2007年10月04日

クローズアップ現代「「相次ぐ赤ちゃん置き去り事件」

クローズアップ現代でやっていた子供の置き去り事件に関する特集を見ていた。これについての感想を書いてみる。今回はいままでの「赤ちゃんポスト」について書いたときのように内容中心には書かない。
※最初タイトルとして新聞に書いてあった案内文を書いたが、調べたら本来のタイトルは違ったので書き直した。


追い詰められている女性への配慮は分かるのだけれど、本気でそんな分析をたれ流していいのかと思った。このブログでも書いた九州のNHKで作った「赤ちゃんポスト」特集の方がよっぽどまともだ。


こんな平和で豊かな時代、「飢饉」や「天変地異」でもないのに子供が捨てられている原因について語られる。

この番組で指摘されている現代の若い女性達を襲っている問題は以下の三つの貧困:
・経済的な貧困
・人間関係の貧困
・性教育の貧困
この番組ではこれをまとめて「貧困」というキーワードで語っていく。

まずこの問題を語る場合に大切なことがある。子供を捨ててしまいそうになっている女性は、混乱し苦しんでいるという大前提がある。そしてそのどうすることもできない混乱の解決として、その原因を作っている子供を、自分を苦しめる現象としか認識ができなくなってしまい、自分の目の前から排除し無かったことにしてしまいかねない状況にあるということだ。冷静な判断ができなくなるほど追い詰められている。

この女性達を、もうこれ以上追い詰めてはいけない。追い詰められている人間に対し、むち打つような言葉を投げかけてはいけない。その言葉は、決して、その行為をとどまらせなどはしない。余計に最悪な結果を招いてしまうだろう。絶対に責めてはいけない。

番組もこの大前提で作られているのだと思う。そこで話をする先生達もみんな、そうなのだと思う。(ここで書いている私もそのつもりだ。)

だから、番組ではこの女性達の責任は不問で進んでいく。でもここがとてつもなく違和感を覚えさせる。女性自身に一切の責任を負わせないために、諸悪の根源としての「貧困」というキーワードが身代わりに提示されてくる。たしかに「貧困」がそこにある。この番組における「貧困」の定義は先に述べたように、経済的なものに限ったものではない。周りをその「貧困」が囲みこみ女性達を身動きさせなくしている現実が見えてくる。

でも、そもそも目の前の現象を描き出せばそのような困窮した現実が見えてきて当然であるが、そういう一切をひっくるめて「貧困」という一つのキーワードで語るのはおかしくないか?逆に「貧困」の一言でまとめてしまうために、問題の細部を無理に切り捨ててしまっているのではないだろうか。解決すべき問題を見えにくくさせてしまわないだろうか。

「貧困」という言葉は原因を本人から外に切り離すためのものである。安定した収入の得られない社会状況に置かれ、現代の希薄な人間関係の中にいてバカな男に出会い、そして正しい性情報を与えてもらえずにいるという不幸な現状を表すための言葉である。あなた本人は悪くないよ社会が悪いんですよという優しいメッセージだ。


この番組を何気なく見ると、格差社会が子捨てを増やしているように受け取れるように作ってあるが、実はそのことははっきりと示しては言っていない。ただそう思わせるように作っている。

(あとで続きを書くと予告していたが、実際書いたけど、厳しいことを長々書いて、最後には自分でもどうでもよくなったので、続きはなし。とにかく、この番組の主張は客観的な根拠が少なすぎる。)


posted by takayan at 04:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 赤ちゃんポスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする