2007年04月04日

ピンキリ再考

以前ここに書いたピンキリの語源の続き。
数ヶ月たって読み返してみると結論ありきの自分でもちょっと偏った論証だなと感じてしまった。新しいヒントも見つけたので、もう一度考え直してみようと思う。

キリの語源にはいくつかの説がある。適当に番号をつけると、
仮説1)十字架といえばキリスト。十をその形からの連想でキリストと呼び。その省略でキリと呼んだのではないか。
仮説2)十字架はポルトガル語でクルス。それが10を示す言葉に転じて、クルスが訛ってキリとなったのではないか。
仮説3)日本語の「切り、限り」という言葉は最後の物という意味。天正カルタでも最後の札をキリと呼ぶが、これはその意味で使われたのではないか。

仮説1を知ったのは前回紹介したテレビで見たのが最初だった。検索すると他の場所でも語られているのがわかった。仮説2は広辞苑などの辞書に載っている。いわば定説的なものである。仮説3の前半と天正カルタにキリという札があるということはこれも広辞苑に書かれていること。

前回は、天正カルタ第十二番目の最終カードを「キリ」と呼んでいたという事実から、仮説1と仮説2におけるキリと10という値との結びつきが弱いのではないかという指摘をした。だから僕はこの三番目の説がもっとも論理的なのではないかと書いた。

しかし最近「株札」というのを知った。これがあるとちょっと事情が違ってくる。

カブは天正カルタがきっかけで日本で行われるようになったゲーム(博打)である。資料「日本カルタ略史」によると、享保年間に盛んになり、後に専用札も作られるようになったとある。そしてその専用札は今でも売られている。(参照:株札-世界遊技博物館株札-ギャラリー 花札
参照先の「株札」の画像を眺めてみると、いくつかの点に気がつく。各札に漢数字で番号が振ってある。そして最後の札には漢数字の十が書かれている。漢字というより図案化されて国旗のような十字架が描かれている。

仮説1と仮説2は、この株札を根拠にしているのではないだろうか。最高位が十のこの株札に対してキリという語が使われていたのならば、十字架とキリの結びつきを知ることができたのではないだろうか。もちろん逆にこの「十字架=キリ」説から、図案化された十字が使われる十札が作られたのではないかと考えることもできる。仮説1や仮説2が唱えられるようになったのはいつ頃だろうか。この株札のことを調べていくと、もっと面白いことがわかるかもしれない。

まったくの憶測なのだが、カルタが大衆化されたのはカブなどの博打によるところが大きいだろうと考えると、言葉を作るのは大衆であるのだから、カブやキンゴなどの10ランクで遊ぶゲーム(博打)の影響はかなり大きかったのではないかと思う。ただこの考えだと、広辞苑の「切り」の項目にも書いてあるように天正カルタの第12位の武将札がキリと呼ばれていたという事実との整合性をどうするかが問題になってくる。

カブの専用札ができる以前は天正カルタの11札と12札を取り除いた10枚で遊んでいたらしい。そのゲームでの最高位のカードが仮説3の考え方により「キリ」と呼ばれたのならば、12札から言葉を借用してカブでの10札をキリと呼んでいたことはないだろうか。カブで遊ぶ人たちにとっては11札と12札を使うことはなく、10札が最高位のカードとなる。そして廃れてしまった天正カルタやうんすんカルタの情報をほとんど知らない後代の人が、現存していた株札を眺めて、後付けで仮説1や仮説2を作ったのではないだろうか。

逆に10ランクが最後となる株札(数を落とした天正カルタの転用でもいい)において、仮説1か仮説2の理由でキリという言葉が使われるようになり、それがあとから「最高位の札」という意味でも使われるようになって、本来の12ランクの天正カルタでも最後の武将の札(REI/KING)に対して転用されていったのかもしれない。

どちらにしても昔にカブもしくはキンゴで10をキリと呼んでいたという資料があれば、仮説1や仮説2も多少の説得力が出てくることになる。残念ながら今回はネット上では探し出せなかった。

カルタのことを調べていると、江戸時代に書かれたいくつかの文献が重要な資料になっていることが分かった。しかし僕はこの資料をまだ手にしていない。ネットで見られる引用の断片だけだ。それを実際に調べることができれば、勝手に考えた自分の憶測の間違いや、また新しい考えを気付くかもしれない。それにしてもたいていの辞書に載っている定説とも言えるクルス説の最初の出典は一体どこなのだろう。


2007年04月05日

うんすんカルタの用語

ウンスンカルタには聞き慣れない用語がいろいろ出てくる。
その中で由来の分かったものを書いてみる。分かったのは、どれもポルトガル語由来の言葉。

・スートの言葉
オウル ← ouro(gold)
コツ  ← copa(cup)
イス  ← espada(sword)
ハウ  ← pau(wood)

・絵札の言葉
ソウタ ← sota(?)
カバ  ← cavalo(horse)
レイ  ← rei(king)


対応する英語が見つからなかった sota の意味をポルトガル語辞書で調べてみると、「damas nas cartas de jogar」とある。カルタの女性でいいようだ。 copa の英訳が妙なのでポルトガル語辞書で引くとトランプで使われる copa は copo の古形とある。そしてその copo を英訳すると cup となった。

ここまで分かると他の言葉もきっとポルトガル語にあるんだろうと思ってしまうのだけど、そうはうまくいかない。それにしても竜札のロバイはなぞだ。

スペイン語の可能性も否定できないので、日本での名称がポルトガル由来であることを確認するために、スペイン語でのラテンスートの呼び名を調べると oros、copas、espadas、bastos。ウンスンカルタで使われる「ハウ」はポルトガル語でしか見つからないようだ。絵札は sota、caballo、rey。ただしスペイン札では sota は男性の姿をしている。


■利用したページ
Lingua Portuguesa On-Line ... ポルトガル語辞書
AltaVista Babel Fish Translation ... 多言語翻訳


2007年04月06日

うんすんかるたのロバイ

イスのロバイの画像
丸一日休みだったので、図書館に調べものに行ってきた。昨日分からなかったロバイを調べるために。さっそく、書籍検索をしたら、山口吉郎兵衛著「うんすんかるた」(1961年刊)が書庫にあった。カルタの歴史を調べてみると必ず出てくる重要な研究書だ。現物を手にすることができるとは思っていなかった。

表紙を開くと圧倒される。天正カルタ、うんすんかるた、すんくんかるたなどの全てのカードを版木から刷ったものが折りたたまれて挟み込まれている。復元した色刷りの歌留多もある。たくさんの図版。いろいろな文献に現れるカルタについての記述など。日本におけるカルタの歴史を調べるならば是非とも目を通しておきたい本だ。そう思っていた一冊に、あっけなく出会うことができた。

うんすんかるたのスートや絵札の呼び名は、やはり天正カルタからの継承だった。当然そうだと思っていたが、資料を知らなかったのではっきり書けずにいた。典拠は1688年に書かれた黒川道祐著「雍州府志」にあるとわかった。

この本はタイトルにうんすんかるたとあるが、うんすんかるたを中心に書いてあるというわけでもなかったが、それでもうんすんかるたについてもいろいろと知ることができた。ただ目的のひとつだった竜札の呼び名「ロバイ」の由来については分からなかった。この本では竜とは別に、このカードをロハイや虫と呼ぶということがわかった。

次にポルトガル語辞書を使って調べることにした。オンライン辞書ではさんざん調べたが、紙の辞書だと前後の単語を見ることができるので、もしかするとみつかるかもしれないと淡い期待を抱きつつ。

辞書の棚に行くと、普通の辞書に混じって面白いものを見つけた。「ヴァチカン図書館蔵葡日辞書」。ポルトガル語が書いてあって、そのあとにポルトガル式のローマ字表記で当時の日本語の発音のまま日本語訳を書いてある。また本の後ろには難しいローマ字表記で書かれた日本語の索引があって、それを使うと日本語からもポルトガル語を調べることができる。全編ポルトガル式のアルファベットで、慣れないとどこに日本語が書いてあるのかも分からない。難しそうだが、これは使える。

さてこの辞書でいろいろ調べてみた。そしてさっき見つけた「虫」を調べてみた。虫の表記はこの辞書の方式だと、muxi と表記される。この表記に気付くのに時間がかかった。そしてこの索引から調べ当てたのが、ポルトガル語の lombriga である。

こんな綴りじゃ適当な入力で出てこないはずだ。でも lombriga を どうやれば、ロバイ、ロハイに訛るんだろうか。かといって、全然遠いというわけでもない。これは当たりかな!
lombrigaを普通の葡日辞書で調べてみる。白水社の「現代ポルトガル語辞典」。すると、結果は、
lombriga f.線形動物、回虫、ミミズ

当時と現代では意味が違ってるかもしれない。それでも、回虫?ミミズ?でも、やっぱりこれですね。竜だと教えられずに、この絵を見たら、まさしくミミズのようなにょろっとした虫ですね。それにしてもポルトガル人も本国のドラゴンカードを虫と呼んでいたんだろうか。日本人の模写があまりにもへたくそだったので、虫と揶揄したんだろうか。日本人が勝手に虫と名付けたのならポルトガル語なわけがない。いや、日本人があまりにも虫、虫いうんで虫のポルトガル語を教えてやったんだろうか。なぞはまだ残る。

※画像は私物のうんすんかるたのイスのロバイ。




2007年04月07日

株札のカブ、あるいはもう一つのカバの話

オウルのカバ
株札を調べていて、そのカブとは何だろうかと思った。株札で遊ぶ「オイチョカブ」というゲームがあり、それは第8札の名前「オイチョ」と第9札の名前「カブ」に由来するらしい。このオイチョはポルトガル語の8(オイトoito)から来ているのはすぐにわかるが、ポルトガル語の9はノブnoveなのでちょっと苦しい。スペイン語でもヌエベなので駄目だろう。

9の札はなぜカブと呼ばれるようになったのか。いろいろ考えてみる。

ポルトガル語でカブに似た語はないかと見回してみると、天正カルタやうんすんカルタでは騎馬武者をウマ、カバと呼ぶ。カバならばカブに変化してもおかしくないだろう。このカバはポルトガル語の馬札を指す cavalo(馬)に由来する言葉。騎馬武者は天正カルタで11の札。第11札はカブゲームでは使用しないので関係ないのではないか?でもこう考えるとどうだろう。天正カルタで第11札のカバは第12札のキリのひとつ前のカードになる。そこで株札でも最終札のひとつ前のカードということで9札をカバと呼んで、それが訛ってカブになったのではないだろうか。そのとき9の意味のノブに音が引きずられたりしたのかもしれない。騎馬武者を示すがカバと、ゲームを示すカバが違う概念となって発音の上でも区別されていったのかもしれない。この考え方はどうだろう。

では、ゲームの名前はどうしてカブと呼ばれるようになったのだろか。第9札の名前がカブだからという理由でもいいのだけれど、昨日紹介した山口吉郎兵衛著「うんすんかるた」の中では、p.39でCAVOというトランプの用語から来たのではないかと指摘している(どんな意味か忘れたけど)。でも、あえてその説はとらないことにする。検証しようにもCAVOについての情報がわからないからだ。

かわりにその本の中で紹介されている山口氏が由来がわからないとしている40枚カードセットの版木に目をとめる。p.34にある「岸本文庫蔵オウル紋40枚カルタ版木」の写真。僕はこのカードがあやしいと思う。このカードでは、スートがオウルつまり硬貨の丸い形だけになって、それが10ランク各4枚ずつとなる。着目すべきなのは10番目のカードにウマ札が使われていること。また天正カルタは日本各地で様々な独自の発展をしていくのだけど、その中に四国地方で使われていた「目札」というのがある(資料:目札-ギャラリー 花札)。このスートもオウル由来らしい丸い形が使われている。構成は10ランク各4枚+鬼札。この第10札は独特の抽象的な絵札になっている。これをよく見ると下の方に赤い線で四本の足らしきものがある。他の地方札と見比べると分かるが(資料:地方札-ギャラリー 花札)、この札は騎馬武者を抽象化して作られていった可能性が高いと思われる。これがいつ頃から使われていたのか。手本としたものは何であったのか。これを調べるのも面白いだろう。

天正カルタでカブをする場合、ロバイが描かれたエースと合わせて数字札は9までしかないので、絵札で10札を代用しなくてはいけない。順位からすると第10札の女性従者札になるのだけれど、ここでは騎馬武者札を使用して目札の元になる天正カルタのセットが作られたのかもしれない。もしかすると時代がたってから成立した目札などのセットだけでなく、天正カルタを使った最初のカブというゲームの成立時にもこういう組み合わせが行われていて、それの名残としてこのオウル紋40枚なのかもしれない。騎馬武者札で10を代用するというこの特徴が本来のカブという名前の由来になったのではないだろうか。ゲームの名前としてカブが定着すると、ゲームそのものには関係していない絵札の選択はそれほど重要ではなくなってしまって、順序通りの10札を使うことが一般的になったのではないだろうか。

山口氏の「うんすんかるた」には他にもゲームの名前の由来が書いてある。キンゴの語源はポルトガル語の15(QUINZE)キンズから来ているのではないかという示唆がある。またこの本の中で「うんすんかるた」のカードセット以前に天正カルタによるゲームとしての「うんすん」が存在したのではないかという指摘もある。これに近い指摘が「トランプものがたり うんすんかるたのウン・スンモ説」でも語られている。ただしこのページでは従来の「うん、すん」=「um一、summo最高」説とは違う、スペイン語の11onceオンセ由来説が書かれている。同じことだが、スペイン語にしなくても、ポルトガル語の11はonzeオンゼというので、オンゼカルタ由来でもいいような気がする。これも面白い説だと思う。だって「うんすんカルタ」ではキリが最終札ではなくちょうど11番目にあるからね。

※この投稿の写真は私物のうんすんカルタの一枚(オウルのカバ)



2007年04月09日

二代目風車の弥七

今日から水戸黄門第37部の開始である。毎週毎週のお決まりの筋書きの中に、唯一無二のその回だけのドラマを作ってるんだなというのが見えてきたら、もう見るのがやめられなくなる。里見浩太朗の黄門様もいい。いままででも一番活動的な黄門様なんじゃないかな。悪者を懲らしめるときも強すぎるし、話の流れの中でいろいろな役になりす頻度も歴代のなかで多いはず。
(参照:以前書いた里見浩太朗が出てくる記事徳川将軍家役者

今日は、新聞に今日から始まると広告が出ていた。でもこれは!知らない人間が御一行の中にいる。誰だか分からないが、アキの隣にいる。鬼若がいないから、鬼若の代わりの役者かな。でもよく見ると、手元に風車(カザグルマ)を持っている!

そういうわけで、37部公式ページを見る。「水戸黄門第37部 公式」。確かにいる。赤い風車を持った弥七のような人が。鬼若はいなくなってはいない。

サイト内にちゃんと記事があった。製作発表のときの写真があるが、時代劇ではない服装でみんなが並んでいるとすごい違和感。鬼若に最大の敵が現れるのか。なかなか面白そうな展開らしい。お銀・お娟の入浴シーンは190回なのか。
水戸黄門第37部 かわら版<『製作発表レポート』/a>

Wikipediaを見てみる。
水戸黄門 (テレビドラマ) - Wikipedia。あまりにも情報量が多いので見るのがたいへんなのだが、鬼若のことについて書いてあった。
このシリーズから8年ぶりに風車の弥七が復活。兼ねてより出演を要請していた内藤剛志が快諾し、2代目弥七を演じる事となった(6月18日放送分(予定)から出演)。
31部から登場していた風の鬼若演じる照英の最終シリーズになる(6月11日放送分(予定)まで出演)。

それはそうと、鬼若死んでしまうのか?どんな別れになるんだろうか。アキ様残して、生きたままいなくなるというのは考えにくいのだけれど。

中谷一郎の身軽なイメージの弥七。でかい内藤剛志には身軽な印象はないけど新しい弥七はどうな活躍をするんだろう。ぜひとも必ずクルッととんぼはきってもらいたい。六月になるのが楽しみ。


posted by takayan at 19:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

イタリア語の辞書

昨日は仕事のあと、久しぶりにブックオフに寄った。とりあえず持っていないポルトガル語とかラテン系の言語の辞書があればと思って辞書の棚に行ってみたが、英語やフランス語ぐらいしか見つからなかった。

そのあと一番の目的だった岩波新書・黄版102松田道弘著「トランプものがたり」(1979/11) を探してみた。タイトル覚えてこなかったので岩波新書が並べてあるところをひとつひとつ眺めてそれらしい名前がないかずっと調べた。でもなかった。

このまま帰るのもなんだなと、何の気なく棚をざっと見回しながら歩いているとどこかの棚のその上に伊和辞典を見つけた。本との出会いはときどきこういうものがある。あとから考えるとまるでその本に引き寄せられるように歩いている。

きっと辞書の棚に入りきれないから適当に空いている場所をみつけて仕方なく臨時の辞書置き場にしていたのだろう。辞書とは全然関係のない、こんなところにあるなんて誰も思わない。マンガ目当ての人がほとんどのこの店ではイタリア語の辞書をほしがる人なんていないからかもしれない。値札は105円。ちょっと目を疑ってしまった。

家に帰ってから眺めてみるとその辞書は1994年発行のものだった。定価は6600円。箱入りでほとんど使っていない。手垢も付いていない。ただ試しに探してみると挨拶の単語にいくつか下線がひいてあった。

僕はオンラインや電子辞書よりも紙の辞書が好きだ。便利だからデジタルのほうもよく使うけど、それだと調べていることしか調べられない。紙の辞書は、使っているうちに馴染みの挿絵ができてくるし、めくってるうちに予期しない知識にも出会うことができる。そういう体験がいい。両手の中から言葉をとりだしているという感覚もいい。

そういうわけで、まだまだトランプ関係の投稿が続くだろう。


posted by takayan at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉・言語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

ハンガリーの赤ちゃんポスト

熊本市にある慈恵病院が設置する赤ちゃんポストは、早ければゴールデンウィーク明けにも運用が開始されるもよう。熊本での詳しい動きが知りたければ、地元紙・熊本日日新聞の特集ページ「くまにち.コム/こうのとりのゆりかご」をご覧下さい。

さて、NHKの九州沖縄金曜リポートで放送された「こうのとりのゆりかご」についての番組「小さな命をどう守るのか〜熊本・赤ちゃんポストが問いかけるもの〜」(2007.2.23)の概要メモを以前書いたけれど(「こうのとりのゆりかご」)、そのなかで現代における最初の赤ちゃんポストはハンガリーで1996年に設置されたという報告があった。番組の中ではドイツでの取り組みも報告されたが、最初の赤ちゃんポストの地であるブダペストでの取材、院長からのメッセージなどが中心に放送された。このことは先の記事でまとめている。

ネット上で海外の「赤ちゃんポスト」についての記事を探してみても、探し出せる情報はドイツのものばかりだ。今回の慈恵病院で作られているものもドイツ視察で学んできたものを参考にしている。一方、ハンガリーでの情報は日本語では僕が書いたものぐらいしか見つからないみたい。ハンガリーでの呼び方すら分からない。そういうわけで、ハンガリーの情報を調べてみた。

探し当てたページは、二つ。

Incubators in Hungarian hospital lobbies allow babies to be abandoned more safely(1999.7.24) --- 英語

Tíz éve kezdődött a Babamentő Program a Schöpf-Merei Ágost Kórházban(2005.05.02) --- ハンガリー語

最初の英語で書かれた記事は、ブダペストでの取り組みを英語でわかりやすく書いてある。この記事は1999年のものでその中で3年前に始まったと書いてある。最初に設置されたこの病院では三年目のこの時点で9人の赤ちゃんが救われたともある。

二番目の記事は2005年に書かれたもので、取り組みを初めて10年目になろうとしているこの病院を訪ねての取材らしい。ハンガリー語なので内容は分からない。ハンガリー語の分かる人が訳してくれるとありがたいな。

ハンガリー語の記事のタイトルを見ると、どうやら「赤ちゃんポスト」に当たる言葉として「Babamentő Program」という単語が使われているようだ。調べてみるとハンガリー語babaは英語のbaby、mentőはrescuerのこと。(Free Online Hungarian to English Translatorを利用)

Babamentő programというのは、上の英語の記事だと「the incubator programme」という表現に相当するのだろう。このBabamentőというのは、用意された保育器を指して使われている言葉と考えていいだろう。ハンガリーの、少なくともこの最初の病院の、いわゆる「赤ちゃんポスト」はポスト状ではない。前述のNHKのレポートの映像を見て僕は「病院の狭い廊下に保育器」と描写したが、上記の英語の記事のタイトルでは「Incubators in Hungarian hospital lobbies(病院のロビー)」、その記事内では「a portable incubator in the hallway, just inside the front door(玄関廊下にある移動式の保育器)」とあるように、例のはねぶた式のドイツの赤ちゃんポストとは違って単に保育器そのものが病院の建物内に置かれている。



参考までに、第二のページを探し当てた道順は、en.Wikipediaの「Baby hatch」の各地の情報についての項目で、NHKの放送で出てきたブダペストにある「スチョップ・メレ・アゴスト病院」の英語綴りが「Schopf-Merei Agost」だと分かる。その綴りで検索し、第一のページを見つける。この検索結果の別のページでそのハンガリー語での綴りが「Schöpf-Merei Ágost」であることを知る。そして、これと1996との複合検索でハンガリー語の第二のページをみつけ出した。そんなにすんなり来れたわけではないけれど。

そして、二番目の記事は病院の名前は確かに合っているが、ハンガリー語が分からないのに、本当にこれが赤ちゃんポストの記事だとどうやって断定したのかというと、記事の単語を眺めて見るとすぐにinkubátortという単語があって、これはおそらく保育器「incubator」に相当するハンガリー語だろうと思い、それを確かめるためその単語および、全文に対してのFree Online Hungarian to English Translatorの翻訳を実行して確認した(精度はあまり良くないが断片的に判断できる)。原文には「Garamvölgyi György」という人の名前らしい言葉が出てくる。これはNHKの番組出てきた院長先生ガラム・ヴォルジさんのことだ。


posted by takayan at 02:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 赤ちゃんポスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

『プレヒストリック パーク〜絶滅動物を救え!〜』の情報

以前ここで紹介した「Prehistoric Park」がNHK教育「地球ドラマチック」の時間で始まった。全三回。

日本語でのタイトルは、『プレヒストリック パーク〜絶滅動物を救え!〜』。
内容はタイトルの通り、時間を旅する動物行動学者ナイジェル・マーヴェンが絶滅した動物たちを保護しにいくという(空想)科学ドキュメンタリー番組。初回の今日、25日は「ティラノサウルス」。そして5/2は「マンモス」、5/9は「ミクロラプトル」。

本来なら、ここに嬉嬉としてまとめ記事を書くところだけど、悲しいことに今回は見逃してしまった。


番組ページ:NHK「地球ドラマチック」内のバックナンバー、第一回『プレヒストリック パーク〜絶滅動物を救え!〜』のページ。


調べたら、日本語版のDVDが、7/4に発売予定らしい。見逃したから買おうかな。

プレヒストリック・パーク --- amazon


amazonよりもこちらのほうがDVD内容の情報が詳しい。
セブンアンドワイ プレヒストリック・パーク 3枚組DVD-BOX 


以前調べた情報ページを再掲すると、

・放送されたテレビ局ITVのこの番組サイト:ITV - Prehistoric Park - Home
・英語版Wikipediaでの記事:Prehistoric Park
・iMDbインターネット・ムービー・データベース内の情報:"Prehistoric Park" (2006)

これらのページを見ると全部で六つのエピソードからなるようだが、今回NHKで放送されるのは最初の三つだけのよう。

・Episode 1: T-rex Returns
・Episode 2: A Mammoth Undertaking
・Episode 3: Dinobirds
・Episode 4: Saving the Sabretooth
・Episode 5: The Bug House
・Episode 6: Supercroc


■このブログ内の関連記事
Walking With シリーズまとめ
『タイムスリップ!前 恐竜時代』を見た。


posted by takayan at 22:28 | Comment(2) | TrackBack(0) | サイエンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月27日

天正カルタ復元してみました

天正カルタ イスのキリ
400年前に日本で作られていたラテン型のトランプです。きれいなものが出来たので撮してみました。写っているのはイスのキリです(スペードのキングに相当)。

参考にしたのは、以前紹介した山口氏の研究書「うんすんかるた」と三池カルタ記念館監修の本「カルタ」です。