οἷσί περ αὐταὶ Ὧραι κοσμείσθην χρυσάμπυκες,
ὁππότ᾽ ἴοιεν ἐς χορὸν ἱμερόεντα θεῶν καὶ δώματα πατρός.
αὐτὰρ ἐπειδὴ πάντα περὶ χροῒ κόσμον ἔθηκαν,
ἦγον ἐς ἀθανάτους:
本来の訳は次のようになります。
黄金の飾りを付けたホーラたちが自分自身を飾る物を、
神々の優美な舞や、父親の家に、彼女たちが向かうときに。
彼女たちは(女神の)体を完全に飾り付けて、
彼女たちは神々の方へと進んだ。
これも、そのままではボッティチェリの絵と意味が通じません。
最初の文は、本来の意味では、前述のネックレスについて説明する文です。
οἷσί περ αὐταὶ Ὧραι κοσμείσθην χρυσάμπυκες, ὁππότ᾽ ἴοιεν ἐς χορὸν ἱμερόεντα θεῶν καὶ δώματα πατρός.
これは、二つの節をまとめて解釈します。
最初の節にある動詞はκοσμείσθηνで、κοσμέω(飾る)の三人称双数現在希求法中動態とするのが本来の解釈です。この文には主格のὯραιがはっきりとあるのですが、ずっと言っているようにこれを単数形と解釈するために、主格ではなく与格と解釈します。なお、ここで双数で書かれていることから、本来の主語ホーラたちが二人であることを示しています。一般的なホーラたちは三人組か四人組ですが、このアフロディーテ讃歌におけるホーラたちは二人組の可能性があるということです。
では、何が主語となるかですが、本来の解釈でὯραι と並列して修飾している主格のχρυσάμπυκεςだけを主語とします。つまり、主語が「黄金の飾りを付けたホーラたちが」から、「いくつかの黄金の飾りが」もしくは「黄金の飾りを付けた者たちが」に変わるわけです。χρυσάμπυκεςはχρυσόςとἄμπυξの合成語です。前者は黄金で、後者は、王冠や額の飾りを意味します。ἄμπυξのイタリア語での意味はbenda、diadema、frontaleなどがあります。
ギリシア語では中動態と受動態が同じ形をしていることが多いのですが、この場合もこの動詞は受動態とも解釈できます。そうなると、物が主語となっても自然な文章が作れます。また動詞が双数形なので、この主語となる黄金の飾りも二つ組みになる可能性が出てきます。この受動態の行為者は与格で示されるので、飾られるのは一人のホーラとなります。つまり、この解釈が合っているかどうかを判断するには、ボッティチェリの絵のホーラに描かれている黄金の物を探せばいいということが分かります。
しかし、ホーラ自身としては複数になっている金色をしている物をもっていません。あるのは、左腕だけに結んだ金色の薄い帯だけです。先ほど調べたイタリア語での意味にはbendaつまり包帯や目隠しというのがあります。絵の様子では怪我をしているようには見えませんが、包帯もしくは単なる帯と考えればいいでしょう。
このように金色の物が2つあるべきなのに1つしかない訳ですが、この節の動詞が希求法で描かれていることを思い出すと、これもうまい具合に説明できます。つまり、現実には片方にしか飾りがありませんが、両方を飾れたらいいなあという希望を表していると考えればいいわけです。ここでは片方だけ描くことで物足りなさを演出しています。
つまり、この節の意味は、
二つの金の帯状の物が、ホーラ自身によって飾られればいいな。
となります。
次の節の動詞はἴοιενで、これはεἶμι(go、be)の能動態希求法三人称複数現在です。本来の主語は、明示されていませんが、ホーラたちです。ホーラたちの父親はアフロディーテと違ってゼウスなので、父親の家とは神々が集まるオリュンポスをイメージしているのではないかと思います。今回の解釈には関係ありませんが。
この節は、前置詞ἐςが支配している与格で表現された二つの目的が記述されています。この構造そのものを変えることは難しそうなので、つまりχορὸν ἱμερόεντα θεῶνとδώματα πατρόςについてこの絵に合った別の解釈ができないか考えるわけです。
χορόςにはダンスだけでなく、合唱の意味もあります。この絵の中で、踊っている者はいませんが、歌っているようにみえる者はいます。左の海の上を飛んでいるゼピュロスとその隣の女神です。彼らは共に口から息を出しています。息だけでなく声まで出ているかは分かりませんが、風はときには音を立てて吹きますから、この様子を歌うと描写することも可能でしょう。
χορόςを修飾している形容詞ἱμερόειςですが、この意味は「欲望を引き起こす、優美な、愛らしい、うっとりする」などとなります。この絵の場合は「欲望を引き起こす」がぴったりでしょう。その後から修飾しているθεῶνは複数属格で、「神々の」となります。合わせると、「神々の欲望を引き起こす合唱」となります。
今度は、もう一つの前置詞の目的語δώματα πατρόςです。一般的な意味はδῶμαが家、πατήρが父ですが、これをどうにか別の意味に解釈してみます。δῶμαのイタリア語での意味を調べるとcasa、dinora、sala、camera principale、tempio などが出てきます。tempioは「神殿」を意味しますが、あとは「家」のいろいろなバリエーションです。ここで注目すべきは、salaという言葉です。この項目での意味は「かなり広い部屋」を意味しますが、同じ綴りの植物の「ガマ」を表す言葉があります。もちろんこの絵の左下に生えている植物のことです。
運良くガマという言葉は出てきたのですが、それを修飾しているπατρόςが問題です。これは「父親の」とか「祖先の」という意味しかありません。このガマが誰の物かなんて分かりませんから、こういう表現はダメでしょう。ではどうすればいいのかと考えると、この蒲の穂の形です。これペニスと思いましょう。下の白い波は精液としましたが、その上に金色のペニスが並んでいるというすさまじい絵になってます。
アフロディーテはクロノスの切り落とされたペニスから出た泡から生まれたことになっています。ペニスは生殖にはなくてはならないものですが、アフロディーテにおいてはそういう衝撃的な出来事がある以上、より特別な存在になります。そういうわけで、イタリア語でsalaを意味するδώματαにπατήρ(父の)という修飾語が付けば、家を意味するsalaではなく、ペニスを思わせるガマのsalaを意味していると解釈できます。
この文章の複数の主語ですが、今までの内容から、翼のある二人の神々と考えていいでしょう。男の神の方はゼピュロスで問題ありませんが、女性の神の方は現時点では誰だか分かりません。全体の意味は次のようになります。
彼らが神々の欲望を引き起こす合唱をして、父なるガマのところにいるときは、(ホーラの)二つの金色の帯状の物がホーラ自身によって飾られればいいのにな。
相変わらず、妙な意味の文章ですが、ボッティチェリの絵に合わせて解釈すると、このような意味を導くことができてしまいます。
そして、ホーラたちがアフロディーテの飾り付けを終えて、神々のところへアフロディーテを導く場面です。
αὐτὰρ ἐπειδὴ πάντα περὶ χροῒ κόσμον ἔθηκαν, ἦγον ἐς ἀθανάτους:
それぞれの単語の意味を調べてみます。αὐτὰρ ἐπειδὴは接続詞で、意味は「そして」でいいです。πάνταは副詞とみなして「完全に、すっかり」とします。περὶは接続して後ろの与格を支配します。意味は「そのまわりに、近くに」という意味になります。χροῒ は中性名詞χρώς(皮、肌、身体)の与格単数です。その後にあるκόσμονは、男性名詞κόσμος(順序、飾り)は対格単数です。そして動詞ἔθηκανは、τίθημι(配置する)の三人称複数アオリストです。ἦγονは、動詞ἄγω(導く、運ぶ、進む)の三人称複数未完了過去です。ἐςは前置詞で、後ろの対格を支配していて、このときは英語の「to」に相当します。ἀθανάτουςは、形容詞ἀθάνατος(不死の)の複数女性対格ですが、ここでは名詞として「神々」とします。
最初の節ですが、本来の主語であるホーラは複数ではないので使えません。また本来の飾られる対象であるアフロディーテは周りの誰からも飾られていないので、すっかり飾られたなんて言えません。では誰が誰を飾っていることになるのでしょうか。「πάντα περὶ χροῒ 」とありますから、「身体の周りをすっかり」飾っている複数の人物ではないといけません。それを踏まえて絵を見れば、自ずとそれが翼のある二人であることが分かります。彼らの周りには、バラの花が舞って、彼らを飾っています。
これだけの情報でもいいのですが、ここでさらにτίθημιの意味を、もっとこの絵に合うようなものはないか探してみます。そうすると、英語のギリシャ語辞典にはmake、cause、createという意味が載っています。「飾りを配置する。」よりも「飾りを生じさせている。」とした方が花の由来も明示できていいでしょう。
次の節ですが、動詞ἦγονは三人称複数で、やはり翼のある二神のことになります。この場合は自動詞として訳さないといけないので「進む」と訳します。そして未完了過去なので、「進んでいた。」とします。目的地のἀθανάτουςは、以前出てきたようにホーラが手に持っている衣装に描かれている花の名前と解釈して「アタナトス」としてもよいでしょう。向いている方向にはその花が描かれている衣装があるのですから。しかし、そこには同時にアフロディテと一人のホーラがいて、書かれているように複数の神々もいますので、わざわざ植物の名前に置き換えなくてもいいかもしれません。
従って、この文は、次のようになります。
そして彼らは体の周りに飾りを生じさせて、神々の方へと進んでいた。