今回もまた、このブログで最近はまってやっている《プリマヴェーラ》の解釈です。いくつか一般的なものとは違っています。その一つは三美神の名前です。右から「美」、「愛」、「快楽」です。ラテン語で書くと、Pulchritudoプルクリトゥード、Amorアモル、Voluptasウォルプタスになります。
以前これはピコ・デラ・ミランドラのメダルに刻まれている言葉「Pulchritudo - Amor - Voluptas」にあるものだと紹介しました。ウィント(Wind)の本によると、この典拠となるものは、マルシリオ・フィチーノ(Marsilio Ficino)がプラトンの『饗宴』の注釈とした書いた『愛について』の第2巻第2章にあるラテン語の次の文章です。
Circulus itaque unus et idem a deo in mundum, a mundo in deum, tribus nominibus nuncupatur.
Prout in deo incipit et allicit, pulchritudo;
prout in mundum transiens ipsum rapit, amor;
prout in auctorem remeans ipsi suum opus coniungit, voluptas.
Amor igitur in voluptatem a pulchritudine desinit.
これがフィチーノによるこの三つの言葉の説明になります。
ラテン語では難しいので日本語訳を紹介します。ネット上の「プラトンの『饗宴-愛について-』に関するマルシリオ・フィチーノの注解」にある佐藤三夫氏の訳を引用させてもらうと、次のようになります。
このようにして、神から世界へ、そして世界から神へと行く一つの同じ円環は、三つの名前で呼ばれる。
すなわち、それは、神のうちに始まり、神へひきつけるかぎり、美と呼ばれる。
それは世界の中に移行し、世界を魅了するかぎり、愛と呼ばれる。
それは、創造者のもとへ帰り、その業を彼と結びつけるかぎり、快楽と呼ばれる。
それゆえ、愛は美に始まり、快楽に終わる。
これが本来の訳です。この注釈において的確な訳です。
ところが、この同じラテン語の文章を、ボッティチェリの三美神の姿をふまえてちょっとだけ強引な翻訳すると次のようになります。
「このようにして、 神からアクセサリーをつけた者へ、アクセサリーをつけた者から神へという同一の輪は、三つの名前で呼ばれる。 すなわち、
神のそばで始める者であり、神を引きつける者は、美と呼ばれる。
アクセサリーをつけた者を越えて奪い去ろうとする者は、愛と呼ばれる。
先導者へと後ずさって自分自身に彼の扱う物をくっつける者は、快楽と呼ばれる。
それゆえ、愛は美に始まり、快楽に終わる。」
自分で訳してみても、この訳はぞくぞくするくらいすごいと思いました。フィチーノの意図した訳ではないのは確かです。でも、この描写はこれ以上ないくらいにこの絵にぴったりです。この文章がピコ・デラ・ミランドラのメダルを通して、三美神に関係しているということはずっと前から指摘されているのに、誰もこの絵画的な訳はしたことがなかったのでしょうか?でも知っていれば既に三美神の並びはこれで確定しているはずです。そして、《プリマヴェーラ》の解釈は今のような妙な変身物語にはなっていなかったと思います。その変身を世間に広めたウィントは、彼こそが本当に答えの一番すぐ側まで来ていたのに、新プラトン主義とウェヌスの存在にとらわれてしまっていたために、この結論にできなかったのだと思います。
強引な訳についてちょっと説明します。in mundum は普通は「世界へ」と訳すのですが、mundus を辞書で調べたら、toilet, ornaments; world; universe という意味がありました。その中にある、古い意味での toilet や ornaments はこの絵の訳として使えます。人を表す意味に広げて「アクセサリーをつけた者へ」としてみました。in auctorem は神を意味する「創造者へ」とすべき言葉です。しかしこの言葉は最初の者という意味で様々な訳のできる言葉でもあります。google翻訳でこの英語の意味を調べてみると、author, originator, progenitor, writer, reporter, historian, actor, cause, doer, maker, adviser, agent, enlarger, supporter, champion, proposer, chief, spokesman, backer, seconder, ancestor, instigator, advisor, ringleader とあります。この中に leader という言葉はありませんが、似たような意味の言葉はあるので、「先導者へ」という訳にしてみました。この絵のことを知らなければ、絶対にやらない強引な訳ですが、この絵を知ってしまえばそう訳さずにはいられません。もちろん先日特定できた三美神の並びがあったからこそ、気づくことができたことです。
この訳はいくつかのこの絵の問題を見事に解決してくれます。
・メダルに頼らない三美神の順序の根拠
・三美神で左右の女神だけがアクセサリーをつけている理由
・左の女神と中央の女神が対立しているように見える理由
・今まで見つからなかった三美神とその先導者であるメルクリウスとの関係を描写している文章そのもの
さらに、引用した文章の最後の文「愛は美で始まり、快楽で終わる。」は、絵の中では、愛の女神の服によって表現されていると見ることができます。つまり、美の側で着た状態になっているものが、快楽の側では着ることをやめた状態になっています。これが愛の女神の左肩があらわになっている理由になります。
以前は、ピコ・デラ・ミランドラのメダルの存在からこの順序の考え方が当時あったことが言えると指摘していましたが、これほど見事な典拠があるとは思ってもみませんでした。この他に、もちろん、セネカやアルベルティの三美神の描写もおおいに影響しているのでしょうが、その描写だけではいままで分からなかった左右の女神のアクセサリーの秘密や、それぞれの女神の名前の定義そのものも見つかりました。
ボッティチェリは季節女神ホーラの春の女神が本来持っているはずの花を摘む籠(cesto)を描かずに、代わりにベルト(cestos)を描いたことは以前に書きました。これはヴァールブルクの注釈に書いてあったことです。これは誤訳なのか、それとも言葉遊びなのか分かりませんが、こういうことをボッティチェリは三美神の描写においてもやっていました。この三美神の描写は明らかに言葉遊びですね。新プラトン主義の愛についての講釈を、言葉の意味をわざと違えた解釈にして、こういう官能的な三美神の美しいダンスの姿に描きこんだわけです。
(最終更新2011年4月12日19:45)
mundus の訳語が揺れてたので、分かりやすくアクセサリーに統一。
それから図の追加と、格を間違えていたのでそれを考慮に入れて訳の修正。
opus の意味をもっと絵の内容に合うように修正。
愛の女神の左肩があらわになっている理由も追加。