ハイビジョン特集 教皇の美術館 バチカンの至宝 第1回 ローマの威信を取り戻せ ルネサンスと古代彫刻
BShi 5月2日(土) 午後8:35〜10:05
ちょっと前までいろいろボッティチェッリの作品のこととかいろいろ書いて、そんな僕がこの番組があるのを知ったら、それは見たいと思います。もろその頃の話で見てとても良かった。
フィレンツェについての話はいくつか読んでいたけれど、当時のローマについては何も知らなかった。ローマは荒廃していたんだ。これは歴代の教皇たちが如何にして都としてのローマ、総本山としてのバチカンを復興させたかを描いた番組。貴重な映像を盛り込んで、バチカン美術館の様々な美術品が紹介される。来週はミケランジェロとラファエロの話。
以下視聴メモのまとめ
ローマは2500年の歴史を持つ都市。一キロ四方に満たないバチカン市国。11億5千万人のカトリック信者の総本山。バチカン美術館には年間400万を超す人たちが訪れている。
バチカン美術館には、歴代の教皇が収集したり、制作させたりした芸術作品が収められている。収蔵品は十万点。
中世には神やキリストの姿を描くことを禁じていたのに、どうしてこの頃の教皇たちはこのような宗教画を描かせたのか、古代ギリシア・ローマの彫像を集めたのかを探っていく。
番組は5つの章に分かれていた。
第1章 ルネサンス芸術を取り込め ニコラウス5世(在位1447〜55)
第2章 ルネサンスとバチカンの結婚 シクストゥス4世(在位1471〜84)
第3章 古代彫刻に託した思い ユリウス2世(在位1503〜13)
第4章 ラオコーンの謎
第5章 大聖堂建設 ユリウス2世(在位1503〜13)
それぞれの教皇の物語を通じてローマが復興し、バチカンの権威が回復していく様子を伝えていく。第1章と第2章は、それぞれ一人の教皇について語られるが、第3章から第5章(そしておそらく次回)はユリウス2世に関するものになっている。
第1章
教皇が支配するローマは見る影もなく荒廃していた。画面には街中の古代の遺跡が家畜の放牧場になっている荒れ果てたローマの様子描かれた銅版画が映し出される。大理石の建造物が石灰を作るために壊され焼かれていると当時の人文学者の言葉が語られる。一方周辺の都市国家は力をつけ、繁栄を謳歌している。この現状を打破するために、サンタンジェロ城を拠点に教皇ニコラウス5世が行動を開始する。教皇は噴水や水道設備などの公共施設などを再建した。それとともに1450年の「聖年」に、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂など四つの大聖堂を巡礼すると犯した罪に応じて死後に課される罪が免除されると宣言した。これによりヨーロッパ各地より巡礼者が押し寄せ、その寄進によりバチカンは莫大な金銭を手に入れることができた。
ニコラウス5世の言葉「大衆の心に揺るぎない信仰心を生み出すためには目に見える形で訴えなければならない。壮大な建造物や記念碑によって教皇の権威が伝えられるならば全世界がそれをあがめるであろう。」
そして、ニコラウス5世はフィレンツェで花開いたルネサンス芸術に着目する。ここで、フィレンツェ・ルネサンスの代表として、ボッティチェリの作品が登場する。「ビーナスの誕生」「春」の映像を映しながら「健康的な肉体。リアルな感情表現。古代ギリシア・ローマを手本とし人間の持つ肉体や精神をあるがままの姿を描こうとした。時代の最先端を行く芸術運動。」と解説。
ニコラウス5世はフィレンツェのフラ・アンジェリコにフレスコ画を描かせた。ニコラウス5世礼拝堂のテレビカメラによる撮影はこれが世界初。この部屋の壁面にはフレスコ画で二人の聖人の生涯が描かれている。上の段は、聖ステパノの生涯。最初の教皇聖ペテロから役職に任ぜられる。彼は最初の殉教者である。ユダヤ教徒の反感を買い石打の刑で殉教する。このとき彼は「主よこの罪を彼らに負わせないでください。」と祈ったとされる。下の段は、三世紀の聖人、ラウレンティウスの生涯。当時布教が禁じられており、財産が没収されたことになった。ラウレンティウスは教皇から教会の財宝を人々に分け与えるよう託される。次の画では老人、杖をつく盲人、足を引きずる人などに財宝を分け与える姿が描かれている。次の画では皇帝の前に連れ出され、拷問を加えるぞという脅しにも屈せず、投獄されても番人に布教する姿が描かれる。そして最後に火の中に投じられ、焼き殺される姿が描かれる。このラウレンティウスの物語に出てくる教皇の顔には、ニコラウス5世の顔が描かれている。
先のニコラウス5世の言葉のとおり、写実的なルネサンスの絵画は人々の心に信仰心を生み出させるのにうってつけのものだった。
第2章
シクストゥス4世はローマの設備に力を注いだ。広場を作り、そこに市場を開いた。公共施設の充実を図った。以後のヨーロッパにおける病院建設のモデルとなったサント・スピリト病院を建てた。大規模で壮麗なシスティーナ礼拝堂を創建した。現在のシスティーナ礼拝堂は、天井はミケランジェロのフレスコ画で埋め尽くされているが、完成当時、絵は側面のフレスコ画だけで、天井には星空が描かれていた。左右の側面には旧約聖書と新約聖書の物語が描かれている。この画を描くためにイタリア各地から画家が呼び集められた。番組内ではイタリアの地図を背景に四人の画家の肖像が現れる。リーダ役だとされているのがペルジーノ。そしてボッティチェリもこの中の一人。ボッティチェリの作品として次の三つが紹介されている。「モーゼの生涯の出来事」、「コラ、ダダン、アビラムの天罰」、「キリストの誘惑」。キリストの誘惑の中央には、シクストゥス4世の業績であるサント・スピリト病院の建物が描き込まれている。ペルジーノの作品として、「キリストの洗礼」、「聖ペテロへの天国の鍵の授与」が紹介される。この聖ペテロがキリストから授けられている鍵は、バチカンの紋章である交差する二つの鍵の由来でもあり、バチカンの権威の正当性を描いた作品になっている。絵画が強力な布教手段となった。
第3章
このように教皇たちの活躍により、本来の輝きを取り戻してきたローマとバチカン。そして登場するのが「恐るべき教皇」とも呼ばれたユリウス2世。教皇は古代ギリシア・ローマの彫刻を集め、展示した。ルネサンスの画家たちが手本とし理想とした古代彫刻。しかしバチカンにとっては異境の偶像。それをあえてバチカンに持ち込んだ教皇の意図は何か。
1世紀に書かれたプリニウスの「博物誌」。その中でどんな絵画にも彫刻にも優る作品として紹介されているのが「ラオコーン」。それがユリウス2世が教皇となって三年目に発見された。場所は皇帝の浴場があったオッピオの丘。発見者に莫大な年金を約束し、教皇はこの彫像を手に入れた。古代彫刻の中でも群を抜く傑作。
当時の人々にとって芸術や文化は現代の我々には計り知れない意味を持っていた。教皇は芸術作品の前で政治家や外交官と話をした。古代の彫刻、最先端のルネサンスの芸術作品を集めることにより、バチカンの教養と財力を示し、教皇の権威を内外に知らしめた。
このようにしてバチカンの権威は回復し、荒れ果てた街も復興していった。ローマはルネサンスの都として甦った。
第4章
「ベルベデーレのトルソ」、「クニドスのウェヌス」、「眠るアリアドネ」、「ナイル」、「ヘルメス」などの彫像が解説される。
多くの作品は古代ローマの頃ギリシアのオリジナル作品から精巧にコピーされたもので、この「ラオコーン」もそう考えられていた。根拠として、これはローマで見つかったものだが、「博物誌」には作者としてロードス島の三人のギリシア人の名前が挙げられているからだ。しかしそれを覆す説がある。1957年スペルロンガで発見された大理石彫刻の大量の破片が発見されたが、それを組み合わせると台座の部分に「博物誌」に書かれた名前が彫られているのがわかった。これは彼らがイタリアに来て作品を制作していた可能性を示すものかもしれない。そうするとローマで発見されたラオコーンもオリジナルの可能性が出てくる。結論はまだ出ていない。
ラオコーンにはもう一つの謎がある。それはラオコーンの右肩。ラオコーンには右腕がなかった。ラオコーンが16世紀に発見されて数十年後、フランスの王が型を取ってラオコーンのブロンズのコピーを作らせた。そのコピーには既に右肩がない。つまり発見された当初からラオコーンの右肩は失われているとされる。これを補うために今まで七つの右肩が取り付けられた。例として1950年に撮られた現在のものとは別の腕が取り付けられたラオコーンの写真が示される。
1905年に石職人の工房で一本の腕が発見された。この大きさや材質を調査した結果、ラオコーンのものであると断定された。現在取り付けられているのがこの腕である。しかし、以前の取り付け作業のとき、ラオコーン本体を削って取り付けてしまったため、本来どのようにつながっていたか正確にわからなくなってしまった。現在この研究が進められている。
第5章(この章は次回予告のようなもの)
ユリウス2世の改革は続く。教皇は世界最大の大聖堂を建設しようとした。これまでの聖堂は4世紀に建てられたもの。聖域でもある聖堂を壊すなど以ての外、激しい反発が起きたが、ユリウス2世は反対勢力を押さえ着工した。1506年。完成したのは1626年。これがサン・ピエトロ大聖堂。さらに教皇はシスティーナ礼拝堂の改修にも着手した。夜空が描かれていた礼拝堂の天井に創世記の物語を描かせた。描いたのはルネサンスの天才ミケランジェロ。そして教皇はもう一人の天才ラファエロに執務室の壁面を描かせた。
第二回「ユリウス2世と二人の天才芸術家」に、つづく。
次回の放送予定
ハイビジョン特集 教皇の美術館 バチカンの至宝 第2回 ルネサンスの栄光 ユリウス2世と二人の天才芸術家
BShi 5月9日(土) 午後8:35〜10:05
ガンダーラでギリシャ人が仏像を作り出し、ギリシャ神話の神々と合わさって、教えを目に見える形で表し、それらの文化力により、大乗仏教がアジア地域に広まり、日本にまで達した要因も、同様なアナロジーとして見えるように思います。だだし、その間に古代を破壊し尽くしたゲルマンやカトリックの後にまた始めたローマ教皇よりも1000年以上前からの話しになりますが。
番組の中の映像の美しさは伝えることはできませんでしたが、ギリシア芸術の完成度の高さに感嘆するばかりでした。
そうですね。ギリシアの影響を受けたガンダーラ美術でも、メディアとしての芸術が宗教において似たような役割を果たしたわけですね。
兄弟姉妹の皆様、
秋田の聖母マリアの奇跡の巡礼地を知っていますか?
1973年から1982年まで、秋田県秋田市郊外の小さな修道院で、聖母マリアの不思議な出来事がありました。
当時は、世界的に大騒ぎになり、奇跡に立ち会ったカトリック神父が出来事を記録した著作は、4ヶ国語に翻訳され、現在も世界で読まれています。
世界のカトリック教徒の間では「Our Lady of Akita」の名前で知られています。
世界11億人のカトリック教徒の間では、よく知られた出来事なのです。
ぜひ、ホームページをご覧下さい。
http://www.newlifejm.net/japan_top.html