2011年02月11日

『Pagan Mysteries in the Renaissance』における《春》の解説について

日本語翻訳版がほしかったのですが、高くて買えなかったので、英語版ペーパーバックを元に書いていきます。

先日扱った『ルネッサンスの光と闇』の中では『ルネッサンスにおける異教伝説の謎』という名前で呼ばれていた”Pagan Mysteries in the Renaissance”ですが、日本では1986年『ルネサンスの異教秘儀』という名前で和訳されました。

著者のエドガー・ウィント(Edgar Wind)氏は1900年ベルリン生まれのヴァールブルク学派の研究者です。この本は1958年に出版され、現在出回っているペーパーバックのものは改訂増補版です。ボッティチェリを直接扱っているのは第7章のBOTTICELLI’S PRIMAVERAと第8章のTHE BIRTH OF VENUSですが、それ以外にも三美神や、目隠しをしたキューピッド、聖なる愛と世俗の愛など多少この絵と関連あるテーマも扱っています。

今回は《春》を解説している第7章だけを訳して読みました。各章は、★でさらに節に分かれており、第7章のそれぞれの節の内容を簡潔に紹介すると次のようになります。

・この絵の来歴とフィチーノとポリツィアーノの影響、そして残る謎。
・クロリスからフローラへの変身。そして「春」の意味。
・ウェヌスとクピド、三美神について。ウェヌスらしくない奥ゆかしい態度の理由。
・難問であるメルクリウスの役割。
・メルクリウスとゼピュロスの愛の対比。

最初の節でフィチーノとポリツィアーノの影響があることを述べた後、以降この絵にまつわる難問をこのフィチーノの新プラトン主義を使って読み解いていきます。ウィントがこの絵の中にクロリスとフローラの変身が描かれているとしたのは、以降この絵の細部や全体に対して新プラトン主義的解釈を行う準備にすぎません。この解釈に都合がいいようにウィントがこの変身の描写を採用したとも言えます。

この変身の描写という前提によって、絵全体が新プラトン主義的な構造になっているという結論が導けるわけですが、だからといってこの前提が真理だと断定できるわけもありません。解釈ができてしまうのですから、本当にボッティチェリがそう描いていたのかもしれませんが、でもこれだけの情報ではその可能性の指摘ができるだけで、論理的な断定はできません。

ウィントはペーパーバックp116で『祭暦』からの引用"Chloris eram quae Flora vocor."(現在フローラと呼ばれている私は以前クロリスでした。)を使って、変身の描写がオウィディウス的だと言っています。しかしこのフローラの台詞の直前には"dum loquitur, vernas effat ab ore rosas"彼女(フローラ)が話している間、彼女の口からは春のバラが出ていました。"という文章があり、どうせ『祭暦』の引用を根拠にするならば、直前のこの文章も当然考慮に入れるべきではないでしょうか。

花の息をしながら語っているという描写は、あからさまにクロリスではなくフローラの属性なので、右から2番目の像はもう既にフローラとして描かれているのではないでしょうか。この文章を知っていながら、あえてそれを指摘しないウィントの態度に、目的とする結論に向けてのご都合主義的な引用の取捨選択の傾向を疑わざるを得ません。万が一、クロリスからフローラへの変身が描かれていないとなると、この絵全体の新プラトン主義的構造が崩れてしまい、ウィントの理論は瓦解してしまいます。





posted by takayan at 02:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | プリマヴェーラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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