2011年08月27日

《パラスとケンタウロス》の解釈(1)

ちょっとアイデアをひらめいたので、書き留めておきます。それほど自信はないのですが、我ながら面白い解釈だと思います。まだ思いついて五日目ですので、詰めが甘いかもしれません。

まず、絵を見てもらいましょう。下はGoogleのアートプロジェクトのUffizi美術館の画像へのリンクです。拡大縮小思いのままに《パラスとケンタウロス》を見学することができます。

Pallas and the Centaur (Sandro Botticelli) : Uffizi Gallery : Art Project, powered by Google

ボッティチェリのこの絵は縦向きの絵で、二つの人物が描かれています。向かって左側にいるのは、上半身が人、下半身が馬のケンタウロスです。右側には槍を立てて持っている女性がいます。

ケンタウロスは右手に弓を持っていて、肩にかけた矢筒が背中にあります。髪は隣の女性につかまれています。髪は乱れて、髪と同じくらいに伸び放題の髭とつながっています。大きく波打つ髪と髭に囲まれた顔の表情は何か情けなく、髪をつかんでいる女性のほうを畏れるように見つめています。縮こまった左手と左の前足の仕草が、いっそう女神への恐れを際立たせているようにみえます。

一方、右側にいるのは女性はというと、おそらく彼女は女神でしょう。まずは女神の姿勢や持ち物を見てみます。女神は右手でケンタウロスの髪をつかんでいます。力強く引っ張っているのではなく、やさしく指をからめているだけのようですが、ケンタウロスの表情からとても威圧的な行為に見えます。ケンタウロスを見下ろしている女神の表情はボッティチェリのほかの絵と同じように、表情に乏しく、物憂げです。女神の右手はケンタウロスの頭にありますが、左手は体の左側で矛槍をつかんでいます。まっすぐに立てた金色の彼女の身長よりも長い大きな矛槍を、腕をからめて腰のあたりで持っています。この武器から、一般的にこの女神はパラス・アテナ(ローマ神話ではミネルヴァ)とされています。パラス・アテナは兜をかぶり、盾と槍を持つ武装した姿で描かれる女神だからです。この女神は背中に、金色の縁取りのある黒い何かを背負っています。金色の縁取りが曲線的なので、かなり立体的な構造をしたものに見えます。左肩に薄い赤い帯のようなものがあるので、これでこの荷物は固定されているのではないでしょうか。この女神がパラス・アテナならば、これはアイギス(盾)となります。

今度は女神の服装を見てみます。まず、足元ですが、女神は丈夫そうなオレンジ色に輝く靴を履いています。親指と人差し指の間で止められていて、足の指は全部出ていますが、足首よりも高くブーツになっています。体のほうを見ると彼女は薄い白い服を着ています。腕は手首まで、足は試掘靴にかかっていますが、右足は少しめくれ上がって脛が見えています。よく見るとこの服には金色の丸い輪を組み合わせた刺繍があります。体と足の部分にあるのは三つの輪、腕にあるのは四つの輪を組み合わせたもので、それぞれの頂点にはダイヤと思われる宝石の飾りがついています。つまり体や足では三角形に、腕では菱形にダイヤが配置されています。襟の部分には、この指輪状の金色の輪とダイヤがきれいに並んでいます。その白い服の上を、緑色のローブが、右肩から腰を回して左足の後ろへと伸びています。女神の白い服には蔦がとても美しい曲線を描きながらと装飾として巻きついています。この植物はこの女神がアテナであることから、アテナの植物であるオリーブとされています。蔦が交差するところには、ダイヤ付きの金の輪が留め金として使われています。白い服の胸の左右には、ちょうど乳首の上あたりには、金色で四方に広がったヨモギの葉の飾りがあり、それを台座として尖ったダイヤが載っています。このヨモギの葉のような飾りは矛槍の飾りにも使われています。緑のローブの上にも蔦がありますが、これは帯のようにローブを体に固定するために巻きついているようです。女神の頭を見ると、金色の髪の上からも蔦が三重に巻きついて冠を作っています。蔦からは細かな枝がいくつも伸びて、さらにその枝からいくつもの葉が生えています。その冠の正面には、やはり金色のヨモギのような葉が四方に伸びた台座の上に尖ったダイヤが飾られています。このように、足元から頭まで、この女神の服には輝くものが散りばめられています。

風景にも何か意味があるのでしょうが、まだよくわかりません。とりあえず、登場人物の姿を説明すると以上のようになります。

この絵は、《パラスとケンタウロス》と呼ばれています。パラスはパラス・アテナの意味なのでしょう。槍で武装した女神がそこにいて、見間違えることのないケンタウロス族もその隣にいるのですから、通常そのように解釈されています。しかし、この解釈には難点があります。これはよく知られていることです。まずこの二人の関係を示した神話がありません。そのため一般的にはボッティチェリが勝手に創作した物語だと考えられています。また、いつも完全武装しているはずのアテナが兜をかぶっていませんし、槍の形も装飾的なものに置き換えられていて、同じく重要な目印であるはずの盾も一見よく分からない描かれ方をしています。全体的にアテナらしい武装とは言えません。それに、女神の服の細かな装飾は、神話の中のアテナの描写に見つけることができません。代わりにメディチ家との関係という神話とは別の文脈を使わなければ解釈できません。このような難点があっても、ボッティチェリがアテナを「そう描いた」とする以外に、この絵を解釈する方法はありませんでした。

しかし、思いついてしまいました。そうすると割と説明できてしまいます。ちょっと古典ギリシャ語の辞書を使って言葉の意味を考えないといけませんが、《プリマヴェーラ》のときのように言葉遊びでこの絵を読み解くことができます。

眠くなったので、今回はこれまで。残念ながら説を披露するところまでいけませんでしたが、次回その説と、その根拠を書こうと思います。



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2011年08月28日

《パラスとケンタウロス》の解釈(2)

そういうわけで、前回の続きです。《パラスとケンタウロス》に描かれている特徴と、一般的な解釈、そして問題点を示しましたが、今回はそれを踏まえての新しい解釈です。

さて、先ほど指摘したように、この絵をよく見てみると、このケンタウロスは弓を持っています。矢筒を肩にかけていることから、この弓はただ持っているのではなく、このケンタウロスが自分で使っているものだとわかります。弓とケンタウロスと言えば、いて座のケイロン(Χειρων)を思いつきます。ケイロンだけしか弓を持たないとは限りませんが、まず最初にケイロンを思い浮かべることは悪くないと思います。ケンタウロスというのは、半人半馬の生き物の総称で、必ずしも一つの種族ではありません。一般的なケンタウロスは野蛮な種族ですが、ケイロンは賢人と呼ばれ、数多くの英雄を育てた特別なケンタウロスです。

ケイロンはティターンのクロノス(Κρονος)とニンフのピリューラ(Φιλυρη)の子です。彼はテッサリアにあるペリオン山(Πήλιον)の洞窟に住んでいます。アポロン(Απολλων)とアルテミス(Αρτεμις,Diana)から狩猟、医学、音楽、武術、予言を学びました。そしてケイロンはギリシア神話に欠かすことのできない多くの英雄たちを育てました。有名なのがアルゴ船探検隊の隊長イアソン(Ἰάσων)、その探検に参加したペレウス(Πηλεύς)、そしてその子アキレス(Ἀχιλλεύς)です。へびつかい座となった医師アスクレピオス(Ασκληπιος)も彼の弟子です。ケイロンは不死でしたが、弟子のヘラクレス(Ηρακλής)の射た毒矢を誤って膝に受け、永遠に続くその苦しみから救われるために、ゼウスによって死が与えられました。

この情報を踏まえて、この絵を見ると、ここに描かれているのは、ケイロンとその狩猟の師アルテミスではないでしょうか?

まず、ケイロンに関して。弓矢と矢筒はアルテミスの弟子である徴だと言えます。前足を曲げている様子は、彼がヘラクレスから受けた矢で膝を負傷したことを連想させます。そうすると彼の情けない表情が、死を望むほどの痛みによるものだと推察できます。そして、彼の後ろにある船。これはアルゴ船となるでしょう。ケイロンの愛弟子たち、イアソン、ペレウス、アスクレピオスたちが乗り組んで探検をしたあの船を連想させます。神話画において時系列はそれほど厳密である必要はないでしょう。また彼の後ろの岩は、よく見ると、中に入っていけそうな隙間があいています。これは、ケイロンの住処であるペリオン山の洞窟を表しているのではないでしょうか。以上のように、このケンタウロスがケイロンであると同定することは、問題を生じさせるどころか、今まで理由を見いだせなかったものに、明確な意味を与えてくれます。

一方、女神に関して。アルテミスは古代から弓矢とともに描かれる狩猟の女神です。ゼウスとレトの子で、アポロンは双子の弟になります。彼女は山野と野生動物の神でもあります。処女神の出産の神であり、アポロンと同じように、自分の矢を使って人や動物に疫病や死を与える神でもあります。また月の神ともされています。ローマ神話ではディアナが対応します。

アルテミスは弓矢という狩猟のための武器を持っているのですが、残念ながらこの絵で描かれるような槍は、どの神話を探しても持っていません。あっさり挫折です。アルテミスは槍を持っていません。だから、この女神はアルテミスではない。本当に?

それでは、《プリマヴェーラ》の解釈でやったように原典をあたってみましょう。Theoi Project のアルテミスのページを参考にします。
ARTEMIS : Greek Goddess of Hunting & the Wilderness | Mythology, w/ pictures | Roman Diana
これを見ると、ホメロス風讃歌の第27番「アルテミス讃歌」とカリマコスの「アルテミス讃歌」がいろいろくわしく書いてあるようです。

Perseus Digital Library で、それぞれの古典ギリシャ語とその英訳を眺めてみます。それぞれ次のリンクです。
Hymn 27 to Artemis, Εἲς Ἄρτεμιν
Callimachus, Hymn to Artemis, εἰς Ἄρτεμιν

また、先の Theoi には、カリマコスの英訳があります。第三巻がアルテミス讃歌です。
Classical E-Text: CALLIMACHUS, HYMNS 1 - 3

沓掛良彦訳の『ホメーロスの諸神讃歌』では冒頭部は次のようになっています。

アルテミスをば歌わん。
黄金の矢たずさえ、獲物追う叫びをあげる女神、
鹿射る女神、矢をそそぎかける畏しき処女神、
黄金造りの太刀帯びるアポローンのまことの姉君(はらから)を。

ここで「黄金の矢を持って」と訳されているギリシャ語は「χρυσηλάκατος(khryselakatos)」です。これは合成語で後半は「軸、紡錘、糸巻き棒」という意味になります。通常、矢と訳されているのですが、これを槍の柄と解し、「金色の矛槍の柄を持って」と解釈します。多少強引ですが、こうするとうまくいきます。ちなみにここでは単数形なので、文法的に問題はありません。

ホメロス風讃歌よりも、カリマコスの讃歌の方がアルテミスについて詳しく語られています。冒頭では、アルテミスは父ゼウスの膝の上に乗り、永遠の処女であることともに、弓矢や矢筒、多くの侍女たちなどをゼウスに求めている場面が描かれています。この付近に、絵に出てくる描写があるようです。

弓矢や矢筒は、この絵の女神は持っていません。しかし、二人とも持っていると画面がうるさくなるでしょう。どちらか一方が持つとすれば、ケイロンです。ケイロンは弓矢がないと他のケンタウロスと区別がつきませんし、弟子の方が持っていることで技術が伝えられたということも示せるからです。

この女神は《プリマヴェーラ》のメルクリウスが履いているものと、色は違いますがとても似た形の、少し長い靴を履いています。アルテミスは靴専属の侍女がいますが、カリマコスの記述では靴を表す単語は ἐνδρομίς となっています。これは英語で high shoes や buskins と訳されるものです。この絵にあるオレンジの色の靴の高さを表すのにちょうどいい言葉だと思います。

服に関する記述として、「刺繍の縁飾りがある膝まで届くチュニック」とあります。チュニックと訳した言葉は χιτών で、これを古典ギリシャ語辞書で調べると、「下着、チュニック、鎖鎧、コート、ジャーキン」で、幅のある言葉ですが、チュニックでいいでしょう。絵では膝どころか足首に届きそうです。裾の方には縁飾りはありませんが、首周りには、とてもきれいな飾りがあります。刺繍は縁だけでなく、服のいたる所にあって、美しく彼女を飾っています。

チュニックの上からかけてある緑色のローブに関しての記述はわかりません。植物の巻きついた描写もわかりません。しかし、これは彼女が山野の女神であることで解釈できると思います。山野を駆け巡るにはちょっと動きにくいようにも見えますが、肘のあたりの留め金は動きやすさを考慮に入れた描写なのかもしれません。

次は、女神が背中に背負っているものです。これが一番難しい。盾のようにも見えますが、こんなに、縁がくねくね曲がっている盾もなんだか変です。この曲線的な構造は馬の鞍のようにも見えます。でもやっぱり、これは何だかわかりません。

そこで、カリマコスの記述です。この文章の中に、「φαεσφορία」という言葉があります。一般的な語形だと「Φωσφορος(Phosphorus)」となります。これは「光をもたらす者」というアルテミスの呼び名の一つです。この言葉をちょっと読み変えます。英語では「light bringer」ですが、これを 「shining bearer」と解釈するわけです。つまり「輝ける運び人」となります。この言葉を頭に入れて、この絵を眺め直すと、この女神がこの言葉の通りの姿に描かれていることがわかります。女神は、背中に金色の縁取りをした何かを背負っています。これが何かは問題ではありません。何かを運んでいれば十分です。そして、金色の髪をして、ダイヤの飾りと金色の刺繍を散りばめた服を着て、金色の矛槍を持っています。靴も輝くようなオレンジ色をしています。まさしく、彼女は輝ける運び人です。Phosphorus という言葉がアルテミスの別名の一つだと分かっている人が見れば、ははん成程と分かる高度な言葉遊びです。結局、これがアルテミスだという情報が失われてしまった現代では誰も気付けなかい意味不明な描写となったわけですが。

そして、もう一つ。まだはっきり断定できませんが、この女神がアルテミスであることを示す暗号があります。チュニックと冠のダイヤの台座や、矛槍の飾りに使われている金色のヨモギの葉のような形ですが、ヨモギ属のラテン語名は Artemisia であり、これもアルテミスを連想させる言葉になっています。学名が決められるのは、この絵が描かれてずっと後になるのですが、この学名の元になる呼び名は昔からあったのではないかと思います。

下記の画像は、1489年の書物の中でのartemisiaの使用例です。詳しく訳していないのでヨモギの意味で使われているかまではわかりません。

※ 追記 2011.09.06
プリニウスの『博物誌』に artemisia の記述があるようですので、既に紀元1世紀にはヨモギがこの名前で知られていたことが分かります。

 

以上のように、単語の意味の読み換えに頼った解釈になりますが、このように考えると、この女神をアルテミスと考えることができるようになります。今までのこの女神をパラス・アテナとする説よりも、深い解釈が可能となります。

この女神がアルテミスであり、このケンタウロスがケイロンであったならば、この絵は何を描いていると導かれるでしょうか。

それは、つまり、この絵は不死なるケイロンに死を与えに来たアルテミスを描いています。思ってもみなかったほど、この作品は壮絶な場面が描かれていました。死を望むほどの苦しみの中にあるケイロンに対し、望み通りゼウスは死を与えます。この場面を詳しく描写した物語はありませんが、ボッティチェリは死を与える役をケイロンの師匠であるアルテミスに選んだわけです。同じく彼の師匠であり、同じ死を与える能力を持つアポロンでもよいのですが、ここは同じ弓矢というアトリビュートを持つアルテミスとなっています。この苦しみの原因もやはりケイロンの弟子であるヘラクレスの毒矢なのですから、因縁ある弓矢の師匠アルテミスこそ、この役目にふさわしいと考えたのでしょう。女神アルテミスは、やさしく弟子の髪を掴みます。やがて女神は金色の矛槍を振り上げその弟子の命を奪うのです。

本来の金色の矢の形をした khryselakatos ではなく、女神よりも大きく存在感のある武器がどうして描かれているのか、これでわかります。それは、これが不死なるケイロンの命を奪う道具だったからです。偉大な賢者がこの世界からいなくなってしまうという破壊的な出来事を表すには、それだけ大きな力を作りだす物を描かなくてはならないからです。

ケイロンと女神の体によって囲まれた景色の中に、アルゴ船らしき船が見えています。冒険へと向かう弟子たちの船を描くことで、死によりすべてが失われてしまうのではなく、継承されていくものが確かにあることも、この絵は主張しています。

この解釈にふさわしい絵のタイトルは、《ケイロンの最期》、《師匠と弟子》、《アルテミスとケイロン》などが思いつきます。

こんな解釈はどうでしょうか。



posted by takayan at 05:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | パラスとケンタウロス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする