2011年09月04日

《ヴィーナスとマルス》 解釈(2)

それでは、この絵の出典を探してみます。

神話画にはたいてい元になった神話の記述があるはずです。以前解釈した《プリマヴェーラ》も結局そうでした。でも、アフロディーテ(ウェヌス)とアレス(マルス)が出てくる物語と言ったら、先ほど指摘した『オデュッセイア』や『変身物語』で描かれる密会するアフロディーテとアレスの話ぐらいです。それだと、前回推理したほのぼのとした絵とは全く違う内容になってしまいます。これでは困ります。他に何かないでしょうか?

そう思って探すと、ひとつ面白い話を見つけました。紀元前500年頃に活躍したギリシアの詩人アナクレオン(Ἀνακρέον)が書いたとされる詩です。

古典ギリシア語で引用すると次のようになります。

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これだと分かりにくいので、英訳詩を示します。

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この詩は17世紀のイギリスの詩人トーマス・スタンリー(Thomas Stanley)が訳したものです。だから古風な言葉遣いなのは、仕方がないです。しかし、蜂蜜(honey)、槍(spear)や、エロス(Love)という言葉が見つかるので、もしかしたら、これかもしれません。この英訳を参考にしながら、ギリシャ語を訳してみます。詩的な表現よりも意味を重視して訳してみます。ギリシャ語の訳は慣れていないので、ところどころ間違っているかもしれません。

アフロディーテの夫は、リムノス島の鍛冶場にいて、エロスたちのためにいくつもの鉄の軸の矢を作っている。アフロディーテは甘い蜂蜜でその矢の先を浸す。そしてエロスは胆汁を混ぜる。ある日、アレスがずっしりとした槍を振り回しながら、大声でエロスの矢にけちをつける。するとエロスが「この矢は重いよ。持ってみると、わかるよ。」と話しかける。アレスはその矢を持ってみる。アフロディーテは微笑んでいる。すると、アレスは唸り声をあげて、「これは重い。お前が持ってみろ。」と言う。するとエロスは「ずっと持っててね。」と言う。

絵の内容と違います。いくつかのキーワードは出てくるのですが、これではないようです。せっかくだから、他のアナクレオンの詩を探してみます。すると、すぐに英語のタイトルで、「The Bee」という名前の詩が見つかります。この絵で意味の分からなかった蜂について、何か情報が得られるかもしれません。


Love, a Bee that lurk'd among
Roses saw not, and was stung:
Who for his hurt finger crying,
Running sometimes, sometimes flying,
Doth to his fair mother hie,
And O help, cries he, I die;
A wing'd snake hath bitten me,
Call'd by countrymen a Bee:
At which Venus, if such smart
A Bee's little sting impart,
How much greater is the pain,
They, whom thou hast hurt, sustain?
引用元

ギリシャ語のほうも引用します。
Ἔρως ποτ΄ ἐν ῥόδοισι
κοιμωμένην μέλισσαν
οὐκ εἶδεν, ἀλλ ΄ ἐτρώθη
τὸν δάκτυλον. Πατάξας
τὰς χεῖρας, ὠλόλυξε·
δραμὼν δὲ καὶ πετασθεὶς
πρὸς τὴν καλὴν Κυθήρην,
ὄλωλα, μῆτερ, εἶπεν,
ὄλωλα,κἀποθνήσκω.
Ὄφις μ΄ ἔτυψε μικρὸς,
πτερωτὸς, ὃν καλοῦσι
μέλισσαν οἱ γεωργοί.
Ἡ δ΄ εἶπεν · εἰ τὸ κέντρον
πονεῖ τὸ τῆς μελίσσης,
πόσον δοκεῖς πονοῦσιν,
Ἔρως, ὅσους σὺ βάλλεις;
引用元

これも訳してみます。

ある日エロスは、バラの中で休んでいる蜂に気づかずに、指を怪我してしまう。エロスはそいつを叩き落し、大声で泣き叫ぶ。走って、飛んで、美しいアフロディーテのところにやってきて、「痛いよ、おかあさん。痛いよ。ぼく死んじゃうよ。」と言う。「羽のはえた、ちっちゃなヘビが、かみついたんだ。農家のおじさんが、ハチって呼んでたやつだよ。」。するとアフロディテは、エロスに言う。「蜂の針でそんなに痛がったりして。あなたがどれだけ他人を痛くしてきたのか考えてごらん。エロス、あなたはとても多くの人に矢を放ってきたというのに。」

アフロディーテも、エロスもいます。蜂もいます。でも、アレスがいません。残念ながらこれでは内容が違います。でも、ちょっと気にかかる言葉もあります。バラとヘビです。アレスはバラ色の敷布の上で寝ています。ハルモニアは晩年ヘビに変えられてしまいます。これはもしかすると、《プリマヴェーラ》の三美神の解釈でやったように、言葉の意味をわざとずらせば、うまくいくかもしれません。(参照:《プリマヴェーラ》における三美神の典拠について

 

次回は、いよいよ絵の描写との文章の関係を検証します。




更新情報:2011/10/05
The Bee のギリシア語の詩および英訳詩を Openlibrary からの引用だと読みにくいので、文字列にしました。


posted by takayan at 15:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

《ヴィーナスとマルス》 解釈(1)

それぞれが誰なのか、改めて考えみます。

まず、分かりやすい画面右で寝ている男性です。彼はアレスでいいでしょう。この絵の中にはいろんな武器や防具が配置されています。彼は現在、ほとんど裸で、どれも身につけてはいないのですが、これらは彼のものだと考えていいでしょう。神話の中で武具を持った男性が出てくれば、彼は戦いの神アレス以外に考えられません。

彼がアレスだと決まれば、左の女性はアフロディーテだと分かります。アレスには他にも子供を作った女性がいくらでもいるのですが、やはり最初に思いつくアフロディーテで問題ないでしょう。アフロディーテはもともとはヘパイストス(Ἡφαιστος)の妻であったのですが、アレスに乗り換えてしまいます。この話はここでは詳しく書きませんが、ホメロスの『オデュッセイア』に詳しく書かれています。オウィディウスの『変身物語』にも、短いですがヘパイストス(ウルカヌス)による二人への罠の話が書かれています。

それでは、この二人の周りにいる子どもたちはいったいなんでしょう。アフロディーテのそばにいる子供といったら、翼のあるエロスのはずですが、違います。彼らの額には二本の角があり、足は山羊の足です。この姿からおそらく彼らはサテュロスでしょう。大人のサテュロスは、本能のままの野蛮な性欲のかたまりの姿で描かれる存在ですが、ここに描かれているのは、まだ無邪気なだけの子供です。

彼らはやはりエロスの代わりの存在でしょう。性愛を示すエロスという言葉の意味だけ考えれば、サテュロスは置き換え可能な存在といえるでしょう。そう思って、この絵を見てみると、画面の一番左にいるサテュロスは、まさにエロスを表していることが分かります。なぜなら彼は目隠しをして、尖ったものを何かに突き刺そうとしています。これは『プリマヴェーラ』で描かれているエロスの特徴そのものです。もしかすると、兜の下の顔には角がないかもしれません。背中の翼は角度のせいで見えてないのかもしれません。毛むくじゃらの足のように見えるものも何か別のものなのかもしれません。

では、左端がエロスだとして、残りの三人は誰でしょう。エロスの友達?それとも兄弟?おそらく兄弟ではないでしょうか。アレスとアフロディーテの間には三人の子供がいます。ヘシオドスの『神統記』によれば、アレスとアフロディテの子供として、フォボス(Φοβος)、デイモス(Δειμος)、ハルモニア(Ἁρμονια)の三人です。ハルモニアは女神で、のちにカドモス王と結婚することになりますが、晩年は王ともども蛇となる運命にあります。

エロスもアフロディーテとアレスとの間の子供だとする話もありますが、アレスと付き合う前からエロスがいる物語もあって、そこらへんは定まってはいないようです。この絵の子供たちの毛の色を見ると、エロスだけがアフロディーテの髪の色に近く、残りの三人がアレスの髪と近い色になっています。この色の区別はエロスはアレスの子供ではないとするものかもしれません。

そういうわけで、この絵に描かれている神々は、アフロディーテ、エロス、アレス、フォボス、デイモス、ハルモニアではないかと推測できます。つまり、アフロディーテがヘパイストスと別れた後の、アレスとアフロディテ夫妻のほのぼのとした休日の一家の様子を描いてるのではないでしょうか?

 

次回は、この推測をより確実なものにしていきます。



posted by takayan at 03:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスとマルス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする