2012年10月12日

美の迷宮への旅 三百年の眠りから覚めた女神 ボッティチェリ「春」 の前半メモ

以前、この番組の後半部分のメモを書いたが、ようやく前半部分も見られたので、書いておく。

番組情報:
BS朝日 2012/10/10 21:00-21:54
世界の名画 美の迷宮への旅
300年の眠りから覚めた女神 ボッティチェリ「春」
ナレーション : 要潤
(2012/4/25に放送されたものの何度目かの再放送)
公式ページ : BS朝日 - 世界の名画 〜美の迷宮への旅〜 バックナンバー

最初に、この名画誕生の秘密と当時の食文化の探求という2つの旅の目的が挙げられる。

フィレンツェ郊外にあるメディチ家の別荘ヴィラ・カステッロの映像。15世紀後半に制作された「春」は19世紀にここで発見された。人々から忘れ去られたこの絵は、300年もの間、館の中で眠り続けていた。

「春」のそれぞれの登場人物たちの映像を映しながら、ナレーション。そのまま引用すると次の通り:

発見以来この絵の謎めいた登場人物たちは、見る者を迷宮へといざなってきました。
透明のベールをまとった女性は大地のニンフ、クロリス。
体を大きくよろめかせ、何者からか逃れようとしています。
彼女をとらえようとしているのは、ヨーロッパに春を呼ぶ西風の神ゼフィロス。
クロリスの口からあふれる花は大地の芽吹きを表しています。
隣にたたずむのは花の女神フローラ。
ローマの神話ではクロリスはゼフィロスと結婚し、フローラに変身したとされています。
描かれた神話の神々はいったい何を伝えているのでしょうか?
キューピッドが愛の矢を向けたその先に描かれているのは、ローマ神話の三美神です。
優雅に舞う三人の女神たちは、左から順に、愛、純潔、美を表すといわれています。
しかしこの三者の組み合わせが、何を物語るのかその解釈には諸説あり、答えは出ていません。
左端に立つのは神々の使者ヘルメス。
魔法の杖で雲を追い払っているように見えます。
そうしたすべての営みを中央で見守っているのは、愛と美の女神ヴィーナス。
果たしてこの絵は何のために描かれたのか?
多くのミステリーを秘めた名作「春」。

(日本で知られている一般的な解釈。クロリス・フローラ変身のEdgar Windの説に近いが、三美神の左が「愛欲」ではなく、「愛」になっている。)

同じ場所で見つかったのが「春」と双璧をなす「ヴィーナスの誕生」。この絵に関しては、ヴィーナス以外の登場人物が誰なのかについては述べられない。

ボッティチェリの軌跡について語られる。
彼は1445年頃フィレンツェの革なめし職人の家に生まれる。13才の頃金細工の工房に入門。15歳のとき、フィリッポ・リッピに弟子入り。

フィリッポ・リッピの「聖母子」と、独立前二十歳頃のボッティチェリが描いた「聖母子」の構図を比較して、分かりやすく師匠の影響が示される。

独立は23歳頃。飛躍のチャンスとなったのは、裁判所に飾るために描かれた「剛毅」。これは7点連作の寓意図で、他の画家の仕事が遅れたために1枚だけボッティチェリが描いた。この絵が評価され、名声が高まった。

フィレンツェの中心部にあるサン・ロレンツォ教会。ここにはメディチ家の歴代当主が葬られている。ここにある石棺の制作にはボッティチェリも参加している。なお、二十歳くらいのレオナルド・ダ・ヴィンチもこれに関わっている。

花の都フィレンツェの繁栄、そしてルネサンスはメディチ家という一族なしではありえなかったかもしれない。メディチ家は金融業や毛織物業で財をなし、15世紀から18世紀まで、フィレンツェの支配者として君臨した。ウフィツィ美術館は、メディチ家が築き上げた膨大なコレクションからなる。最大の目玉はボッティチェリのコレクション。

ボッティチェリの作品「東方三博士の礼拝」には、メディチ家とボッティチェリの親密な関係を物語る描写がある。博士の一人のモデルは、コジモ・イル・ヴェッキオ。またコジモの孫ロレンツォ・イル・マニフィコも描かれている。彼こそがメディチ家の黄金時代を築いた。多くの芸術家を育て、ルネサンスを花開かせた中心人物。そして、片隅でこちらを見つめる人物は、ボッティチェリだといわれている。

あとは、ボッティチェリも美食家だったという話から、当時の料理の話へと移り、中世の料理を研究しているシェフの料理の紹介。その料理の中で、当時の新しい食材であったオレンジが使われるが、そのとき「春」に描かれている木々の果実のことが指摘される。

 

以前見てなかったのはここまで。あとは、ワイナリーの紹介や、晩年のボッティチェリの話が続く。

後半について書いた記事は、「美の迷宮への旅 三百年の眠りから覚めた女神 ボッティチェリ「春」 のメモ



posted by takayan at 01:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

先日の「春(Primavera)」についての番組の感想

先日見た「美の迷宮への旅 三百年の眠りから覚めた女神 ボッティチェリ「春」 」についての考えたことです。

ようやく前半部分も見れて正直うれしいです。この絵について一般的な知識を得るにはこれでいいと思います。絵が発見された場所や、ボッティチェリの生家の跡など、関連するフィレンツェの場所を映像で示してもらえるだけでも、ためになります。見てて楽しかったです。でも本格的に謎が知りたいと思うと、やはりちょっと物足りなく感じます。

ここで以前書いた僕の独自の解釈を書いても面白くないので、そこまで踏み込まずに今回の解釈の問題点を少し考えてみます。

まず、日本では、この絵はどういうわけかロレンツォ・イル・マニフィコとボッティチェリィの関係で読み解こうとするものが多く見られます。この番組でもそうです。実際ロレンツォはボッティチェリのパトロンだったのですが、神話画に関してはもう一人のメディチ家のパトロン、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの関わりの方が重要だと考えられます。

この番組では、ボッティチェリと親しかったロレンツォ・イル・マニフィコとの関係を柱に読み解いていくために、余計な説は排除して語られています。番組内で、「春」と「パラスとケンタウロス」がロレンツォの親族の結婚式のために描かれたとありましたが、その親族こそがロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコその人です。

番組内では、依頼主が親族(ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ)だがロレンツォ・イル・マニフィコの意向でこれらの祝いの作品は作られたとなっていました。しかし、そのままロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ本人が内容も含めて依頼したとしても成り立つでしょう。

ただしその場合、結婚に際しての戒めというこの番組での解釈は諦めなくてはならないかもしれません。そうなると結婚式に合わせる必要もなくなってしまうかもしれません。しかしポリツィアーノが讃えていることからも、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコのラテン語やギリシア語に関する教養はそうとう高く、この難解な絵の内容を細部まで注文できる人物として十分候補となりえます。

同じ名前の二人は又従兄弟の間柄です。つまり「祖国の父」コジモ・イル・ヴェッキオの弟の家系がロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコとなります。メディチ家の歴史を調べると直ぐに分かることですが、ロレンツォ・イル・マニフィコとロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコは実際は仲がよくありませんでした。

13歳のときロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコは父を亡くし、14歳年上のロレンツォ・イル・マニフィコによって弟ジョバンニと共に養育されます。ロレンツォ・イル・マニフィコのもとで、フィチーノやポリツィアーノといった高名な人文学者を家庭教師にして学び、恵まれた教育を受けることができましたが、一方で彼のもとにいることで、財産の面で不利益もこうむりました。

彼らが成人するまで管理すべき財産をロレンツォ・イル・マニフィコが使い込んでしまい、それを取り戻すために裁判沙汰にまでなりました。1492年にロレンツォ・イル・マニフィコが亡くなるとその溝は決定的になり、ロレンツォ・イル・マニフィコの後を継いだ息子のピエロと対立し、1494年には兄弟はフィレンツェを追放されてしまいます。

しかしその年フランス軍がフィレンツェに侵攻してくると立場が逆転します。フランス軍との対応を誤ったメディチ家は民衆たちから非難を浴び、ピエロは兄弟たちとともにフィレンツェから追放されます。共和国体制となったフィレンツェに戻ったロレンツォとジョヴァンニは、民衆たちの側に立ち、ポポラーノのという名字で呼ばれるようになります。そしてフィレンツェで台頭してきたサヴォナローラを支援するのです。

この番組ではメディチ家の邸宅にあったために神話画が難を逃れたと言っていますが、この事実を踏まえると、印象が変わってきます。メディチ家が追放されたのに無事だったのはポポラーノ側にあったことを示しているのでしょう。しかし疑問が残ります。サヴォナローラを支援しているポポラーノ自身が異教的な絵画を捨てなかったことです。支援はしても、信仰までは深く影響は受けていなかったからと言えばそれまでですが。

そして番組ではサヴォナローラの死に抗議して「誹謗」を描いたとしていますが、この絵には裸婦像が描かれていたり、彫刻の中にある神話の描写などから、サヴォナローラへの狂信以前でないと辻褄が合わなくなります。自分の絵を焼いてしまうほど彼に心酔していたのならば、彼の死を抗議する作品でこういう描写は描けないでしょう。「誹謗」を描いた理由は単に、アルベルティの「絵画論」に素晴らしい作品だと書いてあったからという理由で十分ですよね。

 

次は三美神の名前についての諸説について。

この番組では三美神の解釈は諸説あるとしながらも、それぞれが左から愛、純潔、美としていました。三美神についての詳しい研究が書かれているWind(ウィント)の本では、ルネサンス期の三美神の名前として次のパターンが示されています。
Voluptas - Amor - Pulchritudo
Voluptas - Caritas - Pulchritudo
Amor - Caritas - Pulchritudo
つまり、今回紹介されたパターンは、Amor - Caritas - Pulchritudo となります。この組み合わせの意味は、高階秀彌氏の「ルネッサンスの光と闇」に詳しく述べられています。海外の資料でこの配列を調べると、「春」の三美神を特定としたものではありませんが、ヴァールブルグの本にこの言葉が刻まれたメダルが紹介されています。なお、ウィントの説は、Volputas - Caritas – Pulchritudo です。詳しくは、彼の「ルネサンスの異教秘儀」で述べられています。なお、前回 Voluptas の意味として愛欲という言葉を使いましたが、これは間違いでした。「喜び、官能、快楽」の方が相応しいです。


最後に1つ。この番組とは関係ないのですが、前から気になっていたのですが、ウィキペディアの「プロマヴェーラ」の記事に、この絵の所有者について次の文があります。

しかしながら、1975年に再発見された1499年当時の財産目録には、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコと彼の弟のジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノの資産が記録されており、以前には『プリマヴェーラ』がフィレンツェの大邸宅に飾られていたことが明記されている。その後でこの作品はロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの私室への待合室に飾られたのであり、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが最初の所有者ではないことが判明した。

と書いてありますが、この財産目録は、1499年当時、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ所有のラルガ通りにある邸宅に絵があったことを示した資料で、この資料で別の所有者の存在を語っていなかったはずです。以前紹介したブレデカンプの本などでも、この財産目録については触れていますが、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが本来の所有者であることを示す根拠として使われています。Wikipedia のこの記事の記述は出典がはっきりしていないので、どのような解釈で別の所有者の話が出てきたのか確かめようがありません。



posted by takayan at 02:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。