2008年07月21日

「時をかける少女」のこと

今年も「時をかける少女」を見てしまった。
土曜日の夜九時からは「監査法人」の最終回だったので、「時をかける少女」は録画して見た。DVD持ってるのに。

この物語はあまり深く考えずに、お馬鹿な主人公の彼女なりの成長と、芳山和子が歩んだ一つの未来の像である魔女おばさんを鑑賞すればいい。理屈ばかり考えてもこういうのはつまんなくなる。物語の中心はタイムリープではなく、あくまでも登場人物なのだから。それでも、登場人物の行動にちょっとした疑問を思ってしまうと、いろいろ分からないことだらけになってしまう。タイムリープというこの物語の法則のために、解釈が複雑になったり制限されてしまったりで、訳が分からなくなってしまう。

去年いろいろ書いてから今まで、アニメ版のコミックも読んだし、原田知世の「時をかける少女」も何年かぶりに見直した。それぞれの感想を簡単に書くとこんな感じだった。

アニメ版をコミックにしたものは、とてもシンプルにまとまっていて、想像するしかないところを言葉として表現していて、悩むことなく物語を楽しめた。映画の内容が頭に入っているから分かりやすかったのかもしれないけれど。
このコミックには魔女おばさんについての物語の結末もちょっと描かれているが、これは正直見なかったことにしたい。これってアニメ版と共通の公式設定なのだろうか。魔女おばさんの過去が、原作小説や大林監督の作品の設定ではなく、こんな感じの設定でないと細田監督の物語とはつじつまが合わなくなってしまうから仕方がないのかな。この和子の物語は小説も実写映画も今まで一度も見たことがない、これからも見ないだろう若い人向けという印象だった。

そして実写映画。いまさらだけど、原田知世のこの映画は素晴らしい。この時代を知らなければ古めかしくて受け付けられないかもしれないけれど、僕はこちらの世界がいい。この映画では小説の和子とはまた違って不安や戸惑いがより全面にあらわれてくるけれど、それもこの映画のよさだと思う。恋に落ちていく感じはかえってこの映画の方がどれよりも自然に感じる。和子の持っている二人のエンジェルがキスする小道具の効果は大きい。
それにしてもこの頃の原田知世の可愛らしさはいったい何だろう。今の彼女も十分素敵だけど、このときの輝きが映像としていつまでも残り続けることに感謝せずにはいられない。物語が終わって、唐突に始まるあの有名なエンディング、それぞれの場面を通して原田知世が主題歌を歌っていくこの姿を観ると、それだけで幸せな気持ちでこの映画を見終えられる。この歌がこの映画のメインであっても全くかまわない。


今回テレビを見てみて、アニメ版についてあらたにいろいろ気づいたこともあるけれど、自分の書いていたものとのつじつまが合うように簡単には修正できなさそうだから、書かないでおこう。


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ナミアゲハ幼虫の帯糸くぐり

虫嫌いの人が、このブログを他の用事で訪れて偶然見てしまうかもしれないので、虫関連の記事の時は必ずタイトルにそれと分かるような言葉を入れている。そういうわけで今回もアゲハの幼虫。帯糸というのは、サナギになったとき体を支えている糸のこと。

アゲハチョウのサナギを見たことがある人はすぐに分かると思う。サナギになるとき、尾っぽの所でしっかりと面の所に接して、上の方ではその面の左右の二カ所に固定した輪を使って背中でもたれかかるように体を固定している。このときの糸を帯糸という。

今回、アゲハの幼虫がこれを紡ぎ、そしてそれをくぐってもたれかかる様子の動画が撮れたので、貼り付けてみる。

古いデジカメの動画撮影機能を使って撮ったので画像はあまりよくないが、映像として収めることができた。教育テレビの理科の時間で一度は見たことがあるのではないかと思う。

この動画の様子を説明すると次のようになる。今回の映像よりももっと前の段階から書いておく。

アゲハの幼虫は、自分がサナギになる場所を見つけると、しばらくそこで休んだ後、サナギになったときの自分の体を固定するための作業を開始する。まず体を上下反転し、ちょうど自分の体の端が来るところに念入りに糸を吐く。完成したら再び体をまっすぐにむけてそこにおしりをくっつける。それからしばらく寝て、今度は帯糸作り始める。幼虫の体には、長い腹の部分は吸盤のような足、胸の部分にはとがった細くて短い足が付いている。この細い足に糸をかけながら、丈夫な糸を紡いでいく。まず体を奇妙に折り曲げながら胸の所の高さの壁にしっかりと糸を貼り付ける。それから体をのけぞらせながら糸を吐いていく。頭を少しずつ揺らしながら少しずつ楕円を描くように体を反対の端の方に動かしていく。端まできたら、また逆に体を奇妙に折り曲げてさっきの端と同じ高さに糸を固定する。それが終わると、また体をのけぞらせて糸を吐き、これを逆の方向に繰り返す。これを何度も繰り返すことで、自分の体を支える丈夫な命綱を作り上げていく。

さて、ここで疑問が起きる。この帯糸ができても、どうやって自分の体をその中に入れるのだろう。幼虫は自分の前面の足に引っかけるかたちで糸を持っている。これを一旦放したら、どこに行くか分からない。絶対に放せない。幼虫の足はとても短いので引っかけておくだけで精一杯。さあ、どうするのだろう。



映像は、最後の端への固定の少し前から。申し訳ないが、ピントが完全でなく映像も荒い。でも、よく見てもらえると幼虫の胸のあたりに線上に光っている部分が見える。これが帯糸。幼虫が体を仰け反らせながら頭を動かしているその軌道をよく見ていると、見えない糸も見えてくると思う。

帯糸作りのあとは、幼虫は時間をかけて糸を固定している。それが終わると、頭を糸を固定している端の間に入れ込んで、体をぐいっとねじ込んで、そして一気に体を今まで以上に仰け反らせる。映像ではここできらっと糸が光る。思いっきり仰け反ることで帯糸を体の下の方にかかるようにしているのが分かる。帯糸がちゃんとかかると、体を起こし、しばらくそのまま体を休める。そして次第にからだがしぼんでいき、サナギになるための脱皮を待つ。



この幼虫は実は植木鉢で見つけたものではない。植木鉢のミカンの木から庭の木に移した幼虫が成長したものだった。気になって庭の木はときどき様子を見ていたが、体をしきりに伸ばしながら枝を這い回っている姿が見えた。幼虫がサナギになる場所を探すときはよくこういう動きをする。十年ぐらい前に飼ったときに分かった。幼虫がどうやってサナギになるスイッチが入るのか分からないが、サナギになる準備ができると、体の中にある食べたものを下痢のように全部出してしまう。体の中のものがなくなると、黄緑色ではあるけれど透き通ったようなとてもきれいな色になるのですぐにわかる。そして、このように体を懸命に伸ばして、動き回るようになる。

捕まえて、鉢のミカンの木に移してやった。ここでサナギになってもらうために。しばらくして様子を見に行くと鉢の枝をどこを探しても見つからなかった。10分ぐらいまわりを探したが見つからない。雑草が茂っているところにいったら二度と見つからないだろう。草むらに行かなくても、いろんな荷物が積んでいるからそこに紛れ込んだら絶対に分からない。あきらめられずに探していたら壁を這っているのを見つけた。ここまで来るのは相当いろんなものを越えて行っているはずだ。見えるところによく出てきてくれた。

鉢でサナギになってもらうのをあきらめて、以前にやっていた方法でやってみることにした。その方法というのは、空き箱などのボール紙で三角柱や四角柱を作る方法。ボール紙を簡単に折ってテープで一辺を閉じる。倒れたら困るので板状のものにテープで固定する。高さは二十センチぐらい。もう少し低くてもかまわないが、幼虫が下に降りていくときあまり短いと地面にすぐに着いてしまう。降りるのに時間がかかるとあきらめてまた上に上がってくれる。上辺は全部つながっているのでぐるぐる回って、やがて側面に降りてくる。ときには内側に入り込んでそこをサナギになる場所と決めることもあるが、そのときはそっと切り開いて表と裏を逆にすればいい。他にもいい方法があるかもしれないが、手軽なので以前はこうしていた。今回もうまく体を固定し始めた。


この帯糸作りの仕草を見ていると、あの小さな卵の中にすべてこの動作が記述されている事実に畏敬の念を抱かずにはいられない。とてもシンプルな動作を組み立てて、この動作全体ができあがっている。いつかは、ここに記述されていることはプログラミング言語に翻訳できるのだろうか。


posted by takayan at 16:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | アゲハチョウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

「時をかける少女」について再度考えたこと

以前書いたものにつじつまが合わないところも気づいたのでちょっと書き足そうと思う。
前回は、基本的に限定版DVDの本編、付属物、そして原作小説をもとに書いていた。
今はさらに原田知世版の映画も見直したし、アニメのコミック版も読んでいる。

さらに、この細田版「時かけ」の原点だと言われる原田知世参加の おジャ魔女どれみドッカ〜ン!「 第40話 どれみと魔女をやめた魔女」までもダウンロード視聴してしまった。全然別な話だけれど、アニメ映画を思い起こさせてくれるシーンがあったり、「時かけ」とはまた別の切なさを感じさせてくれる。
楽天ダウンロード


ほんとは自分の考えだけで考え直したかったけれど、考察サイトもいろいろ読んで、一般的な解釈を踏まえて考えた方がいいだろうと思った。その中で、一番細かくまとめてあったのは、時をかける少女問答集だった。



こういう作品の脚本は多人数で議論して叩きながらできるだけ緻密な設定をしてあるはずだから、整合性のとれる設定をいろいろ考えてるんだろうなと去年は考えていた。特にここまで複雑な時間旅行ものは今がどのような過去を持つ時間なのかを常に把握しながら物語を作らないと、ちょっとの間違いでストーリーが破綻してしまうから、かなりきっちり作っているはずだと考えた。でも、監督がそんな緻密さを放棄して物語の方を優先していると考えた方が楽だったのは確かだ。でも懲りずに今回もいろいろ考えてしまったけれど。



まず、芳山和子は記憶を失ったままだという前提で考えていたが、それでいいのかどうか。コミック版では記憶を取り戻した上で真琴に助言していることになっていたが、アニメ映画もそれでいいのかどうか。

これは上記「問答集」の中で指摘されているが、細田監督がイベントでの質疑応答の中で、「本編でも原作準拠で、(和子が)昔あったことは覚えていないつもりで作品を作った。」と発言されたらしい。その証拠としてこの記事が示されている。
時を駆け巡る少女跡地の第十八話

そういうわけで、記憶を失っていたという解釈でも問題ないようだ。こちらが正解というよりも、どちらでも解釈可能だということだろう。でも、記憶を失ったままだというのならば、真琴に話した初恋の話は何だったのかということになる。それに対しては、正体を隠した深町君本人か、彼を漠然と思い起こすような似た誰かにすぐに出会って、二度目の初恋をしていると考えてもいいだろう。記憶を取り戻せないならその解釈しか思い浮かばない。

高校の時というその二度目の初恋は、物語での深町君との出会いが高校二年生の設定でも中学三年生の設定でも、どちらでも可能だろう。映画版では、数年後研究室の廊下で互いに記憶を失った二人が再会するという設定なので、このアニメにつなぐにはその設定を放棄する必要があるし、小説版では年代設定を1960年代から映画が公開された頃の1980年代前半に移さないといけないが、そのくらいの設定変更はわざわざ指摘するまでもないだろう。この和子の設定は、原作小説と原田知世版のほどよいブレンドか、アニメ版コミックの設定なのか、観客の好みに応じて考えてそれに合わせた解釈をすればいいと思う。でも一度、原田知世版を見てしまうと、この作品の比重がとても強くなってしまうのは避けがたい。



また未来人がいつから来たかはアニメ版ははっきりしていない。小説版の設定をアニメ版でも踏襲するかで、「未来で待ってる」の意味さえ変わってしまう。つまり真琴が生きて会えるくらいの未来なのかどうか。しかし、ここははっきりしないほうがいろんな未来を想像できるのでいいだろう。



功介の事故の前の坂道で、真琴が「久しぶりに話すね。」と言ったことは観客にとっては違和感がない言葉だが、よく考えると、千昭の記憶と真琴の記憶に食い違いがいつ起きたのかがはっきり描かれていない。

飛び込み台からのタイムリープで真琴は13日の朝にやってくる。一回目の13日と同様に寝坊して、あまりにあわててしまったので、あの危険な自転車に乗ってしまった。このとき一回目の13日の朝のような千昭との会話をしなかった可能性がある。試験が終わると、周りの誰とも話をせずすぐに未来方向へ小さなタイムリープをして校庭でのジャイアントスイング作戦を企てにいけば、試験以後の千昭との会話も避けられる。そうやれば真琴は千昭と話すことなく坂道に来られる。

この未来へのタイムリープの間、飛び越えた時間の間の真琴の存在はどのようになったのだろうか。小説のタイムリープの理論からすると、この間にも真琴は存在していなくてはいけない。そのときの真琴は上書きされる前の真琴になるのではないだろうか。この期間の真琴はタイムリープで未来に向かう前の記憶は持たない。そしてタイムリープで校庭に現れた瞬間に、この真琴は突然姿を消してしまう。このとき飛び込み台から13日の朝にタイムリープしてきた記憶を伴った真琴になる。未来へのタイムリープの間の上書きされていない真琴は千昭を意識していないので普通に千昭と会話をしているのだろう。千昭は覚えていても、タイムリープで少し前の過去からやってきた今の真琴はその記憶を持っていない。これが記憶に食い違いが生じた理屈だろう。

追記:これは記憶の食い違いなどなく、千昭がカマをかけたと考えた方がシンプルでいいかもしれない。上のような未来への短いタイムリープの間に起きたであろう出来事の推測では根拠としては弱すぎるし、この飛び越えた時間は調理の時間なのだけど、一回目のこの時間に千昭と会話している描写は元々ないから。カマをかけて、ここで真琴が話を合わせてきたら、それは千昭にとって動かぬ証拠であるし、そこまで確認してからでないと、重大な秘密であるタイムリープの話題は切り出せないだろう。



千昭はクルミをいつ見つけたか。以前の解釈では止まった時の中で、クルミを探してきたと考えた。今思うと、上記「問答集」に書いてあるように、理科実験室に真琴が入る前と考えた方がわかりやすいだろう。ジャイアントスイング作戦が成功したために、功介は怪我をした果穂に構わないといけなくなった。そのため千昭は功介と絡んだ行動をしないことになり、他の13日の放課後の行動と変わってきてしまう。千昭は一回目の13日よりも早く理科実験室にやってこれてたっぷりとその中を探すことができただろう。そして真琴がやってくる前に使用済みのクルミを見つけられたのだろう。

真琴よりも先にきているのにクルミが使用済みなのは、真琴が河原でのタイムリープでクルミに触れる前の時間に戻れたことからも分かるが、チャージした人間がそのチャージした前の時間に戻っても、その能力は失われないためである。当然クルミの使用不使用の状態も時間を超えて不可逆でなければならない。これができてしまうと記憶を失うことなく装置の無限使用が許されてしまう。これがチャージした者とは別の者のタイムリープだとどうなるかは分からない。千昭にタイムリープの余裕がありタイムリープでここに来たのならば、真琴のチャージそのものをなかったことにできたかもしれない。



止まれ止まれと叫んだあと時刻の帯が0:37の数字で止まる。はっきりと16:00:32と表示されているところに、真琴の叫ぶカットが入って、それから0:37と表示されるので、普通に見ているとそのまま16:00:37と思ってしまう。

でもこの16:00:37は千昭と真琴が過ごしている止まっている時刻とは違う。千昭の後ろにある時計は15:30頃になっている。千昭がこの現場に駆けつけてタイムリープを行った瞬間の時刻にしてもあまりにも早すぎて考え難い。たとえ千昭がテレポーテーションの能力を持っていたとしても、事故が起きた数十秒後にこの事故のことを知ってここに来ることは考えにくい。おそらく、この数字は15:30:37のことで、千昭と真琴だけ動ける時が止まっている時刻を表している。

黒背景の中に赤いデジタル表示の時間の帯は、コントロールできない本来の時間を表している。これは映画冒頭と、ここと、最後に出てくる。しかし、この場面ではコントロール不可能なのにどうして時間が止まるのだろうか。実はここは二つに別れていて、それぞれで表現が異なっている。黒背景なのは前者だけで、それは一貫して無情に流れ続けている。

タイムリープの中で現れるのは赤いデジタル表示の時間の帯の周りにさらに黒い帯状のものが取り囲んで、それが白背景の中に浮かんでいる。歯車のようなものもみえる。0:37という表示は黒の中に赤い数字で描かれているので、これは一見、黒背景の中の赤い数字のように見えるが、実際は白背景の中に浮かぶ黒い帯をアップにしているだけである。これは最初の踏切でのタイムリープについてもいえる。



あの千昭が見に来た絵は戻れなかった未来人の作品ではないかと去年は考えた。千昭にとって重要な人がどこか分からない過去から戻れなくなって、いろいろ調べたらこの時代にその人物が描いたらしい絵が発見されていたので見に来たと。

でも今思うと、あの絵の作者を未来人にしなくてもいい。他の未来人の存在を仮定してしまうと物語は何でもありになるから、よほどの証拠がない限り持ち出さない方がいいだろう。つまるところ、どんなに危険でもどこにあっても見たいものというのは、千昭をこの時代にやってこさせるための設定である。それをいうと身も蓋もなくなるが。

ただ、限定版DVDの特典映像の中では両側に並べてある二つの作品も千昭の置かれている立場を表しているということも語られていたし、この展覧会の名前も意味ありげだった。それもヒントになるのだろう。この絵についての魔女おばさんが語った言葉も、そのまま千昭がこの絵を見て感じたかったことそのものだろう。



「未来で待ってる」の解釈として、千昭がもう一度タイプリープしてきてもそれはどれも真琴にとっては未来だから、この台詞はもう一度帰ってくることも意味し得ると去年書いていた。今読むと自分でもこじつけっぽく感じてしまう。どちらにしても、過去の人物にタイムリープの秘密を知られたのだからクルミを手に入れる機会は永遠に失われると考えた方がいいだろう。

今回は、「未来で待ってる」は、君を忘れないで未来で生きるというニュアンスに感じた。もうこの時代には戻れないだろうが、未来に戻っても君のことは忘れない。そして、真琴が言ってくれたように、あの絵が残っていることを信じて帰ると。

真琴の方も、千昭が未来で待っていると言ってくれたことを、つまり未来から自分を思ってくれていることを幸せに感じているだろう。絵を未来に残すことは当然だけど、それ以上のものを真琴は千昭に伝えようとしているのだと思う。

未来にいる千昭は歴史の記録の中で真琴のその後を知る。真琴はそのことが分かったのだろう。自分の人生が残したものを見て、つっこんでくれたり、微笑んでくれたり、愛おしいと思ってくれたりする未来人千昭がいてくれる。つまり真琴の生きた人生そのものが、未来で待っていてくれる千昭へのメッセージになる。それを幸せだと感じたのだろう。これがラストで、とっても切ないはずなのに、未来に向かって生きようとしている清々しい真琴の表情の理由だと思う。


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2008年07月27日

ゴールボールの新聞記事

Google アラート にいろんなキーワードを登録して、ニュースを見落とさないように気をつけている。もちろん「ゴールボール」というキーワードも登録している。普段はこのキーワードに引っかかってサッカーのニュースが入って来るのだけど、昨日は珍しく本物の「ゴールボール」の話題だった。

開いてみると、2008/07/15に西日本新聞朝刊に掲載された北京オリンピックについての連載が西日本新聞サイト上に転載されたものだった。
 ボールの中に入った鈴の音と、相手の足音に耳を澄ます。「右!」。守備をまとめる浦田理恵(31)の声で3人は倒れ込み、壁を作ってボールをブロックする。チームワークの見せどころだ。
  ゴールボールの日本代表5人中、3人が福岡市内から選ばれた。ポイントゲッターの小宮正江(33)。司令塔で守備の中心の浦田。最年少で「阿記子がいると盛り上がる」と言われるムードメーカーの安達阿記子(24)。
(記事全文は下記リンク先)

ゴールボール 浦田理恵 小宮正江 安達阿記子 鈴音に耳研ぎ澄まし ⁄ 連載:輝きに挑む 北京パラリンピック ⁄ 特集・北京五輪 ⁄ 西スポ・西日本新聞スポーツ

もうすぐ、北京オリンピックが始まる。もうここまで来たら、何事もなく平穏無事に終わってくれることを願うばかり。そしてその北京オリンピックが終わったら、いよいよ9/6から9/17まで北京パラリンピックが始まる。あと41日。

各競技の日程はもう発表されているんじゃないかと思って調べてみたら、次のページに掲載されていた。

日本障害者スポーツ協会 | 2008北京パラリンピック競技大会 ページ内の公式日程表[予定]のところを開く

これによると、ゴールボールの試合は9/7〜9/14に予定されている。オリンピックのようにテレビの生中継は期待できないだろうけど、せめてニュースで詳しい試合報告を伝えてくれるといいな。


関連リンク:
・北京パラリンピック公式ページ(英語)
Home - The Official Website of the Beijing 2008 Paralympic Games



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2008年07月31日

1億1000万年前の昆虫、琥珀から発見 スペイン

最近は、アゲハの幼虫を観察しながら、昆虫の進化についていろいろ調べているのだけど、ネットのニュースで次のような記事を見つけた。

1億1000万年前の昆虫、琥珀から発見 スペイン 国際ニュース : AFPBB News

読んでみるとちょっと疑問に思ったことがある。
【7月29日 AFP】恐竜絶滅のはるか以前に絶滅したとみられる複数種の昆虫の遺がいが、スペインで見つかった1億1000万年前の琥珀の中から発見された。スペイン教育・科学省の研究者らが24日に発表した。
 この琥珀はカンタブリア(Cantabria)地方のエル・ソプラオ(El Soplao)洞窟で採取された。中には、これまでに知られていない複数のクモ形類の昆虫のほか、クモの巣、植物の一部が、化石化した状態で閉じ込められていたという。

1億1000万年前の昆虫、琥珀から発見 スペイン 国際ニュース : AFPBB News

「クモ形類」の昆虫?僕の知らないクモに似た昆虫の種類があるのかもしれないと調べてみたけれど、やっぱり、この「クモ形類」はクモのことらしいので、この表現は間違いだ。でもどうしてこんな基本的な間違いが起きたのだろうと調べてみた。

この記事の大元はスペインの記事だけど、この日本語の記事はそれについて書かれた英文記事を日本語訳したものらしい。元になった英語の記事全文は、
MADRID (AFP) - The remains of several unknown insect species which became extinct long before dinosaurs stopped roaming the earth have been discovered in pieces of 110-million-year-old amber found in Spain, researchers said Thursday.
 Palaeontologist Enrique Penalver said the amber discovered in the El Soplao cave in the northern province of Cantabria was in "exceptional" condition.
 "The conservation is incredible. You can study the details," he told a news conference in Santander according to the Europea Press agency.
 Several types of arachnids, as well spider webs and plant remains, were found fossilised in the amber discovered at the site, added Penalver, a researcher with the science ministry's Geology and Mine Institute.
 It is the most important amber find to date in Spain and possibly in all of Europe, he added. There are few other amber finds from that era in the world, he said.

Unknown insects found in 110-million-year-old amber in Spain - Yahoo! News


クモについての該当箇所は、次の文。この文章のどこに「これまでに知られていない」と「(クモ形類の)昆虫」という言葉があるのだろう?

 Several types of arachnids, as well spider webs and plant remains, were found fossilised in the amber discovered at the site.

英文を読み直してみると、一行目の「several unknown insect species」と組み合わせて、このような日本語訳になったのではないかと思える。つまり、「未知の数種の昆虫」と「数種のクモ形類」を全く同じものを指していると考えたのではないだろうか。だからつじつまを合わせるために「クモ形類の昆虫」という訳の分からない表現になったのだろう。insect speciesはいかにも用語としての「昆虫」という感じに思えるけれど、クモが含まれているならば、単なる日常語の「虫」ととらえるべき単語だろう。「クモ形類の昆虫」と書かずに単に「クモ形類」と書けばよかったのに。


でも、これは英文にも問題があるようにも思う。これだけの情報だと日本語の文章はこのような内容になっても、仕方がないだろう。それで、スペイン語の記事を探してみた。二つの記事を見つけた。後者は前者の要約という感じ。スペイン語なので正確に意味は分からないけれど、英語の文章よりも詳しく書かれているのは分かる。どうやって、この琥珀ができたのかという説明もある。

Hallan en Cantabria el yacimiento de ámbar más importante de España | elmundo.es
Descubren un yacimiento de ámbar en España con insectos de hace 110 millones de años


詳しい方の前者から、冒頭を引用すると、
SANTANDER.- Un equipo de investigadores del Instituto Geológico y Minero de España ha descubierto un yacimiento de ámbar con insectos del Cretácico desconocidos hasta ahora y con un estado de conservación "excelente" en el entorno de la cueva de El Soplao, cerca de la localidad cántabra de Rábago.
Hallan en Cantabria el yacimiento de ámbar más importante de España | elmundo.es

上の文章中の ámbar con insectos del Cretácico desconocidos というのが、「未知の白亜紀の昆虫たちを含んだ琥珀」のこと。

スペイン語の記事では含まれている生物が列挙されている。琥珀の内容物についての部分を引用すると、
Además de pequeñas avispas, moscas, chinches, arañas, cucarachas y mosquitos chupadores de sangre que se alimentaban picando a los dinosaurios, el ámbar de El Soplao encierra una tela de araña distinta de la que ya se había descrito en un yacimiento de Teruel y que despertó un gran interés entre los científicos. También contiene restos fósiles de coníferas y el fragmento de ámbar azul más antiguo que se ha datado.

Hallan en Cantabria el yacimiento de ámbar más importante de España | elmundo.es


機械翻訳して内容を調べてみると、スズメバチ、ハエ、トコジラミ、クモ、ゴキブリ、カ。そして日本語訳で触れられている蜘蛛の巣。最後の文では、針葉樹のことが書かれているようだ。

スペイン語の第二の記事だともっと分かりやすく、冒頭で記事の要約として書いてある。
Son avispas, moscas, arañas, cucarachas y mosquitos chupadores de sangre, que se alimentaban picando a los dinosaurios. Fueron encontrados en "excelente estado de conservación" por un equipo de investigadores en la cueva de El Soplao, región de Cantabria .

Descubren un yacimiento de ámbar en España con insectos de hace 110 millones de años

スズメバチ、ハエ、クモ、ゴキブリ、恐竜をかゆがらせながら血を吸った蚊。これらが「素晴らしい保存状態」でカンタブリア地方のエルソプラオ洞窟において調査チームにより発見された。


スペイン語の第一の記事では、蜘蛛の巣のことを強調して書いている。英語版の記事では簡潔な記事にするため、他の昆虫の部分は省略してそのクモについての記事だけを書いている。当然、英語の記事を書いている人は、スペイン語の内容を理解しながら書いているので、未知の昆虫がクモだけを指して使われている言葉ではないことは分かっているだろう。分かっている上で、クモを特筆している。

しかし日本語訳は、スペイン語によらず、英語の記事だけから書かれただろう。伝言ゲームによくあること。英語の文章を読んで未知の昆虫がクモだけのことだと誤解してしまっているように思う。そしてそのために論理が崩れてしまった文章を、いろいろ付け足すことで、そちらの方向に内容を修正してしまっているのだろう。


最後に記事の写真について。日本語と英語のニュースでは琥珀の中に閉じこめられた虫の写真が掲載されているが、これはこの記事とは直接関係ないと注意書きがされている。とても紛らわしい。スペインの記事の方にはちゃんとした今回発見された琥珀の写真が掲載されている。またその写真から琥珀のかたまりが一つではなく複数あることも分かる。堆積物の写真のうしろにある図がとても気になる。


とにかく、このニュースはとても興味深い内容だ。将来、本格的な科学雑誌に細かな写真入りで紹介されるかもしれない。そのときは、もっときれいな内容物の写真が紹介されて、中に入っていた生き物たちがきちんと分類されているのだろう。


スペイン語から日本語への翻訳は、スペイン語翻訳 - Infoseek マルチ翻訳 を利用。スペイン語から英語への翻訳は、 Yahoo! Babel Fish - Text Translation and Web Page Translation を利用。


posted by takayan at 16:52 | Comment(0) | TrackBack(1) | サイエンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする