2011年03月05日

「ウェヌスの治国」について

《プリマヴェーラ》は「ウェヌスの治国」と呼ばれることがありますが、今回はこの由来についてです。この絵で描かれる場所が「ウェヌスの治国」だと言い出したのは、いったい誰か、そしていつからなのか。調べてみるとすぐに2つの事実が見つかるのですが、それと同時に限界にもぶつかりました。

アビ・ヴァールブルクは1893年出版の有名な論文『Sandro Botticellis 'Geburt der Venus' und 'Fruehling'. Eine Untersuchung ueber die Vorstellungen von der Antike in der italienischen Fruehrenaissance』の中で「das Reich der Venus」を《プリマヴェーラ》の核心部分として指摘しています。もう一方は、1893年頃に出版されたとされるHermann Ulmann の『Sandro Botticelli』という本です。この本の中でこの名前を使っています。書籍検索のスニペット表示の小さな窓の中に、目次に並ぶボッティチェリの作品の名前の一つとして《das Reich der Venus》が書かれています。ヴァールブルクは場面を特定しただけなので、これはこの名前が作品名として使われたネット上で確認できる最初の例になります。

この Hermann Ulmann の本をスニペットで覗くとはしがきの記述とみられるものの署名に1893年8月とあります。また間接的な情報の中には次のようなものもあります。ボストンで出版されていた月刊の美術誌「MASTERS IN ARTS」の1900年5月号が、ボッティチェリ号なのですが、その中に1900年当時の関連書籍、関連雑誌のリストが載っています。このリストでは、例のヴァールブルクの《ウェヌスの誕生》と《春》の論文は1893年出版、Hermann Ulmann の『Sandro Botticelli』は1894年となっています。つまり執筆が終わった翌年に出版されたという解釈ができます。出版されて10年以内の情報で確度は多少高いかもしれませんが、これだけではやっぱり確証はとれません。

またヴァールブルクのこの論文の原注には、ボッティチェリのパラスアテネについてのウルマンの本の名前が載っています。一方ウルマンの『Sandro Botticelli』のスニペット表示から見える注釈にもヴァールブルクの何かの本への参照があり、少なくとも書籍を通じてお互い影響し合っていたのが分かります。お互いに参照し合っているのに、ヴァールブルクのほうにウルマンの『Sandro Botticelli』についての記述がないのはヴァールブルクが先かほとんど同時にこの結論に辿り着いたと推測できますが、片方の中身を見ることができないのではっきりしません。

これでは話が進まないので、以下はこの推測を採用して、アビ・ヴァールブルクの論文が先か、もしくは独立して、この名称に至ったとします。

さて、日本語では、「ウェヌスの治国」や「ウェヌスの王国」、「ヴィーナスの領地」とか訳されますが、この言葉はヴァールブルクの使ったドイツ語だと「das Reich der Venus」、イタリア語では「il regno di Venere」となります。この言葉は1893年に出版されたヴァールブルクの論文において、《プリマヴェーラ》が何を描いているのかを示す結論近くで使われます。正確には、この部分とは関係ない《ウェヌスの誕生》の分析の途中にも一度だけ使われますが、《プリマヴェーラ》の核心を表す言葉になっています。

この「ウェヌスの治国」という言葉はポリツィアーノの詩『Stanze de messer Angelo Politiano cominciate per la giostra del magnifico Giuliano di Pietro de Medici』(ジョストラ)のウェヌスやその従者たちの描写がされている部分を指して使われています。その部分の最初の節である第68節だけを引用すると:

Vagheggia Cipri un dilettoso monte,
che del gran Nilo e sette corni vede
e 'l primo rosseggiar dell'orizonte,
ove poggiar non lice al mortal piede.
Nel giogo un verde colle alza la fronte,
sotto esso aprico un lieto pratel siede,
u' scherzando tra' fior lascive aurette
fan dolcemente tremolar l'erbette.

ポリツィアーノの詩の中には「il regno di Venere」そのものはありません。他の節でも同様です。ただウェヌスの息子であるアモルが一仕事終えて戻ってきた場所をこの第68節で「al regno di sua madre(彼の母の領地)」とあるので、簡単な推論で、その土地が「il regno di Venere」であることが分かります。この描写は第68節から第70節まで続きます。

書籍検索すると19世紀前半にはイタリアの詩の解説書にはポリツィアーノのこの詩のこの部分に対して「il regno di Venere」という言葉が使われています。正確にいうと冠詞が前置詞と結合していたりするので、このまま検索しても出てきません。それはどうであれ、この用語自体は既に1820年代からイタリアで使われていましたが、ヴァールブルグがこの言葉を使ったのは、ドイツ人のAdolf Gasparyの著作『Geschichte der italienischen Literatur(イタリア文学史)』(1888)の影響があると思われます。この本の名前はヴァールブルクの論文中の《ウェヌスの誕生》を解釈する部分で出てくるので、参考にしているのははっきりと分かっています。

ポリツィアーノの詩にあるウェヌスが上陸する描写がボッティチェリの絵として再現されているとガスパリが指摘している箇所は次の通りです。せっかく見つけたので引用しておきます。引用元

Das erste der Bilder ist die Geburt der Goettin, die Anadyomene, welche soeben den Wogen entstiegen, auf der Muschel stehend, im vollen Glanze ihrer srischen Schoenheit, von den Zephirwinden zum Ufer getrieben wird. Danach solgen die Liebschaften Jupiters, Apollo's, die des Bacchus und anderer Götter und Heroen. Wie es scheint, war der Dichter bestrebt, mit der Malerei zu wetteisern, welche er in seinem Zeitalter wiedererbluehen sah; die Venus Anadyomene auf der Muschel sah man in den Gemaelden der Renaissance wiedererscheinen, wie z. B. in einem solchen Sandro Botticelli's.

ヴァールブルクは、この記述があることを引用まではしませんが論文の《ウェヌスの誕生》の章で指摘しています。

この文章が書かれている同じページのほんの少し前の部分に「das Reich der Venus」という言葉が2カ所出てきます。最初のところだけ引用すると次の通りです。

Indessen kehrt Amore, da ihm sein Plan geglueckt ist, in das Reich seiner Mutter nach Cypern zurueck, um ihr Runde von dem Siege zu geben, und hier nun folgt die beruehmte lange Digression, das Reich der Venus, welches gleichfalls Claudian(De Nuptiis Honorii et Mariae, 49-96) nachgeahmt ist.

4行目に「das Reich der Venus」という言葉があることだけ分かればいいのですが、これはポリツィアーノの詩の第68節以降の概要と、その部分に影響を与えた作品の指摘です。

ここをちょっと掘り下げてみます。影響を与えている作品というのは4世紀のローマの詩人 Claudianus クラウディアヌスの『Epithalamium de Nuptiis Honorii Augusti』で、該当する箇所はその49行目から96行目です。言語はラテン語です。49行目からちょっと引用すると:

risit Amor placidaeque volat trans aequora matri
nuntius et totas iactantior explicat alas.
Mons latus Ionium Cypri praeruptus obumbrat,
invius humano gressu, Phariumque cubile
Proteos et septem despectat cornua Nili.

面倒なので全部は訳しませんが、Amor はアモル、matri は母へ、volat は飛ぶ、という言葉です。リンク先で読める英訳を見ると、たしかに元ネタの一つとなる内容になっていて、ポリツィアーノの描写がクラウディアヌスの簡略版に見えてしまいます。ヴァールブルクは注釈で、ガスパリがクラウディアヌスからのポリツィアーノへの影響を指摘していることにも触れています。なお、クラウディアヌスとポリツィアーノの関係性は、イタリア人の詩人Giosue Carducc ジョズエ・カルドゥッチ の『Le stanze, Le Orfeo e Le rime』(1864)において既に指摘されています。この本でも「nel regno di Venere」という言葉が出てきます。

結果的にここまで掘り下げなくてもよかったのですが、直接クラウディアヌスの描写をボッティチェリが参考にしていないか確認する必要があると思いました。目的から外れてしまいそうですが、先日のジョン・ミルトンもそうですが、神々の物語の描写の系譜は面白そうなテーマです。ちょっと調べると日本語で書かれた、このような論文も見つけました。『祝婚歌の伝統と革新 : スタティウスとクラウディアヌス』

さて、ポリツィアーノに戻りますが、ガスパリは、この場所をイタリアの解説者と同じように「ウェヌスの治国」と呼んだだけで、この描写とボッティチェリとの関連は述べていません。そこではなく、そのあとに描写される「ウェヌスの誕生」の場面をボッティチェリが再現していると指摘しているだけです。ガスパリの本が出て5年後ヴァールブルクはその指摘をさらに推し進めて、豊富な引用を使った論証の末、「ウェヌスの治国」の部分もボッティチェリが再現していると指摘しました。このようにして「ウェヌスの治国」と言う言葉がボッティチェリに結びつけられました。

将来、Ulmann の『Sandro Botticelli』の内容が分かったら、上記の内容を書き換えるかもしれません。



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2011年03月07日

『変身物語』の影響

以前、オウィディウスの『祭暦』からの影響を書きましたが、今度は《プリマヴェーラ》におけるオウィディウス『変身物語』の影響を確認しておきます。

この影響についてはヴァールブルクがとても詳しくポリツィアーノの作品との関係を説明しています。一行一行オウィディウスの句とポリツィアーノの句を並記しています。ここで改めて引用することはしませんが、ヴァールブルグの主張をまとめると次のようになります。

《プリマヴェーラ》の右側の二人、ゼピュロスとフローラ(ヴァールブルクの説)の描写は、『変身物語』のダプネの追跡の箇所の影響が見られるとヴァールブルクは指摘します。またこの『変身物語』のダプネの場面は『変身物語』第2巻の最後で描写されるエウロペが連れ去られる箇所と合わさって、ポリツィアーノの『ジョストラ』第105節で描写されるエウロペの誘拐に模倣されていることも細かく引用し指摘します。さらに『ジョストラ』第109節はまさに逃げ続けるダプネに対しアポロンがかける言葉が詩となっています。このようなオウィディウス→ポリツィアーノ→ボッティチェリの関連を示し、ボッティチェリにとってポリツィアーノが学識の助言者であったと主張しています。

 

自分で『変身物語』を実際読んでみると、この絵のアモルの描写に関して影響を与えていると思われるところがありました。

原文はペルセウス・プロジェクトの P. Ovidius Naso, Metamorphoses で確認しました。1892年のものです。

ダプネの話が書かれているところの冒頭には次のような描写があります。(岩波文庫 中村喜也訳、以下同様)

このアポロンの最初の恋人は、河神ペネイオスの娘ダプネだった。そして、この恋を呼び覚ましたのは、あの盲目の「偶然」ではなく、クピードの残忍な怒りだった。

ラテン語の原文は第1巻452行目から:

Primus amor Phoebi Daphne Peneia, quem non fors ignara dedit, sed saeva Cupidinis ira.

盲目の偶然とクピドという言葉が一つの文の中に見えたので、訳しかたを工夫したら絵の中の構図にならないかと思いましたが、このままではそうはならないようです。

次の部分はいいかもしれません。クピドの矢の描写です。

一つは、恋心を逃げ去らせ、もうひとつは、それをかきたてる。この、かきたてるほうの矢は、金で作られていて、鋭い鏃がきらめいている。恋を去らせるほうは、なまくらで、軸の内側に鉛がはいっている。この、あとのほうの矢で、愛神クピードは、ペネイオスの娘を射た。いっぽう、もうひとつの矢でアポロンを射ると、それは、神の骨を貫いて、髄にまで達した。

この原文は第1巻470行目から:

Quod facit, auratum est et cuspide fulget acuta; quod fugat, obtusum est et habet sub harundine plumbum. Hoc deus in nympha Peneide fixit, at illo laesit Apollineas traiecta per ossa medullas.

クピドの二種類の矢の説明があります。黄金で、鋭くきらめく鏃(やじり)というのは、絵の中の描写に近いでしょう。また、アポロンに当たった場所の描写は、《プリマヴェーラ》の中でクピドが真ん中の女性像の首の骨を狙っている理由になると思います。

話はそれてしまいますが、この部分の英語訳を見てみていて面白いことに気づきました。1567年の Golding の訳を見ると:

That causeth love, is all of golde with point full sharpe and bright, That chaseth love is blunt, whose stele with leaden head is dight. The God this fired in the Nymph Peneis for the nones: The tother perst Apollos heart and overraft his bones.

英詩にするために過剰な訳っぽいです。どこが面白いかというと、最後の行の、矢が命中した場所です。古い英語過ぎて意味が分からない単語もありますが、その意味は日本語訳や元のラテン語から推測していいでしょう。問題は heart です。ラテン語の medullas には kernel 核心とか中心部という意味もありますから、heart という訳も間違いではありません。でも heart と訳してしまったら、それは心臓にしかみえなくなってしまいます。ということは、この英訳が、「ハートに矢を射る」という現代の我々が知っているキューピッド像に繋がっているのかもしれません。この誤訳がです。

ハートに矢を射る姿の由来は別にあるかもしれませんし、仮にこれが本当の由来だとしても、とてもわかりやすいところにあるので、きっとこの指摘は既に誰かがやっていることでしょう。これを調べるのも面白いでしょう。

 

最後に、あと一つ『変身物語』で指摘しておかなければならない箇所があります。これはヴァールブルクも引用していますが、春の女神に関連するところです。

以前、ホーラたちは三人組が標準だけれど、四人組でそれぞれ季節を表す流儀もあると書いて古い文書を引用して示したことがありましたが(春の女神「プリマヴェーラ」)、『変身物語』にも四人組のホーラの記述がありました。これはヴァールブルクが例の論文に「春」の特徴の部分だけ引用していたのですが、見落としていました。以前引用したノンノスは4世紀から5世紀に活躍した人なので、オウィディウスのほうが古いです。

第2巻冒頭近く:

左右には、「日」と「月」と「年」と「世紀」、それに、等しい間隔を置いて並んだ「時」たちが控えている。さみどりの「春」は、花の冠をいただいて立ち、衣を脱ぎ捨てた「夏」は麦の穂の輪飾りを付けている。「秋」は踏み砕いた葡萄の色に染まり、寒冷の「冬」は、白髪を逆立てている。

原文は、第2巻25行目から:

A dextra laevaque Dies et Mensis et Annus Saeculaque et positae spatiis aequalibus Horae Verque novum stabat cinctum florente corona, stabat nuda Aestas et spicea serta gerebat, stabat et Autumnus, calcatis sordidus uvis, et glacialis Hiems, canos hirsuta capillos.

話はまたそれてしまいますが、これで思い出すのが、以前トランプのことを調べているときに出てきたハンガリーカードです。上記の描写そのものではありませんが、女性たちが花、麦の穂、葡萄、白髪と、この描写を連想する図柄とともに描かれています。彼女たちも伝統的な四季のホーラの表現につながる女性たちでした。



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2011年03月08日

ハートに矢

ボッティチェリの話からちょっと離れます。オウィディウスの『変身物語』の誤訳が、キューピッドのハートの矢の由来じゃないかと前回思ったわけですが、その続きです。

『変身物語』1巻472-3行にある、クピドが放った恋心を抱かせる金の矢がアポロンに命中した描写(画像は1579年の本のもの。Google Books):

illo laesit Apollineas traiecta per ossa medullas.

これが、Auther Golding による1567年の英訳詞で(画像)、

The tother perst Apollos heart and overraft his bones.

となっていました。medullas は髄と訳すのが本来だと思いますが、日本語の髄と同じで、物事のもっとも中心という意味でも使われます。それで heart と訳されてしまったのでしょう。でも複数形なので心臓を示す heart だと本当はちょっとおかしいです。

この訳が巡り巡って、人に恋をさせるクピドの矢がハートに射られる構図として広まったのではないか、というのが前回思ったことです。

 

このことを確認しようと、いろいろ調べてみたのですが、このハートに矢が射られる由来について、意外にみんな疑問に思わないのか、見つけられませんでした。

それでも、次の記事にたどり着きました。フランツ・リストです。
「巡礼の年第2年イタリア」から 「ペトラルカのソネット 第47番」
ピアニストの久元祐子さんの演奏曲の紹介ページです。

そして、ペトラルカ(1304-1374)。イタリアの学者であり、抒情詩人。時代はダンテに少し遅れた頃で、詩人ボッカッチョの友人。ラウラという名の女性への想いを綴った叙情詩集で有名な人。

下の詩の画像は、1532年の本のもの(Google Books)です。現在伝わっているものと綴りが違っている単語もありますが、この本だけではどちらに正統性があるか分かりません。

 

その7行目からの

E l’arco e le saette, ond’io fui punto;
E le piaghe, che’n fin al cor mi vanno.

の部分が、ハートに矢が刺さっている表現です。cor は cuore に通じるラテン語の単語で、cor mi は「私の心に」です。

厳密な検証をしたわけではないですが、これは前述のオウィディウスのダプネの物語に出てくるクピドの矢を踏まえている表現のように思います。実際にそうだとしても、標的の相違は、ペトラルカには誤解というより意図的な印象を受けます。そして、髄から心への変更は適切だったと思います。心の耐え難い苦しみも表せますし、人知を越えたクピドの力による抑えがたい想いも表せます。改めてよい表現だと感じます。

上記の英訳はもしかするとペトラルカの影響があったせいかもしれません。つまりその頃までに矢が心に刺さる表現が珍しくなくなっていて、先入観ができていたのかもしれません。しかしこの表現がどのように人々の間に広がっていったのかまでは調べていません。

表現そのものは14世紀までさかのぼれました。ペトラルカよりも古くて、影響力のある古典の作品が他にもあるかもしれませんが、この話題はここまでにします。

追記
これで終わりと思ったのですが、『変身物語』を読み進んでいくと、その先の第5巻にクピドが冥王の胸を射るところがありました。384行あたり。プロセルピナの略奪のところ。原文でも、まさに cor を射ています。そして、そのあと一目惚れをした描写もあります。ちゃんと読み終わってから書けばよかったと後悔しています。



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2011年03月11日

ハートに矢 続き

予定外の前回の続きです。クピドの矢が胸を射る場面は、『変身物語』の中にありました。第5巻の384行あたり、プロセルピナの略奪の話の中です。冥王プルートの胸に射られていました。

該当する行のラテン語を引用すると:

inque cor hamata percussit harundine Ditem.

意味は「そして、彼は反し付きの軸で神の心臓を射抜いた。」となります。プルートはこのあと、ウェヌスの計画通りに、プロセルピナに一目惚れをし、彼女をさらっていきま す。

せっかくなので、念のため、下のページで確認したら、これよりも古い年代の例見つけました。ギリシア神話の情報が集められているサイト「The Theoi Project」のエロス(クピド)のページでは、エロスの様々な古典での登場場面の引用を見ることができます。
http://www.theoi.com/Ouranios/Eros.html

このページによると、紀元前3世紀のApollonius Rhodius(ロードスのアポローニオス)が書いた『Argonautica (アルゴナウティカ)』第3巻で、エロス(クピド)が心臓に矢を射る記述があります。アポローニオスという名前のついた有名人は何人もいるので、彼は活動したロードスを付けて区別されています。アルゴナウティカの話は日本ではあまり知られていませんが、要約がWikipediaのページ「アルゴナウティカ」で紹介されています。

英訳は確かにハートを射てますが、原文もちゃんとそうなっているのかGoogle Booksで確認してみます。1546年に発行されたものの第三巻286行(Google Books)の該当部分は以下の通りです。

この記述は、Perseus Digital Library のギリシア語のアルゴナウティカの該当する行ともほぼ同じ内容です。
Apollonius Rhodius, Argonautica, book 3 lines 260-316

このブログはギリシア文字が使えないので、ラテン文字表記にすると、「belos d' enedaieto kourē nerthen hupo kradiē phlogi eikelon.」となります。形容詞 ikelon が女性形ではないので、belos を修飾すると考えてみます。そうすると、意味は「炎のような矢が乙女の心の奥深くに火を付けた。」となるでしょう。まさに、ここがメデイアのハートに矢が射られている場面です。

『アルゴナウティカ』は後世の人々に十分影響力のあった物語です。ペトラルカの書簡集の中を検索すると、この作品の名前も出ていました。もっと古い作品の中にもこの構図があるかもしれませんが、そこまで追求しなくても、僕自身が立てた予想を否定するには、紀元前3世紀にこの描写があった事実だけで十分です。

結論としては、『変身物語』の英語訳の誤訳が「ハートに矢」の構図の原因ではなく、逆に、こういう古代の物語や、それを踏まえた詩がそういう常識を作ってしまって、アポロンの体に命中した場所を修正させてしまったと考えたほうが自然だと思われます。



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2011年03月25日

大震災から2週間

今回の大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。また、様々な形で支援のために尽力されている方々に敬意を表します。

救援に駆けつけてくださったり、日本を励ましてくださっている世界の皆様に対しても、私は被災者ではありませんが一日本人として、心より感謝いたします。

少しでも復興のお役に立てるよう日本赤十字社に義援金を送りました。Android でアプリ購入用にアカウントを登録していたので、Googleの特設サイトから Google checkout を使ってみました。くれぐれも募金詐欺には気をつけましょう。

遠く九州に住んでいるので、九州新幹線全線開業のお祭り気分が、開業直前のワクワク感だけで消えてしまったことぐらいで、停電にもならないし、買い占めもないし、今回の震災からの直接的な影響はありませんでした。

それが、昨日玄海原子力発電所のプルサーマル原子炉が定期検査からの運転再開見送りとのニュースで、夏の停電の可能性という身近な問題になろうとしています。この際ですから念には念を入れて、どんな災害が起きても対応できることを確認してから運転を始めてください。

あまりの出来事に、しばらく書く気も起きませんでしたが、これから続きを書くことにします。政府の対応や原発事故についての苛立ちや不安もあるのですが、不正確なことを書いてもいけませんから、そういう話題は専門的に責任を持って分析できる方にお任せします。



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2011年03月26日

クピドの存在意義と三美神

《プリマヴェーラ》のことです。最後まで分からなかったことがあったのですが、これで解決できたと思います。

『祭暦』の5月の神々の記述が元になっているというのが僕が考えている解釈ですが、それだとそこにはクピドの記述がありません。またここには三美神がメルクリウスを意識しているような物語もありません。その部分がどうしても説明できませんでした。先日クピドのことをいろいろ調べ直したのですが、それでやっとその理由が分かりました。

三美神の周りの神々は三美神のそれぞれの役割の描写を助けている。これが結論です。今まで三美神がそれぞれ何を表しているかは考えてきませんでした。調べてみるといろんな説があるために、どの説を採っていいのかが分からなかったからです。しかし今回、クピドの描写のことを考えていくと、つまり何故クピドが真ん中の女性を狙っているのかと考えていくと、これは彼女がメルクリウスを愛すという物語を描いているのではなく、彼女の属性そのものをクピドを使って描いているのではないかと気づきました。つまり、真ん中の女性が「愛」の属性をもつからこそ、クピドが矢を射る対象として描かれているわけです。彼女が何者であるかを示すために、ただそれだけのためにクピドがここにいるわけです。5月の神でなくても、愛のあるところにクピドが現われることに何の問題もありません。

ボッティチェリは、『祭暦』で語られるフローラがゼピュロスから与えられた無数の花で満たされた庭を描きます。そしてそこに現われた、彩り鮮やかな衣で着飾ったホーラ(プリマヴェーラ)と、手を結び自らの体で花冠を作る三美神を描きます。それだけでも十分なのですが、ボッティチェリはさらに三美神それぞれをその属性に従って細かく描き込んでいます。

真ん中の女性は既にメルクリウスを見つめています。もう既に淡い恋は始まっているのかもしれません。この状態で矢を首筋の、ど真ん中に射られれば、アポロンのようなもっとも効力のある深い恋に落ちることでしょう。メルクリウスと三美神の恋の神話はどこを探してもありません。なぜなら、これは彼女の「愛」の属性を示すための描写に過ぎないからです。「愛」の属性を描くためにこの一瞬を選んだボッティチェリはやはり天才です。

真ん中の女性がそのように示されるのならば、三美神の他の女性も同様でしょう。左のメルクリウスのすぐそばにいる女性はいったい誰でしょうか。これは残りの二人との対比で分かります。他の二人はメルクリウスを見つめています。左の女性だけがメルクリウスを見ていません。したがって彼女が「慎み」です。真ん中の「愛」を静かにたしなめているようにも見えます。

そして残りの一人、右の女性は、「美」です。彼女の属性が「美」であることを示しているのが、中央の女性です。一般的には美と愛の女神ウェヌスとされる像です。しかし今回の『祭暦』をテキストとする解釈では彼女は5月の女神であり、メルクリウスの母マイアとしています。マイアはプレアデス七姉妹の中で一番美しく、そのためにゼウス(ユピテル)に見初めらてしまいました。この女神が優しく右の女性の頭に手をかざす仕草は、彼女の美しさを讃える意味となるでしょう。右の彼女は髪飾りにネックレスで美しく身を飾っています。左の女性も飾りを付けていて、胸には大きい飾りがありますが、マイアの後ろ盾はありません。

このように三美神のそれぞれの属性を表す描写を考えながら、周りの神々をみてみると配置の理由が分かってきます。そしてそれを考えると、この配置、この属性以外に考えられなくなります。

これで、とりあえず、『祭暦』の言葉をベースに、いくつかのテキストで描写を補いながらこの絵を説明できるようになりました。新プラトン主義を持ち出さなくてもよくなります。そして新プラトン主義による解釈のお膳立てのために導入されたウィントによるフローラの変身説も否定できます。

追記 2011/03/30
申し訳ありませんが、これを書いたあと、解釈に問題があることに気がつきました。修正した解釈は次の記事 「三美神」の特定 に書きました。

■ 参考過去記事

『祭暦』の該当箇所のラテン語原文について以前書いた記事
『祭暦』と『プリマヴェーラ』

特に、『祭暦』の三美神の記述についての解釈
三美神について

ウィントの新プラトン主義的解釈の概要
“Pagan Mysteries in the Renaissance” における《春》の解説について



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2011年03月29日

「三美神」の特定

前回、ボッティチェリが描いた三美神のそれぞれの名前を示しましたが、改めて考え直してみるとこの解釈に問題があることに気がつきました。三美神の左の女性像にある大きなブローチを無視してはいけませんね。「慎み」の女神としたこの女性が持っていることに疑問を持つべきでした。もう少しじっくり考え直してみます。

前回の三美神は左から「慎み」、「愛」、「美」であるとしました。三美神のそれぞれの女神にはいろいろな名前がありますが、この三つの名前はボッティチェリの描いた三美神の解釈としてよく使われるものです。この言葉は、15世紀後半に作られたジョヴァンナ・トルナブオーニ(Giovanna Tornabuoni)の肖像が描かれたメダルの裏に三美神とともにあります。下の画像はヴァールブルクの本にあるそのメダルの図です。よく見ると分かりますがメダルの縁に CASTITAS、PULCHRITUDO、AMOR と刻まれています。前回は、順序は無視したかたちで、この言葉を使って解釈しました。

medal.jpg

これと同時期のメダルに、哲学者ピコ・デラ・ミランドラ(Pico della Mirandola)の横顔が描かれたものがあります。このメダルにも裏に同じような三美神が描かれています。図像は全く同じなのですが、銘文が「PULCHRITUDO AMOR VOLUPTAS」となっています。順番が変わり、「Castitas慎み」の代わりに「Voluptas喜び/快楽」が入っています。これらのメダルの銘文にはその由来となる書物の典拠がどこかにあるのでしょうが、今回はそこまで探しませんでした。当時そのようなメダルがあった事実だけで十分だと思います。

この三美神についての詳しい解説が知りたいときは、以前紹介したEdgar Windの『Pagan Mysteries in the Renaissance』を読むといいでしょう。また、日本語で読めるものとしては、高階秀爾氏の『ルネッサンスの光と闇』があります。この本はウィントの本を参考にしていますが、結論は独自な解釈を導いています。

余談ですが、先日NHKハイビジョンで見た15分の番組「額縁をくぐって物語の中へ 春 プリマヴェーラ」では三美神は Pulchritudo, Castitas, Voluptas とありました。ジョヴァンナ・トルナブオーニのメダルとピコ・デラ・ミランドラのメダルの銘文の折衷のような感じですが、これはウィントの本でのボッティチェリにおける三美神の解釈と同じものです。ただし日本語の意味は「美」、「貞節」、「愛」としてありました。最後のVoluptas には、喜び、快楽、性行為という意味はあるのですが、愛とは訳せないはずなので、ちょっとおかしいです。この番組は録画してあるので、内容については後日まとめるつもりです。

前回、鑑賞者に背中を向けている女性像を「Amor愛」としました。従来はその質素な姿から「Castitas慎み」とされている女神です。あえて「Castitas慎み」の女神に愛の矢を射ることがこの絵を劇的なものにしているのですが、ここに疑問を感じ、逆に彼女が Amor だからこそ、それを示すために Cupid(Amor) に射られるのではないかと考えました。あの矢はまさに矢印となって、彼女の名前を特定しているとしました。この解釈は今回も同じです。Pulchritudo-Amor-Voluptas にすると、単語の並びと同じ中央となります。

三美神の右側の女性を「美」とし、後ろの女神に祝福されていることをその根拠の一つとしました。これは今回も同じです。この中央の女神は、以前からの考察によりマイアであるとしています。前回は、マイアは美しいことが数少ない特徴である女神であることから、その女神に祝福されることで、彼女が「Pulchritudo美」を意味するとしていましが、この解釈は都合がよすぎます。マイアには、名前からも分かるように母の属性があります。ですから、右端の女性が母となることを暗示させることの仕草だとも解釈可能になってしまいます。そこで、pulchritudo という言葉を羅英辞書で念入りに確認してみました。この女性名詞は、beauty; attractiveness という意味があります。さらに、この単語の元になる形容詞の pulcher だと、beautiful, handsome; glorious; illustrious; noble とあります。この意味を見ると、「美」という漢字一字では表せない pulchritudo の意味が分かってきます。女神に祝福されていることも、以前より受け入れやすくなるように思います。美しい髪飾りと首飾りをつけ、さらに女神に祝福されていることが、「Pulchritudo」であることを表していると言えるでしょう。

前回メルクリウスに背中を向けている三美神の左端の女性像は「Castitas慎み」であるとしました。しかし今回はまるで逆の「Voluptas喜び」とします。彼女の髪の様子、姿勢、彼女の胸にある大きなブローチ、そういうものを見ると、「Castitas慎み」というよりもピコ・デラ・ミランドラのメダルの銘文の方の「Voluptas喜び」に思えてきました。これはウィントの解釈の影響です。なお高階氏はジョヴァンナ・トルナブオーニのメダルの「Amor愛」としています。前回は、一人だけメルクリウスを見ていないことを根拠にしましたが、今回はメルクリウスの一番そばに寄り添うようにいることが、彼女が「Voluptas喜び」であることの根拠とします。これで、三美神の特定が終わりました。

さて、ピコ・デラ・ミランドラのメダルの三美神とボッティチェリの三美神の違いは何でしょうか。まず並び方ですね。メダルでは三人が並んでいて、この絵では手を繋いで円になっています。もう一つの違いは中央の女性の顔の向きです。メダルは右を向いていますが、絵では左を向いています。これは並びが反転していることを示していると考えられます。つまり、Voluptas-Amor-Pulchritudo という並び順です。これはまさに今までの説明と整合します。前回は勝手に並び順を変えていましたが、並びも重要だったのが分かります。

以上のように、《プリマヴェーラ》の三美神の周りにいる神々が三美神のそれぞれを修飾する役目を果たしています。つまり、男性であるメルクリウスが「Volputa喜び」、愛の神クピドが「Amor愛」、女神マイアが「Pulchritudo美」と、その存在だけで説明しているわけです。

このメルクリウス、クピド、マイアの三神以外は『祭暦』の5月2日に記述されているフローラの物語に登場します。しかし、控えめな女神マイアと、メルクリウスは5月を司る神です。そしてクピドは5月の神ではないけれど愛が始まるところならどこにでも飛んで来る神です。したがって、この絵が愛のある5月の風景であるのですから、この三神はこの絵の中心にある物語を崩さずに当たり前のように存在することが許されます。このフローラの物語とは直接関係ないはずのこの三神は、この絵にとって決して部外者などではありません。それどころか、なくてはならないものとなっています。意味的にも、視覚的にもこの絵をいっそう深く華やかなものにしてくれています。

最後に。フローラの物語に出てくる神々がいるこの場所は、『祭暦』の記述通り花に満ちています。ここは、ポリツィアーノが描いた「ウェヌスの治国」ではなく、オウィディウスの描いた「フローラの庭園」です。そして、おそらく、花の都フィレンツェを表しています。

追記:
そして、画像に元になった言葉を載せてまとめてみました。
《プリマヴェーラ》の解答



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2011年03月31日

《プリマヴェーラ》の解答

要約を書くと、こうなります。《La Primavara》に登場する神々で、Maiaマイア、Cupidoクピド、Mercuriusメルクリウスの三神以外の、Zephyrusゼピュロス、Floraフローラ、Horaホーラ、Charites三美神(Pulchritudoプルクリトゥード、Amorアモル、Voluptasウォルプタス)の六神はすべて、オウィディウスの『祭暦』の5月2日に描かれるフローラの結婚の物語に登場しています。そして、赤い色で区別された残りの三神は、三美神がそれぞれ何者であるかを指し示すための役割を担っています。つまり、マイアが女神自身の手のひらでプルクリトゥードを、クピドが炎の矢でアモルを、メルクリウスが刀の入った鞘でウォルプタスを指し示しています。

primavera_text.jpg

(英語WikipediaでのPrimaveraの画像に、三美神と周囲の神々の関係や、出典である『祭暦』第5巻の該当するラテン語の文章を書き込んでみました。クリックすると画像が拡大します。)

この解答には新プラトン主義や、メディチ家の複雑な人間関係も必要ありません。そういう理論や人間関係がこの絵の解釈に必要になったのは、中心をウェヌスとしてしまったためにこの絵の物語の出典を見つけられなくなったせいです。出典がわかり、すべての神々を説明できるならば、それら難解なものを持ち出す必要はありません。またそのような難解な理論を使っても、これほど的確にそれぞれの役割や描写の根拠を示せる解釈はないでしょう。解釈の材料も19世紀末のヴァールブルクの頃に知られていたものばかりですし、なんら特別な事実も必要ありません。この解釈で改めて分かったことは、Botticelli が神々の特徴をいかに誠実に描き込もうとしたのかということです。ここまで丁寧に描き込んでいたのに、ヴァザーリの誤謬のために、再発見されて200年近く、真相が分かるまでこんなに時間がかかってしまいました。

この結論に至るまでの試行錯誤は、カテゴリー:プリマヴェーラ を開くと書いてあります。ただし、整理されていないので読みにくいです。

追記(2011/04/13)
三美神の描写の元になっている文章についての記事を「《プリマヴェーラ》における三美神の典拠について」に書きました。



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