ボッティチェリの作品《アペレスの誹謗》の典拠となっている文章を翻訳して、何か新しい発見がないかという研究の続きです。前回は古典ギリシア語で書かれているルキアノスの文章の英訳、ドイツ語訳を日本語に翻訳してみました。
今回は、ルネサンス期にルキアノスの文章を引用したアルベルティの『絵画論』にある文章を翻訳してみます。アルベルティは、イタリア語とラテン語で、この『『絵画論』を書いています。パノフスキーは『イコノロジー研究』の中でこのイタリア語の記述がこの絵の構図に影響を与えたとしていますが、このことも検証してみたいと思います。
さて、まずイタリア語からです。これは Della pittura – Wikisource で読めます。該当部分を引用すると次のようになります。
Era quella pittura uno uomo con sue orecchie molte grandissime, apresso del quale, una di qua e una di là, stavano due femmine: l’una si chiamava Ignoranza, l’altra si chiamava Sospezione. Più in là veniva la Calunnia. Questa era una femmina a vederla bellissima, ma parea nel viso troppo astuta. Tenea nella sua destra mano una face incesa; con l’altra mano trainava, preso pe’ capelli, uno garzonetto, il quale stendea suo mani alte al cielo. Ed eravi uno uomo palido, brutto, tutto lordo, con aspetto iniquo, quale potresti assimigliare a chi ne’ campi dell’armi con lunga fatica fusse magrito e riarso: costui era guida della Calunnia, e chiamavasi Livore. Ed erano due altre femmine compagne alla Calunnia, quali a lei aconciavano suoi ornamenti e panni: chiamasi l’una Insidie e l’altra Fraude. Drieto a queste era la Penitenza, femmina vestita di veste funerali, quale sé stessa tutta stracciava. Dietro seguiva una fanciulletta vergognosa e pudica, chiamata Verità. Quale istoria se mentre che si recita piace, pensa quanto essa avesse grazia e amenità a vederla dipinta di mano d’Appelle.
これを訳してみます。この文章の基本時制は半過去ですが、日本語では現在形で書くことにします。
この絵には、とても大きな耳を持った男がいる。彼のそばには、こちらに一人、あちらに一人、二人の女性がいる。一人は無知と呼ばれ、もう一人は嫌疑と呼ばれている。さらに向こうには誹謗がやってきている。彼女は美しい女性に見えるが、その容貌はあまりにもずるがしこく見える。彼女の右手には燃えている松明がある。反対の手で少年の髪の毛を掴んで引っ張っている。彼は自分の手を持ち上げて天へと伸ばしている。そして、一人の蒼白い、醜い、すっかり汚れた、邪悪な外見をした男がいる。まるで長い疲労を伴う戦場での戦いで痩せて、乾いているかのようである。この男は誹謗の案内人であり、妬みと呼ばれている。そして二人の別の誹謗の仲間がいる。彼らは、彼女の飾りと服を彼女に飾り付けている。一人は罠と呼ばれ、もう一方は詐欺と呼ばれる。この後ろには葬式の服を着ている女性、悔悛がいる。彼女はすっかり引き裂かれて立っている。後ろには内気で恥ずかしがっている、真実と呼ばれる一人の少女が後を追っている。
この文章の最後の方で、本来は悔悛の形容として使われるべき、恥ずかしがっているという描写が、真実の形容として翻訳されているために、真実が恥じらいのヴィーナスの姿勢を取っているのだと、パノフスキーが指摘しているわけです。実際、前回訳したルキアノスの文章では、一つの例外を除き、この形容は悔悛の形容として使われていました。
しかし、その例外から元々のギリシア語の文章がどちらにも訳せる文章なのかもしれないと推測できます。もしそうならば、必ずしもこのイタリア語の文章を元にボッティチェリが描いたとは言い切れないでしょう。第一、この文章には前回出てきたミダス王という言葉がありません。あの特徴的なロバの耳の描写は、ミダス王というキーワードなしには描けないはずです。このことからも、ルキアノスの文章から直接導いたと考えた方がいいのはないでしょうか。
さて、次はラテン語版を訳してみます。これは De pictura – Wikisource にあります。これも該当部分を引用すると次のようになります。
Erat enim vir unus, cuius aures ingentes extabant, quem circa duae adstabant mulieres, Inscitia et Suspitio, parte alia ipsa Calumnia adventans, cui forma mulierculae speciosae sed quae ipso vultu nimis callere astu videbatur, manu sinistra facem accensam tenens, altera vero manu per capillos trahens adolescentem qui manus ad coelum tendit. Duxque huius est vir quidam pallore obsitus, deformis, truci aspectu, quem merito compares his quos in acie longus labor confecerit. Hunc esse Livorem merito dixere. Sunt et aliae duae Calumniae comites mulieres, ornamenta dominae componentes, Insidiae et Fraus. Post has pulla et sordidissima veste operta et sese dilanians adest Poenitentia, proxime sequente pudica et verecunda Veritate. Quae plane historia etiam si dum recitatur animos tenet, quantum censes eam gratiae et amoenitatis ex ipsa pictura eximii pictoris exhibuisse?
そしてこれも日本語に訳してみます。
例えば、大きく伸びた耳をした一人の男がいる。彼の周りには二人の女性、無知と疑念、が立っている。彼とは別の側に、近づいてくる誹謗がいる。その少女の容貌は美しいが、狡猾さにたけた顔に見える。左の手に火の付いた松明を持っている。もう一方の手では確かに髪の毛を掴んで曳きずっている。(髪の毛を掴まれている)彼の両の手は天へと伸びている。ここには案内人である男がいる。彼は蒼白い色をし、くるまっており、不自然で、残酷な容貌をしている。彼はまるで戦場にいて長い苦役を終えたようにしている。ここにいる者は確かに妬みと呼ばれている。そして別の二人の誹謗の仲間−女主人の装身具を飾り付けている女性たちがいる。彼女たちは罠と偽りである。この後ろには、暗い色で、汚れた服をまとって、涙を流している、後悔がいる。すぐそばを内気で恥ずかしがっている真実があとを追っている。
内容としては、上記のイタリア語に近いのですが、細かい点では違っています。やはりこちらにもミダス王についての記述はありません。この文章を訳して一つ気づいたことがあります。妬みが戦場と結びつけられてしまっている理由です。
このラテン語の文章の中には、in acie という句があります。この acie という単語の意味を調べると、
acies,aciei
sharpness, sharp edge, point;
battle line
という意味が出てきます。前回の英語やドイツ語では、妬みの目の描写として「鋭い」という言葉がありましたが、おそらくここで意味がずれたのでしょう。アルベルティが採用したラテン語訳に、この誤訳があって、それがイタリア語訳にも受け継がれたと推測できます。イタリア語の文章の中に鋭いという意味にとれる言葉はありませんから、方向はそうなるでしょう。しかし、喪服を着ているという描写は、イタリア語にしかありませんから、アルベルティのラテン語の文とイタリア語の文に単純な方向性が見いだせるわけでもないのも確かでしょう。
ここまで訳してみると、ボッティチェリのこの作品はギリシア語の文章を直接訳して描いたのではないかと予想できます。では、ギリシャ語は次回。