ホーン Horne が指摘しているこの絵の彫像のモデルを元にこれらの彫像が何を意味しているか考えていきます。彫像のモデルの特定がホーンが独自に探したものか、それ以前の人たちの意見をまとめたものなのか分かりません。とりあえずはホーンの指摘として記すことにします。
この絵の中段、いくつもある柱の側面にあるニッチに彫像が置かれています。そのニッチには、ちょうど像の頭が来るあたりにはホタテ貝の波形のような模様が刻まれています。ちょうどシスティーナ礼拝堂でボッティチェリが担当した聖人のフレスコ画を想い起すデザインです。おそらくこの装飾から、彫像として配置されている人物も、聖人でなくても偉人である可能性が高いでしょう。
作品の右端から見ていきます。
容姿から女性の像だと分かります。ここに描かれている彫像の中で唯一の女性のようです。足下をよく見ると髭面の男の頭があります。女性は男のこの額に刃先が当たるように長剣をまっすぐ下に下ろしています。ホーンによると、この女性はユディト(Judith)で、足下にあるのはホロフェルネスHolofernesの首です。Judithの物語はカトリックの旧約聖書に出てきます。
この彫像の上下を見ると、この物語の場面を描いたレリーフが描かれています。ボッティチェリ自身もこの物語の場面をいくつか描いていますが、現存するものにこれと同じ構図のものはありません。下にあるものは、従者が右側にきています。
絵画に描かれる女性と生首という組み合わせは、ユディトとホロフェルネスの他に、サロメとヨハネがありますが、彫像が剣を持っていること、そして上下にある同じ題材が描かれているレリーフにより、この女性をユディトと断定して問題ないでしょう。
次は、このユディトの右にある彫像です。ホーンはこの人物を具体的には特定していません。ただ服装が当時のフィレンツェのものであることを指摘し、トスカーナ地方の有名な物語の登場人物ではないかとしています。フィレンツェに関係する物語といえば、有名なところではダンテの『神曲』やボッカチオの『デカメロン』などがありますが、手当たり次第に読めば何かヒントが見つかるかもしれません。もしかすると物語に限定する必要はないかもしれませんが、そうなるとこの場に相応しいフィレンツェ近辺の実在の有名人を探す必要があるでしょう。
画面右側の像から順にホーンによって指摘されている像を見ていますが、次に名前が挙げられている像は少し間が開きます。「the figure holding a sword, on the farther pier of the arch to the left」と書かれている像は、奧の柱にあるこれ見よがしに剣を持っている次の図の像のことだと思います。
ホーンは、この人物をパウロではないかとしています。根拠までは書いてありませんが、パウロのアトリビュートである剣が見えているのがその理由の一つだと思います。しかし、これはちょっと納得がいきません。上のように区切ってみるとよく分かりますが、足下にちょうど「誹謗」が持っている炎が描かれていて、まるで火あぶりになっているように描かれています。火刑で殉教したのならともかく、聖人に対してこのような表現は避けるのではないでしょうか。
剣がパウロである徴であるというのならば、解釈されなかった像にも剣が描かれています。そちらを見直してみます。
王の後ろに描かれている目をつぶって、胸に手を当てている彫像のことです。この像の右に描かれている像も胸に手を当て、目をつぶっています。彼らはまるで耳を澄まし、二人の女の告げ口の内容を聞いて、胸に手を当て心でじっくりその真偽を判断しているようです。
頭の禿げた方の男性の手の下にあるものをよくみると、そこに剣の柄があることが分かります。この男性は胸に当てた右手で柄の端を押さえ、その少し下のところで左手で剣のツバを押さえています。このツバの形は他の彫像の剣と同じなので、それが剣の一部だとはっきりと分かります。剣は刃その下の方へと伸びていきますが、すぐに王と二人の女たちの影になって見えなくなっています。
このようにこの男性は剣と共に描かれています。絵画の中でパウロはこの像のようにの禿げた容姿でよく描かれています。この二つの特徴から、この男性をパウロだと判断していいかもしれません。
しかし、この像をさらによく見てみるとすぐに問題が見つかります。お腹のところに何か丸いものが描かれています。これは他の像の描写と比べると、鎧の一部だということが分かります。そしてこの人物が鎧を着ているのだと知って、全体を見直してみると、左袖はローブですが、右腕の描写が鎧の籠手だと分かってきます。パウロは軍人であった経歴はなかったはずなので、この描写はパウロではありえなくなります。
でも、一度この像をパウロだと思ってしまうと、この考えは捨てがたくなります。これを解決するために、こういう筋書きはどうでしょう。パウロは常に剣と共に描かれるので、この彫像の作者は彼を軍人だと思い込んでいたのではないでしょうか。その中途半端な知識のままこの像を作ってしまったために、おかしなパウロ像ができてしまった。そういう設定でこの像は描かれているのではないでしょうか。
では、ホーンがパウロ像だと思っていた像は一体誰なのでしょう。この像のように見ている者へと視線を送っている仕草で思い出すのが、《マギの礼拝》に描かれているボッティチェリです。よく彼の自画像として引用されているものです。群衆が描かれた中で、さりげなくカメラ目線になっている人物は、本人や依頼主であるかもしれません。この絵でもそうかもしれません。しかし先ほど指摘したように火炙りに見えるように依頼主を描くことは考えられないので、これはボッティチェリ本人ではないでしょうか。
さて、次に説明されているのが、この絵の中央にある像です。
ホーンは、この像は聖ゲオルギオス(Saint Geroge)であるとしています。根拠はこの像がドナテッロDonatelloが1416年に制作したオルサンミケーレ教会の《聖ゲオルギオス像》に似ているからです。
細かな点では違っていますが、鎧やマントなど、この彫を参考にこの絵が描かれているのが見て取れます。前に置いてある盾が後ろにありますが、省略せずにちゃんと描いていることで、この像をモデルにしていることを強調しているように見えます。ただ違う点として、オリジナルでは帽子のような兜をかぶっていません。剣も持っていません。はっきりとおかしな間違いがあります。
ドナテッロがこの像の作者だと分かれば、この兜からすぐにある像を浮かべることができるでしょう。そう、ブロンズのダヴィデ像です。少女のような裸のダヴィデが、これに似た帽子のような兜をかぶり、剣を持ち、その剣で切り落としたばかりのゴリアテの頭をブーツを履いた足で踏みつけている像です。
聖ゲオルギオスといえば、竜退治が有名です。ホーンはこのボッティチェリの絵の中にその場面がレリーフとして描かれていることを指摘しています。この像がある柱の上の左の手前のレリーフです。
左には馬上の騎士が描かれていて、鳥の化け物のような竜が描かれています。時代的に近いラファエロが描いた《聖ゲオルギオスとドラゴン》が参考になると思います。ユディトの像の上下のレリーフのように、このレリーフも中央の像が聖ゲオルギオスであることを補足しているのでしょう。
さて、聖ゲオルギオスで思い出されるもう一つのものとして、「聖ゲオルギオスの十字」があります。英語で書くと「St. George's Cros」で、イングランドの旗で有名な白地に赤い十字の形をしたものです。そのことを踏まえて、この絵全体を見てみると面白いことに気付きます。ゲオルギオスの飾られている柱は視点の正面にあるために側面が描かれず、きれいな垂直な平行線として描かれています。そしてこの絵には遠景に、水平線が描かれています。そしてその直線と重なるように、ゲオルギオスが立っている台の下の直線が描かれています。そして、その水平線と平行にまっすぐな海岸線が描かれています。つまり「Croce di San Giorgio」という言葉をこの絵に描き込んでいたことになります。
この中央の柱は以前から遠近感がおかしいなと思っていたのですが、その理由はこれかもしれません。ここに十字架が描かれていることをそれとは知られずに強調していたと考えられます。
次です。ホーンはもう一つの像のモデルを指摘しています。左隣の柱の正面にある彫像です。
左手で服の裾をたくし上げ、下に着ている鎧を見せている像です。尖った兜を載せた首は傾けていて、右手には地面に届く何かを持っています。ホーンは、これを同じくドナテッロが作った大理石のダヴィデがモデルだとしています。ドナテッロは、先ほど紹介した裸に帽子と剣とブーツという印象的な姿のものとは別に、1408-1409にダヴィデ像を制作しました。こちらは服を着ています。
これも完全に一致しているわけではありませんが、左足を見せている仕草が似ています。何よりも、ボッティチェリの絵において足下に人の頭が描かれているのが、彼がダヴィデであることを表しています。この首はユディトのときほどはっきりとは描かれてはいないので、指摘されなければきっと気がつかないものです。独力で気付いた人はそうとう注意力のある人です。これがダヴィデならば右手に隠し持っているのは投石器だと推測できます。
ところで、有名なドナテッロのブロンズのダヴィデ像、ミケランジェロのダヴィデ像においてダヴィデが裸になっているのは、鎧を脱いでゴリアテと戦った故事を表すためですが、このボッティチェリの描いた彫像は服の下に鎧を着込んでいます。服を着ていてはいいかもしれませんが、鎧を着ていては話が全然違います。これは不注意というより意図的なものでしょう。
このように、ホーンは正面を向いている二つの像がドナテッロが制作したものだと指摘しています。ならば、他の像もドナテッロの作品をモデルにしている可能性が考えられます。そう、ユディトです。
それは《ユディトとホロフェルネス》と呼ばれる作品で、左手で彼の頭を押さえつけ、まさに今からホロフェルネスの首を切り落とそうと剣を振りかぶっている像です。既に見たようにボッティチェリの描いた像ではホロフェルネスはもう首だけになっていて、時間的に違う場面を描いています。というよりもホロフェルネスの首は彼女が誰であるかを示すためのアトリビュートのような存在になっています。
この二つは構図そのものが違っています。服の描写などもそれほど似ていません。ただホロフェルネスの顔の表情や、ユディトの顔や彼女の段になっている頭巾などは似ていると言えば似ているでしょう。ドナテッロの《ユディトとホロフェルネス》の像も当時メディチ家が所有していたわけですから、大理石のダヴィデ像と、聖ゲオルギオス像を参考にしていたのならば、このユディトも見ていないわけはないでしょう。
ところで、ドナテッロの作品を探していて気がついたのですが、ウフィツィ美術館にあるドナテッロ像の服装や姿勢が右から2番目にあるフィレンツェ風の彫像に似ているように思います。
この彫像はドナテッロ自身の作ではないと思われます。またボッティチェリの頃にこの像があったかどうかも分かりません。ただ体を傾けた感じや、帽子や襟の形などがよく似ています。単に近い年代のフィレンツェ人だから偶然似た服装になったのかもしれません。しかし、ここにこうやって3体のドナテッロに結びつけられる彫像が並んでいるわけですから、この彫像がドナテッロである可能性も考えてもいいのかもしれません。彼は後ろにある後光の装飾に相応しい芸術家です。ボッティチェリもそう考えていたでしょう。
この考えを確定するには、ウフィツィ美術館にあるこのドナテッロ像がいつ頃どのように作られたのかを調べる必要があります。どんな資料を使ってドナテッロの姿をこのように表したのかがわからなくてはいけません。もちろん、絵の中のこの人物がドナテッロだったとしたら、髭を生やしていない若い姿で描かれていることになります。ヴァザーリの書いた列伝にある彼の肖像画からもわかるように、彼は髭を生やした姿で人々には認識されていたようです。
《アペレスの誹謗》で描かれている彫像をまとめると、こうなります。
ホーンが指摘しているように、ここにはユディト、ゲオルギオス、ダヴィデをモデルにした彫像があります。またパウロはホーンが指摘したものとは違う像ですが、やはりこの絵の中に描かれていると考えます。彼らはキリスト教における偉人たちですが、さらに一つの共通点を持っています。それは斬首です。ユディトとダヴィデはこの絵の中にも描かれているように敵の首を切り落としました。残りのゲオルギオスとパウロは、斬首により殉教しました。彼らは斬首と強く結びつけられている偉人たちです。
またこの絵の中心に描かれている聖ゲオルギオスは、そのモデルとされる像と違って帽子と剣を持っているのですが、それらは本来ブロンズのダヴィデの持ち物なので、この剣はまさに首を切り落とすための武器を表しています。それが「誹謗」に髪を掴まれ引きずられている男の首の完全に真上に構えられています。この男の髪は「誹謗」によって思いっきり持ち上げられ、ここを切ってくださいといわんばかりに首があらわになっています。
どうして、ここまで斬首が強調されているのかといえば、もちろんそれは、ルキアノスの文章の第三節に書かれているように、アペレスが斬首されかけたからに他なりません。
もう一つ、ここに描かれている彫像はどこか本来のものと違っています。パウロの像のときに考えたように、ある設定のもとに描かれていると考えられます。この彫像を彫ったのは知識の乏しい未熟な芸術家であり、それを受入れた王様も相当に不見識なのでしょう。そのような間違ったものに囲まれたこの空間で、今まさに間違った判決が下されようとしているのです。この奇妙な彫像たちによって、正しいことが正しいと理解してもらえない世界を醸し出そうとしているのではないでしょうか。この絵が描かれて今まで誰もこのことに気がつかなかったようなこの絶望的な世界を。
(つづく)