2008年12月12日

七瀬ふたたび 最終回2

前回の投稿のあと、いろいろ書き足りないと思ったので、付け足そうと思う。

この一週間は、最終回を待つばかりということだったので、多岐川さんの「七瀬ふたたび」をしっかり見直していた。そしたら、小説の記憶も混じっているし思い違いもあって、いままで嘘書いているのがいろいろ分かって恥ずかしくなった。

昔の作品を見たことを踏まえて、今回のドラマ化で再現することに問題があってできなかっただろうことを書き出してみると:
・子どもを親から引き離して連れ回す
・ヒロインが夜の商売で生活費をかせぐ
・アイヌ民族を連想させてしまう北海道を舞台にする
・ヒロインが海外の賭博で資金調達
・黒人が自分はヒロインの召使いだと言う
・ヒロインが黒人に命じて人殺しをさせる
・念動力で人の頭を砕く
・念動力で商店から品物を持ち出す
・白塗りのゾンビー軍団、もしくは心を持たないゾンビー警官
・子どもが死ぬ

今回、ベッドに連れ込まれる七瀬や、子どもの自殺のようなギリギリの描写のエピソードもあったけれど、そういうのは結果的に超能力で防ぐのでOKなのだろう。


昔のドラマの七瀬の行動の目的は、シンプルで、お金を稼ぐことだった。最初はノリオ(アキラ)と二人での生活費を稼ぐためだったが、仲間達と出会って、皆でひっそり暮らすための資金稼ぎに変わり、カジノでの超能力の使用となる。そこで敵に目を付けられて、最後には追い詰められる結果となる。

今回は、目的が父の失踪の謎を追うことに切り替わってしまった。そして父が死を偽装してまで身を隠さざるを得なかった理由である、超能力を悪用しようとする勢力との対決へと発展していく。ここで、せっかく本物の超能力をもった人々と敵対する物語になったのだから、ゾンビー軍団を彷彿とさせる超能力部隊との対決をちょっと期待してしまったけれど、そうとはならずに、戦うでもなく、原作寄りの警官部隊に追い詰められてしまう。

なぜ戦わないのだろうと考えてみた。未知能力を悪用する組織と対決するのに、人を攻撃する手段や、人を出し抜く手段として未知能力を七瀬達が使ってしまうと、自己矛盾を起こしてしまうからではないだろうか。今回のヘンリーは、西尾から七瀬を守るために使ったとき以外、とても心優しいことにしか力を使っていない。飛んでくる看板からアキラを守ったり、最終回でも商店街で子どもが乗っている自転車を支えて立て直したりした。西尾のときは、ヘンリーにとって大切な七瀬の命を守るためであり、そして(後から分かることだけど)七瀬が隠された能力を暴走させ命じてしまったという特殊な事情がある。でも、何も知らなかったとはいえ未知能力を攻撃の手段として使ったこの一回の暴走が、のちのち皆を悲劇に追い詰めてしまうというのは、なんて悲しい展開だろう。


今回のドラマは原作小説と昔のドラマを分解し、状況を変えて再構築している。順番が変わっていたりしているけれど、多くのエピソードは受け継がれている。最終回の今回は、ほぼ昔のドラマの終盤をなぞっていた。買い出しに行ったときにヘンリーが能力を使うことも、別な目的だったけど、そう。道路を木が塞ぐことも別の場面から持ってきている。状況は全く違うけど、七瀬と藤子とジャーナリスト、ヘンリーとアキラ(ノリオ)の二組に分かれてしまうのも昔のドラマと同じ。藤子が未来から危険を知らせにやってくることも。七瀬が森を走るのも。

前回の瑠璃による「化け物」発言もそうだった。原作では買い出しの場面で、敵に噂を流された七瀬達が商品を売ってくれない嫌がらせを受けたとき、七瀬が八百屋の女の考えを声に出して繰り返したことへの女の怯えたリアクションだった。第九話で同じように、七瀬は相手の考えていることを声に出して見せたので、瑠璃は「化け物」と叫んだ。でも、彼女の発言にはとても違和感がある。無理矢理感がある。ここは再現する必要はなかったように思う。するにしても別な言葉にするべきだった。

七瀬は森を走っているときに撃たれてしまった。最初、これは誰かが撃たれた衝撃を受け取ったのかと思ったけれど、七瀬が撃たれる場面を角度を変えながら、何度も繰り返し、それが七瀬自身の身に起きた現実だと言うことを印象づけた。アキラの叫びは世界が終わるほどの悲しみに満ちたものだった。七瀬はそれでも走り続け、アキラ、そして包囲している警官達にメッセージを送り、そして横たわる。

七瀬は誰に撃たれたか描写されなかった。警官かもしれないし、佐倉の配下にはないパクス・シエンティアの刺客によるものなのかもしれない。死んだと思われた西尾か念動力で恒介を押さえていた男のどちらかが実は生きていて、恒介を同じ銃で撃ったのかもしれない。でも、一番怪しいのは、遠距離の透視も可能な、西尾だろう。七瀬がジャーナリストと会っていることもお見通しだった。西尾の透視能力には、千里眼の能力もあるようで、かなりの拡大率で見渡せるようだ。森の木々も遮蔽物にならないので、森を走る七瀬がいる位置を見つけるのはたやすいだろう。それと、見事一発で七瀬に致命傷を与えている。七瀬を撃った後、誰も速度の落ちたはずの七瀬を追いかけている様子がない。西尾の能力を使えば、訓練は必要だろうが、射程距離の限界からでも高い命中率で確実に命を奪えるだろう。そういうことを考えると、彼が死んでいなければ、動機的にも、状況的にも、位置的にも、能力的にも彼がもっとも疑わしい。

本来の七瀬ならば、殺意を持った人物が自分を狙っていることぐらい分かりそうだ。そして撃たれた後その人間の思念を感じ取ることも。今回の七瀬はそういうことに無頓着なので、もう問題にすらならない。昔のドラマでは七瀬を森で追い回すのは、禅により心を隠す修行をしているゾンビー軍団なので、七瀬は回避できない(七瀬が命を落とすことまでは描写されなかったが)。原作小説では、心を持たないゾンビのような警官なのでやはり心を読めないので回避できない。以前はそういう理屈があったけれど、今回の七瀬は一心不乱に森の中を走ってしまったので気づかなかったし、自分が撃たれたことよりも仲間を想う気持ちが強いからだと考えるしかないだろう。


ラスト、恒介と七瀬は二人並んで横たわっている。別々な場所で死んだのだけれど、お互いを想い、心がしっかりとつながっていた二人は死をむかえても分かたれることはないということだろう。毎回冒頭のタイトル画面では七瀬ふたたびのロゴが羽に埋もれている。そして最終回ラストでテーマソングが流れる中、二人に羽が降り注ぎ、そして二人の姿は消えてしまう。二人は役目を果たし、天に迎えられたとも解釈できる。


超能力とか、SFとか、ハイテクとか、正直、日本の実写ドラマの実力ではそういうジャンルは描ききれないと思う。もちろん超能力が物語の中心にあっても、作り手が本当に描こうとしてい るのは、いつだって人の心なのだというのは分かる。世界が完全に構築されてあっても心が描いていないならば、それは物語ではない。けれど、世界を丁寧に描いてこそ、そこに生きる登場人物たちが生きてくるのだから、その世界の描写が不完全だと登場人物の存在や、彼らへの共感が薄れてしまう。超能力関係の科学考証は専門的で面白い部分もあったけど、一方で物語世界を描写する緻密さが足りなかった。これは否めないと思う。

それでも、この最終回を、同じ主人公達の死という結末で終わらせながら、いままでの作品の「七瀬ふたたび」とは違う現世での「希望」を果敢に描こうとしたことは、十分に伝えられているのではないかと思う。子どもを殺せないことを逆に利用した、この新しい意味づけが生きていると思う。いろいろ考えて補わないといけないこともあるけれど、十分に楽しめる作品だった。

最後に、昔の作品で恒夫役の堀内正美が七瀬のメッセージを全世界に伝えるジャーナリストの役になったのは、多岐川版のファンとしてもうれしい限りだ。別な役だけど、彼が演じるジャーナリストならば間違いなく七瀬たちの想いを世界に伝えてくれただろう。能力者を道具に使う組織を壊滅に導いてくれただろう。安心してそう思える。


posted by takayan at 08:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 七瀬ふたたび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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