数ヶ月たって読み返してみると結論ありきの自分でもちょっと偏った論証だなと感じてしまった。新しいヒントも見つけたので、もう一度考え直してみようと思う。
キリの語源にはいくつかの説がある。適当に番号をつけると、
仮説1)十字架といえばキリスト。十をその形からの連想でキリストと呼び。その省略でキリと呼んだのではないか。
仮説2)十字架はポルトガル語でクルス。それが10を示す言葉に転じて、クルスが訛ってキリとなったのではないか。
仮説3)日本語の「切り、限り」という言葉は最後の物という意味。天正カルタでも最後の札をキリと呼ぶが、これはその意味で使われたのではないか。
仮説1を知ったのは前回紹介したテレビで見たのが最初だった。検索すると他の場所でも語られているのがわかった。仮説2は広辞苑などの辞書に載っている。いわば定説的なものである。仮説3の前半と天正カルタにキリという札があるということはこれも広辞苑に書かれていること。
前回は、天正カルタ第十二番目の最終カードを「キリ」と呼んでいたという事実から、仮説1と仮説2におけるキリと10という値との結びつきが弱いのではないかという指摘をした。だから僕はこの三番目の説がもっとも論理的なのではないかと書いた。
しかし最近「株札」というのを知った。これがあるとちょっと事情が違ってくる。
カブは天正カルタがきっかけで日本で行われるようになったゲーム(博打)である。資料「日本カルタ略史」によると、享保年間に盛んになり、後に専用札も作られるようになったとある。そしてその専用札は今でも売られている。(参照:株札-世界遊技博物館、株札-ギャラリー 花札)
参照先の「株札」の画像を眺めてみると、いくつかの点に気がつく。各札に漢数字で番号が振ってある。そして最後の札には漢数字の十が書かれている。漢字というより図案化されて国旗のような十字架が描かれている。
仮説1と仮説2は、この株札を根拠にしているのではないだろうか。最高位が十のこの株札に対してキリという語が使われていたのならば、十字架とキリの結びつきを知ることができたのではないだろうか。もちろん逆にこの「十字架=キリ」説から、図案化された十字が使われる十札が作られたのではないかと考えることもできる。仮説1や仮説2が唱えられるようになったのはいつ頃だろうか。この株札のことを調べていくと、もっと面白いことがわかるかもしれない。
まったくの憶測なのだが、カルタが大衆化されたのはカブなどの博打によるところが大きいだろうと考えると、言葉を作るのは大衆であるのだから、カブやキンゴなどの10ランクで遊ぶゲーム(博打)の影響はかなり大きかったのではないかと思う。ただこの考えだと、広辞苑の「切り」の項目にも書いてあるように天正カルタの第12位の武将札がキリと呼ばれていたという事実との整合性をどうするかが問題になってくる。
カブの専用札ができる以前は天正カルタの11札と12札を取り除いた10枚で遊んでいたらしい。そのゲームでの最高位のカードが仮説3の考え方により「キリ」と呼ばれたのならば、12札から言葉を借用してカブでの10札をキリと呼んでいたことはないだろうか。カブで遊ぶ人たちにとっては11札と12札を使うことはなく、10札が最高位のカードとなる。そして廃れてしまった天正カルタやうんすんカルタの情報をほとんど知らない後代の人が、現存していた株札を眺めて、後付けで仮説1や仮説2を作ったのではないだろうか。
逆に10ランクが最後となる株札(数を落とした天正カルタの転用でもいい)において、仮説1か仮説2の理由でキリという言葉が使われるようになり、それがあとから「最高位の札」という意味でも使われるようになって、本来の12ランクの天正カルタでも最後の武将の札(REI/KING)に対して転用されていったのかもしれない。
どちらにしても昔にカブもしくはキンゴで10をキリと呼んでいたという資料があれば、仮説1や仮説2も多少の説得力が出てくることになる。残念ながら今回はネット上では探し出せなかった。
カルタのことを調べていると、江戸時代に書かれたいくつかの文献が重要な資料になっていることが分かった。しかし僕はこの資料をまだ手にしていない。ネットで見られる引用の断片だけだ。それを実際に調べることができれば、勝手に考えた自分の憶測の間違いや、また新しい考えを気付くかもしれない。それにしてもたいていの辞書に載っている定説とも言えるクルス説の最初の出典は一体どこなのだろう。