2008年06月23日

モルダウのメロディ

前回の「モルダウになぜ歌詞をつけたがるのか?」では、「モルダウ」がヨーロッパの古い民謡由来のメロディだということ、イスラエル国歌「ハティクヴァ」も同じメロディをもっていることを、英語のWikipediaの記事を参照し、具体的にYoutubeの音楽も並べながら書いた。今回は、Wikipediaの記事のリンクをたどって、前回気づかなかったことを書き足してみる。僕は音楽を専門的に勉強してきたわけではないから、ただ単純に耳で聞いて似ている似てないという素人判断しかできない。


前回の記事のスメタナ「我が祖国」の引用部分には、「Ack, Värmeland」へのリンクがあるが、開くと別のタイトルの「Dear Old Stockholm」のページが開く。この記事はスウェーデンの古い歌、そしてそれをジャズにアレンジしたものについてのことがある。

そのジャズとはこれのこと、日本語名は「懐かしのストックホルム」。

Donald Byrd - Dear Old Stockholm


これのどこが、モルダウに似ているのだろう。最初は分からなかった。

さて、さっきのWikipediaのページには、次のような文章が書いてある。

The song's melody bears some resemblance to an ancient (and very popular) folk song of indeterminate origin, which was later adapted by Bedrich Smetana for his symphonic poem, Vltava (also known as "The Moldau"), and which is also the basis for the Israeli national anthem, Hatikva. In Edvard Grieg's incidental music for Peer Gynt "Åse's Song" is also similar in melody.

Dear Old Stockholm - Wikipedia, the free encyclopedia



Peer Gynt 「Åse's Song」とあるけれど、同じ名前の曲が見つからないので、これは Solveigs Sang のことだと思う。日本語での名前は「ソルヴェイグの歌」。名前は知らなかったが、聞いてみたら何度か聞いたことがある曲。

Lucia Popp: Solveig's Song from Grieg's Peer Gynt


正直、さっきの「懐かしのストックホルム」に似ているようには思えない。まして、どう「モルダウ」とつながるのだろう。

さて、Dear Old Stockholm の ジャズではなく、元になった曲を探してみると、これもYoutubeに見つかった。聞いてみると、前回の投稿の引用の中でスメタナの元にした候補の一つではないかと、これを挙げているのもよく分かる。もう一つの候補はルーマニア民謡だが、これは見つけられなかった。


スウェーデン出身のテノール歌手ユッシ・ビョルリングによる歌
Ack Värmeland, du sköna -Tenor Jussi Björling 1936


スウェーデン出身の女優ツァラー・レアンダーによる歌
Zarah Leander - Ack Värmeland du sköna


この女性の歌声のパワフルさにびっくりするが、これは素直に「モルダウ」に似てるなと思える。そっくりではないけど、関連があるのは素人でも分かる。これは日本では、「ヴェルムランドの歌」と呼ばれるらしい。もともとは19世紀前半に、スウェーデン民謡を元に、ミュージカルのために作られた曲らしい。はっきりモルダウよりも先に作られている。



この曲を聴いたあとに、最初に挙げたジャズを聞き直せば、「ヴェルムランドの歌」をジャズにしたものが「懐かしのストックホルム」だとはっきりしてくる。また、「ソルヴェイグの歌」と「ヴェルムランドの歌」は似ている。でも何度聞き比べても「ソルヴェイグの歌」と「モルダウ」が似ているとは思えないのに、「ソルヴェイグの歌」と「ヴェルムランドの歌」が似ていると感じられるのがとてももどかしく奇妙な感じがする。

ツァラー・レアンダーの動画のコメント欄ではこの曲がモルダウに似ていることが指摘されていて、その一つによると、スウェーデンではこのメロディを扱ったドキュメンタリーが作られたことがあるようだ。イタリアの小さな村からヨーロッパ中に広がったという内容だったらしい。また他のコメントでは別の説としてルーツはベルギーだとも書いてある。

「ヴェルムランドの歌」というキーワードで調べると、東山魁夷著「白夜の旅」が紹介されている 見知らぬ世界に想いを馳せ : 白夜の旅 という記事を見つけた。この記事では日本語訳詞へのリンクも張ってあった(ヴェルムランドの歌)。この曲もまた、ふるさとを想う歌詞だった。この本はいつか読んでみたいと思った。

以上は、モルダウの記事にある曲名と、その曲の記事にある曲である。
そして「ハティクバ」についての引用にある曲はというと、


17世紀のイタリアの曲
Gaetano Greco - Partite sopra il ballo di Mantova



この曲は、年代が離れているはずなのに、まるでモルダウをバロック調にアレンジしたんじゃないかというくらいだ。先の動画のコメント欄にあったイタリアの村とはこのマントヴァを指しているのかもしれない。



最後に「ハティクヴァ」と「モルダウ」の関係について。結局これを調べたがはっきりとはよく分からない。検索していると2chのキャッシュに、次の記事へのリンクがあった。これはNHKのカイロ支局長などを務めた早良哲夫さんの雑誌への投稿記事らしい。
  さて、テルアビブの南にリション・レツィヨン(シオンへの第一歩≠フ意)という街がある。その名が示唆するとおり、近代シオニズムのもとに生まれたユダヤ人の入植地の一つで、一八七八年に鍬入れをしたペタハ・ティクバ(希望の門≠フ意)に次いで古い。今ではワインの産地として知られている。   一八八三年のある日、ボヘミアのユダヤ系詩人ナフタリ・インベルがリションを訪れ、開拓者の一人ヨセフ・ファインベルグ夫妻のもとに一泊した。ファインベルグは黒海沿岸のオデッサからの移住者で、財産といえば、後にも先にも古びたピアノ一台。この夜、ファインベルグ夫人は久しぶりに鍵盤の前に座り、客人と同郷の作曲家スメタナの「モルダウ」を弾いて、インベルに旅の疲れを忘れさせた。   しばらくの間じっと耳を傾けていたインベルは、紙片にスラスラと歌詞を書き、シオンの地に憧れるユダヤ民族の心を歌い上げた。この歌詞、そして歌詞に合わせて多少手直しされた曲は『ハティクバ希望=xと名付けられ、一八九〇年に現在の形の編曲符となった。

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このファインベルグ夫妻も、後続する記事にある娘も実在するのは、次のリンク先を見て分かった。Genealogy Family History Museum Rishon Le-Zion - Fienberg Har-Tiferet Yosef。1883年は夫妻が入植した翌年なので状況的にも合致する。でも、このページではそのことに触れていないし、本当なら有名な逸話であるはずなのに、いくら検索しても上の日本語の記事を裏付ける英語のページは見つからなかった。


初めは「ハティクヴァ」と「モルダウ」との二つだけしか見えていなかったから、先入観を持ってしまい、この狭い関係だけでしか判断できなかった。でも前回と今回といろいろなこのメロディの系譜を(ネットで見つけられるものだけだけど)、実際に音楽を聴きながら考えてみると違ってきた。「ハティクヴァ」より先に出来たモルダウが影響を与えたことは否定できないだろうが、それ以前から人々に親しまれ、望郷の念を抱かずにはいられない時代を経て人々の心に刻み込まれたメロディであるということを踏まえて考えると、その想いの方が重要に思えて、二つの曲の関係をわざわざ結論づける必要もないと思えるようになってきた。


posted by takayan at 02:22 | Comment(7) | TrackBack(0) | モルダウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする