高階秀爾氏の書かれた「ルネッサンスの光と闇〜芸術と精神の風土〜」(1971年,1987年)にはとても詳しいボッティチェリの《春》(プリマヴェーラ)の考察があります。これは日本における「プリマヴェーラ」のスタンダードな解釈だと考えていいでしょう。《春》関連は全415ページ中1割ぐらいあります。昔の本で古本でしか入手しずらい本ですが、とても読み応えのあるルネッサンス美術の一般向けの解説書です。この頃の芸術に興味のある方は入手されて是非読んでみてください。
ここで結論づけられている登場人物は、右から、ゼフェロス、クロリス、フローラ、ヴィーナス、キューピッド、三美神、マーキュリー。つまり、クロリス・フローラ変身説です。三美神、目隠しをしたキューピッド、右側の三人の物語に分け、様々な芸術作品や、研究者の諸説を引用しながら見事に解き明かしていきます。
特に右側の三人については、エドガー・ウィントの「ルネッサンスにおける異教伝説の謎」(Pagan Mysteries in the Renaissance)の解釈を元にの考察が進みます。右から三番目の花で飾られた女神がプリマヴェーラ(ホーラの一人)ではなく、フローラであることを示します。根拠を要約すると、「二番目の女性が口から落とした花が三番目の女性の柄へと変わっていくように描かれている。」、「三番目の女性の上に二番目の女性が描かれているのだけれど、そこで下が透けてみる部分がある。それは筆の誤りではなく意図的なものであって、それは同一人であることの暗示である。」、「右から二番目の女性を花の女神としてしまうには、あまりにも花に飾られていない。」などがあげられています。三番目の女性がプリマヴェーラでなければ、では誰がプリマヴェーラなのかといえば、この絵にはプリマヴェーラという女神はおらず、プリマヴェーラという言葉はこの絵全体を指し示しているからだとしています。
豊かな知識の上に構築されているこの本の考えはとても素晴らしいのですが、納得がいかないこともあります。二番目の女性がフローラであることの証明は彼女の口から花が出ているだけで十分ではないかと思います。花を口からこぼした瞬間にニンフから花の女神への変身は完了しています。これだけで春の始まりを告げる西風が吹き大地から花が現れ出す様子をきちんと表現できていると思います。彼女よりも隣のホーラの方が花に満ち満ちていて花の女神らしく見えますが、それは季節の女神の機能として十分に説明可能です。そもそも「祭暦」の引用を「『女神よ、あなたは花の女王だ』と言った・・・・」で止めずに、その先も引用すれば、着飾ったホーラも、三美神の姿も描かれているのに(「『祭暦』と『プリマヴェーラ』」を参照)。これは参考にされたEdgar Windの説にも言えることです。
なお、この文庫本のp.214で「物の本質について」を典拠とするJTシモンズの説をヴァールブルクが支持しているとありますが、以前僕がヴァールブルクの本を読んだときの印象では「物の本質について」の影響は指摘しつつも、次のp.215で指摘しているようにエドガー・ウィント氏が典拠としている「祭暦」の影響を、同じようにヴァールブルクも指摘しているので、ヴァールブルクの研究を「物の本質について」の影響だけでくくっているように読めてしまうのでちょっと違和感があります。(「『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を読んだ」を参照してください。)。