先日までに、この絵に出てくるのはアルテミスとケイロンであることを示し、そしてそれから導かれる物語を想像して、この絵に何が描かれているのか解釈をしてみました。
このとき、ギリシャ語を語源的に解釈して、何かを背負って光り輝いているとしましたが、今はわざわざそう解釈しなくてもいいと思うようになりました。背負っているのは、金色の光で飾られた盾でいいと思います。盾を持つアルテミスは稀ですが、ないことはないようですし、槍を持つアルテミスも同様です。片手に既に槍を持っているために、これ以上物が持てないので、光をもたらす者を示すトーチを持たせるのではなく、女神の服を光り輝かせてそれを示しただけだと考えます。
さて、今までのこのブログでの考察により、ボッティチェリの神話画は、どれもが古代の芸術作品に対抗するために描かれてきたことが次第にわかってきました。《ヴィーナスの誕生》に関してはずっと言われてきましたが、他の作品についてもそう考えられます。
《ヴィーナスの誕生》はルキアノスが残した文章そのものを元に描かれた「浮上するヴィーナスVenus Anadyomene」でした。《プリマヴェーラ》も、古代に描かれた三美神に対抗するために、フィチーノの哲学的な言葉を元に描かれたものでした。《ヴィーナスとマルス》を分析してみると、アナクレオン風歌謡の『蜂』という詩を元にして、母なるヴィーナス Venus Genetrix を描いていました(なお、先日は気づきませんでしたが、子供をサテュロスとして描いたのはラテン語 satura (英訳mixure)を意識したからだと思われます)。
このようにボッティチェリの三つの神話画は、古代作品への挑戦シリーズということになるのですが、《パラスとケンタウロス》もやはりボッティチェリにその目的があって作られたものだと考えられます。古代のアルテミス像、おそらくスコパスがアルカディアのアルテミス神殿に作った彫刻に対抗したものでしょう。そして、きっとこの絵にも典拠となる文章があるはずです。
そして、かなり時間がかかりましたが、一つの候補を見つけました。ウェルギリウスの牧歌詩VIIの一部分です。アルカディア人の羊飼いテュルシス(Thyrsis)と、同じくアルカディア人の山羊飼いのコリュードン(Corydon)が道で出会って、交互に詠んで競い合っている詩です。やはり原文を解釈しないと、解読できませんでした。今までのように、明快に解読できるものではないので、この記事のタイトルに「解答」と付けられなかったのですが、この詩はこの絵に関連するいくつもの面白い表現を含んでいるのが分かります。
そのラテン語の文章がこれです。
Pastores, hedera nascentem ornate poetam,
Arcades, inuidia rumpantur ut ilia Codro;
aut, si ultra placitum laudarit, baccare frontem
cingite, ne uati noceat mala lingua futuro.Saetosi caput hoc apri tibi, Delia, paruos
et ramosa Micon uiuacis cornua cerui.
Si proprium hoc fuerit, leui de marmore tota
puniceo stabis suras euincta coturno.Sinum lactis et haec te liba, Priape, quotannis
exspectare sat est: custos es pauperis horti.
Nunc te marmoreum pro tempore fecimus; at tu,
si fetura gregem suppleuerit, aureus esto.
この絵の内容に近くなるように、最小限に格や綴りをわざと間違えて、訳してみます。
牧夫たちよ!成長している詩人をツタで飾りなさい!アルカディア人たちよ!嫉妬でコドロスは体が張り裂けてしまうかもしれないが、彼が賛美される者にさらに賞賛を与えたのならば、未来の詩人が悪評で傷つけられないよう、バッカスの葉を額に付けなさい!
ディアナに捧げられる毛むくじゃらの半獣の頭よ!枝分かれした者に小さく怯える長く生きる半獣の足よ!お前が成功を得続けたならば、つやつやした完全な大理石の外で、深紅の靴をふくらはぎに縛り付けることでしょう。
胸とペニスを自分自身で隠しなさい!とても期待していますが、これから毎年、お前はこの荒れ地の守人になりなさい!まず、私が大理石で住処を作りました。そしてお前です。お前が多くの教え子を育てるならば、お前は黄金のように輝く存在となるでしょう。
この翻訳の説明です。
最初の節は、アルテミスを詩人とみなした描写とみなします。そうすると、植物の蔓で飾られる様子、おでこに葉の飾りを付けている様子が見えてきます。
次の節。この説には猪や鹿といったアルテミスゆかりの獣が出てくるのですが、それを半獣(ケイロン)と読み換えています。「枝分かれした」という形容詞 ramosa は名詞の奪格とし、枝分かれした蔓に包まれた画面上のアルテミスとします。Micon は人名ではなく micant と綴りをわざと間違えて動詞として使います。cornua は ramosa で形容される「角」と訳されるべき言葉ですが、「蹄のある足」という意味もあるので、そっちに訳します。「深紅の靴」というのは、将来、ケイロンが負うことになる、足の負傷を表すとします。
三番目の節。Sinum lactis はミルクの入った容器のことですが、乳房と解釈して、ケイロンは男性ですが、わざわざ胸を隠した不自然を表すために使います。Priape は果樹園と精力の神のことですが、隠語でペニスという意味もあるので、わざわざ後ろ足の間に描きこんでいるケイロンの性器のこととします。住処を作るとはどこにも書いてありませんが、後ろに描かれているのは大理石の岩とみなし、そこにアルテミスが洞窟を作ったことを指しているとします。
以下は、この訳を踏まえた解釈です。
アルテミスが詩人というより、彼女が未来の詩人に詠まれるということにします。この女神の服の4つの輪や3つの輪は、四行連詩や三行連詩という詩の形式の言葉を図案化し、彼女のことを詠む人たちが作ったいくつもの詩を表していると考えます。
アルテミスには Artemis Hymnia という呼び名もありますので、詩とまったく無関係な女神ではありません。未来の詩人と言うのは、この詩が紀元前に書かれたものですので、誰でもいいです。ダンテやペトラルカでもいいです。
植物のツタで飾られたと訳しましたが、ここに描かれている葉はツタではなく、オリーブのようです。月桂樹のようにも思えますが、葉のつき方が違います(そこまで配慮しなかったと言えばそれまでですが)。これが月桂樹だったならば、アルテミスの属性の一つ Daphnaea になります。
またバッカスの葉を額に付けると訳しましたが、これは本来の訳ではお守りのためにキツネノテブクロを頭につけることのようです。神話でよくあるように過度の賞賛は災いを招くために、お守りが必要だったようです。baccare はバッカス Baccahus を連想させる綴りですが、関連語ではありません。これはわざと誤訳しました。
バッカスの冠はツタとする流儀もありますが、人々に葡萄を広めたお酒の神様なので、まず葡萄と考えた方がいいでしょう。それを踏まえると、先日宝石の台座の植物はヨモギとしてましたが、これを葡萄の葉とします。こちらの解釈の方が合理的だと思います。
以上のように、全体を眺めて見ると、この絵は修業が修了した後の、アルテミスとケイロンを表していることになります。アルテミスの双子の弟アポロンは予言の神ですが、ほとんど同じ能力を持っているはずのアルテミスは予言の神とは言われていません。それでも、ここでアルテミスは二つの予言をしています。深紅の靴と黄金の予言です。深紅の靴の予言は、黄金の予言が実現されることによって引き起こされるとも言っています。
以前解釈したときは、ケイロンの表情や、前足を曲げた様子から、この絵に描かれているのはケイロンがヘラクレスの矢を受け、死を望む場面としました。さらにアルテミスによって死が与えられるとまでしてしまいました。しかしこういうふうに詩を訳してみると、これはどうやら違ったようです。それでも、なかなかいい線いってたと思います。
アルテミス神殿のアルテミス像はたくさんの乳房を持った独特の姿をしていたとされていますが、この詩の訳はその要素までちゃんと触れた文章になっています。この絵の乳房を蔓で強調した女神の描写もそう思ってみると、このエペソスのアルテミスを踏まえた描写と考えることができます。
目的を持って探せば、莫大な古代の詩があるのですから、それに合うものは何かきっと見つかるはずです。さらに、文法を無視して、本来の意味ではなく別な意味で解釈するのですから、いろいろと、こじつけられるでしょう。しかし、それでも、これほどこの絵を説明できるものは見つからないと思います。