2009年02月11日

『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を読んだ

アビ・ヴァールブルク (Aby Warburg)の書いたボッティチェッリの作品についての論文読み終えた。

以下メモ

アビ・ヴァールブルクは1866-1923のドイツの美術史家。Wikipedia

『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》−イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』
原書は、Sandro Botticellis "Geburt der Venus" und "Fruhling" (1893)、と Sandro Botticelli (1898)。

今回読んだ日本語版は、ありな書房からヴァールブルク著作集として出版されている七冊シリーズの第一巻。2003年出版。第一巻の厚みは200ページちょっとだけれど、内容はとても詰まっている。

序言にこの論文の目的が書かれているが、短く言うと、二つの絵を当時の詩などと関連づけることにより、この頃の芸術家が古代の作品の付帯物(衣服や髪)の描写に関心を持っていたことを明らかにしていく論考。

サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》
 第1章 《ウェヌスの誕生》
 付録 失われた《パラス》
 第2章 《春》
 第3章 絵画の外的原因 − ボッティチェッリとレオナルド
 四つのテーゼ
 ボッティチェッリの《パラス》について
サンドロ・ボッティチェッリ

第1章と第2章のそれぞれの冒頭では、1550年に出版されたヴァザーリの『ルネサンス画人伝』でヴィーナスの描かれた二つの作品についての文章が引用され、考察が始まっていく。登場人物が誰かというような謎解きが主目的ではないが、当時の文学作品の付帯物の記述に注意しながら影響を眺めていく。その過程で、根拠とある文章の引用を丁寧に示しながら、論理的に誰が描かれているかが紹介されていく。原注、補注には引用元や本文に入りきれない細かな情報が詰まっている。解題には、この日本語版の出版を含む世界的なヴァールブルクの著作の再評価の動き、ヴァールブルクの生涯、この本の要約、そしてこの著作以後の二つの作品に対する主だった説の紹介がある。

この論考で指摘されているボッティチェッリの二つの作品における他の作品の影響(主なもの):
  • ポリツィアーノの詩『馬上槍試合のためのスタンツェ』には、『ホメロース讃歌』「アフロディテ讃」に着想を得ていると考えられるウェヌス誕生の描写がある。ポリツィアーノの詩を分析すると、オウィディウスの『変身物語』と『祭暦』からも着想を得ているのがわかる。
  • ルクレティウスの『物の本質について』における春の到来の記述は、ボッティチェッリの作品およびポリツィアーノの詩『ルスティクス』に影響を見ることができる。
  • ゼピュロスとフローラの関係は『祭暦』に記述されているが、さらに『プリマヴェーラ』におけるこの二人の動的な描写は、『変身物語』のアポロンからのダプネの逃亡の記述に対応している。またも、ポリツィアーノの詩にこの記述の影響を見ることができる。
  • 1436年のアルベルティの『絵画論』で、セネカの引用として記述されている三美神の記述は『プリマヴェーラ』の三美神にとても似ている。このセネカの『恩恵論』には、古代の作品を指して三美神のそばにメルクリウスが立っているという記述もある。

そしてヴァールブルグが、この論考の中でとっている、それぞれの作品での神々について解釈は次のようになっている。関心があるものだけを箇条書きにすると、
『プリマヴェーラ』
  • ウェヌス、三美神(p48)、メルクリウス(p51,71)、アモル、ゼピュロスの人物特定は現在の一般的な解釈通り。
  • ゼピュロスに捕まれているのはフローラ(p48)。この描写はオウディウスの『祭暦』、『変身物語』の影響(p59)。
  • 花柄の服を着ているのは四季の女神ホーラたちの一人の春の女神(p48)。花の「帯」をしているのは、本来持つべき「籠cesto」の異訳のため(p138)。
  • 手をつないでいたり、透明で、帯のない服装の、三美神の姿は、セネカによる描写の影響(p48)。
  • この絵はポリツィアーノなどが描いている「ウェヌスの治国」が舞台になっている(p73)。
  • メルクリウスは、雲を払い除けている(p79)。

『ウェヌスの誕生』
  • この作品は、『ホメーロス讃歌』「アフロディテ讃」を踏まえたポリツィアーノの『馬上槍試合のためのスタンツェ』の一場面を元に描いている(p10)。
  • 右の岸で待ち受けているのは、季節女神ホーラたちの一人の春の女神(p32)。
  • 画面左にいるのは、二人のゼピュロス(p18)。

解題に書かれているヴァールブルク以後の主な研究:
(なお著者名、著作物名は、解題の記述のまま。和名だけど和訳本が出版されているということを示すものではない。)
  • チャールズ・デンプシー『愛の肖像−ボッティチェッリの《春》とロレンツォ・イル・マニーフィコの時代における人文主義的文化』1992、『〈春としてのメルクリウス〉−ボッティチェッリの《春》の典拠』1968
  • ホルスト・ブレーデカンプ『サンドロ・ボッティチェッリの《春》』1988
  • ミレッラ・レヴィー・ダンコナー『ボッティチェッリの《春》』1983,『』1992
  • ゴンブリッチ『ボッティチェッリの神話画−画家のサークルの新プラトン主義的象徴表現』1945
  • ピエール・フランカステル『一五世紀の神話的祝祭−文学表現と造形的視覚化』1952、『一五世紀の詩的・社会的神話−《春》』1957
  • エルヴィン・パノフスキー『西洋芸術におけるルネサンスとリナスンシズ』1960=和訳『ルネサンスの春』思索社刊
  • フェルオーロ「ボッティチェッリの神話学、フィチーノの『愛について』、ポリツィアーノの『馬上槍試合のためのスタンツェ』−彼らの愛のサークル」1955
  • リアナ・シェニーの『ボッティチェッリの神話画における一五世紀の新プラトン主義とメディチ家の人文主義』1985
  • ジョアン・スノー=スミス『サンドロ・ボッティチェッリ−新プラトン主義的解釈』1993
ミレッラ・レヴィー・ダンコナーの1992年の本がはっきりと解題中に書いてなかったが、おそらく『Due Quadri Del Botticelli Eseguiti Per Nascite in Casa Medici』のこと。

また、"On the Original Location of the Primavera," The Art Bulletin, 57 (1975), pp.31-40 などの報告によりヴァザーリによって記述されている二つの絵が飾られていた場所には、最初から置かれていたわけではなく、注文した人物が別々であることが分かってきた。『プリマヴェーラ』は、1482年のロレンツォ・ディ・ピエルフランツェスコの婚礼のさいに、彼の邸宅に置かれるために描かれたとされる。

基礎を学ぶことができた。
ヴァールブルクの論考を踏まえて、自分の考えを続けていこう。




posted by takayan at 21:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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