昨日のうちに投稿するつもりだったのに、書いているうちに長くなって簡単にまとめられなくなってしまった。考え込まされてしまった。主人公の人生に関わる重大な話だったからだ。それを有森家の生まれ育った町が破壊される岡崎への空襲と重ねたのも意図的なものだと思った。6月末あたりの、達彦に召集令状が届いた頃に匹敵する大きな物語の山場だった。この日のために、冬吾という描くこと以外何もできない純粋な芸術家を物語の中で育ててきたわけなのだから。
このドラマの原案は津島佑子の小説「火の山―山猿記」。勘のいい人は津島という名前で分かるだろうが、この人は小説家太宰治の次女である。娘ではあるが彼女が物心つく前に、太宰治は愛人と心中で死んでしまった。津軽出身の冬吾は太宰治がモデル以外の何者でもない。昔冬吾も心中事件を起こしている。最近の展開は芸術家冬吾の、大切な家族を捨てかねないこういう側面を思い出しながら、ヒヤヒヤしながら楽しむことができた。このドラマにはいくつもの視点があるが、原案者の投影された冬吾の娘カズちゃんも大切な隠れた視点だろう。
この週もいろいろあった。毎日書かないと書ききれない。でも今は週末にしか余裕がない。今週の話の中心は、桜子、冬吾、笛子姉さんの三人の物語。静かに展開する見応えのある話。時は岡崎空襲のある1945年7月あたり。
冬吾は絶望の中で絵が描けなくなっていた。息子トオルの障害も悲観的にしか考えることができなくなっていた。そんな冬吾への、トオルを笑わせるために絵が描けないかという桜子の言葉をきっかけにして、冬吾は絵を描く。復帰第一作は「北風と太陽」の迫力のある太陽。
活動を始めたが何を描くか迷う冬吾に、笛子があなたが一番描きたいものから描き始めたらいいと促す。そのあと冬吾はピアノを弾いている桜子の姿を描き出す。一人その作品を見て冬吾の中にもある自分への気持ちに桜子も気付く。そしてはやく代用教員の仕事に就いて、この家族から離れようと家を出なければと決意する。
杏子(ももこ)が鈴村と戦災孤児の幸と岡崎にやってきた。東京で三人一緒に暮らすことをみんなに伝えるために。最初の旦那でひどい目にあった杏子は、今度は幸せな家庭が作れそうだ。鈴村もサチも戦争で拭えないほどの悲しみをもっている。けれど杏子がいてくれればきっとみんな幸せになれるだろう。宮崎あおいと井川遥はほんとの仲のいい姉妹のようだ。
冬吾に自分の苦しい想いを伝えた後、桜子も「Tに捧ぐ」と冬吾への想いを音楽にする。全てを表すことができない想いが芸術と形を変えていく。芸術にとってとても大きな力となるこの姿を描き出すためにも、二人の危うい展開は必須であるとさえ思う。
マロニエ荘から一緒に岡崎に着いてきた冬吾の親友のヤスジに召集令状が届いたとの知らせ。ヤスジは出征するために東京に帰る。冬吾はヤスジの居た部屋で食事もとらずに絵を描き続ける。食事をもってきた桜子に、自分にもいつかその日が来るかもしれないと、村山槐多の詩を朗読し今の心境を語る。またがれきの下敷きになったときこのまま死んで桜子と二人で魂だけになって空をいつまでも飛べたらよかったとも言う。冬吾自身気付いてしゃべっているか知らないが、これは心中のメタファーのように思う。桜子は涙を流して、死んではいけないという。
笛子は桜子が作っている「Tに捧ぐ」という楽譜を見つける。タイトルを読み、とても心配な顔をする。桜子も視聴者もこれでバレてしまうのではないかとドキドキさせられる。しかし笛子はこの曲を達彦さんへの想いだと言う。ここは上手い演出だった。ああ達彦もTだということに気づけなかった。でもこの場面、笛子はちゃんとそれが冬吾へのものだと気付いていたのだろう。それを達彦だと決めつけることで、桜子に対しても自分自身に対しても必死に気付かないふりをしたのだろう。
最初から笛子はすべて見抜いていただろう。笛子が一番描きたいものから描き始めたらいいと言ったのも、何を描くのか分かっていた。それでも冬吾の芸術にとって桜子の存在がかけがえもないものだと分かっていたから、何も言わずに見守りつづけた。現に桜子の力で冬吾は再び絵を描けるようになった。冬吾のためならば、耐え難い出来事が起こっても笛子はその現実を受け入れただろう。冬吾の芸術を支えたいという想いと、冬吾を取られたくないという本心との葛藤の中で、静かに苦しむ笛子。セリフでは直接何も言わない。でも演技とセリフの端々でその複雑な心境をみせる。特に今週は画面を見ずに主音声だけを聞いていたらとてもわかりにくい場面が多かっただろう。
7月20日、岡崎空襲の日。足の怪我が治らない冬吾は防空壕にたどり着けなかった。危険を承知で桜子は探しに出る。自分を置いて帰るように追い返す冬吾と、死んでほしくないからと連れて行こうとする桜子。桜子は必死に姉のために死ぬなと自分の気持ちを隠しながら説得を続ける。そこにすぐ近くで火花が炸裂し、とっさに互いに抱きしめ合う。桜子は自分の気持ちに抗しきれず、よりしっかりと抱きしめてしまう。我に返ってトオルを思いだし二人で防空壕へ向かう。
夜中無事に家に戻ってきた後、桜子はピアノの前に座る。そこに冬吾が現れる。桜子は「Tに捧ぐ」を演奏する。冬吾はタイトルの意味がすぐにわかった。冬吾は桜子の肩に手をかける。二人は互いに見つめ合うが涙を浮かべながら一線を越えることを踏みとどまる。人を好きになる気持ちは仕方がない。まして芸術を志し、いかに心を表現するかに精力を注ぎ込んできた二人だ。自分の心に嘘はつけない。でも仕方がなくても、重要なのはその自分の気持ちに対してどう行動するかということ。人の道にはずれ破滅するか、人の心に残る崇高な芸術を生み出すか、大きく天と地に別れる。この心の葛藤を乗り越えそれを音楽へと昇華させた桜子は、その音楽の才能を高め、女性としても成長を遂げるのだった。というのが、物語の中のこの週の位置づけだと思う。
冬吾は実家のある津軽に行くことを決める。放蕩していた冬吾には決して戻れる場所ではない。それでもそうしないといけなくなった。桜子への想いが一緒の家にはいられなくしてしまったからだ。津軽に向かう汽車の中、笛子は悲しそうに窓の外を眺める。それに気付いてどうしたのか冬吾が聞くと、ふるさとを離れるからだと言う。だが、そんなことはない。最近まで東京でみんなで暮らしていたわけだから。葛藤から解放された安堵もあるだろうが、この旅そのものが冬吾の桜子への深い愛情を示すものだということ。自分がこの町で冬吾に対して何もしてやれなかったこと。そういうことがこみ上げていたのだろう。察した冬吾はおばあちゃんに席をゆずるために妻笛子に膝の上にのれと言い出す。恥ずかしがる笛子。両親の奇妙なやりとりを楽しそうに見つめるカズちゃん。この家族の幸せな未来を約束してくれるようなカズちゃんのいい笑顔。この冬吾は家族を捨ても死にもしなかった。
次回予告。ナレーションは笛子。予想通りの意外な展開。もう少しわかりにくくしてもよかったのに。そして新キャラ登場?木村多江だ。