2011年04月28日

《プリマヴェーラ》の中央の女神

こちらでは、ボッティチェリの《プリマヴェーラ》の中央の女神像はウェヌス(ヴィーナス)ではないとして解釈を展開してきました。

シモンズ(John Addington Symonds)がルクレーティウス(Lucretius)の『物の本質について』で描写されている春の到来がこの絵の舞台であるとしたのも、ヴァールブルク(Aby Warburg)がポリツィアーノ(Angelo Poliziano)の書いた詩『ラ・ジョストラ』で描写されている「ウェヌスの治国」が舞台であるとしたのも、結局ウェヌスが出てくる出典を求めたからです。

また、ウィント(Edgar Wind)は、新プラトン主義において重要な存在であるウェヌスを中心にして、三美神の中央の「慎み」がクピドの矢によって愛を知る変化と、ゼピュロスの暴力によってクロリスがフローラへと変わるドラマティックな変化をこの絵の解釈に導入しました。パノフスキー(Erwin Panofsky)は、ヴァザーリ(Vasari)の言葉を元にして、この作品と《ウェヌスの誕生》が対になって「天のヴィーナス、自然のヴィーナス」を表していると解釈しました。 これらの解釈は中央の女神がウェヌスであるという前提を元にして、考えられたものです。決して結論が前提を導いた訳ではありません。

この絵をよく見ると、三美神の右にいる女神と、左にいるメルクリウスは赤い衣装を身に着けています。さらによく見ると、上空の裸のクピドまでも赤い箙(えびら)を肩から提げています。この赤いものを身に着けている三神と、付けていない六神との違いは何かと言えば、『祭暦』の5月2日の中でフローラ自身によって語られるフローラの結婚の物語に出てくるかどうかなのです。この明確な赤い色による区別は偶然ではないでしょう。ヴァールブルクの頃から『祭暦』の描写との関連性は指摘されていましたが、その場合、断片的に描写を借りているだけだと皆考えました。なぜなら、『祭暦』の5月2日の描写にはウェヌスが出てこないからです。でも、あきらめてウェヌスがいないことを認めるべきです。万が一彼女がウェヌスであったとしても、『祭暦』の物語とは独立して存在していると考えるべきです。

この中央の女神は誰なのでしょう。三美神の右端の Pulchritude に手をかざし祝福している女神は誰なのでしょう。三美神の周りの神々は赤いものを身に着けて、この物語から超越した存在だと主張しています。もしかすると、絵全体の物語とは関係なく、彼女を祝福するためにウェヌスがいるのかもしれません。しかし物語とは脈絡のない存在であっても、やはりそこには必然性がなくてはいけません。ウェヌスがここにいる理由、そして彼女がウェヌスであることを示す何かがなくてはいけません。それはウェヌスに限りません。中央にいる女神は、そこにいる理由を持ち、彼女が何者であるのかを示す何かを持たなくてはいけません。彼女以外のここにいる神々はしっかりとテキストによってそれらが裏付けられています。中央の女神にも典拠が必ずあるはずです。

必ずあるはずなのですが、ウェヌスであることを示す決定的なものは見つかっていません。ブレーデカンプ(Horst Bredekamp)は、女神の真珠の首飾りと逆さ炎の首周りの模様が、ウェヌスのアトリビュートであるとしていますが、残念ながら弱すぎます。女神の後ろのあの木々でできたアーチこそは最大のヒントであるはずなのでしょうが、他の神々を示したようにはっきりとしたテキストが見つけられません。

ウェヌス以外にテキストを示せる者はいるのでしょうか。そう考えて、『祭暦』の5月を読み返すとふさわしい女神が一人見つかります。メルクリウスの母親で、5月の女神であるマイアです。そしてこの女神とメルクリウスのことが描かれている「ホメロス風讃歌」の「ヘルメス讃歌」を読むと、彼女の描写がいくつか出てきます。「ホメロス風讃歌」は《ウェヌスの誕生》の元になった描写のある書物です。《ウェヌスの誕生》でボッティチェリ自身が直接参考にしたことは断定できませんが、同時期のポリツィアーノが参考にしたことは彼の詩の描写から明らかですので、この時代のフィレンツェでは得ようと思えば得られた情報だということは言えるでしょう。この「ホメロス風讃歌」ではマイアは次の言葉で形容されています。「うるわしい巻毛の(rich-tressed)」、「浄福なる神々のまどいを避けて、濃く陰なす洞窟の奥深く住まっていた(a shy goddess, for she avoided the company of the blessed gods, and lived within a deep, shady cave)」、「美しい鞋(くつ)を履いた(neat-shod)」。なお引用したのは、日本語の訳はちくま学芸文庫の沓掛良彦氏、英語の訳はペルセウスのHugh G. Evelyn-Whiteの訳です。髪を隠しているのでよく分かりませんが、この女神の髪は巻毛のように見えなくもありません。ウェヌスでは考えにくい控えめな場所に立っています。後ろのアーチは洞窟の中から外を覗いたような風景です。そして、足下を見ると、彼女は唯一靴を履いている女神です。それも独特な美しいサンダルです。これらの描写は、都合よくいろんなところから拾ってきたわけではなく、ひとつの作品の冒頭部分に現われているものです。特に、洞窟の属性はとても強力な根拠になるのではないかと思います。

ボッティチェリと言えばキリスト教の母子像を数多く残してきた画家でもあります。その彼が、キリスト教とプラトンの教えとの融合をはかったフィチーノの教義の具象化である三美神の両側に、異教の神々の母と子を描いてみせたのも決して偶然ではないでしょう。

 

とりあえず、これがまとめです。他人にこの考えを信じろとは言いません。検証はしてもらいたいですけれど、鵜呑みにしてはいけません。マイアはあまりにも知名度が低く、後ろのアーチが醸し出す存在感には不釣り合いに思います。この存在感は皆が言うようにウェヌスこそふさわしいように思います。しかしどうしても典拠が見つかりません。代わりに見つかったのが元々控えめで知名度の低いマイアです。ただ15世紀のフィレンツェにおいては、もう少し知られていたかもしれません。ここはラテン語がそれからイタリア語が使われた場所です。5月の語源であるという説があるくらいですから、5月の神話の描写だとわかったら、マイアがすぐに連想されるぐらい皆が知っていたかもしれません。そして彼女が洞窟の女神であることも認知されていたならば、この絵の描写はおおいに成り立つのではないかと思われます。



posted by takayan at 08:30 | Comment(2) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする