ちょっとアイデアをひらめいたので、書き留めておきます。それほど自信はないのですが、我ながら面白い解釈だと思います。まだ思いついて五日目ですので、詰めが甘いかもしれません。
まず、絵を見てもらいましょう。下はGoogleのアートプロジェクトのUffizi美術館の画像へのリンクです。拡大縮小思いのままに《パラスとケンタウロス》を見学することができます。
Pallas and the Centaur (Sandro Botticelli) : Uffizi Gallery : Art Project, powered by Google
ボッティチェリのこの絵は縦向きの絵で、二つの人物が描かれています。向かって左側にいるのは、上半身が人、下半身が馬のケンタウロスです。右側には槍を立てて持っている女性がいます。
ケンタウロスは右手に弓を持っていて、肩にかけた矢筒が背中にあります。髪は隣の女性につかまれています。髪は乱れて、髪と同じくらいに伸び放題の髭とつながっています。大きく波打つ髪と髭に囲まれた顔の表情は何か情けなく、髪をつかんでいる女性のほうを畏れるように見つめています。縮こまった左手と左の前足の仕草が、いっそう女神への恐れを際立たせているようにみえます。
一方、右側にいるのは女性はというと、おそらく彼女は女神でしょう。まずは女神の姿勢や持ち物を見てみます。女神は右手でケンタウロスの髪をつかんでいます。力強く引っ張っているのではなく、やさしく指をからめているだけのようですが、ケンタウロスの表情からとても威圧的な行為に見えます。ケンタウロスを見下ろしている女神の表情はボッティチェリのほかの絵と同じように、表情に乏しく、物憂げです。女神の右手はケンタウロスの頭にありますが、左手は体の左側で矛槍をつかんでいます。まっすぐに立てた金色の彼女の身長よりも長い大きな矛槍を、腕をからめて腰のあたりで持っています。この武器から、一般的にこの女神はパラス・アテナ(ローマ神話ではミネルヴァ)とされています。パラス・アテナは兜をかぶり、盾と槍を持つ武装した姿で描かれる女神だからです。この女神は背中に、金色の縁取りのある黒い何かを背負っています。金色の縁取りが曲線的なので、かなり立体的な構造をしたものに見えます。左肩に薄い赤い帯のようなものがあるので、これでこの荷物は固定されているのではないでしょうか。この女神がパラス・アテナならば、これはアイギス(盾)となります。
今度は女神の服装を見てみます。まず、足元ですが、女神は丈夫そうなオレンジ色に輝く靴を履いています。親指と人差し指の間で止められていて、足の指は全部出ていますが、足首よりも高くブーツになっています。体のほうを見ると彼女は薄い白い服を着ています。腕は手首まで、足は試掘靴にかかっていますが、右足は少しめくれ上がって脛が見えています。よく見るとこの服には金色の丸い輪を組み合わせた刺繍があります。体と足の部分にあるのは三つの輪、腕にあるのは四つの輪を組み合わせたもので、それぞれの頂点にはダイヤと思われる宝石の飾りがついています。つまり体や足では三角形に、腕では菱形にダイヤが配置されています。襟の部分には、この指輪状の金色の輪とダイヤがきれいに並んでいます。その白い服の上を、緑色のローブが、右肩から腰を回して左足の後ろへと伸びています。女神の白い服には蔦がとても美しい曲線を描きながらと装飾として巻きついています。この植物はこの女神がアテナであることから、アテナの植物であるオリーブとされています。蔦が交差するところには、ダイヤ付きの金の輪が留め金として使われています。白い服の胸の左右には、ちょうど乳首の上あたりには、金色で四方に広がったヨモギの葉の飾りがあり、それを台座として尖ったダイヤが載っています。このヨモギの葉のような飾りは矛槍の飾りにも使われています。緑のローブの上にも蔦がありますが、これは帯のようにローブを体に固定するために巻きついているようです。女神の頭を見ると、金色の髪の上からも蔦が三重に巻きついて冠を作っています。蔦からは細かな枝がいくつも伸びて、さらにその枝からいくつもの葉が生えています。その冠の正面には、やはり金色のヨモギのような葉が四方に伸びた台座の上に尖ったダイヤが飾られています。このように、足元から頭まで、この女神の服には輝くものが散りばめられています。
風景にも何か意味があるのでしょうが、まだよくわかりません。とりあえず、登場人物の姿を説明すると以上のようになります。
この絵は、《パラスとケンタウロス》と呼ばれています。パラスはパラス・アテナの意味なのでしょう。槍で武装した女神がそこにいて、見間違えることのないケンタウロス族もその隣にいるのですから、通常そのように解釈されています。しかし、この解釈には難点があります。これはよく知られていることです。まずこの二人の関係を示した神話がありません。そのため一般的にはボッティチェリが勝手に創作した物語だと考えられています。また、いつも完全武装しているはずのアテナが兜をかぶっていませんし、槍の形も装飾的なものに置き換えられていて、同じく重要な目印であるはずの盾も一見よく分からない描かれ方をしています。全体的にアテナらしい武装とは言えません。それに、女神の服の細かな装飾は、神話の中のアテナの描写に見つけることができません。代わりにメディチ家との関係という神話とは別の文脈を使わなければ解釈できません。このような難点があっても、ボッティチェリがアテナを「そう描いた」とする以外に、この絵を解釈する方法はありませんでした。
しかし、思いついてしまいました。そうすると割と説明できてしまいます。ちょっと古典ギリシャ語の辞書を使って言葉の意味を考えないといけませんが、《プリマヴェーラ》のときのように言葉遊びでこの絵を読み解くことができます。
眠くなったので、今回はこれまで。残念ながら説を披露するところまでいけませんでしたが、次回その説と、その根拠を書こうと思います。