2009年02月19日

『ウェヌスの誕生』の元になっているもの

以前、『ウェヌスの誕生』は、『ホメーロス讃歌』の二番目の『アフロディーテ讃歌』を元に書かれていることを書いた(『アフロディーテ讃歌』と『ヴィーナスの誕生』)。そのとき、そこにはゼフィロスの隣にいる女性が誰かは描かれていないということ、泡の代わりに貝が描かれていると書いた。

今まで書いたように、そのあといろいろ本を読んで、『馬上槍試合』も『ウェヌスの誕生』に影響を与えていることも分かってきた。該当するのは、99節から101節の部分。

この原文を次に引用する。
引用元:Angelo Poliziano - Stanze per la giostra
XCIX
Nel tempestoso Egeo in grembo a Teti
si vede il frusto genitale accolto,
sotto diverso volger di pianeti
errar per l'onde in bianca schiuma avolto;
e drento nata in atti vaghi e lieti
una donzella non con uman volto,
da zefiri lascivi spinta a proda,
gir sovra un nicchio, e par che 'l cel ne goda.

C
Vera la schiuma e vero il mar diresti,
e vero il nicchio e ver soffiar di venti;
la dea negli occhi folgorar vedresti,
e 'l cel riderli a torno e gli elementi;
l'Ore premer l'arena in bianche vesti,
l'aura incresparle e crin distesi e lenti;
non una, non diversa esser lor faccia,
come par ch'a sorelle ben confaccia.

CI
Giurar potresti che dell'onde uscissi
la dea premendo colla destra il crino,
coll'altra il dolce pome ricoprissi;
e, stampata dal pie sacro e divino,
d'erbe e di fior l'arena si vestissi;
poi, con sembiante lieto e peregrino,
dalle tre ninfe in grembo fussi accolta,
e di stellato vestimento involta.
ヴァールブルクによると、この部分は先の『アフロディーテ讃歌』を元にして、より細かく美しい描写をくわえられたものであり、そしてこの『馬上槍試合』の一節を元に『ウェヌスの誕生』は描かれたとされる。


また、『ウェヌスの誕生』の元になったのは、二世紀の風刺作家ルキアノスが描写したアフロディーテの姿だと言われている。この絵の参考として、ポンペイの壁画にあるアフロディーテがよく紹介される。

ルキアノスの著作のこの部分を探してみると、アフロディーテが貝に乗っている場面を見つけた。西風ゼピュロスと、南風ノトスが、何か会話をしている。その中の一文。
引用元:Works of Lucian, Vol. I: Dialogues of the Sea-gods: XV
crowning all, a Triton pair bore Aphrodite, reclined on a shell, heaping the bride with all flowers that blow.
原文はおそらくこのページに書かれていること。次のページが現代ギリシア語による解説と翻訳。
http://www.krassanakis.gr/europe.htm

該当箇所は抜き出すと:
Το αποκορύφωμα ήταν πως δυο Τρίτωνες μετέφεραν την Αφροδίτη ξαπλωμένη σε κοχύλι να ραίνει τη νύφη με κάθε λογής άνθη.
読めなくても、上記引用元に掲載されている画像を見るとよく分かる。たしかに、これはエウロペと白い牡牛に化けたゼウスの物語の一場面だ。アフロディーテが主役の場面かと思ったら、そうではなかった。白い牡牛のゼウスが、エウロペを背に乗せてクレタに向かう場面を描いている。挿絵には、神々の姿は描かれていないけれど。会話をしている風の兄弟たちも一行に加わっている。

英語の方を訳してみると、「皆は歓声を上げる。二人のトリトンが貝の上で寝そべっているアフロディテを運んできた。風に舞ったすべての花で花嫁を埋め尽くす。」という感じになる。

追記(2009年02月21日):
引用部分が現代ギリシア語ならば翻訳できる。オンライン翻訳も使えるし、古典ギリシア語と間違えて買った現代ギリシア語辞書もある。
「クライマックスは二人のトリトンが貝の中で寝そべるアフロディテを運んで来たことだった。女神は花嫁に様々な花をまき散らした。」
花をまき散らす動詞が三人称単数なので、主語がアフロディーテだとはっきりした。それにしても、英訳とはいろいろ違う。古典ギリシア語の原文を見つけられなかったが、英訳文よりも現代希語が近いはずだろう。追記終わり

ギリシア語が分かればいいんだけど、きっと花嫁を花で埋め尽くしているのはアフロディテ。花嫁というのは、ゼウスの化けた牛に乗っているエウロペのことだろう。ルキアノスの著作で他にもアフロディテを記述した部分はあるのだけれど、『ウェヌスの誕生』の場面に関連ありそうなのはここしか見つけられなかった。

ポンペイの壁画のように横になっている。風ではなくトリトンが運んでいるというのが、誕生らしくない。ただ、風に吹かれる花を描写しているところが、絵と関連がありそうだ。海の上のウェヌスの描写で『アフロディーテ讃歌』にも、『馬上槍試合』のこんな描写は無かった。これが『ウェヌスの誕生』で花が舞っている表現につながるのだろうか。

ボッティチェッリの絵ではあの舞っている花の描写はよく分からなかった。ゼピュロスのとなりをフローラとするならば、花が舞うのは分かると思ってはみたが、この花はフローラと関係なく花嫁を祝福する花が、そのまま描写されていることになるのだろうか。あの花がフローラと関係のない描写ならば、ゼピュロスの隣にいるのは、もう一人の風の神となるのだろう。女性であるのは間違いないから、女性名詞のアウラになる。アウラは、ポリツィアーノの詩でウェヌスの髪に吹くそよ風として出てくる。


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『馬上槍試合』の影響

ボッティチェッリの二つの作品は、アンジェロ・ポリツィアーノの詩『馬上槍試合』の影響がよく指摘される。
ポリツィアーノは、ボッティチェッリと同時代に人文主義者で、プラトン・アカデミーの一員。メディチ家の家庭教師をしたりしている。

通常『la giostra』(馬上槍試合)などと呼ばれるが、正式な名前は、『Stanze di messer Angelo Politiano cominciate per la giostra del magnifico Giuliano di Pietro de' Medici』(ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合のためのスタンツェ)。

この詩は、1475年に行われた、ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合トーナメントでの優勝を祝って書かれたものである。この行事で美の女神役を演じたのが、ジュリアーノの愛人だったとされるシモネッタ・ヴェスプッチで、この詩の中で二人の恋を描いているとされる。この詩は二部からなる。一部は125編ととても長いが、二部は1478年にジュリアーノが暗殺されたため、24編の短いものになってしまった。ボッティチェッリの絵にはこの実在の人物に似せたものがある。それは確かだと思うのだけど。

馬上槍試合のイタリア語、および英語対訳は次のページで見ることができる。
Angelo Poliziano - Stanze per la giostra

ポリツィアーノは、20歳の時にギリシア語で書かれた『イリアス』をラテン語に訳すといった卓越した語学力を持っている人なので、この詩はその能力を活かして古典からの様々な着想を得て作っている。詳しくは、先日紹介した『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を参照。

『プリマヴェーラ』の関連すると思われる部分を抜き出してみる。関連する部分はもっと多くあると思うが、主なものだけ。訳には挑戦したが、うまくいかなかった。内容が知りたい人は、上記対訳の英語で確認を。(あとから訳を書き足す予定)

目隠しをしたクピドが矢を射る場面:
XL(40)
Tosto Cupido entro a' begli occhi ascoso,
al nervo adatta del suo stral la cocca,
poi tira quel col braccio poderoso,
tal che raggiunge e l'una e l'altra cocca;
la man sinistra con l'oro focoso
la destra poppa colla corda tocca:
ne pria per l'aer ronzando esce 'l quadrello,
che Iulio drento al cor sentito ha quello.
この絵の舞台がヴィーナスの王国と呼ばれる根拠になっている部分:
LXVIII(68)
Ma fatta Amor la sua bella vendetta,
mossesi lieto pel negro aere a volo,
e ginne al regno di sua madre in fretta,
ov'e de' picciol suoi fratei lo stuolo:
al regno ov'ogni Grazia si diletta,
ove Bilta di fiori al crin fa brolo,
ove tutto lascivo, drieto a Flora,
Zefiro vola e la verde erba infiora.
春の女神プリマヴェーラが描写されている部分:
LXXII(72)
Ne mai le chiome del giardino eterno
tenera brina o fresca neve imbianca;
ivi non osa entrar ghiaccioto verno,
non vento o l'erbe o li arbuscelli stanca;
ivi non volgon gli anni il lor quaderno,
ma lieta Primavera mai non manca,
ch'e suoi crin biondi e crespi all'aura spiega,
e mille fiori in ghirlandetta lega.
以前、プリマヴェーラが何故イタリア語なのか分からないと書いたが、この詩の描写を根拠にしているからなのか。やっと分かった。この詩を根拠に、ボッティチェッリがホーラたちの一人を描いているのならば、彼女のことを、ホーラたちの一人と呼んでも、春の女神と呼んでも別にかまわなくなる。

この詩に影響を受けたことは十分考えられる。いや確実に影響を受けている。この詩には、メルクリウス以外、ゼピュロス、フローラ、プリマヴェーラ、アモル(クピド)、ヴィーナス、グラティアが登場する。特に、68節では、ヴィーナスの領地の説明として、まず、そこへ向かうアモル(クピド)の姿を描いて、その領地をグラティア、美の女神、フローラ、ゼピュロスがいるところとしている。この部分を見て誰もが、ここをヴィーナスの領地だと考えてしまう。

『プリマヴェーラ』の、この詩からの影響は明らかだろう。そして以前紹介した『祭暦』のこの絵に対する影響は、フローラの口からこぼれる花びらの具象化で明らかだし、その他の場面も描かれている。つまり、問題はどちらをベースにしているかだ。中央がヴィーナスであることを譲らないならば、ベースはこの詩『馬上槍試合』が描くヴィーナスの王国しかあり得ないが、そうでなければ、どちらもあり得る。


posted by takayan at 02:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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