結婚式から1年3ヶ月。昭和22年7月。山長では、いまだに国からの統制経済が続き、経営難を乗り越えるため四苦八苦していた。達彦と桜子が、野木山さんと仙吉さんと今後の対策を話し合っている場面。漬け物や佃煮はどうかなと桜子がアイデアを出す。良いかもしれないと、話が決まっていく。
そんなある日。東京から懐かしい友が山長に訪ねてくる。桜子の女学校時代からの親友薫子。薫子は、戦時中は東京で就職し雑誌記者をやっていた。マロニエ荘時代には、取材や戦争に協力する仕事の依頼など、何度か桜子たちに関わりがあった。山長の座敷で三人で話をする。薫子は、文芸誌で新人賞をとって次回作の取材をしにきたのだと言う。薫子は、次回作で兄のことを書いてみようと思っていて、ここには兄との思い出が一番残っているから来たという。薫子の兄は戦死していた。兄の出征の時は桜子にお世話になったねとその頃の感謝を言う。「君死にたもうことなかれ」と桜子。あの頃から作家になりたいと言っていたね。夢を貫いたんだね。達彦はその「夢」という言葉で桜子のほうをちらっと見る。
ピアノのある部屋。桜子が一人楽譜を手にとって、曲を弾く。廊下でその音色に達彦が気付き、ちょっと考えて、その部屋に向かう。桜子は仕事の途中にごめんとあやまる。ピアノを弾くのが久しぶりで、指が回らないという。達彦は、店が忙しくて暇を作ってやれなくて、音楽を忘れるなと言ったのにと桜子に謝る。音楽家になると言う大きな夢をおまえももっていたのに、と。それに対して桜子は、小さな頃からの夢を実現できる人はどれだけいると思う。自分はやれるだけのことはやった。力が足りなかっただけ。そうい言うと桜子は帳場へ戻る。達彦は一人残って、ピアノに向かい、その楽譜を手にすると、はじめは片手で譜面を見ながら音を確かめるが、何かを感じたのかすぐに座って弾きはじめる。
翌日。達彦は名古屋に味噌屋の会合があるといって不意に出かける。そのまた翌日。山長に電話がかかってくる。桜子が電話に出る。内容は、味噌屋仲間が主人の達彦への用事であったが、それで会合が嘘だったことが分かった。察してその場から逃げようとする野木山。桜子に問い詰められて「さあと」とぼける。桜子はきびしい口調で問い詰める。でも桜子はそれでもどこかかわいい。ちょうど達彦が帰ってくる。桜子が「達彦さん、味噌屋の会合にはいっとらんのか?一体どういうこと?」ときびしく聞くと、野木山が割って入って「男には一つや二つの隠し事がある」と言う。その妙な言い訳に「やめてくれ」と達彦。仕方なく桜子に話をする。東京で西園寺先生に会って、桜子の作品が発表できないかとお願いしてきたと告白する。言わなかったのは、うまくいってから喜ばせようと思っていたからだと。恥ずかしいよ。と桜子が言うと、自分で弾いてみて良い曲だと思ったと達彦。自分の曲に誇りが持てないかと桜子に聞くと、一つ一つが愛おしいが、他人には石ころのようなものだと答える。達彦の行為はありがたいが、先生に見てもらうのはおこがましいと言う。電話してお手を煩わせてと謝ってくると桜子が電話まで行こうとすると、達彦はそれを引き留めて、自分の面子をつぶさないでくれ、とにかく返事を待とうと説得する。
夏のある日。西園寺公麿が山長にやってくる。西園寺は達彦と桜子の東京時代の音楽の師匠。二人との関わりは古く、桜子の女学校時代に出会い、東京で音楽を勉強するきっかけを作てくれた。応接間。座って麦茶を飲む西園寺。向かいに座っている二人を眺めて、いいですね、ふたりが並んでいるのを見ているだけで幸せになると言う。西園寺は大阪の演奏会の帰りでこちらに寄った。妻が苦しい暮らしの中で書きためたものだ、どうか光を当ててほしいと達彦から預かった経緯を西園寺が話す。桜子が申し訳なさそうに、勝手なお願いで、ご迷惑だったでしょうと言う。すると、素晴らしいと思いましたと西園寺。どれも短い作品だが、実に心を打つ旋律がある。埋もれさせるのはもったいない。ここには発表の依頼に来たと言う。ただ、一つだけ条件がある、あなたが弾いてください、と西園寺。松井桜子の演奏会を開きませんか。突然の申し出に、桜子とまどう。