前回と前々回の2回で、『ヘルメス讃歌』の古典ギリシア語を言葉を選びながら翻訳すると、《プリマヴェーラ》の中央の女神とメルクリウスの描写となることを示しました。
自分が書いたものを読み直してみると、新たに思いついたことがあるので補足しておきます。赤い文字が今回修正するところです。
Ἑρμῆν ἀείδω Κυλλήνιον, Ἀργειφόντην,
Κυλλήνης μεδέοντα καὶ Ἀρκαδίης πολυμήλου,
ἄγγελον ἀθανάτων ἐριούνιον, ὃν τέκε Μαῖα,
Ατλαντος θυγάτηρ, Διὸς ἐν φιλότητι μιγεῖσα,
αἰδοίη: μακάρων δὲ θεῶν ἀλέεινεν ὅμιλον,
ἄντρῳ ναιετάουσα παλισκίῳ: ἔνθα Κρονίων
νύμφῃ ἐυπλοκάμῳ μισγέσκετο νυκτὸς ἀμολγῷ,
εὖτε κατὰ γλυκὺς ὕπνος ἔχοι λευκώλενον Ἥρην:
λάνθανε δ᾽ ἀθανάτους τε θεοὺς θνητούς τ᾽ ἀνθρώπους.
καὶ σὺ μὲν οὕτω χαῖρε, Διὸς καὶ Μαιάδος υἱέ:
σεῦ δ᾽ ἐγὼ ἀρξάμενος μεταβήσομαι ἄλλον ἐς ὕμνον.
χαῖρ᾽. Ἑρμῆ χαριδῶτα, διάκτορε, δῶτορ ἐάων.
Διὸς ἐν φιλότητι μιγεῖσα という分詞節ですが、この中に φιλότης 「愛」という言葉があるのにそれを活かさないのはもったいないことに気がつきました。案の定、辞書で調べてみると大文字化した φιλότης はエロス(クピド)のことも表します。そう、中央の女性のすぐそばにいる彼です。いままでは「愛の中で」という意味で解釈しましたが、ἐν を presso (at) の意味で解釈して、「エロスの近くで」と訳します。この節をまとめると「エロスの近くでゼウスと一つになっている」となります。
この節こそが、絵の中にクピド(エロス)が存在する理由となります。同時に、この女神がいる場所の目印としてクピドが描かれている根拠となります。通説では、クピドを従えていることが彼女がウェヌス(ヴィーナス)である数少ない根拠の一つでしたが、その根拠も否定できるようになりました。
以前、三美神の解釈のとき、三美神のAmor 「 愛」を指し示すためにクピドが存在するとしました。しかしクピド自身の存在に典拠があるのなら、それに越したことはありません。これですっきりします。この讃歌によりメルクリウスとマイアとユピテルとクピドがこの絵に登場し、それらの神々の存在を利用してフィチーノの三美神を配置していることになります。
次に、以前中央の女神が花嫁のような薄いベールを頭にしていると書いていましたが、その根拠となる言葉がこの中にありました。それは、νύμφη です。この言葉にはギリシャ神話に出てくる女性の精霊としてのニンフの意味の他に、fidanzata 婚約者、sposa 花嫁といった意味があります。中央の女神だけにベールが描かれているので、この言葉 νύμφη を表すためにベールを描いた可能性を言うことができるでしょう。
さらに、中央の女神の小指をよく見ると指輪があるのが分かります。グーグル・アート・プロジェクトは素晴らしいですね。
小指が襞の中に隠れているので、気をつけて見ないと分からないでしょう。今回、花嫁というキーワードが見つかったので、念のために彼女の指を見てみたら、運良く見つけられました。左手の小指にしていることに意味があるかどうかは、当時のフィレンツェの風習を調べてみないと分かりません。それよりも見たままの、彼女が婚約指輪か結婚指輪をしているという事実で十分でしょう。指輪が見えにくいのも彼女の意思を描いていると考えていいでしょう。
彼女が花嫁ならば、αἰδοίη という言葉の解釈を変えなくてはいけません。この言葉には「尊敬に値する、恥ずべき、内気な」という意味があります。以前は装飾品から「尊敬に値する」という意味を選びましたが、花嫁でありながら、お腹が大きいというのならば、「恥ずべき」という意味が相応しいでしょう。しかし、このような意味になるように描いてはいますが、侮蔑する意図はないでしょう。
さらに読み直してみると、 νυκτὸς ἀμολγῷ の意味がちょっと物足りないのに気がつきました。これは未完了過去の文ですが、ボッティチェリの絵では、不完全な出来事を描いた絵の中のその時でなくてはいけません。真夜中というのはこの絵の場面ではありません。ですから、この言葉 νυκτὸς ἀμολγῷ も他の意味にできた方が美しくなります。
νυκτὸς は νύξ 単数女性属格で普通は notte「夜」ですが、他に oscurita 「暗いこと、暗がり」、tenebra 「闇、謎」などの意味があります。ἀμολγῷ は ἀμολγός の単数男性与格で「牛乳の容器」という意味があります。中央の女神のそばで牛乳のようなもの、容器のようなものを探すと、頭上のクピドの弓のところにある白い細い雲が見つかります。これは弓と、その下の三角のシルエットと、注ぎ口のようなものなどいろいろ合わさった異様な容器からこぼれている牛乳に見えなくもないです。このあたりの葉っぱのシルエットをよく見ると、つじつまの合わない形がちらほら見えます。特に白い帯の上には、気付いてくれと言わんばかりに、他のどこにも接していないシルエットがあります。この黒いものは牛乳の流れに乗っているかのようです。ここには何か意味がありそうな奇妙なものがあります。tenebra の意味を使って、「謎の牛乳容器」と訳しましょう。ἀμολγῷ は与格なので、これを場所を示す処格的与格と解釈して、「謎の牛乳容器の近くで」とします。まとめると、「謎の牛乳容器が近くにあるそこで、クロノスの息子は巻毛で飾られた花嫁と不完全に一つになっていた。」となります。
この解釈では、この作品はマリアの受胎を連想させるものになっています。Zeus がギリシャ神話的にもキリスト教的にも解釈できる言葉であることを利用しています。一方マイアは長い方の『ヘルメス讃歌』では πότνια Μαῖα と呼ばれ、これはイタリア語で regina madre となり、イタリア語の聖書ではマリアの呼称の一つとなっています。典拠の言葉からもはっきりと異教の神々を使ってキリスト教の世界を描こうという意図のあることが分かります。異教の神々ですから、自由な表現は許されるのでしょうが、それでも信仰に関することですから、大っぴらにこの絵の意味を言えなかったであろうと考えられます。