ストア派哲学者コルヌトゥス(Lucius Annaeus Cornutus)が残した『Theologiae Graecae compendium』(直訳するとギリシア神学大要)というギリシアの神々ついての神学の書に、記述があった。以前出てきたセネカやクリュシッポスもストア派の哲学者で、コルヌトゥスはセネカとは同時代の人。
引用元:思索社刊「ルネサンスの春」旧版 p.295
ヘルメスが三美神の指導者に任じられているのは、人がその価値ある人へ、そして実に価値ある人にだけ、勝手にではなくそれにふさわしい親切をつくさなければならないことを示すためである。確認のために、原文を探してみた。
引用元:Internet Archive: Details: Cornuti Theologiae graecae compendium
Ηγεμόνα δε παραδιδόασιν αυτων τον Ερμην, εμφαίνοντες ότι ευλογίστως χαρίζεσθαι δει χαι μη ειχη, αλλα τοις αξίοις: ο γαρ αχαριστηθεις οχνηρότερος γίνεται προς το ευεργετειν.このブログはユニコードで表記できないので、気息記号や鋭以外のアクセント記号などは表記していない。また、古典ギリシア語の文法は分からないので、単語の意味だけを辞書で調べて確認した。
ευεργετειν は動詞か名詞かもはっきり分からないが、上記の和訳では「親切をつくす」の部分に対応する。辞書には、これと同じ語幹を持つ言葉に、動詞 ευεργετέω がある。これは「benefit」と書いてある。つまり、「恩恵 Benefits」について語ったセネカと同じ文脈で読むことができるのではないだろうか。同じストア派に属するわけで当然といえば当然なのだけれど、僕は古典ギリシア語も分からないし、ストア派の哲学用語にも詳しくないので、これ以上は追求しない。もっと詳しく読み解こうとするならば、そういう用語も気を遣わないといけないのだろう。
この文書にどれだけの権威があったかどうかまでは分からないが、とにかく、後世まで名前の残る哲学者の、神話の神々の哲学的解釈を記した本に書かれてあれば、十分だ。メルクリウスと三美神が結びついているとする思想を確認できた。この価値観で描かれていたかなんてどうでもいい。この思想があることだけ分かればいい。
翻訳のことで、ちょっと気がついたこと。三美神の服装について『ルネサンスの春』の原注にも書かれていたが、これはセネカの三美神の服の描写との類似点がセネカそのものが若干影響したことを示すのではないかという内容だった。気になって確認してみると、日本語訳の中央公論美術出版刊『絵画論』では、「帯のついた非常に清潔な上衣」と訳されているが、一方ありな書房刊『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』では同じはずの文章が「帯を解いた、染みひとつない衣装」と訳されている。重要なところなのに意味が違っている。原文を確認しようと、ラテン語原文(De Pictura)を調べると、「soluta et perlucida veste」となっている。これは「ゆったりとして透明な服」と訳せるだろう。ついでに英訳(On Painting Book Three - Notebook)をみてみると、こちらは「their clothes girdled and very clean」と、意味が逆になっている。どちらが正しいのだろうか。やっぱりラテン語でいいだろうか。アルベルティの記述が「帯を締めている」のならば、絵は確実にセネカの影響だと言えるのだけど。
いろいろ調べたが、メルクリウスの霞への行為の意味は分からなかった。だからとりあえず見えたまま理解する。たなびいて見えるので、霞は自ら動いているようだ。この霞は入り込んできているのか、それとも出て行こうとしていこうのか。この絵には風の神ゼピュロスがいるので、風は右から左に吹いていることになるのではないだろうか。ゼピュロスは口を閉じているので、実際は風が吹いているわけではないが、風の神が反対側にいるというだけで、雲が従う風は右から左に吹いていると考えていいのではないだろうか。実際、霞の描写を見ていくと、メルクリウスの杖の左側の霞が透けて背景がちょっと見えている。それは霞が左に流れていることを示しているのではないだろうか。それを描写することで、どちらともとれてしまう霞の進んでいる向きを表しそうとしたのではないだろうか。メルクリウスは、春となりここから逃げ出している霞を不思議に思い見つめているだけかもしれない。彼はこの庭園の番人だという説もあるが、自分の後ろの方で、上空からの侵入者に女性が襲われているのに、それに無関心であるというのは、どうなんだろう。
あとは、この霞のことさえ分かればいいと思っていたけれど、どうしても見つけることができなかった。もう霞のことは考えないことにしよう。
この絵のことを考え始めて、もう一ヶ月になってしまった。正直、自分自身もういい加減、飽きてきている。後書いていない、ポリツィアーノの詩について書いて、全体のまとめを書いたら終わりにしよう。
追記 2011/03/30
霞の意味や、メルクリウスがここで何をしているのかについては、「プリマヴェーラ」の解釈に書きました。
また、結局この絵における三美神とメルクリウスの関係については、出典はないものと結論づけました。そして絵の中でのメルクリウスの役割についての解釈は、「三美神」の特定 で書きました。