ヴァールブルクは三美神の描写を説明するために、セネカの『恩恵論 De Beneficiis 』を踏まえたアルベルティの『絵画論』の文章を引用したが、さらにセネカの『恩恵論』には、三美神の記述の直後にメルクリウスの名前が一カ所だけ出てくる
(引用元:『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』p.51)
それゆえ、メルクリウスが(三美神の)側に立っているのは、理性や言論が恩恵を勧めるからではなく、画家がそのように見たからである。この一文は、ヴァールブルクが指摘するように、まさしくボッティチェッリをその気にさせたのではないだろうか。セネカが千五百年ほど前に書いた、何かの作品を描写した言葉に従って、ボッティチェッリがメルクリウスをこの位置に登場させたと考えるととても面白い。「ホメーロス諸神讃歌」のヘルメス讃歌を読んでずっと該当する描写はないかと探したりもしたけれど、今はセネカのこの一文こそ、すべてを説明できる答えではないかと思える。
ただ問題は、ボッティチェッリが『恩恵論』そのものの記述を知ることができたかという一番重要なことだ。アルベルティの『絵画論』は読んだかもしれないけれど、アルベルティの三美神の描写がセネカを踏まえていることを知って、ボッティチェッリ自らも内容を知ることができたのだろうか。
それにしても、メルクリウスと三美神がこれほど接近して記述されている古典はこれ以外にあるのだろうか。『絵画論』にはメルクリウスの記述はないのだから、ボッティチェッリがメルクリウスを描いたことこそが、ボッティチェッリがセネカの『恩恵論』を知っていたことの証明だと言いたいけれど、これだけでは断言はできないだろう。
ただ、ボッティチェッリがこれを読んでいたと仮定すると、いろいろ面白いことが見えてくる。先の三美神やメルクリウスの記述は『恩恵について』第一巻第三章にあるのだけど、その最後はこのようにまとめられている。
(引用元は、岩波書店のセネカ哲学全集第二巻)
名前の告知役は、記憶の欠陥を大胆な嘘で埋め合わせ、正しい名前を告げられないときは、いつも適当にでっち上げる。それと同様に、詩人たちもまた、真実を語ることが主題にかなうとは考えないで、必要に迫られてか、美しさに惑わされてか、詩行にうまくあてはまる名前をめいめいに女神に強いて与える。そうして詩人たちが新たな名前を名簿に記入しても罪にはならない。なぜなら、次の詩人が自製の名前を女神たちに押しつけるからだ。それが実状であることを分かってもらうために、タリーアを見てほしい。彼女は今とくに問題にしている女神だが、ヘーシオドスではカリスであり、ホメーロスではムーサなのである。名前の告知役というのは、注釈を見ると、挨拶に来た訪問客の名を主人に告げたり、官職の選挙に立候補した主人に付き添い、出会った市民の名前を教える係、とある。またタリーアというのは、ヘーシオドスにおける三美神の一人のこと。
とても意味深な文章だ。後世の人が『プリマヴェーラ』という作品の登場人物を考えることを、まるで予見しているような文章に思える。再度指摘すると、セネカのこの言葉は、僕たちにとっては2000年前、ボッティチェッリにとっては1500年前に書かれている。セネカの言葉に従って、メルクリウスをここに立たせようと思ったボッティチェッリは、さらに自分の描いた絵にも、周りの人が名前を間違えるような罠を仕掛けて、セネカの文章を実現しようと企んだのかもしれない。そう思うと、さらに面白くなってくる。
セネカの言葉は、古代の作品に対する言及なので、古代の作品にメルクリウスの三美神が一緒に出ているものが残っているかもしれない。そう思って、探してみると、『パリスの審判』という作品があった。ただ、これにはヘルメス(メルクリウス)と三人の美女が出てくるが、これはいわゆる三美神(グラティアたち、もしくはカリスたち)ではなく、女神ヘラ、アフロディーテ、アテナとなる。『パリスの審判』はギリシャ神話の有名な話で、パリスの前で三人の女神で一番美しいのは誰かを競う話。よく芸術作品の題材にもなっている。『パリスの審判』は先のヴァールブルクの本の解題で、他の説として紹介されていたものだ。先日のまとめ記事には書かなかったが、『黄金の驢馬』における「パリスの審判」の劇のことをゴンブリッチが指摘している。ただ、ゴンブリッチの説はウェヌスはウェヌスであり、彼女の周りをグラティエたちとホーラたちが花を撒きながら登場する様子を描写しているとするもの。
セネカは、この物語を描いた作品における三人の女神を三美神と勘違いしたのかもしれない。もしくは作品の中には既に三人の女神を三美神と混同していたものがあったのかもしれない。ボッティチェッリは、セネカのメルクリウスの記述とは別に、こちらから直接三人の女神とメルクリウスを持ってきたのかもしれない。またボッティチェッリ自身が、三美神と三人の女神を混同していたのかもしれない。いろんなことが考えられる。
この話は知っていたつもりだったが、作品の中にヘルメス(メルクリウス)が出ていることに初めて気がついた。様々な作品で、ちゃんと翼の帽子、翼の靴、二匹の蛇の杖という目印をもった人物が出てくる。そしてそこには矢をつがえたエロス(クピド)までいる。さらに、このときパリスの得た褒美が、雲でできたヘレネという話までついている。「パリスの審判」のエピソードそのまま『プリマヴェーラ』に描いたのではないだろう。それだとパリスが不在になってしまうからだ。ただ古代ギリシアから続くこの三人の女神というモチーフはどこかで、このグラティアたちの三美神と関係を持っているのかもしれない。それで、ボッティチェッリはあえて、『パリスの審判』のモチーフからいろいろ借りてきたのかもしれない。このエピソードを知っていると、メルクリウスの行為は、その雲がヘレネではないか、つついて確認しているように見えてくる。
ここでセネカによる女神の名前の文章を思い出すと、ボッティチェッリがわざと混乱するような記号を描き込んだようにも思えてくる。どんどん深みにはまっていくぞ。
『パリスの審判』についての資料:
Judgement of Paris - Wikipedia, the free encyclopedia
英語Wikipedia の パリスの審判の記事。ルーベンス(1653)、ルーカス・カルナック(1528)の作品が見られる。
Stories in Art
上記Wikipedia記事で紹介されている、エピソードで絵画検索ができるサイト。「Search by Story」のメニューで「The Judgment of Paris」を選ぶと、このテーマの絵画のリストが表示される。
JUDGEMENT OF PARIS : Greek mythology
上記Wikipedia記事で紹介されている、「パリスの審判」についてのTheoi Project のページ。この話の解説と、これが書かれている古典の箇所が示されている。紀元前のアッティカ赤像式の陶器や、二世紀のローマの床モザイクの画像もある。