2009年02月05日

『プリマヴェーラ』のアーチについて

いままで数回にわたって、『プリマヴェーラ』について調べたことや考えたことを書いてきた。まだしばらく、不定期にこの話題は続く。
現時点、今までの考察により導き出したものは、次の事柄である:

* この絵の題材はすべて『祭暦』から取られている。
* クロリスからフローラへの変身は描かれていない。
* 花柄の女性はホーラである。
* 中央の女性は、ヴィーナスではなくメルクリウスの母、豊穣の神マイアである。

クロリスからフローラへの変身を否定するだけでもかなり異端な解釈なのだけれど、中央の女性がヴィーナスではないというのは、もう異常な主張のようにさえ思えるだろう。自分自身そう思っている。でも、そう導けてしまうのだ。また本来、この絵を解釈するには、当時のメディチ家とボッティチェッリとの関係などを考慮に入れないといけないのだけれど、そういうものを意図的に排除しながら考えを進めている。かえって、それが見えているものを蔑ろにし、解釈をゆがめると思っているから。

まずは、絵から分かる情報だけを元に、何が描かれているかを知ろうと心がけた。唇から花々をこぼす女性や、翼のサンダルを履き蛇の杖を持つ男性といったように神話の登場人物は、本人を示す明確な記号と共に描かれるものだ。登場人物を特定できないのは、それを知るための知識が足りないためだと考えた。すべての人物を特定する情報は絵の中に描き込まれているはずだ。

また、彼の作品は、神話的なものでも宗教的なものでも、はっきりとした題材を持っているものが多い。この絵に関しては『祭暦 fasti』の5月の記述である可能性が高い。そのことは既に様々なところで指摘されている。ただ、その引用はクロリスからフローラへの変身を納得させるためだけに利用されている。これをもっとよく読めば、ラテン語の原文は無理でも、英語訳や、日本語訳を読みさえすれば、重大なヒントがはっきり書いてあるというのに。


中央の女性を皆がヴィーナスであることと判断してきた記号は、おそらく、彼女の侍女である三美神がすぐそばにいることや、頭上にキューピッドがいることだろう。しかし、キューピッドはそれこそ神出鬼没のいたずら者で、必ずヴィーナスと共にいるとは言い切れない。三美神もそう。ヴィーナスの身の回りの世話をするのが仕事の彼女たちだけれど、楽しいことがあると、どこからともなく現れる習性を持っている。現に、『祭暦』のフローラの庭園にも現れていた。そういうわけで、彼らがそばにいるからといって、可能性は指摘できても、中央の女性がヴィーナスであるとは断定できない。

中央の彼女自身の描写はどうだろう。ヴィーナスらしい描写は何か無いだろうか。彼女の履いている靴はとても特徴的だ。彼女の着ているものはどうだろう。彼女の姿勢はどうだろう。そうやってみると、左端のメルクリウスとの類似性が見えてくる。まったく同じ色ではないが赤い布を身につけている。それだけでも十分注意をひいている。二人とも左手を掲げ、右手で服を押さえている。言葉で言うと同じだけれど、実際絵を見てその仕草がそっくりとは言えないだろう。でも何か意味ありげな似せ方だ。そこで、『祭暦』に書かれている5月は女神マイアから名付けられたという俗説と、彼女がこのメルクリウスの母であるという事実を知ると、この気づかれないように、こっそりと似せた意味が見えてくる。


メルクリウスは、ギリシア神話ではヘルメスといい、プレアデス姉妹の一人マイアと主神ゼウスとの子である。ゼウスには結婚の女神ヘラという嫉妬深さで有名な本妻がいる。彼女に知られてしまうと、愛人もその子供もただではすまない。『祭暦』では糸杉の茂れるキュレネの峰でメルクリウスを産んだとしか書かれていないが、以前の記事で『ヴィーナスの誕生』で関係があるのではないかと引用した『ホメーロス風讃歌』に含まれる『ヘルメス讃歌』には、詳しく彼女のことが書かれている。マイアは洞窟に住むとされる。ヘラが眠っている間に、気づかれぬようマイアは洞窟でゼウスと愛し合い、そしてメルクリウスを産んだ。さらに、この『ヘルメス讃歌』では、マイアは美しい靴を履いている(καλλιπέδιλον,neat-shod)とも描写されている。彼女は巻き毛であるとも形容される。メルクリウスの方ははっきりと立派な巻き毛が描写されているけれど、中央の女性は髪を布で覆っているので、よく分からない。隙間からのぞく髪は巻き毛のように見えないでもない。

そのギリシャ神話の背景を知って、この絵の中央に居る女性の背後を眺めてみよう。木の幹と枝でできた丸いアーチが、何かに見えてこないか。そう、洞窟だ。彼女の背後にあるのは、洞窟の中から外を眺めたときの外の光に見えないだろうか。ここが洞窟というわけではない、これは、彼女が誰であるかを示すための「洞窟」という記号である。この事実は、誰もそう簡単には気づくことができない。なぜなら、ヘラに気づかれてはいけないのだから。


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2009年02月06日

『プリマヴェーラ』を知るためのサイト

『プリマヴェーラ』を理解するためにとても役に立つサイトを書いておきます。
検索すれば、すぐに出てくるものばかりですが、目を通しておいた方がいいと思われるものを選びました。
もちろん、他にも役に立つサイトはいろいろありますので、検索して見つけてください。

ボッティチェリの春 = プリマヴェーラの謎
プリマヴェーラの謎に挑んでいるサイトです。ブログではプシュケーを中心に謎解きを進行中です。謎解きのための資料がいくつも集められています。一般的な解釈が書かれているページでは、その他の説も表にまとめてあって、その中で、花柄の服を着ている女性がホーラだとする説も紹介してました。

プリマヴェーラ 〜春〜 によせて
このサイトは、とても読みやすく、ボッティチェリの生涯をメディチ家などとの関係を中心にまとめています。プラトン・アカデミーとの関係はとても分かりやすかったです。

サンドロ・ボッティチェリ-主要作品の解説と画像・壁紙-
サルヴァスタイル美術館の、ボッティチェリのページ。彼の作品についての詳しい解説が載っています。もちろん作品の画像も見ることができます。解説しているサイトは、引用先が同じだったりで似てしまうのですが、ここにしか書いていない解説もあったりして役に立ちましました。


さて、継続して僕がやってる解釈の方ですが、イタリア語にぶつかってしまって、ちょっと足踏みしてしまっています。核心部分はもう書いてしまったので、一般的な解釈の根拠を再確認し、どうして主流の解釈が間違ったものになってしまったのかを指摘しつつ、まとめようと思っています。ただ、それがイタリア語で書かれているので、ちょっと苦しんでいます。苦労して訳してみたら、一般的な解釈に僕自身も納得してしまうなんてこともあるかもしれませんが。まあ、たぶん大丈夫でしょう。



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2009年02月09日

ヴァールブルクの本を読んでいる

いままでは主にネット上で簡単に手にはいる資料をもとに、自分自身の分析によっていろいろと解釈してきた。けれど、すでに先人たちがいろいろな分析をしているのに、それを知らずに考えを進めていくのは、単に、僕自身の推理をしたいという気持ちを満足させるだけでしかないことに気がついた。この推理はこれはこれで面白いものだったが、再発見を楽しむのはこれまでにしよう。

結局、僕の得ていた情報も、先人たちの研究が巡りめぐって断片化していた物に過ぎない。それを組み立てて元に戻して楽しんでいるだけだ。先入観がなかったせいで、僕はちょっと違うものを組み立ててしまったみたいだけど。


アビ・ヴァールブルクの研究を知らずに、この問題を語ってはいけない。今はとても反省している。ただこの本『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』の存在にたどり着くのはそう簡単ではなかった。この本に、これほど詳しい研究が載っているということは、本を開いてみるまで分からなかった。

頑張って翻訳していたイタリア語の文章も、この本でちゃんと日本語に翻訳されて引用されている。徒労感よりも感激の方が強い。いくつかの疑問はこれを手にしてすっきりした。ただ、これを読んでいても中央の人物についての自分の着想が間違っているとは思えない。





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2009年02月11日

『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を読んだ

アビ・ヴァールブルク (Aby Warburg)の書いたボッティチェッリの作品についての論文読み終えた。

以下メモ

アビ・ヴァールブルクは1866-1923のドイツの美術史家。Wikipedia

『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》−イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』
原書は、Sandro Botticellis "Geburt der Venus" und "Fruhling" (1893)、と Sandro Botticelli (1898)。

今回読んだ日本語版は、ありな書房からヴァールブルク著作集として出版されている七冊シリーズの第一巻。2003年出版。第一巻の厚みは200ページちょっとだけれど、内容はとても詰まっている。

序言にこの論文の目的が書かれているが、短く言うと、二つの絵を当時の詩などと関連づけることにより、この頃の芸術家が古代の作品の付帯物(衣服や髪)の描写に関心を持っていたことを明らかにしていく論考。

サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》
 第1章 《ウェヌスの誕生》
 付録 失われた《パラス》
 第2章 《春》
 第3章 絵画の外的原因 − ボッティチェッリとレオナルド
 四つのテーゼ
 ボッティチェッリの《パラス》について
サンドロ・ボッティチェッリ

第1章と第2章のそれぞれの冒頭では、1550年に出版されたヴァザーリの『ルネサンス画人伝』でヴィーナスの描かれた二つの作品についての文章が引用され、考察が始まっていく。登場人物が誰かというような謎解きが主目的ではないが、当時の文学作品の付帯物の記述に注意しながら影響を眺めていく。その過程で、根拠とある文章の引用を丁寧に示しながら、論理的に誰が描かれているかが紹介されていく。原注、補注には引用元や本文に入りきれない細かな情報が詰まっている。解題には、この日本語版の出版を含む世界的なヴァールブルクの著作の再評価の動き、ヴァールブルクの生涯、この本の要約、そしてこの著作以後の二つの作品に対する主だった説の紹介がある。

この論考で指摘されているボッティチェッリの二つの作品における他の作品の影響(主なもの):
  • ポリツィアーノの詩『馬上槍試合のためのスタンツェ』には、『ホメロース讃歌』「アフロディテ讃」に着想を得ていると考えられるウェヌス誕生の描写がある。ポリツィアーノの詩を分析すると、オウィディウスの『変身物語』と『祭暦』からも着想を得ているのがわかる。
  • ルクレティウスの『物の本質について』における春の到来の記述は、ボッティチェッリの作品およびポリツィアーノの詩『ルスティクス』に影響を見ることができる。
  • ゼピュロスとフローラの関係は『祭暦』に記述されているが、さらに『プリマヴェーラ』におけるこの二人の動的な描写は、『変身物語』のアポロンからのダプネの逃亡の記述に対応している。またも、ポリツィアーノの詩にこの記述の影響を見ることができる。
  • 1436年のアルベルティの『絵画論』で、セネカの引用として記述されている三美神の記述は『プリマヴェーラ』の三美神にとても似ている。このセネカの『恩恵論』には、古代の作品を指して三美神のそばにメルクリウスが立っているという記述もある。

そしてヴァールブルグが、この論考の中でとっている、それぞれの作品での神々について解釈は次のようになっている。関心があるものだけを箇条書きにすると、
『プリマヴェーラ』
  • ウェヌス、三美神(p48)、メルクリウス(p51,71)、アモル、ゼピュロスの人物特定は現在の一般的な解釈通り。
  • ゼピュロスに捕まれているのはフローラ(p48)。この描写はオウディウスの『祭暦』、『変身物語』の影響(p59)。
  • 花柄の服を着ているのは四季の女神ホーラたちの一人の春の女神(p48)。花の「帯」をしているのは、本来持つべき「籠cesto」の異訳のため(p138)。
  • 手をつないでいたり、透明で、帯のない服装の、三美神の姿は、セネカによる描写の影響(p48)。
  • この絵はポリツィアーノなどが描いている「ウェヌスの治国」が舞台になっている(p73)。
  • メルクリウスは、雲を払い除けている(p79)。

『ウェヌスの誕生』
  • この作品は、『ホメーロス讃歌』「アフロディテ讃」を踏まえたポリツィアーノの『馬上槍試合のためのスタンツェ』の一場面を元に描いている(p10)。
  • 右の岸で待ち受けているのは、季節女神ホーラたちの一人の春の女神(p32)。
  • 画面左にいるのは、二人のゼピュロス(p18)。

解題に書かれているヴァールブルク以後の主な研究:
(なお著者名、著作物名は、解題の記述のまま。和名だけど和訳本が出版されているということを示すものではない。)
  • チャールズ・デンプシー『愛の肖像−ボッティチェッリの《春》とロレンツォ・イル・マニーフィコの時代における人文主義的文化』1992、『〈春としてのメルクリウス〉−ボッティチェッリの《春》の典拠』1968
  • ホルスト・ブレーデカンプ『サンドロ・ボッティチェッリの《春》』1988
  • ミレッラ・レヴィー・ダンコナー『ボッティチェッリの《春》』1983,『』1992
  • ゴンブリッチ『ボッティチェッリの神話画−画家のサークルの新プラトン主義的象徴表現』1945
  • ピエール・フランカステル『一五世紀の神話的祝祭−文学表現と造形的視覚化』1952、『一五世紀の詩的・社会的神話−《春》』1957
  • エルヴィン・パノフスキー『西洋芸術におけるルネサンスとリナスンシズ』1960=和訳『ルネサンスの春』思索社刊
  • フェルオーロ「ボッティチェッリの神話学、フィチーノの『愛について』、ポリツィアーノの『馬上槍試合のためのスタンツェ』−彼らの愛のサークル」1955
  • リアナ・シェニーの『ボッティチェッリの神話画における一五世紀の新プラトン主義とメディチ家の人文主義』1985
  • ジョアン・スノー=スミス『サンドロ・ボッティチェッリ−新プラトン主義的解釈』1993
ミレッラ・レヴィー・ダンコナーの1992年の本がはっきりと解題中に書いてなかったが、おそらく『Due Quadri Del Botticelli Eseguiti Per Nascite in Casa Medici』のこと。

また、"On the Original Location of the Primavera," The Art Bulletin, 57 (1975), pp.31-40 などの報告によりヴァザーリによって記述されている二つの絵が飾られていた場所には、最初から置かれていたわけではなく、注文した人物が別々であることが分かってきた。『プリマヴェーラ』は、1482年のロレンツォ・ディ・ピエルフランツェスコの婚礼のさいに、彼の邸宅に置かれるために描かれたとされる。

基礎を学ぶことができた。
ヴァールブルクの論考を踏まえて、自分の考えを続けていこう。




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2009年02月12日

春の女神「プリマヴェーラ」

『プリマヴェーラ』のことを調べていて、ずっと疑問に思っていたのが、花柄の服を着た女神を春の女神「プリマヴェーラ」とする説だった。

このブログでの考察でも『ヴィーナスの誕生』からの類推と、『祭暦』の記述から、彼女が季節女神ホーラたちの一人だと分かったが、それでも季節女神ホーラは三人組で、それも季節を担当するようにはなっていなかったはずだから、春の女神は季節女神ではあり得ないはずだ。そして、何故「プリマヴェーラ」というイタリア語で呼ぶのも分からなかった。ローマ神話の女神ならば、本来のラテン語の名前があってそれで呼ばれるはずだろうに。

ヴァールブルクの本を読むと、季節女神としての春の女神だとはっきり書いてあった。それでまたいろいろ調べてみた。英語Wikipedia の ホーラの記事をよく読み直してみると、ホーラを四神とする流儀もあるのがわかった。

Wikipediaの記事には出典は分からないが四人の女神を描いた挿絵もある。春の女神はちゃんと籠を持っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Horen_Meyers.jpg


本文中の四人のホーラの出典は、古代ギリシアの詩人ノンノス『ディオニュソス譚』で、ギリシア語で書かれたその詩の中では、それぞれ古典ギリシア語の季節の名前で呼ばれているらしい。記事で紹介されているギリシア語のローマ字表示、Eiar(春)、Theros(夏)、Phthinoporon( 秋)、Cheimon(冬)で検索すると次のページを見つけた。

HORAE : Greek goddesses of the seasons & natural order ; mythology ; pictures : HORAI

このページには、この記述が Dionysiaca 第38巻の268行にあるとしている。ページの下方に英訳の引用が示されている:
Nonnus, Dionysiaca 38. 268 ff :
"When I [Helios the sun] reach the Ram, the centre of the universe, the navel-star of Olympos, I [Helios] in my exaltation let the Spring (Eiar) increase; and crossing the herald of the West-Wind (Zephyros), the turning-line which balances night equal with day, I guide the dewy course of that Season (Hora Eiar) when the swallow comes. Passing into the lower house, opposite the Ram, I cast the light equal day on the two hooves; and again I make day balanced equally with dark on my homeward course when I bring in the leafshaking course of the autumn Season (Hora Phthinoporon), and drive with lesser light to the lower turning-point in the leafshedding month. Then I bring Winter (Kheimon) for mankind with its rains, over the back of fish-tailed Aigokereos (Capricorn), that earth may bring forth her gifts full of life for the farmers, when she receives the bridal showers and the creative dew. I deck out also corn-tending Summer (Theros) the messenger of harvest, flogging the wheatbearing earth with hotter beams."
確かに、上記のローマ字ギリシア語の単語を順不同だけど見つけることができる。英語だとただ季節の名前を書いているようにも見えるが、ちゃんと擬人化されている。

ギリシア語の文書をスキャンしたPDFファイルが次のアドレスにあるが、
Nonnos - Dionysiacorum Libri XLVIII (CSHB) [0390-0429] Full Text at Documenta Catholica Omnia
それを開いて該当箇所(p.315-316)を見ると、たしかに、ειαρ、θέροσ、φθινόπωρον、χειμών の変化形を見つけていくことができる。単語の出現を見る限り、上の英訳とちゃんと対応している。

そういうわけで、季節女神ホーラを、四人の四季の女神とする流儀があることがわかる。これは古代ギリシア本来の分け方ではないので、基本は三人でいいのだと思う。土着の神々と融合していった結果なのだろうけれど、よく分からない。


ボッティチェッリが、三人のうちの一人として描いたのか、四人のうちの春を担当する一人としたのかは、分からない。でも『祭暦』の記述を見ても複数のホーラ全員が春の出で立ちをしているようにみえるので、単に一人に省略しただけのように思える。しかしヴァールブルクは四人のうちの春担当の一人と考えたように思われる。彼が根拠にした引用を見ることができないのでよくわからないが、季節女神の春と考える人たちは、ホーラたちを四人だという前提で提案しているのだろう。

ヴァールブルクの影響を受けた人か、ヴァールブルクに影響を与えた人か分からないが、この考えをイタリア語で書いた人がいたのだろう。これはイタリア語の論文を調べないといけないので、僕には簡単にはできないが、とにかく、この人の説を他の言語に翻訳するときに迷ったのだろう。ホーラたちの一員の春の女神だと考えた人は、春(Primavera)と書くだけで季節女神だとわかるので、わざわざホーラたちの一人とは書いてなかったのだろう。しかし一般的には季節女神は三人で季節を担当するようにはなっていないので、春の女神の所属が分からなくなって、いつのまにか季節女神ホーラたちの一人とする説と分離して、ただの春の女神となったのだろう。でも対応するローマ神話の名前を提示できないので、そのまま春の女神「プリマヴェーラ」としか呼ぶことができないのではないだろうか。

花柄の服の女神を、ホーラたちの一人とする説と、春の女神とする説は基本的に同じことを言っているのだと思う。ただ、ボッティチェッリがホーラを四人と考えていたという根拠がなければ、ホーラたちの中の春担当の単独の女神の存在は言うことができないし、「アフロディーテ讃歌」や『祭暦』で記述されているように、ホーラたちは集団でも春の属性を持つ神々であるのだから、春と特定せずに、ホーラたちの一人と呼んだ方が適切であるように思う。


追記 2011/03/30
これを書いて2年になりますが、もっとわかりやすいところに四神のホーラたちの記述がありました。オウィディウスの『変身物語』です。ヴァールブルクの本にもちゃんと書いてあったのですが、見落としていました。
「『変身物語』の影響」の後半に書きました。




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2009年02月14日

『プリマヴェーラ』のメルクリウス

『プリマヴェーラ』で、よく分からないのが左端のメルクリウスの存在と、彼の頭上の霞のようなもの。二匹の龍の飾りのついた杖で彼は頭上の霞に穴を開けのぞき込んでいる。じっとしているようなので、雲を払っているというよりは、のぞき込むことが目的のように思える。以前メルクリウスが出てくるのは、彼が五月の神であるからという指摘をしたけれど、ヴァールブルクの論説を読んで、いろいろ面白いことに気がついた。

ヴァールブルクは三美神の描写を説明するために、セネカの『恩恵論 De Beneficiis 』を踏まえたアルベルティの『絵画論』の文章を引用したが、さらにセネカの『恩恵論』には、三美神の記述の直後にメルクリウスの名前が一カ所だけ出てくる
(引用元:『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』p.51)
それゆえ、メルクリウスが(三美神の)側に立っているのは、理性や言論が恩恵を勧めるからではなく、画家がそのように見たからである。
この一文は、ヴァールブルクが指摘するように、まさしくボッティチェッリをその気にさせたのではないだろうか。セネカが千五百年ほど前に書いた、何かの作品を描写した言葉に従って、ボッティチェッリがメルクリウスをこの位置に登場させたと考えるととても面白い。「ホメーロス諸神讃歌」のヘルメス讃歌を読んでずっと該当する描写はないかと探したりもしたけれど、今はセネカのこの一文こそ、すべてを説明できる答えではないかと思える。

ただ問題は、ボッティチェッリが『恩恵論』そのものの記述を知ることができたかという一番重要なことだ。アルベルティの『絵画論』は読んだかもしれないけれど、アルベルティの三美神の描写がセネカを踏まえていることを知って、ボッティチェッリ自らも内容を知ることができたのだろうか。

それにしても、メルクリウスと三美神がこれほど接近して記述されている古典はこれ以外にあるのだろうか。『絵画論』にはメルクリウスの記述はないのだから、ボッティチェッリがメルクリウスを描いたことこそが、ボッティチェッリがセネカの『恩恵論』を知っていたことの証明だと言いたいけれど、これだけでは断言はできないだろう。

ただ、ボッティチェッリがこれを読んでいたと仮定すると、いろいろ面白いことが見えてくる。先の三美神やメルクリウスの記述は『恩恵について』第一巻第三章にあるのだけど、その最後はこのようにまとめられている。
(引用元は、岩波書店のセネカ哲学全集第二巻)
名前の告知役は、記憶の欠陥を大胆な嘘で埋め合わせ、正しい名前を告げられないときは、いつも適当にでっち上げる。それと同様に、詩人たちもまた、真実を語ることが主題にかなうとは考えないで、必要に迫られてか、美しさに惑わされてか、詩行にうまくあてはまる名前をめいめいに女神に強いて与える。そうして詩人たちが新たな名前を名簿に記入しても罪にはならない。なぜなら、次の詩人が自製の名前を女神たちに押しつけるからだ。それが実状であることを分かってもらうために、タリーアを見てほしい。彼女は今とくに問題にしている女神だが、ヘーシオドスではカリスであり、ホメーロスではムーサなのである。
名前の告知役というのは、注釈を見ると、挨拶に来た訪問客の名を主人に告げたり、官職の選挙に立候補した主人に付き添い、出会った市民の名前を教える係、とある。またタリーアというのは、ヘーシオドスにおける三美神の一人のこと。

とても意味深な文章だ。後世の人が『プリマヴェーラ』という作品の登場人物を考えることを、まるで予見しているような文章に思える。再度指摘すると、セネカのこの言葉は、僕たちにとっては2000年前、ボッティチェッリにとっては1500年前に書かれている。セネカの言葉に従って、メルクリウスをここに立たせようと思ったボッティチェッリは、さらに自分の描いた絵にも、周りの人が名前を間違えるような罠を仕掛けて、セネカの文章を実現しようと企んだのかもしれない。そう思うと、さらに面白くなってくる。


セネカの言葉は、古代の作品に対する言及なので、古代の作品にメルクリウスの三美神が一緒に出ているものが残っているかもしれない。そう思って、探してみると、『パリスの審判』という作品があった。ただ、これにはヘルメス(メルクリウス)と三人の美女が出てくるが、これはいわゆる三美神(グラティアたち、もしくはカリスたち)ではなく、女神ヘラ、アフロディーテ、アテナとなる。『パリスの審判』はギリシャ神話の有名な話で、パリスの前で三人の女神で一番美しいのは誰かを競う話。よく芸術作品の題材にもなっている。『パリスの審判』は先のヴァールブルクの本の解題で、他の説として紹介されていたものだ。先日のまとめ記事には書かなかったが、『黄金の驢馬』における「パリスの審判」の劇のことをゴンブリッチが指摘している。ただ、ゴンブリッチの説はウェヌスはウェヌスであり、彼女の周りをグラティエたちとホーラたちが花を撒きながら登場する様子を描写しているとするもの。

セネカは、この物語を描いた作品における三人の女神を三美神と勘違いしたのかもしれない。もしくは作品の中には既に三人の女神を三美神と混同していたものがあったのかもしれない。ボッティチェッリは、セネカのメルクリウスの記述とは別に、こちらから直接三人の女神とメルクリウスを持ってきたのかもしれない。またボッティチェッリ自身が、三美神と三人の女神を混同していたのかもしれない。いろんなことが考えられる。

この話は知っていたつもりだったが、作品の中にヘルメス(メルクリウス)が出ていることに初めて気がついた。様々な作品で、ちゃんと翼の帽子、翼の靴、二匹の蛇の杖という目印をもった人物が出てくる。そしてそこには矢をつがえたエロス(クピド)までいる。さらに、このときパリスの得た褒美が、雲でできたヘレネという話までついている。「パリスの審判」のエピソードそのまま『プリマヴェーラ』に描いたのではないだろう。それだとパリスが不在になってしまうからだ。ただ古代ギリシアから続くこの三人の女神というモチーフはどこかで、このグラティアたちの三美神と関係を持っているのかもしれない。それで、ボッティチェッリはあえて、『パリスの審判』のモチーフからいろいろ借りてきたのかもしれない。このエピソードを知っていると、メルクリウスの行為は、その雲がヘレネではないか、つついて確認しているように見えてくる。

ここでセネカによる女神の名前の文章を思い出すと、ボッティチェッリがわざと混乱するような記号を描き込んだようにも思えてくる。どんどん深みにはまっていくぞ。


『パリスの審判』についての資料:
Judgement of Paris - Wikipedia, the free encyclopedia
英語Wikipedia の パリスの審判の記事。ルーベンス(1653)、ルーカス・カルナック(1528)の作品が見られる。

Stories in Art
上記Wikipedia記事で紹介されている、エピソードで絵画検索ができるサイト。「Search by Story」のメニューで「The Judgment of Paris」を選ぶと、このテーマの絵画のリストが表示される。

JUDGEMENT OF PARIS : Greek mythology
上記Wikipedia記事で紹介されている、「パリスの審判」についてのTheoi Project のページ。この話の解説と、これが書かれている古典の箇所が示されている。紀元前のアッティカ赤像式の陶器や、二世紀のローマの床モザイクの画像もある。


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2009年02月16日

天上のヴィーナス、世俗のヴィーナス

基本的なことの整理。ボッティチェッリの有名な二つの作品は、一方を「天上のヴィーナス」、もう一方を「地上のヴィーナス、または世俗のヴィーナス」が描かれているとされる。

このようにヴィーナスを二つに別ける考えは、プラトンに由来する。ボッティチェッリもメディチ家が開いていたプラトン・アカデミーに出入りして、新プラトン主義の影響を受けていると言われ、この二つの作品はその思想を体現したものだとされる。

この考えは、プラトンのどの著作から来ているのかを調べると、『饗宴 Συμπόσιον 』の中の言葉だとわかる。ペルセウスプロジェクトからその箇所の冒頭(古典ギリシア語原文は、引用元ページの Greek リンクをクリックすれば見られる)を引用すると、
(引用元:Plato, Parmenides, Philebus, Symposium, Phaedrus
We are all aware that there is no Aphrodite or Love-passion without a Love. True, if that goddess were one, then Love would be one: but since there are two of her, there must needs be two Loves also. Does anyone doubt that she is double? Surely there is the elder, of no mother born, but daughter of Heaven, whence we name her Heavenly; while the younger was the child of Zeus and Dione, and her we call Popular.
まさに天上のヴィーナス、世俗のヴィーナスとは何かが説明されるときにいつも語られる言葉そのものだ。ウラノス(天)の娘の方を天上のヴィーナス、ゼウスとディオネの娘の方を世俗のヴィーナスという。プラトン・アカデミーの中心人物マルシリオ・フィチーノは、プラトンの著作を翻訳した人だが、後世に大きな影響を与えた『饗宴』の注釈書も著している(未読)。ヴィーナスを描いたボッティチェッリが、この思想に触れていたのは、十分考えられることだ。”状況的”には問題ないだろう。最初から発注者に対になるように求められたものではないにしても、作者により一連の思想のもとに作られたという可能性まで否定する必要はないだろう。


それはそうと、一晩経って、パリスの審判の三人の女神と三美神の混同はないなと思った。雲のヘレネを出すぐらいなら、雲に化けた好色ユピテルのほうがよっぽどいいだろう。ただの思いつきならいくらでも説は作れる。メルクリウス(ヘルメス)が出てくる古典の一節とか、明確な根拠を示さないと意味がない。そしてそれは誰もが探し尽くして、それでも見つからないのだろう。


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2009年02月17日

『画家列伝』での『ウェヌスの誕生』と『プリマヴェーラ』

画家であり建築家のヴァザーリは、1550年にルネサンス期の芸術家の評伝『画家・彫刻家・建築家列伝』を出版した。この中にボッティチェッリの記述もあり、そこで『ウェヌスの誕生』と『プリマヴェーラ』と思われる二つの絵が紹介されている。

この二つの作品を紹介しているのは次の箇所:
(引用元:http://bepi1949.altervista.org/vasari/vasari83.htm
Per la citta in diverse case fece tondi di sua mano e femmine ignude assai, delle quali oggi ancora a Castello, luogo del Duca Cosimo di Fiorenza, sono due quadri figurati, l'uno Venere che nasce, e quelle aure e venti che la fanno venire in terra con gli amori, e cosi un'altra Venere che le Grazie la fioriscono, dinotando la Primavera; le quali da lui con grazia si veggono espresse
参考までに、英訳は次の場所。
VASARI'S LIFE OF SANDRO BOTTICELLI
(VENUSでページ内検索するとすぐに場所が分かる)

以下この文章について調べたこと、考えたこと。

ヴァザーリがこの二つの絵にウェヌスが描かれていると書いているのは、当時の人々がそう思っていたからだろうし、ヴァザーリがそれを追認したということだろう。絵が描かれて70年近く経って、何を描いた絵なのかの情報が失われることがあり得るだろうか。ただ、上記のヴァザーリの文章を読むと、後述するが明確さに欠けるところがある。この本は、数多くの画家や建築家の資料をまとめたものなので、ボッティチェッリもその他の大勢の人々の一人なのだから、細かなところまで行き届かなかったということだろうか、もしくは、70年後ではこの情報が精一杯で、絵を解説する言葉がこれ以上明確に伝わっていなかったのだろうか。

『画家列伝』の該当部分を訳してみるとこのようになる。

「彼はその町(フィレンツェ)の様々な屋敷に出向き、円形画や裸婦を数多く描いた。その中の二つの人物画は今もまだフィレンツェの外にあるコジモ公の館に残っている。一つは誕生するウェヌスで、そよ風と風がアモルたちとともに女神を陸地に運んでいる。もう一つもウェヌスで、これは春を表しており、グラティエたちによって花々で飾られている。どちらの絵も優雅に描かれている。」

この文章の翻訳は他にもあるので興味がある人はどうぞ確認を。邦訳本である白水社刊『ルネサンス画人伝』には言葉をいろいろ補った分かりやすい翻訳がある。思索社刊『ルネサンスの春』や、先日紹介した『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》−イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』にも引用として別に訳出された文章が載っている。ただ理由は分からないが、既にある日本語訳はどれも、luogoをvilla(別荘)として訳している(と推測できる)。異本があるのだろうか。

この文章には勘違いがあるという指摘がある。パノフスキーの『ルネサンスの春』(1960)で、ウェヌスがアモルと共に描かれているのは、『ウェヌスの誕生』ではなく『プリマヴェーラ』について説明する言葉で、また『プリマヴェーラ』でグラティアたちによって花で飾られているのではなく、『ウェヌスの誕生』でゼピュロスたちに花で飾られているとされるべきものだと指摘されている。また、英語Wikipediaでは(日本語記事はその翻訳)、出典が明らかではないが、この『ウェヌスの誕生』の説明は、失われた別な作品についてではないかという研究があるようだ。

イタリア語の文章を訳してみて、すぐに気づくのが、現在私たちが呼んでいるような明確なタイトルで呼ばれていないことだ。白水社の日本語翻訳では、分かりやすく現在のタイトルに置き換えてしまっているので分からなかったが、現在の『ウェヌスの誕生』は”誕生するウェヌス”が描かれた絵、現在の『プリマヴェーラ』は”春を表している”絵というように説明がしてあるだけだった。当時は絵の呼び名とはこういうものだったのだろうか。発注者を示す目録があるそうだが、それには何と書いてあったのだろうか。

『ウェヌスの誕生』についての説明では、二人のアモルが一緒だと書いてあるが、もちろんこれはクピドのことだけれど、これがゼピュロスともう一人、寄り添った翼の生えた女性のことを指しているのだろうか。今ではクピドというと、たいてい一人で子供の姿で描かれるものと思われるが、複数の兄弟とともに描かれることもあれば、大人の姿で描かれてることもある。その点では、なんとか辻褄は合う。風の描写があるが、風だけでいいのに、そよ風も一緒だということを書いているのは、ポリツィアーノの詩などの知識がないと書けないのではないだろうか。絵では詩を反映し、西風が岸に運び、そよ風が髪をなびかせているのだけど、絵の描写を見ただけで、翼のある女性の口から出ている優しいそよ風の存在を知り、それをそよ風と呼ぶことができるだろうか。『ホメーロス讃歌』ではそよ風のことは書かれていなかったから、やはり、ヴァザーリがポリツィアーノかそれに類する作品を知っているか、彼に絵の内容を教えた人がそよ風の存在を理解していたと考えないと、この説明は書けないだろう。そもそも絵を見ると、風もそよ風も擬人化されていると考えた方が理解しやすい。でも、それだと二人のアモルと存在がだぶってしまう。今、絵を見れば、二人の翼の生えた神がいるし、その神々がそよ風と風を口から吹いている、文を構成しているものはそれほど違ってはいないのだけど、文となってしまうと、まるで別なものを説明しているようにみえる。

『プリマヴェーラ』についての説明。この文章が、この絵が『プリマヴェーラ』と呼ばれるようになったとされるものだ。dinotando は dinotare の ジェルンディオ形。辞書で dinotare を引くと、denotare を引けと出てくる。denotare の意味は、現す、示す、物語る。ジェルンディオ形なのでおそらくここで英語の分詞構文のように従属節を作って、この絵の描写を一言で説明している。それにしても、グラティアたちがウェヌスを花で飾っているという記述も、絵の内容とずれている。実際、グラティアたちは描かれているし、この絵は様々な花で飾られているのだが、文としては、絵とずれた変な意味になってしまう。


Wikipedia で書かれているように『ヴィーナスの誕生』の説明は失われた別な作品を描写しているというのもあり得る話だが、これは記憶を元にして書いたから、もしくは自分は現物を見てなくて、伝聞だけで書いたからとか、そう考えた方がいいように思う。絵を構成しているものはなんとか辻褄が合うので、記録の組み立て方を間違えたと考えるほうが、失われた作品を想定するより現実的だと思う。両者とも違っているのだから両者とも失われた別なものという可能性も考えなくてはいけなくなる。現代ではコピーを常に手元に見ながら確認できるので、間違いをすぐに指摘できるが、昔はそうはいかないだろう。この本をどのくらいの時間をかけて、どのような取材をして書いたのか、他の画家の記事ではこのような不正確な記載はあるだろうか。そういうところまで調べないと、何も言えないだろう。でも、そこまでは調べない。


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2009年02月18日

三美神とメルクリウス

三美神とメルクリウスを結びつける記述を探していたが、先述の『ルネサンスの春』の原注に書いてあった。

ストア派哲学者コルヌトゥス(Lucius Annaeus Cornutus)が残した『Theologiae Graecae compendium』(直訳するとギリシア神学大要)というギリシアの神々ついての神学の書に、記述があった。以前出てきたセネカやクリュシッポスもストア派の哲学者で、コルヌトゥスはセネカとは同時代の人。
引用元:思索社刊「ルネサンスの春」旧版 p.295
ヘルメスが三美神の指導者に任じられているのは、人がその価値ある人へ、そして実に価値ある人にだけ、勝手にではなくそれにふさわしい親切をつくさなければならないことを示すためである。
確認のために、原文を探してみた。
引用元:Internet Archive: Details: Cornuti Theologiae graecae compendium
Ηγεμόνα δε παραδιδόασιν αυτων τον Ερμην, εμφαίνοντες ότι ευλογίστως χαρίζεσθαι δει χαι μη ειχη, αλλα τοις αξίοις: ο γαρ αχαριστηθεις οχνηρότερος γίνεται προς το ευεργετειν.
このブログはユニコードで表記できないので、気息記号や鋭以外のアクセント記号などは表記していない。また、古典ギリシア語の文法は分からないので、単語の意味だけを辞書で調べて確認した。

ευεργετειν は動詞か名詞かもはっきり分からないが、上記の和訳では「親切をつくす」の部分に対応する。辞書には、これと同じ語幹を持つ言葉に、動詞 ευεργετέω がある。これは「benefit」と書いてある。つまり、「恩恵 Benefits」について語ったセネカと同じ文脈で読むことができるのではないだろうか。同じストア派に属するわけで当然といえば当然なのだけれど、僕は古典ギリシア語も分からないし、ストア派の哲学用語にも詳しくないので、これ以上は追求しない。もっと詳しく読み解こうとするならば、そういう用語も気を遣わないといけないのだろう。

この文書にどれだけの権威があったかどうかまでは分からないが、とにかく、後世まで名前の残る哲学者の、神話の神々の哲学的解釈を記した本に書かれてあれば、十分だ。メルクリウスと三美神が結びついているとする思想を確認できた。この価値観で描かれていたかなんてどうでもいい。この思想があることだけ分かればいい。


翻訳のことで、ちょっと気がついたこと。三美神の服装について『ルネサンスの春』の原注にも書かれていたが、これはセネカの三美神の服の描写との類似点がセネカそのものが若干影響したことを示すのではないかという内容だった。気になって確認してみると、日本語訳の中央公論美術出版刊『絵画論』では、「帯のついた非常に清潔な上衣」と訳されているが、一方ありな書房刊『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』では同じはずの文章が「帯を解いた、染みひとつない衣装」と訳されている。重要なところなのに意味が違っている。原文を確認しようと、ラテン語原文(De Pictura)を調べると、「soluta et perlucida veste」となっている。これは「ゆったりとして透明な服」と訳せるだろう。ついでに英訳(On Painting Book Three - Notebook)をみてみると、こちらは「their clothes girdled and very clean」と、意味が逆になっている。どちらが正しいのだろうか。やっぱりラテン語でいいだろうか。アルベルティの記述が「帯を締めている」のならば、絵は確実にセネカの影響だと言えるのだけど。


いろいろ調べたが、メルクリウスの霞への行為の意味は分からなかった。だからとりあえず見えたまま理解する。たなびいて見えるので、霞は自ら動いているようだ。この霞は入り込んできているのか、それとも出て行こうとしていこうのか。この絵には風の神ゼピュロスがいるので、風は右から左に吹いていることになるのではないだろうか。ゼピュロスは口を閉じているので、実際は風が吹いているわけではないが、風の神が反対側にいるというだけで、雲が従う風は右から左に吹いていると考えていいのではないだろうか。実際、霞の描写を見ていくと、メルクリウスの杖の左側の霞が透けて背景がちょっと見えている。それは霞が左に流れていることを示しているのではないだろうか。それを描写することで、どちらともとれてしまう霞の進んでいる向きを表しそうとしたのではないだろうか。メルクリウスは、春となりここから逃げ出している霞を不思議に思い見つめているだけかもしれない。彼はこの庭園の番人だという説もあるが、自分の後ろの方で、上空からの侵入者に女性が襲われているのに、それに無関心であるというのは、どうなんだろう。

あとは、この霞のことさえ分かればいいと思っていたけれど、どうしても見つけることができなかった。もう霞のことは考えないことにしよう。
この絵のことを考え始めて、もう一ヶ月になってしまった。正直、自分自身もういい加減、飽きてきている。後書いていない、ポリツィアーノの詩について書いて、全体のまとめを書いたら終わりにしよう。


追記 2011/03/30
霞の意味や、メルクリウスがここで何をしているのかについては、「プリマヴェーラ」の解釈に書きました。
また、結局この絵における三美神とメルクリウスの関係については、出典はないものと結論づけました。そして絵の中でのメルクリウスの役割についての解釈は、「三美神」の特定 で書きました。


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2009年02月19日

『馬上槍試合』の影響

ボッティチェッリの二つの作品は、アンジェロ・ポリツィアーノの詩『馬上槍試合』の影響がよく指摘される。
ポリツィアーノは、ボッティチェッリと同時代に人文主義者で、プラトン・アカデミーの一員。メディチ家の家庭教師をしたりしている。

通常『la giostra』(馬上槍試合)などと呼ばれるが、正式な名前は、『Stanze di messer Angelo Politiano cominciate per la giostra del magnifico Giuliano di Pietro de' Medici』(ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合のためのスタンツェ)。

この詩は、1475年に行われた、ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合トーナメントでの優勝を祝って書かれたものである。この行事で美の女神役を演じたのが、ジュリアーノの愛人だったとされるシモネッタ・ヴェスプッチで、この詩の中で二人の恋を描いているとされる。この詩は二部からなる。一部は125編ととても長いが、二部は1478年にジュリアーノが暗殺されたため、24編の短いものになってしまった。ボッティチェッリの絵にはこの実在の人物に似せたものがある。それは確かだと思うのだけど。

馬上槍試合のイタリア語、および英語対訳は次のページで見ることができる。
Angelo Poliziano - Stanze per la giostra

ポリツィアーノは、20歳の時にギリシア語で書かれた『イリアス』をラテン語に訳すといった卓越した語学力を持っている人なので、この詩はその能力を活かして古典からの様々な着想を得て作っている。詳しくは、先日紹介した『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を参照。

『プリマヴェーラ』の関連すると思われる部分を抜き出してみる。関連する部分はもっと多くあると思うが、主なものだけ。訳には挑戦したが、うまくいかなかった。内容が知りたい人は、上記対訳の英語で確認を。(あとから訳を書き足す予定)

目隠しをしたクピドが矢を射る場面:
XL(40)
Tosto Cupido entro a' begli occhi ascoso,
al nervo adatta del suo stral la cocca,
poi tira quel col braccio poderoso,
tal che raggiunge e l'una e l'altra cocca;
la man sinistra con l'oro focoso
la destra poppa colla corda tocca:
ne pria per l'aer ronzando esce 'l quadrello,
che Iulio drento al cor sentito ha quello.
この絵の舞台がヴィーナスの王国と呼ばれる根拠になっている部分:
LXVIII(68)
Ma fatta Amor la sua bella vendetta,
mossesi lieto pel negro aere a volo,
e ginne al regno di sua madre in fretta,
ov'e de' picciol suoi fratei lo stuolo:
al regno ov'ogni Grazia si diletta,
ove Bilta di fiori al crin fa brolo,
ove tutto lascivo, drieto a Flora,
Zefiro vola e la verde erba infiora.
春の女神プリマヴェーラが描写されている部分:
LXXII(72)
Ne mai le chiome del giardino eterno
tenera brina o fresca neve imbianca;
ivi non osa entrar ghiaccioto verno,
non vento o l'erbe o li arbuscelli stanca;
ivi non volgon gli anni il lor quaderno,
ma lieta Primavera mai non manca,
ch'e suoi crin biondi e crespi all'aura spiega,
e mille fiori in ghirlandetta lega.
以前、プリマヴェーラが何故イタリア語なのか分からないと書いたが、この詩の描写を根拠にしているからなのか。やっと分かった。この詩を根拠に、ボッティチェッリがホーラたちの一人を描いているのならば、彼女のことを、ホーラたちの一人と呼んでも、春の女神と呼んでも別にかまわなくなる。

この詩に影響を受けたことは十分考えられる。いや確実に影響を受けている。この詩には、メルクリウス以外、ゼピュロス、フローラ、プリマヴェーラ、アモル(クピド)、ヴィーナス、グラティアが登場する。特に、68節では、ヴィーナスの領地の説明として、まず、そこへ向かうアモル(クピド)の姿を描いて、その領地をグラティア、美の女神、フローラ、ゼピュロスがいるところとしている。この部分を見て誰もが、ここをヴィーナスの領地だと考えてしまう。

『プリマヴェーラ』の、この詩からの影響は明らかだろう。そして以前紹介した『祭暦』のこの絵に対する影響は、フローラの口からこぼれる花びらの具象化で明らかだし、その他の場面も描かれている。つまり、問題はどちらをベースにしているかだ。中央がヴィーナスであることを譲らないならば、ベースはこの詩『馬上槍試合』が描くヴィーナスの王国しかあり得ないが、そうでなければ、どちらもあり得る。


posted by takayan at 02:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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