それでは、ボッティチェリの作品《ヴィーナスとマルス》の描写を、ルクレティウスの『物の本質について』のある部分から導くことができることを示してみます。
前回の投稿の後、念のため確認してみると、前回指摘した部分よりも前の行も言葉遊びの対象になっていました。まずそこから始めます。まず本来の意味です。
quo magis aeternum da dictis, diva, leporem.
effice ut interea fera moenera militiai
per maria ac terras omnis sopita quiescant;
quoはいろいろ意味がありますが、ここでは「それゆえに」とします。magisは英語のmoreに相当する副詞です。そのあとの形容詞aeternum(永遠の、長く続く)を修飾していると考えます。この形容詞は中性単数の主格、呼格、対格、もしくは男性単数対格の形をしています。この文の中でこれのどれかに一致する名詞を探すと、一番後ろの名詞leporemが見つかります。つまり、男性単数対格だと分かります。このleporにはイタリア語で「grazia(優しさ)、garbo(魅力)」の意味があるので、合わせると「より長く続く魅力」となります。
daは動詞do(dare、donare、与える)の命令法二人称単数です。懇願を表している命令文で、頼んでいる相手は後の方にあるdiva(女神)です。すぐ後にあるdictisは名詞dictum(言葉)の複数与格もしくは複数奪格の形ですが、動詞doの目的語であることを考慮すると、複数与格だと分かります。先に分かった対格の語句と合わせると、全体で、「女神よ!より長く続く魅力を言葉に与えたまえ!」となります。
次の文です。efficeは動詞efficoの命令法二人称単数です。そのあとのutは接続詞ですが、後ろに接続法の動詞を伴って、目的などを示す節を作ります。確認すると、ちゃんと接続法の動詞quiescantが見つかります。全体で、「〜するのを達成せよ、〜するようにせよ」という意味になります。
intereaは副詞で「その間に」です。fera moenera militiai。perは接続詞で対格をとります。acは接続詞で、mariaとterrasは共に対格です。omnisは形容詞で、両方の名詞を修飾していると考えます。「per maria ac terras omnis」全体で、「全ての海と陸において」と訳せます。
sopitaは動詞sopio(眠らせる、鎮める)の完了分詞で、いくつかの格に解釈できますが、ここではquiescantの目的語になれるように、中性複数対格と考えます。つまり、対格である中性名詞moeneraが動詞sopioの目的語で、その分詞の対格がさらに動詞quiescantの目的語になっている構造です。時制が完了なので、相対的に分詞の動作の方が先に起きていることになります。
まとめると次のようになります。
それゆえに、女神よ!より長く続く魅力を言葉に与えたまえ!
その間に、すべての海と陸において、戦争の野蛮な出来事が鎮まり、停止しますように!
これが素直な訳です。この絵の場面を直接記述した文章ではないことがわかります。
それでは、これを屈折した意味になるように解釈してみます。
最初の文の解釈です。aeternumには「eterno(永遠の、長く続く)」という意味ですが、他に「indistruttibile(破壊できない、不滅の)」という意味もあります。magisはそれを修飾しているので、その意味を強めるために、「決して破壊できない〜」とします。
今回dictumはdettoの文語的な意味の「物語」と訳します。leporは「grazia(優雅)」の他に、「arguzia(言葉遊び)」、「piacevolezza(冗談)」という意味もあります。したがって、dictisは「物語に」、leporemは「言葉遊びを」とします。leporemはさらに「magis aeternum」に修飾されるので、言葉に合わせて「決して見破られない言葉遊びを」とします。動詞doは「与える」の意味ですが、「許す、了承する」という意味もあります。
女神よ!この物語に決して見破られない言葉遊びを許したまえ!
二番目の文です。feraはここでは名詞として考えます。ただし女性名詞feraとして考えると性数が合わなくなるので、形容詞ferusを名詞化したものとします。つまり、ferusの中性複数対格が名詞化されたものとしてのferaとします。意味は「野蛮な者たち」とします。そうすると、並んでいる三人のサテュロスの三人全員もしくは何人かを指し示すことができます。また、この絵の中で服を着ていないマルスも一括りにできます。なおヴィーナスと右下の女の子は服を着ているので、野蛮人ではありません。男たちが半獣の姿であることと、マルスが裸であること、女性たちが服を着て描かれていることの理由がこの言葉にあると言えます。
feraの後ろの対格をまとめて、前置詞perの目的語とします。つまり、per monera maria militiai を前置詞句として考えます。まず、名詞moeneraはufficio(世話)、dovere(義務)、funzione(機能)などの意味がありますが、他にprodotto(製品、生産物)という意味があります。これには同じ綴りで違う意味の言葉があります。そのprodottoの意味は、「伸びた、延された、拡張した、長い」です。これからmoeneraに「長い」という意味を与えます。この連想は我ながら強引だと思います。しかしとても効果的です。
前置詞perはここではイタリア語の前置詞con(持っている)の意味とします。mariaは中性名詞mare(海)の中性複数対格なのですが、形容詞mas(男の、勇敢な)の中性複数対格と同じ形ですのでそれとします。militiaiはそのまま女性名詞militia(戦争、軍隊)の単数属格です。合わせて考えると、「戦争の長い勇敢な物を持っている」となります。
戦争の長い勇敢な物というのは、紛れもなくこの絵に描かれている長い槍のことです。槍を持っているのは、兜をかぶっている子と、真ん中の子です。右の子は槍を掴んでいないので、この表現には含まれないと考えた方がいいようです。マルスも戦争の長い勇敢な物を持っています。彼の左手の指先にある細長い棒です。つまりマルスもこの語句の表現に含まれていることになります。
しかし、この解釈だと「terras」が残ってしまいます。この解決として、これを展開してterrasの前にもperがあると考えます。そしてこの時のperの意味を「attraverso(を横切って)」とします。本来の訳ではterrasは「陸」としましたが、今回は「田舎」と訳します。そうして、人物たちの後ろの画面の真ん中に広がっている何もない風景を示していると考えます。つまり、「田舎を横切って」とします。
槍を持っている二人のサテュロスは後ろの遠景を横切って並んでいます。したがって、この表現の通りになっていると考えられます。また、マルスは自らの体をこの遠景を横切って伸ばしています。やはりこの表現の通りに描写されていると考えることができます
残りです。形容詞omnis(すべての)は複数対格です。分詞sopita(眠らせる)も中性複数対格として一致していると考えます。しかしこの意味ではちょっと困ります。ここで技巧的なことをします。sopitaは動詞sopioの完了分詞ですが、ラテン語にはsopioという同じ綴りの名詞があります。意味はペニスです。残念ながらこのsopioは語形変化してsopitaになることはありませんが、意味だけを借用して考えます。こうすると、うまくいきます。
最後のquiescantは、動詞quiesoの接続法三人称複数現在で第一義で「休む、静かである」の意味ですが、調べていくと、「省く」という意味の「desistere、omettere」というのがあります。つまり、これを使うと「ペニスを省略する。」という意味になります。実際、このサテュロスたちには描かれていいはずの場所にペニスが描かれていません。古代ではサテュロスといえば立派なペニスと共に描かれる存在ですから、省略されていることをわざわざ記述することが意味を持ってきます。また、マルスについても、布を掛けることで、それを省略したことになりますから、この表現の通りだと言えます。この文が、子どもたちがサテュロスとして描かれている根拠、マルスの腰に布が掛けられている根拠の一つとなるでしょう。
全体をまとめるとこうなります。
「それゆえ、女神よ!この物語に決して見破られない言葉遊びを許したまえ!」
「そのときに、戦争の長い勇敢な物を持っている、田舎を横切っている野蛮な者たちが、ペニスを省略するように!」
最初の文は女神への懇願であり、二番目の文はその女神からの啓示と解釈すればいいでしょう。
今回はここまでです。前回新しい解釈をした部分で、いくつか形容詞の性数格の一致がうまくいっていなかった部分がありました。今後の説明の中で修正していきます。