2008年07月17日

アイヌイタッアニ

昨日の検索語を調べてみると、見る前の予想では 「Flock」が多いと思ったのに、意外にも「あるアイヌからの問いかけ」が一番多かった。二年前にNHKの特集を見たときの感想を書いた記事だ。何故今頃?どこかでこの番組が上映されたのか。
 ETV特集「ある人間(アイヌ)からの問いかけ」

久しぶりに自分で読み返して、この番組の感動がよみがえって泣きそうになってしまった。決してうまくは書けていないのだけれど、番組を見たときの記憶を思い起こすには十分だった。

萱野茂さんのことをもう少し調べようと、萱野茂 - Wikipedia を開いてみたら、萱野さんが参議院でおこなったアイヌ語を交えた質問の文章が掲載されたページへのリンクがあった。
参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号

せっかく見つけたので、引用しよう。「アイヌイタッアニ」は、萱野さんがこの質問の時にしゃべったアイヌ語の文章のタイトル。日本語では「アイヌ民族の言葉で」という意味。


イタップリカ ソモネコロカ シサムモシリモシリソカワ チヌムケニシパ チヌムケ カッケマク ウタペラリワ オカウシケタ クニネネワ アイヌイタッアニ クイタッルゥェ ネワネヤクン ラモッジワノ クヤイライケプ ネルウェクパンナ。  エエパキタ カニアナッネ アイヌモシリ、シシリムカ ニプタニコタン コアパマカ 萱野茂、 クネルウェネ ウッチケクニプ ラカサッペ クネプネクス テエタクルネノ、 アイヌイタッ クイェエニタンペ ソモネコロカ、タナントアナッネ シサムモシルン ニシパウタラカッケマクタラ アンウシケタ アイヌイタッエネアンペネヒ エネアイェプネヒ チコイコカヌ クキルスイクス アイヌイタッ イタッピリカプ ケゥドカンケワ、 クイェハウェネ ポンノネクス チコイコカヌワ ウンコレヤン。  テエタアナッネ アイヌモシリ モシリソカタ  アイヌパテッ アンヒタアナッネ ウウェペケレ コラチシンネ ユクネチキ シペネチキ ネフパクノ オカプネクス ネプアエルスイ ネパコンルスイ ソモキノ アイヌパテッ オカプネアコロカ ネウシケウン シサムネマヌプ ウパシホルッケ エカンナユカラ エクパルウェネ。  インネシサム エッヒオラーノ ユクアウッヒ  シペアウッヒ ニアドイェヒ ハットホ チコイカラカヲ オロワノアナッネ アエブカイサム  アウフイカクニ チクニカイサム アイヌウタラ ケメコッペアナッネ ケメコツパワ オドタヌオドタヌ ライワアラパパ シツヌワオカ アイヌウクラカ アイヌイタッ エイワンケクニシサムオロワ ハットホアンワ アイヌイタッエイワンケ、 エアイカプパプ ネプネクス チイェワピリカプ アイヌイタッ ネアコロカ タネアナッネ ウララシンネ ラヨチシンネ ウコチャンチャンケペコロ クヤイヌアコロカ タネオカ ペウレアイヌウタラ ヤイシンリッ、ヤイモトホェプリウェンパワ イタッネヤッカアイヌプリ ネアヤッカ フナラパワ、ウゥォポキン ウゥォポキン エラムオカイパコロ オカルウェネ。  ネヒオロタ ニシパウタラ クコラムコロヒエネオカピ アイモシルン アイヌウタラカ コエドレンノ シサムモシリタ オカアイヌカ ェネネヤッホ アイヌネノ アイヌイタッアニ ウコイタッパワ ラッチオカ、アプンノオカクニ  コサンニヨワ ウンコレヤン ヘルクワンノネアゴロカ アイヌイタックイェ、アイヌイタッ エネアンクニ チコイコカヌヒ ラモッシワノ クヤイライケナー

参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号


その直後に書いてある日本語訳
言葉のあやではありませんが、日本の国土、国土の上から選び抜かれてこられた紳士の皆様、淑女の皆様が肩を接しておられる中で、成り行きに従いアイヌ語でしゃべらせてもらえることに心から感謝を申し上げるものであります。  私は、アイヌの国、北海道沙流川のほとり、二風谷に生をうけた萱野茂というアイヌです。意気地のない者、至らない者、私なので、昔のアイヌのようにアイヌの言葉を上手には言えないけれども、きょうのこの日は、日本の国の国会議員の諸先生方がおられるところに、アイヌ語というものはどのようなものか、どのような言い方をするものかお聞き願いたいと私は考え、アイヌ語を私はここで言わせていただいたのであります。少しですので、私のアイヌ語にお耳を傾けてくださいますようお願い申し上げる次第です。  ずっと昔、アイヌ民族の静かな大地、北海道にアイヌ民族だけが暮らしていた時代、アイヌの昔話と全く同じに、シカであってもシャケであってもたくさんいたので、何を食べたいとも何を欲しいとも思うことなく、アイヌ民族だけで暮らしておったのだが、そのところへ和人という違う民族が雪なだれのように移住してきたのであります。大勢の日本人が来てからというもの、シカをとるな、シャケもとるな、木も切るなと一方的に法律 なるものを押しつけられ、それからというもの、食べ物もなく薪もなく、アイヌ民族たちは飢え死にする者は飢え死にをして次から次と死んでいったのであります。  生きていたアイヌたちもアイヌ語を使うことを日本人によって禁じられ、アイヌ語で話をすることができなくなってしまいそうになった。言っていいもの、使っていいもの、アイヌ語であったけれども、今現在は、かすみのように、にじのように消えうせるかと私は思っていたが、今現在の若いアイヌが自分の先祖を、自分の文化を見直す機運が盛り上がってきて、アイヌ語やアイヌの風習、それらのことを捜し求めて、次から次ではあるけれども、覚えようと努力しているのであります。  そこで、私が先生方にお願いしたいということは、北海道にいるアイヌたち、それと一緒に、各地にいるアイヌたちがどのようにしたらアイヌ民族らしくアイヌ語で会話を交わし、静かに豊かに暮らしていけるかを先生方に考えてほしいと私は思い、ごく簡単にであったけれども、アイヌ語という違う言葉がどのようなものかをお聞きいただけたことに、アイヌ民族の一人として心から感謝するものであります。ありがとうございました。

参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号




この文章は、萱野茂さんの質問の最初の方で読まれている。そして、そのあとに国会らしい質疑応答が続く。

それにしても、並べてみると、いろいろなことに気づいていく。やっぱり僕は言語に対する好奇心が強いんだなと改めて自覚する。



posted by takayan at 02:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉・言語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする