本放送は2006年。テレビ東京の放送だったので、こちらでは放送されていなかった。そういうわけでBS11デジタルでの放送が初見になった。当時こちらでも見れるBSジャパンでも放送されていたらしいのだけど、気づく訳がなかった。今回のBS11デジタルでの放送も「亡念のザムド」の後番組でなかったら、初回から気づかなかっただろう。
人類は量子コンピュータを開発し、人の肉体や精神の情報を丸ごと量子データに変換することに成功したそういう未来。量子コンピュータとか量子テレポートとか、現実の科学用語が使われているが、そういう細かいことは気にしないで楽しんでいた。
全人類はなんらかの災厄のために肉体を失い、量子コンピュータの中に保存された量子データのみの存在となってしまった。人類のデータはその量子コンピュータが作り出す仮想世界の中で、自分たちが滅びてしまったことに気づくこともなく、作られた世界の中で年をとることなく平穏な日々を繰り返している。こういう世界観大好きなので、かなりはまって見てしまった。
作られた世界の中で暮らす人々は、この物語の用語で幻体と呼ばれている。その中に極稀にセレブラントと呼ばれる世界の本質に気付き、サーバーが管理する日常から自由になれる人たちが出現する。その覚醒した人たちは、いつの日か地上に戻れる日を信じ、人類をこの絶望的な状況に追い込んだ存在と戦っている。サンライズらしく、この作品もロボットものである。主人公たちは飛空母艦から発進するゼーガペインと呼ばれる人型兵器に乗って戦う。最初の印象は、ありがちなゲーム世界と現実世界の融合とか、マトリックスに影響を受けたものという感じだったが、見ているうちに妙に引き込まれてしまっていた。
現実の世界において人類は肉体という実体を失っているが、彼らが操る飛空母艦と人型兵器ゼーガペインは物理的な実体をもっている。セレブラントはその内部に転送されることでサーバーの外の世界に進出できる。ゼーガの機体の周辺であれば、搭乗者はホログラムとして地上に降りることもできる。地上に投影され、まるでそこにいるように描かれる。彼ら自身もそこにいるという感覚が与えられるのだろう。ただこのホログラムの彼らは地上の何物にも触れることはできない。彼らの世界やホログラム同士ならば触れることも当たり前にできるので現実に引き戻されることはないのだけど、ふとしたこういう虚しさの描写は、彼らが直面している現実を痛切に感じさせて心を締め付けてくる。
テーマ曲もいい。始めも終わりもロボットものには相応しくないような、ふわふわとした甘く切ない歌声がたまらない。本編を時間を忘れて見入っていると聞こえてくるエンディングテーマもいい。もう終わりかと思いながらのこのラストからエンディングテーマへの流れも毎回ぞくぞくする。物語が進むにつれて、歌詞のキーワードに隠された意味に気付いていくのも面白い。録画したのを見るときもスキップするのがもったいない。
タイトルにあるように痛みがこの物語の大きなテーマになっている。「忘れるな我が痛み」が後半の次回予告の決まり文句になっている。肉体を失っていながらも、目の当たりにする悲惨な現実にセレブラントはやりきれない痛みを感じつつ日々を生きている。人は失ってしまうことがどうしてこんなに苦しいのだろうか。
主人公の名前はソゴル・キョウ。以前、重要な任務に携わっていたパイロットであるらしいのだが、今は記憶を失っている。その主人公の自分探しを通じて、視聴者はこの絶望的な世界の全体像をしだいしだいに知っていく構造になっている。新しい人格の主人公は、青春真っ只中の成績優秀だがやんちゃな水泳部所属の高校生としてこの物語を引っ張っていく。
主人公の幼馴染のカミナギ・リョウコの存在がまたいい。この幼馴染の声が見事な棒で、でもこの棒が聞いているうちにこの物語になくてはならない存在になってくる。この幼馴染を中心に、まだ目覚めていない現実の悲惨さを知らない人たちと、戦場の中にいる目覚めた者たちとの二つの世界の対比が、いいアクセントになっている。何も知らずに日々を暮している彼らを大切に思う気持ちが、主人公を戦わせているという理由づけも説得力をもって見えてくる。
見ていると人の動きが棒演技なところがところどころあったりするんだけど、細かいところは気にしない。全体としての世界の構築に関してはうまくできていると思う。そしてラスト数回の最終決戦のたたみかけも見事だと思った。話数が足りなくて詰め込みすぎたんじゃないかって印象も否めなくもないけど(実際そうだったのかどうかはわからないが)、人類の存亡をかけた総力戦の描写はとてもよかった。
ナーガ、アビスやシン、シマ、イエルという重要なキャラクタのことは何も書いていないし、他にも語りつくせないものがあるが、物語の大雑把な説明と感想はここまで。ここからは終盤の簡単すぎるあらすじと感想。
キョウは、敵の月面基地から大切なデータを地球に運ぶために、ただ一人肉体を手に入れる道を選ぶ。月面基地の崩壊は目前で、敵協力者が残してくれたこの装置は一度きりしか使う時間がない。幻体を生身の体に変換するこのリザレクションシステムの設計図も手に入れたが、この装置は高度に発達した敵文明の技術によって作られているため、人類がそれを作り上げるのはいつになるかわからない。ここで実体化してしまったら、この装置が完成するまでキョウは仲間たちと触れ合えない別の世界を生きていかなければならなくなる。
彼らは地球を覆い尽くそうとする敵の領域を破壊することにも成功し、再び地球を自分たちの手に取り戻した。光を取り戻した地上に彼はただ一人生きている。キョウのいる浜辺にカミナギがゼーガに乗って会いに来てくれている。戦場で大きな力となってくれたゼーガが、今度は生きる世界の違う二人をつないでくれている。キョウは地上の本物の世界にあるありとあらゆるものの中で生きていく決心をカミナギに語る。キョウが摘んだ花を差し出すと、カミナギはホログラムの両手でその花を大事に包み込む。キョウはあと二年待ってくれ、卒業式には必ず出るぜと言う。でも僕にはこの言葉の意味がよくわからない。2年間この現実世界の中で存分に生きてみて、そのあと幻体化して3年生に編入するということだろうか。飛行母艦が半月に一度の食料を運んできた。二人は、彼らを出迎えにゼーガに乗り込み青空の中に飛び立っていく。
そして走馬灯なエンディング。物語はこれで終わりではなく、もう少し続く。
朽ちた灯台が見えたあと、妊婦の姿が映る。顔はよく映らないがおそらくカミナギだ。しかしそこにいるのは彼女一人きりで、キョウちゃんと思われる姿はどこにもない。そこにいないだけなのか、年老いてもうこの地上にはいなくなってしまったのか、わからない。周りが映るがきっとキョウがいたのと同じ浜辺のようなのだが、風景がかなり変わっている。その風景や灯台の朽ち方から二年ではきかない年月が経っているのがわかる。この歳月の描写は、装置の開発は決して順調にはいかなかったことや、そこに大きな痛みがあったことを思わせずにはいられない。灯台という記号が壊れている描写は、かなり重大な悲劇を示しているように思う。
もうキョウは限りある命を全うし死んだ後なのだと思う。壊れた灯台は歳月によってだけでなく、敵残存部隊の攻撃のためかもしれない。それでもカミナギのお腹の子の父親はキョウでいいと思う。精子バンクの技術は現代でもあるのだから、その技術を復活させて、時を超えてカミナギがキョウの子を身ごもることは可能だろう。人をデータに変えられるのなら、精子の量子データをとっておいて保存とかもできるかもしれない。いや精子に限定せずDNAの情報だけあればなんとでもできるだろう。それでも、人間を量子データにする技術がまだ残っていても、おそらく年老いていくキョウは自分自身を量子データに再び変換してみんなとともに生き残ることは拒んだだろう。それが本物の世界に一人で生きることを望んだキョウの生き様だと思う。
彼女が誰なのか誰が父親なのかという問題はともかく、肉体を取り戻しただけでなく、これからも受け継がれていく種としての人類が復活できたことを示す象徴的な場面でこの物語は終わる。彼女は青空を見上げながら「早く生まれておいで、世界は光でいっぱいだよ。」と話しかける。
それにしても覚醒するのが遅すぎて、ブルーレイの予約に間に合わなかった。とても残念だ。