結論から言うと、現在分かっている情報からは、ヴィーナスが卵から生まれるという考えが先にあったかどうかは分からない。他の物語との関連性は言えるのだけど、どうしても卵の部分は単独で成立しているように思える。知らないアタルガティスの伝説があるかもしれないが、それを見つけることはできなかった。
話を進める前に、用語の整理。まず僕はこのブログでは最初のうちはヴィーナスという言葉でこの女神に関することやそれにまつわる絵のことも書いていたけれど、途中から気がついてローマ神話を扱うときはウェヌス、ギリシア神話を扱うときはアフロディテ、そして一般的な概念を扱うときはヴィーナスと呼ぶように変えてきた。自分でも完全には守っていないけれど。ボッティチェッリの作品は基本的にローマ神話の神々の話なので、ウェヌスと呼ぶようにしている。
前回、いくつか似た文章があるとリンクだけを貼り付けていたが、改めて整理すると、ヒュギーヌスが書いたとされる『神話集』のウェヌスの記述。同じくヒュギーヌスが書いたとされる『天文詩』の「うお座」の項目。オウィディウスの『祭暦』の2月16日の終わりの方の一節。そしてクテシアスが残した『ペルシア誌』の女王セミラミスの誕生についての部分。これらを訳しながら、比べてみる。
ではまず、ヒュギーヌス(Gaius Iulius Hyginus)が書いたとされる二つの文章。ただしこれは偽作の可能性が指摘されている。詳しくはWikipediaを参照。
それぞれを和訳する。以前も書いたが、こういう訳は詳しい注釈とともに読むべきものであるから、ただ概要をつかむためのものに過ぎない。意訳はしないようにしている。関係文は複文に。できるだけ逐語訳を心がけた。主語は意味が通じなくなるときだけ補った。
前回も掲載した『神話集』のウェヌスの記述
引用元:http://www.thelatinlibrary.com/hyginus.html
VENUS訳すと、
In Euphratem flumen de caelo ovum mira magnitudine cecidisse dicitur, quod pisces ad ripam evolverunt, super quod columbae consederunt et excalfactum exclusisse Venerem, quae postea dea Syria est appellata; ea iustitia et probitate cum ceteros exsuperasset, ab Iove optione data pisces in astrorum numerum relati sunt, et ob id Syri pisces et columbas ex deorum numero habentes non edunt
天からユーフラテス川に驚くべき大きさの卵が落ちてきたと言われている。魚たちはその卵を岸に運び上げた。鳩たちはその卵を抱いた。温めることがウェヌスを卵から孵(かえ)した。彼女はのちにシリアの女神と呼ばれた。女神は他の誰よりも正義と高潔さに優れていた。ユピテルの与えた選択により魚たちは星々の中に運ばれた。シリアの人たちは魚と鳩を神々と考えているので食べることはない。
1482年に出版された『天文詩』の「うお座」の記述
引用元:http://www.thelatinlibrary.com/hyginus.html
XXX. PISCES. Diognetus Erythraeus ait quodam tempore Venerem cum Cupidine filio in Syriam ad flumen Euphraten venisse. Eodem loco repente Typhona, de quo supra diximus, apparuisse; Venerem autem cum filio in flumen se proiecisse et ibi figuram piscium forma mutasse; quo facto, periculo esse liberatos. Itaque postea Syros, qui in his locis sunt proximi, destitisse pisces edere, quod vereantur eos capere, ne simili causa aut deorum praesidia impugnare videantur, aut eos ipsos captare. Eratosthenes autem ex eo pisce natos hos dicit, de quo posterius dicemus.訳すと、
うお座。ディオゲネトゥス・エリスラエウス(Diognetus Erythraeus)は、ウェヌスが息子クピドとともにシリアのユーフラテス川に来たときのことを語っている。同じ場所に前述のティフォンが現れたが、ウェヌスと息子は川へ飛び込み、そこで魚の形に姿を変えた。結果として、危機から逃れた。そのため、この近くに住んでいるシリア人たちは後に、魚を食べることを禁じた。それが神々の保護に反抗するようにみられたり、神々そのものを捕まえたりすることと同じことをしないように、捕まえることを恐れたからだ。しかしエラトステネスはこれを彼が[みなみのうお座の項目で]後述する魚の子供たちだと言っている。
調べてみたが、ディオゲネトゥス・エリスラエウス(Diognetus Erythraeus)が何者か分からなかった。エラトステネス(Eratosthenes)は紀元前3世紀の人で、数学のアルゴリズムを考えたとされる人と同一人物。彼の書いたとされる『カタステリスモイ』が伝わっている。
『天文詩』の英語訳からの訳出されたものはこちらで公開されている。
http://www.kotenmon.com/hyginus/fishes.htm
また、エラトステネスの記述の日本語訳は次で公開されている。
http://www.kotenmon.com/era/fishes.htm
次は、オウィディウスの『祭暦』2月15日の記述。祭暦では星空の動きの描写はいろんなところで見られる。
引用先:http://www.thelatinlibrary.com/ovid/ovid.fasti2.shtml
iam levis obliqua subsedit Aquarius urna:訳してみると、
proximus aetherios excipe, Piscis, equos.
te memorant fratremque tuum (nam iuncta micatis
signa) duos tergo sustinuisse deos.
terribilem quondam fugiens Typhona Dione,
tum, cum pro caelo Iuppiter arma tulit,
venit ad Euphraten comitata Cupidine parvo,
inque Palaestinae margine sedit aquae.
populus et cannae riparum summa tenebant,
spemque dabant salices hos quoque posse tegi.
dum latet, insonuit vento nemus: illa timore
pallet, et hostiles credit adesse manus,
utque sinu tenuit natum, 'succurrite, nymphae,
et dis auxilium ferte duobus' ait.
nec mora, prosiluit. pisces subiere gemelli:
pro quo nunc, cernis, sidera nomen habent.
inde nefas ducunt genus hoc imponere mensis
nec violant timidi piscibus ora Syri.
今やアクエリアスの水瓶は斜めにゆっくりと沈んでしまった:
ピスキスよ、次はお前たちが天の馬たちを迎えよ。
お前とお前の兄弟が(一緒にきらめく印になって)
二人の神々を後ろで支えていたと言われている。
かつて女神は恐ろしいティフォンから逃げてきた、
ユピテルが天において武器をとったとき。
彼女はユーフラテスに小さなクピドと一緒に来て、
女神はパレスチナの川辺に身を屈めていた。
ポプラと葦が土手の上を占めていて、
隠してくれる柳は希望を与えていた。
彼女が潜んでいると、森が風で大きな音を立て、彼女は恐怖に青ざめる。
敵の手が近づいてきたようだ。
彼女は胸に息子を抱えて、
”ニンフたちよ、助けよ!
二人の神を助けよ!”と彼女は叫ぶ。
すぐさま彼女は飛び込んだ。
双子のピスキスは彼らをかくまった:
今では、選ばれて、星々がその名前をとどめている。
そのため、この種族を食事に置くことを罪だと考えているので、
シリア人たちは恐れ、魚を口にすることを禁じている。
(2009.3.11 修正)
そして、クテシアス『ペルシア誌』の文章。クテシアスは紀元前5世紀のペルシアの大王の侍医をしたギリシア人。以下の文章は、そのクテシアスの文章などをそのまま使って作られたとされるディオドロスによる『神代地誌』の英訳の該当部分。ギリシア語は見つけられなかった。クテシアスの書いていることは信憑性が低いと既に古代から言われているが、神話に信憑性もなにもないので紀元前5世紀頃からこの文章の内容がギリシアに伝わっていたという事実だけで十分だと思う。この物語は、アッシリアの伝説の女王セミラミスの誕生に関して述べたもの。
引用元:http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/2A*.html
Now there is in Syria a city known as Ascalon, and not far from it a large and deep lake, full of fish. On its shore is a precinct of a famous goddess whom the Syrians call Derceto; and this goddess has the head of a woman but all the rest of her body is that of a fish, the reason being something like this.この内容を訳すとこんな感じになる:
The story as given by the most learned of the inhabitants of the region is as follows:
Aphrodite, being offended with this goddess, inspired in her a violent passion for a certain handsome youth among her votaries; and Derceto gave herself to the Syrian and bore a daughter, but then, filled with shame of her sinful deed, she killed the youth and exposed the child in a rocky desert region, while as for herself, from shame and grief she threw herself into the lake and was changed as to the form of her body into a fish; and it is for this reason that the Syrians to this day abstain from this animal and honour their fish as gods.
But about the region where the babe was exposed a great multitude of doves had their nests, and by them the child was nurtured in an astounding and miraculous manner; for some of the doves kept the body of the babe warm on all sides by covering it with their wings, while others, when they observed that the cowherds and other keepers were absent from the nearby steadings, brought milk therefrom in their beaks and fed the babe by putting it drop by drop between its lips.
And when the child was a year old and in need of more solid nourishment, the doves, pecking off bits from the cheeses, supplied it with sufficient nourishment. Now when the keepers returned and saw that the cheeses had been nibbled about the edges, they were astonished at the strange happening; they accordingly kept a look-out, and on discovering the cause found the infant, which was of surpassing beauty.
At once, then, bringing it to their steadings they turned it over to the keeper of the royal herds, whose name was Simmas; and Simmas, being childless, gave every care to the rearing of the girl, as his own daughter, and called her Semiramis, a name slightly altered from the word which, in the language of the Syrians, means "doves," birds which since that time all the inhabitants of Syria have continued to honour as goddesses.
シリアには現在アシュカロンとして知られる都市があり、それほど遠くないところに大きくて深い湖があって、そこは魚で満ちている。その岸にはシリア人にデクテートと呼ばれている女神で有名な地区がある:この女神は女性の頭であるが、彼女の体の残りは魚である。その理由はこのようになる。
この地域に住んでいる人々の中で博学な人々によって得られた物語は次の通り:
この女神に腹を立てたアフロディテは、彼女に彼女の信者の中の美しい若者に対する激しい感情を抱かせた;デルケトはこのシリア人に自らの体を与え、娘を生んだが、その後自らの罪深い行いに対しての恥ずかしさから、彼女は若者を殺し、子供を岩ばかりの荒野に置き去りにした。彼女自身は恥と苦しみから湖に身を投げ彼女の体の形は魚に変わってしまった;このためシリア人は今でもこの動物を食べることを慎み、神として魚たちに敬意を払っている。
赤ん坊が捨てられた場所の近くには数多くの鳩が巣を作っていてその子供は鳩たちによって驚くべき方法で育てられた;何匹かの鳩で赤ん坊の周囲を翼で覆って温めたり、近くの牧場で牛飼いや番人がいないのを見計らうと、そこから嘴に含んでミルクを運んできて、彼女の唇の間にしずくを落として与えた。
子供が一歳になって、もっと固い食べ物が必要になると、鳩たちはチーズをつついて、十分な食べ物を与えた。番人は戻って来たときにチーズの端っこが囓られているのを見つけて、奇妙な出来事にびっくりした;そのため、彼らは監視を続け、とうとう原因を発見し、並々ならぬ美しさをもつ子供を見つけた。
そして、子供を牧場に運んでくると、シムマスという名の、王の家畜の番人に彼女を渡した。シムマスには子供がいなかったので、彼女を自分の娘として、その少女の養育のすべての面倒をみた。彼は彼女をセミラミスと呼んだ。その名前はシリア人の言葉で鳩を意味する単語を少し変えたものだ。それ以来シリアに住む人たちはその鳥を女神として敬意を払っている。
この訳はクテーシアス断片集(2/7) を参考にした。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/historiai/Ktesias2.html
翻訳作業は以上。どれもギリシア側に残っている文章だけなので、アッシリア側の資料はないか探してみた。でも見つけることができなかった。
さて、時系列で考えると、紀元前5世紀のクテシアスの『ペルシア誌』があって、それを紀元前1世紀に写したディオドロス『歴史叢書』があって、紀元前後のオウィディウス『祭暦』があって、そしてやはり同じ紀元前後のヒュギーヌスの書いたとされる『神話集』と『天文詩』となる。仮にヒュギーヌス本人が書いたのならば『祭暦』よりも先に書かれた可能性も出てくるが、印象としては『祭暦』からの影響の方が強いように思える。詳しい研究書を読んだわけではないのでよく分からない。
ここに『神話集』の邦訳ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』についての記事が書いてあるが、充実した脚注があるらしいので、是非とも読んでみたい。
http://yuhinomado.jugem.jp/?eid=418
クテシアスのものと、オウィディウスのものを比べると、いくつかの類似点が見つかる。これは専門的な分析をすべきものだろうが、その分析法も知らないので、思いつきで比較してみる。『ペルシア誌』『祭暦』『神話集』『天文詩』における記述をそのタイトルだけで指し示す。「(の記述)」が省略されているとする。
この順序で次の要素を確認すると:
鳩の存在 |○×○×
鳩への畏敬 |○×○×
クピドの存在 |×○×○
座り込む姿 |×○○×
温める姿 |○×○×
ユーフラテス川 |○○○○
魚の存在 |○○○○
魚への畏敬 |○○○○
うお座の存在 |×○○○
魚への変身 |○×○×
魚の協力 |×○○×
水への落下 |○○○○
主神の存在 |×○○×
ティフォンの存在|×○×○
逃避の描写 |×○×○
誕生の描写 |○×○×
このことから想像できるのは、クテシアスの『ペルシア誌』(の記述)があって、それを元に魚座とアフロディテとアモルの物語に変化させたものを伝えたディオゲネトゥス・エリスラエウスなる人物がいて、それにより『祭暦』や『天文詩』が成立したと考えることができる。内容から『天文詩』の魚座の記述は『祭暦』だけを元にしたとも考えられる。その逆はあり得ない。
『ペルシア誌』と他の三つの物語を考えるに、クテシアスが書いたものは、アフロディテ、デルケト(アタルガティス)、セミラミス、三人の女性が出てくる物語だが、これが紀元前後までに、一人の人物にまとめられヴィーナス(アフロディテ)の物語に置き換わってしまったと考えるのが妥当だろう。
ディオゲネトゥス・エリスラエウスが書いたとされる物語は、『天文詩』の内容に近いわけであるから、『祭暦』とも似たものとなる。しかしそうであるが故に『神話集』を説明できない。『神話集』は短い文章で何かを簡略化した物語であるのだろうが、上記の表より『祭暦』などから導かれたと考えるには、あまりにも『ペルシア誌』との関連性が大きい。かといって、『ペルシア誌』単独を簡略化したのかというと、魚座についての言及があるため、何か他の物語の関与を考えなくてはいけない。でも、この魚座の部分は動物たちの神聖さを正当化する大切な部分であるから、他の物語からとってつけたものではないだろう。デクテート(アタルガティス)とセミラミスがこの物語から切り離されたときには、同時にうお座による権威付けが必要になるだろう。
卵から生まれるウェヌスのイメージはとても面白いものだったけれど、これについてさかのぼって考えることはできなかった。ここに挙げた資料から判断すれば、『ペルシア誌』の中の記述が変化してできあがったと考えるべきだろう。魚と鳩という卵生の動物と、女王の誕生の記述などから、女神自身も卵で生まれることを想像することはたやすいだろう。
ただ、今回取り上げた文献の上ではそうとしか言えないが、アフロディーテが、アタルガティスなどのアッシリアの女神が変化したものであるという考えは確かにあり得ると思う。今回、ついでにルキアノスが書いたとされる『シリアの女神について』という文章を読んだが、女神を祀った神殿での男根切断の儀式など、ギリシア神話を連想してしまうようなこともあって、探せばいろいろ出てくるのだと思う。でも、こんな短時間でネットで探せる資料だけで分析できるものでもないだろうから、この研究はここまでにする。
ところで、残念なことに、ディスカバリーチャンネルの「アシュケロンの謎」(Skeletons of Roman Ashkelon)という番組を見逃してしまった。放送が終わってしまってから気がついた。
引用元:http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=414085&eid2=000000
【HV制作】イスラエルの古代都市アシュケロンで、ローマ大衆浴場の下水溝から新生児100人の骸骨が発見された。 2千年前の謎の殺人事件を追う。 考古学者達は、売春行為と幼児殺人という仮説を立てる。司法科学者は、DNA鑑定などの現代の犯罪捜査技術を用い、話は意外な方向へ展開する。それはローマ人の生活に劇的な光を当てた。奴隷制、売春、幼児殺し等、ローマ文化の暗い闇を紹介する。これはルキアノスの『シリアの女神について』で描いている文化があったことを単に実証しただけのもののように思えるが、実際番組はどうだったんだろう。見てもいないが、神聖売春があったり、子供を生贄にしていたそんな時代もあったんだとたんたんと受け入れればいいのに、暗い闇だとか現在の道徳で語ろうとするのはナンセンスだと思う。