2009年01月24日

『ヴィーナスの誕生』を見てみると

昨晩は、頭の中に詰め込んだ知識を使って、勢いに任せ、絵を見て気づいたことを寝る間を惜しんで書いたのだけど、また新たな疑問を感じてしまった。ボッティチェッリの作品には、『プリマヴェーラ』よりも有名な『ヴィーナスの誕生』があるけれど、それを改めて眺めてみたら、昨晩の解釈でいいのだろうかと思えてきた。

『ヴィーナスの誕生』画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7d/Botticelli_Venus.jpg

『ヴィーナスの誕生』は『プリマヴェーラ』の少し後の作品ということだが、この絵にはすぐにわかる共通点がある。画面左には『プリマヴェーラ』にも出てくるゼピュロスがいて、口から風を起こし、生まれたてのヴィーナスを岸へと運んでいる。彼の隣には有翼の女性がいる。しっかりとゼピュロスに抱きついて、彼よりも弱いけれどヴィーナスに息を吹きかけている。彼女が誰だかはっきりしない。いろいろ調べてみるとクロリスとするもの、フローラとするもの、そよ風の神アウラとするもの、いろいろある。ゼピュロスと彼女の周りには薔薇の花が舞っている。これは、ヴィーナスと共に生まれたとされる、天から舞ってきている薔薇だとする説もある。でも『プリマヴェーラ』を踏まえると、クロリスの薔薇の息の描写にも思えてくる。彼女に翼なんかあったかなと思わないでもないけれど。

画面の右側には、ヴィーナスを岸で待っている一人の女性がいる。裸のまま岸に向かっているヴィーナスに、彼女は花柄の赤い布を掛けようと待ちかまえている。岸で待つ彼女の服装は、『プリマヴェーラ』のフローラによく似ている。花の描かれた服、花の首飾り、昨日は書かなかったけれど、花のついた茎で作られている胸の下に巻いたベルトまで同じだ。この絵の女性は誰だか調べると、これには異説はなく季節の女神ホーラとなっている。根拠としては、アフロディーテ讃歌において、西風が運び、ホーラが出迎えると歌われているからだ。ホーラは三姉妹なのだけれど、この絵で花柄の服を着て、ヴィーナスに花柄の布を掛けようとしている彼女は、おそらく春、芽、花の女神、若者の守護者サローなのだろう。彼女が誰であるかを示す記号はこの花柄なのだけど、昨日は『プリマヴェーラ』でもまさしくその理由で花の女神フローラだと判断していた。ゼピュロスと一緒に息を吐いているの女性がフローラ(クロリス)であるならば、岸で待つ彼女がフローラであるはずもない。アフロディーテ讃歌の通り、季節の女神ホーラになるだろう。そうであるならば、似たような服装をしている『プリマヴェーラ』でフローラとされる女性は、『ヴィーナスの誕生』と同じく『プリマヴェーラ』においてもホーラだった可能性が出てくる。そうなると、クロリスからフローラへの変身という『プリマヴェーラ』の重要なテーマとなる解釈が間違っている可能性もあるということになる。

ボッティチェッリの二つの絵を比較した場合、このような疑問を感じるのは当然のように思う。僕は素人だから単純にそう思ってしまうのだろう。まあ、ブログだから、こういう疑問を正直に書きながら、いろいろ調べて、ものを書いていくのも許されるのではないだろうか。


posted by takayan at 02:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする