現時点、今までの考察により導き出したものは、次の事柄である:
* この絵の題材はすべて『祭暦』から取られている。
* クロリスからフローラへの変身は描かれていない。
* 花柄の女性はホーラである。
* 中央の女性は、ヴィーナスではなくメルクリウスの母、豊穣の神マイアである。
クロリスからフローラへの変身を否定するだけでもかなり異端な解釈なのだけれど、中央の女性がヴィーナスではないというのは、もう異常な主張のようにさえ思えるだろう。自分自身そう思っている。でも、そう導けてしまうのだ。また本来、この絵を解釈するには、当時のメディチ家とボッティチェッリとの関係などを考慮に入れないといけないのだけれど、そういうものを意図的に排除しながら考えを進めている。かえって、それが見えているものを蔑ろにし、解釈をゆがめると思っているから。
まずは、絵から分かる情報だけを元に、何が描かれているかを知ろうと心がけた。唇から花々をこぼす女性や、翼のサンダルを履き蛇の杖を持つ男性といったように神話の登場人物は、本人を示す明確な記号と共に描かれるものだ。登場人物を特定できないのは、それを知るための知識が足りないためだと考えた。すべての人物を特定する情報は絵の中に描き込まれているはずだ。
また、彼の作品は、神話的なものでも宗教的なものでも、はっきりとした題材を持っているものが多い。この絵に関しては『祭暦 fasti』の5月の記述である可能性が高い。そのことは既に様々なところで指摘されている。ただ、その引用はクロリスからフローラへの変身を納得させるためだけに利用されている。これをもっとよく読めば、ラテン語の原文は無理でも、英語訳や、日本語訳を読みさえすれば、重大なヒントがはっきり書いてあるというのに。
中央の女性を皆がヴィーナスであることと判断してきた記号は、おそらく、彼女の侍女である三美神がすぐそばにいることや、頭上にキューピッドがいることだろう。しかし、キューピッドはそれこそ神出鬼没のいたずら者で、必ずヴィーナスと共にいるとは言い切れない。三美神もそう。ヴィーナスの身の回りの世話をするのが仕事の彼女たちだけれど、楽しいことがあると、どこからともなく現れる習性を持っている。現に、『祭暦』のフローラの庭園にも現れていた。そういうわけで、彼らがそばにいるからといって、可能性は指摘できても、中央の女性がヴィーナスであるとは断定できない。
中央の彼女自身の描写はどうだろう。ヴィーナスらしい描写は何か無いだろうか。彼女の履いている靴はとても特徴的だ。彼女の着ているものはどうだろう。彼女の姿勢はどうだろう。そうやってみると、左端のメルクリウスとの類似性が見えてくる。まったく同じ色ではないが赤い布を身につけている。それだけでも十分注意をひいている。二人とも左手を掲げ、右手で服を押さえている。言葉で言うと同じだけれど、実際絵を見てその仕草がそっくりとは言えないだろう。でも何か意味ありげな似せ方だ。そこで、『祭暦』に書かれている5月は女神マイアから名付けられたという俗説と、彼女がこのメルクリウスの母であるという事実を知ると、この気づかれないように、こっそりと似せた意味が見えてくる。
メルクリウスは、ギリシア神話ではヘルメスといい、プレアデス姉妹の一人マイアと主神ゼウスとの子である。ゼウスには結婚の女神ヘラという嫉妬深さで有名な本妻がいる。彼女に知られてしまうと、愛人もその子供もただではすまない。『祭暦』では糸杉の茂れるキュレネの峰でメルクリウスを産んだとしか書かれていないが、以前の記事で『ヴィーナスの誕生』で関係があるのではないかと引用した『ホメーロス風讃歌』に含まれる『ヘルメス讃歌』には、詳しく彼女のことが書かれている。マイアは洞窟に住むとされる。ヘラが眠っている間に、気づかれぬようマイアは洞窟でゼウスと愛し合い、そしてメルクリウスを産んだ。さらに、この『ヘルメス讃歌』では、マイアは美しい靴を履いている(καλλιπέδιλον,neat-shod)とも描写されている。彼女は巻き毛であるとも形容される。メルクリウスの方ははっきりと立派な巻き毛が描写されているけれど、中央の女性は髪を布で覆っているので、よく分からない。隙間からのぞく髪は巻き毛のように見えないでもない。
そのギリシャ神話の背景を知って、この絵の中央に居る女性の背後を眺めてみよう。木の幹と枝でできた丸いアーチが、何かに見えてこないか。そう、洞窟だ。彼女の背後にあるのは、洞窟の中から外を眺めたときの外の光に見えないだろうか。ここが洞窟というわけではない、これは、彼女が誰であるかを示すための「洞窟」という記号である。この事実は、誰もそう簡単には気づくことができない。なぜなら、ヘラに気づかれてはいけないのだから。