この二つの作品を紹介しているのは次の箇所:
(引用元:http://bepi1949.altervista.org/vasari/vasari83.htm)
Per la citta in diverse case fece tondi di sua mano e femmine ignude assai, delle quali oggi ancora a Castello, luogo del Duca Cosimo参考までに、英訳は次の場所。di Fiorenza, sono due quadri figurati, l'uno Venere che nasce, e quelle aure e venti che la fanno venire in terra con gli amori, e cosi un'altra Venere che le Grazie la fioriscono, dinotando la Primavera; le quali da lui con grazia si veggono espresse
VASARI'S LIFE OF SANDRO BOTTICELLI
(VENUSでページ内検索するとすぐに場所が分かる)
以下この文章について調べたこと、考えたこと。
ヴァザーリがこの二つの絵にウェヌスが描かれていると書いているのは、当時の人々がそう思っていたからだろうし、ヴァザーリがそれを追認したということだろう。絵が描かれて70年近く経って、何を描いた絵なのかの情報が失われることがあり得るだろうか。ただ、上記のヴァザーリの文章を読むと、後述するが明確さに欠けるところがある。この本は、数多くの画家や建築家の資料をまとめたものなので、ボッティチェッリもその他の大勢の人々の一人なのだから、細かなところまで行き届かなかったということだろうか、もしくは、70年後ではこの情報が精一杯で、絵を解説する言葉がこれ以上明確に伝わっていなかったのだろうか。
『画家列伝』の該当部分を訳してみるとこのようになる。
「彼はその町(フィレンツェ)の様々な屋敷に出向き、円形画や裸婦を数多く描いた。その中の二つの人物画は今もまだフィレンツェの外にあるコジモ公の館に残っている。一つは誕生するウェヌスで、そよ風と風がアモルたちとともに女神を陸地に運んでいる。もう一つもウェヌスで、これは春を表しており、グラティエたちによって花々で飾られている。どちらの絵も優雅に描かれている。」
この文章の翻訳は他にもあるので興味がある人はどうぞ確認を。邦訳本である白水社刊『ルネサンス画人伝』には言葉をいろいろ補った分かりやすい翻訳がある。思索社刊『ルネサンスの春』や、先日紹介した『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》−イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』にも引用として別に訳出された文章が載っている。ただ理由は分からないが、既にある日本語訳はどれも、luogoをvilla(別荘)として訳している(と推測できる)。異本があるのだろうか。
この文章には勘違いがあるという指摘がある。パノフスキーの『ルネサンスの春』(1960)で、ウェヌスがアモルと共に描かれているのは、『ウェヌスの誕生』ではなく『プリマヴェーラ』について説明する言葉で、また『プリマヴェーラ』でグラティアたちによって花で飾られているのではなく、『ウェヌスの誕生』でゼピュロスたちに花で飾られているとされるべきものだと指摘されている。また、英語Wikipediaでは(日本語記事はその翻訳)、出典が明らかではないが、この『ウェヌスの誕生』の説明は、失われた別な作品についてではないかという研究があるようだ。
イタリア語の文章を訳してみて、すぐに気づくのが、現在私たちが呼んでいるような明確なタイトルで呼ばれていないことだ。白水社の日本語翻訳では、分かりやすく現在のタイトルに置き換えてしまっているので分からなかったが、現在の『ウェヌスの誕生』は”誕生するウェヌス”が描かれた絵、現在の『プリマヴェーラ』は”春を表している”絵というように説明がしてあるだけだった。当時は絵の呼び名とはこういうものだったのだろうか。発注者を示す目録があるそうだが、それには何と書いてあったのだろうか。
『ウェヌスの誕生』についての説明では、二人のアモルが一緒だと書いてあるが、もちろんこれはクピドのことだけれど、これがゼピュロスともう一人、寄り添った翼の生えた女性のことを指しているのだろうか。今ではクピドというと、たいてい一人で子供の姿で描かれるものと思われるが、複数の兄弟とともに描かれることもあれば、大人の姿で描かれてることもある。その点では、なんとか辻褄は合う。風の描写があるが、風だけでいいのに、そよ風も一緒だということを書いているのは、ポリツィアーノの詩などの知識がないと書けないのではないだろうか。絵では詩を反映し、西風が岸に運び、そよ風が髪をなびかせているのだけど、絵の描写を見ただけで、翼のある女性の口から出ている優しいそよ風の存在を知り、それをそよ風と呼ぶことができるだろうか。『ホメーロス讃歌』ではそよ風のことは書かれていなかったから、やはり、ヴァザーリがポリツィアーノかそれに類する作品を知っているか、彼に絵の内容を教えた人がそよ風の存在を理解していたと考えないと、この説明は書けないだろう。そもそも絵を見ると、風もそよ風も擬人化されていると考えた方が理解しやすい。でも、それだと二人のアモルと存在がだぶってしまう。今、絵を見れば、二人の翼の生えた神がいるし、その神々がそよ風と風を口から吹いている、文を構成しているものはそれほど違ってはいないのだけど、文となってしまうと、まるで別なものを説明しているようにみえる。
『プリマヴェーラ』についての説明。この文章が、この絵が『プリマヴェーラ』と呼ばれるようになったとされるものだ。dinotando は dinotare の ジェルンディオ形。辞書で dinotare を引くと、denotare を引けと出てくる。denotare の意味は、現す、示す、物語る。ジェルンディオ形なのでおそらくここで英語の分詞構文のように従属節を作って、この絵の描写を一言で説明している。それにしても、グラティアたちがウェヌスを花で飾っているという記述も、絵の内容とずれている。実際、グラティアたちは描かれているし、この絵は様々な花で飾られているのだが、文としては、絵とずれた変な意味になってしまう。
Wikipedia で書かれているように『ヴィーナスの誕生』の説明は失われた別な作品を描写しているというのもあり得る話だが、これは記憶を元にして書いたから、もしくは自分は現物を見てなくて、伝聞だけで書いたからとか、そう考えた方がいいように思う。絵を構成しているものはなんとか辻褄が合うので、記録の組み立て方を間違えたと考えるほうが、失われた作品を想定するより現実的だと思う。両者とも違っているのだから両者とも失われた別なものという可能性も考えなくてはいけなくなる。現代ではコピーを常に手元に見ながら確認できるので、間違いをすぐに指摘できるが、昔はそうはいかないだろう。この本をどのくらいの時間をかけて、どのような取材をして書いたのか、他の画家の記事ではこのような不正確な記載はあるだろうか。そういうところまで調べないと、何も言えないだろう。でも、そこまでは調べない。