2012年02月02日

《ヴィーナスの誕生》アフロディーテ讃歌の翻訳(5)

次は、ホーラたちが出迎え、アフロディーテを飾り付ける場面の前半です。

τὴν δὲ χρυσάμπυκες Ὧραι δέξαντ᾽ ἀσπασίως,
περὶ δ᾽ ἄμβροτα εἵματα ἕσσαν:
κρατὶ δ᾽ ἐπ᾽ ἀθανάτῳ στεφάνην εὔτυκτον ἔθηκαν καλήν, χρυσείην:

これを本来の意味で訳すと次のようになります。

黄金の髪飾りをしたホーラたちが女神を喜び迎え、
彼女たちは神々しい服を彼女に特別に着せた。
不死なる頭に、装飾の施された、美しく、黄金でできた冠を、彼女たちは載せた。

絵との共通点を見ると、同じなのは神々しい服を与えようとしているところだけです。しかしそれも文章では服を着せてしまっているので、絵と文章とは厳密には違います。第一、このときのホーラの人数が違っています。

人数に関しては、《プリマヴェーラ》の解釈において、ラテン語のHoraの変化を使って、本来複数形で書かれている文を単数形で書かれているかのように解釈しました。ギリシア語で書かれたこの讃歌でも同じ手法でうまくいくかもしれません。

古典ギリシア語の名詞には、主格、属格、対格、与格、呼格の5つの格があります。ドイツ語を習ったことがある人は分かるでしょうが、英語では名詞においては格変化は失われてしまっていますので、ぴんとこない人もいるでしょう。分かりやすく言うと、英語の代名詞における3種類のhe-his-himのような文中での役割によって起きる変化が、全ての名詞において起き、それが5種類あるということです。この変化は名詞の数、つまり単数と複数においても、それぞれ行われます。さらに古典ギリシア語には、出てくる頻度は少ないですが、単数と複数の他に双数という二つ組になっているものを表す数もあり、さらに多くなります。

上記のὯραιの変化は、第1変化(α変化)と呼ばれるもので、規則的に変化すると考えると次のようになります。これを見ると、文中の形は二つとも主格複数であることが分かります。

  単数 sg 複数 pl
主格 nom

Ὧρα

Ὧραι
属格 gen

Ὧρας

Ὧρῶν
対格 acc

Ὧραν

Ὧρας
与格 dat

Ὧρᾳ

Ὧραις
呼格 voc

Ὧρα

Ὧραι

与格単数のαの下に付いているのは、発音されなくなった「ι」の記号で、与格単数の目印のようなものです。これを本来のὯραιとみなすと、上記の主格複数と同じ形になります。つまり、他の語句との関係が矛盾を引き起こさなければ、主語にはなれませんが、これで一人のホーラについての記述と考えることができます。

ホーラを一人として訳せるめどがたったので、文の内容について考えて行きます。

 

最初の文は、本来、ホーラたちが女神を迎え入れている場面のものです。

τὴν δὲ χρυσάμπυκες Ὧραι δέξαντ᾽ ἀσπασίως,

δέは単純な接続詞で、この讃歌に多用されている語です。

この文の動詞は、δέξαντ᾽ です。これはδέξαντοの省略形で、本来の訳では動詞δέχομαι(take, accept, receive)の中動態の三人称複数アオリストとなっています。しかし、ここでは同じ変化形を持つ動詞δείκνυμι(show, point out, exhibit)の中動態三人称複数アオリストとみなします。その後のἀσπασίωςは副詞で「うれしそうに、喜んで、快く」です。

Ὧραιを主格として扱わないので主語は、χρυσάμπυκεςだけになります。これはχρυσός(黄金)とἄμπυξの合成語で、「黄金の髪飾り」の意味があります。ここで、ἄμπυξの意味を調べておきます。すると「紐、額、正面、王冠、髪飾り、輪」とあります。

τὴνは対格単数女性ですが、これはアフロディーテのことです。そしてὯραιは、ここでは与格単数女性の一人のホーラです。

これらをまとめると、「正面が金色のものたちはホーラとともにアフロディーテに対してうれしそうに自分たちを誇示していた。」となります。なんだか分からない文章です。しかし、絵を眺めながら考えると理解できるでしょう。この絵の中の物は画面のこちら側が金色に輝いています。ホーラの後ろの木々は、丸い幹の一番こちら側の部分だけが金色になっています。ホーラの足下の草さえも、こちらの側だけ金色に輝いています。左下にあるガマの穂も前面が輝いています。ホーラにしても、こちら側に見せてる左腕に金色の紐を巻き付けて、こちら側を輝かせています。

 

次はこの文です。ホーラたちがアフロディーテに服を着せている場面です。これはこれでも良さそうですが、これも面白い意味になります。

περὶ δ᾽ ἄμβροτα εἵματα ἕσσαν:

この文の動詞はἕσσανで、本来の解釈ではἕννυμι(着せる)の三人称複数アオリストですが、他にἵζω(座る)の三人称複数アオリストの方言とも解釈できます。

περὶは対格支配の前置詞にもなりますが、ここではaround, exceedinglyといった意味の副詞と解釈します。本来の解釈では、このexceedinglyの意味を使っています。なお、δ᾽はδέのことです。

εἵματα は名詞εἵμαの複数中性の主格か対格です。その前のἄμβροταは形容詞ἄμβροτοςの複数中性の主格か対格で、性数格はちゃんと一致しています。本来は、この二つの語を対格と考え「神々しい服を」の意味となります。しかし、これでは面白くないので、他の意味を探してみます。

ἄμβροτοςの意味をいろいろ探していると、ピタゴラス学派の5の意味があることが分かります。この辞書によると西暦300年頃のネオプラトン主義の哲学者イアンブリコスの著者が出典のようです。次にεἵμαの意味を調べてみると、普通は「服」を表す言葉ですが、専門的な意味で植物の房の意味があります。つまり合わせて「5つの房」となり、植物の花の付き方を表す言葉になります。植物が主語となれば、それが根付いている様子は、動詞ἵζωの意味に合っています。

この絵の中で5つの花を探してみます。アフロディーテに着せようとしている赤い服を見ると、5つの花が咲く植物の絵があります。これを表しているのかもしれません。περὶという副詞の描写に相応しい感じで房が広がっています。

fivecluster

複数形で書かれているので、他にも株が必要です。この柄のすぐ下にも五房の株があります。さらにもっとよくこの絵の中を探してみると、暗くてはっきりしないのですが、きれいな配置の植物がホーラの足下に見つかります。

fivecluster2

これは地面に花々が広がって咲いています。こちらも房が広がっていますが、その配置は正五角形に近くなっています。ピタゴラス学派といえば、五芒星がシンボルですから、ぴったりです。5が重要な数だからこそ、「不死なるもの」が5だったりするのでしょうか。この形はとても特殊な用法であるピタゴラス学派の「5」の意味で使われたことを主張していると思われます。

そういうわけで、この文は「いくつかの五つの房の植物が広がって植わっていた。」となります。

 

次の文は、ホーラたちは美しい冠をアフロディーテに載せる描写です。もちろんこの記述はボッティチェリの絵にはそのまま描かれていません。

κρατὶ δ᾽ ἐπ᾽ ἀθανάτῳ στεφάνην εὔτυκτον ἔθηκαν καλήν, χρυσείην:

この文の動詞はἔθηκανで、τίθημι(置く)の三人称複数アオリストです。周りを見回しても主格の単語がないので、この動詞の主語は、この文には記述されていない、この絵の中の描かれた複数の何かとなります。

対格の名詞στεφάνηνは、単数女性で、冠や輪といった意味の言葉です。アフロディーテ讃歌の最初の方では、形容詞ですがχρυσοστέφανονという合成語の形で出ていました。このときは、黄金で頭を囲んでいる様子から「金髪をした」と解釈しました。今回はどう訳しましょう。

この名詞στεφάνηνには、性数格が同じことから3つの形容詞εὔτυκτον、καλήν、χρυσείηνが修飾しているのが分かります。それぞれ、装飾が施された、美しい、金色という意味です。冠の形容としてはどれもふさわしいものです。

しかしこの絵の中には冠は描かれていません。以前の翻訳の時のように金髪を表していると考えてみましょうか。三人の女神の中でホーラの髪はきれいに編まれているので、装飾が施されたという形容に適合します。もちろん美しいです。しかし、ホーラを主語とした場合、動詞が三人称複数であることを説明できなくなってしまいます。

では、この絵の中に冠と呼べる物は他にないでしょうか。そう思って見回すと、この絵にたくさんの花々が描かれていることがヒントであると気づきます。花びらの王冠状の集まりは花冠(collora)と呼ばれます。これです。金色の花びらの花はないかと探すと、ホーラが手に持っている衣装にちゃんといくつか描かれています。これは刺繍でしょうから、装飾が施されているという表現も合っています。この金色の花冠を持った植物が主語ならば、動詞が三人称複数であることも文法的に解決します。

golden

 

この文にはまだ解釈されていない言葉があります。κρατὶ ἐπ᾽ ἀθανάτῳです。短縮されているἐπ᾽はἐπίです。与格が周りを囲んでいるので、きっとこれらを支配しているのでしょう。本来の解釈では「不死なる頭に」となります。しかし、これでは花々を主語とする解釈では合いません。

そこで、ἀθάνατος(immortal)の意味をさらに調べてみると、名詞として使って植物のlicnide coronariaを意味するとあります。これはイタリア語で書かれたギリシア語辞書で調べたわけですからイタリア語名です。これのラテン語名を調べると、silene coronariaとあります。日本語名だとスイセンノウです。

この花をこの絵の中から探してみます。ἀθανάτῳが名詞であるならば、これは単数なので、おそらくこの衣装の中に一株だけあるはずです。

flower

該当するのは上の画像の植物だと思います。残念ながら、一株だけではありませんでした。これはスイセンノウの画像検索で出てくる物とは似ていませんが、カーネーションのようなガクと、ナデシコのような細い花弁のこの花だと思います。

ἀθανάτῳを花の名前とするので、κρατὶとἀθανάτῳは別々になってしまいます。つまり、前置詞ἐπ᾽の支配を受けるのはκρατὶ で、ἀθανάτῳは単独の与格とします。

まとめると次のようになります。

アタナトスと共にあるいくつかのものは頭に装飾が施された、美しい、金色の花冠を置いていた。

 

この絵にはいくつもの花が描かれていますが、その最大の理由は、ここで説明したようにアフロディーテ讃歌のギリシア語を、花に関連する意味に置き換えて描いているからです。



posted by takayan at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィーナスの誕生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする