2008年03月19日

チベット争乱

情報統制で正確なことが何も分からなくなってしまっている。でもそのことで、はっきりと中国というのはそういうところだということを全世界に改めて思い知らせてくれた。日本のマスコミも世論が盛り上がらないようにコントロールしながら報道しているように感じられる。今日も四川省のデモで死者が出ているのに全然やる気がない。隣の国で起こっていることなのにYoutubeなどのネットで海外などのニュースを見ないといけないというのは、とてももどかしい。

ダライ・ラマは一貫して独立は求めていないという。そういう立場しかとれないのだろう。だだ中国の一部であり続ける限り、少なくとも今の中国である限り、チベット人の望む自由は決して訪れないだろうことは、誰にだって分かる。

Youtubeで「Tibet」で検索すると、中国がチベットを支配する正当性を示したビデオが凄い閲覧数になっている。英語中国語が入り乱れてコメントの数も凄いことになっている。元の時代のことを言われてもね。問題は中国共産党が武力によって併合したかどうかということですよね。

二日前、報道ステーションで冒頭のニュースで取り上げられたから、それを見ていた。いままで日本で伝えられたニュースにしてはかなりチベット寄りの報道がされていたようなので、ちょっとこの番組を見直してしまいそうになった。しかし、加藤千洋解説員の登場で、すぐに自分の馬鹿さ加減に気づいた。加藤氏は中国政府寄りの発言に終始していた。現地を訪ねたジャーナリストならば中国政府がチベット人に対してどんなことをこの50年間やってきたのか知らないわけがないだろうに。それなのに、「よかれと思って」と中央政府が近代化してやったのにと、この暴動が親の愛が分からない息子の家庭内暴力か何かのような論調で語っていた。彼の発言には怒りがこみ上げた。

昨日の夜NHKのニュース解説では、暴徒が商店を襲ったのは経済格差が裏にあるのではないかとか指摘していたが、この分析はどうかと思う。それに先立って僧侶のデモを政府が武力で弾圧したからという理由は十分ではないのか。こんな格差問題の指摘は論点を妙な方向に誘導してしまうのではないだろうか。そんな意識で彼らは行動を起こしたのではないと思う。もちろん僕の憶測でしかない。けれど民族の誇りを取り戻すこと、彼らはそれ以外に何も求めてはいないのではないかと思っている。彼らが商店を襲ったのは、目立つところに憎くて憎くて仕方のない、自分たちから文化を奪おうとする漢族が商売する建物があった、だたそれだけで理解してはいけないのだろうか。

憶測でいろいろ書くのもいけないので、情報のあるところをいろいろ書いておく。


■チベット系ブログ

チベット式
http://tibet.cocolog-nifty.com/
今回の件の分かりやすい質問集がある。

ちべログ@うらるんた
http://lung-ta.cocolog-nifty.com/
ダラムサラからのメッセージを紹介している。

ちべ者
http://55tibet.way-nifty.com/tibemono/
最近の海外ニュースをまとめてある。


■ニュースサイト

・イギリス・エコノミスト紙によるラサの現地レポートの記事
http://www.economist.com/


http://www.economist.com/world/asia/displaystory.cfm?story_id=10855024
Monks on the march
Mar 13th 2008 | LHASA

http://www.economist.com/world/asia/displaystory.cfm?story_id=10870258
Fire on the roof of the world
Mar 14th 2008 | LHASA

http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=10869993
Pictures from Lhasa
Mar 17th 2008

http://www.economist.com/world/asia/displaystory.cfm?story_id=10871821
Lhasa under siege
Mar 17th 2008 | LHASA


・Googleニュース「チベット」検索結果
http://news.google.com/news?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88&num=50&um=1&sa=X&oi=news_result&resnum=1&ct=title



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2008年03月22日

グレートジャーニー忘れてた

あああ、楽しみにしていたのに、完全に忘れてた。
先週のドラマ見ていて、これがあるのちゃんと分かってたのに、残念だ。後半の五十分しか見られなかった。

今回は、日本人のルーツをたどる第二弾。
前回の放送は、2006年8月12日。樺太ルート。そのときの感想は、「新グレートジャーニー」に書いた。

一週間前、しっかり番組を見てここに書くぞと思っていたのに、忘れてしまった。ちょっと最近物忘れがひどすぎ。つい先日もノートパソコンの入ったバック置き忘れて帰ってしまったし、、、

今日は眠いので見た部分の感想は明日書こう。


posted by takayan at 02:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

『グレートジャーニー スペシャル 日本人の来た道 ヒマラヤ〜日本15000キロ』

関野吉晴さんが、人力だけで太古の人類が歩んだ道をたどる「グレートジャーニー」。新グレートジャーニーは、どんな道を通って日本人が日本列島にやってきたかを辿る旅。今回はその第二弾の南方ルート。

金曜プレステージ
『地球デイプロジェクト
グレートジャーニー スペシャル
日本人の来た道 ヒマラヤ〜日本15000キロ』
<2008年3月21日(金)21時15分〜23時37分放送>

番組情報:地球デイプロジェクト グレートジャーニー スペシャル 日本人の来た道 ヒマラヤ〜日本15000キロ - フジテレビ

タイトルにある、地球(アース)デイプロジェクトというのは、地球の未来を見据え「今、私たちがすべき事は何か…」を考えるきっかけにとフジテレビが作った企画で、今回の放送と別にもう一つ、環境破壊の結果、動物たちの貴重な命が消えている現実を伝える『消えゆく命の物語』という番組が予定されている。小西真奈美、江口洋介、成海璃子の三人それぞれがカナダ、インドネシア、ケニアを旅する内容で、これは3月30日に放送される。

番組情報:地球デイプロジェクト『消えゆく命の物語』 - フジテレビ



さて、久しぶりに番組の内容を書いてみよう。悲しいことに、半分以上見損ねてしまった。特にチベットの人たちの生活を見られなかったのはとっても残念だ。

僕が見始めたのは、ラオスのところから。その前にヒマラヤ、ネパール、インド、ブータンとあって、メコン川上流を氷河の一滴からたどる旅だったようなのだけれど、見れなかった。前回の北方ルートとあわせてDVDにして発売してもらえるとありがたいのだけど。

見始めたラオスの場面は、正月を迎えるためにおこなわれる「水かけ祭り」の儀式のあたり。村人たちが準備をしようとするのだけれど、その儀式を司ってくれるお坊さんがいなくて右往左往しているところだった。この儀式は大切で、うまく執り行わないと作物を作るのに必要不可欠の雨季が始まってくれないかもしれない。村長さんも、祈祷師の人もとても困っていたけれど、若いお坊さんしか来てくれなくて、いろいろ手違いもあったりで、一時はどうなることかという状況だった。けれども儀式が終わると同時に見事に大雨になって、終わりよければすべて良し状態だった。責任重大だった祈祷師の人も雨が降ってほんとにうれしそうだった。乾季と雨季がある地域の人たちには、乾季がこのまま続くのではという不安がどこかしらにあるんだろうな。毎年いつも通りにやってくるものでも、今回も必ず来てくれるという保証は実はどこにもないわけで、そのためにも自分たちの罪を流したりするこういう儀式をみんなでやっていくんだろうな。

村を離れたあとは、関野さんは自転車に乗ってメコン川の河口を目指す。河口よりも前でゴムカヌーに乗り換えてメコン川の本流に乗り出す。日本の感覚では考えられないくらい川幅が広い。広すぎて、どこが河口かはっきり分からないくらい広い。

ここでナレーション(益岡徹さん)と映像による人類史の解説。ここらあたりは5万年くらい前は陸地で、その陸地はスンダランドと呼ばれている。そしてこの地で人類は大繁栄したと考えられている。それが、1万5000年前に氷河期が終わり、海面が上昇し、多くの土地が水没し現在の地形になったとされている。ベトナムの景勝地ハロン湾の映像。ここの水没したような地形はスンダランドが海に飲み込まれた様子を残しているらしい。ハロン湾で見つかった2万5000年前の貝塚の貝。これは陸の貝で、ここがその頃陸地で人が生活していたことを示している。

映像は関野さんのところに戻る。近年メコン川の水量は減っているらしい。原因は上流の中国雲南省での森林伐採やいくつものダムの建設の影響のようだ。魚も捕れなくなってきている。浅瀬ではメコン川の上流からの肥沃な泥でアサリやハマグリの養殖をしている。これがメコンの流れの一番最後の恵みだ。

関野さんは一時帰国して、東京の国立科学博物館へ。ミトコンドリアDNA研究の第一人者篠田謙一博士に会う。関野さんは旅で出会った人たちの口の粘膜を採取していて、その分析結果の話。アフリカから出た人類が、3、4万年前に東南アジアのあたりで生活し、そしてその一部が日本にたどり着いたということが、今回のデータからもたしかに読み取れたということらしい。

旅に戻った関野さんは中国を通り、朝鮮半島に向かう。北朝鮮への入国の許可は出たが、監視付きで人気のない道を合計たった一時間しか自転車で走れなかった。つまり人力の旅が絶たれてしまった。現地の人々と交流しながら旅をしていくことが目的なのだから、それが許されない関野さんは心なしか険しい顔になっている。

韓国へ向かう前に、南北に分断された兄弟をつなぐメッセンジャー役を担うことになる。日本で過酷な労働をしていたペクさん。韓国側ではなくあえて北朝鮮に帰国したために韓国の家族とは離ればなれになってしまった。朝鮮半島にはこういう離散家族がたくさんいる。ペクさん自身は最近亡くなってその子供たちの映ったビデオ映像を韓国にいる伯父さんに見せることになった。韓国の田舎に住むペクさんの兄は泣きながらそれを見ていた。ただビデオの映像の日付は8月15日になっていて、北朝鮮での行動がすべて北朝鮮のシナリオ通りなのが丸わかりの映像だった。

前回の北方ルートでは、サハリンの残留朝鮮人の話があって、まさにもう一つの意味での日本人の来た道を描いていて考えさせられることもあった。でも今回はちょっと北朝鮮側の政治的な意図が露骨すぎた。前回のように関野さんが出会った人と話していて、そこにある真実に気づいていくというのであれば、僕の心も動いたかもしれない。北朝鮮側が何も仕組まなくても、関野さんなら自然な人々との交流の中でちゃんと日本人に伝えるべきことを伝えてくれただろうに。

プサンから、サポートの渡部さんと一緒に関野さんは朝鮮海峡をカヤックで渡る。途中海の真ん中でとても静かな凪になっていて、その鏡のような海面はとても不思議な光景だった。潮の流れにまっすぐに逆らっていかないといけない大変なところもあったけれど、無事日本の陸地に到着。釜山からカヤックで8時間弱かかった。

そのあと、日本人の祖先について関野さんの言葉があった。日本人の起源にはっきりしたものがあるわけではなくて、いろんな人たちが混じり合って、突き出され、そういうことをいろんなところで繰り返して、突き出されてきた人たちなのだろうと言っていた。チベットの人たちのことも例に挙げて、彼らのように不毛な土地であっても生きるすべを見つけて、住めば都にしてきた人たちなのだろうとも言っていた。

そのあと益岡さんのナレーションによるまとめ。最近、六、七万年前にアフリカを出た人類は500人程度であったという研究が出されたそうだ。現在六十億人まで繁栄した人類の基礎を作ったのは、勇者だけではなく、はじき出されてきたものが、生き残るために必死の努力と絞り出した知恵のたまものかもしれないと、関野さんの言葉を補足して、おしまい。


それはそうと、第三弾はどうなったのだろう。2年前にあった番組の最後では、今回の第二弾の旅の途中だというのが伝えられ、そしてそのあとに第三弾の「海洋ルート」を計画中とかあったはずだけど、今回の最後には予告はなかった。わざわざ朝鮮半島を経由せずに日本にやってきた人たちがいたのは、ほぼ間違いないだろう。でもカヤックで実際に旅をするのは大変だろうな。これからの旅についてネットで探したなかで一番新しい情報は(他にもあるかもしれないけれど)、キャノンのニュースリリース(2007.8.30)にある関野さんのメッセージ。「2008年からは、「海のグレートジャーニー」+初期日本人の「海洋ルート」を辿る旅を始める予定です。」とある。放送は数年後になるだろうが、今から楽しみだ!


当ブログ関連記事:
「新グレートジャーニー」...二年前、第一弾のことについて書いた記事


関連資料:
関野吉晴公式サイト...今回放送された南方ルートの近況報告ログを読むことができる。


グレートジャーニーの本とDVD、そして関連本をamazonのスライドにしてみた。グレートジャーニーの表紙はどれも美しい写真を使っているので、いいスライドになった。大型本の第一巻にはamazonに画像がないのでこのリストに入っていないが、ちゃんと探すとamazonで扱っている。このリストに入れてあるが、第一弾の新グレートジャーニー「北方ルート」は二冊の本が出ている。番組中に出てた篠田謙一さんの本や、タイトルの由来でもあるフェイガンの本もリストに入れてある。





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2008年03月24日

ちりとてちん最終週(146)

最終週のタイトルは「笑う一門には福来る」


「ようこそのお運びで、厚く御礼申し上げます。」と月曜日冒頭お決まりの上沼恵美子の口上。今日は最後の月曜日、この口上もこれが最後か。なんて終わってしまうのが名残惜しいドラマなんだろう。NHKを見ていて度々流れた予告スポットでなんかかなりのネタバレをしているようなんだけど。それから予測できる通りでも、それもまた楽しみだ。いろいろあった問題もほとんど回収できて、もうあとは、最終回をめでたく迎えるだけ。

いや最後の最後に重大な問題が残ってるぞ。ビーコは貫地谷しほりから上沼恵美子に変身するのかどうか。これは重大な問題ではないだろうか。上沼恵美子のナレーションは、常にビーコの視点で語っているわけだから、上沼恵美子が年を取ったビーコであることには間違いないだろう。でも物語が現代に追いついても年齢的には上沼恵美子が演じるような年齢には達しない。絶対に無理がある。

今日のエーコとビーコとの会話の最中、ナレーションで数年後二人は喜六と清八のように楽しく温泉に出かけたりするようになるって言ってたけれど、今2006年の設定なのに2007年や2008年にそんなことをしていることを「数年後」っていう表現は日本語としておかしい。やっぱり上沼恵美子は未来からナレーションをしている設定になるのか。

「ふたりっ子」では現在よりもさらに進んで未来の物語になったけれど、ちりとてちんは映像で未来の上沼恵美子の姿になったビーコを描かなくてもいいよ。主役の役者が変わるとすべてを持っていかれる感じになるから。たとえ未来を描くことになっても入れ替わることなく、最後までビーコは貫地谷さんのままでありますように。



今日もいくつもいいシーンがあった。ビーコと、社長になって今やずけずけモノが言えるようになったエーコの漫才みたいな会話もよかったし、その後に続いた草原兄さんから小草々まで順に膝を叩きながら、落語の一説一説をつないでいくところ。これも落語の楽しさと和気藹々の草若一門のチームワークの良さが伝わるいいシーンだ。

小浜の作業場、エーコの父の秀臣と、ビーコの父の正典の二人が、互いに正直に礼を言い合うシーン。話はいつか妙な方向に。若狭塗り箸の兄弟弟子の二人が、どうして娘に同じ名前をつけてしまったのか。その真実を最後の週でばらしてくれた。これは男二人だけの場面でしか語れない事実だな。このときの松重豊の顔を見合う表情がいい。

そして、夕焼けの中、常打ち小屋の正面に「入」の字になるように掲げられた二膳の大きな若狭塗り箸、それを草若師匠の弟子五人で見上げるシーン。ここで語られるのは、若狭塗り箸と落語との共通点の話。どうしてここに箸を掲げるのかという話。これはこのドラマの中心にあって、主人公たちの生き方を支えてきた真理でもある。皆が今から動き出す常打ち小屋への想いを語ったあと、ヒグラシが鳴き、皆がそちらへ振り向くシーンもいい。構図がとてもいい。

そして若狭がある名前を思いつく。お披露目二週間前なのになかなか決まらなかった常打ち小屋の名前。その言葉を聞いて家の中に帰りかけた皆が振り返る。今日はそれでおしまい。


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2008年03月27日

ちりとてちん(147)

火曜日のあらすじと感想

昨日の話の最後で、若狭がこの常打ち小屋の名前を「ひぐらし亭」にしてはどうかと思いついた。
そのことを若狭が誰かに話す場面から始まる。最初、若狭が誰と話しているのか分からないのだけど、カットが切り替わると数年経ってちょっと雰囲気の変わった奈津子だった。先週の話で、めでたく肉じゃが女になることのできた奈津子さん。若狭の叔父の小次郎と結婚したので、若狭とは親戚になった。

そういえば、この人が塗り箸の取材にビーコの和田家を訪ねてきたことから、このドラマが大きく動き出したんだっけ。
ビーコが小浜を飛び出して大阪に向かったのも、大阪に仕事のできる女性としてあこがれていた奈津子が住んでいたからだった。ビーコの理想の女性像だった奈津子は、実は、部屋を散らかしっぱなしだったり、ビーコに負けず劣らずコンプレックスの固まりだったりしたのだけれども、それでも大阪に出てからのビーコにとっては、お姉さん代わりの頼れる相談相手だった。人生経験の多さからか、フリーライターという仕事からか、人間観察には鋭いところがあった。奈津子とビーコの場面はこれが最後ではないだろう。女流落語家・徒然亭若狭の成長を取材し続けている奈津子は、まだまだ仕事をしてもらわないといけない。

草々は、柳眉と尊建に「ひぐらし亭」という名前のことで相談している。草々とこの二人は、かつて若手実力派の上方落語三国志と並び称されるライバルだった。落語なので競い合う場面というのがあるわけではないけれど、徒然亭一門が高座に上がれない不遇の時代、草々はかつてのライバルたちに後れを取っていることを悔しがったりしていた。彼らは草々にとって徒然亭の外の落語界とつないでくれていた存在だった。ひぐらしは徒然亭の紋に使われているので、徒然亭に偏っていると嫌う先輩たちがいるかもしれないが、二人はこの名前にすることに協力すると約束してくれた。これがこの上方落語三国志のドラマの中での最後の場面になるのだろう。実力のある三人がそろうことで、徒然亭だけでなく、上方落語のみんなでこの場所をもり立てていくことをあらわしているシーン。それにしても鼻毛て。

若狭が妊娠していることが分かった。「寝床」の熊五郎が常打ち小屋のオープン向けに試作した弁当を食べている途中、若狭がウッときたのでひと騒動起きてしまった。病院で診てもらい若狭は菊江さんと草若邸に帰ってきた。待っていた草々や兄弟子たちに報告し、それから師匠の遺影にも報告した。このとき草々は子供の名前は落太郎か落ち子にするとか言ってたが、実際どんな名前になるんだろう。

若狭は電話で小浜の家族に妊娠したことを報告する。実家のみんなも盛り上がる。妄想のあと。すぐにお母ちゃんがやってくる。小浜と大阪だから、距離は十分あるはずだけど、いつものことだからもう慣れた。朝ドラではよくあること。ちりとてちんでもよくあった。それが、おかあちゃんがどんだけ喜代美のことを大切に思っているかを示す描写になるので、おかあちゃんが現れるだけでぐっと来る。自分の娘の元に飛んでいきたい気持ちがそのまま映像になる。

喜代美はとても幸せそう。お腹に手を当て、産まれてくる子のことを思っている。布団の中でいつのまにか寝てしまうが、その幸せな寝顔の喜代美をおかあちゃんが優しくなでてやる。言葉はないけれどこれだけで、どんな言葉よりもおかあちゃんの気持ちがほんとうによく伝わる。料理に手をつけないまま寝てしまったのでラップを掛けようとするとビリッと破く音かしてしまう。喜代美が起きてしまわないように静かにラップをカットしようとする仕草が、糸子さんらしくてたまらなくいい。

ドラマ当初、ビーコが小浜から旅立ってしまうと、糸子さんの出番が減ってしまうのではないかと、残念に思った。実際登場人物も増えて、糸子さんの出番も減ってしまったけれど、それでも糸子さんの場面はいつもいい。


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ちりとてちん(148)

水曜日のあらすじ、および感想

冒頭から高座の若狭。ここは常打ち小屋の舞台だから、もう昨日の放送からそれだけ時間が進んだのか?
すると、舞台の袖から女の子が出てくる。昨日の若狭の妄想の中に出てきた娘(子供時代のビーコ役をやったのと同じ女の子)。
落語の途中なのに、その子はかまわず入ってくるが、若狭の方も落語を中断してそのまま話しこむ。若狭が叱ると女の子は泣き出してしまう。さらに舞台の脇から無精ひげを生やしてすさんだ草々も怒鳴りながら出てくる。なんかちょっと悲惨だな。これはきっと夢だ。昨日はビーコが眠りにつくところで終わったから、その夢の中だ、きっと。そう思ってみていると、場面が突然切り替わり、現実に戻る。徒然亭のみんなで話し合いの途中だった。夢ではなく妄想か!冒頭から何の前置きもなしに始まるとは。最終週らしく若狭の妄想は視聴者まで巻き込んでくれる。

舞台挨拶についての話し合いの途中、若狭は気分が悪くなる。つわりがひどそう。常打ち小屋の初日は無理じゃないかと心配して声を掛けられる。大丈夫だと振る舞う若狭。話し合いの中で若狭は今度の舞台で創作落語ではなく「愛宕山」をやってみたいという。愛宕山は若狭が最初に出会った、思い入れのある落語。若狭は、最近落語に対して感じる違和感を皆に話し、この落語をすることで落語にもう一度向き合いたいと言う。創作落語をするのか若狭に確認した四草は、若狭の落語に対する心の変化に気づいているのかもしれない。

場面は変わって、小浜の魚屋食堂。そこに小梅ちゃんが入ってくる。ビーコのおばあちゃん。製作所の和田夫妻が来ている。ドラマ当初は小梅ちゃんは製作所の秀臣をとても憎んでいたが、いまでは完全にそのわだかまりはとれている。こういう気さくな会話をちゃんと最後の週に入れてくるのは分かりやすくてとてもいい。和田製作所の息子はいろいろあって魚屋食堂の娘順子と結婚して食堂の跡取りとなっている。和田夫婦は息子の焼く魚を待っている様子。店の中には、順子と、その父もいる。その父が自分も秀臣のように隠居したいが跡取りの腕がまだまだと言うと、みんなに笑いが起きる。そこにうわさ話の好きな順子の母がやってきて、ビーコちゃんがおめでなんでしょと小梅ちゃんに話しかける。このお母さんの噂好きという特徴をそれも主人公の噂を運んでくるところがなかなか気の利いた展開だ。小梅ちゃんもうれしそうに認める。それを聞いて順子が何かを思う。これが魚屋食堂の最後のシーンなのだろう。小浜のみんなのことをこの一場面の中にきれいに描ききっているのがすごいな。

場面は草若邸。練習する若狭。つわりがひどそう。そこに小次郎おじちゃんが、おめでとうをいいに来た。話をしているうちにまたお金儲けのこと考えて入るんでしょうと若狭に指摘されると、小次郎がいつものようにふてくされる。それを見た若狭が急に妄想を始める。小次郎と同じようなふてくされた仕草をしている娘の姿。最近の妄想は、楽しいのは変わりないが、ちょっと悲観的な妄想ばかりだ。物語の最初の頃はそんなのばっかりだったと思うけれど、若狭の成長に伴い明るく楽しいものへと移っていったのにまた逆戻り。妄想が悲観的なのはつわりがひどく不安定な若狭の状況を表しているのだろうか。結局小次郎は練習が忙しいからと追い返されてしまう。主人公との小次郎との一対一の絡みはこれで終わりかな。何かまた一騒動あってもいいけれど、こういう感じシーンで終わるのもこの人らしくてありだけど。

今度は、糸子母さんがそばをもって若狭のところにやってくる。昨日の回で小浜から駆けつけてずっとこちらにいるのだろう。そばは栄養があるから食べなさいと忍者の携帯食だった話をする。喜代美はそばを食べきるが、そのあとこっそり台所で吐いてしまう。

夕方、若狭が草々に稽古をつけてもらう場面。そこにまた糸子がやってくる。そして糸子は草々に若狭を休めてやってくれと頼む。若狭は何ともないと否定するが、お母ちゃんにはそばを吐いたこともすべて気づかれていた。常打ち小屋は師匠の夢だからどうしても役に立ちたい、自分の体のことだから自分がよく分かると言い張るが、糸子はあんたは昔お母ちゃんのおなかの中におったんやからおかあちゃんには分かると言われる。草々も若狭とおなかの子が一番大事だからと糸子の提案を受け入れる。若狭は初日に出られなくなってしまった。

おそらく別の日。常打ち小屋の客席で若狭はひとり寂しく舞台を眺めている。そこへ順ちゃんがやってくる。もう二人は三十過ぎの設定だけど、若狭は昔のように甘えた声になって泣きながら順子に抱きついてしまう。

順ちゃんは若狭にとって救世主のような存在。昔から困ったときにはいつも相談にのってくれていた。奈津子とはまた別の支えになってくれる。同い年なのにとても達観していてきっぱりと言い放ってくれたり、未来を見通したような助言をしてくれたり、とても頼りになる友人だった。もう若狭も成長し順ちゃんの助言も必要なくなっていたが、最終週の主人公のピンチに、呼んだわけでもないのに、駆けつけてくれた。

部屋で、ビーコは順ちゃんに悩みを相談する。晴れの舞台に出られなくなった若狭の気持ちは一気に昔のダメな頃のビーコに戻ってしまった。いざというときに役に立たない脇役のビーコ。回想シーンとして学園祭の三味線の発表会。練習から逃げてしまいエーコにスポットライトを当てる裏方をしていた頃の映像が出る。順ちゃんも高校の学園祭がビーコにとってのトラウマだと十分に承知している。落ち込んでいるビーコに、順ちゃんは大丈夫やと言ってくれる。確信があるのか、ビーコを支えてやろうとはったりを言っているのか分からないが、順ちゃんは、今回は落語家としての13年の経験があるから同じ結果にはならないと言う。新しいものが見えてくるはずだ。ひさしぶりのそして史上最大の予言だとナレーション。

さて、残り三回でどうなるのだろう。こんな重大なときに、すんなり常打ち小屋のお披露目ができずに、昔のビーコになってしまうなんて、なかなか楽しませてくれる。そして順ちゃんの大予言とは。


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ちりとてちん(149)

木曜日。あらすじや感想。

ひぐらし亭。オープンの日。あわただしく準備をしている。でも若狭は何もすることがない。みんな気を遣って若狭に仕事をやらせてくれない。手伝わせたら草々にどつかれるとも言われてしまう。

すると、「わかさちゃん」と誰かが声を掛けてくる。誰だか分からずにきょとんとする若狭に、若者が「せをはやみー」と落語の一説を唱えてみせる。これですぐに若狭に分かった。僕も分かった。兄弟子の草原の息子の颯太だ。落語をやめて量販店の店員をしていた草原兄さんが一門に戻ってくるエピソードの時に出た。草原宅に居座っていた草々が落語の練習するのを聞き覚えて、「せをはやみー」と言うようになった。そのときはとても小さかったけれど、芸歴13年の若狭がまだ入門する前の出来事だから、ここまで大きくなっていても不思議じゃない。あの頃耳について離れなかったこの台詞が、ここで出てくるとは。

兄弟子たちと座って話をしている場面。草原の横には颯太がいる。バイトの照明係として呼んだのだ。颯太は今は二十歳の大学生で、落語の研究をしてる。草原は今はなんともないのだが、店員の時も実演でかみまくり、落語に戻っても高座でかみまくりで、落語家として大きな欠点をもっていた。この颯太も、自己紹介の時に親譲りの見事なかみっぷりを披露する。こういう積み重ねられた話を踏まえた演出は、最後の最後まで楽しませてくれる。

若狭は草々に、師匠たちに気を遣わせるので表に出るなと釘を刺されてしまう。役に立ちたいのに何もできない若狭はかわいそすぎる。ひぐらし亭では何もできないので、若狭は「寝床」にやってきてお弁当の準備を手伝っている。箸はエーコのところの若狭塗り箸。エーコは商売上手。いろとりどりのお弁当を見ながら、自分の学生時代のお弁当について話しだす若狭。夕べの残りの茶色い弁当がいやだったというと、熊五郎が料理人らしい、いいことを言ってくれる。この弁当は一日限りだから凝ったことができる。でも毎日の弁当は早く確実に作らないといけないので、そうもいかない。それよりも毎日のお弁当は体のことを考えて作るのが第一。そんな弁当を毎日続けることはそれだけで凄いことだよ、と教えてくれる。回想シーンとして、糸子がせっせと二人の子供のお弁当を作る様子が映し出される。ドラマタイトル「ちりとてちん」という落語が食べ物を題材に出したものだけに、そして塗り箸が大きな役割を演じているわけだし、このドラマでは食べ物も重要なものになる。

ひぐらし亭の一室。師匠たちと糸子が楽しそうに話をしている。そこにお弁当を運んで若狭がやってくる。師匠たちがお母さんは面白い人だと喜ばれる。師匠たちがふたを開けるとおいしそうなお弁当だと言われるが、一膳お箸が足りなかった。そりゃ師匠にこんな失礼をしたら大変なことだろう。お母ちゃんが機転を利かせて師匠たちに、お父ちゃんから聞いた箸の話をし始める。無くなって初めて箸のありがたみが分かる。いつもは食卓の脇役だけど、どんなごちそうがあってもお箸がないと食べられない。まるで、晴れの舞台に出られない若狭へ向けた言葉なのだけれど、若狭はそれどころではないようだ。

若狭は颯太君のいる照明ブースにもお弁当を届ける。晴れの舞台に少しでも参加できるように、照明を一緒にしませんかと言われるが、若狭には学園祭の暗い思い出が頭をよぎってしまう。

夜、ひぐらし亭、いよいよオープン。客席には、糸子、エーコ、小次郎、奈津子、緑さん、「寝床」のみんなの顔も見える。東京から散髪屋もかけつける。天狗芸能の会長も来ている。脇の部屋には師匠たちもいる。お囃子の演奏の中、奥では、草若師匠の遺影の前で出番前の一門が神妙な顔をしている。照明ブースには若狭と颯太がいる。

若狭のスイッチでぱっと舞台が明るくなる。草若一門が出てくる。兄弟子たちに加えて小草々もいる。客席が拍手で出迎える。師匠の夢だった念願のこのときなのに、照明ブースの若狭は今自分がいる状況に、全く同じ状況の学園祭の暗い体験がまたよぎってしまう。

中央にいる草原がまず「ようこそのお運び...」と挨拶をし、ひぐらし亭の名前にはいろんな意味が込められていると、それに絡めて、順にひとりひとりオープンの言葉を述べていく。若狭がそれぞれにスポットライトを浴びるようにスイッチを切り替えていく。「その日暮らし」の未熟な落語家でも高座に出られるようにと草々。蝉のように土の中に長く修行をしてと小草若。一日中という意味もあるので一日いても飽きない落語家とお客の場所としてと四草。そして小草々が若狭塗り箸の話。小草々は若狭の代わりで出ているのだろう。幾重にも塗り重ねる若狭塗り箸のように、稽古を積み重ねて精進していく所存と、一番若い彼が言う。そして草原に戻って、ぎょうさん笑うていただきますようと、皆で礼をして締めくくる。すると客席が拍手でそれに応える。立ち上がって拍手をしている。いつもは強面の天狗芸能の会長も満足そうな顔でみている。

晴れの舞台を迎えている一門の仲間たちの幸せな顔を見ながら、若狭にもほんの少し笑みが出る。順ちゃんの言葉を思い出す。主役になるのはスポットライトが当たっている人ばかりではない。人にライトを当てるのは素敵な仕事だと。

音楽がオープニング曲のゆっくりしたハミングに変わる。若狭は照明ブースの隙間から、喜んで拍手を送っているお母ちゃんの笑顔を見ている。若狭自身はまだ晴れない顔をしている。でもお母ちゃんの顔見ているうちにかすかに何かに気付いた表情を見せて、お腹を優しく抱きしめる。自分でもつかみきれない思いがこみ上げてきましたと上沼恵美子のナレーション。今日はそれでおしまい。あと残り二回。


以前、「純情きらり」のことを書いていたときには、そんなに時間がかからなかったのに、久しぶりにあらすじを書こうと思ったら、時間がかかるかかる。最終週だから、いままでの場面もいろいろ浮かんでくるから。簡単にまとめられなくなる。あらすじなのに文章も長くなる。
そういうわけで三連投。


posted by takayan at 14:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちりとてちん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月30日

ちりとてちん(150)

あらすじとか感想とか
めでたく最終回を迎えたのに、いまさらだけれど、最終回一回前。


小浜の和田家、カレーを食べてる。若狭の出番が決まったと糸子。10月11日。若狭のおじいちゃんの正太郎の命日。みんなカメラ目線でこちら(カメラ)を見る。カットが変わると、仏壇のおじいちゃんの遺影がある。ということは、さっきはみんなこの遺影を見ていたのか。ということは、それを見返すさっきの視線はおじいちゃんの視線ということか。おじいちゃん、ずっとそこから見守っていてくれたのかな。

その出番の日。ひぐらし亭。出番前の若狭。鏡の前で整えている。若狭、ひぐらし亭オープンの日の回想する。挨拶が終わり晴れ舞台にいる一門の幸せな顔を見て、自分もちょっと笑みを浮かべる若狭。出番前の若狭の姿に戻る。どこからともなくおじいちゃんの声。振り向くとおじいちゃんの姿が見える。朝ドラでは最終回近くになると、よく亡くなった人が回想ではなくそのまま出てくる。

「人間も箸も同じや。研いで出てくるのは、この塗り重ねたもんだけや。一生懸命生きていさえおったあらあ、悩んだこともー。落ち込んだこともー、きれいな模様になって出てくる。おまえのなりたいもんになれる。」と幼いときに聞かせてくれた言葉が聞こえてくる。若狭はおじいちゃんの方を向き頷いてみせる。

お囃子が鳴り出番となる。客席には和田家の人々やエーコ、順子、小浜の人たちもみんな来ている。

初日の一門そろっての挨拶に失礼したこと、子供を授かったことを述べて、「愛宕山」を始める。若狭はこの落語を子供の頃、おじいちゃんのテープで草若師匠の演目をそれとは知らずに何度も何度も聞いていた。とても思い入れのある演目。このドラマで一番出てきたなじみの落語の一節。落語とは関係なく、若狭の子供の頃からの映像が挟まれる。初回、車のドアにスカート挟んで破れてしまいパンツが丸見えになった場面。おかあちゃんが手作りのそのスカートから作ったお守り袋を渡しながら「ぎょうさんええことありますように」。遠足にそば弁当を持たされたこと。お母ちゃんの「お色気むんむんやで」とかの名台詞。

そして、高座の若狭が「愛宕山」でかわらけ投げの一節までくると、回想でもかわらけ投げの場面となる。(このころ、喜代美は大好きだったおじいちゃんが死んでしまって泣いて過ごしていた。ついに寝込んでしまうが、おじいちゃんに願いが叶うと教えてもらったのを思い出し、夜中に一人でかわらけ投げに向かってしまう。喜代美を見つけたお母ちゃんは、望み通りにかわらけ投げに連れて行く。喜代美が泣きながらもう一度おじいちゃんに会えますように、おじいちゃんが天国に行けますようにと叫びながらかわらけを投げる。喜代美の気が済むと今度は)お母ちゃんが願いをこめながらかわらけ投げをする。大声で、喜代美が笑ってくれますように、喜代美が幸せでありますようにと、心からの願いを叫びながら投げる。あまりにも一心に次々に願いを叫んで投げていたら、最後には持っていた財布まで投げてしまい、お母ちゃんはあわててしまう。それを見ていた喜代美が、お金を投げるというところがいつも聞いていた「愛宕山」の話みたいだと言って、思わず笑い出してしまう。その姿を見て糸子は「喜代美がワロタ」と頬を撫で、抱きしめる。僕はこのシーンが一番好きだ。これでこのドラマに完全にはまってしまった。特に糸子さんに。

高座で愛宕山の落ちがくると、若狭は深々とお辞儀をする。客席はみな拍手。ちょっと長いお辞儀。顔を上げてもしばらく無言でお客さんを見ている。客席がざわめいてくる。そして客席が静まると皆に言う。最後の高座におつきあい下さいまして、ありがとうございましたと。みんなあまりのことに、客席も楽屋も何が何だか分からず、唖然とする。そして若狭が再び深々と頭を下げる。

楽屋。若狭が兄弟子達と向かい合って座っている。草々が訳の分からんことを、今までの修行を無駄にするつもりかと怒っている。草原兄さんが落ち着けと割って入り、今日の高座はよくできたとほめる。それだけにやめるのは惜しいと言う。見つけてしもたんですものと若狭。何をやと草々が聞く。あっけらかんに、自分のなりたいもんと答える。

そこにお母ちゃんが、お父ちゃんの止めるのもきかず、楽屋に入ってくる。和田家の面々も、エーコも順子も楽屋に入って喜代美の周りに座る。喜代美の後ろから、お母ちゃんは許さんで、修行続けなはれと厳しく言うと。喜代美はお母ちゃんの方に向き直りながら、お母ちゃんごめんなと言う。お母ちゃんは、謝るくらいならおかしなこと言うなと返す。そのことではないと喜代美。小浜出るとき、ひどいこと言うてごめんなと謝る。

そのときの回想が始まる。高校を卒業して先のことをいろいろ悩んで、結局このままではいけないと小浜を出て行くことを決意したとき、喜代美は母と言い争いになってしまう。そして、ここを出て行く理由を、お母ちゃんみたいになりたくたいと面と向かって叫んでしまう。お母ちゃんはそう言われて動揺し何も言いかえせなかった。喜代美はこの十五年前の言葉を謝った。

あの頃は、お母ちゃんという仕事はしょうもないと思とったと、正直にその頃の気持ちを話し出す。脇役人生、つまらない人生だと思っていたと。けれどはそうじゃないことにやっと気づいた。お母ちゃんは太陽みたいに照らしてくれる。毎日毎日それがどんだけ素敵なことが分かった。どんだけ豊かな人生か分かった。お母ちゃん。ずっとずっとお腹におるときから大事に大事にしてくれてありがとう。怒っていた糸子も、何を言うとんのやこの子はと言葉では叱りながらも、泣きながら喜代美の頬を両手でやさしくなでる。そして喜代美は、お母ちゃんみたいになりたいんやと言う。

つづく。
さあ、残り一回。もう残りたった15分。


喜代美の芸名が若狭なのはまさに喜代美の人生こそが若狭塗り箸そのものなんだということをはっきりと示すもの。きっと若狭ありきでそれを命名する師匠の名前も若の字を使って草若に決まったのだろう。若狭の人生を描いたドラマ自体が、幾重にも重ねられた様々な出来事を磨き上げ輝く塗り箸のようなものだ。喜代美は、お母ちゃんみたいなお母ちゃんになることを選んだ。

このドラマはとても回想が多かった。芋たこなんきんも回想が多いドラマだったけれど、またそれとは違った。いくつもの伏線が仕組まれていて、それがうまい具合に物語に奥行きをだしてくれた。その最大のものがこのお母ちゃんを罵って小浜を出て行く喜代美の姿だった。お節介なお母ちゃんの性格のために、うやむやにされていたこの事件がまさに、このようなかたちで物語の最後の山場として回収された。


posted by takayan at 01:05 | Comment(4) | TrackBack(0) | ちりとてちん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする