ポリツィアーノは、ボッティチェッリと同時代に人文主義者で、プラトン・アカデミーの一員。メディチ家の家庭教師をしたりしている。
通常『la giostra』(馬上槍試合)などと呼ばれるが、正式な名前は、『Stanze di messer Angelo Politiano cominciate per la giostra del magnifico Giuliano di Pietro de' Medici』(ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合のためのスタンツェ)。
この詩は、1475年に行われた、ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合トーナメントでの優勝を祝って書かれたものである。この行事で美の女神役を演じたのが、ジュリアーノの愛人だったとされるシモネッタ・ヴェスプッチで、この詩の中で二人の恋を描いているとされる。この詩は二部からなる。一部は125編ととても長いが、二部は1478年にジュリアーノが暗殺されたため、24編の短いものになってしまった。ボッティチェッリの絵にはこの実在の人物に似せたものがある。それは確かだと思うのだけど。
馬上槍試合のイタリア語、および英語対訳は次のページで見ることができる。
Angelo Poliziano - Stanze per la giostra
ポリツィアーノは、20歳の時にギリシア語で書かれた『イリアス』をラテン語に訳すといった卓越した語学力を持っている人なので、この詩はその能力を活かして古典からの様々な着想を得て作っている。詳しくは、先日紹介した『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》』を参照。
『プリマヴェーラ』の関連すると思われる部分を抜き出してみる。関連する部分はもっと多くあると思うが、主なものだけ。訳には挑戦したが、うまくいかなかった。内容が知りたい人は、上記対訳の英語で確認を。(あとから訳を書き足す予定)
目隠しをしたクピドが矢を射る場面:
XL(40)
Tosto Cupido entro a' begli occhi ascoso,この絵の舞台がヴィーナスの王国と呼ばれる根拠になっている部分:
al nervo adatta del suo stral la cocca,
poi tira quel col braccio poderoso,
tal che raggiunge e l'una e l'altra cocca;
la man sinistra con l'oro focoso
la destra poppa colla corda tocca:
ne pria per l'aer ronzando esce 'l quadrello,
che Iulio drento al cor sentito ha quello.
LXVIII(68)
Ma fatta Amor la sua bella vendetta,春の女神プリマヴェーラが描写されている部分:
mossesi lieto pel negro aere a volo,
e ginne al regno di sua madre in fretta,
ov'e de' picciol suoi fratei lo stuolo:
al regno ov'ogni Grazia si diletta,
ove Bilta di fiori al crin fa brolo,
ove tutto lascivo, drieto a Flora,
Zefiro vola e la verde erba infiora.
LXXII(72)
Ne mai le chiome del giardino eterno以前、プリマヴェーラが何故イタリア語なのか分からないと書いたが、この詩の描写を根拠にしているからなのか。やっと分かった。この詩を根拠に、ボッティチェッリがホーラたちの一人を描いているのならば、彼女のことを、ホーラたちの一人と呼んでも、春の女神と呼んでも別にかまわなくなる。
tenera brina o fresca neve imbianca;
ivi non osa entrar ghiaccioto verno,
non vento o l'erbe o li arbuscelli stanca;
ivi non volgon gli anni il lor quaderno,
ma lieta Primavera mai non manca,
ch'e suoi crin biondi e crespi all'aura spiega,
e mille fiori in ghirlandetta lega.
この詩に影響を受けたことは十分考えられる。いや確実に影響を受けている。この詩には、メルクリウス以外、ゼピュロス、フローラ、プリマヴェーラ、アモル(クピド)、ヴィーナス、グラティアが登場する。特に、68節では、ヴィーナスの領地の説明として、まず、そこへ向かうアモル(クピド)の姿を描いて、その領地をグラティア、美の女神、フローラ、ゼピュロスがいるところとしている。この部分を見て誰もが、ここをヴィーナスの領地だと考えてしまう。
『プリマヴェーラ』の、この詩からの影響は明らかだろう。そして以前紹介した『祭暦』のこの絵に対する影響は、フローラの口からこぼれる花びらの具象化で明らかだし、その他の場面も描かれている。つまり、問題はどちらをベースにしているかだ。中央がヴィーナスであることを譲らないならば、ベースはこの詩『馬上槍試合』が描くヴィーナスの王国しかあり得ないが、そうでなければ、どちらもあり得る。
また、アプレイウスの『黄金の驢馬』をラテン語からイタリア語に翻訳したのでしょうか。
ボッティチェリがどのようにしてローマ神話またはギリシャ神話を知ったのかに興味がありますので。
よろしくお願いします。
最初の質問の件ですが、このポリツィアーノの詩はイタリア語で書かれています。
次の『黄金のろば』というのは、「クピドとプシケ」の初出がこれだからですよね。この本がいつ頃からイタリア語で読まれるようになったかは知りません。ゴンブリッチという人が、この物語の『プリマヴェーラ』への影響を指摘していますので、この人の論文を読むと分かるかもしれませんが、僕自身読んでいないので、わかりません。
ボッティチェッリが神話をどうやって知ったかですが、当時は既に日常的に古代のような祝祭をやっていたり、常識としてある程度知っていたのではないでしょうか。ヴァールブルクという人を紹介しましたが、その人の論文集に「フィレンツェ市民文化における古典世界」というのがあります。タイトルから関係があるかもしれないと思っていて、いつか読もうと思っています。読んでいないので、内容を書いたり、はっきりおすすめできないのが残念です。
もちろん、ポリツィアーノのような古典に詳しい人文主義者がメディチ家を通じて周囲にいたようなので、著作を読んだりいろいろ情報を得ることができたのでしょうが、これもはっきりしたことはよくわかりません。