この章では「ひも理論」において余剰次元が観測されない理由について説明している。
「ひも理論」というのは、あとの章で詳しく述べられると思うが、相対性理論と量子力学の両方をうまい具合に説明できる理論のようで、素粒子が振動するひもでできているという考えを基礎に置いている。この理論では余剰次元の存在が不可欠になる。余剰次元というのは、理論的にこの宇宙の空間次元としてあるべきなのに僕たちが存在を感じられない次元のこと。
現実に、僕たちは縦・横・高さの次の四つ目以降の方向を指させない。この空間が三次元だけでなく余剰次元を含めた、より数の多い次元の空間だとしたら、なぜ三次元以外の次元を見つけられないのだろうか?
その理由は、この余剰次元が「巻き上げられている」からだと説明される。だんだんと内容が難しくなっていく。数式は使わないけれど、この丁寧に言葉だけで描いている世界は、まさに日常では考えもしないような特異な世界。数式や用語をできるだけさけて、きちんとした日本語に訳されているからって、日本語が読めれば誰でも分かるなんてそんなレベルではない。
この章の最初には、「不思議の国のアリス」と「フラットランド」の物語を合わせた不思議な物語が載せられている。この世界のアリス(アシーナ)はこの巻き上げられた次元のある世界で不思議な体験をする。これを何度か読んでみると、少しはこの章で描こうとしている世界をイメージできるようになると思う。
この章では、カルツァ-クライン宇宙というのが出てくる。ポーランドの数学者カルツァTheodor Kaluzaは、アインシュタインの一般相対性理論からの帰結として1919年にもう一つの空間次元の存在、つまり余剰次元の考えを提唱した(論文の出版は1921年)。その後、スウェーデンの数学者クラインOskar Kleinがこの空間次元について取り組んで、1926年にこの次元が極めて微少な円状に巻き上がっているという考えを提出した。この次元はあらゆる所にあって、空間のどの点も微少(10の-33乗cm)な円を持っているとされる。この極小の物理量はプランク長さという。とにかくものすごく小さい。
この巻き上げられた時空をイメージするのはとても難しい。そこで喩えとして出されるのが、ホース宇宙。この本以外にもよく使われる喩えらしい。一方向に広いゴムシートでできた平面があるとする。長い方の辺の組をくっつけ丸めて、ゴムホースを作る。ゴムホースの表面は、もとのゴムシートの表面と同じ二次元世界。辺をつないで作ったので閉じている。このホース上を宇宙と考える。冒頭のアシーナが入り込んだのはこれに似た世界。
この宇宙に住む者にとって、巻き上げられた方向が極端に小さい場合は、小さい方の次元は感じることができず、自分が一次元の世界にいると考えてしまう。他の次元でも同じように考えていく。三次元空間で一つの次元が巻き上げられている場合、各点にには微少な円がある。2つの次元を巻き上げる形としてドーナツのような形が考えられるので、四次元空間で2つの次元がこのドーナツ状に巻き上げられている場合には、各点にドーナツがある。
この章には「カラビ-ヤウ多様体」という言葉も出てくる。これは「ひも理論」で使える特殊な数学的性質が定義されている六次元の図形のことらしい。詳しい説明はen.WikipediaのCalabi-Yau manifoldあたりを読むといい。さっぱり分からないけれど。
次は重力と余剰次元について。ここでもうひとつ喩えが出てくる。重力の分散をスプリンクラーでばらまかれる水の量で喩えている。このスプリンクラーでは中心からばらまかれた水が一つの円周上に均等に届く姿を思い描く。そして中心から出る水の量が同じであるが、そのばらまかれる半径が大きくなると、それぞれの点に届く水の量が減ってしまう。これは直感的に理解できる。距離が離れると各点に届く水の量が急激に減っていく。
重力の及ぼす力も、これに似たイメージで考えることができる。このときは円ではなく球面になる。重力の強さは中心点から出てくる放射状の線の数の多さで表すことができる。重力線が出てくる場所と同じ中心をもつ球面を考えると、中心に近い球面のほうがその球面を貫く密度は高くなる。この密度がその地点の重力の強さを表すと見ることができる。中心から距離が離れれば、それだけ重力は弱くなる。これは先のスプリンクラーのイメージで理解できる。
そこで、この重力はどの球面を貫こうと元々同じであり、重力線の総数は同じわけだから、各点での重力の強さはその重力線が貫いている球の表面積に反比例しているだけだとわかる。つまりこの球の表面積は球の半径の二乗に比例するわけだから、ゆえに重力は距離の二乗に反比例することがわかる。これが重力の逆二乗法則。
では、余剰次元がこれにくわわってくるとどうなるか。空間の次元が増えればより急速に距離が離れることで減少してしまう。なぜなら例えば四次元だと球体の表面積は半径の三乗になる。しかし現実の重力は逆二乗法則に従い、僕たちの空間が三次元であることを示している。もし余剰次元があるというならば、どうして逆二乗法則に従うのだろうか。
この解決もホースの比喩で説明をする。一方の端が閉じられてその中央にある針穴からホースに水が入ってきた場合を想像する。ホースに入ったばかりの時は、細い水は三次元的に広がっていく。しかしホースの壁に到達すると、水は長い次元の方向だけに進んでいく。この水の流れを重力線とみなして考える。ホースの断面をコンパクト化された余剰次元だと考える。
この余剰次元の大きさよりも小さなスケールで考えれば高次元の重力の振る舞いが測定できるかもしれないが、この大きさは極めて小さく、それより大きなスケールでは重力はコンパクトな余剰次元がはじめからなかったような振る舞いをしている。
ここまで来ると、早くも、はいそうですか、としか言えなくなる。余剰次元なんてものが始めからないから見えないのか、あるけれどこのようにものすごく小さくコンパクト化されてしまっているから見えないのか、そのことがどうやって区別できるのだろう。存在するとしても極めて小さいために観測できないことがわかっているものをどうやって知るというのだろうか。まあ、そんな疑問を抱きつつ先へと進む。