en

dictファイルはespeak-dataフォルダに生成されます。なお最近のWindowsでは管理者権限で実行しないと、VirtualStore内に作られてしまいます。

本当は言語jaを創設すべきところなんでしょうが、理解するのに時間がかかりそうだったので、このまま英語の追加の発音として作ってみました。今後、日本語独自のrules、list、extraファイルを作る場合は、eSpeakのサイトにあるPronunciation Dictionaryのページを参考にすればいいはずです。

せっかくなので、今後のことを考えて、仮名文字単体ではなく、長音、促音、拗音なども合わせて、ある程度の日本語の音節を表現するものを作ってみました。「ん」の発音の区別はしていません。これはカナ文字ではなくローマ字に変換するとやりやすくなるでしょう。他にも漏れてるものもあるかもしれません。発音も間違っているかもしれません。

このen_dictをNVDAにあるen_dictファイルと置き換えると、たどたどしくですが、かなを読み上げてくれるようになりました。同じファイルをubuntuに持っていってgnome orcaのen_dictと置き換えても、うまくいきました。漢字などまだ読めない文字がたくさんありますが、いかにも電子音電子音しているeSpeakの読み上げの中から日本語が聞こえてくると、それだけでも楽しいものです。

具体的なubuntuでのen_dictの置き換えですが、次の通りです。

まず、下記のアーカイブをダウンロードして、展開します。

ダウンロード:orca-3.10.1-espeak-jp_003.zip

(2013/12/13追記 後日作った数値読みの機能を追加したものにアーカイブを差し替えます。またubuntu13.10のorcaが3.10.1になったので対応バージョンも変えます。関連記事「gnome orcaでespeakに日本語をしゃべらせる方法2」 )

このアーカイブの内容は次の通りです。
・en_extra
・en_dict
・katakanize.py
・speechdispatcherfactory.patch

この中のen_dictを使います。新しいこのファイルがあるところで、端末から次のコマンドを実行します。

32ビット版ubuntuの場合、

sudo cp en_dict /usr/lib/i386-linux-gnu/espeak-data/en_dict

64ビット版ubuntuの場合、

sudo cp en_dict /usr/lib/x86_64-linux-gnu/espeak-data/en_dict

ただし別個にespeak関連パッケージをインストールした場合は別の場所のespeak-dataに変わるようです。

 

カナ文字だけならば発音できるようになりました。今度は、漢字の読み方を教えて漢字も読めるようにしてみます。要は漢字をカナ文字列に変換できればいいわけです。この問題の解決には、やはりMeCabを使います。gnome orcaなのでPython3で考えます。

ところが、ubuntuではpython3用のMeCabモジュールはapt-getでまだ入手できません。そのため自分でビルドしインストールする必要があります。修正も必要です。具体的な方法は、「Ubuntu - MeCabをPython3上から使えるようにする - Qiita [キータ]」に書かれています。注意点として、ビルド環境を整えるために、g++やpython3-devなどをapt-getでインストールしておかなければなりません。それから手順には書いてありませんでしたが、setup.pyも入手して実行しました。

ubuntuのpython3でmecabが使えるようになったので、次のような漢字の文字列をカタカナに変換する関数を作りました。(35行目にループ終了後に残ったwordを追加する処理を追加。2013/12/13)

# /usr/bin/env python3
# coding: utf-8

import MeCab
import re

def katakanize(text):
    regexp = re.compile(r'^[\x20-\x7E]+$')
    if regexp.match(text):
    	return text

    tagger = MeCab.Tagger('--node-format=%pS%f[8] --unk-format=%M --eos-format=\n')
    text = tagger.parse(text)
    #text = unicode(tagger.parse(text.encode('utf-8')),'utf-8')

    list = []
    word = ""
    prev = False
    for ch in text:
        if regexp.match(ch):
            if prev:
                word = word + ch
            elif word:
                list.append(word)
                word = ch
            else:
                word = ch
            prev = True
        else:
            if word:
                list.append(word)
                word = ""
            list.append(ch)
            prev = False
    else:
        if word:
            list.append(word)

    result = []
    word = ""
    for ch in list:
        if regexp.match(ch):
            if word:
                result.append(word)
                word = ""
            result.append(ch)
        elif ch == u"ッ":
            if word:
                result.append(word)
            word = ch
        elif ch == u"ー":
            word = word + ch
            result.append(word)
            word = ""
        elif ch == u"ャ" or ch == u"ュ" or ch == u"ョ":
            word = word + ch
        elif ch == u"ァ" or ch == u"ィ" or ch == u"ゥ" or ch == u"ェ" or ch == u"ォ":
            word = word + ch
        elif len(word) >= 1 and ( word[-1] == u"ク" or word[-1] == u"グ" )\
            and ( ch == u"ヮ" or ch == u"ヰ" or ch == u"ヱ" ):
            word = word + ch
        elif len(word) >= 1 and word[-1] == u"ッ":
            word = word + ch
        else:
            if word:
                result.append(word)
            word = ch
    if word:
        result.append(word)

    if result:
        return " ".join(result)
    else:
        return ""

if __name__ == "__main__":
    text = "これは文章変換の実験です。"
    text = katakanize(text)
    #text = katakanize(unicode(text,'utf-8')).encode('utf-8')
    print(text)

最後の数行はテスト用のコードです。python2で試してみるときは、辞書のエンコードを考慮して二か所のコメントアウトした部分を直前の行と入れ替えます。

カタカナ化という名前にしていますが、やっているのはもう少し複雑です。まず、MeCab.Taggerの引数内のf[8]で示している通り、表記ではなく発音の文字列を出力しています。例えば助詞の「は」は「ワ」となります。それから日本語文字とそれ以外を区別して、さらに日本語の場合は今回のen_extraにあるような塊になるように分かち書きになります。 この関数の部分を適当な箇所に貼付けて、その呼び出しをeSpeakに文字列を渡す直前に配置します。例えば変数textに文字列が入っていれば、その直前にtext = katakanize(text)という行を入れます。なおpython2では文字列や辞書のエンコードを考える必要があるので、上記のコメントアウト部分のような記述になります。

それでは具体的な修正方法です。 ここに示す方法はあくまでも実験です。ここに書いてあることを試したいときは、実務機以外、仮想マシーン(VMware PlayerVirtualBox)などにとどめてください。もちろん自己責任でお願いします。orcaのバージョンが変わったときは修正箇所もその影響も変わる可能性もあるので、そのときはあきらめてください。

やることはとてもシンプルです。先ほどやったen_dictをコピーする操作に加えて、一つのファイルにパッチをあてるだけです。その修正対象となるファイルは  /usr/lib/python3/dist-packages/orca/speechdispatcherfactory.pyです。このファイルには、linuxで標準的な音声合成のインターフェイスであるSpeech DispatcherへOrcaからコマンドを送るコードが書かれています。この中の、特に文字列を送って音声を鳴らすspeakコマンドのあるところが修正すべき箇所となります。Speech DispatcherはeSpeak以外の音声合成システムも管理しているので、それぞれの音声合成でカナ文字日本語の処理を用意しておけば、使えるようになるかもしれません。

端末を開いてorcaのバージョンを確認します。次の行を実行します。

orca -v

返ってきた文字列が3.10.1が3.9.92であることを確認してください。このバージョン以外ならば、うまくいくかどうかわかりませんので、あきらめてください。このバージョンだったならば、アーカイブの中のpatchファイルのあるところで、次のコマンドを実行します。問題があったときは、ソフトウェアセンターでorcaをインストールしなおすか、バックアップファイルをもとの場所に戻してください。

cp /usr/lib/python3/dist-packages/orca/speechdispatcherfactory.py speechdispatcherfactory.py
sudo patch /usr/lib/python3/dist-packages/orca/speechdispatcherfactory.py<speechdispatcherfactory.patch

これで、漢字交じりの日本語をカタカナ音節に変換する機構が組み込まれました。Alt+Win+sでOrcaを起動してみてください。

とりあえず、eSpeakの声で日本語をしゃべっています。問題はまだたくさんあります。数字の部分も英文と同じように本来のenで読んでもらうようにしています。そのため数値が英語読みになって、ちょっとおかしな表現になってしまいます。数字を日本語読みにする処理は以前ここでも書いたことがありますが、面倒そうだったので今回は入れていません。それくらいになると別ファイルにするか、モジュールとして独立させた方がよさそうです。他にも実用的にするにはもっと多くの処理が必要になってくるでしょう。

言語jaを作って、日本語用の音素を作って、別のfactory.pyを作って、さらにアクセント情報のあるunidicかOpen JTalkの辞書を使ったり、いろいろできるはずです。日本語の音声が必要な人たちに標準で用意できるようになると素晴らしいでしょう。

また新たな中途半端なものを作ってしまったわけですが、これを足掛かりに先に進めればいいと思います。



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posted by takayan at 23:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | GNOME Orca | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月31日

《パラスとケンタウロス》と『変身物語』(6)

今回は2年前に解釈した部分を含む10行です。

hic dea silvarum venatu fessa solebat
virgineos artus liquido perfundere rore.
quo postquam subiit, nympharum tradidit uni
armigerae iaculum pharetramque arcusque retentos,
altera depositae subiecit bracchia pallae,
vincla duae pedibus demunt; nam doctior illis
Ismenis Crocale sparsos per colla capillos
colligit in nodum, quamvis erat ipsa solutis.
excipiunt laticem Nepheleque Hyaleque Rhanisque
et Psecas et Phiale funduntque capacibus urnis.

自分でもよくこの部分だと分かったなと思います。ただ今見るとつたない解釈なので、いろいろ修正する必要があるのが分かります。前回はケンタウロスはケイロンだと仮定して解釈していましたが、今回ここまで訳してきた結果どうやらケンタウロスはカドモスです。そんな新しい前提も踏まえた内容にしないといけません。

さて、細かく解釈していきます。

hic dea silvarum venatu fessa solebat virgineos artus liquido perfundere rore.

hicは代名詞の可能性もありますが、この文では「ここで」の意味のある副詞hicとした方がいいでしょう。deaは女性名詞の単数の主格/呼格/奪格です。silvarumは女性名詞silva(森、木)の複数属格です。この属格は前のdeaを修飾しています。venatuは動詞venor(狩る)の動詞状名詞(supine)の単数中性奪格もしくは、男性名詞venatus(狩り)の単数奪格です。fessaは形容詞fessus(疲れた、弱った)の単数女性の主格/呼格/奪格か複数中世の主格/呼格/対格です。fessaは女性単数主格で主語deaを修飾しています。venatuは男性名詞の単数奪格でこのfessaの理由を示しています。

solebatは動詞soleo(習慣とする)の三人称単数未完了過去です。virgineosは形容詞virgineos(乙女の)の男性複数対格です。artusは男性名詞artus(手や足)の単数の主格/呼格/属格か複数主格/呼格/対格もしくは形容詞artus(ぴったりした)の男性単数主格です。artusは複数形では、手と足すべて、さらに体全体も意味します。この場合はvirgineosに修飾される男性名詞の複数対格で、「乙女の体を」となります。liquidoは形容詞liquidus(きれいな、澄んだ)の単数の男性/中性の与格/奪格です。perfundereは動詞perfundo(濡らす)の不定法現在か命令法受動態二人称単数現在か直説法受動態二人称単数未来です。roreは男性名詞rosの単数与格か奪格です。これは形容詞liquidoに修飾されていて、格は奪格になり、perfundereの理由を示しています。この動詞の目的語は前にあるvirgineos artusとなります。virgineos artus liquido perfundere roreが不定法句になっていて、動詞solebatの目的語になっています。まとめると、「ここで狩りに疲れた森の女神は乙女の体を透明な滴によって濡らすことを常としていた。」となります。

これを絵に合わせて解釈していきます。silvaは普通selvam(森)の意味ですが、複数形で使われた場合piante(植物)を意味することがあります。これを使って、dea silvarumは「植物の女神」とできます。体に枝を巻き付けた彼女に相応しい形容です。fessaは女性単数奪格で、これを名詞化して使います。fessaの意味にはprostrato(打倒された、打ちひしがれた)があります。ケンタウロスの表情に使えそうです。しかし、venatusの意味が「狩り」のままだと少し意味が通じません。venatusのイタリア語での意味cacciaには「狩り」の他に「狩りの詩、狩猟歌」というのがあります。これはまさにこのアクタイオンの物語そのものです。翻訳だと分かりにくいですが、確かに『変身物語』は叙事詩です。ケンタウロスはこの絵ではカドモスですから、孫が獲物として食い殺される詩を聞けば打ちひしがれてしまうでしょう。ここまでで「狩猟歌で打ちひしがれている者とともにいる植物の女神が」となります。しかしここで少し問題が見つかります。打ちひしがれているケンタウロスを表す言葉fessaが女性形だという点です。この問題を解決する解釈を一つ思いつきます。それはケンタウロスの左腕です。ケンタウロスはまるで恥じらいのウェヌスのように胸を左腕で隠しています。中指の表情も女性的に見えます。つまりケンタウロスが女性のような仕草をしていることで女性形の単語を表すと考えます。

fessa

virgineos artusは本来の意味のまま「乙女の体を」でいいでしょう。問題はros(露、滴)と呼べる描写が見つからないことです。しかし、rosには同じ綴りの中性名詞があり、この単語だけでローズマリー(ros marinum)を表します。ローズマリーが地面ではなく、処女神の体を這っていると考えるわけです。あとはこれに合わせて、liquidusとperfundoを調べます。liquidusの意味の中にchiaro(明るい、輝く)があります。植物は金の指輪を通って伸びていているので、確かに光っています。perfundoの意味にはcolmare(満たす、埋める)があります。ここで動詞soebatが未完了過去であることを考慮します。つまり他のBotticelliの神話画を解釈したときの未完了過去の記述と描写の関係と同じように、この描写にもどこか不完全なところがあるはずです。それはどこかと言えば、女神の足に植物が巻き付いていないことです。artusという言葉を使いながら、両足には何も巻き付いていません。

soebat

まとめると、「ここで狩猟歌で打ちひしがれている女性(乙女の仕草をしたケンタウロス)とともにいる植物の女神(ディアナ)は乙女の体を光り輝くローズマリーでいつも不完全に埋めていた。」となります。

 

quo postquam subiit, nympharum tradidit uni armigerae iaculum pharetramque arcusque retentos, altera depositae subiecit bracchia pallae, vincla duae pedibus demunt;

まず本来の意味です。postquamは英語のafterに相当する接続詞です。subiitは動詞subeo(行く、動く)の三人称単数完了過去です。quoはいろいろな可能性がありますが、文脈やsubiitから、場所を表す関係副詞と考えた方がいいでしょう。この節の意味は「彼女はこの場所に来た後に」となります。nympharumは女性名詞nymphaもしくはnymphe(ニンフ、花嫁、若い女性)の複数属格です。tradiditは動詞trado(委ねる、渡す)の三人称単数完了過去です。uniは形容詞unus(一つの)の単数与格です。armigeraeは女性名詞armigera(武器持ち係)の単数属格/与格か複数主格/呼格もしくは形容詞armiger(武器を運んでいる)の女性単数属格/与格か女性複数主格/呼格です。nympharum uni armigeraeで「ニンフの中の一人の武器持ち係に」なって、女神が武器を渡す対象を示しています。

iaculumは中性名詞jaculum(槍、投げ矢)の単数の主格/呼格/対格もしくは、形容詞jaculusの中性単数の主格/呼格/対格か男性単数対格です。これは渡している武器なので、名詞の単数対格となります。pharetramは女性名詞pharetram(矢筒)の単数対格です。arcusは男性名詞arcus(弓)の単数の主格/呼格/属格か複数の主格/呼格/対格です。retentosは動詞retendo(弛んだ)の完了分詞男性複数対格、もしくは動詞retineo(背負う)の完了分詞男性複数対格です。どちらでもあり得ますが、狩りが終わって渡そうとしている弓を修飾しているので意味的に前者の方とします。arcus retendoで「弛んだ弓を」となります。ここまでが一つの意味のまとまりになっていて、「ニンフの中の一人の武器持ち係に槍と矢筒と弛んだ弓を渡した。」となります。

ちょっとここで本来のiaculumの訳について書いておきます。女神がディアナであることから、これは投槍や投矢ではなく、(弓で飛ばす)普通の矢を意味していると考えるべきでしょう。その後に続くpharetram(quiver)とarcus(bow)からしても、iaculumを矢と考えたほうが自然です。しかし、英訳でも、「javelin」や「spear」と槍寄りの訳がされています。岩波文庫の中村善也氏の和訳でも「槍」となっています。iaculumという言葉が元々iacio(投げる)に由来するので、手に持って投げる意味が主になるのは仕方がないかもしれません。また単数形で書かれているのも槍であることを後押しします。狩りの後なので一本しか残っていないと考えられますが、矢ならば普通は複数本あるはずです。しかし、どちらにせよ、この絵は意図的に槍として描いてあります。そして和訳がiaculumを槍と断定してくれていたおかげで、この絵の謎を解く糸口が得られました。

alteraは形容詞alter(別の)の女性単数の主格/呼格/奪格か中性複数の主格/呼格/対格です。これが主語になります。depositaeの動詞depono(下に置く)の完了分詞の女性単数の属格/与格か女性複数の主格/呼格、もしくは形容詞depositus(絶望した、下に置かれた)の同様の活用形です。subiecitは動詞subicio(下に投げる、下に置く)の三人称単数完了過去です。bracchiaは中性名詞bracchium(腕、枝)の複数の主格/呼格/対格です。ここでは複数対格です。pallaeは女性名詞palla(外套、衣)の単数の属格/与格か複数の主格/呼格です。ここでは単数与格です。これは完了分詞depositaeによって修飾されて、合わせて「脱いだ衣に」となります。したがって、「(女神の)脱いだ衣にもう一人が両腕をその下に置いた。」となります。意味としては、もう一人のニンフが女神の脱いだ衣を両腕で下から抱えるように受け取ったということになります。vinclaは中性名詞vinclum(鎖、紐、履物)の複数の主格/呼格/対格です。duaeは数詞duo(二つの)の女性複数の主格/呼格です。これが主語となり、vinclaは対格となります。pedibusは男性名詞pes(足)の複数の与格/奪格です。demuntは動詞demo(取り去る)の三人称複数現在です。したがって、「二人が両足から履物を脱がす。」となります。

さて、この部分を絵に合わせた解釈をします。この文章は途中で分けます。まず、quo postquam subiit, nympharum tradidit uni です。今回は何を表すか明かさずに解釈していきます。quoは関係代名詞ですが、これは先行詞が省略されているとし、quo subiit 全体で一つの場所を表す単数奪格と解釈します。動詞subeoにはspuntareという意味があります。そしてこの自動詞spuntareには「生える、姿を現す」の意味があります。三人称の主語はとりあえず「それ」としておきます。つまり、quo subiitで「それが姿を現したところ」を意味していると解釈できます。次は、nympharum tradidit uni です。ここにはニンフは描かれないので、uni nympharum を「若い娘たちの一人」と訳します。ガルガィエが見つかったので、若い娘たちをガルガフィエとディアナとしてもいいのですが、折角ケンタウロスが恥じらう女性の仕草をしているので、若い娘にケンタウロスを含めてみましょう。動詞taradidoの意味ですが、調べると、rimettereがあります。 これには「戻す、(芽などを)生やす」という意味があります。まとめると、「それが姿を現したところに若い娘たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)の一人(ディアナ)は芽を生やした。」となります。もちろん、この文章が表しているのは、女神の右手首の下の若芽のところです。つまり、関係節の主語はアクタイオンとなります。改めてまとめると、「彼(アクタイオン)が姿を現したところに若い娘たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)の一人(ディアナ)は芽を生やした。」となります。

quosubiit

次のarmigerae iaculum pharetramque arcusque retentos は感嘆文とします。armigerae を女性名詞の複数呼格とします。ケンタウロスはここでも女性扱いです。「武器を持っている女性たちよ!」となります。確かに二人とも武器を持っています。そしてその後に持っている武器の羅列ですが、これらは感嘆を表す対格と解釈します。iaculumとpharetramはそのまま「槍」と「矢筒」とします。槍は女神の左手に、矢筒はケンタウロスの背中にあります。問題はarcus retentos(弛んだ弓)です。たしかに弛んだ弓は描かれていますが、ケンタウロスの右手に一つしかありません。arcus 単独ならば単数の可能性もありますが、retentosに修飾されていると考えると、複数とする以外ありません。これを解決するのが、動詞retineoです。本来の意味のところで指摘したように、retentosという活用形になる動詞は二つあって、retendo(弛んだ)とretineo(背負う)です。つまり、arcus retentosは「背負われた弓」とも訳せます。しかし、ケンタウロスも女神も弓を背負ってはいません。ケンタウロスが背負っているのは矢筒で、女神が背負っているのは波打った黒い盾のようなものです。そう波打っています。この黒い盾のようなものをよく見ると、側面は金色で縁どりされていて、ケンタウロスの弓のような曲線を描いています。arcusの意味のarcoには「弓」だけでなく、「弓状に曲がったもの」の意味があるので、arcus retentosは「背負われた弓のように曲がったもの」と訳せます。この言葉はまさに女神が背負っている盾のような物体を表せます。まとめると、「武器を持っている女性たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)よ!槍と矢筒と弛んだ弓と背負われた弓状に曲がったものよ!」となります。

arcusretentos

次は altera depositae subiecit bracchia pallae です。bracchiumには「枝」という意味があるので、これを使います。この絵にはbracchium(枝)が巻き付いているpalla(衣)が描かれているので、女神の服装に関する描写ではないかと予想が立ちます。deponoはイタリア語でdeporre(下に置く)なので、depositae pallaeを「下に着ている衣」とします。白い方の服を表していると考えるわけです。これを女性単数属格とし、bracchiaを修飾しているとします。そうするとaltera subiecit bracchiaは「下に着ている衣の複数の枝」となります。これは絵の中では白い服の上を這っている植物です。alteraを女性単数奪格とします。subicioはイタリア語では「gettare(投げる)/mettere(置く) sotto(下に)」の意味です。deponoと似た意味になりますが、mettere sotto(下に置く)の意味を使います。したがって、altera subiecit bracchiaは「複数の枝を別のものの下に置いた。」と解釈できます。この文の主語は女神という言葉が省略されていると考えます。つまり、白い服の上を這っている枝の何本かが緑のマントの下になるように、そのマントを体に巻いていたことを表していると解釈します。以前は、緑の布が地面についていることを表していると解釈しましたが、今回は大幅に修正しました。まとめると、「(女神は)下に着ている衣(白い服)の複数の枝を別の衣(緑のマント)の下に置いた。」となります。

subiecit

そして、この文の最後、vincla duae pedibus demunt です。この節はラテン語だけでなくイタリア語の意味を利用しないと解釈できませんでした。vinclumのイタリア語の意味の一つにcordone(ひも)があります。この単語は地質学では「帯状の土地」、建築では「縁石」という意味があります。確かにケンタウロスの足の後ろには帯状の地層が見えています。vinclaが示しているのはこれでしょう。さらにケンタウロスはわざわざ足を上げてこの地層を隠すようにしています。動詞demoの意味にはtogliereがあり、普通は「取り去る」という意味ですが、古語では「邪魔する」という意味もあります。これはケンタウロスの足元の仕草にちょうどいい表現です。pedibusは奪格とし手段を表しているとします。足を使って帯状の土地が見えるのを邪魔しているわけです。最後になりましたが主語はduaeです。duaeがpedibusと同じ性数格であれば、「二本の足で」という解釈もできたのですが、それはできないようです。ケンタウロスは他の足も地層を隠しています。そしてケンタウロスだけでなく、女神の足も地層を見えなくしています。duaeはケンタウロスと女神を指していると考えられます。まとめると、「二人は足を使って帯状の土地を邪魔している。」となります。

vinclum

この文の全体をまとめると、次のようになります。

「彼(アクタイオン)が姿を現したところに若い娘たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)の一人(ディアナ)は芽を生やした。武器を持っている女性たち(ディアナと乙女の仕草をしたケンタウロス)よ!槍と矢筒と弛んだ弓と背負われた弓状に曲がったものよ!(女神は)下に着ている衣(白い服)の複数の枝を別の衣(緑のマント)の下に置いた。二人は足を使って帯状の土地を邪魔している。」

 

以前はここまで、6行目の途中で引用を切りました。その後の文にはディアナに従う侍女の名前がいくつも並んでいて(Ismenis Crocale、Nephele、Hyale、Rhanis、Psecas、Phiale)、これは絵には表現できないだろうと考えました。しかし、ここまで徹底して絵にしているのですから、これも何らかの形で表現していると考えるのが素直な解釈でしょう。

nam doctior illis Ismenis Crocale sparsos per colla capillos colligit in nodum, quamvis erat ipsa solutis.

本来の意味から考えます。namは接続詞、英語だと「for、on the other handなど」の意味です。doctiorは形容詞doctus(経験豊かな)の比較級の単数主格か呼格です。illisは指示代名詞ille(英語のthat)の複数与格か奪格で、これは比較対象を表す奪格となります。Ismenisは女性名詞の単数主格です。これはイスメノス(Ismenos)川に由来する言葉で、この川が近くを流れる古代都市テーベに住む女性の意味があります。もちろんテーベというのはカドモスの拓いた町で、この話の舞台になっている山もこの地域にあります。またイスメノスは河神の名前でもあるので、その娘という解釈も成り立ちます。Crocaleは女性名詞の単数主格で、ディアナの侍女の名前です。

sparsosは動詞spargo(撒き散らす)の完了分詞の男性複数対格です。perは対格支配の前置詞で「~を通って」などの意味があります。collaは中性名詞cullum(首、くびれた部分)の複数の主格/呼格/対格です。capillosは男性名詞capillus(髪)の複数対格です。これは先にあったsparsosに修飾されて「撒き散らした髪を」となります。colligitは動詞colligo(集める)は三人称単数現在です。inは対格か奪格支配の前置詞です。nodumは男性名詞nodus(結び)の単数対格です。これが前置詞に支配されているとすると、対格なのでinは方向を示す前置詞となります。quamvisは英語のalthoughに相当する接続詞です。eratは動詞sum(ある、いる)の三人称単数未完了過去です。ipsaは再帰代名詞ipseの女性単数主格か中性複数の主格/対格です。ここではクロカレのことなので、「彼女自身が」となります。solutisは形容詞solutisの複数与格か奪格です。これは省略されていますが、髪についての形容で、その意味で名詞化されているとします。

ここまでをまとめると、「一方で彼女たちよりも経験豊かなテーベの女性クロカレが首を通る乱れた髪を結んで集める。彼女自身は乱れた髪をしていたが。」となります。

ここを絵に合わせて解釈します。侍女の名前Crocaleはギリシャ語κροκάληに由来します。κροκάληのイタリア語での意味を調べると、ciottolo(砂利、小石、陶製の食器、瀬戸物)、riva del mare(海岸)、spiaggia(海辺、川岸)とあります。この絵の背景には海だか川だか分からない水辺が描かれています。これが何であるのかがやっと分かりました。Ismenisは元々、テーベの近くを流れるIsmenos(イスメノス川)からできた形容詞の女性形です。従って、Ismenis crocaleはイスメノス川の岸となります。これが主語です。この主語には比較級がついてましたが、それもそのまま利用します。ただdoctusが「経験豊か」の意味だと岸には合わないので他の意味を探します。abileという訳語に「立派な」という意味があるので、これを使います。つまり、doctior illis Ismenis crocaleを「他のものより立派な岸が」とできます。この川の岸を見回して、立派そうなものを探してみます。一見、比較級を使うほど特別な岸はなさそうに見えます。しかし、念入りに見ていくと、一か所とても頑丈そうで美しい曲線を描くcrocaleがあるのに気付きます。そう、女神が背負っている弓のように曲がった盾のようなもの(以後、断定されたわけではないが盾と呼称する)です。この盾は岸のように水面に接して描かれています。おそらくこれは陶器製です。そうすることで川に接している部分だけでなく、全体をcrocaleと呼ぶことができるようになります。確かに金縁の立派なcrocaleです。

この盾には女神の乱れた髪が覆いかぶさっているので、sparsos capillosはそのまま「乱れた髪」と訳してよさそうです。cullumは「首」ですが、くびれた部分も表せます。ちょうど盾の側面の曲線の細くなっている部分から乱れた髪が外の方へと流れています。つまり、これがsparsos per colla capillosとなります。そしてこの流れていく髪が二つに分かれている部分で束ねられている描写になっています。colligit in nodumで表現される部分です。これは風によって起きた自然のいたずらなのでしょう。しかし盾が風を使って作り出したと考えれば、盾を主語として表すことができます。さらに次の節のerat ipsa solutisは盾の領域にある乱れた髪のことを表していると考えられます。ただeratが未完了形なので、ここでも不完全な描写になっています。これはくびれから外に出る直前、束ねられている描写があるからです。この描写は分かりにくいですが、細い髪の束がほんのちょっと外に出ていて、それを逆にたどっていくと分かるようになっています。

colligitinnodum

まとめると、「一方で他のものより立派な岸(女神が背負っている盾のようなもの)がそのくびれの部分を通る髪を結び付けている。しかしそれ自身(盾)は乱れた髪と不完全に一緒にある。」となります。

excipiunt laticem Nepheleque Hyaleque Rhanisque et Psecas et Phiale funduntque capacibus urnis.

本来の意味から始めます。excipiuntは動詞excipio(取り去る)の三人称複数現在です。laticemは男性名詞latex(水、液体)の単数対格です。これは前の動詞の目的語です。そのあとにディアナの侍女たちの羅列があります。それらが接尾辞のqueや接続詞etで連結されています。Nephele、Hyale、Rhanis、Psecas、Phialeです。これらの人名はそれぞれ単数主語で、それが集まって複数主語になっています。続いて、fundunt、動詞fundo(注ぐ)の三人称複数現在があります。capacibusは形容詞capax(とても大きな)の複数与格か奪格です。urnisは女性名詞urna(壺、甕)の複数与格か奪格です。これは前にあるcapacibusによって修飾されています。ここには二つの動詞がありますが、どちらの動詞も5人の侍女が主語になります。それだけでなく対格や奪格も共有しています。まとめると、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが甕(かめ)に水を汲み、そして注ぐ。」となります。

ここを絵に合わせて解釈します。この文もとても面白いです。この単語latexの意味が秀逸です。本来はliquido(水、液体)の意味なのですが、latexにもまた同じ綴りの別の単語があって、その意味がnascondiglioです。この意味は「隠れ場、隠し場、隠れ家」です。動詞excipioにはいろんな意味があります。これには一般的なtrarre fuori(引き出す)やeccettuare(除く)の他に、sostenere、sorreggere、appoggiare(支える)などの意味があります。このことから、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが隠れ家を支えている。」と解釈できます。

次に後半のfunduntque capacibus urnisですが、urnaの意味はイタリア語でもurna(壺、甕、墓地)ですが、他にbrocca(水差し、取っ手付きの壺)という意味があります。さらに、このbroccaに同じ綴りの別の単語があって、その意味は「若枝、芽、鋲」です。若枝と言えば女神の全身にあるこの植物です。そしてfundo(注ぐ)にも同じ綴りの別の言葉があって、fondare(土台を据える、建設する)の意味があります。この語に他にも様々な意味がありますが、その中にもappoggiare(支える)があります。そして形容詞capaxに対応するイタリア語capaceには、「収容力のある、能力のある、豊かな、広範囲にわたる」などの意味があります。どれでも使えそうですが、ここでは「能力のある」を選びます。そして奪格は同伴の役割とします。つまり、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが隠れ家を能力のある若枝とともに支えている。」と解釈できます。

まとめると、「ネフェレとヒュアレとラーニスとプセカスとフィアレが隠れ家を支えている。それを能力のある若枝とともに支えている。」となります。これだけだと何の事だかさっぱりわからないでしょう。でも、いろいろ考えてみましたが、この解釈で描かれているとしか思えません。

それでは、今度は侍女たち(nephele、hyale、rhanis、psecas、phiale)がどこに描かれているかを示していきます。もちろんこれは侍女たちの名前に関係しています。それぞれの名前はもともとギリシャ語で、綴りはそれぞれνεφέλη、ὑάλη(=ὕαλος)、ῥανίς、ψεκάς(=ψακάς)、φιάληです。νεφέληのイタリア語での意味を調べると、nuvola、nube、macchia、sublimata、rete per uccelliです。ὑάληにはὕαλοςを参照と書いてあって、ὕαλοςの意味はpietra trasparente、alabastro、cristallo、vetroです。ῥανίςは、goccia、sperma、macchia、chiazzaです。ψεκάςはψακάςの異体で、ψακάςの意味はgocciadi pioggia、goccia、pioggerella、pioggia、particellaです。そしてφιάληはurna、coppa、tazzaです。意味が重なっているものもあって選ぶのが難しいですが、絵に描かれているものから逆に考えて、nepheleはnuvola(雲)、hyaleはcristallo(水晶)、rhanisはmacchia(汚れ)、psecasはgoccia(滴)、phialeはurna(壺)と考えるとうまくいきそうです。

まず、雲です。この絵にはっきりと雲は描かれてはいません。霞のようなものは山の上に掛かっていますが、空に雲と呼べる存在は見当たりません。しかし、この絵には確かに雲が隠されています。さて、それはどこでしょうか。女神の腕の何か所かには布を巻き上げたような飾りがついています。これが雲のような形をしています。特に左手です。右手のものは形を雲に似せないように描いているようです。二の腕のあたりは空が背景なので、本物の雲に重ねた描き方もできるのに、それをしないのは左手が重要だからでしょう。

nephele

次に水晶です。これは形が独特なので、場所がすぐわかります。画面右端にある山のふもとにある遠景の建物です。ここに先端がとがったシルエットが見えます。これは建物の側面の影がそれだけ浮き上がっているように見えますが、これは確かに水晶の結晶の形をしています。その先端が盾の縁に触れるように描かれています。これで侍女たちが支えているものが何であるのか分かってきました。おそらくこの盾を支えています。

hyale

その次は汚れです。これはこの絵を見た人だれもが気付いている表面の汚れや下絵のようなものです。もちろんこれは意図的に描かれています。この汚れは盾の周りに描かれています。特に盾の右上のあたりは、盾を覆うような曲線がこれを支えています。

rhanis

今度は滴です。これは解像度がもう少し高ければもっとよくわかるかもしれません。滴があるのは、盾の下です。盾の表面に貼りついている髪は盾の領域を下の方へと乱れながら伸びています。そして盾の縁が終わったところで髪も終わるのですが、そこからもさらに下の方向へ茶色のぼんやりとした筋が伸びています。これが滴です。髪を伝って茶色の液体が垂れているのでしょう。これを逆にたどっていくと、変色した二枚の葉に行きつきます。ここから染み出した茶色の液体がその葉先に触れている髪を伝って、下へと垂れているのでしょう。この滴は何本かのぼんやりとした柱になって、まるで盾を支えるように描かれています。

psecas

最後は壺です。盾の周りで壺のような形を探すと、水晶の左側にある小さな物体が見つかります。右上が高くなっているので、水差しのようにも見えます。そこのところは拡大してもはっきりしないので、単に壺としておきます。

phiale

これで、侍女たちを表す単語が確かに盾の周りを支えるように囲んでいるのが示せました。つまり、これが隠れ家です。隠れ家ならば何かが隠れていなくてはなりません。よく見てみると、手足の長い怪しげな人の姿が見えてきます。そして右にも誰かいるように見えます。他にもいるかもしれません。ここにいるのが侍女たちならば、5人そろっているのかもしれません。隠れ家で彼らは何をしているのでしょう。本物を拡大して見ることができれば、もっといろんなことがはっきりすると思います。

latex

 

今回はここまでです。2年前と同じ部分を解釈してみましたが、以前の違う内容が出てきました。解釈のしようによっては様々な絵の内容が導き出せるのがこの解釈の最も疑わしいところですが、それをこういう形で自分自身で実証したわけです。言葉遊びでこの作品が描かれているという強い思い込みが、言葉の意味を捻じ曲げどうしても意味を描写に近づけてしまいます。今回新しく解釈した部分も素晴らしい内容でした。謎を解こうとここは何度も繰り返し読んでいたのに、これが盾の描写になるなんて思いもよらない結末でした。



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posted by takayan at 01:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | パラスとケンタウロス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月20日

《パラスとケンタウロス》と『変身物語』(5)

今回は次の8行です。この絵に新しい登場人物が出現します。

Vallis erat piceis et acuta densa cupressu,
nomine Gargaphie succinctae sacra Dianae,
cuius in extremo est antrum nemorale recessu
arte laboratum nulla: simulaverat artem
ingenio natura suo; nam pumice vivo
et levibus tofis nativum duxerat arcum;
fons sonat a dextra tenui perlucidus unda,
margine gramineo patulos incinctus hiatus.

最初の行から、素晴らしい言葉遊びです。

vallis erat piceis et acuta densa cupressu,

本来の意味を調べます。まず構造の情報として、vallisは女性名詞vallis(渓谷、谷)の単数主格/呼格/属格か複数対格。eratは動詞sum(ある)の三人称単数未完了過去。pieceisは女性名詞picea(スプルース、トウヒ、蝦夷松)の複数与格か奪格。etは接続詞。actutaは形容詞acutus(鋭い)の中性複数の主格/呼格/対格か女性単数の主格/呼格/奪格。densaは形容詞densus(濃い、密集した)の中性複数の主格/呼格/対格か女性単数の主格/呼格/奪格。cupressuは女性名詞cupressus(糸杉)の単数奪格。

これらをまとめていきます。主語はvallisで、動詞はeratです。形容詞densaは女性単数主格で主語を修飾しています。piceisは複数奪格、cupressuも単数奪格で女性単数奪格の形容詞acutaによって修飾されています。そして接続詞etは奪格のpiceisとcupressuを等位で結んでいます。これらの奪格は密集している内容を示していて、「スプルースと鋭い糸杉が茂っている渓谷があった。」となります。この文は、まださらに続きますが、絵に合わせた解釈では、ここで区切って考えます。

さて、絵の中での意味です。まずこの絵には渓谷が描かれていません。ここではvallisは谷を意味しません。日本語や英語に訳された『変身物語』をいくら詳しく読んでも、これ以上先には進めません。しかし自分でラテン語の単語を調べてみると面白い表現が見つかります。vallisという変化形になるのは、vallis(谷)の他にいくつかありますが、中性名詞vallumの複数与格/奪格もvallisとなります。この単語vallumにはイタリア語でpalizzate(柵)という意味があります。柵はまさに女神の右横に描かれているものです。そしてpiceisがこれを修飾します。piceisは形容詞piceus(松脂の)の中性複数の与格か奪格です。柵のところに松脂そのものは描かれていませんが、「松脂色の」と考えればこの柵の色となります。

vallis

しかしvallisのこの解釈を採用すると、問題が一つ起きます。主語であるvallisが与格か奪格になってしまうので、代わりの単数主語が必要になります。候補としてはacutus(鋭いもの)かacutus densus(密集した鋭いもの)です。これだけでははっきりしませんので、少し先を調べてみます。

cupressusは糸杉です。ここにはどうやら描かれていないようです。しかし辞書を見ると、とてもいい意味が見つかります。cupressusそれだけで「糸杉でできた槍」を表します。この絵には見落としようのない立派な槍が描かれています。何故糸杉と槍が関係があるのかというと、『変身物語』10巻にキュパリッソス(Κυπάρισσος)の悲しい物語があります。彼は可愛がっていた鹿を誤って投げ槍で殺してしまいました。彼はその悲しみのために、いつまでも嘆き悲しむことを望み、やがて彼の姿は糸杉に変わってしまいました。所有から材料へ変わっていますが、この物語が糸杉と槍を結びつけられた由来であると思います。cupressuは単数奪格なので、処格的用法と見なし、「糸杉の槍のところに」という意味で使えます。

cupressus

acuta densaもしくはその一部が主語となるはずですが、それが何を表しているかを理解するために、この文の構造の可能性を考えてみます。etという接続詞の存在から、cupressuと同様にvallis piceisも奪格となります。動詞がeratなので、これらの奪格が主語の存在する場所を表していることになるでしょう。つまり、acuta densaとは柵と槍に共通する何かということになります。

acutusは「aguzzo(鋭い)」という意味ですが、これは工夫しなくても、柵にも槍にも描かれています。柵は縦の板がことごとく折れ、その先が鋭くなっています。槍は当然先端が鋭いですが、この槍には片方が鋭い斧の刃のようなものが横から取り付けられています。一方のdensusですが、denso(濃い、密集した)という意味では柵にも槍にも描かれてないようです。他の意味を探すと、その中にcontinuo(連続した)、fitto(打ち込まれた)があります。柵は尖った切り口の板がいくつも並んでいるのでcontinuoという言葉で表現できます。槍の先端付近には、片側が尖った斧の刃のようなものが横から打ち込まれているようなので、fittoとなります。

そして動詞eratです。これは直説法能動態三人称単数未完了過去です。Botticelliの他の神話画の解釈では未完了過去が不完全な描写になっていました。これもそうなっています。柵の板の中で、一番背が高いものの先端は微妙ですが、丸みを帯びたような描写になっています。槍に関しては、もっと分かりやすく反対側の斧の刃のようなものが丸みを帯びている描写が不完全さを表しています。

まとめると、「連続した鋭いものが松脂色の柵のところに不完全にある。打ち込まれた鋭いものが糸杉の槍のところに不完全にある。」となります。

nomine Gargaphie succinctae sacra Dianae,

この文の本来の意味を調べます。nomineは中性名詞nomen(名前)の単数奪格です。gargaphieは女性単数の主格/呼格/奪格です。地名のガルガフィエ渓谷のことで、上の行に出てきたVallisとそのものです。この節全体がこの渓谷の説明となっています。succinctaeは動詞succingoの完了分詞で女性単数の属格か与格もしくは女性複数の主格か呼格です。この意味はディアナ(アルテミス)の特徴である帯をしめた姿を表す形容詞です。この語は少し後ろのDianaeを修飾しています。Dianaeは女性名詞の単数の属格か与格もしくは複数の主格か呼格ですが、ディアナは一人ですから、succinctae Dianaeは単数属格か単数与格です。形容詞sacer(宗教的な、神聖な、献げられた)の女性単数の主格/呼格/奪格、もしくは中性複数の主格/呼格/対格ですが、ここでは主語と同格の女性単数主格とします。この語は与格もしくは属格を伴って信仰の対象を表します。「(ここは)ガルガフィエという名前で、帯を締めたディアナに献げられている。」となります。

これを絵に合わせた解釈にします。Gargaphieという固有名詞の解釈がなかなか難しかったです。Gargaphieは本来ここでは地名として訳されますが、ギリシャ神話でΓαργαφία(ガルガフィア)はこの地に住むニンフの名前も意味していました。彼女は河神アソポスの娘で泉の精です。この絵を見て以前から疑問に思っていたものがあります。それは女神の右側、槍との間にある顔のような描写の存在です。下書きが透けて見えているのだろうかと思っていましたが、やっと意味が分かりました。ここまで計算ずくで描かれた絵でこのような過失を起こすわけがありません。彼女が泉の精ガルガフィエです。

Gargaphie

nomineは名詞nomenとしてではなく、まれに使われる副詞nomine(nominally)とします。Gargaphieはsacraに結びつきます。sacerの意味でこの絵の中のGargaphieに合うものがなかなか見つかりません。しかし一つ英語でcelestial(天上の、空の)という意味を見つけました。調べるとラテン語のcaelestisの意味の一つに英語celestialがあります。《Primavera》のゼフュロスの解釈の時にラテン語caelestisから空色(イタリア語のceleste)を導いたことを思い出しました。確かにガルガフィエは空と同じ色をしていますから、その存在が分かりにくかったのです。したがってラテン語scaerから英語のcelestialが導かれるので、さらにここからceleste(空色)も導けるはずです。つまり、もはや翻訳ではありませんが、sacerはceleste(空色)に変換できます。

Dianaeはsuccinctaeと結びついていますが、succinctusの意味はディアナの描写の中にいろいろ見つかります。イタリア語に訳すとsuccinto、cortoとなります。succintoは服の用語としてあるようですが、それではなく、cortoの「短い、不足している」の意味を使います。彼女の袖は少し短くなっています。彼女は肘のところを金色の針金のようなベルトで長すぎる袖をたくしあげ固定しています。Oxford Latin Dictionary(OLD)のsuccinctusには「having one’s clothes gathered up by a belt, girdle, or sim.」とあり、腕はこの意味の描写となります。OLDにはまた「(of trees) bushy-topped」という意味も載っています。実際、女神の頭に巻いてある蔓から葉が伸び外へと広がっています。彼女は高く帯は締めていませんが、まさにsuccinctusなディアナが描かれています。

succinctus

この文には動詞がありませんが、動詞eratが省略されているとします。もちろん未完了過去なのでこの絵では不完全な描写です。そして与格のDianaを所有の与格であるとします。まとめると、「空色のガルガフィエを腕をまくったりしているディアナが名ばかりで(不完全に)伴っている。」とします。

cuius in extremo est antrum nemorale recessu arte laboratum nulla

これは関係節で、cuiusは関係代名詞quiの単数属格です。先行詞は単数の女性名詞なのでVallis、cupressu、Gargaphie、Dianaeの可能性があります。まだ分からないので保留とします。

前置詞inは対格か奪格を支配します。extremoは形容詞extremum(最後の、端の)は単数の与格か奪格です。これはinの目的語を修飾している形容詞かもしれません。estは動詞sumの三人称単数現在です。antrumは中性名詞antrum(洞穴、岩屋、岩)の単数の主格/呼格/対格です。もしかするとinは奪格支配ではなく対格のこれかもしれませんが、単数主格なので主語の可能性が高いでしょう。nomeraleは形容詞nemoralis(森の)の中性単数の主格/呼格/対格か単数奪格です。recessuは男性名詞recessus(奥)の単数奪格です。これとextremoが結びつきそうです。arteは女性名詞ars(技術、芸術、人工物)の単数奪格です。laboratumは動詞laboroの完了分詞の中性単数の主格/呼格/対格か男性単数対格もしくはスピーヌムの中性単数対格です。nullaは形容詞nullasの女性単数の主格/呼格/奪格か中性複数の主格呼格対格ですが、arteを修飾しているので女性単数奪格となり、合わせてlaboratumを修飾して行為者を表しています。arte laboratum nullasは、否定語のnullaが付いているので、「人工物ではない、つまり自然が作り出した苦心の作である」という意味になります。

全体の単語を見通すと、inの目的語は奪格単数のexteremo recessuのようです。そしてこれが関係代名詞cuiusに修飾されていて、その先行詞はVallisだと分かります。この関係節の主語はantrumで、これがnomoraleとlaboratumから修飾されています。まとめると、「その谷の最も奥には森で覆われていて、人が作った物では無い苦心の作である洞窟がある。」となります。

さて、これをこの絵に合わせて解釈してみます。まず、antrumについてです。ケンタウロスの後ろにあるのは、彼の足下では隙間は見えていて「洞窟」のようにも見えますが、上の方で繋がっているとは断定できません。しかし「岩」ではあるので、その意味では確かにantrumです。またnemoralisの「森の、木の」は使えませんが、意味を「木のような」と考えるとうまく行きます。ケンタウロスの後ろの岩は、見えない部分で繋がっている可能性はありますが、手前と奥で二つに分かれているように見えます。そして奥の方の岩が上の方に広がっていくようになっていて、木と呼べなくもない形をしています。手前の岩も上に行くほど大きくはなっていますが、それほど広がっていません。そもそもantrumは単数なので、奥の岩だけで十分です。antrum nemoralisを「木のような岩が」と解釈できます。

antrumnemoralis

主語がこの奥の岩だと分かると、他の言葉の意味も分かってきます。in extremo recessuはそのまま「最も奥に」でも問題ありませんが、extremoには「端の」という意味もあるので、それを使ったほうがこの絵の状況に似ています。つまり「端の奥に」とします。arte laboratum nullaも誰かが積み上げたようにも見えますが、確かに本来の意味通り、人工の物ではなく自然が作り上げた物のようです。あとは先行詞です。この岩の前にはディアナの右手がかかっていて、確かにディアナの端の奥にあります。つまり、先行詞をディアナにするとうまくいきます。

したがって、この文は「ディアナの端の奥に人が作った物ではない木のような岩がある。」となります。

simulaverat artem ingenio natura suo;

simulaveratは動詞simulo(真似る)の三人称単数大過去です。artemは女性名詞ars(人工、芸術)は単数対格です。ingenioは中性名詞ingenium(本性、才能)の単数与格か奪格です。naturaは女性名詞nature(自然)の単数の主格/呼格/奪格です。suoは所有代名詞suusの単数の男性/中性の与格/奪格です。主語となるのはnatureしかありません。suoはingenioを修飾しています。したがって、「自然はその才能によって人工を模倣していた。」となり、洞窟の見事さについての補足説明となります。

絵に合わせた解釈です。まずここでsimulaverat artemという言葉から、この作品が過去の芸術作品を模倣している事実を表現しているのではないかと考えました。実際Botticelliの神話画は、古代の名作をリスペクトし、さらにそれを超える作品を作ろうとしています。この作品においても、パウサニアスが『ギリシャ案内記』で書いているプラクシテレスの作ったアルテミスと牡鹿(獣)からこの作品の構図を得、それを発展させたものではないかと以前導きました。artemはこのことを記述していると解釈できるかもしれないと思いました。しかし主語はnatureもしくは省略された三人称とならなくてはいけません。それだとうまくいきません。

そこでこれは諦め、次にケンタウロスの顔から、ラオコーン像を模倣したのではないかと考えました。この場合、主語をケンタウロス自身とすれば、ケンタウロスが自分の意志で自分の表情をラオコーンに似せているとできます。artemのあとで文を切り、そこから3語を別の文とする必要があります。しかし、うまい具合に、natureは生殖器の意味があり、格も奪格とみなせます。suoは動詞suo(縫い合わせる、一緒にする)の一人称単数と解釈することができます。主語をケンタウロス自身とすれば、いかにして彼は自分の腰から下に馬の足を持ったかを告白する文と解釈でき、また主語をBotticelli自身とすれば、これを描いたことの宣言と解釈できます。

この解釈はとても見事に描写に適合したので、これ以上確認することはしていませんでした。しかし記述と描写においては大きな問題は無いのですが、歴史的な事実からすると大いに問題がありました。ラオコーン像はBotticelliの生きていた時期に発見されましたが、それは1506年でした。1480年代とされるこの絵の制作時期と大きくずれています。また神話画の古典語による言葉遊びを考えたであろう依頼者のLorenzo di Pierfrancesco de' Medici及びその弟Giovanniは既に亡くなっています。つまりラオコーン像を考慮に入れた言葉遊びは不可能ということになります。自分で指摘しておきながら、この解釈が成立する可能性はとても小さいと思います。

ではこの行は何を意味しているのでしょうか。先ほど指摘したnatureが生殖器官という訳は使えそうです。以前指摘したように、ケンタウロスには陰嚢が描かれています。この意味にするとnatureを主語にはできません。おそらく場所を表す奪格です。代わりの主語は彼、ケンタウロスとします。この付近は以前も観察しました。ここにarsが描かれているかもしれないと思って眺めてみると、以前は気付きませんでしたが、踊っている女性のような姿が見えました。arsは複数形の時、le Muse(ムーサイ)を表すことがあります。ここでは単数なので、彼女たちの一人を表すと考えます。最後のsuoはその奪格のingenioを修飾していると考えます。動詞は大過去なので、この位置に並ぶずっと前にケンタウロスが作っていたのでしょう。

ars

まとめると、「彼は生殖器のところで彼の才能によってムーサを真似していた。」となります。他のに比べてもちょっと苦しいです。もっと解像度の高い画像が手に入れば、もっと分かりやすい解釈が見つかるかもしれません。

nam pumice vivo et levibus tofis nativum duxerat arcum;

namは接続詞です。「一方で、例えば」などの意味です。pumiceは男性名詞pumex(軽石、石、岩場)の単数奪格です。vivoは形容詞vivus(生きている、活発な、自然の)の単数与格か奪格です。etは接続詞。levibusは形容詞levis(軽い、機敏な)の複数与格か奪格です。tofisは中性名詞tofus(凝灰岩)の複数与格か奪格です。nativumは形容詞nativus(自然の)の男性単数対格か中性単数の主格/呼格/対格です。dexeratは動詞duco(引き出す、導く、考える)の三人称単数過去完了です。arcumは男性名詞arcus(弓)の男性単数対格です。

pumex vivoは男性単数奪格、levibus tofisは中性複数奪格で、それらがetで結びついています。nativum arcumは男性単数対格で、これが動詞dexeratの目的語になっています。それぞれの意味はpumex vivoが自然の軽石で、levibus tofisが軽い凝灰岩です。nativum arcumは天然の弓状のもの、つまりアーチです。動詞ducoの意味が難しいですが、ここでは「描く」とします。つまり、「例えば、自然の軽石と軽い凝灰岩から天然の弓を描き出した。」となります。自然が作り出した人工的な物の具体例として、洞窟のアーチを示している記述です。

この記述がどこを描いているかは分かりやすいです。構造はそのまま使えます。pumex vivoは「生きている岩」とします。軽石のような穴はありませんが、たくさんのヒビがあり、そして天辺に生命である草の生えている岩場があります。ケンタウルスの頭から上の岩場です。levibus tofisのlevibusは活用が違う別の形容詞levisの意味を使います。これにはliscio(滑らかな)という意味があります。つまり「滑らかな凝灰岩」とし、さっきの岩のヒビの少ない滑らかな下の部分とします。これらが場所の奪格とします。arcumはそのままケンタウロスが持っている弓のこととします。

duco

そしてducoの意味をallettareとします。このイタリア語には同じ綴りの別の言葉があります。ducoの意味としては「誘う、引きつける」のallettareなのですが、もう一つのものは「床(とこ)に付かせる、(雨風が穀物を)折り曲げる、倒す」というallettareです。雨や風で植物が倒れたり、地面に付くほど折れ曲がってしまうことを表しています。本来は植物が鋭く曲がって頭が地面に付いている様子の表現ですが、明らかに違う意味で曲がって地面に付いている姿を描いています。最後に主語は形容詞nativumを名詞化したものとし、ケンタウロスを指しているとします。意味としては、野生の姿をしているのでnatulale(自然の)、もしくは彼は孫の死を悼むカドモスなのでoriginario(最初の、昔の)という意味が使えます。

まとめると、「一方で、生きている岩と滑らかな凝灰岩のところで、生まれたままの姿の者(ケンタウロス)は弓を曲げ地面につけていた。」となります。

fons sonat a dextra tenui perlucidus unda,

fonsは男性名詞fons(泉、噴水)の単数主格か呼格です。sonatは動詞sono(音を作る、話す)の三人称単数現在です。aは奪格支配の前置詞です。dextraは形容詞dexter(右の)の女性単数の主格/呼格/奪格か中性複数の主格/呼格/対格です。もしくは女性名詞dextra(右、右手)の単数の主格/呼格/奪格です。tenuiは形容詞tenuis(微かな、薄い)の単数の与格か奪格です。perlucidusは形容詞perlucidus(透明な)の男性単数主格です。undaは女性名詞unda(波、流れ)の単数の主格/呼格/奪格です。この文の動詞はsonatで主語はfonsです。perlucidusは男性形なのでfonsと結びつきます。tenuiはundaに結びつき奪格であることが確定します。したがって本来の意味は「右の方では透き通った泉が微かな波によって音を立てている。」となります。微かな波を起こしながら湧いているとても澄んだ泉のせせらぎが聞こえる様子の記述です。

fonsという言葉でこれがどこを表しているのかすぐに分かります。先ほど出てきたガルガフィエは泉のニンフだからです。残念なことにfonsは男性名詞なので対策が必要です。ガルガフィエの顔の上の方には棒状の物が見えてみます。それから顔の下には直線の台状な物が見えています。このことから、これはガルガフィエの彫刻のある噴水ではないでしょうか。ガルガフィエは泉のニンフなので、ここにとても相応しい存在です。そう考えれば、女性名詞のガルガフィエでありながら男性名詞となり得ます。このガルガフィエの噴水は確かに透明に描かれています。そして確かにディアナの右に描かれています。それから、ディアナが背負っている物の横にある今まではディアナの髪の一本一本の髪の毛だと思っていた物が、微かな波だったことが分かります。

unda

ここまではとても順調にこの文の記述を絵の中に見つけることができました。問題はsonatです。この描写は音を立てているようにも、誰かが話しているようにも見えません。そこでイタリア語を使います。ラテン語sonatの見出し語形はsonoです。イタリア語のsonoはessere(ある、いる)の一人称単数現在か三人称複数現在です。ラテン語のsonatは三人称複数なので、残念ながら人称と数が一致しませんが、ここは意味だけを借りて人称と数はラテン語の解釈通りにします。このようにすれば、sonatを「ある」に変換できます。

まとめると、「右側には透明な(ガルガフィエの)噴水が微かな波とともにある。」となります。

margine gramineo patulos incinctus hiatus.

この行はfonsを修飾している分詞句です。margineは名詞margo(端)の単数奪格です。gramineoは形容詞gramineus(草の)の男性/中性の単数の与格/奪格です。patulosは形容詞patulus(広い、開いた)の男性複数対格です。incinctusは動詞incingo(冠をかぶせる、巻き付ける、まとう)の完了分詞の男性単数主格です。hiatusは男性名詞hiatus(穴、割れ目)の単数主格か属格もしくは複数主格か対格です。形容詞gramineoは名詞margineを修飾して、margine gramineoは単数奪格の「草の端」となります。形容詞patulusは名詞hiatusを修飾して、patulos hiantusは複数対格の「開いた割れ目」です。これらの中心に完了分詞incinctusがあります。そして動詞としてのこの語にそれぞれのまとまりが結びついています。難しいのがpatulos hiantusです。これは限定の対格と呼ばれる用法で、まとっている場所を示しています。まとめると、「(その泉は)開いた割れ目のところを草の端によってまとわれていた」となります。大きな裂け目ができていて、その穴の周りの縁の部分に草がぐるりと茂っているという描写です。

この記述を知って、この絵を見てみます。「草の端」は後ろの岩の一番上の段に見えています。これを手がかりにこの絵に合わせていきます。この岩にはいくつもの裂け目が入っています。そしてその裂け目そのものは草に縁取られていません。草に縁取られているのは、裂け目ではなく、裂け目のある岩となっています。微妙に解釈を変える必要があります。patulosには比喩表現としてbanaleという意味があります。この意味は「平凡な、ありふれた」です。本来の記述が表しているような美しい裂け目ではなく、この岩にあるのは、まさにありふれたものです。つまりこの二語は「いくつものありふれた裂け目」となります。そして限定の対格ではなく、目的語そのものとします。したがって、patulos incinctus hiatusは、「いくつものありふれた裂け目をまとっていた」となります。そして、margine gramineoを随伴を表す奪格とみなすことで、裂け目ではなく、それをまとった岩に草をかぶらせることができます。

まとめると、「そして(岩は)草の端とともにいくつものありふれた裂け目をまとっていた。」となります。

patuloshiantus

これで2年前に解釈できた行につながります。今回もこの絵の謎の描写が一つ一つ明らかになっていきました。柵がことごとく折れてる理由も、槍の奇妙な付属物の理由も分かりました。ケンタウロスの後ろにある岩の説明もいろいろありました。それから、やっとガルガフィエの登場です。実のところ彼女はアクタイオンよりも先に見つけていました。これも高解像度の作品が手軽に見られるGoogle Art Projectのおかげです。彼女の存在を説明しうる唯一の解釈が、アクタイオンの物語を使ったこの言葉遊びです。

こじつけ感は否めませんが、こじつけだけで現時点の31行も連続してこの絵に合わせられる偶然はないと思います。こじつけ感は当然です。だってこじつけで本来の意味から別の意味を作り出して彼が描いたのですから。



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posted by takayan at 02:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | パラスとケンタウロス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月11日

《パラスとケンタウロス》と『変身物語』(4)

ラテン語が分からない人には、何が何だか分からないでしょう。ただこのくらい難しくないと、1895年に再発見されて以来、そしておそらく描かれた当時から、誰にも解けないことにはならないと思います。

今回は次の7行です。アクタイオンによる仲間たちへの呼びかけが6行と、それを聞いて仲間たちがとった行動の記述1行です。最後の1行は次回に回せばいいように思いますが、前の行を踏まえないと成り立たない表現なので、ここに含めています。

lina madent, comites, ferrumque cruore ferarum,
fortunaeque dies habuit satis; altera lucem
cum croceis invecta rotis Aurora reducet,
propositum repetemus opus: nunc Phoebus utraque
distat idem meta finditque vaporibus arva.
sistite opus praesens nodosaque tollite lina!
iussa viri faciunt intermittuntque laborem.

丁寧に解釈していきます。

lina madent, comites, ferrumque cruore ferarum,

linaは中性名詞linumの複数の主格/呼格/対格。意味はイタリア語でlino(亜麻、麻、リンネル)、そしてそれらを材料に作った、布、服、紐、糸、帆、網など、さらに材料が違う場合も含みます。それにしても、この絵にそんなものあったでしょうか。すぐに気付くのが、彼の右手にある弓の弦です。spago(紐)もlinumの意味の一つです。麻製かどうか分かりませんが、撚りが荒く描いてあります。しかし、これだと複数形にはなりません。他に何かないといけません。詳しく見ていくと、ケンタウロスが背負っている矢筒が麻袋のように見えます。彼の体毛と区別が付かない紛らわしい色をしていますが、よく見ると確かに彼の毛とは区別されて描かれています。これで複数形という条件に合います。

linum

次のmadentは動詞madeoの三人称複数現在です。この意味はちょっと面白くて、esser baganato(濡れている、水に浸かっている)、esser molle(柔らかい、湿っている、曲がりくねっている)というのがあります。どうやら素直にlinaが主語でいいようです。弦は濡れてはいないようです。曲がりくねっているのは弓の部分ですが、まっすぐのはずの弦も微妙に曲がっています。これも一見分かりにくいのですが、右腕の内側に当たって曲がっています。もう一方の麻袋は盛大に曲がりくねっています。柔らかさもあります。さらに、これは水面に接して描かれているので、濡れているとも言えます。

そのあとのcomitesは名詞comesの複数の主格/呼格/対格ですが、ここでは呼格として考えた方がいいでしょう。意味は、compagno、accompagnatore(仲間、連れ、相棒、同行者)です。これは主語の弓と矢筒のことでしょう。それらの愛着のある武器に対して、「相棒たちよ!」と呼んでいるとします。もしかするとアクタイオンが愛用していた道具かもしれません。

次のferrumqueですが、中性名詞ferrumの単数の主格/呼格/対格です。意味はferro(鉄)、そしてそこから派生した、剣や武器、棒状の物、矢などです。実はこれもこの文の主語になります。これにはsaetta(矢)という意味もありますが、ここには複数描かれているのではこれではいけません。となると、弓です。ferrumには当然鉄の物という意味もありますから、この弓は鉄製かもしれません。弓の黒い部分は光沢もあってそれらしく見えます。しかしそうでなくてもarmi(武器)の意味でも成り立ちます。動詞madentの意味molleは、先ほど指摘したように、曲がりくねっているという意味を使います。

linumferrum

さて、残りの二つの単語です。ここがちょっと多く言葉を要します。cruoreは男性名詞cruorの単数奪格です。意味はsangue(血)です。ferarumは女性名詞feraの複数属格で、意味はbestia selvaggia(野獣)です。本来は「野獣たちの血によって」と解釈するのですが、ここには血を流している野獣は一匹も描かれてはいません。しかし発想を変えるとこの絵には血のようなものが描かれているのに気付きます。まさに主語の矢筒のところです。右肩にかけられた矢筒をぶら下げている細い帯は赤い色をしています。それが左肘と背中から勢いよく流れているかのように描かれています。ただしcruoreは単数なのに、2本の血が噴き出している描写はおかしいように見えますが、これは元々矢筒をぶら下げる一本の帯なので、単数形で表現しても問題ありません。問題は、複数形のferarumです。ケンタウロスの体は一つなので解釈を工夫しないといけません。赤い帯の前に見える部分はさかのぼっていくとケンタウロスの野蛮な髭から出ています。後ろからの部分はケンタウロスの裸の背中から出ています。したがって、この二つの単語の解釈は「複数の野性的なもの(野蛮な髭と自然のままの背中)の血の流れ(のようなもの)のところで」となります。このとき奪格は場所を表しているとします。矢筒はまさにこの血の色の物にぶら下げられていますし、弓は右肩のところでこの赤い帯に接近しています。

cruor

まとめると、「複数の野性的なもの(野蛮な髭と自然のままの背中)の血の流れ(のようなもの)のところにある、相棒たちよ!紐(弦)と袋(矢筒)そして武器(弓)は曲がりくねったり、水に浸かったりしている。」となります。

fortunaeque dies habuit satis;

fortunaeは女性名詞fortunaの複数の主格/呼格か、単数の与格/属格です。普通は「運命」ですが、以前も出てきたように「嵐」と解釈します。diesは名詞diesの単数の主格か複数の主格/対格で普通は「日」ですが、これも以前出てきた「気候」とします。fortunaeは単数属格、diesは単数主格か対格として、二つを結びつけ、「嵐の気候が」もしくは「嵐の気候を」となります。

habuitは動詞habeoの三人称単数完了で、一般的な意味はavere(持つ)です。主語は「嵐の気候」の可能性がありますが、これだとちょっとうまくいかないので、主語とhabeoの意味の解釈は保留します。次のsatisは本来は形容詞satisで、意味はsufficiente(十分な)と解釈しますが、ここでは動詞seroの完了分詞の複数の与格か奪格と考えます。動詞seroの意味はというと、seminare(種をまく)、piantare(植える)ですので、satisは形容詞として「植えられた」もしくは名詞として「植えられたもの」と解釈できます。これが奪格なのか与格のかはまだ分かりません。

訳が出そろったので、主語を決めます。嵐の気候が描かれているのは、中央にある山が描かれている空間と、女神がまとっている緑色の布のところです。この緑の布の裏から伸びて巻き付ている大きなツルがあります。これがsatis(植えられたもの)と考えられます。しかしこれ一本だけだと複数にはなりません。しかし、よく見てみると、お腹の方から別の奇妙なツルが下りてきています。これでsatisのこの絵での意味が分かりました。嵐はこのツルのところに描かれているので、奪格の処格用法が使われていると考えられます。そうすると、habeoは「彼女は身につけている」と考えればいいでしょう。もちろん主語の女神は省略されているとします。

まとめると、「彼女(女神)は、複数の植えられたもののところで、嵐の気候をまとっています。」となります。

satus

altera lucem cum croceis invecta rotis Aurora reducet, propositum repetemus opus:

この文章は本来の構造からして複雑です。altera invecta Auroraが単数女性の主格/呼格/奪格のまとまりになっていますが、これが主語となる句です。alteraは「もう一つの、別の」で、Auroraは「女神アウロラ、夜明け、もしくはその光、曙光」です。invectaは動詞inveho(運ぶ)の受動分詞で「運ばれている」つまり「乗っている」となります。invectaを囲むように配されているcroceis rotisは複数女性の与格/奪格のまとまりで「サフラン色の複数の輪」となります。サフランの色は、赤色、黄色、そして金色の場合がありますが、炎を表現する赤、光を表現する金どちらでもこの場面ではふさわしいですが、ここではとりあえず金色とします。つまり「黄金の車輪」を表します。invectaは受動分詞なので、この両脇の奪格crocis rotisがこの動詞の意味上の主語となりくっついているわけです。

cumは時を表す副詞か接続詞、奪格支配の前置詞です。前置詞とする解釈もできなくはないのですが、この節を副詞節とするための接続詞と考えた方がいいようです。lucemは名詞lux(光)の女性単数対格です。最後にあるreducetが動詞reducoの三人称単数未来で、reducoの意味は元の状態にすることを表す言葉です。動詞が未来形なので、文脈から主語の「別の夜明け」は「明日の夜明け」のことだと分かります。まとめると本来の意味は、「黄金の車輪に乗った明日のアウロラ(夜明け)が光を再び導いたときに、」となります。つまり「明日、」です。

主節propositum repetemus opusは三つの単語からなります。opusは中性名詞opus(仕事)の単数で主格/呼格/対格の可能性があります。propositumは動詞propono(示す)の完了分詞の複数属格か男性単数対格、中性単数の主格/呼格/対格の可能性がありますが、opusを修飾していると考えて、性数格はこれに一致します。repetemusは動詞repeto(繰り返す)の1人称複数の現在か未来です。副詞節が未来だったので、これも現在ではなく未来になります。まとめると、「(明日)、示していた仕事(狩り)を繰り返そう」となります。

以上の構造を踏まえて、この絵に相応しい意味を考えてみます。やはり、一番分かりやすいのはcroceis rotisです。この句がまさにこの絵の中で女神が指輪のちりばめられた服を着ている根拠となるでしょう。invehoの別の意味を調べてみると、apportare(引き起こす)があります。つまり、croceis invecta rotisは「複数の黄金の輪によって引き起こされた」と解釈できます。これが主語auroraを修飾しているわけです。

そう思ってこの絵を眺めると、女神の周りに淡い光が漂っているのが分かります。特に足の左右にある白い服の襞です。足の上に掛かっている部分は光の色か透けて見える肌の色か判別が難しいのですが、その横の服だけが描かれている部分では明らかに服が光を帯びています。夜明け直前のような淡い光です。auroraは「夜明け」だけでなく、その光「曙光」も表すので、これでいいでしょう。当然この光は夜明けの光そのものではなく別の光なので、この描写にaltera(別の)も表現されています。lucemの意味がluce(光)だと、曙光と意味が重なってしまうので、splendore(輝き)の意味とします。reducoはこれも「再び導く」でいいでしょう。動詞が未来形なので、将来そうなっていこうとする予兆が描かれていると考えれば、あまりよく分かりにくい光の表現も納得できると思います。

aurora

次に、propositum repetemus opusです。propositum opusは「先に提示したもの」というわけですが、この絵だと、指輪のことだと考えるとうまくいきます。前の文に出てきたのは複数の指輪ですが、これは服に付いている指輪全体のことです。そしてそれを三つや四つからなるかたまりが構成しています。この三つもしくは四つの指輪を繰り返して並べた図形のことを、この文が表していると考えます。繰り返すという表現は、服に同じ模様を散らばらせる行為よりも、規則的に並べる行為を表していると考えたほうがいいでしょう。ところでこの動詞は本来の訳では未来形ですが、さっき述べたとおり現在形でも解釈できます。図形は既にたくさん描かれているので、これは現在時制でしょう。それからこの文は1人称複数ですが、主語は絵を描いた本人ボッティチェリと絵の内容を細かく考えた人物のこととします。

しかし、二つ目の節を現在を表す短文にしてしまうと、前の文を副詞節にしているcumの解釈も変えなくてはいけなくなります。cumを奪格支配の前置詞とすると、cum croceis invecta rotisがひとまとまりになります。「黄金の指輪に引き起こされたものを伴った」と解釈できます。主語はaltera Auroraだけになって「別の夜明けが」となります。修正はこれだけで、あとはさっきと同じです。

まとめると、「複数の黄金の指輪に引き起こされたものを伴った別の夜明けが輝きを再び導くだろう。私たちは先に示したもの(黄金の指輪)を繰り返す。」となります。

nunc Phoebus utraque distat idem meta

本来の解釈は次の通りです。nuncは副詞で「現在」という意味です。Phoebusは太陽神としてのアポロンの別名です。これは男性名詞単数の主格でこの文の主語になっています。utraque distat idem metaは数行前に出たmeta distabat utraqueに近い表現です。distatがこの文の動詞で、disto(離れている)の三人称単数現在、utraqueは代名詞uterque(それぞれ)の女性単数の主格/呼格/奪格か中性複数の主格/呼格/対格のどれかで、metaは女性名詞単数の主格/呼格/奪格です。uterqueはmetaを修飾していると考えます。このmetaの意味が特別で、日の出日の入りのそれぞれの地点となります。idemは「同じ」の意味の代名詞ですが、ここでは動詞distatを修飾する副詞として使われています。まとめると、「いまや太陽神は東西から同じように離れている。」となっています。太陽が一番高いところにあるということです。

この文章を別の意味で考えていきます。まずPhoebusという固有名詞が難敵です。Phoebusが表すアポロンというのはアルテミス(ディアナ)の双子の神で、月の女神としてのアルテミスにはこれによく似たPhoebeという別名があります。最初ここから攻めてみましたが、徒労に終わりました。次に語源を考えてみました。Phoebusは古典ギリシャ語Φοῖβοςに由来します。さらにこの固有名詞は形容詞φοῖβοςに由来します。これを調べると、luminoso(明るい、光を発する)、splendente(光り輝く、輝かしい)の意味があります。確かに、光を発する者だから、太陽神です。では、この絵の中で光を発するものはというと、いろいろあります。金の指輪を服にちりばめた女神もそうですが、その一つ一つの指輪だってそうです。以前解釈したようにケンタウロスの下にある金色の草も、「光を発するもの」と呼べるでしょう。これだけではまだどれか確定できません。

utraqueとmetaは前回の解釈と同じように、仮に陰嚢と円錐にしてみます。しかし今回は順番が違います。queが付いている単語はその前にある単語と結びつくので、metaではなくPhoebusと一緒にならなくてはなりません。つまり、Phoebus utraqueがひとまとまりになり、主語になります。しかしそうなると問題が発生します。動詞distatは三人称単数なので、主語と動詞の文法的数が合わなくなってしまいます。したがってutraqueは陰嚢ではなく、本来通りmetaを修飾する形容詞としたほうがいいでしょう。

ではmetaがcono(円錐)だとすると、複数の円錐が描かれていなくてはいけません。しかしよく探してみましたが見つかりません。違う意味を探すと、metaには他にpiramide、paracarro、colonnettaなどがあります。その中のpiramideならば、この絵にはいくつでも描かれています。指輪に飾られている宝石がまさにpiramide(角錐)です。そうすると、phoebusは金の指輪になります。つまり宝石の部分がどれも一番外側にある配置がこの文に対応する描写となります。三つの指輪からなる図形も、四つの指輪からなる図形も、この規則で並んでいます。

まとめると、「輝くもの(指輪)がそれぞれの角錐(宝石)から同じように離れている。」となります。

finditque vaporibus arva.

queは前の文とつなげる接続詞です。finditは動詞findo(分ける)の三人称単数現在、vaporibusは男性名詞vapor(蒸気、熱気、熱)の複数の与格か奪格、arvaは中性名詞arvum(平野、牧草地)の複数の主格/呼格/対格です。この部分の本来の意味は「平野が熱によって裂けている。」となります。つまり太陽が真上から照り付けて、暑さで地面がひび割れているという状況を表しています。もちろんこの様子はこの絵には見つかりません。

そこで違う意味を調べます。イタリア語のvaporeには、複数で用いて、薄い霧や靄(もや)という意味があります。それを踏まえて絵の中を探すと、ケンタウロスと女神の間の空が下が白く上が青く分かれている部分が見つかります。このあたりにこの文の表現がないか考えてみます。この右横にある女神がまとっている緑の布は、草原と呼べるかもしれません。緑色をしています。蔓草も生えています。そして、ちょうど霧のある部分の横に、裂け目と呼べるものがあります。vaporは場所を表す奪格とすればいいでしょう。

vaporarvum

まとめると、「そして薄い霧のところで草原(緑の布)が裂けている(ようにみえる)。」となります。

sistite opus praesens nodosaque tollite lina!

アクタイオンの台詞の最後の部分です。この本来の意味は次の通りです。sistiteは動詞sisto(やめる)の二人称複数の命令法現在です。opusは中性名詞opus(仕事)の単数対格で、praesensはその名詞を修飾する形容詞praesens(今の)の単数対格です。nodosaque tollite linaがもう一つの文で、queで前の文に連結しています。この文の動詞はtolliteで、動詞tollo(持ち上げる)の二人称複数の命令法現在です。linaは中性名詞linum(麻、糸、網)の複数対格、そしてnodosaはlinaを修飾する形容詞です。nodosaは形容詞nodosus(たくさんの結びのある)の中性複数対格です。意味は「今の仕事を止めて、結び目の多い網を取り外そう!」となります。

もちろんこの通りの様子はこの絵の中には描かれていません。しかし、このラテン語の通りの記述はこの絵の中に見つけることができます。二つの文のうち後の方を調べていて、どこの描写かわかりました。linumにはvela(帆)という意味があります。帆と言えば、ケンタウロスと女神の間に浮かんでいる船です。以前アルゴ船と間違えてしまった船です。小さく描かれていますが、この船は帆船です。nodosusはimbrogliatoとします。imbrogliatoの意味には「欺かれた、込み入った、もつれた」があります。よく見ると帆の片側では向こう側の景色が見えています。理由は分かりませんが、帆が片側によっているのでしょうか。したがってnodosus linumを「込み入った帆」と解釈します。

linumnodosus

しかしこれでは単数にしかなりません。そこで、もう一つのlinaを探します。すると舳先の人影の仕草が奇妙に見えてきます。彼は二又の棒を持って、向こう岸の線を持ち上げようとしています。この描写を表すためには、linumの意味をfune(大綱)とします。nodosusの意味をimbrogliatoの「欺かれた」とします。この線は見ている者全てを欺こうとしています。したがって、もう一つのnodosus linumは「欺かれた大綱」とします。tolloの意味は帆に対しても、大綱に対しても、「上げる」でいいでしょう。解釈は「込み入った帆と欺かれた大綱をあげなさい!」となります。

今度は前の文です。動詞sistoには、innalzare(上昇させる、掲げる)という意味もあります。名詞opusの意味はstrumento(道具)を使います。praesensはefficare(有効な)とします。すると、sistite opus praesensは「有効な道具を掲げなさい!」となります。これは舳先の人影が持ち上げている二又の棒のことです。単数なので、道具はこれ一つで問題ありません。ところで、向こう岸の線をどうして舳先の人物は持ち上げているのでしょうか。思いつく答えとして、彼らはこの線が帆を完全に揚げるのを邪魔していると考えているのではないでしょうか。したがって、この道具を使って大綱を上にあげれば、帆の右側から邪魔なものがなくなり、帆はあがった状態と区別がつかなくなります。つまり、この道具一つによって帆を上げることができると考えているのでしょう。

したがって、「有効な道具を掲げなさい、そうして欺かれた大綱を持ち上げ、込み入った帆をあげなさい!」となります。

iussa viri faciunt intermittuntque laborem.

この文の本来の意味は、上記のアクタイオンの昼になったので今日の狩りはやめようという命令を受けて仲間の狩人がとった行動です。faciunt intermittuntqueは、二つの動詞がqueで結び付いています。faciuntは動詞facio(実行する)の三人称複数現在、intermittuntも動詞intermitto(中止する)の三人称複数現在です。faciuntの目的語はiussaで、これは中性名詞iussum(命令、言葉)の複数対格です。intermittuntの目的語はlaboremで、これは男性名詞labor(仕事、労苦)の単数対格です。主語はともにviriで、これは男性名詞vir(人、男)の複数主格となっています。意味は「人々は命令を実行し、仕事を中止しています。」となります。

この絵に合わせた解釈は本来のものとほとんど変わりません。今回それを先に示すと、「ある者たちは命令を実行している。そしてある者たちは仕事を中止している。」となります。

この絵ではどう描写されているかですが、これはあまりにも細かく描かれているのでちょっとわかりにくいです。舳先と船尾、マストにいる人影は作業ををしているように見えます。彼らは命令を実行している人たちです。それ以外の人影は突っ立っていたり首を曲げ疲れているように見えます。彼らは仕事を中止している人たちです。

 

今回はここまでです。



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