2011年09月09日

《ヴィーナスの誕生》 解答

正直、今キーボードを打つ手が震えています。《ヴィーナスとマルス》の解釈が終わって、もしやと思って、《ヴィーナスの誕生》も同じ方法で読み解けるのではないかと調べてみたら、この絵も読み解けてしまいました。

《ヴィーナスの誕生》の解釈を試みたのは、2年半前です。そのとき様々な記事を書きましたが、核心部分は次の二つの記事でした。
『ウェヌスの誕生』の元になっているもの
『ウェヌスの誕生』についてのまとめ

このときは、ルキアノスの文章に出てくる貝の上で横たわるアフロディーテの記述をもってきて、彼女がアフロディーテであることを示すために貝が使われていると解釈しました。この文章は『エウロパの略奪』の場面なので、この絵には花嫁を祝福する意味も含まれるとしました。花が舞うこともその文脈で説明しました。

二年半前は、ボッティチェリがこの文章を読んだという証拠は何もありませんでした。しかし、今回調べてみると、この文章がまさに、この絵を読み解く文章だということが分かりました。このときは、現代ギリシア語の文章しか見つけられなかったのですが、今回は古典ギリシア語を見つけて、それを訳してみたら、まさに、この絵の記述でした。

 

次の文章がアフロディーテの貝が出てくる古典ギリシア語の文章です。エウロパを祝福するために、水の中からアフロディーテが出てくる場面です。

ἐπὶ πᾶσι δὲ τὴν Ἀφροδίτην δύο Τρίτωνες ἔφερον ἐπὶ κόγχης κατακειμένην, ἄνθη παντοῖα ἐπιπάττουσαν τῇ νύμφῃ.

そして訳です。

そして、皆の前に、二人のトリトンがアフロディーテが寝そべっている貝を運んできました。(女神は)花嫁の上にたくさんの花々をまき散らしています。

これが普通の訳です。

これを今までのように意味を少しずらして訳します。Τρίτωνες の後で文章を切ってしまいます。

ἐπὶ πᾶσι δὲ τὴν Ἀφροδίτην δύο Τρίτωνες. ἔφερον ἐπὶ κόγχης κατακειμένην, ἄνθη παντοῖα ἐπιπάττουσαν τῇ νύμφῃ.

訳すと、

そして、皆の前に、アフロディーテと、二人と、三番目の者が現われました。
彼ら(二人)は、貝の上にたたずんでいる者を運んできました。
(二人は)その女性にたくさんの花をまき散らしています。

「δύο Τρίτωνες」 を別々に解釈して、「二人」と「三番目」と訳します。絵の中では二人で寄り添って飛んでいる神々がちゃんといます。彼らが体をしっかりとくっつけているのは彼らが「二人」であることをはっきりと示すためです。「三番目」というのは、ローブをかけようとしている女性のことです。この女性に関しては以前から解釈の問題がありました。『ホメーロス風讃歌』の記述ではこの役割の女性は複数なのに、どうしてこの絵では一人になっているのかということです。しかし、これではっきりとしました。ボッティチェリが Τρίτωνες を3番目と解釈してこの絵を描いたからです。つまり、三姉妹のホーラたちの中で一番下の妹の平和と春の女神エイレーネ(Εἰρήνη)です。

次の文章では、κατακειμένην の解釈を少し変えました。この単語は κατάκειμαι という動詞の分詞形だと思われます。これは通常は「横になって休んでいる」という意味で、ポンペイのアフロディーテの壁画の姿勢と同じ姿を思い浮かべるべきなのですが、この動詞には 英語の remain の意味もあります。それで、ここでは その場に立ったままでいる、つまりたたずんでいると訳しました。

また本来の訳では主語は二人のトリトンなのですが、ここでは言葉を分けたので、二人組と解釈しました。 そうすると、空に浮かんでいるゼピュロスともう一人ということになります。ただこうすると、先ほどと違って、『ホメーロス風讃歌』の記述とちょっと合わなくなってしまいます。『ホメーロス風讃歌』では西風のゼピュロスだけですから。この女性が誰なのかという問題が出てきます。これはこの絵が再発見されてからずっと解釈が分かれてきた問題でもあります。二人という表現は夫妻という意味が込められていると思いますので、彼女はフローラになるでしょう。彼女にも翼があるようにも見えなくもないですが、あれは全部ゼピュロスの翼だとします。前回解釈したときは、ポリツィアーノの詩『馬上槍試合』の一節からそよ風アウラだと、よく使われている説を採用しましたが、この絵はポリツィアーノの詩を参考にせずに直接古典の記述から描いています。

最後の文です。本来の解釈では、アフロディーテが主語の分詞節として訳しましたが、今回の誤解釈では、専門家の花の女神フローラがいますので、彼女と、それを風でまき散らしてくれる旦那のゼピュロスの二人を主語にします。また、νύμφῃ という単語は「花嫁」を表す言葉ですが、単なる「女性」も表すこともある言葉なので、この解釈ではアフロディーテ本人のことだとします。

 

以上のように、この文章を利用すると、次のことがきれいに説明できます。

  • ローブをかけているホーラが一人だということ。
  • アフロディーテを運んできたのが、一人ではなく二人であること。
  • アフロディーテのそばで花が舞っていること。
  • アフロディーテが貝の上に立っていること。

つまり、そう解釈できる文章をボッティチェリが絵にしたからです。

ボッティチェリが目指したとされる、ルキアノスの記述そのものを使った解釈ですので、これが正解だと思います。

 

二年半前、答えのすぐそばにいたことにちょっと自分でも驚いています。誤解釈という発想はそのときはなかったので、別な方向に進んでしまって、気が付くのにだいぶん時間がかかってしまいました。それにしても、立て続けですが、この難問を解き終えた感動は、素晴らしすぎます。



posted by takayan at 03:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスの誕生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする