間隔が開いてしまいましたが、今回は『物の本質について』の6行目から9行目までの解釈です。
この内容を言葉遊びをして《ヴィーナスとマルス》の中に見つけてみましょう。これまでの考察から、兜をかぶっているサテュロスはクピド、その右にいる振り返っているサテュロスとホラ貝を吹いているサテュロスが、どちらか決めかねていますがデイモスとフォボス、そして鎧の中に入っているのが実は女の子でハルモニア、このように推定しています。ちなみにデイモス、フォボス、ハルモニアはウェヌス(ヴィーナス)とマルスの間の子どもです。それを前提に話を進めていきます。
ラテン語原文は次を使います。
Te dea te fugiunt venti: te nubila caeli:
Adventumque tuum: tibi suaves daedala tellus
Submittit flores: tibi rident aequora ponti:
Placatumque nitet diffuso lumine caelum.
手順としては、構成される単語の意味を調べて、本来の文章の意味を書いたあと、この絵の表現に近づけるための考察をします。そして結論の日本語と英語での解釈を示します。英文は日本語からではなくラテン語からの訳です。日本語に比べるとあまり自信はありませんが、明確に解釈が記述できるように思います。
Te dea te fugiunt venti:
まず単語の基本的な情報を並べてみます。te は代名詞tu「あなた」の単数、男性/女性の対格/奪格。deaは女性名詞dea「女神」の単数主格/呼格/奪格。fugiuntは動詞fugio「飛ぶ、逃げる」の三人称複数現在。ventiは男性名詞ventus「風」の複数主格/呼格、もしくは動詞venio「来る」の過去完了分詞の単数中性/男性の属格、複数男性の主格か呼格。本来の意味は、動詞が複数なので、主語は後ろの複数名詞ventiとなり、残りのte dea te は起点を示す奪格と考えて、「女神よ!あなたから風が逃げる」となります。
しかしこの絵では、風が逃げている描写はないようなので、違う解釈を試みます。te dea は、teを場所を表す奪格、deaを呼格と考えます。つまりteをマルスとみなすと「あなた(マルス)のところにいる女神よ!」となります。
主動詞はfugioしかないのでこれで確定です。そして複数主格となり得るのはventiだけなので、主語も確定です。ここでventiに風以外の意味を考えてみます。ventiは動詞venio「来る」の過去完了分詞の複数男性主格と考えることもできます。つまり、「来た者たち」という意味です。イタリア語でvenioの訳はvenire「来る」です。venireを詳しく調べると「生まれる」という意味もあります。これを使うとventiは「生まれた者たち」となり、奪格とみなしたteと合わせれば、あなたのところにいる生まれた者たち、つまりマルスの子どもたちを表す言葉になります。絵の中のダイモス、フォボス、ハルモニアが確かにこれにあたります。クピドはマルスの子どもではないので、ventiには含まれません。
次は動詞の意味を考えます。動詞fugioのイタリア語での意味はfuggire「逃げる、過ぎる、走る」です。振り返っている真ん中のサテュロスは、足を前後に広げ、しっぽを躍動させていて、走って逃げている姿に見えます。フォボスには英語でpanic flightという意味があるので、この子の描写から、こちらの方がフォボスだと考えられます。
fugioの他の意味として、evitareがあります。これには「避ける、逃れる、遠ざける」などの意味があります。ホラ貝を持っているサテュロスは、後ろの二人が持っている槍を避けているので、この意味に当てはまります。真ん中の子どもがフォボスならば、こちらはデイモスということになります。ヒントは、彼の体が一見槍に貫かれているというぎょっとするような恐怖の描写です。
fugioには他にsvanire「衰える、姿を消す」もあります。鎧の中に入っているハルモニアは、ウェヌスから姿を消していると言えます。そう思ってみると、マルスも左手で協力しているようにも見えます。
まとめると次のようになります。
あなた(マルス)のそばの女神よ!あなたのところにいる生まれた者たちは、走ったり、避けたり、身を隠したりしている。
Goddess near you ( mars )! those who were born near you ( mars ) do "fugio" ( run, avoid, disappear ).
te nubila caeli:
nubilaは中性名詞nubilum「雲」の複数主格/呼格/対格。caeliは中性名詞caelum「空、天」の単数属格か処格。動詞は前のfugioが省略されていると考えます。本来の意味は「空の雲があなたから逃げている。」です。
やはり、この絵には雲らしい雲が描かれていないので、別の意味を考えます。caelumには同じ語形変化の別の意味の単語caelum「のみ、たがね」があります。たがねと言えば、マルスが左手で支えている棒がたがねのような形をしています。両側がハンマーで叩く部分に見えるので、完全なたがねではないようですが、たがねのようなものとは言えるでしょう。これを手がかりにします。caeliは処格と見なすこともできるので、たがねのところにある「nubilum(雲)」という描写を見つければうまくいきます。nubilumの他の意味を調べていくと、イタリア語のvelo「ベール、薄い膜、覆い隠すもの」が見つかります。つまり、マルスの下半身を隠し、金属の棒に押さえつけられている白い布をnubilumと考えればいいわけです。しかし、問題があります。主語であるnubilumが複数でなくてはいけません。ここで絵をよく見ると、この金属の棒は絵の中で、ハルモニアの着ている鎧の下の服にも触れています。ハルモニアはまだ小さな子どもですが女性です。この布は彼女の胸を隠しています。つまりマルスの布と同じ役割を果たしています。
そしてnubilumを複数対格と解釈して、感嘆の意味を表しているとします。残ったteですが、これもマルスと考えなくては成り立たないでしょう。どちらのnubilumも、たがねとマルス両方に触れています。随伴を示す奪格として、「あなた(マルス)のともに」となるでしょう。
あなた(マルス)とともに、たがねのところにある複数の覆い隠すものよ!
the veils near the chisel with you ( mars ) !
Adventumque tuum:
adventumは男性名詞adventus「到来」の単数対格。tuumは形容詞tuumの中性単数の主格/呼格/対格もしくは男性単数対格。tuumは前にある名詞と一致していると考えると男性単数対格となります。対格だけなので、これは感嘆を表していると解釈して、「あなた(ウェヌス)の到来よ!」とします。
これも絵にするのは難しい表現です。adventumは動詞advenio「来る」の過去完了分詞と考えることができます。中性単数の主格/呼格/対格か男性単数対格で、上記のtuumと一致します。さらに調べてみると詩の表現として、男性もしくは中性の複数属格の場合も存在します。これはtuumも同じです。
advinioの意味にはイタリア語でvenireがあります。venireは先ほど出てきたように「生まれる」と解釈できるので、adventum tuumは「あなたの生まれたもの」となります。tuumは直前のteと同様にマルスを意味していると考えます。したがって「あなたの生まれたもの」はダイモス、フォボス、ハルモニアの誰かを指していることになります。
これでもいいのですが、この語句が複数としても解釈できるのでその可能性も調べてみます。adventum tuumが複数ならば属格となり、前の語句中にあるnubilaを修飾していると考えられます。子どもたちそれぞれに描かれているnubilaが見つかれば、この解釈が成り立つことになります。
ハルモニアに関しては、既に前の語句で分かっているように、鎧の下に着ている薄い服がnubilumとなります。次に振り返っているサテュロスに雲らしいものを探してみると、角が白くてとても柔らかく描かれています。この角が単体で空に描かれていれば、雲と間違いそうなくらいです。これを彼のnubilumとみなします。
あとはホラ貝を持ったサテュロスです。nubilumの意味にはobnubilamentoがあります。イタリア語の動詞obnubilareの名詞化です。この動詞obnubilareの意味には、「曇らせる」、「精神を朦朧とさせる」という意味があります。二番目の意味はこの絵にとってとても重要なものです。いままでずっとこのホラ貝はマルスをびっくりさせて起こしてしまうものだとばかり思っていました。しかし、この単語によって全く逆のことがこの絵に描かれていたことが分かります。このホラ貝でサテュロスはマルスの意識を朦朧とさせているのです。分かってしまうと、この方が納得がいきます。結局このサテュロスのnubilumとはこのホラ貝による行為となります。
まとめるとこうなります。
あなたの生まれた者たちの複数のnubila(雲の角、覆い隠す服、意識を朦朧とさせるホラ貝)よ!
some "nubila" ( cloud shaped horns, a veil, a shell to obnubilate) of the people who were born of you ( mars ) !
tibi suaves daedala tellus submittit flores:
tibiは代名詞tuの単数与格、suavesは形容詞suavis「快い、甘い」の複数主格/呼格/対格。daedalaは形容詞daedalus「熟練した、器用な」の女性単数の主格/呼格/奪格か、中性複数の主格/呼格/対格。tellusは女性名詞tellus「大地」の単数主格/呼格。submittitは動詞submitto「繁らせる、下げる」の三人称単数現在。floresは動詞floreo「繁茂する」の現在分詞二人称単数もしくは男性名詞flos「花」の複数主格/呼格/対格。
性数格の一致から、suavesとfloresが結びついて、男性複数の主格/呼格/対格のどれかを表します。同じように、daedalaとtellusが一つになって、女性単数主格/呼格となります。主動詞が三人称単数なので主語はdaedala tellusの方だと分かります。したがって、本来の意味は、「あなたのために器用な大地が快い花々を繁らせる。」となります。
この言葉から想像できるのはボッティチェリの別の作品《春》の足下に描かれている花々の描写に近いでしょう。しかし、ボッティチェリの描いた他の神話画と違ってこの絵には花が描かれてはいません。floresに花以外の意味を探さなくてはならないのでしょうか?しかしよく探してみるとこの絵の中にも花が咲いていました。それは本物の花ではありません。ウェヌスの体の下にある赤いクッションに金糸の刺繍で作られている規則的な模様の中にいくつも花が描かれています。この花を使って考えてみましょう。
suavisの意味としてイタリア語でsoaveがあります。意味は「快い、甘美な、柔らかな」です。このクッションは、女神の腕の沈み方から確かに柔らかく描かれています。この部分がsuaves floresを表していると考えていいでしょう。では、daedala tellusはこの絵でどれになるでしょうか。字義通りならば「器用な大地」となります。よく見ると地面から何かが出てきて、このクッションを押さえているように見えます。
確かにこれは器用な行為です。ただこれだと金色をまとった描写を説明できません。そこでdaedalusの意味を調べてみると、artistico「芸術的な」という意味があります。正直自信はありませんが、これでいいでしょう。もっと解像度の高い画像があれば、また当時のフィレンツェの俗語を含めたdaedalusの意味が分かれば、もっと確実なこの奇妙な形の意味を考えられるかもしれません。現時点では、「芸術的な大地」としておきます。
あとは動詞submittoの意味です。この語はいろんな意味のある単語ですが、この場合はelevare「あげる、持ち上げる」がいいでしょう。大地から出ている棒状のものが下から花々をクッションごと支えているように見えます。残ったtibiは持ち上げる行為の対象と考えます。したがってこの場合はマルスではなくウェヌスを指しています。二人称の相手として、マルスとウェヌス、それぞれに語りかけながらこの絵は描かれていることになります。この二人称の揺れは、すべての解釈が終わってから点検し直す必要があるでしょう。
芸術的な大地があなた(ウェヌス)のために柔らかな花々を持ち上げている。
the artistic earth lifts the soft flowers to you (venus).
tibi rident aequora ponti:
tibiは代名詞tu「あなた」の単数与格。ridentは動詞rideo「笑う、輝く」の三人称複数現在。aequoraは中性名詞aequor「表面」の複数主格/呼格/対格。pontiは男性名詞pontus「海、波」の単数属格/処格、複数主格/呼格。この文の動詞は三人称複数のridentなので、主語は複数となり、aequoraかpontiとなるが、pontiは単数属格とも解釈できるので、aequora pontiは海の表面、つまり海原が、主語と考えられます。与格のtibiは笑いかける相手を示しています。まとめると「海原があなたに輝いている。」となります。
どう見てもこの絵には海が描かれているようにみえません。しかしよく見るとこの絵の中で海を連想するものが輝いています。それはクピドが被っているヘルメットです。
このヘルメットは海のような濃い青色をして、その表面が輝いています。つまりpontusを「海」ではなく「海色の物」と解釈するわけです。輝いているのはおそらく太陽のせいですが、この方向にはちょうどウェヌスが座っています。そうなると、tibiはウェヌスを指していると考えた方がいいでしょう。
しかしこの輝いている表面はもう一つなければいけません。なぜなら動詞の形から主語は複数でなくてはならないからです。もう一つ青いものが輝いていないかよくこの絵を見てみると、これもすごく目立つ場所にありました。それは真ん中のサテュロスの両目です。
いままで気づかなかったのですが、この絵の中で彼だけが青い目をしています。そしてこの目だけがウェヌスを見つめています。彼の青い目はちゃんとその表面に白いハイライトが描かれています。ここのtibiもマルスではなく、ウェヌスを指しています。まとめると、次のようになります。
海色の表面(クピドのヘルメットと真ん中のサテュロスの目)があなた(ウェヌス)に向けて輝いている。
the surfaces of ocean color ( cupid's helmet and the eyes of the satyr in the middle ) shine to you ( venus ).
Placatumque nitet diffuso lumine caelum.
placatumは動詞placo「和らげる、鎮める」の完了分詞の中性単数の主格/呼格/対格か男性単数の対格、もしくは詩において男性/中性の複数属格。nitetは動詞niteo「輝く」の三人称単数現在。diffusoは動詞diffundo「まき散らす、放つ」の完了分詞の単数男性/中性の奪格/与格、もしくは形容詞diffusus「広い」の単数男性/中性の奪格/与格。lumineは中性名詞luminen「光」の単数奪格。caelumは中性名詞caelum「空、天」の単数主格/呼格/対格か複数属格。
この文の動詞は三人称単数現在のnitet、主語は単数のcaelumとなります。分詞placatumは形容詞として主語を修飾しています。したがって、この三つの単語の意味は「鎮められた空は輝く。」となります。diffuso lumineは単数男性奪格でまとまって、輝き方について「光を放ちながら」と補足説明しています。まとめると、本来の意味は「鎮められた空は光を放ちながら輝いている。」となります。
もちろんこの描写はこの絵の中にありません。「空、天」を表すcaelumですが、この意味ではこの絵の中には見つからなさそうなので、他の意味を探してみます。caelumは先ほど出てきたように「たがね」と訳してみます。本来の解釈でcaelumを形容詞として修飾している分詞placatumですが、これはこのままの解釈「鎮められたたがね」では無理のようです。分詞placatumを名詞的に解釈してみると、「鎮められた者」となります。そう考えて、このたがねの周りを眺めてみると、マルスとハルモニアの状態が気になります。眠るというのはこれ以上にない鎮まった状態です。やんちゃな子どもが鎧の中に閉じ込められている状態も鎮められていると言えるでしょう。
分詞placatumは、caelumとの結びつきを無くし、単独で単数主格か呼格か対格となっているか、詩にみられる語形で複数属格なのかもしれません。そこで注目するのは、このたがねのようなものとこの二人の描写です。マルスは左手の指でこの棒を押さえていますが、ハルモニアも絵の中でこの棒に手で触れています。物理的には距離があってハルモニアは直接触れてはいませんが、絵の平面の上では触れたような描写になっています。手で触れることは所有を表す最も分かりやすい表現です。つまり鎮められた状態の二人が棒に触れている描写は、placatumの複数属格という文法構造を表したものと言えます。
この棒はにぶく輝いているので、動詞nitetはそのまま「輝く」と解釈します。ここまでをまとめると、「鎮められた二人のたがねは輝いている。」となります。残りはdiffuso lumineです。luminenの意味は「光」ですが、他の意味に「日光、明るい色」の意味もあります。絵のたがねのようなものの下には、マルスの腰にかかっている白い布の端が平らに広がって、日光を受け明るく輝いています。lumineはこの輝きを表していると考えるとうまくいきそうです。diffuso lumineは奪格なので、場所を表しているとします。
まとめると、次のようになります。
鎮められた者たち(マルス、ハルモニア)のたがねが、広げられた明るいところで輝いている。
the chisel of the persons ( mars, harmonia ) who were calmed shines at expanded bright object.
今回はここまでです。実のところ、ここをうまく解釈するアイデアが浮かばなくて、1年間先に進めませんでした。