2007年01月24日

上目線

最近の言葉で、僕はどうしてもこの言葉がなじめない。理由は明快。意味のベクトルが字義のベクトルと違っているから。「目線」という方向を伴う言葉に、上という方向を示す言葉がついていれば、直感的にどうしても僕は上向きのベクトルをイメージしてしまう。けれどこの場合の「上」は方向ではなく位置を示すためにつけられていて上の立場から下に向けられる目線という意味で使われる。ベクトルは下向きになる。この紛らわしい点に配慮してか「上目線」と言わずに「上から目線」という良心的な使い方をしてくれる人もいる。どうしても使いたい人はそう言ってほしいと切に願う。

「見下す」という言葉があるのに、どうして「上目線」を使うんだろうかと考える。すぐにわかることだけど、この言葉には上目線を向けられている自分が一切問題にされていない。この点で「見下す・見下される」という言葉とは完全に異なっている。この言葉は、相手の行為ではなく、自分の体験でもなく、相手の態度のみを語っている。この言葉は、見下されるような立場にある自分の惨めさ、見下された心の痛み、見下された理由など、そういう自己への言及を一切回避している。この「見下す」という生々しい意味を回避していることで、軽い謝罪にも利用される結果となる。「上目線でごめん」とは書けても、「見下した表現でごめん」とは決して書けない。

「目線」と似た言葉で、「視線」という言葉がある。ほとんど似た意味であるけれど、「視線」の方が一般的だと思っている。広辞苑で調べてみると、目線という言葉は、「もと、映画・演劇・テレビ界の語。」とある。この響きの特殊性はそういうところから来てるんだろう。

広辞苑では両者の意味の区別は書いていない。個人的な印象として、目線という言葉の方が、相手の目の位置や立場を強調しているように感じる。つまり「視線」と「視点」の両方の意味を含んでいるように思える。見かけたことのある「○○目線」という言葉:「お客様目線」、「子ども目線」、「親目線」、「赤ちゃん目線」。これらは「視線」で置き換えると使えなくもないが意味が微妙に違ってくる。「目線」を言い換えるならば「視線」ではなく、「視点」を使うほうがいいだろう。目線とはそういう属性を持つ言葉だと考えられる。類推し、そこまで考えると、方向としてではなく、位置としての「上」の用法は納得できなくもない。でも「上」という言葉は、立場だけではなく、本来より強い意味で方向を示す言葉であるために、やっぱりこの言葉の違和感を僕はどうしても払拭できない。


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町子の部屋の山鹿灯籠

『芋たこなんきん』も見てる。ここに話の流れを書いたりはしないが。9月まであってたドラマティックな物語ではないけれど、安心して見てられるいい朝ドラ。

藤山直美演じる町子の書斎の本棚をよく見ると、下から三段目の一番右側に、ケースに入った金色の灯籠が置いてある。高さは本と同じくらいだから、本物の頭に載せるものではないようだけど、まさしく山鹿灯籠である。

和紙の芸術品「山鹿灯籠」 - 山鹿市 HomePage

山鹿灯籠まつり - 山鹿探訪ナビ

何故、こんなところに山鹿灯籠なのか?これは物語の外でつながっている。
町子役の藤山直美は、これまでも朝ドラに何度か出演している。その一つ、2000年の10月から放送された『オードリー』で主人公に影響を与えた宮本君江という芝居好きの女性を演じている(たしかそうだったはず)。この君江は山鹿市出身という設定で、『オードリー』の中で君江がふるさとに帰る場面がある。もちろん灯籠まつりの映像も放送された。藤山直美と金色の灯籠とは、そういう関係がある。山鹿の人たちは今も藤山直美のことを自分の町の出身者と同等の親しみを持っていて、この灯籠のやりとりがあったのではないかと想像できる。

オードリー 詳細ロケ地情報 - 全国ロケ地ガイド

欠かさず見ているわけではないので、物語の中にこれに関するエピソードが作られたのかもしれないが、それはわからない。

この本棚の中央には小さな赤い服を着たお人形も置いてある。これも何かいわくがあるんだろうな。

本棚に灯籠があるという情報はichigoさんから教えてもらった。NHKのローカル番組で、視聴者からこの山鹿灯籠についての投稿があったのだそうだ。


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